〝ずっと〟の約束
*月刊かふかえ企画2025年7月号より『約束』を選択
「世界一周旅行、ふたりで始めようよ」
HAMAが国内初の六つ星レビュー認定を受けて三ヵ月経った夜、可不可は部屋に来るなりそう言った。
なんだっけ、これ。前にどこかで聞いたことある。可不可から言われたことあるよね。ちょっと思い出すから既視感の正体を突き止めるのは待ってほしい……けど、俺の答えは決まってる。
「うん、行こう」
断る理由、ひとつもないし。
「〜〜っ、本当に? 本当の本当?」
「え、本当だけど……」
もしかして、俺が断るとでも思ってたのかな。すっごく意外だ。
子どもの頃は病院の敷地内だけだった可不可の世界は、俺とのはじめてのたびでほんの少し広がった。大人になって手術を終えてからは、HAMAからJPNのあちこちへと、どんどん広がってってる。それが、今度はJPNを飛び出して世界中になるんだ。しかも、その旅の相手に俺を指名してくれた。こんな嬉しいことってないよ。断るわけない。即決に決まってるよ。
「言っておくけど、冗談でもリハーサルでもないからね。取り消しもなしだよ」
「あはは、取り消しとかないってば。……あ、でも、仕事はどうするの?」
断る理由はないけど、仕事のことやHAMAツアーズのみんなのことは気がかりだ。
「昔立てた計画では、0区長の座は明け渡すつもりだったんだけど」
「いやいや、今のHAMAで、可不可以外に0区長やれるひとなんていないよ!?」
前任の理非人さんは引退して悠々自適の暮らしを送ってるらしいし、俺みたいな凡人がいうのもなんだけど、理非人さんは、その……0区長に向いてたか向いてなかったかでいうと後者……だし……。とにかく、0区長はみんなのまとめ役なんだから、そう簡単に後任なんて見つからないと思う。
「……褒めてくれてありがとう。まだ退任するわけにはいかないのは、僕もちゃんとわかってるよ。だから――」
可不可の計画はこうだ。出発は来年の夏、つまり今から一年後に、三ヵ月間の世界一周クルーズ旅行。旅行中はAIに任せられる仕事はすべて任せて、フルリモートで旅行先からみんなをサポートする。
「でも、R1zeのおもてなしライブはできないよね?」
「そうなるね。不在のあいだは僕抜きでやることになる。班の枠にとらわれないおもてなしツアーを増やしたい頃だし、ちょうどいいんじゃないかな」
俺、可不可がおもてなしライブで歌ってるところ見るの、好きなんだけどな。特に、朝班ファーストツアーでお披露目した曲はプチバズったのもあって今でもかなり支持されてるんだ。あの曲は練牙くんがリーダーとしてみんなを引っ張ってる曲ではあるものの、可不可が歌ってこそっていうパートもある。
「ちょっと、いや、かなり残念……」
「歌声だけなら、旅行中、毎晩子守唄を歌ってあげられるけどね」
「そういう問題じゃないから! でも、エリアをまたいだツアーを取り入れる必要があるのもわかるよ」
近い範囲を効率よく周ってもらうのが今までのやり方ではあったけど、同じ系統のツアーばかりでは飽きがくるし、小さなニーズに応えにくい。HAMAの盛り上がりをここで終わらせないためにも、コースの種類を増やしたり、移動中も楽しんでもらえるような企画を組み込んだりっていう工夫が必要だ。
「とにかく、そういうわけで、ここから一年でツアーの見直しに取り掛かりたいんだ」
「なるほど、それで出発は一年後なんだね」
それだけの期間をかけて、不在中でも仕事が回るようにって考えてるなら、俺は、仕事のパートナーとしても、世界一周旅行の仲間としても、可不可を信じてついていこう。
「それに、この一年には式の準備とか指輪のこともあるからね。旅行から帰ってきたあとの、住む家のことも考えなきゃ」
んん? 言ってることがいきなりわからなくなった。式の準備? 指輪? 家?
