弱点
一織と陸にドラマ出演の話が舞い込んできた。それも、W主演。内容をよくよく聞いてみたところ、狼少年と探偵が事件を解決するドラマとのこと。見ている側が思わずしんと静まり返ってしまうような凄惨な連続殺人事件などはなく、子どもたちが友人との話題づくりにできるようなスタンスの、軽快なミステリーものだ。自分が探偵役に違いないと言って憚らなかった二人だが、結果は一織が狼少年・陸が探偵というもの。陸に探偵役はまだしも、一織に狼少年役なんて……と周囲は驚いた。しかし、その意外性を狙ってのキャスティングだったのだろう。
「一織、狼の鳴き声ってそんなだっけ?」
一織の部屋で台本の読み合わせをしている最中、陸が首を傾げる。
「もちろんです。このためにインターネットで狼の咆哮が収録された動画をいくつも見ましたし、学校帰りに動物園に立ち寄って狼を見物しましたので。……といっても、正確には狼ではなく狼少年でしょう。狼らし過ぎる鳴き声では人間の血が混ざっていることを表現できません。なので、これでいきます」
「えっ! 動物園行ったんだ? いいなぁ……」
「あ」
動物園。身体のことを考えれば、陸が行くのは困難な場所だ。だから一織も、陸には内緒で行ったのに。環経由で知られないよう、MEZZO"の仕事で環が早退した日を狙って行ったのに。
自分が行けない理由も、そしてそれを一織が言わなかった理由も察することができてしまって、陸は眉を八の字に下げる。
(ぐっ……!)
一織は悪いことをしたわけではない。自分の与えられた仕事を最高のかたちにするためにしたことだし、陸のことを最大限に思いやっての行動だ。しかし、一織は以前から、陸のこういった表情に弱い。いつもにこにこしている顔がしょんぼりするのがかわいくて、説教を長引かせてしまうこともあるほど。にこにこしている顔は雑誌やテレビにも振り撒いているが、アイドルである七瀬陸がしょんぼりしている顔というのはプライベートでしか見られない。……時折、生放送番組やライブでのやりとりで見せることもあるけれど。
「一織?」
「ひっ」
言葉を失ってぶるぶると震えている一織を不審に思ったのか、陸が顔を覗き込む。どんぐりのようなまるい瞳は、きらきらと輝く柘榴石。しょんぼりしていた表情から、今は一織の無言を訝しむ表情に。それでも、相変わらず眉は下がっているものだから、一織の庇護欲をくすぐってやまない。
「……あのさ、大和さんから聞いたんだけど」
「なにをですか」
この場で大和の名前が出るということは、ドラマ出演にあたっての演技に関することだろうか。それなら、直接言ってくれればいいのに。陸にだけなにかを言ったようであることへの嫉妬心と、なにかを自分には教えてもらえなかったということへのさみしさ。それらがない交ぜになって、どんな表情をすればいいのかわからない。
「一織って、オレのこと困らせるのが好きって本当?」
「はっ?」
当たらずとも遠からず。困らせたいわけではないが、困っている陸の表情を見るのは好きだ。
「好きな子ほどいじめたい年頃なのよーって。一織、オレのこと好きなんだ?」
大和の声真似のつもりなのか、陸がいつもより低い声でおどけてみせる。しかし、一織はそれどころではない。
以前より陸になみなみならぬ感情を抱いていた一織だが、自分たちがアイドルであるということを理由に、それを言葉にしないと決めていた。アイドルである以上、ファンを一番に考えなければならない。それに、想いを遂げたと仮定して、万が一、外部に知られたら? 恋をすることは、恋を叶えることは、弱点をつくるようなもの。常にパーフェクトでありたい一織としては、そんなこと、できるはずがない。たとえ、探偵よろしく、陸にずばり言い当てられたとしても、白旗を挙げるわけにはいかないのだ。
ただ〝無言は最大の肯定〟になるということも、一織はよく知っている。この場合、口を閉ざしてやり過ごすのは得策ではない。一織の脳内では、それらの考えが一秒未満の速さでぐるぐると回転していた。
「……っ、七瀬さん。いくら最年長といえど、二階堂さんの言葉を真に受けないでください。メンバーの言葉ももちろん大事ですが、私を一番に意識してください」
陸の両肩に手を置き、切々と語りかける。以前『Friends Day』の合間に言い聞かせたように。
「……それも、コントロール?」
「まぁ、そのようなもの、です。……とにかく、二階堂さんのその手の話には耳を貸さないでください。ろくなことになりませんから」
「どうして?」
両肩に置いた手のうち、片方に、陸の手が重ねられる緊張からか、その手は少しだけ汗ばんでいた。
「どうしてって」
そんなの、アイドルにとって恋心が最大の弱点だからだ。恋の相手本人だろうと、それを見せるわけにはいかない。
「一織がいじわるな気持ちでオレを困らせてるんならいやだけど、もし、大和さんの言うとおりだったら……」
重ねられた手が陸の肩から下ろされ、きゅっと握られる。そのまま陸の胸、心臓のあたりに押し当てられた。実際に陸の鼓動が速いのか、それとも、自分が意識し過ぎてそう思えるだけなのか。
「七瀬さん……」
今みたいな陸の表情にも弱いのに、これ以上、弱点を増やすわけにはいかない。でも、自分を見つめる瞳が潤んでいて、吸い寄せられそうになる。
陸の手を握り返し、ゆっくりと顔を寄せた。
「一織、狼の鳴き声ってそんなだっけ?」
一織の部屋で台本の読み合わせをしている最中、陸が首を傾げる。
「もちろんです。このためにインターネットで狼の咆哮が収録された動画をいくつも見ましたし、学校帰りに動物園に立ち寄って狼を見物しましたので。……といっても、正確には狼ではなく狼少年でしょう。狼らし過ぎる鳴き声では人間の血が混ざっていることを表現できません。なので、これでいきます」
「えっ! 動物園行ったんだ? いいなぁ……」
「あ」
動物園。身体のことを考えれば、陸が行くのは困難な場所だ。だから一織も、陸には内緒で行ったのに。環経由で知られないよう、MEZZO"の仕事で環が早退した日を狙って行ったのに。
自分が行けない理由も、そしてそれを一織が言わなかった理由も察することができてしまって、陸は眉を八の字に下げる。
(ぐっ……!)
