初めてだから
*月刊かふかえ企画2026年1月号より『初めての○○』を選択
お付き合いを始めるまでは、幼馴染みだし断る理由もないしで、可不可を普通に部屋に入れてた。今にして思えば、やたらと部屋に来たがってたのは、可不可なりのアピールだったんだろうな。……まぁ、可不可の気持ちを知るまで、ぜんっぜん気付かなかったんだけどね。
この年になるまで恋愛のれの字も経験してこなかったとはいえ、世の恋人たちがどういう交際をするかはもちろん知ってる。みんながみんなアレでソレなことをするとは限らないけど、する可能性もあるってことは、恋人ができた以上、頭に入れておかなくちゃならない。
そう思ったら、え、俺って、今まで俺のこと好いてくれてるひとをほいほい部屋に入れてたの? ってびっくりした。
いや、可不可に限ってそんなことはないと思うよ。いつも周りに……特に俺に対してはそこまでしなくてもいいんじゃないかってくらい紳士的だから、密室でふたりきりになった途端オオカミになるなんてないと思う。っていうか、普通に、俺のほうが力あるし。
でも、さすがに、部屋でふたりきりになったらキスくらいはするんじゃない? 付き合ってるわけだからさ。それで、何ヵ月か経ってキスに慣れたら、その先に進む展開もあり得るわけで……そもそも可不可って俺でアレがソレになるのかな? え、全然イメージわかない。――なーんてことを考えるようになったせいで、可不可を部屋に入れるのをためらうようになった。
もちろん、いやじゃないよ。俺のこと好きでいてくれてるのはすごく嬉しいし、可不可が俺とキスとかその先のこととかしたいなら、ちゃんと応えたいと思う。……思うからこそ、可不可に「今日、部屋に行っていい?」って訊かれるたびに、頭のなかが〝部屋に入れたらキスされるのかな?〟でいっぱいになって、うわー、こんなこと考えてる俺ってむっつりかも、可不可に知られてドン引きされたらどうしよう! ってところまで考えがどんどん進んで、つい「ちょっと散らかってるから」とか「寝不足気味だから早めに寝ようと思うんだ」ってなにかといいわけしてしまう。初めての恋人とはいえ、俺、あまりにもダサ過ぎない?
で、そういうのを何日も続けてると、可不可もさすがにむっとするわけで。
「……なんか、僕のこと避けてない?」
「へ? 避けてないよ?」
「だって、恋人になる前は普通に部屋に入れてくれてたのに」
俺たちのことは誰にも言ってないのに、こんなところでそういう話は……と、慌てて可不可の口を塞いだ。塞いだといっても、糖衣くんに教えてもらった乙女ゲームみたいに「おしゃべりな口はこうしてやろうか」ってキスするわけじゃない。普通に、手で覆っただけ。これが、キス未経験な俺なりのやり方。
「……っ、ひとに聞かれて困るような関係じゃないでしょ。照れくさくて聞かれたくないなら、それこそ楓ちゃんの部屋に行きたい」
首を振って俺の手からまんまと逃げた可不可がじとっと睨んできた。これ、結構しっかり怒ってる顔だ。ケンカの二歩くらい手前。あとふたつ、俺がなにかやらかしたらケンカ勃発って感じ。幼馴染としての長年の勘がそういってる。
「困りはしないけど」
「けど?」
あ、一歩手前になった。まずい。ケンカしたいわけじゃないのに、これ言ったらケンカ勃発確定だろうなーって言葉ばかりが頭のなかに浮かぶ。回避策としては、声に出さないこと、それしかない。
「……」
「黙っちゃうんだ?」
まだセーフ、ぎりぎりセーフ。ここでなんとしてでも挽回して、可不可とちゃんと仲良くしたい。
もちろん、どうすればいいのかなんてわかりきってる。避けてるわけじゃないのは本当だから、おとなしく、可不可を部屋に招待すること。それがどうしても踏ん切りつけられないなら、素直に、俺にむっつりな可能性がわずかにあるせいで招待できませんでしたって打ち明けること。このどっちか。
どうする? どっちのルートでケンカ回避する? あぁ、もっと糖衣くんに乙女ゲームを借りておけばよかった。攻略対象の好感度を落とさないコツみたいなのを学んでおけば……って、別に可不可を攻略対象にしてるわけじゃない。むしろ、俺が可不可に攻略されたようなものだし。