「ええと……?」
子どもの頃は家族の仕事で、前の職場ではツアコンとしてあちこちの国を飛び回ってはいたものの、世界一周旅行はしたことがない。可不可も、ペア研修旅行で海外旅行は経験したものの、あちこち巡るのはこれが初めてだ。だから、世界一周旅行が無事に完遂できますようにみたいなご祈祷をしてもらう必要があって、それを〝式〟と呼ぶ可能性は、なくはない。でも、指輪は全然関係ないよね?
「こっちの指輪はもう用意してあるんだ。おそろいのものはふたりで選びたいから、そっちの話」
そう言うと、可不可は俺の前に跪いた。……待って待って、既視感の正体、わかったかも!
「リハーサルから時間がかかっちゃったけど……楓ちゃんも望んでくれたことだし、改めて言うね」
困った。俺の心臓がうるさ過ぎて、可不可の言葉がちょっと遠くに聞こえるような気すらしてきた。いや、俺の気が遠くなりかけてるのかも?
「子どもの頃に楓ちゃんが約束してくれた〝一生一緒に遊ぼう〟を今でも覚えてくれてること、すごく嬉しい。僕はそれを心の支えに生きてきたんだ」
「うん……」
その約束は俺も覚えてるよ。可不可が緊急手術を受けて目を覚ますまでのあいだ、生きた心地がしなかった。会いたいとか友だちになりたいって気持ちを言葉にしなきゃだめだって思ったのも、このときだよ。父さんが退院したからJPNを離れる日も近くて、母さんからは「お友だちに会うのは、またJPNに戻ってきたときにしようね」って言われたんだよね。それに対して、俺は「そんなに待てないよ! 明日行けば会えるかもしれないから行く!」って毎日駄々をこねたっけ。約束を守れなかったと気にしてるに違いない、目を覚ましたときに俺がもう来ないと知ったら可不可はすごく落ち込む。俺と椛が話しかけるまでひとりで過ごしてた子だから、友だち付き合いというものを諦めてたのかもしれない。それならなおのこと、俺だけは可不可のこと諦めてないよって伝えなきゃ。――そう言って、子どもができる最大のわがままを振りかざしたんだ。子どもだから家の都合で友だちと会えないのも仕方ないなんて片付けるのがいやで、早く大人になりたいとも思った。
「僕も、楓ちゃんとずっと一緒にいたい。旅が好きで、あちこち巡っては楽しそうにしてるキミのそばにいさせてほしい。どこへだってついて行くから、僕が行くところにもついてきてくれる?」
可不可に左手を取られた。目が離せない。だって、俺はこのあとなにが起こるか、もうわかってる。
「俺、秘境とかも行きたいタイプだよ」
「いいよ。世界一周旅行のプランには入ってないから、別の機会に、楓ちゃんが案内してよ」
するよ。どこでも案内する。
「山にも登るし、海も好きだから、ダイビングしたいとか言い出すかも」
博物館とかを巡るのも好きだけど、体を動かすのも好きなんだ。可不可は、本当についてきてくれる?
「アクティビティへの参加はツアーの醍醐味だからね。海だけじゃなくて、スカイダイビングに挑戦して、空を近くで見るのも楽しそうじゃない?」
「ふたりの旅行なのに、観光地に着いた途端、仕事みたいにぺらぺらおしゃべりしちゃうと思う」
「僕も勉強してるから任せて。なんなら、お互いにクイズを出し合いながら観光するってのはどうかな」
とっておきのアイデアをお披露目するみたいに可不可が笑う。その顔に見惚れてたら、直前で予想したとおり、俺の薬指にきらめくものがはめられた。
「これって……」
シンプルなデザインだけど、可不可が選ぶってことは、買い求めたときにゼロがたくさんついてたに違いない。そんな高価なもの、俺がもらっていいの? 本当に?
