告白
無邪気な人間がこれほどまでに厄介だとは。
あともう少しすれば青年期と呼ばれる年齢の一織も、今はまだ思春期真っ只中。そんな時期に、憎からず思っている相手にこうも頻繁に笑顔を振り撒かれて、期待しないほうが難しいのではないだろうか。振り撒かれるのが笑顔だけならまだいい。
厄介なことに、その男は惜しみない愛情までも、頻繁に振り撒くのだ。
今だって、そう。一織はちらりと向かいに座る陸を見遣る。
「ありがと一織! 今日はちょっとぬるめにしてくれたんだな。一織のつくってくれるホットミルク、オレ、大好きだよ」
夏真っ盛りの暑い季節に熱いものを飲むのはつらいだろうと少しぬるめにつくった、はちみつ入りのホットミルク。そのホットミルクに対して、陸は赤いマグカップを両手で包むという愛らしいポーズに笑顔まで加えて、一織に「大好き」という言葉を放った。
屈託のない笑顔は、一織には毒でしかない。眩し過ぎる。
(好きといっても、私に対してではないのだから)
笑顔で「大好きだよ」なんて言われて、危うく勘違いするところだった。世間ではこういうのを童貞思考というのだろうか。童貞なのは事実だから放っておいてほしい。そもそも交際経験だってゼロだ。あぁ、自分で言っていてなんだか虚しくなってくる。――一織は小さくかぶりを振って、いわゆる〝童貞思考〟を必死で追い払う。
(それもこれも、この人のせいだ)
恨みがましく睨み付けると、視線に気付いた陸がこてんと首を傾げた。
「~~っ!」
いつだったか、ライブでモニターに抜かれたところでこてんと首を傾げていたことがあったらしい。ファンの歓声がひときわ大きくなっていた。自分も同じステージに立っていてパフォーマンスに必死だったから見ていないのだが、かわいかったに違いない。そもそも、この男は日頃からあまりにもかわ……いや、あざと過ぎる。それが許されるキャラだから、たちが悪い。いっそ腹が立ってくるくらいだ。
一織が心の中で恨みつらみを垂れ流していると、テーブルの向かい側で陸が肩を震わせて笑い出した。
「一織って、意外と表情豊かだよな」
一人で百面相しておもしろい、と言われる。
「したくてしているわけではありません。それ、飲んだら早く寝てくださいね」
「わかってるよ。一織こそ、眠いなら先に寝ろよな」
「眠くありませんから」
陸を待つ必要はないのに、わずかな二人きりの時間を一分でも長く過ごしたくて、いつも飲み終わるまで待ってしまう。用がなくても二人きりになれるような関係なら、こんな回りくどいことをしなくても済むだろうに。
「ふぅん。変なやつ」
変で結構。陸より先に飲み終えた一織は、空っぽになったネイビーのマグカップの底をぼんやりと眺めた。ほら、まっすぐに陸の顔を見ることすらできやしない。
(もしも……)
好きだと告げて、同じ気持ちを向けてもらうことができたとしたら。そうしたら、飲みものを用意したとか、明日の仕事の話があるとか、そんなもっともらしい用事をつくらなくても、二人きりになれるのだろうか。今みたいに、顔を見ることができないなどと落ち込むこともなく、思う存分、至近距離で見つめ合うことができるのだろうか。――こんなあり得ないことを考えてしまうのも、さっさと飲み終えてしまって、手持ち無沙汰になったからだ。
自分たちはアイドルで、同性で。それから、未成年で――
「そんな、……好き、なんて」
――告白をためらう理由なんていくらでもある。本当に、厄介な感情だ。
「なにが?」
陸の声に、はっと顔を上げる。いつの間にか、彼もホットミルクを飲み終えていたらしい。マグカップの持ち手で指先を遊ばせている。
いや、それよりも、今、まさか……声に出ていた?
