二度目の○○
緊張でこわばる身体を宥めようとゆっくり息を吐き出すだけで、大袈裟なほどにこちらの体調を気遣った恋人を思い出す。そりゃあ、二人ともあの夜が初めてだったから、一織も緊張していたのだろう。ベッドの上で、素っ裸。することなんて決まっているのに、互いにこわばった表情で、壁掛け時計の秒針の音を数えてばかりいた。最終的には、まぁ、なんとか。……初めてにしては、うまくいったのではないかと思っている。
一織も初めてだと言っていたし、彼のことを信用していないわけではない。しかし、初めてだと言うわりには、上手過ぎたんじゃないだろうか。性行為の上手・下手の判定基準はわからないが「気持ちよかった」という主観的な理由から、一織は「上手」だと判断している。真っ赤な顔で、たどたどしく「こういうことは初めてなので」なんて言っていた一織のことを、未経験だったこちらに合わせてそう言ったのでは? と邪推してしまう。
そんなことを考えていたらだんだんかなしくなってきて、なにかに縋るように、目の前にある星型のクッションを抱き締めた。陸が不安を抱いている理由は他にもある。
(……あれ以来、全然、だし)
年末年始で仕事が忙しく、二人きりでゆっくり過ごす時間がなかなか取れないのは事実だが、それでも、一織お手製のホットミルクを飲むという習慣は続いている。眠る前にホットミルクを飲んで、二人で洗面所に行って歯を磨く。まるで王子さまのように陸をエスコートして部屋まで送り届けてくれるものだから、きゅんとときめいてしまって。部屋の入口でそのまま帰ろうとする一織を引き留め、陸の部屋、ドアの内側に引き込んでキスをねだるのだ。だって、歯磨きをしたから、ホットミルクの味がなくなってしまった。恋人のキスの味で満たされてから眠りたい。そうねだる陸に触れるだけのくちづけをして、一織は自分の部屋へ戻ってしまう。陸としては、そのまま陸の部屋で一緒に眠りたいのに。一緒に眠るどころか、初めて身体を重ねた日以来、この一ヶ月、キスすらしていない。
これは由々しき事態だ。一織がつくってくれるホットミルクはおいしいけれど、一織とのキスの味には敵わない。陸の心を一番あたためてくれるのはホットミルクでもふかふかの布団でもなく、一織なのに。
ぐるぐると考え込んでいる自分がいやになって、陸はぶんぶんとかぶりを振った。考え込んで、一人で不安になっているなんてよくない。
(ちょっと早いけど、いいかな)
時刻を確認し、陸はキッチンへと向かった。
しゅんしゅんと音を立てるやかんを眺めながら、明日あたり、環は一織に「課題を写させて」と泣きつくんだろうなぁと予想する。ただ写すだけなんてことを一織はよしとしないし、相方の壮五の耳に入ろうものなら「自分で解かないと身に付かないよ」と眉をつり上げることだろう。それでも我がグループ最年少の環のことを、皆、甘やかさずにはいられないものだから、三月お手製の甘いクッキーを原動力に、一織は先生となって環の課題が終わるまで面倒を見てやるに違いない。
ぴーっとけたたましい音を立てたやかんに、びくりと肩を震わせる。慌てて火を止め、戸棚からマグカップを取り出した。陸が運ぶと割れやしないか気が気じゃないと皆は言うけれど、陸だって、そういつもいつも失敗ばかりしているわけではない。
途中でキッチンにやってきた三月に心配されながら、マグカップをのせたトレイをゆっくりと運ぶ。いつでも支えられるようにと背後に三月がぴったりくっついているのが居たたまれない。
「あぁ、もう。よそ見するなよ」
「大丈夫だって! ん、ここで平気。ありがと、三月」
「おう、……しっかし、我が弟は幸せ者だなぁ」
ははは! と軽快に笑う三月の言葉に照れを感じながら、陸は廊下で膝をつき、トレイを脇に置いてから、部屋のドアをノックした。部屋の主から許可の言葉を得て、部屋のドアをゆっくり開く。中にいる一織がこちらを見、慌てて立ち上がった。
「わざわざ……いえ、なんでもありません。あぁ、運びますから」
「いいって。オレが用意したんだから、一織はありがたがってるだけでいいんだよ!」
陸に代わってトレイを運ぼうとする一織の手を躱し、ゆっくりと部屋に運び込む。暖房のきいたあたたかい部屋に、ホットココアの甘い香りがふわりと広がった。
「あんまり根詰めてると眉間の皺取れないぞ? そろそろ休憩しろよな」
