May10
ゴールデンウィークが終わり、カレンダーどおりの休みだったひとたちが「五月病かもしれない」なんて言い出す、とある週の真ん中、水曜日。HAMAツアーズは朝から混沌としていた――
最初に違和感に気付いたのは、朝ご飯のとき。
雪にぃが、なぜか、フリルつきの白いエプロンを身に着けてる。
「雪にぃ、それ、どうしたの」
「今日は特別な日だから、弟たちのお弁当もスペシャル仕様にするんだ」
白ご飯の上から桜でんぶをハート型に振りかけ終えた雪にぃは、重要ミッションクリアだとかなんとか言って、サムズアップした。いや、俺が訊きたいのはそっちじゃなくてエプロンのことなんだけど。
「主任の分も必要ならすぐに用意するぞ」
「あ、いや、俺はお昼から外回りであっちこっち行くから」
外回りの合間を縫ってどこかでお店に入る予定だから、丁重にお断りした。
会社に着いて、あれ? と思ったのが、朔次郎さんの格好だ。いつもはHAMAハウスでしか着ないクラシカルメイド服を、会社でも着てる。外回りさえなければ服装をあれこれ言われる会社じゃないけど、事務仕事しづらくないんだろうか。
「あの、朔次郎さん、その格好……」
俺の視線がスカートの裾にいったことに気付いたらしく、朔次郎さんは眼鏡を指で押し上げると「ご心配には及びませんよ」と言った。
「業務に支障をきたさないよう、裾を直しておりますので」
そうなんだ。じゃあ、いいか。……いいのか? いいよね、俺に直接関係することじゃないし。
也千代くんの机に積まれた書類が飛び出して俺の机を侵食してきてるのをさりげなく押し戻し、自分の席に着く。
週の真ん中、ちょっとだけ落ち着く曜日だ。外回りに出るまでの時間は、練牙くんの企画書を添削したり、4区にまた違法出店しちゃった子タろくんの始末書の一次チェックをしたりといったフォロー業務を片付けるのにちょうどいい。練牙くんの企画書は昔に比べれば手直しするところもほとんどなくなってきたけど……子タろくんが書いた始末書は、うーん……改善すべき箇所がまだ多いなぁ。
予定どおりお昼前に外回りへと出かけ、出先で適当にランチを済ませる。そのあとも別の会社をいくつか訪問して、すべて回りきったときには、西の空に橙の名残がわずかに残るだけの時間になってた。移動中にまとめておいた資料に日報を軽く書き添えて社内クラウドにアップしたら、可不可から直帰でいいよとのお達しをもらい、ありがたくお言葉に甘えることにする。どうやら、可不可も今日はもうHAMAハウスに帰ってるらしい。
バスでの移動中にPeChatをさらっと確認すると、数時間前にあく太くんからメッセージが送られてきてたことに気付いた。雪にぃお手製の〝スペシャル仕様〟のお弁当がよほど嬉しかったらしく、写真つきでの報告だ。
よかったねと亀より遅い返事を送ってスマホをポケットに押し込もうとしたら、ちょうど、HAMAハウスから一番近いバス停に着くところだった。そのままスマホをぴっとかざしてバスを降り、HAMAハウスへと戻る。
「ただいまー」
玄関周りは静かだけど、よくよく耳を澄ませると、ダイニングのほうから言い争い? みたいなやりとりが聞こえた。慌てて靴を脱ぎ、走……ろうとしたのを踏みとどまり、シューズボックスに靴を仕舞う。慌てたときこそ、ちゃんとしなくちゃね。
それにしても、いったい誰が騒いでるんだろう。バッグを部屋に置きに行くのはあとまわしにして、早足でキッチンへと向かう。
「お待ちください、主任!」
「へっ?」
途中、どこからともなく現れた朔次郎さんによって、道を阻まれた。会社で見たときと同じメイド服……だけど、よく見たらさっきより裾が長い。なるほど、仕事用に裾を直してたってのはこういうことか。
「五分ほどお時間をいただけますか? そのあいだに本日の正装へとお召し物を変えてくださると、坊ちゃまが喜ばれます」
大きな紙袋を渡されて面食らってると、朔次郎さんのうしろから、アシスタントだという糖衣くんが俺の手を引いた。朔次郎さんと結託してるらしく、糖衣くんもメイド服だ。朔次郎さんのとは細部が少し違い、袖口や裾から繊細なレースが見える。
「リビングも今は立ち入り禁止なんです」
なにがなんだかわからないまま、紙袋を肩からぶら下げつつ、脱衣所へと連れて行かれる。
「では、主任さんはさっき渡された服に着替えてくださいね」
そう言い残すと、糖衣くんはあっという間に去っていった。え、アシスタントじゃないの? そもそもなんのアシスタントかわからないけど、俺を手伝ってくれるっぽい立場なのにここで強制終了とかありなの?