本当にどうしよう。どうしようって、目の前の可不可とちゃんと話すしかないのはわかってる。……もう、当たって砕けるしかないか。砕けちゃだめだけど。
「……可不可も、俺みたいに悩んでる?」
「え?」
可不可の手を握る。視線が思いっきり手にいったのがわかって、今更、手に汗が滲んだ。子どもの頃から何十回、何百回と繋いでるのに。
いくらなんでも廊下でこんな話はできない。普通に、目の前にある俺の部屋に入るのが一番。――そう思ったら、あれこれ想像して二ヵ月も断ってたのはなんだったんだというくらい簡単に、可不可を部屋に連れていけた。……連れ込むみたいに、なった。
ここで暮らすことが決まったとき、可不可の計らいで、俺だけがひとり部屋を与えられた。当時は、幼馴染だからって特別扱いし過ぎじゃないかなぁなんて思ったけど、今ならわかる。自分の好きなひとが誰かと密室で過ごす、……いくら相手を信頼してたとしても、おもしろくないし、万が一を考えてしまう。悪い意味じゃなくて、自分よりもそのひとと親密になったらどうしようって意味で。ここで社長特権を使わず、可不可自身も観光区長だから観光区長同士の相部屋、コンダクターはコンダクター同士の相部屋にしたのは、本当、うまく考えたなぁと思うよ。そのパターンでこられたら、唯一どちらにも該当しない俺がひとり部屋になるもんね。そんなふうに俺を特別扱いしたのは、可不可が俺を好きで、きっと、誰にも近付けさせたくなかったから。
「可不可は、俺の部屋にくること、なんとも思ってない? ……その、緊張、とか」
誰にも近付けさせたくないくらい好きでいてくれてるとしたら、部屋に来たがるのも、本心では毎回緊張してたはずだ。
「……しないわけないでしょ。恋人になれたことだって、未だに夢みたいって思ってるのに」
「それは……夢じゃないよ」
「それくらい嬉しいってこと。……緊張してるよ。片想いだった頃から、ずっと緊張してた。でも、それ以上に、僕を意識してほしくて必死だったんだ」
繋いだままの手から可不可の手がすり抜けていく、と思ったら、指先をゆるく絡められた。お付き合いするようになるまでしなかった繋ぎ方だ。指をしっかり絡めるわけじゃないのは、やっぱり、緊張のせい?
「……もうちょっと、ちゃんと繋いでいい?」
特別な繋ぎ方なのに、触れてる面積が狭いせいで、体温が伝わってきづらい。ちょっとさみしいよ。――そう説明すべきだったのに、うまく言えなくて、自分から指を深く絡めた。可不可の指先が小さく跳ねる。
「意識してほしいっていうの、大成功だよ。俺、ずっと意識してる。意識し過ぎて、いろいろ考えちゃって……それで、可不可のこと、ここに入れないようにしてた」
どうしよう、顔が熱い。思わず俯いてしまった。頭のいい可不可のことだから、今の言葉で、俺がもしかしたらむっつりかもしれないこともばれちゃったよね。引かれたら、明日からどんな顔で生きていけばいい? 可不可に限って俺をきらいにまではならないと思いたいけど、人間、なにがきっかけで関係が破綻するかわからない。
あぁ、こっちからまだまだ話したい。可不可がドン引きしてたとしても、俺さえなにかしゃべってれば、その言葉を聞かずにいられる。――そんなずるい考えだけはゼロコンマ何秒ってくらい素早く浮かぶのに、肝心の言葉が出てこない。無理矢理しゃべろうとしても無駄ってことだ。
「……そんなに意識してくれてるの?」
返ってきた声が思ったより小さくて、ん? と聞き返すように顔を上げる。上げたら、告白してくれたとき以上に真っ赤に頬を染めてる可不可が、俺から視線を逸らしてた。珍しい、いつもはこっちが照れてもお構いなしで見つめ続けるくせに。
「するよ。可不可に言われて始まった関係だけど、意識してなきゃ、そもそも頷かない……」
可不可のことを、ずっと大切に思ってきた。友だちとして、今は仕事のパートナーとしても。でも、それだけで人生を賭けようと即決したわけじゃない。好きだと言われて恋人になったわけじゃない。
