劇場版名探偵コナン《黒鉄の魚影》
昨日のお昼に観てきました。以下、感想。
OP、メインテーマのアレンジも登場人物紹介の演出も、これまでの歴代作品と雰囲気が全然違っててすごくどきどきした。
昨年の《ハロウィンの花嫁》での演出もそれまでと雰囲気が違う印象を受けたんだけど、それを上回る驚きだった。
映画のあらすじは一度しか読まないようにして、そこから公開日までは事前に発表されるタイプのゲスト声優(ここ数年は発表されないタイプのゲスト声優も豪華)と主題歌の情報にさらっと目を通すだけ。発表されていなかったタイプのゲスト声優たちが豪華すぎてびっくりしちゃった。
「好きな声優が関わる作品は主役クラスじゃなくても全部追う」みたいなタイプの人、最速~初日組の大抵伏せ字まみれの感想を運よく見ないと出遅れてしまうのでは……。
哀ちゃんにフォーカスが当たることはハロウィンの花嫁を映画館で観終えた瞬間からわかってたけど、ここまで危機が迫るとは思ってもみなかった。
ベルモットとバーボンが直美さんを誘拐するところは想像どおり本当にあっさり完璧な手口だったんだけど、ウォッカとピンガが哀ちゃんを誘拐し、コナンくん・蘭ちゃん・亜笠博士が必死に食い止めようとするシーンでは「ぎりぎりのところでコナンくんが追いつく可能性」を信じてたので、ウォッカ・ピンガ・哀ちゃんが乗った車が崖から海に飛び込んだ瞬間、普通に絶望した。いや、これまでも苦境に立たされてはきたけど、よりによって本当に組織に攫われるとこまでやるのか? って。
同時に、"灰原哀"が組織に目をつけられるきっかけになった、"老若認証のテストで宮野志保の写真を使い、灰原哀と一致したことを示すキャプチャ"を持ち歩いてた直美のことを一瞬だけ疑ったし憎みそうになった。
でも、子どもの頃にいじめから助けてくれた志保のことを大人になっても忘れられなくて、自分が開発したシステムをテストさせてもらえることになった――社会的に認めてもらえる大事な――時に個人的な思い出でしかない宮野志保の写真を使おうと思うくらいには、十年ちょっとの間、贖罪と感謝の気持ちをずっと持っていたんだなと思いました。
子ども時代の思い出から「人種によって憎みあわない世界」を願い、人類学とAIを学ぶうちに老若認証システム(人種・年齢問わず)の開発に至った直美――と彼女のことを知って、今作も、コナンの映画は「今、社会で議題となっていること・話題になっているもの」を取り上げてるんだなと感じた。《ゼロの執行人》でもIoT製品や海外サーバーを経由した不正アクセスがテーマになったように。
"人種差別のない世界平和"を願う直美が、"子ども"である哀ちゃんのここから脱出しようという言葉に――映像越しに自分の父が襲撃される現場を見せられたばかりということもあって――はじめは「子どもになにができるの」と感情を昂らせ、哀ちゃんに「世代間の差別もなくしたいんじゃないの」と叱咤されるシーン……「子どもの言葉や言動で自分の人生が変わることもある」と発破をかけた哀ちゃんは、自分が子どもの姿になって、同じく子どもの姿で奮闘するコナンくんや、真に子どもな少年探偵団の子たちと関わるようになってからの日々を思っていたんだろう。
グレースに扮しているのを「恐らく女性ではないと思いますよ」と追及されたピンガが「女じゃないなんて言われると思ってなかった」と驚いたシーン、あれも、今後、コナンくんが犯人を追及するにあたって気を配らなければならない部分になるのかな。
そういうことを気付かされる映画だった。畳む
ここからは赤安二次創作をしていたことのある人間の妄言です。
スマホ2台持ちのコナンくんを挟んでスマホとスマホ越しに会話する羽目になった赤井秀一と降谷零の図、同人誌かと思った。そしかい和解済の世界線の二次創作でこういうのありそう。
赤井秀一の「その声は安室……いや、降谷零くんか」の声が嬉しそうで、映画館でマスクの上から口を押えました
「米軍の武器を日本国内で使う気か」→「でも今は猶予がないからそれしかない」からの、「組織随一のスナイパー、海自がくる前に済ませろよ、ライ」発言、ほんっとうにやばかった。
それに対する赤井秀一いやライの「もちろんそのつもりだよ、バーボン」でわたし倒れるかと思った。
組織にいた頃決して仲良くなかった(ていうかああいう組織で仲良しごっこしてたらそれはそれでおかしい)二人……純黒を経て……未だ謎に包まれたお茶会を越えて……信頼関係がまた深まった……じゃなきゃこういうやりとりにならない。
ライバボごっこをする赤安のこと、《純黒の悪夢》以降たぶん100回は想像したことある。
これまでは「ライバボごっこが地雷な赤井秀一」って思ってたけど、もしかしたら「ライバボごっこがまんざらでもない赤井秀一」かもしれない。畳む
#劇場版名探偵コナン