っていうか渡された服ってなんだろう。ちょっといやな予感を抱きつつ、紙袋から大きな箱を取り出す。恐る恐る箱を開けると、そのなかには大箱の半分くらいの大きさの箱がふたつ並んで収められてた。更にそのうちの片方を開けると、そのなかには紙袋がふたつ。……マトリョーシカみたいなことしないでほしいな。
「……」
中身を見て、やっぱり、と思った。朔次郎さんや糖衣くんの格好を見てもしかしてと抱いた予感が、一ミリのずれもなく当たってた。この予想的中っぷり、数字選ぶ形式の宝くじに使えないかな。
これに着替えるの? 俺が? ――頭のなかで目を回しつつ、ひとまず、そんなに問題なさそうな靴下を履く。普段、スニーカーの履き口にはみ出さないタイプの靴下で白を選ぶことが多いんだけど、その白よりも真っ白だ。純白ってこの白かもしれない。うそ、適当なこと考えました。だって白って二百色あるらしいから、これが純白かを断言するのは早い気がするんだ。
残りの服にも手をつけなきゃいけないのかなぁと考えてたら、脱衣所の出入り口から千弥くんがひょこっと顔を覗かせた。
「着替え終わった? ……あっ、まだ?」
千弥くんはメイド服じゃないんだ……と思ったら、ジャージの上から白いフリルのエプロンを着けてた。普通に、メイドだった。
もしかして背中のファスナーがムズい? ――と訊かれて、別に難しくはないよと答えたものの、あれよあれよという間に着替えさせられる。難しくはないよ。困惑してるだけ……って、最後まで言わせてもらう隙なんてなかった。
「仕上げにちょっぴりかわいくしちゃおーっと」
顔にぺたぺたとクリームを塗られ、パウダーをはたかれ、動かないで! と言われては反射的に背筋を伸ばし――
「主任ぴ、めっちゃキャワになったよん。素材がいいからナチュラルメイクでもオーラ出るね」
――鏡には、目の下の隈がうそみたいに消え、血色のいい頬をした俺が映ってた。乾燥で切れそうだと思ったときに慌てて塗る無香料リップよりも効果がありそうなツヤツヤのくちびるに、リップだけはあとで同じものを買おうかなとこっそり決意する。
「んじゃ、オレについてきて」
千弥くんに導かれるまま、ダイニングへと向かう。キッチンの片隅では、椅子に腰掛けた潮くんがぐったりと項垂れてた。……彼も、ジャージメイド服を着てる。いや、着させられたんだろう。これも礼人のためだとかなんだとか、ぶつぶつ呟いてた。
「おかえり、主任ちゃん」
ダイニングで出迎えてくれた可不可――も、もちろんメイド服だ。しかも、俺とおそろいのクラシカルメイド服。
「可不可、これは」
「ちょっとしたレクリエーションだよ」
「本日は〝五月〟つまり〝May〟と〝十(ド)〟の語呂合わせから生まれたメイドの日。五十年ほど前にJPNで提唱されたこの記念日は、メイド文化への愛と感謝を楽しむ日でございます」
「他の弟たちも似合っているが、主任は更に似合っているぞ」
「補足をありがとう、朔次郎。あと、雪風は黙って。主任ちゃんが似合ってるのは当然だから」
メイドの日だからメイド服を着ようってこと!? すご〜くシンプルな理由だけど、レクリエーションにする必要、ある? あと、俺、別に似合ってないと思うよ? 百歩譲って、ジャージメイドのほうがよかったかも。
「あの、もしかして、全員?」
可不可は大きく頷いた。
「……協力してくれないひとたちもいたはずだよね?」
キッチンのほうをちらっと見ると、可不可は合点がいったらしい。
「潮とはいろいろ条件をすり合わせる必要があったけど、最終的にはOKしてくれたよ。それどころか、萌えきゅんオムライスのレシピ協力もしてくれた」
「っ、可不可からそんな言葉出てくるの解釈違いだよ!」
可不可ってサブカルチャーを否定はしないけどそこまで興味持ってないじゃん。なにをしれっと萌えきゅんとか言ってるの?
