夏祭り
「浴衣、着られたらよかったんだけどなぁ」
実際にはTシャツにデニムパンツ、足許はサンダルという、この季節ならいつもしているような格好。
「仕方ないでしょう、予定外なんですから」
実家を離れ、小鳥遊プロダクションの寮で生活するようになって、初めての夏。最近までこのあたりの地理に詳しくなかったから、地区の行事を知るのも初めてのこと。寮から一番近いコンビニエンスストアの通りにある交番前の掲示板にポスターがあったらしいのだが、一織も陸も、最近その付近をゆっくり歩く時間がなくて、気付いていなかった。
夏祭りの存在を知ったのは、昨日、事務所に蕎麦の配達に来た山村が万理と話していたのを、偶然、耳にしたからだ。
「まぁね。でも、だめって言われるかと思ってた」
本当は、断られると思っていた。昨日知った時点で誘わなかったのは、断られたらと思うとなかなか勇気が出なかったから。今日の仕事を終えて、あとは帰寮するだけという状態になって、陸は半ば勢いで誘ってみた。
明日も朝十時半から雑誌の撮影が入っているし、今日は二人とも複数の仕事をこなして疲れている。まだ知名度は高いと言えないものの、仮にもアイドルがふらふらと寄り道をするなんてと、一織はいやがりそうだ。一織の性格を考えれば、早く帰りましょうと言ってもおかしくない。それが、意外なことに、一時間程度ならと、陸の提案に乗ってくれたのだ。
「断ったほうがよかったですか」
「ううん! それは困る!」
浮かれた気分のまま、一歩踏み出して一織との距離を縮める。暑苦しいからくっつかないでと言われずに済んだのは、夕暮れ時で涼しいからか、それとも。
「眼鏡やマスクは外さないでくださいよ」
「わかってるって」
眼鏡の奥、陸への小言を続ける一織の表情に、呆れは感じられない。
(なんだかんだ言って、一織も楽しみにしてるんじゃん)
「あっ、なぁ、あれ! ナギが見たら喜びそう! お土産にしよう!」
陸の指差す先には『まじかる★ここな』のお面。ナギの部屋には、既に似たようなものがあったはず。そう思った一織が止める間もなく、陸はさっさと購入してしまった。
(また無駄遣いを……)
しかし、ナギの性格を考えれば、たとえ同じものを持っていたとしても、喜んで受け取ることだろう。彼は、自分たちのことを友人だと言って、大切にしてくれているから。
「一織にはこれ!」
はい、と手渡されたものを見て、一織は言葉を失った。
薄いプラスチックでできたそれは、露店の灯りを反射してつやつやと輝いている。つぶらな瞳……は、顔に着けた時の覗き穴部分がくり抜かれているものの、こちらに訴えかけてくるような表情だ。さすがは、ろっぷちゃん。お面になっても愛らしい。
「一織?」
「浮かれるのはいいですけど、あまり無駄遣いはしないでくださいよ」
溜息をついたものの、陸には、一織の声音に喜びの色が滲んでいるのを感じ取った。
(なんだかんだ言って、一織も浮かれてるんだ)
一織のことだ。本当は嬉しいくせになんて言ったら、恥ずかしがって、帰ると言い出しかねない。仕方ないから、言わないでおいてあげよう。
「それ、六弥さんに差し上げるんじゃなかったんですか」
ナギへの土産として買ったはずの『まじかる★ここな』のお面は、いつのまにか、陸が頭の横に着けている。
「だって、持ってたら買いものできないだろ」
きらきらと瞳を輝かせる陸の頭には愛らしい魔法少女の顔。一織には魔法少女のよさがよくわからないけれど、今だけは、かわいいかもしれないと思ってしまった。声に出しそうになって、咳払いをして誤魔化す。
「まだなにか買うつもりですか」
「え? りんご飴とー、たこ焼きとー、わたあめだろ。それから」
「そんなに買ったら夕食が入らないでしょう」
