お誘い
壮五の好きな音楽ジャンルはロックだ。ジャズもいいな、と思う。
音楽の世界に、ジャンルによる上下関係は存在してはならない。日頃、自分が触れないジャンルの音楽でも、食わず嫌いは避けたい。特に壮五は、これから作曲にどんどん挑戦したいと考えているのだから。さまざまな音楽に触れることで視野を広げたいものだ。
(よく考えたら、ラップには触れてこなかったな)
さきほどから壮五が再生しているのは、TRIGGERのファンなら購入必須と言われたブルーレイの特装限定版。特装限定版にのみ収録されている特典映像は、TRIGGERの三人によるオーディオコメンタリー。その中で、短いながらも天がラップを披露したのだ。
わずかワンフレーズのリリックが、壮五には天啓のように思われた。
壮五はそれを何度も再生しながら、パソコンでラップについて調べる。そういえば、少し前に、朝の情報番組で「ラップが流行していて、新橋ではサラリーマンがラップバトルをしている」というものを見かけた。動画投稿サイトを探せば、新橋でのラップバトルが撮影された動画も見つかることだろう。あぁ、知的好奇心が刺激されてたまらない。
「つーか、おんなじの三枚も買ってんの? なんで?」
「当然じゃないか。ナギくんに聞いてごらん。彼も、ここなさんの商品は複数購入を基本としているだろう? 観賞用・保存用・布教用。信者としての複数購入は、リアルタイム視聴をすること以上に重要なタスクなんだよ」
「……そーかよ」
多分、これはなにを言っても無駄だ。環は諦めた表情で壮五を見遣る。
(きちょーなオフなのに)
二人とも他に用事もないという絶好のいちゃいちゃチャンスなのに、壮五ときたら昨日購入したTRIGGERのブルーレイに夢中。環はというと、壮五の部屋のベッドの上で、自室から連れてきた王様プリンのぬいぐるみに構ってもらっているありさまだ。部屋デートをするつもりでここに来たのに、どうしてこんなことに。
「やっぱりすごいよ、TRIGGERは! 特に九条さん、今までに見たこともない顔を見せてくださっている! なんというファンサービス精神なんだろう!」
感嘆を禁じ得ない。感謝の気持ちを表明するため、もう数枚、円盤を積んだほうがいいのではないだろうか。……いや、これは特装限定版でしか拝めないのだから、自分が追加購入すると世の流通量が減少してしまう。それは、まだこの映像を見ていない層が彼らのよさを知る機会を不当に奪うことになるのでは?
(新規ファンのためにも、追加購入はやめておこう)
将来、自分がこの世を去る日がきたら、このブルーレイを棺に入れてもらいたい。なんとかして遺言に記さなければ。あぁ、TRIGGERにもっと振り込ませてほしい。
ブルーレイディスクは素材上、棺に入れてはならないものに該当するのだが、今の壮五にはそこまで考える余裕がない。菫色の瞳を輝かせながら、ぶつぶつと呟いている。
(きらきらしちゃって、まぁ……)
好きなものを見ている時の壮五はきらきらしていて、それはもう、とてつもなくかわいい。正直、どんな時でも壮五の一番でいたい環としてはおもしろくないのだが、壮五がかわいいから、つい、許してしまう。あぁ、これが惚れた弱みというやつか。
ブルーレイは昨日購入したばかりだとわかっているから、見終えるのを待ってやるくらいの余裕は見せたい。それがカレシの器というものだと環は自分に言い聞かせる。
(まぁ、あと五分くらいで終わるし)
それさえ終われば、念願のいちゃいちゃタイム。夕方まで寮には他に誰もいないから、エッチしたいなぁなんてことも、環は考えてしまう。
興奮で頬を上気させている壮五の横顔を盗み見ながら、数日前の情事を思い出して、環はもぞりと身じろいだ。早くもその気になっていることを知られたくなくて、王様プリンのぬいぐるみに顔を埋める。
(そーちゃーん、早くー……)
◇
しかし、そんな環の期待もむなしく。
「あぁ、今のシーンをもう一回……いや、あと九回は見たい」
「はぁっ? あんた、いい加減にしろよ!」
思わず、王様プリンのぬいぐるみを放ってしまった。あとでごめんなさいをしよう。
「えっ、だって」
だってと言いながらも、壮五はリモコンを放す気がないようだ。
「だってもくそもねえ! あんた、カレシが部屋に来てんのにほったらかしってどういうつもりだよ!」
壮五はその叫び声に、なぜか、ぶわりと顔を赤らめた。
「……は? いや、あんた意味わかんねえ……」
声の大きさに驚くか、叱られたことに顔を青ざめるか、もしくは「TRIGGERの映像を見るのは礼拝をするも同然なのに、そんな言い方はないだろう!」と言い返してくるか。