「どういう解釈かはあとで聞かせてもらうとして。……確かに、添や礼光、潜はどんな手を使っても捕まらなかったから、仕方なく今年は免除したんだ。その代わり、来年頑張ってもらうけどね」
「もったいねぇよな、せっかく社長が夏のボーナス上乗せしてくれるってのによ」
聞き覚えしかない声にバーカウンターのほうを見ると、ジャージメイドの格好をしたダニエルさんがいた。うわー……報酬に釣られてなんでもしちゃう典型的な大人の例だ……。
「ちなみに、夜鷹さんと子タろさんははお店の営業時間中という理由で特別免除なんです。僕も本来ならお店の日なんですけど、ちぃ様と兄さまのメイド姿には変えられなくて……!」
俺を脱衣所へエスコートするだけのアシスタントだった糖衣くんが、琉衣くんの腕にしがみついた状態で教えてくれた。え、そのためにお店を臨時休業にしちゃったの?
「この格好をしたからって、俺が仕えるのは生涯でたったひとり、糖衣だけだ」
「兄さま……! 今のってもしかして『秘密のメイド様〜シーズンII〜』に出てきたセリフ……!」
どう考えても琉衣くんは着たくない派だろうに、糖衣くんによって、着ることに同意したみたい。しかも、レースのあしらいが糖衣くんのと同じ。……だからこそ、同意したんだろうなぁ。
キッチンのほうでは、潮くんがレシピ協力をしたというオムライスづくりをしてるのか、あく太くんたちが騒いでる。さっきは見かけなかったけど、この雰囲気からすると、彼らもクラシカルメイドなりジャージメイドなりの格好をしてるんだろう。
「このレクリエーションのあと、自分は千弥の配信に顔を出すことになっています。Ev3nsメイド配信スペシャル、マスターもご覧になりますか?」
クラシカルメイド服に身を包んだ幾成くんがdazzleの配信予約を勧めてきた。え、似合う……。これは〝Ev3nsのショートケーキちゃん〟っていわれるのも納得。
「う、うん……寝支度を済ませたら見るよ」
どんな配信だろうと千弥くんの配信はリアタイできるときはリアタイしてるし、できなかったときは朝早めに起きてアーカイブで見てるから、どのみち見るつもりだったけど……そっか、メイドの日だからメイド服で配信するのか。しかもEv3nsメイド配信ってことは、潜さん以外が顔を出すんだ。メイド服で。
「來人は配信に備えた気合い入れのための一杯を求め、本日は豚骨醤油の気分だと言って食事に出かけました。配信では自分たちと同じ衣装に着替えると、快く引き受けてくれています」
快く引き受けたんだ……そっか……。もう、いちいち驚かなくなってきた。自分がクラシカルメイド服に身を包んでることも、ちょっと忘れかけてた。
◇
潮くんがレシピ協力をした〝萌えきゅんオムライス〟を皆で味わったあと、紙袋に入れっぱなしにしてた自分の着替えを持って部屋に向かう。もうここまできたらメイド服とかいっそ気にならなくなって、一旦もとの服に着替えるよりこのままお風呂に入ったほうが効率的だよねとか思うようになってた。我ながら順応性が高過ぎる。
「……あのさ、可不可」
「なぁに?」
「どうしてついてくるの」
部屋はあっちでしょと振り向くと、可不可はこてんと首を傾げた。じ、自分の顔がいいことをわかってないとできない仕草だ……。
「さっき言ったよね、あとで聞かせてもらうって」
そんなこと言ったかなぁ。帰ってきてからのことを思い起こしながら、可不可がついてくることを諦めて、部屋のドアを開く。
「わっ、ちょっと、可不可……!」