「いやがるかもしれないなとは思ったけど、これくらいは格好つけさせてよ」
「いやじゃ、ないけど……」
ここまでされたら、さすがの俺も覚悟を決めなくちゃならない。でも、その前にひとつだけ確認してもいいかな。
「可不可の気持ちには、どこまで入ってるの?」
俺たちの親世代までは、恋愛結婚が大多数だった。恋愛感情を伴わない結婚は表立って言わないほうがいいみたいな空気があるくらいには、結婚は恋愛を経てするものというのが常識だったらしい。今は友だちでも結婚できるし、いわゆる契約結婚も普通にある。
「……僕は〝ずっと〟を誓うときに、キミのくちびるに触れることになんの抵抗もないくらいには、ずっと一緒にいたいと思ってるよ」
まわりくどくてびっくりした。でも、俺が言葉の意味を咀嚼しながら答えを考えられるように、わざとそうしたんだろう。
可不可のわかりやすい優しさも、言葉を噛み砕かないと気付けない優しさも、俺は全部見つけられる自信がある。これでも、JPNにいるあいだは、できるだけ可不可のそばにいるようにしてたからね。
部屋の灯りを受けてきらっと光ったそれに視線を落とす。可不可が俺のために用意してくれた〝とっておき〟にふさわしいひとでいよう。義務感じゃなく、可不可がくれる気持ちと同じくらい、ううん、それ以上のものを贈りたい。そうだ、俺からも〝とっておき〟を贈りたいな。
「じゃあ、……」
いきなりくちびるど真ん中はびっくりさせちゃうだろうから、くちびるの端っこに、ちゅって音を立ててキスをした。
「今はここにしたけど、可不可は、ちゃんと真ん中にしてね」
「……楓ちゃん!?」
あ、思った以上にびっくりしてる。俺がいいよって言うのを見越して話してると思ってたんだけど、もしかして、最初から全部、いちかばちかの賭けだった?
そりゃあ、可不可とキスするようになるなんて、ましてや結婚なんて、今の今まで考えたこともなかった。でも、俺の心は、もうとっくに可不可に明け渡してたよ。だから、指輪をはめてくれるときに触れた手から伝わる熱が心地よかったし、くちびるに触れてみたいと自然に思えた。
「可不可がこの指輪に込めた気持ち、結婚式のときまでに全部教えてね。全部、受け止めるつもりだから」
「……式当日のぶっつけ本番は、さすがの僕もちょっと困るかも」
「あはは! ……じゃあ、はい」
目を閉じて、くちびるを軽く突き出す。じゃあなんて言ったけど、本当はどきどきがすごくて、頬も熱い。両親や妹、それから旅行先の文化で頬へのキスは経験したことあっても、こういうキスは初めてだからね。
「ん、……」
……くちびる同士のキスって、こんな感じなんだ。くちびるのかたちはひとによって違うはずなのに、くっつけたら、ぴったりだと思える。不思議だね。
「ね、もう一回」
あっという間に離れちゃったから、まだ可不可のくちびるのこと、ちゃんとわかってないよ。もう少し長く、ゆっくり教えて。
「楓ちゃんには、本当、敵わないなぁ」
瞼を閉じる寸前に見た可不可の瞳がきらきらしてて、そういえば、昔なにかの話の流れで調べた可不可の誕生石と同じ色だと知ったことを思い出す。キスが終わったら、改めて顔を見たい。でも、さっき、くちびるが離れた直後に感じる吐息を恋しいと思ったから、またキスしたくなっちゃう気がする。世の恋人たちが何度もキスをするのって、こういう気持ちからくるのかな? じゃあ――
「……キス、いやじゃない?」
何度目かのキスのあと、そう尋ねる可不可の吐息がくちびるを撫でた。
「全然、いやじゃない……」
さっきよりも更に頬が熱い。――これが、恋なのかも。
「世界一周旅行、ふたりで始めようよ」