一織は悪いことをしたわけではない。自分の与えられた仕事を最高のかたちにするためにしたことだし、陸のことを最大限に思いやっての行動だ。しかし、一織は以前から、陸のこういった表情に弱い。いつもにこにこしている顔がしょんぼりするのがかわいくて、説教を長引かせてしまうこともあるほど。にこにこしている顔は雑誌やテレビにも振り撒いているが、アイドルである七瀬陸がしょんぼりしている顔というのはプライベートでしか見られない。……時折、生放送番組やライブでのやりとりで見せることもあるけれど。
「一織?」
「ひっ」
言葉を失ってぶるぶると震えている一織を不審に思ったのか、陸が顔を覗き込む。どんぐりのようなまるい瞳は、きらきらと輝く柘榴石。しょんぼりしていた表情から、今は一織の無言を訝しむ表情に。それでも、相変わらず眉は下がっているものだから、一織の庇護欲をくすぐってやまない。
「……あのさ、大和さんから聞いたんだけど」
「なにをですか」
この場で大和の名前が出るということは、ドラマ出演にあたっての演技に関することだろうか。それなら、直接言ってくれればいいのに。陸にだけなにかを言ったようであることへの嫉妬心と、なにかを自分には教えてもらえなかったということへのさみしさ。それらがない交ぜになって、どんな表情をすればいいのかわからない。
「一織って、オレのこと困らせるのが好きって本当?」
「はっ?」
当たらずとも遠からず。困らせたいわけではないが、困っている陸の表情を見るのは好きだ。
「好きな子ほどいじめたい年頃なのよーって。一織、オレのこと好きなんだ?」
大和の声真似のつもりなのか、陸がいつもより低い声でおどけてみせる。しかし、一織はそれどころではない。
以前より陸になみなみならぬ感情を抱いていた一織だが、自分たちがアイドルであるということを理由に、それを言葉にしないと決めていた。アイドルである以上、ファンを一番に考えなければならない。それに、想いを遂げたと仮定して、万が一、外部に知られたら? 恋をすることは、恋を叶えることは、弱点をつくるようなもの。常にパーフェクトでありたい一織としては、そんなこと、できるはずがない。たとえ、探偵よろしく、陸にずばり言い当てられたとしても、白旗を挙げるわけにはいかないのだ。
ただ〝無言は最大の肯定〟になるということも、一織はよく知っている。この場合、口を閉ざしてやり過ごすのは得策ではない。一織の脳内では、それらの考えが一秒未満の速さでぐるぐると回転していた。
「……っ、七瀬さん。いくら最年長といえど、二階堂さんの言葉を真に受けないでください。メンバーの言葉ももちろん大事ですが、私を一番に意識してください」
陸の両肩に手を置き、切々と語りかける。以前『Friends Day』の合間に言い聞かせたように。
「……それも、コントロール?」
「まぁ、そのようなもの、です。……とにかく、二階堂さんのその手の話には耳を貸さないでください。ろくなことになりませんから」
「どうして?」
両肩に置いた手のうち、片方に、陸の手が重ねられる緊張からか、その手は少しだけ汗ばんでいた。
「どうしてって」
そんなの、アイドルにとって恋心が最大の弱点だからだ。恋の相手本人だろうと、それを見せるわけにはいかない。
「一織がいじわるな気持ちでオレを困らせてるんならいやだけど、もし、大和さんの言うとおりだったら……」
重ねられた手が陸の肩から下ろされ、きゅっと握られる。そのまま陸の胸、心臓のあたりに押し当てられた。実際に陸の鼓動が速いのか、それとも、自分が意識し過ぎてそう思えるだけなのか。
「七瀬さん……」
今みたいな陸の表情にも弱いのに、これ以上、弱点を増やすわけにはいかない。でも、自分を見つめる瞳が潤んでいて、吸い寄せられそうになる。
陸の手を握り返し、ゆっくりと顔を寄せた。