恋人の日
いわゆる〝お付き合い〟というものを始めて、そろそろ二ヵ月半。湿気大国のこの国でもっともじめじめした季節がやってきた。半袖のシャツを着ていても不快指数は一向に下がらず、外気にさらされた腕がじっとりと濡れて、いらいらする。
それでも、恋人になった記念のものがほしかったから、青春の代名詞ともいえる放課後を、プレゼント選びのための寄り道に充てることにした。
みっつ年上の彼はたいへん育ちのいい男で、身に着けているものは基本的に上等なものだ。……と、以前、大和が言っていっていた。本人から聞いたわけではないが、実家で暮らしていた頃は逢坂家に――というか、彼の父親に――媚を売りたい者たちから、希少価値の高いものを与えられていたに違いない。贈答品に関してはかなり目が肥えているだろう。実家を飛び出してしばらくの間、公園で野宿をしたり、友人の家で清貧生活を送っていたりといった時期があるとはいえ、ちゃちなプレゼントではだめな気がする。
王様プリンひとつで嬉しくなる環と違って、壮五に食べものを贈って喜んでもらうのは至難の業だ。
(そーちゃんの好きなもの……からいもの……)
見ているだけで目が痛くなるような真っ赤っかな調味料? それはそれで喜んでくれるだろうが、ムードがなさ過ぎる。恋人になった記念で香辛料を贈って、果たして、ロマンチックな展開になるか? 絶対にならない。王様プリンを五個賭けてもいい。
小さな頃は悪ふざけてスカートめくりなんてしたこともあったけれど、ちょっと前まで恋愛なんて興味がなかった。言い寄ってくる女も、別に本気で環を好いているわけではなく、単に、見た目のいい男と出かけたり写真を撮ったりしたいだけだとわかっていた。
そんな自分が、まさか、恋をするなんて。しかも、相手は、絶対に気が合わないと思っていた相方。世の中、なにがあるかわからない。
壮五は優しいから、彼があまり好まない甘いものを差し出しても、普通に喜んでくれるとは思う。少し眉を下げて「ありがとう」と言って、ゆっくり食べてくれるだろう。そういう顔もいいけれど、花が咲いたような笑顔が見たい。大好きな音楽に興奮してはしゃいでいる時のような、少し子どもっぽい笑顔が見たい。散々はしゃいでから我に返って照れる顔もさせたい。
そんなことを考えていたら、早く顔が見たくなって、寄り道はやめた。サプライズの成功を確信できるほどの恋愛スキルもなければ、恋人としての壮五についての知識も、まだまだたりない。
◇
「おかえり、環くん。ただいま」
帰ってきたのは環のほうがやや早く、部屋でゲームをしていたのだが、壮五はいつもこうして、ただいまとおかえりなさいの両方をくれる。
「ただいま。おかえりなさい」
だから、環も両方を返す。施設の人たちは〝施設の人〟として優しかったし、ここのメンバーも優しいけれど、壮五がくれる言葉は特別だ。大好きな、初めての気持ちを分かち合う人だから。
湿気でひたひたになって気持ち悪かった肌も、壮五が帰ってくるまでにさっとシャワーで流しておいてよかった。好きな人の前ではいつだって格好いい男でありたい。
「え、待って、ちょっと」
「やだ」
薄手の長袖シャツを着た壮五の腕が、布越しでもわかるくらいひんやりしている。よく見れば、ふわふわの髪も湿気でへたって、トレードマークともいえるてっぺんの双葉もぺたんこだ。
「困るよ、汗、かいてるのに」
「俺は困んない」
少しでも早く壮五の顔を見たくて寄り道を中断したんだから、たくさんたくさん充電して、それとなく、彼への贈りもののヒントを得たい。
交際からまだ二ヵ月半。環は、この気持ちを分かち合うのは壮五だけにすると決めている。もしかしたら、恋愛の酸いも甘いも知り尽くした大人たちは「恋を知ったばかりの十七歳の子どもがなにを言っているんだ」と笑うかもしれないが、これは四葉環と逢坂壮五のことだから、誰にどう笑われたって関係ない。……誰も、このことを知らないし。
「……どうしたの。なにか、困ったことでもあった?」
壮五は非力な男ではないから、掴まれた腕を振り解こうと思えば簡単にできるのに、それをしない。隣に腰掛けて、小さな駄々をこねる環の言葉をじっと待ってくれている。
「別に。……早く、そーちゃんの顔見たいなって、そわそわしてたから」
「待たせちゃったかな」
無言で首を振る。
確かに、帰宅したのは環が先だから、待ったといえば待ったけれど、壮五へのプレゼントを考えて思い悩んだり、格好いい状態で出迎えられるようにとシャワーを浴びたりしていたから、さみしくなかった。なにより、帰宅してすぐこうして顔を出してくれたわけだし。
「そーちゃんのこと好きで、そーちゃんも好きでいてくれるのが、すっげえ嬉しくて、最近、ありがとうって気持ちがぶわーってなること多い……から、そういう嬉しい気持ちみたいなの、かたちにして渡せたらって。今日の帰り、ちょっと探そうって思ったけど、なににしたらいいかわかんなくて。俺、こういうの初めてだし。……そんで、どうしようかなって考えてたら、わかんないことぐちゃぐちゃ考えるより、顔見たいなって、寄り道やめた」
「やめたんだ」
「うん。……なんか格好悪いな、俺」
プレゼントを決めるまで内緒にするつもりだったのに話してしまった。
「環くんはいつだって格好いいよ。僕が保証する。それにね、そんなふうにたくさん考えてくれたっていうだけで、かたちあるものをもらうより、すごく嬉しい。もちろん、環くんが僕のために悩みに悩んでなにかをくれたら、それがどんなものでも、僕は嬉しい」