HAMAが国内初の六つ星レビュー認定を受けて三ヵ月経った夜、可不可は部屋に来るなりそう言った。
なんだっけ、これ。前にどこかで聞いたことある。可不可から言われたことあるよね。ちょっと思い出すから既視感の正体を突き止めるのは待ってほしい……けど、俺の答えは決まってる。
「うん、行こう」
断る理由、ひとつもないし。
「〜〜っ、本当に? 本当の本当?」
「え、本当だけど……」
もしかして、俺が断るとでも思ってたのかな。すっごく意外だ。
子どもの頃は病院の敷地内だけだった可不可の世界は、俺とのはじめてのたびでほんの少し広がった。大人になって手術を終えてからは、HAMAからJPNのあちこちへと、どんどん広がってってる。それが、今度はJPNを飛び出して世界中になるんだ。しかも、その旅の相手に俺を指名してくれた。こんな嬉しいことってないよ。断るわけない。即決に決まってるよ。
「言っておくけど、冗談でもリハーサルでもないからね。取り消しもなしだよ」
「あはは、取り消しとかないってば。……あ、でも、仕事はどうするの?」
断る理由はないけど、仕事のことやHAMAツアーズのみんなのことは気がかりだ。
「昔立てた計画では、0区長の座は明け渡すつもりだったんだけど」
「いやいや、今のHAMAで、可不可以外に0区長やれるひとなんていないよ!?」
前任の理非人さんは引退して悠々自適の暮らしを送ってるらしいし、俺みたいな凡人がいうのもなんだけど、理非人さんは、その……0区長に向いてたか向いてなかったかでいうと後者……だし……。とにかく、0区長はみんなのまとめ役なんだから、そう簡単に後任なんて見つからないと思う。
「……褒めてくれてありがとう。まだ退任するわけにはいかないのは、僕もちゃんとわかってるよ。だから――」
可不可の計画はこうだ。出発は来年の夏、つまり今から一年後に、三ヵ月間の世界一周クルーズ旅行。旅行中はAIに任せられる仕事はすべて任せて、フルリモートで旅行先からみんなをサポートする。
「でも、R1zeのおもてなしライブはできないよね?」
「そうなるね。不在のあいだは僕抜きでやることになる。班の枠にとらわれないおもてなしツアーを増やしたい頃だし、ちょうどいいんじゃないかな」
俺、可不可がおもてなしライブで歌ってるところ見るの、好きなんだけどな。特に、朝班ファーストツアーでお披露目した曲はプチバズったのもあって今でもかなり支持されてるんだ。あの曲は練牙くんがリーダーとしてみんなを引っ張ってる曲ではあるものの、可不可が歌ってこそっていうパートもある。
「ちょっと、いや、かなり残念……」
「歌声だけなら、旅行中、毎晩子守唄を歌ってあげられるけどね」
「そういう問題じゃないから! でも、エリアをまたいだツアーを取り入れる必要があるのもわかるよ」
近い範囲を効率よく周ってもらうのが今までのやり方ではあったけど、同じ系統のツアーばかりでは飽きがくるし、小さなニーズに応えにくい。HAMAの盛り上がりをここで終わらせないためにも、コースの種類を増やしたり、移動中も楽しんでもらえるような企画を組み込んだりっていう工夫が必要だ。
「とにかく、そういうわけで、ここから一年でツアーの見直しに取り掛かりたいんだ」
「なるほど、それで出発は一年後なんだね」
それだけの期間をかけて、不在中でも仕事が回るようにって考えてるなら、俺は、仕事のパートナーとしても、世界一周旅行の仲間としても、可不可を信じてついていこう。
「それに、この一年には式の準備とか指輪のこともあるからね。旅行から帰ってきたあとの、住む家のことも考えなきゃ」
んん? 言ってることがいきなりわからなくなった。式の準備? 指輪? 家?
