スキトキメキトキス
恋は歌のようなもの。一緒に歌って、うまく歌えたら、嬉しくなる。その気持ちを笑顔で分かち合い、幸せを感じること。それが、陸にとっての恋だ。
半年前、陸は以前から気になっていた相手に一世一代の大告白をした。
事務所から恋愛を禁止されているわけではないからとはいえ、今をときめく男性アイドルが恋なんてと、眉を顰められるかもしれない。世間に知られようものなら、相手はいったいどこの女だと、大騒ぎになるだろう。
――なんの真似ですか。
陸が告白した相手も、信じられないといった様子で、薄灰色の瞳を見開いた。
――だめ、かな。
相手は、陸のしゅんとした表情に弱い。陸がそれを自覚しているかどうかはさておき、アイドルが恋心を打ち明けるなんてと叱られるのではないかと眉を八の字に下げた陸を見て、相手は、こほんと咳払いをこぼした。
――いい、だめ、の話ではなく。どうして私なんですか。
どうして。どうしてって、そんなの、理由なんて必要だろうか。理由がつけられないほど相手に焦がれてやまないからこそ、恋なのでは? 陸は自分なりの言葉で、そう説明した。好きだと告げて即刻断るのではなく、ひとまず、話を聞いてくれる。そんな優しいところも、好きだと思った。
――少し、考えさせてください。
この言葉を聞いた時、陸は、相手も自分を好いてくれているのだと確信した。そうでなければ、断るはずだから。その場でお付き合い開始まで話を進めたかったけれど、なにぶん、言葉のやりとりにおいては相手が一枚も二枚も上手だ。少しは好きと思ってくれているのかと尋ねたい気持ちを必死で抑え、相手の言う〝少し〟を待つことにした。
そうして、二週間ほど経過したある日の夜、陸の初恋はめでたく実を結んだのである。
風呂上がりにキッチンに立ち寄ると、一織がコンロの前に立っていた。陸はそろりそろりと足音を忍ばせ、なんて言って驚かせてやろうかと口角を上げる。普通に、後ろから目隠しをして、誰だって聞いてみる? それとも、いきなり抱き着いてみる?
「気付かないと思うんですか、それ」
いつかの曲のMVで一織とやったような怪獣のポーズをして、後ろから飛びかかる射程距離内に一織を捉えたばかりだったのに。
「……つまんない」
「火を使っているところに飛びかかられては困りますから」
「もう消してたくせに」
陸もばかではないから、火がついていないことくらい、とうに気付いていた。だからこそ、飛びかかって驚かせてやろうと悪巧みをしたわけで。
にやにやと笑う陸を尻目に、一織は戸棚からマグカップを取り出し、黙々と注ぐ。もちろん、並んでいるマグカップは二人ぶんだ。それがあまりにも嬉しくて、陸はいそいそとトレイを用意する。
「……部屋で飲むんですか?」
「部屋で飲むよ。当たり前だろ」
陸がトレイを持とうとするのを奪い取り、一織が前を歩く。彼に持たせては、せっかく用意したホットミルクが床に飲まれてしまいかねない。陸に前を歩かせると、階段を上りながらこちらを振り返って話しかけてくるから、やっぱり、危ない。こんなところでも自分は陸を導く立場なのだなと気付く。
「また一織の部屋?」
「なにか文句でもありますか」
片手でトレイの底を支えながらドアを開くと、背後から不満ですと言わんばかりの声がした。
「あるよ。だって一織の部屋じゃ、あんまりいちゃいちゃできない」
「ちょっと!」
慌ててトレイを床に置き、陸の腕を引いて部屋に入る。素早く廊下を見渡して誰もいないことを確かめると、トレイごとマグカップを回収し、ばたんと勢いよくドアを閉めた。
「誰かに聞かれたらどうするんですか。迂闊な発言はしないで!」
陸は唇をむっと尖らせた。風呂上がりに一織がホットミルクを用意してくれたのは嬉しいが、この発言にはいつもむかついてしまう。
「迂闊って。オレたちのこと、いつまで内緒にするんだよ。大和さんたちにはそのうち話そうって言ったの、一織じゃんか」
「それとこれとは話が別です」
陸の告白から始まった二人の交際。二週間ほど返答を先延ばしにした一織は、自分も以前から陸を好いていたと返答するとともに、条件を提示した。
――二階堂さんとマネージャーには、時機を見て報告しましょう。
――えっ。付き合ってますって言うの? なんか恥ずかしくない?
――私たちはアイドルなんですよ。応援してくださっているファンの皆さんには絶対に知られてはいけませんが、グループ内でなにかあった時のためにも、最低限、リーダーとマネージャーには報告すべきです。
――社長とか、万理さんとか、他のみんなには?
――その点は……二階堂さんとマネージャーに相談するのがいいのではないかと。
なんと、二週間も返事を保留していた一織は、自分たちが交際するとなったら誰にどこまで報告すべきかをシミュレーションしていたらしい。その場で拒絶されなかった時点で勝算はあったが、一人でそこまで考えていたなんてと、当時の陸は悔しくなった。
未だ頬を膨らませている陸をそのままに、一織は折り畳みのテーブルを用意し、マグカップを並べる。
「冷めますよ」
「……わかってるよ」
自分たちはアイドルで、男同士だから、これが大きな声で言えない交際だというのはわかっている。だから、大和や紡に報告するまではメンバーに知られないようにと、一織が注意を払っているのも、まぁ、受け入れてやらなくもない。
それ以上に、腹の虫がどうにも収まらないほど不満に思っていることがある。
冷めるから早く飲めと言った一織はスマートフォンでタイマーを設定すると、陸にもそれが見えるよう、テーブルの上に置いた。
「二十分? 短いよ!」
この男は、なんと、交際を始めたばかりの恋人に対して、部屋で過ごす時間に制限をもうけるのだ。先週と先々週は十五分、さらにその前は十分だった。少しずつ長くなってはいるが、そもそもタイマーをセットされているのが腹立たしい。
「私も七瀬さんも、お互いが初めての交際でしょう。少しずつ慣れる必要があります」
「そりゃあ、初めてだけど! なんだよ、慣れるって。一織はオレといちゃいちゃしたくないの?」
「ですから、大きな声は出さないでとあれほど」
「端っこの部屋だからいいだろ」
この寮の壁は薄く、陸が少し咳をすれば一織か三月がすっ飛んでくるのだが、一織の隣室は陸の部屋で、現在、無人だ。寮が揺れるほど大声を出しているわけでもないのに、一織はいちいち口うるさい。
「みなさんがまだ起きています。部屋の前を通った誰かに聞かれでもしたら」
「付き合ってるって言えばいいだろ」
大和と紡に報告し、彼らの判断を仰ぐとは言っているが、彼らに報告すれば他のメンバーも知ることとなるのだ。
「それに、もうすぐで半年なのに、キスだってできてない!」
陸の不満は留まるところを知らない。タイマーをセットされることも、大和と紡に報告しようと言っておきながら行動に移さないことも不満だが、最大の不満は別にある。
拳を強く握った陸の瞳には、今にもこぼれ落ちんばかりの涙が湛えられていた。一織はぎょっと目を瞠り、あたふたし始める。
「一織のばか!」
ばたばたと大きな足音を立てて、陸が部屋を出ていく。タイマーを設定した時刻まで残り十七分もあるのに、陸のために用意したホットミルクは、ひと口も飲まれることがなかった。
◇
自分たちは、仕事上、寮を出る時間が不規則になりがちだ。誰かが寮にいる時は、見送りや出迎えをやったほうがいい。寮生活を始めてすぐの頃に大和が三月や壮五にそう言っていたらしく、いつの間にか、全員がそれに倣うようになった。
「ほら、環くん。一織くんが待ってるから急いで」
「ん~……」
「では、行ってきます」
ふわあと大きなあくびをする環の背を押して急かす壮五とともに、本日がオフの陸も見送りのため玄関に顔を出した。昨晩の一件が理由で一織と喧嘩中の身だが、挨拶をしなくていいという理由にはならない。喧嘩中でも、機嫌が悪くても、挨拶は大事。陸もそれがよくわかっているから、できるだけ、いつも通りを装って見送りの言葉を投げる。
「行ってらっしゃい」
いつまでも眠そうにしている環に呆れながらも、彼を置いていかず待っているのは一織の優しさだ。ドアが閉まるとともに、昨晩の自身に対する後悔が押し寄せてきた。
(ばかって、言い過ぎたかな……)
交際に浮かれるだけでなく、ゆっくり慣れていきたいという一織の気持ちを汲んでやるべきだ。恋とはなにかと尋ねられた時に〝春のうさぎ〟などとふんわりした答えだった一織に、恋人らしいことをしたいと迫り過ぎるのもよくない。
(……って、思うけど、半年は長過ぎるよなぁ)
告白した時の反応、そして、受け入れてもらえた事実から、嫌われていないのは確かだが、もしかして、陸を傷付けまいと、仕方なく付き合ってくれているのだろうか。
「陸くん?」
二人を見送ったまま、玄関から動こうとしない陸を不思議に思った壮五が、どうかしたのかと顔を覗き込んでくる。初めて壮五と会った時、どことなく兄の天に似ていると思った。現代の天使と謳われる天。アイドルになった彼はライバルグループのセンターとして陸に厳しく接することもあるが、根底にある優しさは、昔のままだ。その天が「陸」と声をかけてくれるのを、壮五に重ねてしまった。
「壮五さぁん……」
しゅんとした顔の陸に弱いのは一織だけではない。IDOLiSH7のメンバー全員が――もっと言えば、TRIGGERやRe:vale、ZOOLの一部メンバーも――陸の涙目には弱い。
「どうしたの、陸くん。どこか痛い?」
「違うんです……壮五さん、オレ……」
どうしよう。
――二階堂さんとマネージャーには、時機を見て報告しましょう。
まだ、大和にも紡にも報告していない。メンバーとはいえ、勝手に誰かに言うなんてと咎められたら……ううん、咎められるだけならまだいい。もし、勝手に言ったからと、それを理由に別れを切り出されたら。
(でも、黙ってるのつらいよ……)
心の中で、必死に自分に言い聞かせる。うちのメンバーは、誰かが困っていたら放っておけない人たちだ。そして、非常に義理堅い。特に壮五は、陸が内密にしてほしいと言えば、必ず、その約束を守ってくれる。
「壮五さんに、相談、したいことがあって……聞いてくれますか?」
もし、壮五に打ち明けたと一織に知られたら、その時は素直に謝ろう。
「僕でいいなら、いくらでも話を聞くよ。お茶でも淹れようか?」
陸に頼られるのが嬉しいのだろう、壮五は顔をぱっと輝かせた。
ナギがよく買ってくる紅茶を、壮五は砂糖もミルクもなしで、陸は砂糖だけを入れてダイニングテーブルにつく。ベルガモットの香りがふわりと漂い、悩みはなにも解決していないのに、心が癒されるようだと感じた。
ティーカップを両手で持ち、息を吹きかけて冷ます陸を見ながら、壮五は、一体どんな悩み相談を持ちかけられるのかと思案する。
(体調に関する悩みではなさそうだけど……)
日頃、陸をなにかと気にかけているのは一織と大和、それから、三月だ。もちろん、自分を含めた他のメンバーも陸を気にかけているが、彼らの、陸に対する気の配りようには目を瞠るものがある。大和は最年長かつIDOLiSH7のリーダーだし、三月は元来の面倒見のよさがそうさせているのだろう。一織は誰よりも早く陸の持病に気付いたからか、陸と行動をともにする頻度がかなり高い。一織はまだ十七歳で夜遅くまでの仕事はできないし、陸も、身体のことを考えて、事務所が夜遅い時間帯の仕事を入れないようにしているのもある。彼らは眠る前に必ずと言っていいほどキッチンでいくつか会話を交わし、一織の部屋に入っていく。
体調に異変はなかったか、ストレスを抱えるような事案は起きていないか。陸の持病はストレスも大敵であるから、それらを話しているのだろう。今やっている作曲が落ち着いたら、自分も陸をもう少し気にかけられるようにしなければと、壮五は一人、頷いた。
「実は、オレ……一織のことで悩んでて」
「一織くんの?」
陸が悩みを抱えないようにと一織が気を配っていると思っていたのだが、その一織が悩みの種だったとは。
(もしかして、一織くんが過保護とか?)