寮での食事が不要の場合は、前もって連絡することになっている。寄り道を一時間程度としたのも、あれこれ買い食いして満腹になり、寮での夕食が食べられなくなることを避けるため。食べたいものを挙げながら指折り数える陸の手を咄嗟に掴んだのは、それ以上挙げさせるわけにはいかなかったから。
それなのに、陸ときたら。
「えっと……、うん」
唇をきゅっと結んで、薄暗い人混みの中でもはっきりとわかるくらい、まなじりを赤く染めている。一体どうしたのだろうかと考え、自分が手を握ってしまったことが原因だということに少し経ってから気付いた。
「す、みません……」
変装しているとはいえ、周囲に人がいる中で手を握るなんて。
慌てて手を放すと、陸が「あ」と声を上げた。
(そんな、名残惜しそうな声を出さないで)
ほんの数秒、二人の間に、なんともいえない空気が流れる。気まずいというほどでもないが、いい雰囲気ともいいがたい。
沈黙が苦しい。
相手に対して抱いている感情は互いに同じで、気付いてもいる。気付いていて、どちらも、なにも言わない。
陸から仕事帰りの寄り道を提案され、一織がそれにのったのは、寄り道程度なら、この不安定な関係を変えてしまうようなことは起こらないと踏んだから。
そして、陸は、仕事帰りの寄り道でもなければ、二人きりでこんな甘い時間を過ごすなんてできないとわかっているから、なにかにつけて短時間の寄り道を提案してしまう。そうしていつも心の中で「デートみたいだ」と一人でどきどきしている。
でも、本当は、デートしよう! と誘いたい。一織のことだから、顔を真っ赤にするだろうけれど、首を縦に振ってもらいたい。
さきほど離れていったばかりの手を、今度は陸が追いかけて掴む。
「オレ、まだ一織と二人でいたい」
「七瀬さん……」
祭りは今日と明日の二日間。明日の仕事は午前中で終わって、午後はオフ。今日は一時間だけの寄り道、明日は寄り道なんかじゃなくて、デートにしたい。
実際にはTシャツにデニムパンツ、足許はサンダルという、この季節ならいつもしているような格好。
「仕方ないでしょう、予定外なんですから」
実家を離れ、小鳥遊プロダクションの寮で生活するようになって、初めての夏。最近までこのあたりの地理に詳しくなかったから、地区の行事を知るのも初めてのこと。寮から一番近いコンビニエンスストアの通りにある交番前の掲示板にポスターがあったらしいのだが、一織も陸も、最近その付近をゆっくり歩く時間がなくて、気付いていなかった。
夏祭りの存在を知ったのは、昨日、事務所に蕎麦の配達に来た山村が万理と話していたのを、偶然、耳にしたからだ。
「まぁね。でも、だめって言われるかと思ってた」
本当は、断られると思っていた。昨日知った時点で誘わなかったのは、断られたらと思うとなかなか勇気が出なかったから。今日の仕事を終えて、あとは帰寮するだけという状態になって、陸は半ば勢いで誘ってみた。
明日も朝十時半から雑誌の撮影が入っているし、今日は二人とも複数の仕事をこなして疲れている。まだ知名度は高いと言えないものの、仮にもアイドルがふらふらと寄り道をするなんてと、一織はいやがりそうだ。一織の性格を考えれば、早く帰りましょうと言ってもおかしくない。それが、意外なことに、一時間程度ならと、陸の提案に乗ってくれたのだ。
「断ったほうがよかったですか」
「ううん! それは困る!」
浮かれた気分のまま、一歩踏み出して一織との距離を縮める。暑苦しいからくっつかないでと言われずに済んだのは、夕暮れ時で涼しいからか、それとも。
「眼鏡やマスクは外さないでくださいよ」
「わかってるって」
眼鏡の奥、陸への小言を続ける一織の表情に、呆れは感じられない。
(なんだかんだ言って、一織も楽しみにしてるんじゃん)
「あっ、なぁ、あれ! ナギが見たら喜びそう! お土産にしよう!」