そもそもは、人間の根っこにある、恐らくは特別な相手としか通じ合えないものがおそろいだとわかった喜びが、俺に、可不可をよりいっそう特別な存在にさせてたんだ。このひととなら、おじいさんになっても手を取り合って同じ景色を見るんだろうなとまで思ってた。そんなときに可不可の気持ちを知って、あぁ、これなんだと、胸にすとんと落ちるものがあったから、可不可の気持ちに応えたんだよ。ときめきを自覚するようになったのはその日からだけど、あの日胸に落ちたのが恋心じゃなきゃ、煩悩にまみれた自分を恥ずかしく思ったり、可不可との時間をわざと避けようとしたりなんて情けない展開になってない。
「それなら、いいけど」
相変わらず、可不可は視線を落としたままだ。怒ってるわけじゃないよね、俺と同じで、すごく照れてるだけ。……そういえば、ケンカを回避しなきゃって思ってたの、回避できてるってことでいいのかな。もうちょっとちゃんと確かめたいけど、いつまでもこんなところでおしゃべりしてるわけにもいかない。
「えっと、……」
あんなにためらってたのはなんだったんだろう。可不可の手を引いて、普通に、自分の部屋に招き入れた。
「いいの?」
「いいもなにも……こんなに照れてる可不可、珍しいから、他のひとには見られないほうがいいと思って」
「……珍しい、ね」
言葉に小さな棘を感じた。わかるよ、独占欲じゃなくて珍しさからなのかって言いたいんでしょ。可不可こそ、俺のこと昔からずっと見てくれてるなら、珍しさなんて建前なこと、わかってるくせに。
部屋に入ったものの、次にどうすればいいかわからなくて、ドアのすぐそばで立ち尽くしてる。可不可の手は握ったまま。いや、次にどうすればってなに? 俺、なにをするつもり? ――頭の片隅に姿を見せてる煩悩を慌てて追い払う。俺たちにはまだ早いよ! ……たぶん。いや、二ヵ月ならキスくらいはするのかな。するよね、大人だし。あぁ、でも、今夜いきなりキスはちょっと恥ずかしくて無理かも……!
「お部屋デート解禁ってことでいいの?」
絡めたままの指先に、可不可がわずかに力を込めた。反射的に、こくっと唾を飲み込む。当然、俺の耳には「あ、今、唾を飲み込んだな」ってはっきりわかるんだけど、これって、可不可にもばれてるのかな。
「部屋で会うのは、ありってことでいいんだけど」
「けど?」
「ご存じかと思いますが俺はそういう経験が一切ないので、それはもう、世間一般の何倍にもお手柔らかにしていただけると……」
しまった、声が上擦った。案の定、可不可が声を上げて笑う。
「なんで敬語?」
あ、そっち? 声がへにょへにょだったことじゃなくて? いや、どっちであっても、笑われてるのは普通に恥ずかしい。
「こうなっちゃうくらい、可不可とふたりきりって状況に緊張してるんだよ! っていうか、全部わかってるでしょ!」
可不可のことだから、俺が意識しまくりなことにも気付いてたはずなんだよね。ちょっと風邪気味かもって日に誰よりも素早く近寄ってきて体調を気遣ってくれるくらいには、俺のことばっかり見てくれてるし。
「ごめんごめん。……わかってるよ。でも、意識してもらえて嬉しい以上に、意識するくらい好きなら僕と一緒にいてよって思っちゃって」
俺、可不可のこういう表情に弱いみたい。この、俺のことが好きでたまらないって顔。一歩間違えれば優越感に育ちかねない、危うげな感情を抱かせてくるんだ。
「楓ちゃん?」
「……可不可って、本当に俺のこと好きなんだね」
「はっ? いきなりなに? っていうか、やっと理解したの?」
「あぁいや違う! そうじゃなくて。可不可の顔見てたら、こう、しみじみと、――」
危ない危ない、なにひとつ間違わなかったとしてもそのうち優越感に育ちかねないからよくないよ、これ。……それとも、このひとに好かれてるという純粋な喜びは、おのずと、優越感に変わる? 恋って、そういうものなんだろうか。
「――俺のなかに、こんな気持ちがあったんだって新しい発見してたとこ」
