宣戦布告
タイトルコールのあと、いつもの明るい声が続く。
『こんばんは、IDOLiSH7の七瀬陸と』
『ハロー! 六弥ナギです!』
初めこそ破天荒な番組だったが、半年以上経った今では、リスナーからの投稿をまともに読めるくらいには進歩していた。自分が十八歳だったら、彼と一緒にこの時間帯の仕事もできたのに……と一織は未だ、たった一つの年齢差を憎らしく思っている。まぁ、こうしてリスナー側になるというのも悪くはないけれど。
『さて、最初のおたより……の前に!』
『記念すべき初ゲストが素敵なレディでないのが心苦しいですが、スペシャルな方をお迎えしています』
『こら、ナギ』
あぁ、どんな表情をしているか目に浮かぶ。一織は、ふ……と頬をゆるめた。
『みなさん、こんばんは。TRIGGERの十龍之介です』
小さなブースに、陸とナギの拍手が響く。先週の放送終了間際に、爆弾を投げ込むように告知された、この番組初のゲスト。
『あらためまして……十さん、先月のライブではありがとうございました』
『二人ともお疲れさま。楽と天も一緒にここに来られたらよかったんだけど』
五ヶ月ほど前のMOP優勝で完全復活を遂げたTRIGGERは、テレビ番組への出演や雑誌の取材が徐々に増えてきている。先月開催されたIDOLiSH7・TRIGGER・Re:valeの三グループでのライブを経て、その勢いは留まるところを知らない。三人全員のスケジュールを押さえることはできなかったものの、龍之介だけなら……と、今回のゲスト出演が実現したのだ。
『Um...…呼びたいのはヤマヤマですが、このブースでは五人も詰め込めません』
『はは、確かに。でもまぁ、いつか、九条さんや八乙女さんも呼びたいよね!』
『二人とも、その前に自分のところのメンバーは呼ばなくていいの? 今回だって……記念すべき初のゲストが俺で、本当によかったのかなぁって思ってるよ』
恐縮する龍之介に、陸は「いいんです!」と力説する。
『うちのメンバーも呼べるなら呼びたいんですけど、十七歳組がいるでしょう? あの二人が番組に出られるようになった頃に、そうだな、たとえば週替わりとかで呼べたらなって』
十七歳組、という言葉に一織はどきりとする。これまでだって、番組内で二人がIDOLiSH7のメンバーに触れることは何度もあったのに。
『そっか。きみたちのところは本当に仲がいいし、ずいぶん賑やかになるだろうね』
『はい! 一織、環、十八になったら覚悟しとけよ!』
ははは……と笑いが起こる。名指しされて、今度こそ一織は頭を抱えた。
(公共の電波でこんなふうに呼びかけられるなんて)
まったく、恥ずかしい人だ。帰ってきたら少し言ってやらなければ。あまり身内の話をし過ぎないように、と。
『それでは、今度こそ最初のおたよりにいきたいと思います! これは……えっと、十さん読んでもらえますか?』
『俺? いいよ』
マイクの前で紙が動く音がする。次いで、心地よいバリトンが鼓膜を震わせた。
『――陸くんナギくんこんばんは、ゲストに十さんが来ると聞いていても立ってもいられず投稿することにしました。……はは、俺が来るからだって。ありがとう。――わたしは十さんの大ファンです。実は、十さんがゲスト出演する今日は、わたしの誕生日なんです。……すごいね、今日が誕生日だって。おめでとう!』
『おめでとう!』
『Congratulations!』
ぱちぱちと三人分の拍手。二、三秒して、龍之介が続きを読み上げる。
『――先月のライブで、初めてTRIGGERを生で見ることができて、心が震えました。ずっとずっと、画面越しでしか見られなかったTRIGGERと同じ空気を吸うことができて、TRIGGERはちゃんと現実なんだって思いました。二日間のライブのあと十さんのブログを読んで、泣いてしまいました。……あぁ、あれね。なんだか照れるな。でも嬉しい、ありがとう。――TRIGGERがデビューした時からずっとずっと十さんが大好きです。最初はTRIGGERのライバルだからと敬遠してたけど、TRIGGERと仲がいいと知ってIDOLiSH7の曲も聴くようになりました。今ではTRIGGERと同じくらい大好きです。ちなみにIDOLiSH7では一織くんと陸くんのコンビ推しです。……だって、嬉しいね、こういうの』
またもや出てきた自分の名前に、一織は瞠目する。今日はなにかと自分の名前が出てくる日だ。いちいち反応していては身がもたない。
