キスのおあずけはおあずけ


 お付き合いを始めてから知ったこと。可不可はキスが好きらしい。
「ほら、遠慮しなくていいのに」
「遠慮してるわけじゃなくて」
 身長差が数センチなのに対し、体重差は……考えたくない。まぁ、少し前に研修旅行で食べまくったツケは精算できてるから、今が一番差を縮められてる状態だとは思うけど。
 っていうかここ俺の部屋なのに普通にベッドに座ってるの、可不可こそ遠慮ゼロだよね。
「こら、暴れないの」
 腰をぐっと抱き寄せられて、悲鳴を上げそうになった。可不可ってときどき意外なところで馬鹿力を発揮する。そのたびに俺はびっくりして、え、可不可ってこんなに力があったの? なんて言いそうになるんだ。言ったら機嫌を損ねるから我慢。これくらいのことでケンカしたくないし。
「だ、だって」
「ダイエットは終わったんでしょ? ま、そのままでも僕は気にしないけど」
 あっという間に可不可の膝の上に座らされちゃった。気にしないって言われても、どうしても腰が引けそうになる。でも、可不可はそれも織り込み済みらしく、俺の腰に回した腕に力を込めて、ぎゅうぎゅうと抱き着いてきた。
「ちょっと、ダメだってば」
「どうして?」
 どうしてもなにも、ダメに決まってる。最近暑くなってきて、今日だって、朝起きてシャワーは浴びたけど、お昼の買い出しでちょっと汗をかいちゃったんだ。どこぞの国民的アニメに登場するヒロインみたいにしょっちゅうシャワーを浴びまくるわけにもいかないから、ボディシートで一生懸命汗を拭いただけ。というか、汗のこと抜きにしてもあんまりくっつかないでほしい。
「はぁ……この香り、落ち着くなぁ……」
 それ、ボディシートのシトラスミントの香りだよ!? 可不可の好きな香りって藤の香りじゃなかった? あぁ、藤の香りのボディシートがあったら迷わず買ってたのに。……好きなひとには、このにおい好きだなって思われたいし。さすがにね、俺もね、恋人ができた以上はそういうの気にするから。
「ね、楓ちゃん」
 可不可の指先が、俺の背中をつつつっとなぞった。
「……っ」
「まだ、ダメ?」
 甘い声と吐息が首筋にあたってくすぐったい。だんだん、変な気分になってくる。……絶対、可不可はわかっててやってる。
「だ、め……」
「どうして? 楓ちゃんだって、我慢の限界なくせに」
 性感を煽るような手つきで腰を何度も撫でられて、体がびくびく跳ねるのが抑えられなかった。くすぐったいだけじゃない、撫でられるだけで気持ちよくて、撫でられるのが終わってからも腰が揺れそうになる。
「乾燥で切れちゃったっていうからいい子にしてたけど、……とっくに治ってるでしょ?」
 う、ばれてる。そりゃそうか。見ればわかるもんね。
 ――一週間前、リップケアを怠ってたバチが当たったのか、バラエティ番組を見て爆笑した拍子に下唇の真ん中が切れた。縦に小さく出血してる俺のくちびるを見た可不可は思いっきり心配して……俺から〝キスはしばらくおあずけ宣言〟したんだ。治るまでは触らないでって。可不可もそれはそうだねって納得した。
 翌々日の昼には肉まんを頬張っても問題ないくらいには治ってくれて、よし、これなら可不可とも……と思ったものの、言い出せなかった。
 だって〝くちびるが治ったからキスしよう〟とか言えるわけなくない? どんな顔して言うの? キスする気満々みたいで恥ずかしいよ。
「楓ちゃーん」
「……はい」
 俺が可不可に甘えられるの弱いってわかっててこういう声出すの、ずるいよ。
「まだおあずけ?」
「お……」
「お?」
 期待の視線が眩しい。可不可って本当に俺のこと好きなんだね。全身から好き好きオーラみたいなのが出てる。俺には見える。なぜなら恋人だから。
「おあずけしてたのは、おあずけで……」
「なにそれ、わかりにくいよ」
「恥ずかしいんだよ!」
 可不可みたいに照れをすっ飛ばせる性格じゃないの、とっくに知ってるくせに。
「ごめんごめん。照れて騒ぐのがかわいくて、つい。……おあずけのおあずけは、どれくらい?」
 自分から言い出したのに俺もわからなくなってきた。えーっと〝キスのおあずけ〟をおあずけするわけだから、……ん? これ、期間を定めないといつでもキスしていいってことにならない?
「生涯おあずけでいいよね?」
「えっ」
 さすが可不可。頭の回転が速いから、俺より先に結論まで辿り着いちゃった。
 ……そうだね、怪我や病気をしない限りは、おあずけにしっぱなしでいいかな。俺も、好きだからね。可不可のことも、可不可との、キスも。