「ええと……?」
子どもの頃は家族の仕事で、前の職場ではツアコンとしてあちこちの国を飛び回ってはいたものの、世界一周旅行はしたことがない。可不可も、ペア研修旅行で海外旅行は経験したものの、あちこち巡るのはこれが初めてだ。だから、世界一周旅行が無事に完遂できますようにみたいなご祈祷をしてもらう必要があって、それを〝式〟と呼ぶ可能性は、なくはない。でも、指輪は全然関係ないよね?
「こっちの指輪はもう用意してあるんだ。おそろいのものはふたりで選びたいから、そっちの話」
そう言うと、可不可は俺の前に跪いた。……待って待って、既視感の正体、わかったかも!
「リハーサルから時間がかかっちゃったけど……楓ちゃんも望んでくれたことだし、改めて言うね」
困った。俺の心臓がうるさ過ぎて、可不可の言葉がちょっと遠くに聞こえるような気すらしてきた。いや、俺の気が遠くなりかけてるのかも?
「子どもの頃に楓ちゃんが約束してくれた〝一生一緒に遊ぼう〟を今でも覚えてくれてること、すごく嬉しい。僕はそれを心の支えに生きてきたんだ」
「うん……」
その約束は俺も覚えてるよ。可不可が緊急手術を受けて目を覚ますまでのあいだ、生きた心地がしなかった。会いたいとか友だちになりたいって気持ちを言葉にしなきゃだめだって思ったのも、このときだよ。父さんが退院したからJPNを離れる日も近くて、母さんからは「お友だちに会うのは、またJPNに戻ってきたときにしようね」って言われたんだよね。それに対して、俺は「そんなに待てないよ! 明日行けば会えるかもしれないから行く!」って毎日駄々をこねたっけ。約束を守れなかったと気にしてるに違いない、目を覚ましたときに俺がもう来ないと知ったら可不可はすごく落ち込む。俺と椛が話しかけるまでひとりで過ごしてた子だから、友だち付き合いというものを諦めてたのかもしれない。それならなおのこと、俺だけは可不可のこと諦めてないよって伝えなきゃ。――そう言って、子どもができる最大のわがままを振りかざしたんだ。子どもだから家の都合で友だちと会えないのも仕方ないなんて片付けるのがいやで、早く大人になりたいとも思った。
「僕も、楓ちゃんとずっと一緒にいたい。旅が好きで、あちこち巡っては楽しそうにしてるキミのそばにいさせてほしい。どこへだってついて行くから、僕が行くところにもついてきてくれる?」
可不可に左手を取られた。目が離せない。だって、俺はこのあとなにが起こるか、もうわかってる。
「俺、秘境とかも行きたいタイプだよ」
「いいよ。世界一周旅行のプランには入ってないから、別の機会に、楓ちゃんが案内してよ」
するよ。どこでも案内する。
「山にも登るし、海も好きだから、ダイビングしたいとか言い出すかも」
博物館とかを巡るのも好きだけど、体を動かすのも好きなんだ。可不可は、本当についてきてくれる?
「アクティビティへの参加はツアーの醍醐味だからね。海だけじゃなくて、スカイダイビングに挑戦して、空を近くで見るのも楽しそうじゃない?」
「ふたりの旅行なのに、観光地に着いた途端、仕事みたいにぺらぺらおしゃべりしちゃうと思う」
「僕も勉強してるから任せて。なんなら、お互いにクイズを出し合いながら観光するってのはどうかな」
とっておきのアイデアをお披露目するみたいに可不可が笑う。その顔に見惚れてたら、直前で予想したとおり、俺の薬指にきらめくものがはめられた。
「これって……」
シンプルなデザインだけど、可不可が選ぶってことは、買い求めたときにゼロがたくさんついてたに違いない。そんな高価なもの、俺がもらっていいの? 本当に?