たとえるなら、エサを前に本気を出した猫――俺が部屋に入るなり、可不可は普段じゃ考えられないような素早さで押し入ってくると、これまた目にも留まらぬ早さで鍵をかけ、俺を壁に追いやった。
「……で、楓ちゃんの解釈って?」
両手首を壁に押し付けられて身動きが取れない。ううん、相手は可不可だからやろうと思えば簡単に抜け出せるけど……こういうときは逃げないほうがいいってことを、俺はこれまでの可不可との付き合いでよーく知ってる。
「えーっと……」
「オムライスに魔法をかけた僕も解釈違いだった?」
指先が、手首をつうっと滑っていく。くすぐったさで手が跳ねた。
単純なハートマークはうまく描けてたけど、文字はちょっとぐちゃってたなぁ。ひらがなでいいよって言ったのに、なにがなんでも漢字がいいって聞かなくて、結果的に、ハートマークのなかにケチャップのかたまりができてた。雪にぃに「俺が描いてやろう」って言われて、猫が毛を逆立てるみたいに怒ってたよね。
「……ケチャップに苦戦してたのは予想どおりだったかな」
「あ、ひどい。そういうこと言うメイドさんには――」
脚のあいだを、可不可の太腿がぐっと押し上げてきた。この格好だからいつもほどじゃないけど、全身がかっと熱くなる。
「あーあ、これだけで真っ赤になっちゃって」
「……っ、可不可のせいだよ!」
ちょっと前まで、そんなことなかったのに。
悔しいから、可不可に手を押さえつけられたままの体勢で、自分からくちびるをくっつけた。たぶん言おうとしてることもわかってるから、俺がもらっちゃおう。
「――指導でもお仕置きでも、すればいいよ」
最初に違和感に気付いたのは、朝ご飯のとき。
雪にぃが、なぜか、フリルつきの白いエプロンを身に着けてる。
「雪にぃ、それ、どうしたの」
「今日は特別な日だから、弟たちのお弁当もスペシャル仕様にするんだ」
白ご飯の上から桜でんぶをハート型に振りかけ終えた雪にぃは、重要ミッションクリアだとかなんとか言って、サムズアップした。いや、俺が訊きたいのはそっちじゃなくてエプロンのことなんだけど。
「主任の分も必要ならすぐに用意するぞ」
「あ、いや、俺はお昼から外回りであっちこっち行くから」
外回りの合間を縫ってどこかでお店に入る予定だから、丁重にお断りした。
会社に着いて、あれ? と思ったのが、朔次郎さんの格好だ。いつもはHAMAハウスでしか着ないクラシカルメイド服を、会社でも着てる。外回りさえなければ服装をあれこれ言われる会社じゃないけど、事務仕事しづらくないんだろうか。
「あの、朔次郎さん、その格好……」
俺の視線がスカートの裾にいったことに気付いたらしく、朔次郎さんは眼鏡を指で押し上げると「ご心配には及びませんよ」と言った。
「業務に支障をきたさないよう、裾を直しておりますので」
そうなんだ。じゃあ、いいか。……いいのか? いいよね、俺に直接関係することじゃないし。
也千代くんの机に積まれた書類が飛び出して俺の机を侵食してきてるのをさりげなく押し戻し、自分の席に着く。
週の真ん中、ちょっとだけ落ち着く曜日だ。外回りに出るまでの時間は、練牙くんの企画書を添削したり、4区にまた違法出店しちゃった子タろくんの始末書の一次チェックをしたりといったフォロー業務を片付けるのにちょうどいい。練牙くんの企画書は昔に比べれば手直しするところもほとんどなくなってきたけど……子タろくんが書いた始末書は、うーん……改善すべき箇所がまだ多いなぁ。
