センター
一織と二人で、ステージの向こうにいるお客さんたちに話そうって決めたけど、うまく話せるかな。一織のファンの子にがっかりされない? 新曲も、うまく歌えるかな。本当に大丈夫? ――ベッドの中で、陸は溜息をついた。吐き出した息はすぐに部屋に溶け込んだものの、気持ちまでは溶けてくれず、重苦しいままだ。
陸の体調を考慮し、一織がセンターをつとめていた間、陸は周囲からの評価に揺さ振られ、一織はセンターとしてのプレッシャーに圧迫され続けた。二人とも、自身が感じる息苦しさが態度にも出てしまい、もうだめかもしれないとすら思った。互いに自分の気持ちを吐露してわだかまりが解けたのは、天のおかげだ。
リリースが予定されているセカンドアルバムからのシングルカットだと説明された新曲の仮歌を聴いて、陸は、これは自分がセンターとして歌うための曲だと瞬時に悟った。
一織に、メンバーに。それから、紡と、事務所に。陸は周囲に迷惑をかけたと思っているが、皆、迷惑だなんて思っていないと否定するから、ごめんねの言葉は一度だけに留めて、ありがとうの気持ちを歌に込めようと決めた。仮歌を聴いてから、何度も何度も練習したし、会場でのリハーサルも滞りなく終えることができた。
一織曰く、準備は完璧にできている状態で、あとは、明日の本番を待つのみ。
「なに言うか、は……リハではやらなかったしな……」
紡からの提案で、新曲初披露の前に、いつもよりやや長めに用意したMCコーナーを使って、センターを陸に戻すことと、二人の素直な気持ちを話すことになった。あらかじめ用意した言葉ではなく、歌う直前までの気持ちを含めた言葉をその場で述べよう。一織と陸は、互いにそう約束したのだ。でも、きちんと話せるのかが気になって――
(眠れないな……)
――不安と、緊張とが体の中に渦巻いている。陸はゆっくりと息を吐いた。
「……」
隣室で、一織もまた、なかなか寝付けないでいた。明日の本番に向けて、今夜は早く眠らなければならないのに。
ステージでの経験値はTRIGGERやRe:vale、そして今も〝伝説のアイドル〟と呼ばれるゼロにはまだまだ敵わないものの、JIMA男性アイドル部門新人賞を受賞し、その年の『ブラック・オア・ホワイト ミュージックファンタジア』ではTRIGGERに挑み、見事、勝利を勝ち取ることができた。IDOLiSH7は一織が想定しているとおり、着実にトップへの道を歩んでいる。
ライブだけでなく、テレビ越しにIDOLiSH7を見てくれている人数を含めるのであれば、何百万人……もしかしたら、何千万人にも及ぶかもしれない。
それだけの人数の前で、陸はこれまで、センターとして歌ってきたのだ。
陸の代わりとはいえ、実際に自分がセンターとして歌うまで、一織はそのプレッシャーを本当の意味で理解できていなかった。たった数ヵ月でこんなに疲弊するのだ。陸はこれよりも長い期間、センターとして立ち、そして、明日から再びセンターとして歌う。
――七瀬陸という人間は、弱いくせに、なんて強い人なのだろう。
(私らしくない……)
ものごとを分析して、その行く先を想定し、複数パターンの対処法を考えることには自信がある。しかし、新曲を披露する前のMCコーナーを紡から提案され、咄嗟に「どうしよう」と思ってしまった。リハーサルの際に陸に声をかけ、話し合った結果、その時に思ったことをそのまま話そうということになったのだが、その場で浮かんだことを話すというのは、一織にとって、かなり難易度の高いことだ。
(いつまでも起きているわけにはいかないのに……)
ホットミルクでもつくって部屋に持っていこう。飲んで体をあたためれば、気持ちも落ち着いて眠れるかもしれない。
眠っているであろうメンバーを起こさないよう、一織は足音を忍ばせて部屋を出た。
もしかしたら、誰か一人くらいはリビングにいるかもしれないと思ったが、新曲初披露のライブ前夜に夜更かしをする者など、IDOLiSH7にはいない。自分も、早く眠れるよう努力しなければ。そう思いつつ冷蔵庫の扉に手をかけたところで、声をかけられた。
「一織も、眠れない?」
オレも寝付けなくて来てみたら、灯りがついてたから。陸はそう続けた。
「そうですね。明日のことを考えていたからかもしれません」
今からでも、明日のMCコーナーで話すことを打ち合わせておいたほうがいいのかもしれない。そう考えながら牛乳を注いだところで、背後から抱き締められ、思わず、上擦った声を上げてしまった。