こういうの、いちいち言わないほうがいいのかな。でも、初めての恋で右も左もわかってないし、それはきっと可不可も同じだろうから、俺は敢えて言葉にしたい。
「僕も、この気持ちを自覚してからはかなり長いけど、実際にお付き合いを始めてからは新発見ばかりだよ。初めて抱く気持ちにまだ出会えるなんて思っても見なかった」
「それってどんなの?」
「聞きたい?」
頷く。そりゃあ、聞きたいよ。その気持ち自体は可不可のものだけど、俺のことを考えて生まれた気持ちなら、ちょっとは俺のものでもあると思うから、教えられる範囲で教えてほしいな。
……うそ。すべてを詳らかにすることが恋や愛じゃないのは百も承知でいうと、ちょっとどころか、まるごと俺のものにもさせてほしい。それくらい、わかりたいし、わかってほしいんだ。
なにから言おうかな。――可不可はそう呟いて、しばらく考えたあと、おもむろに俺たちの手を軽く持ち上げる。
「これ、さっきすごくどきどきした。こんな繋ぎ方、初めてだったから」
そのまま手を引っ張られたかと思うと、指先にやわらかなものが触れた。全身の血液と神経が指先に一旦集まって、そこから猛スピードで俺の顔まわりに襲いかかってきたみたいに、頬が熱い。
「俺も、どきどきしてる」
手の繋ぎ方に対してだけじゃないよ。可不可も、自分がやったことにどきどきしてる? してるよね。可不可の指先も、俺と同じくらい熱を持ってる。俺のが移っただけとは言わせない。
「……本当のこと言うと、楓ちゃんが意識してくれてるのは、聞かなくてもわかってた。それでも、意識してるって言葉にしてほしくて、ちょっとずるい言い方しちゃった」
「可不可のことだから、気付いてそうだなとは思ってたよ」
いつまでもドアのそばでおしゃべりしてるなんてもったいない。少しずつ、部屋のなかへ、なかへと歩を進める。
あれこれひとりで想像して頭のなかでだけ暴走しかかってたけど、ちゃんと可不可と向き合おう。まずは、部屋デートの定位置を決めて、それから、今日見つけた気持ちを話すことからかな。
お付き合いを始めるまでは、幼馴染みだし断る理由もないしで、可不可を普通に部屋に入れてた。今にして思えば、やたらと部屋に来たがってたのは、可不可なりのアピールだったんだろうな。……まぁ、可不可の気持ちを知るまで、ぜんっぜん気付かなかったんだけどね。
この年になるまで恋愛のれの字も経験してこなかったとはいえ、世の恋人たちがどういう交際をするかはもちろん知ってる。みんながみんなアレでソレなことをするとは限らないけど、する可能性もあるってことは、恋人ができた以上、頭に入れておかなくちゃならない。
そう思ったら、え、俺って、今まで俺のこと好いてくれてるひとをほいほい部屋に入れてたの? ってびっくりした。
いや、可不可に限ってそんなことはないと思うよ。いつも周りに……特に俺に対してはそこまでしなくてもいいんじゃないかってくらい紳士的だから、密室でふたりきりになった途端オオカミになるなんてないと思う。っていうか、普通に、俺のほうが力あるし。
でも、さすがに、部屋でふたりきりになったらキスくらいはするんじゃない? 付き合ってるわけだからさ。それで、何ヵ月か経ってキスに慣れたら、その先に進む展開もあり得るわけで……そもそも可不可って俺でアレがソレになるのかな? え、全然イメージわかない。――なーんてことを考えるようになったせいで、可不可を部屋に入れるのをためらうようになった。
もちろん、いやじゃないよ。俺のこと好きでいてくれてるのはすごく嬉しいし、可不可が俺とキスとかその先のこととかしたいなら、ちゃんと応えたいと思う。……思うからこそ、可不可に「今日、部屋に行っていい?」って訊かれるたびに、頭のなかが〝部屋に入れたらキスされるのかな?〟でいっぱいになって、うわー、こんなこと考えてる俺ってむっつりかも、可不可に知られてドン引きされたらどうしよう! ってところまで考えがどんどん進んで、つい「ちょっと散らかってるから」とか「寝不足気味だから早めに寝ようと思うんだ」ってなにかといいわけしてしまう。初めての恋人とはいえ、俺、あまりにもダサ過ぎない?