予定どおりお昼前に外回りへと出かけ、出先で適当にランチを済ませる。そのあとも別の会社をいくつか訪問して、すべて回りきったときには、西の空に橙の名残がわずかに残るだけの時間になってた。移動中にまとめておいた資料に日報を軽く書き添えて社内クラウドにアップしたら、可不可から直帰でいいよとのお達しをもらい、ありがたくお言葉に甘えることにする。どうやら、可不可も今日はもうHAMAハウスに帰ってるらしい。
バスでの移動中にPeChatをさらっと確認すると、数時間前にあく太くんからメッセージが送られてきてたことに気付いた。雪にぃお手製の〝スペシャル仕様〟のお弁当がよほど嬉しかったらしく、写真つきでの報告だ。
よかったねと亀より遅い返事を送ってスマホをポケットに押し込もうとしたら、ちょうど、HAMAハウスから一番近いバス停に着くところだった。そのままスマホをぴっとかざしてバスを降り、HAMAハウスへと戻る。
「ただいまー」
玄関周りは静かだけど、よくよく耳を澄ませると、ダイニングのほうから言い争い? みたいなやりとりが聞こえた。慌てて靴を脱ぎ、走……ろうとしたのを踏みとどまり、シューズボックスに靴を仕舞う。慌てたときこそ、ちゃんとしなくちゃね。
それにしても、いったい誰が騒いでるんだろう。バッグを部屋に置きに行くのはあとまわしにして、早足でキッチンへと向かう。
「お待ちください、主任!」
「へっ?」
途中、どこからともなく現れた朔次郎さんによって、道を阻まれた。会社で見たときと同じメイド服……だけど、よく見たらさっきより裾が長い。なるほど、仕事用に裾を直してたってのはこういうことか。
「五分ほどお時間をいただけますか? そのあいだに本日の正装へとお召し物を変えてくださると、坊ちゃまが喜ばれます」
大きな紙袋を渡されて面食らってると、朔次郎さんのうしろから、アシスタントだという糖衣くんが俺の手を引いた。朔次郎さんと結託してるらしく、糖衣くんもメイド服だ。朔次郎さんのとは細部が少し違い、袖口や裾から繊細なレースが見える。
「リビングも今は立ち入り禁止なんです」
なにがなんだかわからないまま、紙袋を肩からぶら下げつつ、脱衣所へと連れて行かれる。
「では、主任さんはさっき渡された服に着替えてくださいね」
そう言い残すと、糖衣くんはあっという間に去っていった。え、アシスタントじゃないの? そもそもなんのアシスタントかわからないけど、俺を手伝ってくれるっぽい立場なのにここで強制終了とかありなの?
っていうか渡された服ってなんだろう。ちょっといやな予感を抱きつつ、紙袋から大きな箱を取り出す。恐る恐る箱を開けると、そのなかには大箱の半分くらいの大きさの箱がふたつ並んで収められてた。更にそのうちの片方を開けると、そのなかには紙袋がふたつ。……マトリョーシカみたいなことしないでほしいな。
「……」
中身を見て、やっぱり、と思った。朔次郎さんや糖衣くんの格好を見てもしかしてと抱いた予感が、一ミリのずれもなく当たってた。この予想的中っぷり、数字選ぶ形式の宝くじに使えないかな。
これに着替えるの? 俺が? ――頭のなかで目を回しつつ、ひとまず、そんなに問題なさそうな靴下を履く。普段、スニーカーの履き口にはみ出さないタイプの靴下で白を選ぶことが多いんだけど、その白よりも真っ白だ。純白ってこの白かもしれない。うそ、適当なこと考えました。だって白って二百色あるらしいから、これが純白かを断言するのは早い気がするんだ。
残りの服にも手をつけなきゃいけないのかなぁと考えてたら、脱衣所の出入り口から千弥くんがひょこっと顔を覗かせた。
「着替え終わった? ……あっ、まだ?」