『Um...このレディのハートはワタシには射抜けていませんでしたか』
『はは、でもナギくんは紳士的だから、この子のハートも射抜けるよ。――ライブから一ヶ月経って、もしかしたら夢だったんじゃないかというくらい、あの二日間のことを思い出そうとすると靄がかかったみたいになるんです。夢じゃなかった証拠に、チケットの半券やグッズがあるのに。早く円盤化してほしいです。……靄がかかったみたいっていうの、わかるなぁ。俺も、あの二日間は現実だったけど、まるで夢のような時間だった。会場に四万人、ライビュで二万人、それが二日間でしょ? 単純計算で、のべ十二万人か。それだけの人と時間を共有したのに、あの日のことを思い出すと視界がふわふわするよ』
『オレも、あれだけの人数の前で歌うのは初めてだったからかな……思い出せるけど、思い出そうとすると頭の中の視界がぼんやりと白いんですよね』
一織の心をとらえて離さない声。それに耳を傾けながら、ゆっくり目を閉じて、一ヶ月前を思い起こす。
(……確かに、夢のようだった)
きらきらと輝くペンライトの海。十二人の共演ライブは初めてだったにもかかわらず、光る海の色は美しく統率されていて。曲ごとに、それを歌うメンバーの色がきらめき、メンバー紹介や一人一人の挨拶の時には一色で埋め尽くされていた。皆、十二人ともを応援してくれているからこその色の変化だろう。思い出すと、未だに目の奥が熱くなる。RESTART POiNTERを歌う前、一織たちは衣装チェンジで慌ただしくしていたけれど、客席からの啜り泣くような声はしっかり聞こえていた。あの曲を発表した当時のことを振り返る映像がモニターに流れていたからだろう。
陸がセンターとして復帰したあの日。それを待ち望んでいたのは、間違いなく、一織自身だ。いつだって、誰よりも彼の歌声を信じ、焦がれている。先月のライブでもそれを思い出して、出番が迫っているというのに、胸がつかえそうなほど苦しくなった。だからまた、あの日と同じように、ステージ上で陸の方を振り返ってしまったのだ。
(私としたことが……一ヶ月も経つのに感傷的になっているなんて)
小さくかぶりを振って、ラジオのボリュームを一段階上げた。感傷に浸るあまり、数分ほど聴き逃してしまったらしい。あとから聴き返すことができるようにしてあるから、番組を終えて帰宅した陸に反省会を促すことはできる。出演していないメンバーの話は最低限に留めるように、と。これは陸とナギがリスナーからの投稿を読み上げる番組なのだから。
『次のおたよりです。――陸さんナギさんこんばんは。……こんばんは! ――私には悩みがあります。それは、好きな人のことです。……好きな人だって!』
反省会でもう一点挙げなければ。一文読むたびに感想を挟むあまり、本来の投稿内容がなかなか読み進められていない。これではリスナーがなにを言いたいのかわからないではないか。
『――彼は、私の夢を応援すると言ってくれています。私の夢は、人に笑顔を届けること、人を笑顔をさせることです。まだまだ頑張ってる途中で、たまにどうしたらいいかわからなくなる時があります。そんな時、好きな人はいつも手を差し伸べたり、背中を叩いたりしてくれます。こんなにも私に一生懸命になってくれる彼のこと、応援してくれてるだけだって自分自身にいくら言い聞かせても、好きにならずにはいられませんでした。だって、彼も私のことを好きなんだなって気付いたからです。そうじゃなかったら、私が幸せでいられるように自分が支えるなんて言葉、出てきません。でも、彼が言うには、今の私は恋愛をしてる場合じゃないみたいなんです。私は夢も恋愛も叶えたいから告白したけど、一緒にいる時間が多いからそう思い込んでるだけでしょうって、振られたんです。……え~、振られちゃったんだ……』
『Oh...ワタシなら、レディの愛の言葉を否定しませんよ』
『夢と恋愛の両立ができる環境かどうかは人それぞれだけど、好きな人から気持ちそのものを否定されるのはつらいだろうね』
陸の読み上げる内容にはっとする。
(なんだか、これは……)
三日前に陸から言われた言葉が今も耳に残っている。
「オレ、一織のこと好きだよ」
強い瞳で見つめられて、目を逸らさずにはいられなかった。
「なに言ってるんですか」
「なにって、告白してるんだけど」