で、そういうのを何日も続けてると、可不可もさすがにむっとするわけで。
「……なんか、僕のこと避けてない?」
「へ? 避けてないよ?」
「だって、恋人になる前は普通に部屋に入れてくれてたのに」
俺たちのことは誰にも言ってないのに、こんなところでそういう話は……と、慌てて可不可の口を塞いだ。塞いだといっても、糖衣くんに教えてもらった乙女ゲームみたいに「おしゃべりな口はこうしてやろうか」ってキスするわけじゃない。普通に、手で覆っただけ。これが、キス未経験な俺なりのやり方。
「……っ、ひとに聞かれて困るような関係じゃないでしょ。照れくさくて聞かれたくないなら、それこそ楓ちゃんの部屋に行きたい」
首を振って俺の手からまんまと逃げた可不可がじとっと睨んできた。これ、結構しっかり怒ってる顔だ。ケンカの二歩くらい手前。あとふたつ、俺がなにかやらかしたらケンカ勃発って感じ。幼馴染としての長年の勘がそういってる。
「困りはしないけど」
「けど?」
あ、一歩手前になった。まずい。ケンカしたいわけじゃないのに、これ言ったらケンカ勃発確定だろうなーって言葉ばかりが頭のなかに浮かぶ。回避策としては、声に出さないこと、それしかない。
「……」
「黙っちゃうんだ?」
まだセーフ、ぎりぎりセーフ。ここでなんとしてでも挽回して、可不可とちゃんと仲良くしたい。
もちろん、どうすればいいのかなんてわかりきってる。避けてるわけじゃないのは本当だから、おとなしく、可不可を部屋に招待すること。それがどうしても踏ん切りつけられないなら、素直に、俺にむっつりな可能性がわずかにあるせいで招待できませんでしたって打ち明けること。このどっちか。
どうする? どっちのルートでケンカ回避する? あぁ、もっと糖衣くんに乙女ゲームを借りておけばよかった。攻略対象の好感度を落とさないコツみたいなのを学んでおけば……って、別に可不可を攻略対象にしてるわけじゃない。むしろ、俺が可不可に攻略されたようなものだし。
本当にどうしよう。どうしようって、目の前の可不可とちゃんと話すしかないのはわかってる。……もう、当たって砕けるしかないか。砕けちゃだめだけど。
「……可不可も、俺みたいに悩んでる?」
「え?」
可不可の手を握る。視線が思いっきり手にいったのがわかって、今更、手に汗が滲んだ。子どもの頃から何十回、何百回と繋いでるのに。
いくらなんでも廊下でこんな話はできない。普通に、目の前にある俺の部屋に入るのが一番。――そう思ったら、あれこれ想像して二ヵ月も断ってたのはなんだったんだというくらい簡単に、可不可を部屋に連れていけた。……連れ込むみたいに、なった。
ここで暮らすことが決まったとき、可不可の計らいで、俺だけがひとり部屋を与えられた。当時は、幼馴染だからって特別扱いし過ぎじゃないかなぁなんて思ったけど、今ならわかる。自分の好きなひとが誰かと密室で過ごす、……いくら相手を信頼してたとしても、おもしろくないし、万が一を考えてしまう。悪い意味じゃなくて、自分よりもそのひとと親密になったらどうしようって意味で。ここで社長特権を使わず、可不可自身も観光区長だから観光区長同士の相部屋、コンダクターはコンダクター同士の相部屋にしたのは、本当、うまく考えたなぁと思うよ。そのパターンでこられたら、唯一どちらにも該当しない俺がひとり部屋になるもんね。そんなふうに俺を特別扱いしたのは、可不可が俺を好きで、きっと、誰にも近付けさせたくなかったから。
「可不可は、俺の部屋にくること、なんとも思ってない? ……その、緊張、とか」
誰にも近付けさせたくないくらい好きでいてくれてるとしたら、部屋に来たがるのも、本心では毎回緊張してたはずだ。
「……しないわけないでしょ。恋人になれたことだって、未だに夢みたいって思ってるのに」
「それは……夢じゃないよ」
「それくらい嬉しいってこと。……緊張してるよ。片想いだった頃から、ずっと緊張してた。でも、それ以上に、僕を意識してほしくて必死だったんだ」
繋いだままの手から可不可の手がすり抜けていく、と思ったら、指先をゆるく絡められた。お付き合いするようになるまでしなかった繋ぎ方だ。指をしっかり絡めるわけじゃないのは、やっぱり、緊張のせい?