もっとかわいらしく休憩を促すことができたら一織も喜ぶのだろうが、あいにく、一織が求めるようなかわいらしい話し方はできそうにない。陸は気恥ずかしさから頬を膨らませ、一織にマグカップを差し出した。――たとえ頬を膨らませながらであっても、一織にとっては、陸が自分だけに言葉を向けてくれるだけで「かわいい」のだが、当の本人である陸がそれに気付くことはない。
「……そうですね。いただきます」
ふぅふぅと息を吹きかけ、ゆっくりと口をつける。一織の表情を見る限り、課題に追われているとはいえ、そこまで緊迫した状況でもなさそうだということが見てとれた。聞くなら、今がチャンスなのでは? そう思った陸は、両手でマグカップを握り締めながら、口を開いた。
「あのさ、先月初めてエッチしてからオレのこと避けてない?」
「ぶっ」
「うわ、一織汚い!」
口の周りをココアまみれにした一織に眉を顰める。
「あなたね……わざとですか?」
ティッシュを数枚まとめて掴み、一織にしては乱雑に口許を拭う。追加でもう数枚取り出して、今度はマグカップとテーブルを拭いた。
「大事な話にわざともなにもないだろ。あれ以来、毎日寝る前にしてたキスもしてくれなくなったしさ。……やっぱ、女の子じゃないから萎えたのかなって。オレだって不安なんだよ? 一ヶ月もキスしてくれないなんて、……嫌われたかと思うじゃん」
「うっ」
うるりと涙を滲ませた瞳で見つめられ、息が詰まる。一織は陸のこの表情に弱い。身体が童貞でなくなった今でも、気持ちはいつまで経っても童貞のままだ。慣れる日はきそうにない。
「オレは、……そりゃあ毎日ってわけにはいかないけど、次はいつかなってどきどきしてて。それなのに一週間経っても二週間経ってもエッチしてくれないし、それどころか、よく考えたらキスもしてないし。毎日一織がホットミルクつくってくれて、二人で飲んで、じゃあおやすみって。いつもならそこでキスするのにさ。二回目のエッチに備えてオレも準備しとこう! って思ってたのに、二回目の約束できないまんまじゃん……」
陸の口から飛び出す大胆な発言に目を白黒させながら一織は「あ」とか「う」と、母音しか発せないでいる。二回目に備えて準備ってどういう準備だろうか。ひとまず、誤解だけは解いておかなければならない。
「……えぇと、私もその、照れといいますか……あまりがっつくわけにはいかないと思っていたらそういったことについて話し合うタイミングを逃してしまってですね……」
キスをしたら初体験のことを思い出してしまいそうで自制していた。陸に飽きるなんてことはなく、若い男らしく二回目・三回目への欲だってあったけれど、つい先日まで童貞だった自分には色事へのうまい誘い文句などわからず、一人で悶々としていたのだ。さすがにそこまで打ち明けるのは気が引けて、何重ものオブラートに包んで陸に説明する。飽きたなどあり得ない、キスをしていなかったのはあの夜のことを思い出して意識し過ぎていたのと、仕事の忙しさにかまけてしまっていたからだと。
初めは不安な表情を浮かべていた陸も、真っ赤な顔をした一織の説明で次第に表情をやわらげていく。
「……つまり、ずっとオレにどきどきしてくれてたってこと? 毎日?」
「~~っ、えぇ、まぁ……そうとも言えます……」
かなり恥ずかしい打ち明け話になってしまったが、もうどうにでもなれ。すっかり冷たくなったマグカップを握り締め、かたく目を瞑った。
「えっと、じゃあ……じゃあさ、二回目、の約束とか……したいんだけど」
一織と同じくらい顔を赤く染めた陸が、ずいと近寄ってくる。至近距離で見つめられるなんてこと、恋人関係になる前から何度もあったのに、今更ながらにどきどきしてしまった。もしかしたら、過去最高に緊張しているかもしれない。
「二回目の約束、ですか……」
「そう。一織、前もってスケジュール立てておきたいタイプだろ。オレも……いきなり迫られるのも悪くはないかなーなんて思うけど、やっぱ、心の準備とかいろいろしておきたいし」
陸の言う「心の準備とかいろいろ」の「いろいろ」ってなんだろう。いやらしい妄想ばかりが頭の中に広がって、興奮で鼻血が出るかもしれないと思った。
「に、二回目」
頭の中がぐるぐると回りだす。初めての時だってそれはもう緊張とパニックで気がどうにかなりそうだったのに。二回目の約束を真顔でするなんて冗談じゃない。しかし、陸は今後も自分との行為を望んでいるし、自分だって、できれば……と切望しているのは事実だ。一織はぶんぶんと強く頭を振って、握っていたマグカップをどん! と置いた。