胸の高鳴りに気付かれたくなくて、その場から離れようとしたのに腕を掴まれる。
「……あなたね、今それどころじゃないでしょう。アイドルですよ? だいたい、どうして私なんです」
視線を合わせてはならない。好きという言葉に動揺して、ひた隠しにしている自分の気持ちがあふれ出してしまいそうな今の表情を、陸に見られるわけにはいかない。一織は顔を背けたまま、吐き捨てるように言った。
「理由なんている? 好きだ。一緒にいて楽しくて嬉しくて、ここがどきどきする。そんなふうになるの、おまえにだけなんだよ」
「……なんですか、それ。おおかた、一緒にいる時間が多過ぎて、感情が誤作動を起こしてるんでしょう。七瀬さんをスーパースターにすると誓ったのは確かですし、それを反故にするつもりもありませんが、行動をともにし過ぎましたね」
「おまえ、本気で言ってる? オレのこと見る目、ばれてないと思ってる?」
掴まれた腕から、陸の体温が伝わってくる。彼の手の平は熱を帯びていて、自分に触れていることでの緊張感からかと思うと、一織の心は歓喜に震えた。……けれど。
「私が冗談を言うわけないでしょう。さぁ、この話は終わりです。明日は朝からロケでしょう? 夜更かしせず、早く寝てください」
一織の言葉に、腕を掴む力が一瞬だけ強くなったものの、すぐに離されてしまった。
「……わかった。おやすみ」
――まるで、自分たちのようだ。ラジオに耳を傾けながら、一織は三日前のやりとりを思い出していた。ラジオのスピーカー越しにかさり、と紙の音がしてから、陸が口を開く。聞こえてきたのは、覚悟を決めたような声音。
『……オレは、…………オレなら、諦めないかな。可能性がある限り、何度だってチャレンジする。可能性ってね、自分が諦めるまでは〇じゃないんだよ。もちろん、可能性が一パーセントだと仮定したら、それを叶えるのにはすっごい努力が必要だけど、叶えようって気持ちを自分が持ち続けて頑張れるか。まずはそこだって思ってる。……って言っても、これはオレがアイドルになりたいって思った時のことだから、おたよりをくれた人には当てはまらないかもしれないけどね』
『かの有名な漫画にも、諦めたらそこで試合終了という名言があります。願いを叶えようとひたむきなレディはこの世のなによりも美しい。彼もきっと、あなたのそんな姿を見ていてくれるでしょう』
『俺も知ってるよ、その漫画。……そうだね、簡単じゃないかもしれない。実際、断られちゃってるからね。俺としては、彼がこの先もきみの応援をしてくれるなら、まずは夢を叶えることを頑張ってほしい。その中で、きみも彼も、なにか変わるかもしれない。変わらないかもしれないけどね。とにかく、夢も恋愛も、焦っちゃだめだよ。さっきの陸くんじゃないけど、覚悟しとけよ! くらいの気持ちで!』
ははは、と笑いが起こる。一織はラジオのボリュームを下げ、大きな溜息をつく。
(覚悟しろ、ですか……)
この投稿に出てくる“彼”が自分のことであるとわかるのは、一織と陸だけ。まさかこんなふうに宣戦布告されるなんて。帰ってきたら反省会……なんて思っていたけれど、陸は確実に、この投稿について触れてくるだろう。なんてずるい手を使ってくれたんだ。
(こんなの、逃げようがない)
椅子の背もたれに体重をかけ、ぐっと背を伸ばす。ボリュームが小さくされたラジオは間もなくエンディング、投稿募集を促す言葉とIDOLiSH7の告知に入っている。彼が帰ってくるまであと一時間ほどしかない。三日前のあれで引くとはさすがに思っていなかったけれど、まさか一気に追い込まれるとは。つくづく予想外、さすがは嵐を巻き起こすIDOLiSH7のセンター。
陸を言葉で言いくるめることは簡単だ。一織のほうが頭の回転が速く、口も達者だから。しかし……と、一織はさきほどの陸の声を思い起こす。心に直接訴えかけてきて、彼を見る者、彼の声を聞く者は、彼を応援せずにはいられない。それは一織にも当てはまることで。
一時間後の自分は、白旗をあげることになるのだろう。その時に、彼はどんな反応を見せるのか。想像するだけで頬がゆるむ。三日前に彼を突っぱねたことを責められるだろうから、誠心誠意、彼に詫びよう。彼が好きだと言ってくれているはちみつ入りのホットミルクを用意して。
つくづく、自分は彼に弱いなと一織は思う。だって、彼が自分のことを熱を孕んだ目で見るようになる前から、一織は陸に夢中だったのだ。