予想される反応はこの三パターン。最後のひとつ、環にとっては礼拝ではないが、壮五ならそれくらい言いそうだから、候補に加えておいた。それなのに、この反応はなんだ。
壮五が顔を赤らめたまま、じわりじわりと時間が経過していく。巻き戻してまでもう一度見たいと言っていた特典映像はそのまま終盤を迎え、TRIGGERの三人が最後の挨拶をしてしまった。あと九回は見たいんじゃなかったのか。
「……そーちゃん?」
元々、壮五に招かれてこの部屋に来たのではなく、環の意志でここを訪れた。壮五が映像の中のTRIGGERに夢中であることに拗ねることはあっても、叫ぶのはやり過ぎたかもしれない。
黙ったままの壮五を不審に思い、隣に座る。映像は完全に終了して、テレビ画面は真っ暗になってしまった。鏡のように、自分たちの姿が映っている。
壮五の肩に手を伸ばしても、逃げる様子はない。そのまま手に力を込めて、壮五の身体を引き寄せる。やはり抵抗することはなく、そのまま、環の腕の中に倒れ込んできた。頬に当たるふわふわの髪がくすぐったい。
「……なぁ、なに恥ずかしがってんの」
頬に手を滑らせると、菫色の瞳が揺らめく。
(あーあ、かわいい顔しちゃって)
そのまま顎をすくい上げ、顔を覗き込んだ。いたたまれないのか、視線をうろうろと彷徨わせている。
「……だって、彼氏、とか言うから」
今更そんなことで照れるのか。自分たちはもっとすごいことだってしているのに、このかわいい恋人は、いつまで経っても慣れないようだ。どちらが年上なんだか。
「カレシじゃん。それとも違った? オフの日に、二人っきり。いつまでもほったらかしにされたらさみしいんだけど」
「ごめん……。本当は僕だって、きみと過ごしたいのに、どう言ったらいいか」
誘い方がわからない? いや、彼の性格を考えれば、自分から誘って、はしたないと思われることを恐れているといったところだろう。
「しょーがねえな。俺専用の誘い方のお手本、見せてやんよ」
環が指先で唇をなぞると、この先の行為を予測してか、瞼がそっと閉じられる。この表情だけでじゅうぶん誘っているというのに、本人にその自覚はないらしい。
たちの悪い大人。引っかかったのは自分だ。
皆が帰ってくるまであと一時間半。見逃したブルーレイのラストは後日、環が学校に行っている間にでも見てもらうことにしよう。
音楽の世界に、ジャンルによる上下関係は存在してはならない。日頃、自分が触れないジャンルの音楽でも、食わず嫌いは避けたい。特に壮五は、これから作曲にどんどん挑戦したいと考えているのだから。さまざまな音楽に触れることで視野を広げたいものだ。
(よく考えたら、ラップには触れてこなかったな)
さきほどから壮五が再生しているのは、TRIGGERのファンなら購入必須と言われたブルーレイの特装限定版。特装限定版にのみ収録されている特典映像は、TRIGGERの三人によるオーディオコメンタリー。その中で、短いながらも天がラップを披露したのだ。
わずかワンフレーズのリリックが、壮五には天啓のように思われた。
壮五はそれを何度も再生しながら、パソコンでラップについて調べる。そういえば、少し前に、朝の情報番組で「ラップが流行していて、新橋ではサラリーマンがラップバトルをしている」というものを見かけた。動画投稿サイトを探せば、新橋でのラップバトルが撮影された動画も見つかることだろう。あぁ、知的好奇心が刺激されてたまらない。
「つーか、おんなじの三枚も買ってんの? なんで?」
「当然じゃないか。ナギくんに聞いてごらん。彼も、ここなさんの商品は複数購入を基本としているだろう? 観賞用・保存用・布教用。信者としての複数購入は、リアルタイム視聴をすること以上に重要なタスクなんだよ」
「……そーかよ」
多分、これはなにを言っても無駄だ。環は諦めた表情で壮五を見遣る。
(きちょーなオフなのに)
二人とも他に用事もないという絶好のいちゃいちゃチャンスなのに、壮五ときたら昨日購入したTRIGGERのブルーレイに夢中。環はというと、壮五の部屋のベッドの上で、自室から連れてきた王様プリンのぬいぐるみに構ってもらっているありさまだ。部屋デートをするつもりでここに来たのに、どうしてこんなことに。
「やっぱりすごいよ、TRIGGERは! 特に九条さん、今までに見たこともない顔を見せてくださっている! なんというファンサービス精神なんだろう!」
感嘆を禁じ得ない。感謝の気持ちを表明するため、もう数枚、円盤を積んだほうがいいのではないだろうか。……いや、これは特装限定版でしか拝めないのだから、自分が追加購入すると世の流通量が減少してしまう。それは、まだこの映像を見ていない層が彼らのよさを知る機会を不当に奪うことになるのでは?