「いえ、なんでも」
「なんでもってことはないだろ。なにが好きなんて……なんだよ」
どうしてそんなに食い付くんだろうと疑問に思うくらい、陸は腰を浮かして、一織のほうへと身を乗り出してきた。
「なんでも……」
「だから、なんでもなくないだろ!」
陸の食い付きように、一織は思わず押し黙ってしまう。
一織の気持ちには気付いていたものの、陸にとって、この作戦は賭けだった。
一織の隣で、出会った時からずっと見てきたからわかる。陸が単純に自分の気持ちを伝えるだけでは、たぶん、だめだ。色々な理由を挙げて、陸の気持ちすら聞かなかったことにしてやり過ごすに違いない。和泉一織とはそういう男だ。
好きだという言葉を意識してほしくて、一織の前でだけ、これが好き、あれが好き、と声に出して言うよう心がけた。陸自身、こんなに回りくどい真似は自分らしくないと思っている。それでも、好きという言葉を意識させたかった。
もっともっと意識して、好きという言葉に動揺して。思いきって自分も言ってみようかと悩んでほしい。その揺れたところを、隣で一織を見ている自分は、絶対に見逃さない自信があるから。
ただ、それでも、百パーセント成功するとは言いきれなかった。陸の思惑に気付かれたら、一織はそのよく回る頭と豊富な語彙で躱してしまうだろうから。
これは、一種の賭けだったのだ。
結果は……八割、いや、九割がた成功と言っていいだろう。案の定、今の一織は好きという二文字の言葉に激しく動揺している。
「なぁ、一織。おまえ、なにに対しての好きを我慢してるんだ?」
成功への残りの一割は、ここからのやりとりにかかっている。口喧嘩ではいつも陸が負けてしまうけれど、今だけは、負けるわけにはいかない。
「私は別に、我慢なんて」
「嘘、してる。してなかったら、好きなんて……って言葉出ないよ」
椅子から立ち上がり、一織の方へと歩み寄る。空になったマグカップを両手で握り締めたままの手。その指先に触れて、ゆっくりと解かせた。
「七瀬さ……」
行き先が天国でも地獄でも、隣にいると誓い合った相手だ。そんな相手が、プライベートでも自分と同じ気持ちでいるのだと察した以上、なんとしてでも捕まえたい。
自分たちはアイドルで、同性で。それから、未成年。――一織がこのあたりのことを気にしているのだろうということくらい、陸にもわかっている。陸も、同じことを考えたから。でも、この気持ちを諦めるつもりも、墓場まで持っていくつもりもない。
陸にはとうに覚悟ができている。だから、決定的な言葉は、陸からではなく、一織から言わせる必要があった。そのために、こうして、柄にもなく追い込むようなことをしたのだ。自分だって策士なのだと、一織に気付かせたい。気付いて、降参してほしい。
「言って。オレは絶対に逃げないし、いやがらない。大丈夫だから言って」
一織の瞳が揺れる。
「私、私は……」
あともう少しすれば青年期と呼ばれる年齢の一織も、今はまだ思春期真っ只中。そんな時期に、憎からず思っている相手にこうも頻繁に笑顔を振り撒かれて、期待しないほうが難しいのではないだろうか。振り撒かれるのが笑顔だけならまだいい。
厄介なことに、その男は惜しみない愛情までも、頻繁に振り撒くのだ。
今だって、そう。一織はちらりと向かいに座る陸を見遣る。
「ありがと一織! 今日はちょっとぬるめにしてくれたんだな。一織のつくってくれるホットミルク、オレ、大好きだよ」
夏真っ盛りの暑い季節に熱いものを飲むのはつらいだろうと少しぬるめにつくった、はちみつ入りのホットミルク。そのホットミルクに対して、陸は赤いマグカップを両手で包むという愛らしいポーズに笑顔まで加えて、一織に「大好き」という言葉を放った。
屈託のない笑顔は、一織には毒でしかない。眩し過ぎる。
(好きといっても、私に対してではないのだから)
笑顔で「大好きだよ」なんて言われて、危うく勘違いするところだった。世間ではこういうのを童貞思考というのだろうか。童貞なのは事実だから放っておいてほしい。そもそも交際経験だってゼロだ。あぁ、自分で言っていてなんだか虚しくなってくる。――一織は小さくかぶりを振って、いわゆる〝童貞思考〟を必死で追い払う。
(それもこれも、この人のせいだ)
恨みがましく睨み付けると、視線に気付いた陸がこてんと首を傾げた。
「~~っ!」
いつだったか、ライブでモニターに抜かれたところでこてんと首を傾げていたことがあったらしい。ファンの歓声がひときわ大きくなっていた。自分も同じステージに立っていてパフォーマンスに必死だったから見ていないのだが、かわいかったに違いない。そもそも、この男は日頃からあまりにもかわ……いや、あざと過ぎる。それが許されるキャラだから、たちが悪い。いっそ腹が立ってくるくらいだ。