千弥くんはメイド服じゃないんだ……と思ったら、ジャージの上から白いフリルのエプロンを着けてた。普通に、メイドだった。
もしかして背中のファスナーがムズい? ――と訊かれて、別に難しくはないよと答えたものの、あれよあれよという間に着替えさせられる。難しくはないよ。困惑してるだけ……って、最後まで言わせてもらう隙なんてなかった。
「仕上げにちょっぴりかわいくしちゃおーっと」
顔にぺたぺたとクリームを塗られ、パウダーをはたかれ、動かないで! と言われては反射的に背筋を伸ばし――
「主任ぴ、めっちゃキャワになったよん。素材がいいからナチュラルメイクでもオーラ出るね」
――鏡には、目の下の隈がうそみたいに消え、血色のいい頬をした俺が映ってた。乾燥で切れそうだと思ったときに慌てて塗る無香料リップよりも効果がありそうなツヤツヤのくちびるに、リップだけはあとで同じものを買おうかなとこっそり決意する。
「んじゃ、オレについてきて」
千弥くんに導かれるまま、ダイニングへと向かう。キッチンの片隅では、椅子に腰掛けた潮くんがぐったりと項垂れてた。……彼も、ジャージメイド服を着てる。いや、着させられたんだろう。これも礼人のためだとかなんだとか、ぶつぶつ呟いてた。
「おかえり、主任ちゃん」
ダイニングで出迎えてくれた可不可――も、もちろんメイド服だ。しかも、俺とおそろいのクラシカルメイド服。
「可不可、これは」
「ちょっとしたレクリエーションだよ」
「本日は〝五月〟つまり〝May〟と〝十(ド)〟の語呂合わせから生まれたメイドの日。五十年ほど前にJPNで提唱されたこの記念日は、メイド文化への愛と感謝を楽しむ日でございます」
「他の弟たちも似合っているが、主任は更に似合っているぞ」
「補足をありがとう、朔次郎。あと、雪風は黙って。主任ちゃんが似合ってるのは当然だから」
メイドの日だからメイド服を着ようってこと!? すご〜くシンプルな理由だけど、レクリエーションにする必要、ある? あと、俺、別に似合ってないと思うよ? 百歩譲って、ジャージメイドのほうがよかったかも。
「あの、もしかして、全員?」
可不可は大きく頷いた。
「……協力してくれないひとたちもいたはずだよね?」
キッチンのほうをちらっと見ると、可不可は合点がいったらしい。
「潮とはいろいろ条件をすり合わせる必要があったけど、最終的にはOKしてくれたよ。それどころか、萌えきゅんオムライスのレシピ協力もしてくれた」
「っ、可不可からそんな言葉出てくるの解釈違いだよ!」
可不可ってサブカルチャーを否定はしないけどそこまで興味持ってないじゃん。なにをしれっと萌えきゅんとか言ってるの?
「どういう解釈かはあとで聞かせてもらうとして。……確かに、添や礼光、潜はどんな手を使っても捕まらなかったから、仕方なく今年は免除したんだ。その代わり、来年頑張ってもらうけどね」
「もったいねぇよな、せっかく社長が夏のボーナス上乗せしてくれるってのによ」
聞き覚えしかない声にバーカウンターのほうを見ると、ジャージメイドの格好をしたダニエルさんがいた。うわー……報酬に釣られてなんでもしちゃう典型的な大人の例だ……。
「ちなみに、夜鷹さんと子タろさんははお店の営業時間中という理由で特別免除なんです。僕も本来ならお店の日なんですけど、ちぃ様と兄さまのメイド姿には変えられなくて……!」
俺を脱衣所へエスコートするだけのアシスタントだった糖衣くんが、琉衣くんの腕にしがみついた状態で教えてくれた。え、そのためにお店を臨時休業にしちゃったの?
