ハロウィン
「すっごーい!」
和泉家から差し入れられたケーキに、陸は瞳を輝かせる。
和栗のタルトにかぼちゃのモンブラン。りんごのシブースト、紫いものモンブラン、マロンパイ。洋梨のコンポート、巨峰がたっぷりのったゼリー。きらきらとしたケーキを見ているだけで、見ているこちらの瞳まできらきらが伝染しそう。ケーキってすごい。なんだか、魔法みたい。
一織はケーキを皿に取り分けながら、きらきらと瞳を輝かせる陸を盗み見た。またそんなにかわいい顔をして……なんて、声に出して言わないよう、必死で我慢。
たまに声に漏れ出てしまっているらしいけれど、半分無意識なので勘弁してほしい。もし聞こえたとしても聞かなかったことにして、そっとしておいてほしい。一織は常にそう思っている。自分がこの人のことをかわいいと思っているなんて、本人にだって知られるわけにはいかないのだ。
「ハロウィンって感じだろ? 洋菓子業界にとってはクリスマスの次くらいに逃せない売り時なんだよ」
紅茶を淹れながら、三月が陸のほうを振り返る。
「うん、確かにハロウィン。オレンジだし紫だし。こっちにはコウモリの形のチョコだ。あっ、こっちのケーキ、入れ物がかぼちゃのお化け! かわいい!」
「ジャック・オー・ランタンだね。元は堕落した人生を送っていた死者の魂が冥界に行けず、悪魔から譲り受けた石火を火種に、しなしなになって転がっていたカブをくり抜いてつくったランタンを持って延々と現世と冥界の狭間を彷徨っている姿というのが」
「やめろそーちゃん、まじでやめろ」
環が阻止しなければ、不気味な元ネタが語り続けられたことだろう。たくさん本を読んできた陸は、当然、この話を知っている。だからそのまま話が続けられたとしても、どうってことはない。まぁ、きらきらと輝くケーキを囲んでのティータイムには不似合いかもしれないね。壮五がそう呟いた。うんうんと大きく頷く環は、不気味な話から解放された安心感でいっぱいだ。環と陸は一歳しか変わらないけれど、こういうところを見ると、陸は、つい、年上ぶりたくなってしまう。
「ははっ、環は相変わらず怖がりだなぁ」
「はぁ? 全っ然、怖くねーし!」
強がってみせる環に、皆の笑い声が重なった。
誰がどのケーキを食べるか、少しだけもめて。なかなか決まらないから、結局はじゃんけんで決めることになった。勝った順から、好きなものを選んでいくルールだ。
「私は最後でいいですよ。みなさんでどうぞ」
実家のケーキだ、どれを選んだっておいしいのは当然のこと。それに、絶対にこれが食べたいという強い希望もない。
「いおりん、ノリ悪いぞ」
「なんとでも。参加者が一人減ることで、四葉さんがお好きなものを選べる確率が上がるんですから、むしろ喜ばしいことじゃないですか。感謝してほしいくらいですよ」
一織の言葉に「あ、そっか」と一旦は納得したものの、すぐに「いや、やっぱ参加しろって」と言葉を続けた。
「ですから私は」
「こーいうのは、みんなでやるから盛り上がるんじゃんな」
「そうそう、ほら一織! 最初はグーな!」
陸にまでそう言われては断ることができない。結局、一織はどこまでも陸に弱い。多分これは、惚れた弱み。
「最初はグー、じゃんけんぽん!」
何度かあいこを挟みながら、一人、また一人と勝ち抜けていく。
陸が手にしたケーキはかぼちゃのモンブラン。一織には容器がジャック・オー・ランタンの形になっているゼリーが割り当てられた。陸がかわいいと言ったものだ。
「七瀬さん、よろしければ、交換しましょうか?」
「へ? なんで?」
きょとんとした表情で返される。さっきあなたがかわいいと言ったんでしょう。かわいい表情で! そう言い返したいのをぐっと堪えた。気を抜くと、かわいいという言葉を陸に向けてしまう。この癖をなんとかしたい。
「……さきほど、気にされていたようなので」
一織も、この容器は非常にかわいらしいと思った。あとでこっそり洗って、自室に持ち帰ろうかと思ったくらいだ。しかし、これを見て「かわいい」と声を上げていた陸の表情があまりにもかわいかったから、これを譲って、もう一度、あの表情が見たくなってしまった。一織にとっては、ケーキよりも陸がかわいいから。
好きだなんて言えやしないけれど、自分のおこないでかわいい表情をさせることができるのなら、それくらいはしたって許されるはず。
「え、別にいいよ、じゃんけんで決まったんだし。一織が食べたらいいじゃん!」
「うっ……」