『こんばんは、IDOLiSH7の七瀬陸と』
『ハロー! 六弥ナギです!』
初めこそ破天荒な番組だったが、半年以上経った今では、リスナーからの投稿をまともに読めるくらいには進歩していた。自分が十八歳だったら、彼と一緒にこの時間帯の仕事もできたのに……と一織は未だ、たった一つの年齢差を憎らしく思っている。まぁ、こうしてリスナー側になるというのも悪くはないけれど。
『さて、最初のおたより……の前に!』
『記念すべき初ゲストが素敵なレディでないのが心苦しいですが、スペシャルな方をお迎えしています』
『こら、ナギ』
あぁ、どんな表情をしているか目に浮かぶ。一織は、ふ……と頬をゆるめた。
『みなさん、こんばんは。TRIGGERの十龍之介です』
小さなブースに、陸とナギの拍手が響く。先週の放送終了間際に、爆弾を投げ込むように告知された、この番組初のゲスト。
『あらためまして……十さん、先月のライブではありがとうございました』
『二人ともお疲れさま。楽と天も一緒にここに来られたらよかったんだけど』
五ヶ月ほど前のMOP優勝で完全復活を遂げたTRIGGERは、テレビ番組への出演や雑誌の取材が徐々に増えてきている。先月開催されたIDOLiSH7・TRIGGER・Re:valeの三グループでのライブを経て、その勢いは留まるところを知らない。三人全員のスケジュールを押さえることはできなかったものの、龍之介だけなら……と、今回のゲスト出演が実現したのだ。
『Um...…呼びたいのはヤマヤマですが、このブースでは五人も詰め込めません』
『はは、確かに。でもまぁ、いつか、九条さんや八乙女さんも呼びたいよね!』
『二人とも、その前に自分のところのメンバーは呼ばなくていいの? 今回だって……記念すべき初のゲストが俺で、本当によかったのかなぁって思ってるよ』
恐縮する龍之介に、陸は「いいんです!」と力説する。
『うちのメンバーも呼べるなら呼びたいんですけど、十七歳組がいるでしょう? あの二人が番組に出られるようになった頃に、そうだな、たとえば週替わりとかで呼べたらなって』
十七歳組、という言葉に一織はどきりとする。これまでだって、番組内で二人がIDOLiSH7のメンバーに触れることは何度もあったのに。
『そっか。きみたちのところは本当に仲がいいし、ずいぶん賑やかになるだろうね』
『はい! 一織、環、十八になったら覚悟しとけよ!』
ははは……と笑いが起こる。名指しされて、今度こそ一織は頭を抱えた。
(公共の電波でこんなふうに呼びかけられるなんて)
まったく、恥ずかしい人だ。帰ってきたら少し言ってやらなければ。あまり身内の話をし過ぎないように、と。
『それでは、今度こそ最初のおたよりにいきたいと思います! これは……えっと、十さん読んでもらえますか?』
『俺? いいよ』
マイクの前で紙が動く音がする。次いで、心地よいバリトンが鼓膜を震わせた。
『――陸くんナギくんこんばんは、ゲストに十さんが来ると聞いていても立ってもいられず投稿することにしました。……はは、俺が来るからだって。ありがとう。――わたしは十さんの大ファンです。実は、十さんがゲスト出演する今日は、わたしの誕生日なんです。……すごいね、今日が誕生日だって。おめでとう!』
『おめでとう!』
『Congratulations!』
ぱちぱちと三人分の拍手。二、三秒して、龍之介が続きを読み上げる。
『――先月のライブで、初めてTRIGGERを生で見ることができて、心が震えました。ずっとずっと、画面越しでしか見られなかったTRIGGERと同じ空気を吸うことができて、TRIGGERはちゃんと現実なんだって思いました。二日間のライブのあと十さんのブログを読んで、泣いてしまいました。……あぁ、あれね。なんだか照れるな。でも嬉しい、ありがとう。――TRIGGERがデビューした時からずっとずっと十さんが大好きです。最初はTRIGGERのライバルだからと敬遠してたけど、TRIGGERと仲がいいと知ってIDOLiSH7の曲も聴くようになりました。今ではTRIGGERと同じくらい大好きです。ちなみにIDOLiSH7では一織くんと陸くんのコンビ推しです。……だって、嬉しいね、こういうの』
またもや出てきた自分の名前に、一織は瞠目する。今日はなにかと自分の名前が出てくる日だ。いちいち反応していては身がもたない。
