ファンサービス
そういえば、デビュー前にメンバーの皆でファンサービスの練習をしたことがある。ウインクや投げキッスの練習で笑い合った日が懐かしいと思えるくらいには、ファンサービスにもすっかり慣れたものだ。客席のうちわを見て、対応できるものは素早く、真心を込めて対応する。ウインクして、投げキッスして、バーンして、ピースして。初めはダンスをしながらうちわに書かれた文字を確認するのも精一杯だったけれど、ステージをいくつもこなすうちに、目が慣れてくれたのだろう。いつからか、七色に輝く海の中、うちわを彩るネオンカラーの文字を判読できるようになった。環には『腹筋見せて』なんてものもあって、そんな時、環はターンを決めたあとに衣装をひらりとめくっては観客の声を一身に浴びている。大和には『眼鏡取って』と乞うものがあるけれど、残念ながら彼がそれに応えたことはない。その代わり、人差し指を唇に当て、なにか呟く素振りを見せる。ありがたいことに、その仕草にもファンは歓声で返してくれる。
ライブのあとの反省会ではファンサービスについても話題に上る。今回も三月はうちわを一つも見逃さずそのすべてに対応していたとか、壮五はメンバーの前では恥ずかしがるくせにファンサービスとなると恥じらうことなくウインクを飛ばしていたとか、ナギはファンサービスが過剰気味ではないかとか。センターの陸にファンサービスを求める者ももちろん多いのだけれど、時折、その内容を読み間違えてしまうことがあった。
「七瀬さん、今日のあれはなんですか」
一織が言っているのは、今日のライブで『ナナツイロREALiZE』を歌った時のこと。怪獣のポーズを取っている時、視界の端に『陸くんチューして』というものが見えた。日頃、環やナギにアピールされていることの多い文言なのだけれど、陸にその言葉がくるのは初めてのことで。チュー、つまり、キス。ファンサービスでキスとは? 咄嗟の判断で陸が下したのは、隣でダンスをしている一織に、飛び付くように抱き着いて、頬にキスをすることだった。
「あぁ、あれ? だってキスしてって」
「~~っ、あれはっ! 四葉さんや六弥さんがされているように投げキッスをすればいいんです! デビュー前に練習したでしょう!」
投げキッス。投げキッス……何度か繰り返し、陸は「あぁ」と音を立てて両手を合わせた。
「そっか、そういえばそうだった!」
「そういえばって……ファンサービスのキスと言えばそれでしょう」
あぁ、一織の小言が始まりそうだなぁと陸は眉を寄せる。ライブであんなに動き回ったのに小言なんて、一織は体力が有り余っているらしい。どうりで、二人で夜を過ごした時はねちっこく攻めてくるわけだ……と、意味のよくわからない納得をしてしまった。
「え~? でもキスはキスじゃん。それに、みんな喜んでくれてたし!」
そう、陸が一織に抱き着いて頬にくちづけた瞬間、本日最大級ともいえる歓声が湧き、冗談抜きに、会場が揺れたのだ。メンバーは歌い、踊りながらも、声の反響の威力を思い知った。自分たちだって大きなサウンドに身を委ね、マイクを通して歌っているから、相当、空気を振動させていると思う。けれど、観客はマイクもスピーカーもなく、地声であんなにも空気を振動させることができるのだ。それだけ、たくさんの人たちが会場にいたということでもあるのだけれど。
「まぁ、そう言ってやりなさんな。イチは恥ずかしかったんだよ」
な? と大和が一織を見て笑う。
「恥ず、かしくなんてありませんけど!」
うそ。本当は、ファンサービスとはいえ突然頬にくちづけられて、たまらなく恥ずかしかった。心の準備ができていなかったというのもあるけれど、かわいい恋人にくっつかれて動揺しないはずがないではないか。これがプライベート、二人きりという状態なら、一織も陸を抱き締め返し、頬ではなく唇にキスをしていたところだろう。しかし、陸が仕掛けてきたのはライブの真っ最中、あと一曲歌ったら終わりという、会場のボルテージも最高潮に達していた時だった。