陸を心配するあまり、悩みはないかとしつこく尋ねたのかもしれない。壮五も、環に課題やアンケート回答は終えたのかを聞き過ぎて「そーちゃんがうるせえからやる気なくした!」とへそを曲げられた経験がある。
「……大丈夫、陸くんが秘密にしてほしいなら、誰にも言わないよ。もちろん、一織くん本人にも言わない」
肝心の悩みをなかなか打ち明けない陸に、壮五はそっと諭した。あまりじろじろと見ていては、陸も話しづらいだろう。甘さがまったくない紅茶に視線を落とし、冷めてしまわないうちにと口をつけた。
「一織が、オレといちゃいちゃしてくれなくて」
がちゃん。壮五の手許から、壮五らしからぬ音がした。壮五自身、自分になにが起きたのかが理解できない。
「わ、壮五さん、大丈夫ですか?」
「えっ? あ、わっ……」
テーブルに広がる液体を見て、自分がティーカップを落とし、中身をぶちまけてしまったのだと気付く。慌てて布巾を掴み、テーブルを拭いた。ティーカップが割れていないのは、不幸中の幸いだ。
「あはは……ごめんね。驚かせてしまって」
驚いたのは壮五のほうだが、陸の口から放たれた言葉への動揺で、まともな返答ができる状態ではない。現に、拭き終えたテーブルをいつまでもごしごしと拭い続けている。
(いちゃいちゃって聞こえたような……)
確かに、彼らは仲がいい。もしかして、ただの友人に留まらず、もっと親密な、それこそ、親愛の情を抱いているといえるレベルになると、友人との団欒を〝いちゃいちゃ〟と称するのだろうか。学生時代によくしてくれる友人たちはいたが、自分の心の内側を見せられるほどの付き合いではなかった。IDOLiSH7の仲間と出会い、最近になってようやく素の部分を見せられるようになってきたものの、壮五は、陸も含めた彼らとの時間を〝いちゃいちゃ〟と称せるかと問われると、首を縦に触れない。
(もしかして、ジェネレーションギャップ……)
陸とはたったふたつしか変わらないが、言葉の流行り廃りは激しい。壮五にはわからなくても、陸の世代ならわかるものがあるのかもしれない。
「陸くん、その、いちゃいちゃというのは」
「あっ、ええと……オレ、実は半年くらい前から一織と付き合ってて」
「えっ」
やっぱりそっちの意味? と壮五は目をまるく見開いた。
「あの、まだ誰にも言ってなくて。一織が……タイミングを見て、まずは大和さんとマネージャーに報告してからって言うから……だから、それまではみんなには内緒にしようって」
黙っててごめんなさいと眉を下げる陸に、壮五は一織の顔を思い浮かべた。陸本人を除いたメンバー内では周知の事実だが、一織はこの表情に弱い。それがいつからか恋慕の情に変わったのだろう。
「あぁ、謝らないで。慎重になるのは仕方ないと思うんだ。僕たちはアイドルだし、近年では世間の理解が深まりつつあるとはいえ、同性間の交際だからね。でも、……うん、そうか。……確かに驚いたけど、言われてみれば、わかる気がするよ」
毎晩のようにキッチンで少し言葉を交わす彼らが、一織の部屋に入っていくのは、恋人としての時間を過ごしたいからだ。部屋のドアをノックするような用事がなくてよかったと、壮五はこれまでの自分に感謝した。恋人たちの時間を邪魔する愚か者は、馬に蹴られてしまえと言われてもおかしくない。
「わかります? えっ、どうしよう……照れるな……」
頬をぽっと染め、瞳を潤ませる陸。なるほど、これが恋をしているということか。こんな表情を見せる陸が、恋人の一織が原因で悩んでいるなんて、一体、どうしたというのだろう。
「ふふ、幸せそうだね」
「そうなんです。でも、さっきも言ったみたいに、一織のやつ、いちゃいちゃしてくれなくて」
嬉しそうに笑っていたかと思ったら、今度は、むっと唇を尖らせた。表情がくるくるとかわって忙しいが、一織は、陸のこういうところもたまらないと思っているのかもしれない。恋は〝あばたもえくぼ〟と言うし。
「ん? あ、あぁ、言ってたね。僕じゃ、なんの役にも立てないと思うけど」
陸に惹かれた一織の心境を想像して、一瞬だけ、思考の世界にトリップしてしまっていた。壮五は慌てて表情を引き締め、陸に続きを促す。
「壮五さん、高校の時とかってそういう人、いなかったんですか?」
「僕は、家が厳しかったからね。気楽な友人付き合いも難しかったし」
「そうなんですか。壮五さん、ファンの人たちにも王子様みたいって言われてるし、学生時代とかモテて……あ、男子校なんでしたっけ」
「そうだよ。……って、今は収穫が得られない僕の話より、陸くんの悩みを聞くのが本題だろう?」
話を聞くしかできないけれどと念を押す。
「そうでした。ねぇ、壮五さん、付き合って半年も経つのに、ぎゅって抱き締めるしかしてくれないのって、どう思います?」
「どうって……うーん、奥ゆかしい人だなぁと、思うかな」
壮五の実家は交友関係に厳しい家だったから、映画や小説、歌の歌詞で得る情報からしか、自分たちの年代における〝よくある恋愛のかたち〟がわからない。想いを告げるところから始まる甘酸っぱい恋、言葉よりも先に身体の接触から始まる恋……一織と陸に似合うのは圧倒的に前者だが、交際から半年経過してもハグだけというのは、かなりスローテンポだと思う。
「ですよね? オレ、一織とはキスもしたいし、キスより先も」
「さ、先って」
それって、つまり。純粋という言葉をそのまま人間のかたちに成型したら七瀬陸になると思っていた壮五にとって、陸の今の発言は衝撃的だ。
「うひゃあ……恥ずかしいこと言っちゃったな……あっ、今のは聞かなかったことにしてくださいね。……はぁ、顔が熱い」
ぱたぱたと手で顔を仰ぎながら、ふぅと大きな息を吐く。壮五はその言葉に、ただ、黙って首を縦に振るしかできなかった。我らがセンターの、恋に関する内緒話。しかも、言葉にするのが恥ずかしい欲を抱いていることまで知ってしまった。
(これ、一織くん本人が知ったら、どう思うんだろう……)
恋とはなにかと尋ねられて〝春のうさぎ〟という、一織にしては珍しく、非常にふわふわした回答をしていた。きっと、陸が初めての恋人なのだろう。もしかしたら、恋心を抱いたのだって、陸が初めてかもしれない。そんな初心な彼が、恋人からキスやそれ以上の行為を迫られたら。
「なるほど……」
「壮五さん?」
一織の心情を思うと、あまりにもやるせない気持ちになる。きらきらとした瞳で、関係を深めたいと接近してくるかわいい恋人。
「あっ、いや……これはあくまでも、これまでみんなと過ごしてきた中で得た、僕なりに思う一織くんの性格や、予想し得る思考パターンからの、推測でしかないんだけど」
きょとんとした陸の表情に、しまったと気付く。自分はまた、前置きが長くなってしまった。ふるふると小さくかぶりを振り、できるだけ結論から話そうと、頭の中で言葉のパズルを組み立て直す。
「壮五さんの思う一織像……気になります。どんな感じですか?」
「……多分、一織くんは、相当、我慢に我慢を重ねてると思う」
一織は今も隠しているつもりらしいが、うさみみフレンズのグッズを前にした時の、あの、表情が綻びそうになるのを必死で耐えている様子。あれを、陸と二人きりの時にもやっているのだろう。周囲から抱かれる自分のイメージを大事にしている彼だから、自分の欲に素直になるなんて、情けなくて、だめなことだと思っているに違いない。
「えー! 我慢なんてしなくていいのに。オレ、一織にならなにされたって」
「それは! 一織くん本人に言おうね!」
「言ってますよ! 抱き締められたらどきどきして、もっと触り」
「あぁあぁぁ!」
そういう生々しい話は聞きたくない。壮五らしくない大きな声で、陸の言葉を遮る。
「……オレばっかり一織のこと好きみたいで。告白したのはオレからでしたけど、いいよって返事してくれたってことは、好きって思ってくれてるはずなんです。でも、半年経ってもこれじゃあ、付き合う前と変わらないなって。我慢なんていらない。我慢できる好きじゃないから告白したのに」
ぐず……と洟をすする音が聞こえ、壮五はぎょっとした。こんなところを誰かに見られたら、壮五が泣かせたと誤解されかねない。
「あぁ、泣かないで。ねぇ、陸くん。一織くんが陸くんの気持ちに応えてくれたのは事実なんだから、そこは疑っちゃいけない。それに……二人が交際をしてるのは気付かなかったけど、毎晩、仲良さそうに話をしてるなとは思ってたよ」
「う……仲良さそうに見えました?」
「うん。一織くんが飲みものを用意して、そこに陸くんがやってきてっていうのは何度か目撃してたから」
てっきり、陸の体調を心配するあまり、日記をつけるかのごとく彼の様子をこまめに聞いているものと思っていたのだが、交際しているとわかった今となっては、なんて仲睦まじいんだろうと思えてくるから不思議だ。
「……いつも一織の部屋ばっかりで、しかも、一織のやつ、部屋に入ったら絶対にタイマーをセットするんです」
「タイマー?」
「昨日は二十分だったけど先週までは十五分、前は十分なんて時もありました」