『Um...このレディのハートはワタシには射抜けていませんでしたか』
『はは、でもナギくんは紳士的だから、この子のハートも射抜けるよ。――ライブから一ヶ月経って、もしかしたら夢だったんじゃないかというくらい、あの二日間のことを思い出そうとすると靄がかかったみたいになるんです。夢じゃなかった証拠に、チケットの半券やグッズがあるのに。早く円盤化してほしいです。……靄がかかったみたいっていうの、わかるなぁ。俺も、あの二日間は現実だったけど、まるで夢のような時間だった。会場に四万人、ライビュで二万人、それが二日間でしょ? 単純計算で、のべ十二万人か。それだけの人と時間を共有したのに、あの日のことを思い出すと視界がふわふわするよ』
『オレも、あれだけの人数の前で歌うのは初めてだったからかな……思い出せるけど、思い出そうとすると頭の中の視界がぼんやりと白いんですよね』
一織の心をとらえて離さない声。それに耳を傾けながら、ゆっくり目を閉じて、一ヶ月前を思い起こす。
(……確かに、夢のようだった)
きらきらと輝くペンライトの海。十二人の共演ライブは初めてだったにもかかわらず、光る海の色は美しく統率されていて。曲ごとに、それを歌うメンバーの色がきらめき、メンバー紹介や一人一人の挨拶の時には一色で埋め尽くされていた。皆、十二人ともを応援してくれているからこその色の変化だろう。思い出すと、未だに目の奥が熱くなる。RESTART POiNTERを歌う前、一織たちは衣装チェンジで慌ただしくしていたけれど、客席からの啜り泣くような声はしっかり聞こえていた。あの曲を発表した当時のことを振り返る映像がモニターに流れていたからだろう。
陸がセンターとして復帰したあの日。それを待ち望んでいたのは、間違いなく、一織自身だ。いつだって、誰よりも彼の歌声を信じ、焦がれている。先月のライブでもそれを思い出して、出番が迫っているというのに、胸がつかえそうなほど苦しくなった。だからまた、あの日と同じように、ステージ上で陸の方を振り返ってしまったのだ。
(私としたことが……一ヶ月も経つのに感傷的になっているなんて)
小さくかぶりを振って、ラジオのボリュームを一段階上げた。感傷に浸るあまり、数分ほど聴き逃してしまったらしい。あとから聴き返すことができるようにしてあるから、番組を終えて帰宅した陸に反省会を促すことはできる。出演していないメンバーの話は最低限に留めるように、と。これは陸とナギがリスナーからの投稿を読み上げる番組なのだから。
『次のおたよりです。――陸さんナギさんこんばんは。……こんばんは! ――私には悩みがあります。それは、好きな人のことです。……好きな人だって!』
反省会でもう一点挙げなければ。一文読むたびに感想を挟むあまり、本来の投稿内容がなかなか読み進められていない。これではリスナーがなにを言いたいのかわからないではないか。
『――彼は、私の夢を応援すると言ってくれています。私の夢は、人に笑顔を届けること、人を笑顔をさせることです。まだまだ頑張ってる途中で、たまにどうしたらいいかわからなくなる時があります。そんな時、好きな人はいつも手を差し伸べたり、背中を叩いたりしてくれます。こんなにも私に一生懸命になってくれる彼のこと、応援してくれてるだけだって自分自身にいくら言い聞かせても、好きにならずにはいられませんでした。だって、彼も私のことを好きなんだなって気付いたからです。そうじゃなかったら、私が幸せでいられるように自分が支えるなんて言葉、出てきません。でも、彼が言うには、今の私は恋愛をしてる場合じゃないみたいなんです。私は夢も恋愛も叶えたいから告白したけど、一緒にいる時間が多いからそう思い込んでるだけでしょうって、振られたんです。……え~、振られちゃったんだ……』
『Oh...ワタシなら、レディの愛の言葉を否定しませんよ』
『夢と恋愛の両立ができる環境かどうかは人それぞれだけど、好きな人から気持ちそのものを否定されるのはつらいだろうね』
陸の読み上げる内容にはっとする。
(なんだか、これは……)
三日前に陸から言われた言葉が今も耳に残っている。
「オレ、一織のこと好きだよ」
強い瞳で見つめられて、目を逸らさずにはいられなかった。
「なに言ってるんですか」
「なにって、告白してるんだけど」