「……わかりました。スケジュールを確認し、七瀬さんの体調及び私の登校日に支障のない日を選定して、追ってお知らせします」
一回目をつつがなく終えたにもかかわらず二回目を即答できないあたり、一織はまだまだ初心なのだ。
一織も初めてだと言っていたし、彼のことを信用していないわけではない。しかし、初めてだと言うわりには、上手過ぎたんじゃないだろうか。性行為の上手・下手の判定基準はわからないが「気持ちよかった」という主観的な理由から、一織は「上手」だと判断している。真っ赤な顔で、たどたどしく「こういうことは初めてなので」なんて言っていた一織のことを、未経験だったこちらに合わせてそう言ったのでは? と邪推してしまう。
そんなことを考えていたらだんだんかなしくなってきて、なにかに縋るように、目の前にある星型のクッションを抱き締めた。陸が不安を抱いている理由は他にもある。
(……あれ以来、全然、だし)
年末年始で仕事が忙しく、二人きりでゆっくり過ごす時間がなかなか取れないのは事実だが、それでも、一織お手製のホットミルクを飲むという習慣は続いている。眠る前にホットミルクを飲んで、二人で洗面所に行って歯を磨く。まるで王子さまのように陸をエスコートして部屋まで送り届けてくれるものだから、きゅんとときめいてしまって。部屋の入口でそのまま帰ろうとする一織を引き留め、陸の部屋、ドアの内側に引き込んでキスをねだるのだ。だって、歯磨きをしたから、ホットミルクの味がなくなってしまった。恋人のキスの味で満たされてから眠りたい。そうねだる陸に触れるだけのくちづけをして、一織は自分の部屋へ戻ってしまう。陸としては、そのまま陸の部屋で一緒に眠りたいのに。一緒に眠るどころか、初めて身体を重ねた日以来、この一ヶ月、キスすらしていない。
これは由々しき事態だ。一織がつくってくれるホットミルクはおいしいけれど、一織とのキスの味には敵わない。陸の心を一番あたためてくれるのはホットミルクでもふかふかの布団でもなく、一織なのに。
ぐるぐると考え込んでいる自分がいやになって、陸はぶんぶんとかぶりを振った。考え込んで、一人で不安になっているなんてよくない。
(ちょっと早いけど、いいかな)
時刻を確認し、陸はキッチンへと向かった。
しゅんしゅんと音を立てるやかんを眺めながら、明日あたり、環は一織に「課題を写させて」と泣きつくんだろうなぁと予想する。ただ写すだけなんてことを一織はよしとしないし、相方の壮五の耳に入ろうものなら「自分で解かないと身に付かないよ」と眉をつり上げることだろう。それでも我がグループ最年少の環のことを、皆、甘やかさずにはいられないものだから、三月お手製の甘いクッキーを原動力に、一織は先生となって環の課題が終わるまで面倒を見てやるに違いない。
ぴーっとけたたましい音を立てたやかんに、びくりと肩を震わせる。慌てて火を止め、戸棚からマグカップを取り出した。陸が運ぶと割れやしないか気が気じゃないと皆は言うけれど、陸だって、そういつもいつも失敗ばかりしているわけではない。
途中でキッチンにやってきた三月に心配されながら、マグカップをのせたトレイをゆっくりと運ぶ。いつでも支えられるようにと背後に三月がぴったりくっついているのが居たたまれない。
「あぁ、もう。よそ見するなよ」
「大丈夫だって! ん、ここで平気。ありがと、三月」
「おう、……しっかし、我が弟は幸せ者だなぁ」
ははは! と軽快に笑う三月の言葉に照れを感じながら、陸は廊下で膝をつき、トレイを脇に置いてから、部屋のドアをノックした。部屋の主から許可の言葉を得て、部屋のドアをゆっくり開く。中にいる一織がこちらを見、慌てて立ち上がった。
「わざわざ……いえ、なんでもありません。あぁ、運びますから」
「いいって。オレが用意したんだから、一織はありがたがってるだけでいいんだよ!」
陸に代わってトレイを運ぼうとする一織の手を躱し、ゆっくりと部屋に運び込む。暖房のきいたあたたかい部屋に、ホットココアの甘い香りがふわりと広がった。
「あんまり根詰めてると眉間の皺取れないぞ? そろそろ休憩しろよな」
もっとかわいらしく休憩を促すことができたら一織も喜ぶのだろうが、あいにく、一織が求めるようなかわいらしい話し方はできそうにない。陸は気恥ずかしさから頬を膨らませ、一織にマグカップを差し出した。――たとえ頬を膨らませながらであっても、一織にとっては、陸が自分だけに言葉を向けてくれるだけで「かわいい」のだが、当の本人である陸がそれに気付くことはない。