仲睦まじいと思ったばかりだが、訂正する。恋人との逢瀬に短い時間制限をもうけているなんて驚きだ。
(……いや、待てよ)
そういえば、陸が「一織の部屋ばっかり」と言った点が引っかかる。
「いつも一織くんの部屋なの?」
「前は、オレの部屋って時もあったんですけど……」
これだ。きっと、ここに解決の糸口があるはず。壮五はぐっと身を乗り出した。
「その時、言い合いにならなかった?」
責める口調にならないよう、声色には注意したつもりだ。ものごとを追究しようと躍起になるあまり、言い方がきつくなる時があると、大和に指摘されたことがある。陸を委縮させてはいけないからと、よっつめのプリンをねだる相方を諭す際の口調を心掛けた。
「言い合いにはなりませんでしたけど」
「けど?」
あぁ、だめだ。彼らの交際になにが起きているのかを知りたいという好奇心が湧くのを止められない。好奇心で他人の恋愛事情に首を突っ込んではいけないと、なにかのドラマで見たような気がするが、陸の返答がどうしても気になって、そわそわしてしまう。
「一織とぎゅーってして、このままキスできたらなぁって、その、押し倒しちゃって」
「えっ」
「違うんです! オレもいきなり最後までするつもりはなくて、っていうかオレとしてはそっち側よりも、王子様みたいに格好いい一織に」
「あぁぁあぁ! そこまででいいよ! 聞いた僕が愚かだった!」
二人して、しゅうしゅうと湯気が立ちそうなほど顔を赤らめる。
(そうか、陸くん、受け入れる側がいいんだ……)
一織の部屋ばかりというのは、彼の部屋が、弾みで間違いが起きにくいロフトベッドだからではないだろうか。慌てておきながら、そんな生々しいことを考える、どこか冷静な自分がいた。生々しい話は聞きたくないと言った壮五も、好奇心には弱い生きものだ。
「うぅ……恥ずかしい……」
「なんか、ごめんね?」
ここまでのやりとりで、会話量に対し、精神的な疲労が大き過ぎる。ぐったりした顔で詫びる壮五に、陸は慌てて手を振った。
「いえ、元はといえばオレが壮五さんに悩みがあるって言い出したせいです」
「ううん、陸くんの悩みを聞こうかって言ったのは僕だし……」
気疲れして喉が渇いた。ひと口飲もうとして、紅茶をこぼしてテーブルを拭いたままだったことに気付く。
「あっ、壮五さん、オレ用意します!」
陸が立ち上がるとともに椅子が勢いよく倒れ、こんな状態で任せてはならないと判断した壮五は、陸を制した。
「僕がやるよ。陸くんのも淹れ直すね」
一体、どう返答すべきだろう。頭の中で自分の考えをまとめながら、二杯目の紅茶を用意する。ナギは正しい紅茶の淹れ方にこだわる男だが、今は陸と二人だけだし、こだわるつもりはない。それでも、実家で過ごしていた頃は使用人が丁寧に淹れてくれたのを覚えている壮五としては、少しは気を配った淹れ方にしたい。ポットの湯でティーカップをあたため直し、新しいティーバッグを取り出した。
(うまくまとまらないな、初めから状況を整理しないと……)
陸からの告白で二人は交際を開始し、そこから半年も経過している。……半年?
(つまり、夏にあった『Friends Day』の時にはもう?)
あの撮影も、あの収録も、あのライブも、二人は恋人だったのか! と衝撃が走る。半年って長い。半年も、彼らは短時間の逢瀬を重ねるだけの付き合いをしているのか。
あたためたティーカップから湯を捨て、今度こそあたたかいうちに飲めますようにと紅茶を淹れる。テーブルに並べ、あらためて、陸に向き直った。
「……初めに言った通り、あまりたいしたアドバイスはできないけど、確かに、半年は長いかなぁとは思うよ」
「ですよね? 恋人ならキスとかしますよね?」
「そう、だね」
あまりにもまっすぐな質問に、壮五は視線を泳がせる。
「オレ、どうしたらいいんでしょう。一織に迫ってもだめで、オレたちが付き合うのを大和さんやマネージャーに報告するのもタイミング見ろって言われて……一織の言う通りにしてたら、オレ、おじいさんになってもキスできないままかも……」
さすがにそれはないだろうと思ったが、言うのはやめた。年を重ねても恋人とともにあろうと既に決意しているところは、なんだか陸らしい。ひたむきな陸の恋を、応援してやりたいと思った。
「一織くんは真面目だから……やっぱり、陸くんの気持ちを素直にぶつけるのが一番なんじゃないかな。その、恋人として関係を進めたいといっても、一織くんもいろいろと勝手がわからないだろうし」
結局、無難な言葉しか投げかけてやれない。しかし、陸はそれでじゅうぶんだったようだ。
「そっか……そうですよね。わかりました! オレ、一織に話してみます!」
そういえば、陸は自分の悩みごとに対して、明確な解決策を提示されるより、気の済むで話を聞いて同調してもらったほうが、立ち直りが早くなるタイプだ。だからこそ、解決策を提示したがる性格の一織とは、しばしば衝突する傾向にある。今更それを思い出した壮五は曖昧に微笑み、ただひとこと「頑張ってね」と背中を押した。
さぁ、これでようやく落ち着いたティータイムだ。
◇
陸は終日オフだったが、壮五は午後から仕事があるとのことで、昼食を終えると出かけていった。夕食までには帰宅するらしい。入れ違いに帰ってきた三月が夕食の仕込みをしている隣で皿を拭きながら、一織にどう話すべきかと思案する。
(昨日、言い過ぎたよな……)
二十分だけとはいえ、せっかく一織が二人きりの時間をもうけてくれたのに、それを台無しにしてしまった。まずは彼に詫び、今夜は一織が用意してくれる時のぶんだけ、言い合いにならないよう気を付けて過ごそう。昨晩の陸の態度が原因で、昨日より時間が短くなるかもしれないが、臆せず、もう少し関係を進めたいと話を切り出せばいい。ゆっくりと時間をかけて、お互いの妥協点を見つけ合おう。
少し前に一織と環が帰ってきたが、急ぎの課題があるとかで、ばたばたと部屋に駆け込んでしまった。すぐにでも話をしたいと声をかけるつもりだった陸にとっては、残念なようで、ありがたい時間。この時間を使って、陸なりに話の順序をまとめるつもりだ。
「陸~、あんまり拭き過ぎてると、その皿、削れちまうぞ?」
「えっ! あっ、ごめん!」
「わっ、危ねぇ!」
間一髪、陸が手を滑らせて落としそうになった皿を、三月が受け止めてくれた。
「どうした? ぼんやりして。なにか悩みごとか?」
「ううん、大丈夫! 昼に食べたチャーハンおいしかったなぁって」
陸の笑顔に、三月もつられて笑う。キッチンにほのぼのとした空気が漂い、早く一織と話したいなという気持ちになる。壮五とのティータイム、昼食がおいしかったこと、三月の手伝いをしながら話していたら癒されたこと……もちろん、一織が自分たちの交際はまだ秘密だと言っていたから、壮五に交際の事実を打ち明けたとは言えないけれど、陸が穏やかなオフを過ごせたと知れば、一織は喜んでくれるはずだ。彼はいつだって、陸のことを気にかけてくれているから。
(好きだなぁ、一織のこと……)
「陸、そろそろ一織たちのこと呼んできてやってくれねぇか?」
「あっ、うん、わかった!」
皿を片付けようとしたが、危ないからと三月に止められる。そんなに心配しなくてもいいのになと思ったが、夕食の時間だと呼びに行くほうが大事だ。陸はぱたぱたと小走りで階段を駆け上がり、一織と環を呼びに行った。
寮にいるメンバーで夕食をとっている間も、陸はちらちらと一織を盗み見たのだが、一織は視線を合わせようともしてくれなかった。
(やっぱり、怒ってるのかな……)
壮五に自分たちの交際を打ち明けたことは、一織にも話さないつもりだ。彼にも、一織が大和と紡に報告し、他のメンバーに説明すべきかを決断するまでは、聞かなかったことにしてほしいとお願いしておいた。心優しい壮五は優しく頷いてくれて、陸は救われた気持ちになったものである。
しかし、救われた気持ちになったからと言って、一織との気まずさが修復したわけではない。根本的な問題は、一織と話をしなければ解決しようがないから。
湯船に浸かっていると、一織が愛想を尽かしていたらどうしようという考えばかりが頭に浮かぶ。彼は誰よりも真摯な男だから、気持ちが冷めたとか、陸に呆れたとか、そういったマイナスなことがあれば、今夜にでも言ってくるはずだ。
(一織のことだから、言葉を選ばないで言うだろうなぁ)
それでも、一織の言葉は、どんなにきれいに飾られた〝誰か〟の言葉よりも、陸の耳に甘く響く。誰よりも意識してほしいと言われたあの日、陸の心は素直に反応を示し、いつしか、恋心に変わっていた。
(一織とキス、してみたいな……)
ぱしゃんと指先で湯の表面を叩いた。湯の中で手遊びをしながら、どんな言葉で切り出せばいいかと、夕方から答えが見えないままの難問に向かう。
鼻の下まで湯に浸かり、ぶくぶくと息を吐き出した。吐き出した息は空気の泡となって水面に浮かび、ぱちんぱちんと弾けて消えていく。こんなふうに、自分の迷いも、簡単に弾けて消えてくれればいいのに。
「リク、大丈夫か?」