(新規ファンのためにも、追加購入はやめておこう)
将来、自分がこの世を去る日がきたら、このブルーレイを棺に入れてもらいたい。なんとかして遺言に記さなければ。あぁ、TRIGGERにもっと振り込ませてほしい。
ブルーレイディスクは素材上、棺に入れてはならないものに該当するのだが、今の壮五にはそこまで考える余裕がない。菫色の瞳を輝かせながら、ぶつぶつと呟いている。
(きらきらしちゃって、まぁ……)
好きなものを見ている時の壮五はきらきらしていて、それはもう、とてつもなくかわいい。正直、どんな時でも壮五の一番でいたい環としてはおもしろくないのだが、壮五がかわいいから、つい、許してしまう。あぁ、これが惚れた弱みというやつか。
ブルーレイは昨日購入したばかりだとわかっているから、見終えるのを待ってやるくらいの余裕は見せたい。それがカレシの器というものだと環は自分に言い聞かせる。
(まぁ、あと五分くらいで終わるし)
それさえ終われば、念願のいちゃいちゃタイム。夕方まで寮には他に誰もいないから、エッチしたいなぁなんてことも、環は考えてしまう。
興奮で頬を上気させている壮五の横顔を盗み見ながら、数日前の情事を思い出して、環はもぞりと身じろいだ。早くもその気になっていることを知られたくなくて、王様プリンのぬいぐるみに顔を埋める。
(そーちゃーん、早くー……)
◇
しかし、そんな環の期待もむなしく。
「あぁ、今のシーンをもう一回……いや、あと九回は見たい」
「はぁっ? あんた、いい加減にしろよ!」
思わず、王様プリンのぬいぐるみを放ってしまった。あとでごめんなさいをしよう。
「えっ、だって」
だってと言いながらも、壮五はリモコンを放す気がないようだ。
「だってもくそもねえ! あんた、カレシが部屋に来てんのにほったらかしってどういうつもりだよ!」
壮五はその叫び声に、なぜか、ぶわりと顔を赤らめた。
「……は? いや、あんた意味わかんねえ……」
声の大きさに驚くか、叱られたことに顔を青ざめるか、もしくは「TRIGGERの映像を見るのは礼拝をするも同然なのに、そんな言い方はないだろう!」と言い返してくるか。
予想される反応はこの三パターン。最後のひとつ、環にとっては礼拝ではないが、壮五ならそれくらい言いそうだから、候補に加えておいた。それなのに、この反応はなんだ。
壮五が顔を赤らめたまま、じわりじわりと時間が経過していく。巻き戻してまでもう一度見たいと言っていた特典映像はそのまま終盤を迎え、TRIGGERの三人が最後の挨拶をしてしまった。あと九回は見たいんじゃなかったのか。
「……そーちゃん?」
元々、壮五に招かれてこの部屋に来たのではなく、環の意志でここを訪れた。壮五が映像の中のTRIGGERに夢中であることに拗ねることはあっても、叫ぶのはやり過ぎたかもしれない。
黙ったままの壮五を不審に思い、隣に座る。映像は完全に終了して、テレビ画面は真っ暗になってしまった。鏡のように、自分たちの姿が映っている。
壮五の肩に手を伸ばしても、逃げる様子はない。そのまま手に力を込めて、壮五の身体を引き寄せる。やはり抵抗することはなく、そのまま、環の腕の中に倒れ込んできた。頬に当たるふわふわの髪がくすぐったい。
「……なぁ、なに恥ずかしがってんの」
頬に手を滑らせると、菫色の瞳が揺らめく。
(あーあ、かわいい顔しちゃって)
そのまま顎をすくい上げ、顔を覗き込んだ。いたたまれないのか、視線をうろうろと彷徨わせている。
「……だって、彼氏、とか言うから」
今更そんなことで照れるのか。自分たちはもっとすごいことだってしているのに、このかわいい恋人は、いつまで経っても慣れないようだ。どちらが年上なんだか。
「カレシじゃん。それとも違った? オフの日に、二人っきり。いつまでもほったらかしにされたらさみしいんだけど」
「ごめん……。本当は僕だって、きみと過ごしたいのに、どう言ったらいいか」
誘い方がわからない? いや、彼の性格を考えれば、自分から誘って、はしたないと思われることを恐れているといったところだろう。
「しょーがねえな。俺専用の誘い方のお手本、見せてやんよ」
環が指先で唇をなぞると、この先の行為を予測してか、瞼がそっと閉じられる。この表情だけでじゅうぶん誘っているというのに、本人にその自覚はないらしい。
たちの悪い大人。引っかかったのは自分だ。
皆が帰ってくるまであと一時間半。見逃したブルーレイのラストは後日、環が学校に行っている間にでも見てもらうことにしよう。