「まぁ……あの時は私たちも会場の皆さんもテンションが高くなっていましたし、頬にキスくらいなら……あの状況下なら許されるでしょう。ですが、次からは気を付けてくださいよ」
つん、と顔を背けてしまう。しかし、その耳はほんのりと赤く染まっていて、ライブが終わって何時間も経過しているのに未だに照れているのかと思うと、おかしくて仕方がなかった。だめだ、にやにやしてしまいそう。というか、完全ににやけてしまった。陸は口許にそっと拳を当てて、唇を隠す。
(本当、一織ってこういうところはかわいいんだよなぁ)
くふふ、とこっそり笑っていると、ふわふわと癖のある髪のてっぺんを撫でられた。
「なに? 三月」
振り返って背後を見れば、三月がにやにやと笑っていた。
「いや~~……頬とはいえ、弟がキスされてるシーンを見ちゃったもんだからさ。兄としては感慨深いわけよ」
うんうんと頷きながら、何度も陸の頭を撫でる。陸としては、感慨深いとはいえなぜ自分が頭を撫でられているのかわからないけれど、三月に頭を撫でられるのは好きなので、そのまま、あたたかい手のひらの感触を甘んじて受け止めることにした。
(へへ、三月ってやっぱお兄ちゃんだよなぁ……あ、一織とオレが結婚したら三月ってオレのお兄ちゃんにもなるんじゃん!)
我ながら天才的ひらめき! とほくそ笑んだ。男同士ということはこの際、置いておくことにして。
「おいミツ、頬にキス程度で感慨深くなってたらどうするんだよ。将来、イチだって恋愛ドラマでキスシーン演る日がくるかもしれないんだぞ? おまえさん、そのたびに感慨深くなんのか?」
「ばっか、相手が陸だからだよ」
三月の言葉になにか気付きを得るものがあったようで、大和は「あぁ」と頷いた。
「そうだなぁ……イチのやつ、リクのこと好きだもんなぁ。ファンサとはいえ、好きな子に頬にキスされちゃって。おいミツ、明日の夜にでも赤飯炊くか?」
「赤飯か! それもいいな!」
賛同する三月の声に重ねるように、一織が「やめてください!」と叫ぶ。しかし、一織が張り上げる声など、この場ではなんの威力ももたない。
「そうですよ、大和さん! お赤飯なら、もっと前でないと!」
「……は?」
「んん?」
本日最大の爆弾、それを落としたのは我らがセンター、七瀬陸。クエスチョンマークが浮かぶ共有のリビングに、彼らの疑問を一瞬で解決する言葉が、大粒の雨のように降ってきた。
「あれじゃん? いおりんの脱ドーテー記念の赤飯じゃね?」
ライブのあとの反省会ではファンサービスについても話題に上る。今回も三月はうちわを一つも見逃さずそのすべてに対応していたとか、壮五はメンバーの前では恥ずかしがるくせにファンサービスとなると恥じらうことなくウインクを飛ばしていたとか、ナギはファンサービスが過剰気味ではないかとか。センターの陸にファンサービスを求める者ももちろん多いのだけれど、時折、その内容を読み間違えてしまうことがあった。
「七瀬さん、今日のあれはなんですか」
一織が言っているのは、今日のライブで『ナナツイロREALiZE』を歌った時のこと。怪獣のポーズを取っている時、視界の端に『陸くんチューして』というものが見えた。日頃、環やナギにアピールされていることの多い文言なのだけれど、陸にその言葉がくるのは初めてのことで。チュー、つまり、キス。ファンサービスでキスとは? 咄嗟の判断で陸が下したのは、隣でダンスをしている一織に、飛び付くように抱き着いて、頬にキスをすることだった。
「あぁ、あれ? だってキスしてって」
「~~っ、あれはっ! 四葉さんや六弥さんがされているように投げキッスをすればいいんです! デビュー前に練習したでしょう!」
投げキッス。投げキッス……何度か繰り返し、陸は「あぁ」と音を立てて両手を合わせた。
「そっか、そういえばそうだった!」
「そういえばって……ファンサービスのキスと言えばそれでしょう」