浴室の外から大和の声が聞こえ、驚きで、ばしゃん! と湯を揺らす。
「大和さん?」
「随分長風呂だって、イチが心配してたぞ。どこか具合でも悪いなら」
「へ、平気です! ちょっとぼんやりしてただけで!」
もうそんなに時間が経っていたのかと、慌てて湯船から出た。
(でも、一織のやつ、大和さんに呼びに来させるなんて……)
心配してくれるのはありがたいが、一織本人が来なかったことに、また少し、心の靄が濃くなった。
風呂から上がって髪を乾かし、キッチンに向かう。いつもと同じように、コンロと向き合う一織の背中が見え、ほっと胸を撫で下ろした。昨日の一件から、今夜は陸を迎え入れてくれないかもしれないと思っていたからだ。
「一織……」
周囲に誰もいないのを確かめ、一織に歩み寄る。そのまま、隣にぴったりと寄り添うように立った。触れる肩から一織の体温が伝わってきて、恋しさで、涙が出そうだ。隣にいるのに、一織の真意がわからなくて、さみしい。
「……ここでは、だめです」
「わかってるよ」
かわいくない声が出てしまったと気付く。心の中にいるどこか冷静な自分が、拗ねているみたいな声色だと指摘する。
一織がかちんという音を立ててコンロの火を止め、マグカップに中身を注ぐ。スプーン半分くらいのはちみつを掬い取って、くるくると混ぜた。一織が用意してくれるホットミルクは世界一おいしくて、いつも、陸の心を癒してくれる。いつだったか、こんなにおいしいホットミルクがつくれるなんて、一織の手は魔法使いみたいだと言ったら、顔を真っ赤にしていた。恥ずかしいことを言わないでと咎めつつも、どこか嬉しそうで、やっぱり一織が好きだと再認識したものだ。
「一織の部屋、行っていい?」
どうか、断らないで。視線に願いを込めると、一織は小さく頷いた。いつものようにトレイにマグカップをのせ、陸の前を歩く。
(ちゃんと、話さなきゃ……)
壮五の言葉が脳裏を過る。
――陸くんの気持ちを素直にぶつけるのが一番なんじゃないかな。
これまでも、キスをしてみたい、もっと恋人らしくしたいと言ってきたが、そのたびに一織にまだ早いと断られ、拗ねて言い合いになった。今夜も同じ流れではだめだ。一織に断られて言い合いになるのではなく、落ち着いて、どうして一織が渋っているかを確かめなければ。
一織の部屋に入ると、テーブルが出しっぱなしになっていた。そういえば、夕食までは環と課題をしていたのだったなと思い出す。一織がマグカップを並べるのを見遣り、陸はいつものように部屋の鍵をかけた。
「昨日、ごめんな。怒ってる?」
昨日という言葉に反応したらしく、一織がぴくりと肩を跳ねさせる。
「怒ってはいませんよ。ただ……」
「ただ?」
言葉の続きをなかなか言ってくれなくて、沈黙が苦しい。
「……オレのこと、嫌いになった? もう付き合えないって」
「そんなはずないでしょう!」
一織らしからぬ大きな声に、今度は陸がびくん! と身体を震わせた。
「びっくりした……いきなり大きな声、出すなよな」
「すみません。ですが……。……わかりました。話します」
テーブルの前に正座をした一織に倣い、陸も正座した。どうか、足が痺れる前に話が終わりますように。
「七瀬さんはご存知ないかもしれませんが……私も、男なんです」
「……それは、知ってるけど」
一織が男なんて、初めて会った日から知っていることだ。今更なにを言うのだろう。
「単純な性別の話ではなく。以前から七瀬さんを憎からず想っていましたので……そんな時に七瀬さんから好きだと言っていただけて、嬉しかったんです。でも、私には、七瀬さんが思う以上の浅ましい感情もある。あなたに知られるのが怖かった。くちづけたいと距離を詰められるたび、喜びとともに、本当に触れていいのかと迷いが捨てきれず、いろいろな言い訳で、のらりくらりと躱してしまっていました」
「喜んでたんだ?」
キスがしたい、関係を進展させたいと迫る陸を、いやだとは思っていなかった。その事実だけで、陸の気分は一気に浮上する。嬉しい。
「……最後まで聞いてください」
嬉しさで浮かせた腰を再び下ろし、一織の言葉を待った。
「少しずつ慣れる必要があるというのは事実です。だって……もたないんですよ、人の気も知らないで、無邪気に迫ってきて……心臓がいくつあってもたりません。ですが、交際から半年も躱していることであなたを不安にさせるのは、私の本意ではありません」
「うん」
もしかしてという気持ちが湧き上がってくる。早く話の続きが聞きたくて、うずうずしてしまう。きっと、このあとに続くのは、陸が待ち焦がれている言葉だ。
「私たちは未成年ですし、一足飛びに関係を進めるわけにはいきませんが、七瀬さんの言うことにも一理ありますから、まずはキッ、キ、……」
「キスする?」
ばん! とテーブルに手をついて、もう一度腰を浮かせる。
「ちょっと! 声が大きいです!」
「ねぇ、どっちからする? 一織はどんなふうにキスしてくれるのかなって想像してたから、確かめてみたいんだけど、一織が緊張しちゃうなら、オレ、頑張るよ!」
きらきらとした瞳で見つめられ、一織が「うっ」と息を詰める。毎日のように陸に迫られては逃げてきたが、いい加減、腹を括らなければとは思っていた。
(私も、覚悟を決めなければ……)
恋人なのだから、キスをしたってなにもおかしくない。自身にそう言い聞かせて生唾を飲み込むと、身を乗り出し、テーブル越しに、陸の頬に触れた。
「七瀬さん、目を」
「え、あっ、そっか、目……閉じるんだよな……」
ほんのりと赤らんだ頬に、彼も緊張しているのだと知る。あんなにも、キスがしたいだの、もっといちゃいちゃしたいだのとべたべたくっついてきた陸も、実はものすごくどきどきしていたらしい。
(七瀬さん、かわいい……かわいい……)
睫毛が震えているのに気付いて、一織はそれを宥めるように、まずはまなじりにくちづける。
「ひゃ……んんっ」
今度は赤く熟れた果実のような唇に、吸い付くようにくちづけ、離れては、またすぐにくちづける。あぁ、これは。
(一度では、ものたりない……)
テーブルが邪魔だ。少しだけ唇を離して、素早い動きで陸の傍に寄る。まだキスをしていたいとねだっているのか、陸がしがみついてきた。
「一織、もっと……」
砂糖を煮詰めたような声に、一織の頭の中がかっと熱くなる。ドラマで見た通りに首を傾け、もっと近付きたいと、陸の唇に自分の唇をぐいぐいと押し当てた。
「んぁ」
唇が開いた隙を突き、ぬるりと舌を差し込む。舌が触れ合う興奮で、鼻息が荒い。
「ふぁ、あ……」
「……はっ、なな、せさ」
ずっと抑えていた反動か、二人のキスはなかなか終わりを見せない。
「ん、ね、一織……」
すりすりと身体を擦り付けられ、頭が爆発しそうになる。
(~~っ、これ以上、は、理性が)
陸の身体を引き剥がし、はぁはぁと息を荒らげる。陸も肩を上下させていて、一織ははっと我に返った。
「七瀬さん、発作が」
「ううん、ちょっとびっくりしただけ。もう、時間制限なんていらないよな? オレ、一織ともっと、キスとかしたい。今夜は、ずっと一緒にいよう? できたら、オレの部屋がいいかなって思うんだけど……」
寝間着の裾を掴んで膝をすり合わせる陸に、一織は〝敵わない〟と感じた。
半年前、陸は以前から気になっていた相手に一世一代の大告白をした。
事務所から恋愛を禁止されているわけではないからとはいえ、今をときめく男性アイドルが恋なんてと、眉を顰められるかもしれない。世間に知られようものなら、相手はいったいどこの女だと、大騒ぎになるだろう。
――なんの真似ですか。
陸が告白した相手も、信じられないといった様子で、薄灰色の瞳を見開いた。
――だめ、かな。
相手は、陸のしゅんとした表情に弱い。陸がそれを自覚しているかどうかはさておき、アイドルが恋心を打ち明けるなんてと叱られるのではないかと眉を八の字に下げた陸を見て、相手は、こほんと咳払いをこぼした。
――いい、だめ、の話ではなく。どうして私なんですか。
どうして。どうしてって、そんなの、理由なんて必要だろうか。理由がつけられないほど相手に焦がれてやまないからこそ、恋なのでは? 陸は自分なりの言葉で、そう説明した。好きだと告げて即刻断るのではなく、ひとまず、話を聞いてくれる。そんな優しいところも、好きだと思った。
――少し、考えさせてください。
この言葉を聞いた時、陸は、相手も自分を好いてくれているのだと確信した。そうでなければ、断るはずだから。その場でお付き合い開始まで話を進めたかったけれど、なにぶん、言葉のやりとりにおいては相手が一枚も二枚も上手だ。少しは好きと思ってくれているのかと尋ねたい気持ちを必死で抑え、相手の言う〝少し〟を待つことにした。
そうして、二週間ほど経過したある日の夜、陸の初恋はめでたく実を結んだのである。
風呂上がりにキッチンに立ち寄ると、一織がコンロの前に立っていた。陸はそろりそろりと足音を忍ばせ、なんて言って驚かせてやろうかと口角を上げる。普通に、後ろから目隠しをして、誰だって聞いてみる? それとも、いきなり抱き着いてみる?
