キス
「それじゃあ、はい! どうぞ!」
陸の部屋のベッドの上、普段はあまりしない正座で陸が目をかたく瞑る。
「そういうふうに構えられるとやりにくいんですけど」
対する一織はというと、ベッドの前で立ち尽くしたまま。
「やりにくくてもやるのが一織の腕の見せどころだろ」
「そんな見せどころ聞いたことありませんよ」
一織が愛してやまない、いつもきらきらと輝いている柘榴のような瞳は瞼に隠されている。
ことの発端は三日前。
「オレたち、そろそろ手繋ぐ以上のことしたいんだけど」
だめ? と首を傾げる陸に、咳き込みながらぐるぐると目を回してしまった。
陸とこういった関係になるまで、恋愛のれの字も知らなかった一織は、どのような手順で、どれくらいの時間をかけて関係を進めていくべきか、考えあぐねていたところだ。あまりがっついては、いくら気心の知れた間柄といっても「イメージと違った」と嫌悪感を抱かせてしまいかねない。一織が理想とするファーストキスは、美しい夕陽の見える公園でデートをしたあと、寮に帰ってその日のできごとを語らいながら……ふと、言葉が途切れた時にゆっくりと唇を触れさせるくちづけだ。初めて好きになった人と運よく想いが通じ合った喜びに浮かれた勢いで唇を押し当てることでも、数ヶ月経っても進展がないことに痺れを切らせた陸にねだられて理性の糸が焼き切れた状態で噛み付くキスでもない。
理想通りのファーストキスを叶えたいとあれこれ頭を悩ませていたのだが、多忙な二人はゆっくりと外出する余裕がなく、そもそも美しい夕陽を拝めるデートができないまま、なんと五ヶ月も経過してしまった。ついに、陸が痺れを切らせたのだ。
正座した膝を軽く叩きながら「早く」とせがんでくる。十八歳の男がする仕草じゃないだろうと思うのに、好きな相手がしているというだけでかわいくてたまらない。
理想と異なるシチュエーションとはいえ、かわいい恋人にねだられてなにもしないなんて男がすたる。さきほどはつい反論してしまったが、陸の言う通り、ここが腕の見せどころなのだろう。……そもそも、キスをしたことがない一織には、見せられるような腕前がないのだけれど。
「ん~」と唇を蛸のように尖らせる陸の表情に色気はこれっぽっちもない。小さな子が家族からの愛情を求めるような表情なのに、親愛や慈悲以上のもの――恋慕だとか、性愛だとか――を押し付けたくなる。
そう、一織は今、確かに、アイドルとは思えない情けない表情でキスを求める陸に欲情しているのだ。デビューしてすぐの頃、アイドルなのだから、歌う時に口を大きく開くのだからと、手入れをするように言ったおかげで、陸の唇はいつもつやつやだ。甘ったれだから甘いリップを好むのかと思いきや「子ども扱いするなよな」と膨れっ面をした陸が塗っていたのは、ミントが香るメンズもののリップだった。十代の男の手にすっぽりと収まってしまうリップスティックをちらりと見ただけで銘柄がわかったのは、一織も同じものを使っていたから。本人に知られたら「おそろいだ!」なんて屈託のない笑顔で言うのだろうと思うと、気恥ずかしくて言えなかった。
いつも同じ香りをまとっていた唇同士が重なるだけだ。
「……では、失礼、します」
ベッドに片膝を乗せ、陸の両肩に手を添える。思いのほか、肩にのせた手に力が入ってしまっていたらしく、陸の身体がびくりと跳ねた。どくどくと高鳴る鼓動がうるさくて、耳鳴りがしているような気がする。
肩に手をのせただけなのに、目をかたく閉じたままの陸の瞼の震えから、彼の鼓動も速くなっているのがわかった。
「………………まだ?」
「……もう少し、そのまま」
肩にのせた手のひらが汗ばんできた。自分たちがこれまでに歌ってきた曲の中で、どの曲が、今の鼓動の速さに近いだろうか。今はそんなことを考えなくてもいいのに、考えなくてもいいからこそ、頭の中で曲を流してしまう。でも、どれも違う気がして、頭の中の音楽のほうが自分の鼓動に合わせて速度を変えてくる始末だ。
「も、待てない」
「え」
膝の上で握られていたこぶしが、一織が着ているシャツの襟元を強く掴んで、引っ張った。