屈託ない笑顔。一織の心臓に、本日何本目かの矢が突き刺さる。あぁ、七瀬陸の前では命がいくらあってもたりない。
堕落とはほど遠い人生を送ってきたつもりなのに、いつからか、壮五が語っていたジャック・オー・ランタンの元ネタに出てきた者のように、一織の頭の中は煩悩まみれになってしまった。自分の中に燻ぶる恋心を火種につくったランタンを手にして、スキャンダルはご法度なアイドルとしての自分と、陸への想いを抱える自分。現世と冥界を彷徨ったジャック・オー・ランタンとは違い、決して半分に分けることのできないそれらの間を、毎日のように彷徨い続けている。
(……なんて、私らしくもない妄想ですね)
元ネタの一説に過ぎない。自分をなぞらえるなんて、どうかしている。きらきらとしたケーキを見つめる恋しい人の瞳の色に惑わされたのだろうか。なにせハロウィンだ、少しくらい不思議なことがあってもおかしくない。
押し黙った一織を心配したのか、陸が言葉を続けた。
「……じゃあさ、半分こしよっか」
「えっ」
モンブランを半分に切り分けた陸が、皿をこちらに向けて「ん」と小首を傾げる。
「ほら早く!」
ずっとそのままにしておくと、いくら陸でも腕が疲れてしまう。一織は慌てて、切り分けられた半分を自分の取り皿へと移した。そこで、はたと気付く。
「……この容器ではゼリーを半分にするのは難しいですね」
逆さにして皿に出すことが困難な形状をしている。もちろん、容器の口からナイフを差し込むのはもっと難しい。
「あっ、そっか」
考えてなかった! と笑う陸に、いつもの一織なら「もっと考えて行動してください」と苦言を呈するのだけれど、今は、そんな気分にはならなかった。一織は少し、考えて。
「やはりこちらは七瀬さんにお譲りします」
半分にできないなら、すべて渡してしまおう。当初考えた通り、ゼリーの入った容器をそのまま陸に差し出した。
「一織がそんなに言うなら……」
スキャンダルはご法度なアイドルとしての自分と、陸への想いを抱える自分。そのどちらも、気持ちを秘めておこうと思っている以上、陸に気持ちを渡すことができない。このゼリーみたいに、全部を渡してしまえたら。そして、受け取ってもらえたら。受け入れてもらえたら。
(そんなことができたら、どんなにいいことか)
陸から半分もらったモンブランを一口食べる。
(……甘い)
紅茶はノンシュガーにして正解だったなと心の中で独り言ちた。ティーカップに手を伸ばそうと、視線を上げる。
「え?」
陸が、さきほど受け取ったばかりのゼリーの容器を差し出していたのだ。
「オレ、もう半分食べたからさ!」
「……そんなに、分け合いたかったんですか」
一織がぽかんとしていると、陸は更に腕を伸ばして、早く受け取れと急かす。そのままにさせるわけにはいかないからと自分に言い訳をして、一織はゼリーを受け取った。
「仕方ない人ですね」
「だって、オレばっかりもらうの、なんか悪いじゃん。よくばって両方食べちゃえばいいんだよ。ハロウィンってお祭りなんだから、きっちり半分に! ……なんて、難しいこと考えるのなしにしよう?」
陸は、いつもその明るい笑顔で、一織の心を溶かす。
初めて出会った時、燃えるような真っ赤な髪に、一織の心は熱くなった。まるで、心が燃やされたかのように。
そして、彼の歌声を聴いた時。昼間、事務所内のレッスン場だったにもかかわらず、目の前がきらきらと輝いた。夜でも星が見えない都会で、昼間の屋内なのに星が見えた。
陸はいつも、ささいな言葉で一織の心を揺さ振る。よくできた頭でスマートに過ごしてきた一織に、もっと柔軟に考えていいのだと気付かせてくれる。
秋の昼時、メンバーでケーキを囲んでのティータイムですら、陸はこうして一織の心を明るく照らす。スキャンダルはご法度なアイドルとしての自分と、陸への想いを抱える自分。それすらも、陸なら、まとめて受け入れてくれるかもしれないとさえ思えてくる。
(……なんて、都合よく考え過ぎですかね。まぁ、でも)
今日はハロウィン、少しくらい浮かれた空想をしたっていいだろう。
「……そうですね。では、お言葉に甘えて」
スプーンに持ち替えて、ゼリーを掬った。つるりと口に入ったそれは、モンブランよりも、ずっとずっと甘い。実家から持ち帰ってきたケーキの中で、このゼリーはもっとも甘さが抑えられているのに、一体、どうしたというのだろう。
……口の中に甘さがどんどん広がって、胸がつかえそうだけれど、ノンシュガーの紅茶はもう少しあとで。