「気付かないと思うんですか、それ」
いつかの曲のMVで一織とやったような怪獣のポーズをして、後ろから飛びかかる射程距離内に一織を捉えたばかりだったのに。
「……つまんない」
「火を使っているところに飛びかかられては困りますから」
「もう消してたくせに」
陸もばかではないから、火がついていないことくらい、とうに気付いていた。だからこそ、飛びかかって驚かせてやろうと悪巧みをしたわけで。
にやにやと笑う陸を尻目に、一織は戸棚からマグカップを取り出し、黙々と注ぐ。もちろん、並んでいるマグカップは二人ぶんだ。それがあまりにも嬉しくて、陸はいそいそとトレイを用意する。
「……部屋で飲むんですか?」
「部屋で飲むよ。当たり前だろ」
陸がトレイを持とうとするのを奪い取り、一織が前を歩く。彼に持たせては、せっかく用意したホットミルクが床に飲まれてしまいかねない。陸に前を歩かせると、階段を上りながらこちらを振り返って話しかけてくるから、やっぱり、危ない。こんなところでも自分は陸を導く立場なのだなと気付く。
「また一織の部屋?」
「なにか文句でもありますか」
片手でトレイの底を支えながらドアを開くと、背後から不満ですと言わんばかりの声がした。
「あるよ。だって一織の部屋じゃ、あんまりいちゃいちゃできない」
「ちょっと!」
慌ててトレイを床に置き、陸の腕を引いて部屋に入る。素早く廊下を見渡して誰もいないことを確かめると、トレイごとマグカップを回収し、ばたんと勢いよくドアを閉めた。
「誰かに聞かれたらどうするんですか。迂闊な発言はしないで!」
陸は唇をむっと尖らせた。風呂上がりに一織がホットミルクを用意してくれたのは嬉しいが、この発言にはいつもむかついてしまう。
「迂闊って。オレたちのこと、いつまで内緒にするんだよ。大和さんたちにはそのうち話そうって言ったの、一織じゃんか」
「それとこれとは話が別です」
陸の告白から始まった二人の交際。二週間ほど返答を先延ばしにした一織は、自分も以前から陸を好いていたと返答するとともに、条件を提示した。
――二階堂さんとマネージャーには、時機を見て報告しましょう。
――えっ。付き合ってますって言うの? なんか恥ずかしくない?
――私たちはアイドルなんですよ。応援してくださっているファンの皆さんには絶対に知られてはいけませんが、グループ内でなにかあった時のためにも、最低限、リーダーとマネージャーには報告すべきです。
――社長とか、万理さんとか、他のみんなには?
――その点は……二階堂さんとマネージャーに相談するのがいいのではないかと。
なんと、二週間も返事を保留していた一織は、自分たちが交際するとなったら誰にどこまで報告すべきかをシミュレーションしていたらしい。その場で拒絶されなかった時点で勝算はあったが、一人でそこまで考えていたなんてと、当時の陸は悔しくなった。
未だ頬を膨らませている陸をそのままに、一織は折り畳みのテーブルを用意し、マグカップを並べる。
「冷めますよ」
「……わかってるよ」
自分たちはアイドルで、男同士だから、これが大きな声で言えない交際だというのはわかっている。だから、大和や紡に報告するまではメンバーに知られないようにと、一織が注意を払っているのも、まぁ、受け入れてやらなくもない。
それ以上に、腹の虫がどうにも収まらないほど不満に思っていることがある。
冷めるから早く飲めと言った一織はスマートフォンでタイマーを設定すると、陸にもそれが見えるよう、テーブルの上に置いた。
「二十分? 短いよ!」
この男は、なんと、交際を始めたばかりの恋人に対して、部屋で過ごす時間に制限をもうけるのだ。先週と先々週は十五分、さらにその前は十分だった。少しずつ長くなってはいるが、そもそもタイマーをセットされているのが腹立たしい。
「私も七瀬さんも、お互いが初めての交際でしょう。少しずつ慣れる必要があります」
「そりゃあ、初めてだけど! なんだよ、慣れるって。一織はオレといちゃいちゃしたくないの?」
「ですから、大きな声は出さないでとあれほど」
「端っこの部屋だからいいだろ」
この寮の壁は薄く、陸が少し咳をすれば一織か三月がすっ飛んでくるのだが、一織の隣室は陸の部屋で、現在、無人だ。寮が揺れるほど大声を出しているわけでもないのに、一織はいちいち口うるさい。
「みなさんがまだ起きています。部屋の前を通った誰かに聞かれでもしたら」
「付き合ってるって言えばいいだろ」
大和と紡に報告し、彼らの判断を仰ぐとは言っているが、彼らに報告すれば他のメンバーも知ることとなるのだ。
「それに、もうすぐで半年なのに、キスだってできてない!」
陸の不満は留まるところを知らない。タイマーをセットされることも、大和と紡に報告しようと言っておきながら行動に移さないことも不満だが、最大の不満は別にある。
拳を強く握った陸の瞳には、今にもこぼれ落ちんばかりの涙が湛えられていた。一織はぎょっと目を瞠り、あたふたし始める。
「一織のばか!」
ばたばたと大きな足音を立てて、陸が部屋を出ていく。タイマーを設定した時刻まで残り十七分もあるのに、陸のために用意したホットミルクは、ひと口も飲まれることがなかった。
◇
自分たちは、仕事上、寮を出る時間が不規則になりがちだ。誰かが寮にいる時は、見送りや出迎えをやったほうがいい。寮生活を始めてすぐの頃に大和が三月や壮五にそう言っていたらしく、いつの間にか、全員がそれに倣うようになった。
「ほら、環くん。一織くんが待ってるから急いで」
「ん~……」
「では、行ってきます」
ふわあと大きなあくびをする環の背を押して急かす壮五とともに、本日がオフの陸も見送りのため玄関に顔を出した。昨晩の一件が理由で一織と喧嘩中の身だが、挨拶をしなくていいという理由にはならない。喧嘩中でも、機嫌が悪くても、挨拶は大事。陸もそれがよくわかっているから、できるだけ、いつも通りを装って見送りの言葉を投げる。
「行ってらっしゃい」
いつまでも眠そうにしている環に呆れながらも、彼を置いていかず待っているのは一織の優しさだ。ドアが閉まるとともに、昨晩の自身に対する後悔が押し寄せてきた。
(ばかって、言い過ぎたかな……)
交際に浮かれるだけでなく、ゆっくり慣れていきたいという一織の気持ちを汲んでやるべきだ。恋とはなにかと尋ねられた時に〝春のうさぎ〟などとふんわりした答えだった一織に、恋人らしいことをしたいと迫り過ぎるのもよくない。
(……って、思うけど、半年は長過ぎるよなぁ)
告白した時の反応、そして、受け入れてもらえた事実から、嫌われていないのは確かだが、もしかして、陸を傷付けまいと、仕方なく付き合ってくれているのだろうか。
「陸くん?」
二人を見送ったまま、玄関から動こうとしない陸を不思議に思った壮五が、どうかしたのかと顔を覗き込んでくる。初めて壮五と会った時、どことなく兄の天に似ていると思った。現代の天使と謳われる天。アイドルになった彼はライバルグループのセンターとして陸に厳しく接することもあるが、根底にある優しさは、昔のままだ。その天が「陸」と声をかけてくれるのを、壮五に重ねてしまった。
「壮五さぁん……」
しゅんとした顔の陸に弱いのは一織だけではない。IDOLiSH7のメンバー全員が――もっと言えば、TRIGGERやRe:vale、ZOOLの一部メンバーも――陸の涙目には弱い。
「どうしたの、陸くん。どこか痛い?」
「違うんです……壮五さん、オレ……」
どうしよう。
――二階堂さんとマネージャーには、時機を見て報告しましょう。
まだ、大和にも紡にも報告していない。メンバーとはいえ、勝手に誰かに言うなんてと咎められたら……ううん、咎められるだけならまだいい。もし、勝手に言ったからと、それを理由に別れを切り出されたら。
(でも、黙ってるのつらいよ……)
心の中で、必死に自分に言い聞かせる。うちのメンバーは、誰かが困っていたら放っておけない人たちだ。そして、非常に義理堅い。特に壮五は、陸が内密にしてほしいと言えば、必ず、その約束を守ってくれる。
「壮五さんに、相談、したいことがあって……聞いてくれますか?」
もし、壮五に打ち明けたと一織に知られたら、その時は素直に謝ろう。
「僕でいいなら、いくらでも話を聞くよ。お茶でも淹れようか?」
陸に頼られるのが嬉しいのだろう、壮五は顔をぱっと輝かせた。
ナギがよく買ってくる紅茶を、壮五は砂糖もミルクもなしで、陸は砂糖だけを入れてダイニングテーブルにつく。ベルガモットの香りがふわりと漂い、悩みはなにも解決していないのに、心が癒されるようだと感じた。
ティーカップを両手で持ち、息を吹きかけて冷ます陸を見ながら、壮五は、一体どんな悩み相談を持ちかけられるのかと思案する。
(体調に関する悩みではなさそうだけど……)
日頃、陸をなにかと気にかけているのは一織と大和、それから、三月だ。もちろん、自分を含めた他のメンバーも陸を気にかけているが、彼らの、陸に対する気の配りようには目を瞠るものがある。大和は最年長かつIDOLiSH7のリーダーだし、三月は元来の面倒見のよさがそうさせているのだろう。一織は誰よりも早く陸の持病に気付いたからか、陸と行動をともにする頻度がかなり高い。一織はまだ十七歳で夜遅くまでの仕事はできないし、陸も、身体のことを考えて、事務所が夜遅い時間帯の仕事を入れないようにしているのもある。彼らは眠る前に必ずと言っていいほどキッチンでいくつか会話を交わし、一織の部屋に入っていく。
体調に異変はなかったか、ストレスを抱えるような事案は起きていないか。陸の持病はストレスも大敵であるから、それらを話しているのだろう。今やっている作曲が落ち着いたら、自分も陸をもう少し気にかけられるようにしなければと、壮五は一人、頷いた。
「実は、オレ……一織のことで悩んでて」
「一織くんの?」
陸が悩みを抱えないようにと一織が気を配っていると思っていたのだが、その一織が悩みの種だったとは。
(もしかして、一織くんが過保護とか?)