「……もうちょっと、ちゃんと繋いでいい?」
特別な繋ぎ方なのに、触れてる面積が狭いせいで、体温が伝わってきづらい。ちょっとさみしいよ。――そう説明すべきだったのに、うまく言えなくて、自分から指を深く絡めた。可不可の指先が小さく跳ねる。
「意識してほしいっていうの、大成功だよ。俺、ずっと意識してる。意識し過ぎて、いろいろ考えちゃって……それで、可不可のこと、ここに入れないようにしてた」
どうしよう、顔が熱い。思わず俯いてしまった。頭のいい可不可のことだから、今の言葉で、俺がもしかしたらむっつりかもしれないこともばれちゃったよね。引かれたら、明日からどんな顔で生きていけばいい? 可不可に限って俺をきらいにまではならないと思いたいけど、人間、なにがきっかけで関係が破綻するかわからない。
あぁ、こっちからまだまだ話したい。可不可がドン引きしてたとしても、俺さえなにかしゃべってれば、その言葉を聞かずにいられる。――そんなずるい考えだけはゼロコンマ何秒ってくらい素早く浮かぶのに、肝心の言葉が出てこない。無理矢理しゃべろうとしても無駄ってことだ。
「……そんなに意識してくれてるの?」
返ってきた声が思ったより小さくて、ん? と聞き返すように顔を上げる。上げたら、告白してくれたとき以上に真っ赤に頬を染めてる可不可が、俺から視線を逸らしてた。珍しい、いつもはこっちが照れてもお構いなしで見つめ続けるくせに。
「するよ。可不可に言われて始まった関係だけど、意識してなきゃ、そもそも頷かない……」
可不可のことを、ずっと大切に思ってきた。友だちとして、今は仕事のパートナーとしても。でも、それだけで人生を賭けようと即決したわけじゃない。好きだと言われて恋人になったわけじゃない。
そもそもは、人間の根っこにある、恐らくは特別な相手としか通じ合えないものがおそろいだとわかった喜びが、俺に、可不可をよりいっそう特別な存在にさせてたんだ。このひととなら、おじいさんになっても手を取り合って同じ景色を見るんだろうなとまで思ってた。そんなときに可不可の気持ちを知って、あぁ、これなんだと、胸にすとんと落ちるものがあったから、可不可の気持ちに応えたんだよ。ときめきを自覚するようになったのはその日からだけど、あの日胸に落ちたのが恋心じゃなきゃ、煩悩にまみれた自分を恥ずかしく思ったり、可不可との時間をわざと避けようとしたりなんて情けない展開になってない。
「それなら、いいけど」
相変わらず、可不可は視線を落としたままだ。怒ってるわけじゃないよね、俺と同じで、すごく照れてるだけ。……そういえば、ケンカを回避しなきゃって思ってたの、回避できてるってことでいいのかな。もうちょっとちゃんと確かめたいけど、いつまでもこんなところでおしゃべりしてるわけにもいかない。
「えっと、……」
あんなにためらってたのはなんだったんだろう。可不可の手を引いて、普通に、自分の部屋に招き入れた。
「いいの?」
「いいもなにも……こんなに照れてる可不可、珍しいから、他のひとには見られないほうがいいと思って」
「……珍しい、ね」
言葉に小さな棘を感じた。わかるよ、独占欲じゃなくて珍しさからなのかって言いたいんでしょ。可不可こそ、俺のこと昔からずっと見てくれてるなら、珍しさなんて建前なこと、わかってるくせに。
部屋に入ったものの、次にどうすればいいかわからなくて、ドアのすぐそばで立ち尽くしてる。可不可の手は握ったまま。いや、次にどうすればってなに? 俺、なにをするつもり? ――頭の片隅に姿を見せてる煩悩を慌てて追い払う。俺たちにはまだ早いよ! ……たぶん。いや、二ヵ月ならキスくらいはするのかな。するよね、大人だし。あぁ、でも、今夜いきなりキスはちょっと恥ずかしくて無理かも……!