「……ちょっと」
肩口に乗っているのは陸の顎。今は周りに誰もいないとはいえ、いつ、他のメンバーがやってきてもおかしくない。こんなところを誰かに見られたら。
「大丈夫、ちょっとだけ」
「まったく、……牛乳があたたまるまでですよ」
弱火でじっくりあたため、沸騰しないよう、気泡が見えてきたところで火を止める。ほんのわずかな時間。それくらいなら、と寄り添うことを許したのは、明日のことを考えて眠れない自分たちを甘やかしたかったから。
一織がコンロの火を点けるのを合図にしたみたいに、陸が小さな声で歌い出した。陸のソロパートから始まる曲。これまでのどの曲とも雰囲気が違うけれど、IDOLiSH7らしい曲だと思う。センターを一時的に一織と交代して、再び陸に戻って、ここからまた新しく始める。そんなところがぴったりなタイトル。この曲からセンターが陸に戻ることが、あらかじめ決まっていた運命のようだとも思えた。
Aメロの歌い出しは壮五だからと、陸は歌うのを止めた。たった十五秒間のライブ。観客は一織だけ。なんて、贅沢な時間なのだろう。
「今、改めて思いました。やはり、七瀬さんしかいません。IDOLiSH7のセンターは、私たちのセンターは、誰がなんと言おうと、あなたです」
「そうかな。そうだといいな」
IDOLiSH7のセンターとして立つほどの男なのに、こんなところは控えめだ。
「あなたの歌声を誰よりも知っていて、誰よりもあなたの歌声を好きだと自負している私が言うんです。信じられませんか?」
「……おまえって、時々、すっごく恥ずかしいこと言うよな」
背中にあった体温が離れていく。あ、と思う前にコンロの火が止められてしまった。鍋の中の牛乳は小さな気泡が浮かび始めていて、火を止めるのにちょうどいい頃合いだったらしい。
「……うるさい人ですね。これを飲んだらさっさと寝ますよ」
恥ずかしさをかき消すように、木べらでくるくると鍋の中をかき混ぜる。
「一織、はちみつは?」
「あ」
すっかり忘れてしまっていた。申し訳なさそうな表情の一織に、陸が「今ならまだ溶けてくれるよ」とはちみつの小瓶を差し出した。
「……イオリもリクも、明日は大丈夫みたいですね」
「だな」
「じゃあ、僕たちも寝ましょうか。……環くん、立ったまま寝ないで」
「んー」
「オレたちが見たことは内緒な」
たぶん、見られていたと知ったら二人とも、特に一織が、恥ずかしがるだろうから。
陸の体調を考慮し、一織がセンターをつとめていた間、陸は周囲からの評価に揺さ振られ、一織はセンターとしてのプレッシャーに圧迫され続けた。二人とも、自身が感じる息苦しさが態度にも出てしまい、もうだめかもしれないとすら思った。互いに自分の気持ちを吐露してわだかまりが解けたのは、天のおかげだ。
リリースが予定されているセカンドアルバムからのシングルカットだと説明された新曲の仮歌を聴いて、陸は、これは自分がセンターとして歌うための曲だと瞬時に悟った。
一織に、メンバーに。それから、紡と、事務所に。陸は周囲に迷惑をかけたと思っているが、皆、迷惑だなんて思っていないと否定するから、ごめんねの言葉は一度だけに留めて、ありがとうの気持ちを歌に込めようと決めた。仮歌を聴いてから、何度も何度も練習したし、会場でのリハーサルも滞りなく終えることができた。
一織曰く、準備は完璧にできている状態で、あとは、明日の本番を待つのみ。
「なに言うか、は……リハではやらなかったしな……」
紡からの提案で、新曲初披露の前に、いつもよりやや長めに用意したMCコーナーを使って、センターを陸に戻すことと、二人の素直な気持ちを話すことになった。あらかじめ用意した言葉ではなく、歌う直前までの気持ちを含めた言葉をその場で述べよう。一織と陸は、互いにそう約束したのだ。でも、きちんと話せるのかが気になって――
(眠れないな……)
――不安と、緊張とが体の中に渦巻いている。陸はゆっくりと息を吐いた。
「……」
隣室で、一織もまた、なかなか寝付けないでいた。明日の本番に向けて、今夜は早く眠らなければならないのに。
ステージでの経験値はTRIGGERやRe:vale、そして今も〝伝説のアイドル〟と呼ばれるゼロにはまだまだ敵わないものの、JIMA男性アイドル部門新人賞を受賞し、その年の『ブラック・オア・ホワイト ミュージックファンタジア』ではTRIGGERに挑み、見事、勝利を勝ち取ることができた。IDOLiSH7は一織が想定しているとおり、着実にトップへの道を歩んでいる。