陸を心配するあまり、悩みはないかとしつこく尋ねたのかもしれない。壮五も、環に課題やアンケート回答は終えたのかを聞き過ぎて「そーちゃんがうるせえからやる気なくした!」とへそを曲げられた経験がある。
「……大丈夫、陸くんが秘密にしてほしいなら、誰にも言わないよ。もちろん、一織くん本人にも言わない」
肝心の悩みをなかなか打ち明けない陸に、壮五はそっと諭した。あまりじろじろと見ていては、陸も話しづらいだろう。甘さがまったくない紅茶に視線を落とし、冷めてしまわないうちにと口をつけた。
「一織が、オレといちゃいちゃしてくれなくて」
がちゃん。壮五の手許から、壮五らしからぬ音がした。壮五自身、自分になにが起きたのかが理解できない。
「わ、壮五さん、大丈夫ですか?」
「えっ? あ、わっ……」
テーブルに広がる液体を見て、自分がティーカップを落とし、中身をぶちまけてしまったのだと気付く。慌てて布巾を掴み、テーブルを拭いた。ティーカップが割れていないのは、不幸中の幸いだ。
「あはは……ごめんね。驚かせてしまって」
驚いたのは壮五のほうだが、陸の口から放たれた言葉への動揺で、まともな返答ができる状態ではない。現に、拭き終えたテーブルをいつまでもごしごしと拭い続けている。
(いちゃいちゃって聞こえたような……)
確かに、彼らは仲がいい。もしかして、ただの友人に留まらず、もっと親密な、それこそ、親愛の情を抱いているといえるレベルになると、友人との団欒を〝いちゃいちゃ〟と称するのだろうか。学生時代によくしてくれる友人たちはいたが、自分の心の内側を見せられるほどの付き合いではなかった。IDOLiSH7の仲間と出会い、最近になってようやく素の部分を見せられるようになってきたものの、壮五は、陸も含めた彼らとの時間を〝いちゃいちゃ〟と称せるかと問われると、首を縦に触れない。
(もしかして、ジェネレーションギャップ……)
陸とはたったふたつしか変わらないが、言葉の流行り廃りは激しい。壮五にはわからなくても、陸の世代ならわかるものがあるのかもしれない。
「陸くん、その、いちゃいちゃというのは」
「あっ、ええと……オレ、実は半年くらい前から一織と付き合ってて」
「えっ」
やっぱりそっちの意味? と壮五は目をまるく見開いた。
「あの、まだ誰にも言ってなくて。一織が……タイミングを見て、まずは大和さんとマネージャーに報告してからって言うから……だから、それまではみんなには内緒にしようって」
黙っててごめんなさいと眉を下げる陸に、壮五は一織の顔を思い浮かべた。陸本人を除いたメンバー内では周知の事実だが、一織はこの表情に弱い。それがいつからか恋慕の情に変わったのだろう。
「あぁ、謝らないで。慎重になるのは仕方ないと思うんだ。僕たちはアイドルだし、近年では世間の理解が深まりつつあるとはいえ、同性間の交際だからね。でも、……うん、そうか。……確かに驚いたけど、言われてみれば、わかる気がするよ」
毎晩のようにキッチンで少し言葉を交わす彼らが、一織の部屋に入っていくのは、恋人としての時間を過ごしたいからだ。部屋のドアをノックするような用事がなくてよかったと、壮五はこれまでの自分に感謝した。恋人たちの時間を邪魔する愚か者は、馬に蹴られてしまえと言われてもおかしくない。
「わかります? えっ、どうしよう……照れるな……」
頬をぽっと染め、瞳を潤ませる陸。なるほど、これが恋をしているということか。こんな表情を見せる陸が、恋人の一織が原因で悩んでいるなんて、一体、どうしたというのだろう。
「ふふ、幸せそうだね」
「そうなんです。でも、さっきも言ったみたいに、一織のやつ、いちゃいちゃしてくれなくて」
嬉しそうに笑っていたかと思ったら、今度は、むっと唇を尖らせた。表情がくるくるとかわって忙しいが、一織は、陸のこういうところもたまらないと思っているのかもしれない。恋は〝あばたもえくぼ〟と言うし。
「ん? あ、あぁ、言ってたね。僕じゃ、なんの役にも立てないと思うけど」
陸に惹かれた一織の心境を想像して、一瞬だけ、思考の世界にトリップしてしまっていた。壮五は慌てて表情を引き締め、陸に続きを促す。
「壮五さん、高校の時とかってそういう人、いなかったんですか?」
「僕は、家が厳しかったからね。気楽な友人付き合いも難しかったし」
「そうなんですか。壮五さん、ファンの人たちにも王子様みたいって言われてるし、学生時代とかモテて……あ、男子校なんでしたっけ」
「そうだよ。……って、今は収穫が得られない僕の話より、陸くんの悩みを聞くのが本題だろう?」
話を聞くしかできないけれどと念を押す。
「そうでした。ねぇ、壮五さん、付き合って半年も経つのに、ぎゅって抱き締めるしかしてくれないのって、どう思います?」
「どうって……うーん、奥ゆかしい人だなぁと、思うかな」
壮五の実家は交友関係に厳しい家だったから、映画や小説、歌の歌詞で得る情報からしか、自分たちの年代における〝よくある恋愛のかたち〟がわからない。想いを告げるところから始まる甘酸っぱい恋、言葉よりも先に身体の接触から始まる恋……一織と陸に似合うのは圧倒的に前者だが、交際から半年経過してもハグだけというのは、かなりスローテンポだと思う。
「ですよね? オレ、一織とはキスもしたいし、キスより先も」
「さ、先って」
それって、つまり。純粋という言葉をそのまま人間のかたちに成型したら七瀬陸になると思っていた壮五にとって、陸の今の発言は衝撃的だ。
「うひゃあ……恥ずかしいこと言っちゃったな……あっ、今のは聞かなかったことにしてくださいね。……はぁ、顔が熱い」
ぱたぱたと手で顔を仰ぎながら、ふぅと大きな息を吐く。壮五はその言葉に、ただ、黙って首を縦に振るしかできなかった。我らがセンターの、恋に関する内緒話。しかも、言葉にするのが恥ずかしい欲を抱いていることまで知ってしまった。
(これ、一織くん本人が知ったら、どう思うんだろう……)
恋とはなにかと尋ねられて〝春のうさぎ〟という、一織にしては珍しく、非常にふわふわした回答をしていた。きっと、陸が初めての恋人なのだろう。もしかしたら、恋心を抱いたのだって、陸が初めてかもしれない。そんな初心な彼が、恋人からキスやそれ以上の行為を迫られたら。
「なるほど……」
「壮五さん?」
一織の心情を思うと、あまりにもやるせない気持ちになる。きらきらとした瞳で、関係を深めたいと接近してくるかわいい恋人。
「あっ、いや……これはあくまでも、これまでみんなと過ごしてきた中で得た、僕なりに思う一織くんの性格や、予想し得る思考パターンからの、推測でしかないんだけど」
きょとんとした陸の表情に、しまったと気付く。自分はまた、前置きが長くなってしまった。ふるふると小さくかぶりを振り、できるだけ結論から話そうと、頭の中で言葉のパズルを組み立て直す。
「壮五さんの思う一織像……気になります。どんな感じですか?」
「……多分、一織くんは、相当、我慢に我慢を重ねてると思う」
一織は今も隠しているつもりらしいが、うさみみフレンズのグッズを前にした時の、あの、表情が綻びそうになるのを必死で耐えている様子。あれを、陸と二人きりの時にもやっているのだろう。周囲から抱かれる自分のイメージを大事にしている彼だから、自分の欲に素直になるなんて、情けなくて、だめなことだと思っているに違いない。
「えー! 我慢なんてしなくていいのに。オレ、一織にならなにされたって」
「それは! 一織くん本人に言おうね!」
「言ってますよ! 抱き締められたらどきどきして、もっと触り」
「あぁあぁぁ!」
そういう生々しい話は聞きたくない。壮五らしくない大きな声で、陸の言葉を遮る。
「……オレばっかり一織のこと好きみたいで。告白したのはオレからでしたけど、いいよって返事してくれたってことは、好きって思ってくれてるはずなんです。でも、半年経ってもこれじゃあ、付き合う前と変わらないなって。我慢なんていらない。我慢できる好きじゃないから告白したのに」
ぐず……と洟をすする音が聞こえ、壮五はぎょっとした。こんなところを誰かに見られたら、壮五が泣かせたと誤解されかねない。
「あぁ、泣かないで。ねぇ、陸くん。一織くんが陸くんの気持ちに応えてくれたのは事実なんだから、そこは疑っちゃいけない。それに……二人が交際をしてるのは気付かなかったけど、毎晩、仲良さそうに話をしてるなとは思ってたよ」
「う……仲良さそうに見えました?」