OP、メインテーマのアレンジも登場人物紹介の演出も、これまでの歴代作品と雰囲気が全然違っててすごくどきどきした。
昨年の《ハロウィンの花嫁》での演出もそれまでと雰囲気が違う印象を受けたんだけど、それを上回る驚きだった。
映画のあらすじは一度しか読まないようにして、そこから公開日までは事前に発表されるタイプのゲスト声優(ここ数年は発表されないタイプのゲスト声優も豪華)と主題歌の情報にさらっと目を通すだけ。発表されていなかったタイプのゲスト声優たちが豪華すぎてびっくりしちゃった。
「好きな声優が関わる作品は主役クラスじゃなくても全部追う」みたいなタイプの人、最速~初日組の大抵伏せ字まみれの感想を運よく見ないと出遅れてしまうのでは……。
哀ちゃんにフォーカスが当たることはハロウィンの花嫁を映画館で観終えた瞬間からわかってたけど、ここまで危機が迫るとは思ってもみなかった。
ベルモットとバーボンが直美さんを誘拐するところは想像どおり本当にあっさり完璧な手口だったんだけど、ウォッカとピンガが哀ちゃんを誘拐し、コナンくん・蘭ちゃん・亜笠博士が必死に食い止めようとするシーンでは「ぎりぎりのところでコナンくんが追いつく可能性」を信じてたので、ウォッカ・ピンガ・哀ちゃんが乗った車が崖から海に飛び込んだ瞬間、普通に絶望した。いや、これまでも苦境に立たされてはきたけど、よりによって本当に組織に攫われるとこまでやるのか? って。
同時に、"灰原哀"が組織に目をつけられるきっかけになった、"老若認証のテストで宮野志保の写真を使い、灰原哀と一致したことを示すキャプチャ"を持ち歩いてた直美のことを一瞬だけ疑ったし憎みそうになった。
でも、子どもの頃にいじめから助けてくれた志保のことを大人になっても忘れられなくて、自分が開発したシステムをテストさせてもらえることになった――社会的に認めてもらえる大事な――時に個人的な思い出でしかない宮野志保の写真を使おうと思うくらいには、十年ちょっとの間、贖罪と感謝の気持ちをずっと持っていたんだなと思いました。
子ども時代の思い出から「人種によって憎みあわない世界」を願い、人類学とAIを学ぶうちに老若認証システム(人種・年齢問わず)の開発に至った直美――と彼女のことを知って、今作も、コナンの映画は「今、社会で議題となっていること・話題になっているもの」を取り上げてるんだなと感じた。《ゼロの執行人》でもIoT製品や海外サーバーを経由した不正アクセスがテーマになったように。
"人種差別のない世界平和"を願う直美が、"子ども"である哀ちゃんのここから脱出しようという言葉に――映像越しに自分の父が襲撃される現場を見せられたばかりということもあって――はじめは「子どもになにができるの」と感情を昂らせ、哀ちゃんに「世代間の差別もなくしたいんじゃないの」と叱咤されるシーン……「子どもの言葉や言動で自分の人生が変わることもある」と発破をかけた哀ちゃんは、自分が子どもの姿になって、同じく子どもの姿で奮闘するコナンくんや、真に子どもな少年探偵団の子たちと関わるようになってからの日々を思っていたんだろう。
グレースに扮しているのを「恐らく女性ではないと思いますよ」と追及されたピンガが「女じゃないなんて言われると思ってなかった」と驚いたシーン、あれも、今後、コナンくんが犯人を追及するにあたって気を配らなければならない部分になるのかな。
そういうことを気付かされる映画だった。畳む
ここからは赤安二次創作をしていたことのある人間の妄言です。
スマホ2台持ちのコナンくんを挟んでスマホとスマホ越しに会話する羽目になった赤井秀一と降谷零の図、同人誌かと思った。そしかい和解済の世界線の二次創作でこういうのありそう。
赤井秀一の「その声は安室……いや、降谷零くんか」の声が嬉しそうで、映画館でマスクの上から口を押えました
「米軍の武器を日本国内で使う気か」→「でも今は猶予がないからそれしかない」からの、「組織随一のスナイパー、海自がくる前に済ませろよ、ライ」発言、ほんっとうにやばかった。
それに対する赤井秀一いやライの「もちろんそのつもりだよ、バーボン」でわたし倒れるかと思った。
組織にいた頃決して仲良くなかった(ていうかああいう組織で仲良しごっこしてたらそれはそれでおかしい)二人……純黒を経て……未だ謎に包まれたお茶会を越えて……信頼関係がまた深まった……じゃなきゃこういうやりとりにならない。
ライバボごっこをする赤安のこと、《純黒の悪夢》以降たぶん100回は想像したことある。
これまでは「ライバボごっこが地雷な赤井秀一」って思ってたけど、もしかしたら「ライバボごっこがまんざらでもない赤井秀一」かもしれない。畳む
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