「……そうですね。いただきます」
ふぅふぅと息を吹きかけ、ゆっくりと口をつける。一織の表情を見る限り、課題に追われているとはいえ、そこまで緊迫した状況でもなさそうだということが見てとれた。聞くなら、今がチャンスなのでは? そう思った陸は、両手でマグカップを握り締めながら、口を開いた。
「あのさ、先月初めてエッチしてからオレのこと避けてない?」
「ぶっ」
「うわ、一織汚い!」
口の周りをココアまみれにした一織に眉を顰める。
「あなたね……わざとですか?」
ティッシュを数枚まとめて掴み、一織にしては乱雑に口許を拭う。追加でもう数枚取り出して、今度はマグカップとテーブルを拭いた。
「大事な話にわざともなにもないだろ。あれ以来、毎日寝る前にしてたキスもしてくれなくなったしさ。……やっぱ、女の子じゃないから萎えたのかなって。オレだって不安なんだよ? 一ヶ月もキスしてくれないなんて、……嫌われたかと思うじゃん」
「うっ」
うるりと涙を滲ませた瞳で見つめられ、息が詰まる。一織は陸のこの表情に弱い。身体が童貞でなくなった今でも、気持ちはいつまで経っても童貞のままだ。慣れる日はきそうにない。
「オレは、……そりゃあ毎日ってわけにはいかないけど、次はいつかなってどきどきしてて。それなのに一週間経っても二週間経ってもエッチしてくれないし、それどころか、よく考えたらキスもしてないし。毎日一織がホットミルクつくってくれて、二人で飲んで、じゃあおやすみって。いつもならそこでキスするのにさ。二回目のエッチに備えてオレも準備しとこう! って思ってたのに、二回目の約束できないまんまじゃん……」
陸の口から飛び出す大胆な発言に目を白黒させながら一織は「あ」とか「う」と、母音しか発せないでいる。二回目に備えて準備ってどういう準備だろうか。ひとまず、誤解だけは解いておかなければならない。
「……えぇと、私もその、照れといいますか……あまりがっつくわけにはいかないと思っていたらそういったことについて話し合うタイミングを逃してしまってですね……」
キスをしたら初体験のことを思い出してしまいそうで自制していた。陸に飽きるなんてことはなく、若い男らしく二回目・三回目への欲だってあったけれど、つい先日まで童貞だった自分には色事へのうまい誘い文句などわからず、一人で悶々としていたのだ。さすがにそこまで打ち明けるのは気が引けて、何重ものオブラートに包んで陸に説明する。飽きたなどあり得ない、キスをしていなかったのはあの夜のことを思い出して意識し過ぎていたのと、仕事の忙しさにかまけてしまっていたからだと。
初めは不安な表情を浮かべていた陸も、真っ赤な顔をした一織の説明で次第に表情をやわらげていく。
「……つまり、ずっとオレにどきどきしてくれてたってこと? 毎日?」
「~~っ、えぇ、まぁ……そうとも言えます……」
かなり恥ずかしい打ち明け話になってしまったが、もうどうにでもなれ。すっかり冷たくなったマグカップを握り締め、かたく目を瞑った。
「えっと、じゃあ……じゃあさ、二回目、の約束とか……したいんだけど」
一織と同じくらい顔を赤く染めた陸が、ずいと近寄ってくる。至近距離で見つめられるなんてこと、恋人関係になる前から何度もあったのに、今更ながらにどきどきしてしまった。もしかしたら、過去最高に緊張しているかもしれない。
「二回目の約束、ですか……」
「そう。一織、前もってスケジュール立てておきたいタイプだろ。オレも……いきなり迫られるのも悪くはないかなーなんて思うけど、やっぱ、心の準備とかいろいろしておきたいし」
陸の言う「心の準備とかいろいろ」の「いろいろ」ってなんだろう。いやらしい妄想ばかりが頭の中に広がって、興奮で鼻血が出るかもしれないと思った。
「に、二回目」
頭の中がぐるぐると回りだす。初めての時だってそれはもう緊張とパニックで気がどうにかなりそうだったのに。二回目の約束を真顔でするなんて冗談じゃない。しかし、陸は今後も自分との行為を望んでいるし、自分だって、できれば……と切望しているのは事実だ。一織はぶんぶんと強く頭を振って、握っていたマグカップをどん! と置いた。
「……わかりました。スケジュールを確認し、七瀬さんの体調及び私の登校日に支障のない日を選定して、追ってお知らせします」
一回目をつつがなく終えたにもかかわらず二回目を即答できないあたり、一織はまだまだ初心なのだ。