「うん。一織くんが飲みものを用意して、そこに陸くんがやってきてっていうのは何度か目撃してたから」
てっきり、陸の体調を心配するあまり、日記をつけるかのごとく彼の様子をこまめに聞いているものと思っていたのだが、交際しているとわかった今となっては、なんて仲睦まじいんだろうと思えてくるから不思議だ。
「……いつも一織の部屋ばっかりで、しかも、一織のやつ、部屋に入ったら絶対にタイマーをセットするんです」
「タイマー?」
「昨日は二十分だったけど先週までは十五分、前は十分なんて時もありました」
仲睦まじいと思ったばかりだが、訂正する。恋人との逢瀬に短い時間制限をもうけているなんて驚きだ。
(……いや、待てよ)
そういえば、陸が「一織の部屋ばっかり」と言った点が引っかかる。
「いつも一織くんの部屋なの?」
「前は、オレの部屋って時もあったんですけど……」
これだ。きっと、ここに解決の糸口があるはず。壮五はぐっと身を乗り出した。
「その時、言い合いにならなかった?」
責める口調にならないよう、声色には注意したつもりだ。ものごとを追究しようと躍起になるあまり、言い方がきつくなる時があると、大和に指摘されたことがある。陸を委縮させてはいけないからと、よっつめのプリンをねだる相方を諭す際の口調を心掛けた。
「言い合いにはなりませんでしたけど」
「けど?」
あぁ、だめだ。彼らの交際になにが起きているのかを知りたいという好奇心が湧くのを止められない。好奇心で他人の恋愛事情に首を突っ込んではいけないと、なにかのドラマで見たような気がするが、陸の返答がどうしても気になって、そわそわしてしまう。
「一織とぎゅーってして、このままキスできたらなぁって、その、押し倒しちゃって」
「えっ」
「違うんです! オレもいきなり最後までするつもりはなくて、っていうかオレとしてはそっち側よりも、王子様みたいに格好いい一織に」
「あぁぁあぁ! そこまででいいよ! 聞いた僕が愚かだった!」
二人して、しゅうしゅうと湯気が立ちそうなほど顔を赤らめる。
(そうか、陸くん、受け入れる側がいいんだ……)
一織の部屋ばかりというのは、彼の部屋が、弾みで間違いが起きにくいロフトベッドだからではないだろうか。慌てておきながら、そんな生々しいことを考える、どこか冷静な自分がいた。生々しい話は聞きたくないと言った壮五も、好奇心には弱い生きものだ。
「うぅ……恥ずかしい……」
「なんか、ごめんね?」
ここまでのやりとりで、会話量に対し、精神的な疲労が大き過ぎる。ぐったりした顔で詫びる壮五に、陸は慌てて手を振った。
「いえ、元はといえばオレが壮五さんに悩みがあるって言い出したせいです」
「ううん、陸くんの悩みを聞こうかって言ったのは僕だし……」
気疲れして喉が渇いた。ひと口飲もうとして、紅茶をこぼしてテーブルを拭いたままだったことに気付く。
「あっ、壮五さん、オレ用意します!」
陸が立ち上がるとともに椅子が勢いよく倒れ、こんな状態で任せてはならないと判断した壮五は、陸を制した。
「僕がやるよ。陸くんのも淹れ直すね」
一体、どう返答すべきだろう。頭の中で自分の考えをまとめながら、二杯目の紅茶を用意する。ナギは正しい紅茶の淹れ方にこだわる男だが、今は陸と二人だけだし、こだわるつもりはない。それでも、実家で過ごしていた頃は使用人が丁寧に淹れてくれたのを覚えている壮五としては、少しは気を配った淹れ方にしたい。ポットの湯でティーカップをあたため直し、新しいティーバッグを取り出した。
(うまくまとまらないな、初めから状況を整理しないと……)
陸からの告白で二人は交際を開始し、そこから半年も経過している。……半年?
(つまり、夏にあった『Friends Day』の時にはもう?)
あの撮影も、あの収録も、あのライブも、二人は恋人だったのか! と衝撃が走る。半年って長い。半年も、彼らは短時間の逢瀬を重ねるだけの付き合いをしているのか。
あたためたティーカップから湯を捨て、今度こそあたたかいうちに飲めますようにと紅茶を淹れる。テーブルに並べ、あらためて、陸に向き直った。
「……初めに言った通り、あまりたいしたアドバイスはできないけど、確かに、半年は長いかなぁとは思うよ」
「ですよね? 恋人ならキスとかしますよね?」
「そう、だね」
あまりにもまっすぐな質問に、壮五は視線を泳がせる。
「オレ、どうしたらいいんでしょう。一織に迫ってもだめで、オレたちが付き合うのを大和さんやマネージャーに報告するのもタイミング見ろって言われて……一織の言う通りにしてたら、オレ、おじいさんになってもキスできないままかも……」
さすがにそれはないだろうと思ったが、言うのはやめた。年を重ねても恋人とともにあろうと既に決意しているところは、なんだか陸らしい。ひたむきな陸の恋を、応援してやりたいと思った。
「一織くんは真面目だから……やっぱり、陸くんの気持ちを素直にぶつけるのが一番なんじゃないかな。その、恋人として関係を進めたいといっても、一織くんもいろいろと勝手がわからないだろうし」
結局、無難な言葉しか投げかけてやれない。しかし、陸はそれでじゅうぶんだったようだ。
「そっか……そうですよね。わかりました! オレ、一織に話してみます!」
そういえば、陸は自分の悩みごとに対して、明確な解決策を提示されるより、気の済むで話を聞いて同調してもらったほうが、立ち直りが早くなるタイプだ。だからこそ、解決策を提示したがる性格の一織とは、しばしば衝突する傾向にある。今更それを思い出した壮五は曖昧に微笑み、ただひとこと「頑張ってね」と背中を押した。
さぁ、これでようやく落ち着いたティータイムだ。
◇
陸は終日オフだったが、壮五は午後から仕事があるとのことで、昼食を終えると出かけていった。夕食までには帰宅するらしい。入れ違いに帰ってきた三月が夕食の仕込みをしている隣で皿を拭きながら、一織にどう話すべきかと思案する。
(昨日、言い過ぎたよな……)
二十分だけとはいえ、せっかく一織が二人きりの時間をもうけてくれたのに、それを台無しにしてしまった。まずは彼に詫び、今夜は一織が用意してくれる時のぶんだけ、言い合いにならないよう気を付けて過ごそう。昨晩の陸の態度が原因で、昨日より時間が短くなるかもしれないが、臆せず、もう少し関係を進めたいと話を切り出せばいい。ゆっくりと時間をかけて、お互いの妥協点を見つけ合おう。
少し前に一織と環が帰ってきたが、急ぎの課題があるとかで、ばたばたと部屋に駆け込んでしまった。すぐにでも話をしたいと声をかけるつもりだった陸にとっては、残念なようで、ありがたい時間。この時間を使って、陸なりに話の順序をまとめるつもりだ。
「陸~、あんまり拭き過ぎてると、その皿、削れちまうぞ?」
「えっ! あっ、ごめん!」
「わっ、危ねぇ!」
間一髪、陸が手を滑らせて落としそうになった皿を、三月が受け止めてくれた。
「どうした? ぼんやりして。なにか悩みごとか?」
「ううん、大丈夫! 昼に食べたチャーハンおいしかったなぁって」
陸の笑顔に、三月もつられて笑う。キッチンにほのぼのとした空気が漂い、早く一織と話したいなという気持ちになる。壮五とのティータイム、昼食がおいしかったこと、三月の手伝いをしながら話していたら癒されたこと……もちろん、一織が自分たちの交際はまだ秘密だと言っていたから、壮五に交際の事実を打ち明けたとは言えないけれど、陸が穏やかなオフを過ごせたと知れば、一織は喜んでくれるはずだ。彼はいつだって、陸のことを気にかけてくれているから。
(好きだなぁ、一織のこと……)
「陸、そろそろ一織たちのこと呼んできてやってくれねぇか?」
「あっ、うん、わかった!」
皿を片付けようとしたが、危ないからと三月に止められる。そんなに心配しなくてもいいのになと思ったが、夕食の時間だと呼びに行くほうが大事だ。陸はぱたぱたと小走りで階段を駆け上がり、一織と環を呼びに行った。
寮にいるメンバーで夕食をとっている間も、陸はちらちらと一織を盗み見たのだが、一織は視線を合わせようともしてくれなかった。
(やっぱり、怒ってるのかな……)
壮五に自分たちの交際を打ち明けたことは、一織にも話さないつもりだ。彼にも、一織が大和と紡に報告し、他のメンバーに説明すべきかを決断するまでは、聞かなかったことにしてほしいとお願いしておいた。心優しい壮五は優しく頷いてくれて、陸は救われた気持ちになったものである。