「この格好をしたからって、俺が仕えるのは生涯でたったひとり、糖衣だけだ」
「兄さま……! 今のってもしかして『秘密のメイド様〜シーズンII〜』に出てきたセリフ……!」
どう考えても琉衣くんは着たくない派だろうに、糖衣くんによって、着ることに同意したみたい。しかも、レースのあしらいが糖衣くんのと同じ。……だからこそ、同意したんだろうなぁ。
キッチンのほうでは、潮くんがレシピ協力をしたというオムライスづくりをしてるのか、あく太くんたちが騒いでる。さっきは見かけなかったけど、この雰囲気からすると、彼らもクラシカルメイドなりジャージメイドなりの格好をしてるんだろう。
「このレクリエーションのあと、自分は千弥の配信に顔を出すことになっています。Ev3nsメイド配信スペシャル、マスターもご覧になりますか?」
クラシカルメイド服に身を包んだ幾成くんがdazzleの配信予約を勧めてきた。え、似合う……。これは〝Ev3nsのショートケーキちゃん〟っていわれるのも納得。
「う、うん……寝支度を済ませたら見るよ」
どんな配信だろうと千弥くんの配信はリアタイできるときはリアタイしてるし、できなかったときは朝早めに起きてアーカイブで見てるから、どのみち見るつもりだったけど……そっか、メイドの日だからメイド服で配信するのか。しかもEv3nsメイド配信ってことは、潜さん以外が顔を出すんだ。メイド服で。
「來人は配信に備えた気合い入れのための一杯を求め、本日は豚骨醤油の気分だと言って食事に出かけました。配信では自分たちと同じ衣装に着替えると、快く引き受けてくれています」
快く引き受けたんだ……そっか……。もう、いちいち驚かなくなってきた。自分がクラシカルメイド服に身を包んでることも、ちょっと忘れかけてた。
◇
潮くんがレシピ協力をした〝萌えきゅんオムライス〟を皆で味わったあと、紙袋に入れっぱなしにしてた自分の着替えを持って部屋に向かう。もうここまできたらメイド服とかいっそ気にならなくなって、一旦もとの服に着替えるよりこのままお風呂に入ったほうが効率的だよねとか思うようになってた。我ながら順応性が高過ぎる。
「……あのさ、可不可」
「なぁに?」
「どうしてついてくるの」
部屋はあっちでしょと振り向くと、可不可はこてんと首を傾げた。じ、自分の顔がいいことをわかってないとできない仕草だ……。
「さっき言ったよね、あとで聞かせてもらうって」
そんなこと言ったかなぁ。帰ってきてからのことを思い起こしながら、可不可がついてくることを諦めて、部屋のドアを開く。
「わっ、ちょっと、可不可……!」
たとえるなら、エサを前に本気を出した猫――俺が部屋に入るなり、可不可は普段じゃ考えられないような素早さで押し入ってくると、これまた目にも留まらぬ早さで鍵をかけ、俺を壁に追いやった。
「……で、楓ちゃんの解釈って?」
両手首を壁に押し付けられて身動きが取れない。ううん、相手は可不可だからやろうと思えば簡単に抜け出せるけど……こういうときは逃げないほうがいいってことを、俺はこれまでの可不可との付き合いでよーく知ってる。
「えーっと……」
「オムライスに魔法をかけた僕も解釈違いだった?」
指先が、手首をつうっと滑っていく。くすぐったさで手が跳ねた。
単純なハートマークはうまく描けてたけど、文字はちょっとぐちゃってたなぁ。ひらがなでいいよって言ったのに、なにがなんでも漢字がいいって聞かなくて、結果的に、ハートマークのなかにケチャップのかたまりができてた。雪にぃに「俺が描いてやろう」って言われて、猫が毛を逆立てるみたいに怒ってたよね。
「……ケチャップに苦戦してたのは予想どおりだったかな」
「あ、ひどい。そういうこと言うメイドさんには――」
脚のあいだを、可不可の太腿がぐっと押し上げてきた。この格好だからいつもほどじゃないけど、全身がかっと熱くなる。
「あーあ、これだけで真っ赤になっちゃって」
「……っ、可不可のせいだよ!」
ちょっと前まで、そんなことなかったのに。
悔しいから、可不可に手を押さえつけられたままの体勢で、自分からくちびるをくっつけた。たぶん言おうとしてることもわかってるから、俺がもらっちゃおう。
「――指導でもお仕置きでも、すればいいよ」