「いやがるかもしれないなとは思ったけど、これくらいは格好つけさせてよ」
「いやじゃ、ないけど……」
ここまでされたら、さすがの俺も覚悟を決めなくちゃならない。でも、その前にひとつだけ確認してもいいかな。
「可不可の気持ちには、どこまで入ってるの?」
俺たちの親世代までは、恋愛結婚が大多数だった。恋愛感情を伴わない結婚は表立って言わないほうがいいみたいな空気があるくらいには、結婚は恋愛を経てするものというのが常識だったらしい。今は友だちでも結婚できるし、いわゆる契約結婚も普通にある。
「……僕は〝ずっと〟を誓うときに、キミのくちびるに触れることになんの抵抗もないくらいには、ずっと一緒にいたいと思ってるよ」
まわりくどくてびっくりした。でも、俺が言葉の意味を咀嚼しながら答えを考えられるように、わざとそうしたんだろう。
可不可のわかりやすい優しさも、言葉を噛み砕かないと気付けない優しさも、俺は全部見つけられる自信がある。これでも、JPNにいるあいだは、できるだけ可不可のそばにいるようにしてたからね。
部屋の灯りを受けてきらっと光ったそれに視線を落とす。可不可が俺のために用意してくれた〝とっておき〟にふさわしいひとでいよう。義務感じゃなく、可不可がくれる気持ちと同じくらい、ううん、それ以上のものを贈りたい。そうだ、俺からも〝とっておき〟を贈りたいな。
「じゃあ、……」
いきなりくちびるど真ん中はびっくりさせちゃうだろうから、くちびるの端っこに、ちゅって音を立ててキスをした。
「今はここにしたけど、可不可は、ちゃんと真ん中にしてね」
「……楓ちゃん!?」
あ、思った以上にびっくりしてる。俺がいいよって言うのを見越して話してると思ってたんだけど、もしかして、最初から全部、いちかばちかの賭けだった?
そりゃあ、可不可とキスするようになるなんて、ましてや結婚なんて、今の今まで考えたこともなかった。でも、俺の心は、もうとっくに可不可に明け渡してたよ。だから、指輪をはめてくれるときに触れた手から伝わる熱が心地よかったし、くちびるに触れてみたいと自然に思えた。
「可不可がこの指輪に込めた気持ち、結婚式のときまでに全部教えてね。全部、受け止めるつもりだから」
「……式当日のぶっつけ本番は、さすがの僕もちょっと困るかも」
「あはは! ……じゃあ、はい」
目を閉じて、くちびるを軽く突き出す。じゃあなんて言ったけど、本当はどきどきがすごくて、頬も熱い。両親や妹、それから旅行先の文化で頬へのキスは経験したことあっても、こういうキスは初めてだからね。
「ん、……」
……くちびる同士のキスって、こんな感じなんだ。くちびるのかたちはひとによって違うはずなのに、くっつけたら、ぴったりだと思える。不思議だね。
「ね、もう一回」
あっという間に離れちゃったから、まだ可不可のくちびるのこと、ちゃんとわかってないよ。もう少し長く、ゆっくり教えて。
「楓ちゃんには、本当、敵わないなぁ」
瞼を閉じる寸前に見た可不可の瞳がきらきらしてて、そういえば、昔なにかの話の流れで調べた可不可の誕生石と同じ色だと知ったことを思い出す。キスが終わったら、改めて顔を見たい。でも、さっき、くちびるが離れた直後に感じる吐息を恋しいと思ったから、またキスしたくなっちゃう気がする。世の恋人たちが何度もキスをするのって、こういう気持ちからくるのかな? じゃあ――
「……キス、いやじゃない?」
何度目かのキスのあと、そう尋ねる可不可の吐息がくちびるを撫でた。
「全然、いやじゃない……」
さっきよりも更に頬が熱い。――これが、恋なのかも。