しかし、救われた気持ちになったからと言って、一織との気まずさが修復したわけではない。根本的な問題は、一織と話をしなければ解決しようがないから。
湯船に浸かっていると、一織が愛想を尽かしていたらどうしようという考えばかりが頭に浮かぶ。彼は誰よりも真摯な男だから、気持ちが冷めたとか、陸に呆れたとか、そういったマイナスなことがあれば、今夜にでも言ってくるはずだ。
(一織のことだから、言葉を選ばないで言うだろうなぁ)
それでも、一織の言葉は、どんなにきれいに飾られた〝誰か〟の言葉よりも、陸の耳に甘く響く。誰よりも意識してほしいと言われたあの日、陸の心は素直に反応を示し、いつしか、恋心に変わっていた。
(一織とキス、してみたいな……)
ぱしゃんと指先で湯の表面を叩いた。湯の中で手遊びをしながら、どんな言葉で切り出せばいいかと、夕方から答えが見えないままの難問に向かう。
鼻の下まで湯に浸かり、ぶくぶくと息を吐き出した。吐き出した息は空気の泡となって水面に浮かび、ぱちんぱちんと弾けて消えていく。こんなふうに、自分の迷いも、簡単に弾けて消えてくれればいいのに。
「リク、大丈夫か?」
浴室の外から大和の声が聞こえ、驚きで、ばしゃん! と湯を揺らす。
「大和さん?」
「随分長風呂だって、イチが心配してたぞ。どこか具合でも悪いなら」
「へ、平気です! ちょっとぼんやりしてただけで!」
もうそんなに時間が経っていたのかと、慌てて湯船から出た。
(でも、一織のやつ、大和さんに呼びに来させるなんて……)
心配してくれるのはありがたいが、一織本人が来なかったことに、また少し、心の靄が濃くなった。
風呂から上がって髪を乾かし、キッチンに向かう。いつもと同じように、コンロと向き合う一織の背中が見え、ほっと胸を撫で下ろした。昨日の一件から、今夜は陸を迎え入れてくれないかもしれないと思っていたからだ。
「一織……」
周囲に誰もいないのを確かめ、一織に歩み寄る。そのまま、隣にぴったりと寄り添うように立った。触れる肩から一織の体温が伝わってきて、恋しさで、涙が出そうだ。隣にいるのに、一織の真意がわからなくて、さみしい。
「……ここでは、だめです」
「わかってるよ」
かわいくない声が出てしまったと気付く。心の中にいるどこか冷静な自分が、拗ねているみたいな声色だと指摘する。
一織がかちんという音を立ててコンロの火を止め、マグカップに中身を注ぐ。スプーン半分くらいのはちみつを掬い取って、くるくると混ぜた。一織が用意してくれるホットミルクは世界一おいしくて、いつも、陸の心を癒してくれる。いつだったか、こんなにおいしいホットミルクがつくれるなんて、一織の手は魔法使いみたいだと言ったら、顔を真っ赤にしていた。恥ずかしいことを言わないでと咎めつつも、どこか嬉しそうで、やっぱり一織が好きだと再認識したものだ。
「一織の部屋、行っていい?」
どうか、断らないで。視線に願いを込めると、一織は小さく頷いた。いつものようにトレイにマグカップをのせ、陸の前を歩く。
(ちゃんと、話さなきゃ……)
壮五の言葉が脳裏を過る。
――陸くんの気持ちを素直にぶつけるのが一番なんじゃないかな。
これまでも、キスをしてみたい、もっと恋人らしくしたいと言ってきたが、そのたびに一織にまだ早いと断られ、拗ねて言い合いになった。今夜も同じ流れではだめだ。一織に断られて言い合いになるのではなく、落ち着いて、どうして一織が渋っているかを確かめなければ。
一織の部屋に入ると、テーブルが出しっぱなしになっていた。そういえば、夕食までは環と課題をしていたのだったなと思い出す。一織がマグカップを並べるのを見遣り、陸はいつものように部屋の鍵をかけた。
「昨日、ごめんな。怒ってる?」
昨日という言葉に反応したらしく、一織がぴくりと肩を跳ねさせる。
「怒ってはいませんよ。ただ……」
「ただ?」
言葉の続きをなかなか言ってくれなくて、沈黙が苦しい。
「……オレのこと、嫌いになった? もう付き合えないって」
「そんなはずないでしょう!」
一織らしからぬ大きな声に、今度は陸がびくん! と身体を震わせた。
「びっくりした……いきなり大きな声、出すなよな」
「すみません。ですが……。……わかりました。話します」
テーブルの前に正座をした一織に倣い、陸も正座した。どうか、足が痺れる前に話が終わりますように。
「七瀬さんはご存知ないかもしれませんが……私も、男なんです」
「……それは、知ってるけど」
一織が男なんて、初めて会った日から知っていることだ。今更なにを言うのだろう。
「単純な性別の話ではなく。以前から七瀬さんを憎からず想っていましたので……そんな時に七瀬さんから好きだと言っていただけて、嬉しかったんです。でも、私には、七瀬さんが思う以上の浅ましい感情もある。あなたに知られるのが怖かった。くちづけたいと距離を詰められるたび、喜びとともに、本当に触れていいのかと迷いが捨てきれず、いろいろな言い訳で、のらりくらりと躱してしまっていました」
「喜んでたんだ?」
キスがしたい、関係を進展させたいと迫る陸を、いやだとは思っていなかった。その事実だけで、陸の気分は一気に浮上する。嬉しい。
「……最後まで聞いてください」
嬉しさで浮かせた腰を再び下ろし、一織の言葉を待った。
「少しずつ慣れる必要があるというのは事実です。だって……もたないんですよ、人の気も知らないで、無邪気に迫ってきて……心臓がいくつあってもたりません。ですが、交際から半年も躱していることであなたを不安にさせるのは、私の本意ではありません」
「うん」
もしかしてという気持ちが湧き上がってくる。早く話の続きが聞きたくて、うずうずしてしまう。きっと、このあとに続くのは、陸が待ち焦がれている言葉だ。
「私たちは未成年ですし、一足飛びに関係を進めるわけにはいきませんが、七瀬さんの言うことにも一理ありますから、まずはキッ、キ、……」
「キスする?」
ばん! とテーブルに手をついて、もう一度腰を浮かせる。
「ちょっと! 声が大きいです!」
「ねぇ、どっちからする? 一織はどんなふうにキスしてくれるのかなって想像してたから、確かめてみたいんだけど、一織が緊張しちゃうなら、オレ、頑張るよ!」
きらきらとした瞳で見つめられ、一織が「うっ」と息を詰める。毎日のように陸に迫られては逃げてきたが、いい加減、腹を括らなければとは思っていた。
(私も、覚悟を決めなければ……)
恋人なのだから、キスをしたってなにもおかしくない。自身にそう言い聞かせて生唾を飲み込むと、身を乗り出し、テーブル越しに、陸の頬に触れた。
「七瀬さん、目を」
「え、あっ、そっか、目……閉じるんだよな……」
ほんのりと赤らんだ頬に、彼も緊張しているのだと知る。あんなにも、キスがしたいだの、もっといちゃいちゃしたいだのとべたべたくっついてきた陸も、実はものすごくどきどきしていたらしい。
(七瀬さん、かわいい……かわいい……)
睫毛が震えているのに気付いて、一織はそれを宥めるように、まずはまなじりにくちづける。
「ひゃ……んんっ」
今度は赤く熟れた果実のような唇に、吸い付くようにくちづけ、離れては、またすぐにくちづける。あぁ、これは。
(一度では、ものたりない……)
テーブルが邪魔だ。少しだけ唇を離して、素早い動きで陸の傍に寄る。まだキスをしていたいとねだっているのか、陸がしがみついてきた。
「一織、もっと……」
砂糖を煮詰めたような声に、一織の頭の中がかっと熱くなる。ドラマで見た通りに首を傾け、もっと近付きたいと、陸の唇に自分の唇をぐいぐいと押し当てた。
「んぁ」
唇が開いた隙を突き、ぬるりと舌を差し込む。舌が触れ合う興奮で、鼻息が荒い。
「ふぁ、あ……」
「……はっ、なな、せさ」
ずっと抑えていた反動か、二人のキスはなかなか終わりを見せない。
「ん、ね、一織……」
すりすりと身体を擦り付けられ、頭が爆発しそうになる。
(~~っ、これ以上、は、理性が)
陸の身体を引き剥がし、はぁはぁと息を荒らげる。陸も肩を上下させていて、一織ははっと我に返った。
「七瀬さん、発作が」
「ううん、ちょっとびっくりしただけ。もう、時間制限なんていらないよな? オレ、一織ともっと、キスとかしたい。今夜は、ずっと一緒にいよう? できたら、オレの部屋がいいかなって思うんだけど……」
寝間着の裾を掴んで膝をすり合わせる陸に、一織は〝敵わない〟と感じた。