和泉家から差し入れられたケーキに、陸は瞳を輝かせる。
和栗のタルトにかぼちゃのモンブラン。りんごのシブースト、紫いものモンブラン、マロンパイ。洋梨のコンポート、巨峰がたっぷりのったゼリー。きらきらとしたケーキを見ているだけで、見ているこちらの瞳まできらきらが伝染しそう。ケーキってすごい。なんだか、魔法みたい。
一織はケーキを皿に取り分けながら、きらきらと瞳を輝かせる陸を盗み見た。またそんなにかわいい顔をして……なんて、声に出して言わないよう、必死で我慢。
たまに声に漏れ出てしまっているらしいけれど、半分無意識なので勘弁してほしい。もし聞こえたとしても聞かなかったことにして、そっとしておいてほしい。一織は常にそう思っている。自分がこの人のことをかわいいと思っているなんて、本人にだって知られるわけにはいかないのだ。
「ハロウィンって感じだろ? 洋菓子業界にとってはクリスマスの次くらいに逃せない売り時なんだよ」
紅茶を淹れながら、三月が陸のほうを振り返る。
「うん、確かにハロウィン。オレンジだし紫だし。こっちにはコウモリの形のチョコだ。あっ、こっちのケーキ、入れ物がかぼちゃのお化け! かわいい!」
「ジャック・オー・ランタンだね。元は堕落した人生を送っていた死者の魂が冥界に行けず、悪魔から譲り受けた石火を火種に、しなしなになって転がっていたカブをくり抜いてつくったランタンを持って延々と現世と冥界の狭間を彷徨っている姿というのが」
「やめろそーちゃん、まじでやめろ」
環が阻止しなければ、不気味な元ネタが語り続けられたことだろう。たくさん本を読んできた陸は、当然、この話を知っている。だからそのまま話が続けられたとしても、どうってことはない。まぁ、きらきらと輝くケーキを囲んでのティータイムには不似合いかもしれないね。壮五がそう呟いた。うんうんと大きく頷く環は、不気味な話から解放された安心感でいっぱいだ。環と陸は一歳しか変わらないけれど、こういうところを見ると、陸は、つい、年上ぶりたくなってしまう。
「ははっ、環は相変わらず怖がりだなぁ」
「はぁ? 全っ然、怖くねーし!」
強がってみせる環に、皆の笑い声が重なった。
誰がどのケーキを食べるか、少しだけもめて。なかなか決まらないから、結局はじゃんけんで決めることになった。勝った順から、好きなものを選んでいくルールだ。
「私は最後でいいですよ。みなさんでどうぞ」
実家のケーキだ、どれを選んだっておいしいのは当然のこと。それに、絶対にこれが食べたいという強い希望もない。
「いおりん、ノリ悪いぞ」
「なんとでも。参加者が一人減ることで、四葉さんがお好きなものを選べる確率が上がるんですから、むしろ喜ばしいことじゃないですか。感謝してほしいくらいですよ」
一織の言葉に「あ、そっか」と一旦は納得したものの、すぐに「いや、やっぱ参加しろって」と言葉を続けた。
「ですから私は」
「こーいうのは、みんなでやるから盛り上がるんじゃんな」
「そうそう、ほら一織! 最初はグーな!」
陸にまでそう言われては断ることができない。結局、一織はどこまでも陸に弱い。多分これは、惚れた弱み。
「最初はグー、じゃんけんぽん!」
何度かあいこを挟みながら、一人、また一人と勝ち抜けていく。
陸が手にしたケーキはかぼちゃのモンブラン。一織には容器がジャック・オー・ランタンの形になっているゼリーが割り当てられた。陸がかわいいと言ったものだ。
「七瀬さん、よろしければ、交換しましょうか?」
「へ? なんで?」
きょとんとした表情で返される。さっきあなたがかわいいと言ったんでしょう。かわいい表情で! そう言い返したいのをぐっと堪えた。気を抜くと、かわいいという言葉を陸に向けてしまう。この癖をなんとかしたい。
「……さきほど、気にされていたようなので」
一織も、この容器は非常にかわいらしいと思った。あとでこっそり洗って、自室に持ち帰ろうかと思ったくらいだ。しかし、これを見て「かわいい」と声を上げていた陸の表情があまりにもかわいかったから、これを譲って、もう一度、あの表情が見たくなってしまった。一織にとっては、ケーキよりも陸がかわいいから。
好きだなんて言えやしないけれど、自分のおこないでかわいい表情をさせることができるのなら、それくらいはしたって許されるはず。
「え、別にいいよ、じゃんけんで決まったんだし。一織が食べたらいいじゃん!」
「うっ……」