陸の指差す先には『まじかる★ここな』のお面。ナギの部屋には、既に似たようなものがあったはず。そう思った一織が止める間もなく、陸はさっさと購入してしまった。
(また無駄遣いを……)
しかし、ナギの性格を考えれば、たとえ同じものを持っていたとしても、喜んで受け取ることだろう。彼は、自分たちのことを友人だと言って、大切にしてくれているから。
「一織にはこれ!」
はい、と手渡されたものを見て、一織は言葉を失った。
薄いプラスチックでできたそれは、露店の灯りを反射してつやつやと輝いている。つぶらな瞳……は、顔に着けた時の覗き穴部分がくり抜かれているものの、こちらに訴えかけてくるような表情だ。さすがは、ろっぷちゃん。お面になっても愛らしい。
「一織?」
「浮かれるのはいいですけど、あまり無駄遣いはしないでくださいよ」
溜息をついたものの、陸には、一織の声音に喜びの色が滲んでいるのを感じ取った。
(なんだかんだ言って、一織も浮かれてるんだ)
一織のことだ。本当は嬉しいくせになんて言ったら、恥ずかしがって、帰ると言い出しかねない。仕方ないから、言わないでおいてあげよう。
「それ、六弥さんに差し上げるんじゃなかったんですか」
ナギへの土産として買ったはずの『まじかる★ここな』のお面は、いつのまにか、陸が頭の横に着けている。
「だって、持ってたら買いものできないだろ」
きらきらと瞳を輝かせる陸の頭には愛らしい魔法少女の顔。一織には魔法少女のよさがよくわからないけれど、今だけは、かわいいかもしれないと思ってしまった。声に出しそうになって、咳払いをして誤魔化す。
「まだなにか買うつもりですか」
「え? りんご飴とー、たこ焼きとー、わたあめだろ。それから」
「そんなに買ったら夕食が入らないでしょう」
寮での食事が不要の場合は、前もって連絡することになっている。寄り道を一時間程度としたのも、あれこれ買い食いして満腹になり、寮での夕食が食べられなくなることを避けるため。食べたいものを挙げながら指折り数える陸の手を咄嗟に掴んだのは、それ以上挙げさせるわけにはいかなかったから。
それなのに、陸ときたら。
「えっと……、うん」
唇をきゅっと結んで、薄暗い人混みの中でもはっきりとわかるくらい、まなじりを赤く染めている。一体どうしたのだろうかと考え、自分が手を握ってしまったことが原因だということに少し経ってから気付いた。
「す、みません……」
変装しているとはいえ、周囲に人がいる中で手を握るなんて。
慌てて手を放すと、陸が「あ」と声を上げた。
(そんな、名残惜しそうな声を出さないで)
ほんの数秒、二人の間に、なんともいえない空気が流れる。気まずいというほどでもないが、いい雰囲気ともいいがたい。
沈黙が苦しい。
相手に対して抱いている感情は互いに同じで、気付いてもいる。気付いていて、どちらも、なにも言わない。
陸から仕事帰りの寄り道を提案され、一織がそれにのったのは、寄り道程度なら、この不安定な関係を変えてしまうようなことは起こらないと踏んだから。
そして、陸は、仕事帰りの寄り道でもなければ、二人きりでこんな甘い時間を過ごすなんてできないとわかっているから、なにかにつけて短時間の寄り道を提案してしまう。そうしていつも心の中で「デートみたいだ」と一人でどきどきしている。
でも、本当は、デートしよう! と誘いたい。一織のことだから、顔を真っ赤にするだろうけれど、首を縦に振ってもらいたい。
さきほど離れていったばかりの手を、今度は陸が追いかけて掴む。
「オレ、まだ一織と二人でいたい」
「七瀬さん……」
祭りは今日と明日の二日間。明日の仕事は午前中で終わって、午後はオフ。今日は一時間だけの寄り道、明日は寄り道なんかじゃなくて、デートにしたい。