胸の高鳴りに気付かれたくなくて、その場から離れようとしたのに腕を掴まれる。
「……あなたね、今それどころじゃないでしょう。アイドルですよ? だいたい、どうして私なんです」
視線を合わせてはならない。好きという言葉に動揺して、ひた隠しにしている自分の気持ちがあふれ出してしまいそうな今の表情を、陸に見られるわけにはいかない。一織は顔を背けたまま、吐き捨てるように言った。
「理由なんている? 好きだ。一緒にいて楽しくて嬉しくて、ここがどきどきする。そんなふうになるの、おまえにだけなんだよ」
「……なんですか、それ。おおかた、一緒にいる時間が多過ぎて、感情が誤作動を起こしてるんでしょう。七瀬さんをスーパースターにすると誓ったのは確かですし、それを反故にするつもりもありませんが、行動をともにし過ぎましたね」
「おまえ、本気で言ってる? オレのこと見る目、ばれてないと思ってる?」
掴まれた腕から、陸の体温が伝わってくる。彼の手の平は熱を帯びていて、自分に触れていることでの緊張感からかと思うと、一織の心は歓喜に震えた。……けれど。
「私が冗談を言うわけないでしょう。さぁ、この話は終わりです。明日は朝からロケでしょう? 夜更かしせず、早く寝てください」
一織の言葉に、腕を掴む力が一瞬だけ強くなったものの、すぐに離されてしまった。
「……わかった。おやすみ」
――まるで、自分たちのようだ。ラジオに耳を傾けながら、一織は三日前のやりとりを思い出していた。ラジオのスピーカー越しにかさり、と紙の音がしてから、陸が口を開く。聞こえてきたのは、覚悟を決めたような声音。
『……オレは、…………オレなら、諦めないかな。可能性がある限り、何度だってチャレンジする。可能性ってね、自分が諦めるまでは〇じゃないんだよ。もちろん、可能性が一パーセントだと仮定したら、それを叶えるのにはすっごい努力が必要だけど、叶えようって気持ちを自分が持ち続けて頑張れるか。まずはそこだって思ってる。……って言っても、これはオレがアイドルになりたいって思った時のことだから、おたよりをくれた人には当てはまらないかもしれないけどね』
『かの有名な漫画にも、諦めたらそこで試合終了という名言があります。願いを叶えようとひたむきなレディはこの世のなによりも美しい。彼もきっと、あなたのそんな姿を見ていてくれるでしょう』
『俺も知ってるよ、その漫画。……そうだね、簡単じゃないかもしれない。実際、断られちゃってるからね。俺としては、彼がこの先もきみの応援をしてくれるなら、まずは夢を叶えることを頑張ってほしい。その中で、きみも彼も、なにか変わるかもしれない。変わらないかもしれないけどね。とにかく、夢も恋愛も、焦っちゃだめだよ。さっきの陸くんじゃないけど、覚悟しとけよ! くらいの気持ちで!』
ははは、と笑いが起こる。一織はラジオのボリュームを下げ、大きな溜息をつく。
(覚悟しろ、ですか……)
この投稿に出てくる“彼”が自分のことであるとわかるのは、一織と陸だけ。まさかこんなふうに宣戦布告されるなんて。帰ってきたら反省会……なんて思っていたけれど、陸は確実に、この投稿について触れてくるだろう。なんてずるい手を使ってくれたんだ。
(こんなの、逃げようがない)
椅子の背もたれに体重をかけ、ぐっと背を伸ばす。ボリュームが小さくされたラジオは間もなくエンディング、投稿募集を促す言葉とIDOLiSH7の告知に入っている。彼が帰ってくるまであと一時間ほどしかない。三日前のあれで引くとはさすがに思っていなかったけれど、まさか一気に追い込まれるとは。つくづく予想外、さすがは嵐を巻き起こすIDOLiSH7のセンター。
陸を言葉で言いくるめることは簡単だ。一織のほうが頭の回転が速く、口も達者だから。しかし……と、一織はさきほどの陸の声を思い起こす。心に直接訴えかけてきて、彼を見る者、彼の声を聞く者は、彼を応援せずにはいられない。それは一織にも当てはまることで。
一時間後の自分は、白旗をあげることになるのだろう。その時に、彼はどんな反応を見せるのか。想像するだけで頬がゆるむ。三日前に彼を突っぱねたことを責められるだろうから、誠心誠意、彼に詫びよう。彼が好きだと言ってくれているはちみつ入りのホットミルクを用意して。
つくづく、自分は彼に弱いなと一織は思う。だって、彼が自分のことを熱を孕んだ目で見るようになる前から、一織は陸に夢中だったのだ。