屈託ない笑顔。一織の心臓に、本日何本目かの矢が突き刺さる。あぁ、七瀬陸の前では命がいくらあってもたりない。
堕落とはほど遠い人生を送ってきたつもりなのに、いつからか、壮五が語っていたジャック・オー・ランタンの元ネタに出てきた者のように、一織の頭の中は煩悩まみれになってしまった。自分の中に燻ぶる恋心を火種につくったランタンを手にして、スキャンダルはご法度なアイドルとしての自分と、陸への想いを抱える自分。現世と冥界を彷徨ったジャック・オー・ランタンとは違い、決して半分に分けることのできないそれらの間を、毎日のように彷徨い続けている。
(……なんて、私らしくもない妄想ですね)
元ネタの一説に過ぎない。自分をなぞらえるなんて、どうかしている。きらきらとしたケーキを見つめる恋しい人の瞳の色に惑わされたのだろうか。なにせハロウィンだ、少しくらい不思議なことがあってもおかしくない。
押し黙った一織を心配したのか、陸が言葉を続けた。
「……じゃあさ、半分こしよっか」
「えっ」
モンブランを半分に切り分けた陸が、皿をこちらに向けて「ん」と小首を傾げる。
「ほら早く!」
ずっとそのままにしておくと、いくら陸でも腕が疲れてしまう。一織は慌てて、切り分けられた半分を自分の取り皿へと移した。そこで、はたと気付く。
「……この容器ではゼリーを半分にするのは難しいですね」
逆さにして皿に出すことが困難な形状をしている。もちろん、容器の口からナイフを差し込むのはもっと難しい。
「あっ、そっか」
考えてなかった! と笑う陸に、いつもの一織なら「もっと考えて行動してください」と苦言を呈するのだけれど、今は、そんな気分にはならなかった。一織は少し、考えて。
「やはりこちらは七瀬さんにお譲りします」
半分にできないなら、すべて渡してしまおう。当初考えた通り、ゼリーの入った容器をそのまま陸に差し出した。
「一織がそんなに言うなら……」
スキャンダルはご法度なアイドルとしての自分と、陸への想いを抱える自分。そのどちらも、気持ちを秘めておこうと思っている以上、陸に気持ちを渡すことができない。このゼリーみたいに、全部を渡してしまえたら。そして、受け取ってもらえたら。受け入れてもらえたら。
(そんなことができたら、どんなにいいことか)
陸から半分もらったモンブランを一口食べる。
(……甘い)
紅茶はノンシュガーにして正解だったなと心の中で独り言ちた。ティーカップに手を伸ばそうと、視線を上げる。
「え?」
陸が、さきほど受け取ったばかりのゼリーの容器を差し出していたのだ。
「オレ、もう半分食べたからさ!」
「……そんなに、分け合いたかったんですか」
一織がぽかんとしていると、陸は更に腕を伸ばして、早く受け取れと急かす。そのままにさせるわけにはいかないからと自分に言い訳をして、一織はゼリーを受け取った。
「仕方ない人ですね」
「だって、オレばっかりもらうの、なんか悪いじゃん。よくばって両方食べちゃえばいいんだよ。ハロウィンってお祭りなんだから、きっちり半分に! ……なんて、難しいこと考えるのなしにしよう?」
陸は、いつもその明るい笑顔で、一織の心を溶かす。
初めて出会った時、燃えるような真っ赤な髪に、一織の心は熱くなった。まるで、心が燃やされたかのように。
そして、彼の歌声を聴いた時。昼間、事務所内のレッスン場だったにもかかわらず、目の前がきらきらと輝いた。夜でも星が見えない都会で、昼間の屋内なのに星が見えた。
陸はいつも、ささいな言葉で一織の心を揺さ振る。よくできた頭でスマートに過ごしてきた一織に、もっと柔軟に考えていいのだと気付かせてくれる。
秋の昼時、メンバーでケーキを囲んでのティータイムですら、陸はこうして一織の心を明るく照らす。スキャンダルはご法度なアイドルとしての自分と、陸への想いを抱える自分。それすらも、陸なら、まとめて受け入れてくれるかもしれないとさえ思えてくる。
(……なんて、都合よく考え過ぎですかね。まぁ、でも)
今日はハロウィン、少しくらい浮かれた空想をしたっていいだろう。
「……そうですね。では、お言葉に甘えて」
スプーンに持ち替えて、ゼリーを掬った。つるりと口に入ったそれは、モンブランよりも、ずっとずっと甘い。実家から持ち帰ってきたケーキの中で、このゼリーはもっとも甘さが抑えられているのに、一体、どうしたというのだろう。
……口の中に甘さがどんどん広がって、胸がつかえそうだけれど、ノンシュガーの紅茶はもう少しあとで。