一織が心の中で恨みつらみを垂れ流していると、テーブルの向かい側で陸が肩を震わせて笑い出した。
「一織って、意外と表情豊かだよな」
一人で百面相しておもしろい、と言われる。
「したくてしているわけではありません。それ、飲んだら早く寝てくださいね」
「わかってるよ。一織こそ、眠いなら先に寝ろよな」
「眠くありませんから」
陸を待つ必要はないのに、わずかな二人きりの時間を一分でも長く過ごしたくて、いつも飲み終わるまで待ってしまう。用がなくても二人きりになれるような関係なら、こんな回りくどいことをしなくても済むだろうに。
「ふぅん。変なやつ」
変で結構。陸より先に飲み終えた一織は、空っぽになったネイビーのマグカップの底をぼんやりと眺めた。ほら、まっすぐに陸の顔を見ることすらできやしない。
(もしも……)
好きだと告げて、同じ気持ちを向けてもらうことができたとしたら。そうしたら、飲みものを用意したとか、明日の仕事の話があるとか、そんなもっともらしい用事をつくらなくても、二人きりになれるのだろうか。今みたいに、顔を見ることができないなどと落ち込むこともなく、思う存分、至近距離で見つめ合うことができるのだろうか。――こんなあり得ないことを考えてしまうのも、さっさと飲み終えてしまって、手持ち無沙汰になったからだ。
自分たちはアイドルで、同性で。それから、未成年で――
「そんな、……好き、なんて」
――告白をためらう理由なんていくらでもある。本当に、厄介な感情だ。
「なにが?」
陸の声に、はっと顔を上げる。いつの間にか、彼もホットミルクを飲み終えていたらしい。マグカップの持ち手で指先を遊ばせている。
いや、それよりも、今、まさか……声に出ていた?
「いえ、なんでも」
「なんでもってことはないだろ。なにが好きなんて……なんだよ」
どうしてそんなに食い付くんだろうと疑問に思うくらい、陸は腰を浮かして、一織のほうへと身を乗り出してきた。
「なんでも……」
「だから、なんでもなくないだろ!」
陸の食い付きように、一織は思わず押し黙ってしまう。
一織の気持ちには気付いていたものの、陸にとって、この作戦は賭けだった。
一織の隣で、出会った時からずっと見てきたからわかる。陸が単純に自分の気持ちを伝えるだけでは、たぶん、だめだ。色々な理由を挙げて、陸の気持ちすら聞かなかったことにしてやり過ごすに違いない。和泉一織とはそういう男だ。
好きだという言葉を意識してほしくて、一織の前でだけ、これが好き、あれが好き、と声に出して言うよう心がけた。陸自身、こんなに回りくどい真似は自分らしくないと思っている。それでも、好きという言葉を意識させたかった。
もっともっと意識して、好きという言葉に動揺して。思いきって自分も言ってみようかと悩んでほしい。その揺れたところを、隣で一織を見ている自分は、絶対に見逃さない自信があるから。
ただ、それでも、百パーセント成功するとは言いきれなかった。陸の思惑に気付かれたら、一織はそのよく回る頭と豊富な語彙で躱してしまうだろうから。
これは、一種の賭けだったのだ。
結果は……八割、いや、九割がた成功と言っていいだろう。案の定、今の一織は好きという二文字の言葉に激しく動揺している。
「なぁ、一織。おまえ、なにに対しての好きを我慢してるんだ?」
成功への残りの一割は、ここからのやりとりにかかっている。口喧嘩ではいつも陸が負けてしまうけれど、今だけは、負けるわけにはいかない。
「私は別に、我慢なんて」
「嘘、してる。してなかったら、好きなんて……って言葉出ないよ」
椅子から立ち上がり、一織の方へと歩み寄る。空になったマグカップを両手で握り締めたままの手。その指先に触れて、ゆっくりと解かせた。
「七瀬さ……」
行き先が天国でも地獄でも、隣にいると誓い合った相手だ。そんな相手が、プライベートでも自分と同じ気持ちでいるのだと察した以上、なんとしてでも捕まえたい。
自分たちはアイドルで、同性で。それから、未成年。――一織がこのあたりのことを気にしているのだろうということくらい、陸にもわかっている。陸も、同じことを考えたから。でも、この気持ちを諦めるつもりも、墓場まで持っていくつもりもない。
陸にはとうに覚悟ができている。だから、決定的な言葉は、陸からではなく、一織から言わせる必要があった。そのために、こうして、柄にもなく追い込むようなことをしたのだ。自分だって策士なのだと、一織に気付かせたい。気付いて、降参してほしい。
「言って。オレは絶対に逃げないし、いやがらない。大丈夫だから言って」
一織の瞳が揺れる。
「私、私は……」