「お部屋デート解禁ってことでいいの?」
絡めたままの指先に、可不可がわずかに力を込めた。反射的に、こくっと唾を飲み込む。当然、俺の耳には「あ、今、唾を飲み込んだな」ってはっきりわかるんだけど、これって、可不可にもばれてるのかな。
「部屋で会うのは、ありってことでいいんだけど」
「けど?」
「ご存じかと思いますが俺はそういう経験が一切ないので、それはもう、世間一般の何倍にもお手柔らかにしていただけると……」
しまった、声が上擦った。案の定、可不可が声を上げて笑う。
「なんで敬語?」
あ、そっち? 声がへにょへにょだったことじゃなくて? いや、どっちであっても、笑われてるのは普通に恥ずかしい。
「こうなっちゃうくらい、可不可とふたりきりって状況に緊張してるんだよ! っていうか、全部わかってるでしょ!」
可不可のことだから、俺が意識しまくりなことにも気付いてたはずなんだよね。ちょっと風邪気味かもって日に誰よりも素早く近寄ってきて体調を気遣ってくれるくらいには、俺のことばっかり見てくれてるし。
「ごめんごめん。……わかってるよ。でも、意識してもらえて嬉しい以上に、意識するくらい好きなら僕と一緒にいてよって思っちゃって」
俺、可不可のこういう表情に弱いみたい。この、俺のことが好きでたまらないって顔。一歩間違えれば優越感に育ちかねない、危うげな感情を抱かせてくるんだ。
「楓ちゃん?」
「……可不可って、本当に俺のこと好きなんだね」
「はっ? いきなりなに? っていうか、やっと理解したの?」
「あぁいや違う! そうじゃなくて。可不可の顔見てたら、こう、しみじみと、――」
危ない危ない、なにひとつ間違わなかったとしてもそのうち優越感に育ちかねないからよくないよ、これ。……それとも、このひとに好かれてるという純粋な喜びは、おのずと、優越感に変わる? 恋って、そういうものなんだろうか。
「――俺のなかに、こんな気持ちがあったんだって新しい発見してたとこ」
こういうの、いちいち言わないほうがいいのかな。でも、初めての恋で右も左もわかってないし、それはきっと可不可も同じだろうから、俺は敢えて言葉にしたい。
「僕も、この気持ちを自覚してからはかなり長いけど、実際にお付き合いを始めてからは新発見ばかりだよ。初めて抱く気持ちにまだ出会えるなんて思っても見なかった」
「それってどんなの?」
「聞きたい?」
頷く。そりゃあ、聞きたいよ。その気持ち自体は可不可のものだけど、俺のことを考えて生まれた気持ちなら、ちょっとは俺のものでもあると思うから、教えられる範囲で教えてほしいな。
……うそ。すべてを詳らかにすることが恋や愛じゃないのは百も承知でいうと、ちょっとどころか、まるごと俺のものにもさせてほしい。それくらい、わかりたいし、わかってほしいんだ。
なにから言おうかな。――可不可はそう呟いて、しばらく考えたあと、おもむろに俺たちの手を軽く持ち上げる。
「これ、さっきすごくどきどきした。こんな繋ぎ方、初めてだったから」
そのまま手を引っ張られたかと思うと、指先にやわらかなものが触れた。全身の血液と神経が指先に一旦集まって、そこから猛スピードで俺の顔まわりに襲いかかってきたみたいに、頬が熱い。
「俺も、どきどきしてる」
手の繋ぎ方に対してだけじゃないよ。可不可も、自分がやったことにどきどきしてる? してるよね。可不可の指先も、俺と同じくらい熱を持ってる。俺のが移っただけとは言わせない。
「……本当のこと言うと、楓ちゃんが意識してくれてるのは、聞かなくてもわかってた。それでも、意識してるって言葉にしてほしくて、ちょっとずるい言い方しちゃった」
「可不可のことだから、気付いてそうだなとは思ってたよ」
いつまでもドアのそばでおしゃべりしてるなんてもったいない。少しずつ、部屋のなかへ、なかへと歩を進める。
あれこれひとりで想像して頭のなかでだけ暴走しかかってたけど、ちゃんと可不可と向き合おう。まずは、部屋デートの定位置を決めて、それから、今日見つけた気持ちを話すことからかな。