陸の部屋のベッドの上、普段はあまりしない正座で陸が目をかたく瞑る。
「そういうふうに構えられるとやりにくいんですけど」
対する一織はというと、ベッドの前で立ち尽くしたまま。
「やりにくくてもやるのが一織の腕の見せどころだろ」
「そんな見せどころ聞いたことありませんよ」
一織が愛してやまない、いつもきらきらと輝いている柘榴のような瞳は瞼に隠されている。
ことの発端は三日前。
「オレたち、そろそろ手繋ぐ以上のことしたいんだけど」
だめ? と首を傾げる陸に、咳き込みながらぐるぐると目を回してしまった。
陸とこういった関係になるまで、恋愛のれの字も知らなかった一織は、どのような手順で、どれくらいの時間をかけて関係を進めていくべきか、考えあぐねていたところだ。あまりがっついては、いくら気心の知れた間柄といっても「イメージと違った」と嫌悪感を抱かせてしまいかねない。一織が理想とするファーストキスは、美しい夕陽の見える公園でデートをしたあと、寮に帰ってその日のできごとを語らいながら……ふと、言葉が途切れた時にゆっくりと唇を触れさせるくちづけだ。初めて好きになった人と運よく想いが通じ合った喜びに浮かれた勢いで唇を押し当てることでも、数ヶ月経っても進展がないことに痺れを切らせた陸にねだられて理性の糸が焼き切れた状態で噛み付くキスでもない。
理想通りのファーストキスを叶えたいとあれこれ頭を悩ませていたのだが、多忙な二人はゆっくりと外出する余裕がなく、そもそも美しい夕陽を拝めるデートができないまま、なんと五ヶ月も経過してしまった。ついに、陸が痺れを切らせたのだ。
正座した膝を軽く叩きながら「早く」とせがんでくる。十八歳の男がする仕草じゃないだろうと思うのに、好きな相手がしているというだけでかわいくてたまらない。
理想と異なるシチュエーションとはいえ、かわいい恋人にねだられてなにもしないなんて男がすたる。さきほどはつい反論してしまったが、陸の言う通り、ここが腕の見せどころなのだろう。……そもそも、キスをしたことがない一織には、見せられるような腕前がないのだけれど。
「ん~」と唇を蛸のように尖らせる陸の表情に色気はこれっぽっちもない。小さな子が家族からの愛情を求めるような表情なのに、親愛や慈悲以上のもの――恋慕だとか、性愛だとか――を押し付けたくなる。
そう、一織は今、確かに、アイドルとは思えない情けない表情でキスを求める陸に欲情しているのだ。デビューしてすぐの頃、アイドルなのだから、歌う時に口を大きく開くのだからと、手入れをするように言ったおかげで、陸の唇はいつもつやつやだ。甘ったれだから甘いリップを好むのかと思いきや「子ども扱いするなよな」と膨れっ面をした陸が塗っていたのは、ミントが香るメンズもののリップだった。十代の男の手にすっぽりと収まってしまうリップスティックをちらりと見ただけで銘柄がわかったのは、一織も同じものを使っていたから。本人に知られたら「おそろいだ!」なんて屈託のない笑顔で言うのだろうと思うと、気恥ずかしくて言えなかった。
いつも同じ香りをまとっていた唇同士が重なるだけだ。
「……では、失礼、します」
ベッドに片膝を乗せ、陸の両肩に手を添える。思いのほか、肩にのせた手に力が入ってしまっていたらしく、陸の身体がびくりと跳ねた。どくどくと高鳴る鼓動がうるさくて、耳鳴りがしているような気がする。
肩に手をのせただけなのに、目をかたく閉じたままの陸の瞼の震えから、彼の鼓動も速くなっているのがわかった。
「………………まだ?」
「……もう少し、そのまま」
肩にのせた手のひらが汗ばんできた。自分たちがこれまでに歌ってきた曲の中で、どの曲が、今の鼓動の速さに近いだろうか。今はそんなことを考えなくてもいいのに、考えなくてもいいからこそ、頭の中で曲を流してしまう。でも、どれも違う気がして、頭の中の音楽のほうが自分の鼓動に合わせて速度を変えてくる始末だ。
「も、待てない」
「え」
膝の上で握られていたこぶしが、一織が着ているシャツの襟元を強く掴んで、引っ張った。