あぁ、一織の小言が始まりそうだなぁと陸は眉を寄せる。ライブであんなに動き回ったのに小言なんて、一織は体力が有り余っているらしい。どうりで、二人で夜を過ごした時はねちっこく攻めてくるわけだ……と、意味のよくわからない納得をしてしまった。
「え~? でもキスはキスじゃん。それに、みんな喜んでくれてたし!」
そう、陸が一織に抱き着いて頬にくちづけた瞬間、本日最大級ともいえる歓声が湧き、冗談抜きに、会場が揺れたのだ。メンバーは歌い、踊りながらも、声の反響の威力を思い知った。自分たちだって大きなサウンドに身を委ね、マイクを通して歌っているから、相当、空気を振動させていると思う。けれど、観客はマイクもスピーカーもなく、地声であんなにも空気を振動させることができるのだ。それだけ、たくさんの人たちが会場にいたということでもあるのだけれど。
「まぁ、そう言ってやりなさんな。イチは恥ずかしかったんだよ」
な? と大和が一織を見て笑う。
「恥ず、かしくなんてありませんけど!」
うそ。本当は、ファンサービスとはいえ突然頬にくちづけられて、たまらなく恥ずかしかった。心の準備ができていなかったというのもあるけれど、かわいい恋人にくっつかれて動揺しないはずがないではないか。これがプライベート、二人きりという状態なら、一織も陸を抱き締め返し、頬ではなく唇にキスをしていたところだろう。しかし、陸が仕掛けてきたのはライブの真っ最中、あと一曲歌ったら終わりという、会場のボルテージも最高潮に達していた時だった。
「まぁ……あの時は私たちも会場の皆さんもテンションが高くなっていましたし、頬にキスくらいなら……あの状況下なら許されるでしょう。ですが、次からは気を付けてくださいよ」
つん、と顔を背けてしまう。しかし、その耳はほんのりと赤く染まっていて、ライブが終わって何時間も経過しているのに未だに照れているのかと思うと、おかしくて仕方がなかった。だめだ、にやにやしてしまいそう。というか、完全ににやけてしまった。陸は口許にそっと拳を当てて、唇を隠す。
(本当、一織ってこういうところはかわいいんだよなぁ)
くふふ、とこっそり笑っていると、ふわふわと癖のある髪のてっぺんを撫でられた。
「なに? 三月」
振り返って背後を見れば、三月がにやにやと笑っていた。
「いや~~……頬とはいえ、弟がキスされてるシーンを見ちゃったもんだからさ。兄としては感慨深いわけよ」
うんうんと頷きながら、何度も陸の頭を撫でる。陸としては、感慨深いとはいえなぜ自分が頭を撫でられているのかわからないけれど、三月に頭を撫でられるのは好きなので、そのまま、あたたかい手のひらの感触を甘んじて受け止めることにした。
(へへ、三月ってやっぱお兄ちゃんだよなぁ……あ、一織とオレが結婚したら三月ってオレのお兄ちゃんにもなるんじゃん!)
我ながら天才的ひらめき! とほくそ笑んだ。男同士ということはこの際、置いておくことにして。
「おいミツ、頬にキス程度で感慨深くなってたらどうするんだよ。将来、イチだって恋愛ドラマでキスシーン演る日がくるかもしれないんだぞ? おまえさん、そのたびに感慨深くなんのか?」
「ばっか、相手が陸だからだよ」
三月の言葉になにか気付きを得るものがあったようで、大和は「あぁ」と頷いた。
「そうだなぁ……イチのやつ、リクのこと好きだもんなぁ。ファンサとはいえ、好きな子に頬にキスされちゃって。おいミツ、明日の夜にでも赤飯炊くか?」
「赤飯か! それもいいな!」
賛同する三月の声に重ねるように、一織が「やめてください!」と叫ぶ。しかし、一織が張り上げる声など、この場ではなんの威力ももたない。
「そうですよ、大和さん! お赤飯なら、もっと前でないと!」
「……は?」
「んん?」
本日最大の爆弾、それを落としたのは我らがセンター、七瀬陸。クエスチョンマークが浮かぶ共有のリビングに、彼らの疑問を一瞬で解決する言葉が、大粒の雨のように降ってきた。
「あれじゃん? いおりんの脱ドーテー記念の赤飯じゃね?」