ライブだけでなく、テレビ越しにIDOLiSH7を見てくれている人数を含めるのであれば、何百万人……もしかしたら、何千万人にも及ぶかもしれない。
それだけの人数の前で、陸はこれまで、センターとして歌ってきたのだ。
陸の代わりとはいえ、実際に自分がセンターとして歌うまで、一織はそのプレッシャーを本当の意味で理解できていなかった。たった数ヵ月でこんなに疲弊するのだ。陸はこれよりも長い期間、センターとして立ち、そして、明日から再びセンターとして歌う。
――七瀬陸という人間は、弱いくせに、なんて強い人なのだろう。
(私らしくない……)
ものごとを分析して、その行く先を想定し、複数パターンの対処法を考えることには自信がある。しかし、新曲を披露する前のMCコーナーを紡から提案され、咄嗟に「どうしよう」と思ってしまった。リハーサルの際に陸に声をかけ、話し合った結果、その時に思ったことをそのまま話そうということになったのだが、その場で浮かんだことを話すというのは、一織にとって、かなり難易度の高いことだ。
(いつまでも起きているわけにはいかないのに……)
ホットミルクでもつくって部屋に持っていこう。飲んで体をあたためれば、気持ちも落ち着いて眠れるかもしれない。
眠っているであろうメンバーを起こさないよう、一織は足音を忍ばせて部屋を出た。
もしかしたら、誰か一人くらいはリビングにいるかもしれないと思ったが、新曲初披露のライブ前夜に夜更かしをする者など、IDOLiSH7にはいない。自分も、早く眠れるよう努力しなければ。そう思いつつ冷蔵庫の扉に手をかけたところで、声をかけられた。
「一織も、眠れない?」
オレも寝付けなくて来てみたら、灯りがついてたから。陸はそう続けた。
「そうですね。明日のことを考えていたからかもしれません」
今からでも、明日のMCコーナーで話すことを打ち合わせておいたほうがいいのかもしれない。そう考えながら牛乳を注いだところで、背後から抱き締められ、思わず、上擦った声を上げてしまった。
「……ちょっと」
肩口に乗っているのは陸の顎。今は周りに誰もいないとはいえ、いつ、他のメンバーがやってきてもおかしくない。こんなところを誰かに見られたら。
「大丈夫、ちょっとだけ」
「まったく、……牛乳があたたまるまでですよ」
弱火でじっくりあたため、沸騰しないよう、気泡が見えてきたところで火を止める。ほんのわずかな時間。それくらいなら、と寄り添うことを許したのは、明日のことを考えて眠れない自分たちを甘やかしたかったから。
一織がコンロの火を点けるのを合図にしたみたいに、陸が小さな声で歌い出した。陸のソロパートから始まる曲。これまでのどの曲とも雰囲気が違うけれど、IDOLiSH7らしい曲だと思う。センターを一時的に一織と交代して、再び陸に戻って、ここからまた新しく始める。そんなところがぴったりなタイトル。この曲からセンターが陸に戻ることが、あらかじめ決まっていた運命のようだとも思えた。
Aメロの歌い出しは壮五だからと、陸は歌うのを止めた。たった十五秒間のライブ。観客は一織だけ。なんて、贅沢な時間なのだろう。
「今、改めて思いました。やはり、七瀬さんしかいません。IDOLiSH7のセンターは、私たちのセンターは、誰がなんと言おうと、あなたです」
「そうかな。そうだといいな」
IDOLiSH7のセンターとして立つほどの男なのに、こんなところは控えめだ。
「あなたの歌声を誰よりも知っていて、誰よりもあなたの歌声を好きだと自負している私が言うんです。信じられませんか?」
「……おまえって、時々、すっごく恥ずかしいこと言うよな」
背中にあった体温が離れていく。あ、と思う前にコンロの火が止められてしまった。鍋の中の牛乳は小さな気泡が浮かび始めていて、火を止めるのにちょうどいい頃合いだったらしい。
「……うるさい人ですね。これを飲んだらさっさと寝ますよ」
恥ずかしさをかき消すように、木べらでくるくると鍋の中をかき混ぜる。
「一織、はちみつは?」
「あ」
すっかり忘れてしまっていた。申し訳なさそうな表情の一織に、陸が「今ならまだ溶けてくれるよ」とはちみつの小瓶を差し出した。
「……イオリもリクも、明日は大丈夫みたいですね」
「だな」
「じゃあ、僕たちも寝ましょうか。……環くん、立ったまま寝ないで」
「んー」
「オレたちが見たことは内緒な」
たぶん、見られていたと知ったら二人とも、特に一織が、恥ずかしがるだろうから。