「なんでもはさすがにねえだろ」
「あるよ。環くんは、僕が困るようなものは持ってこないってわかるから。ちゃんと僕を見て、僕のために、選んでくれるって、信頼してる」
その言葉に、環の予想どおり、壮五は――逢坂家に取り入ろうとする者たちから――希少価値が高いだけで、もらっても困るようなものを与えられてきたのだとわかった。
「そっか……そうだよな」
「ただ、もし、わがままを言っていいなら」
環が掴んでいないほうの腕、左手の薬指のつけ根に、壮五は自分でくちづける。まるで蝶が蜜を吸いに花にとまったみたいに、きれいだと思った。
「ここ、ずっと空けておくから、環くんが大人になったら……なんて、重いよね」
「……重く、ない。重くねえよ。絶対絶対、ここ、俺のだから!」
汗をかいているから待ってほしいと言っていたのも忘れて、壮五を抱き締めた体勢のまま、二人でベッドに倒れ込んだ。
それでも、恋人になった記念のものがほしかったから、青春の代名詞ともいえる放課後を、プレゼント選びのための寄り道に充てることにした。
みっつ年上の彼はたいへん育ちのいい男で、身に着けているものは基本的に上等なものだ。……と、以前、大和が言っていっていた。本人から聞いたわけではないが、実家で暮らしていた頃は逢坂家に――というか、彼の父親に――媚を売りたい者たちから、希少価値の高いものを与えられていたに違いない。贈答品に関してはかなり目が肥えているだろう。実家を飛び出してしばらくの間、公園で野宿をしたり、友人の家で清貧生活を送っていたりといった時期があるとはいえ、ちゃちなプレゼントではだめな気がする。
王様プリンひとつで嬉しくなる環と違って、壮五に食べものを贈って喜んでもらうのは至難の業だ。
(そーちゃんの好きなもの……からいもの……)
見ているだけで目が痛くなるような真っ赤っかな調味料? それはそれで喜んでくれるだろうが、ムードがなさ過ぎる。恋人になった記念で香辛料を贈って、果たして、ロマンチックな展開になるか? 絶対にならない。王様プリンを五個賭けてもいい。
小さな頃は悪ふざけてスカートめくりなんてしたこともあったけれど、ちょっと前まで恋愛なんて興味がなかった。言い寄ってくる女も、別に本気で環を好いているわけではなく、単に、見た目のいい男と出かけたり写真を撮ったりしたいだけだとわかっていた。
そんな自分が、まさか、恋をするなんて。しかも、相手は、絶対に気が合わないと思っていた相方。世の中、なにがあるかわからない。
壮五は優しいから、彼があまり好まない甘いものを差し出しても、普通に喜んでくれるとは思う。少し眉を下げて「ありがとう」と言って、ゆっくり食べてくれるだろう。そういう顔もいいけれど、花が咲いたような笑顔が見たい。大好きな音楽に興奮してはしゃいでいる時のような、少し子どもっぽい笑顔が見たい。散々はしゃいでから我に返って照れる顔もさせたい。
そんなことを考えていたら、早く顔が見たくなって、寄り道はやめた。サプライズの成功を確信できるほどの恋愛スキルもなければ、恋人としての壮五についての知識も、まだまだたりない。
◇
「おかえり、環くん。ただいま」
帰ってきたのは環のほうがやや早く、部屋でゲームをしていたのだが、壮五はいつもこうして、ただいまとおかえりなさいの両方をくれる。
「ただいま。おかえりなさい」
だから、環も両方を返す。施設の人たちは〝施設の人〟として優しかったし、ここのメンバーも優しいけれど、壮五がくれる言葉は特別だ。大好きな、初めての気持ちを分かち合う人だから。
湿気でひたひたになって気持ち悪かった肌も、壮五が帰ってくるまでにさっとシャワーで流しておいてよかった。好きな人の前ではいつだって格好いい男でありたい。
「え、待って、ちょっと」
「やだ」
薄手の長袖シャツを着た壮五の腕が、布越しでもわかるくらいひんやりしている。よく見れば、ふわふわの髪も湿気でへたって、トレードマークともいえるてっぺんの双葉もぺたんこだ。
「困るよ、汗、かいてるのに」
「俺は困んない」
少しでも早く壮五の顔を見たくて寄り道を中断したんだから、たくさんたくさん充電して、それとなく、彼への贈りもののヒントを得たい。
交際からまだ二ヵ月半。環は、この気持ちを分かち合うのは壮五だけにすると決めている。もしかしたら、恋愛の酸いも甘いも知り尽くした大人たちは「恋を知ったばかりの十七歳の子どもがなにを言っているんだ」と笑うかもしれないが、これは四葉環と逢坂壮五のことだから、誰にどう笑われたって関係ない。……誰も、このことを知らないし。
「……どうしたの。なにか、困ったことでもあった?」
壮五は非力な男ではないから、掴まれた腕を振り解こうと思えば簡単にできるのに、それをしない。隣に腰掛けて、小さな駄々をこねる環の言葉をじっと待ってくれている。
「別に。……早く、そーちゃんの顔見たいなって、そわそわしてたから」
「待たせちゃったかな」
無言で首を振る。
確かに、帰宅したのは環が先だから、待ったといえば待ったけれど、壮五へのプレゼントを考えて思い悩んだり、格好いい状態で出迎えられるようにとシャワーを浴びたりしていたから、さみしくなかった。なにより、帰宅してすぐこうして顔を出してくれたわけだし。
「そーちゃんのこと好きで、そーちゃんも好きでいてくれるのが、すっげえ嬉しくて、最近、ありがとうって気持ちがぶわーってなること多い……から、そういう嬉しい気持ちみたいなの、かたちにして渡せたらって。今日の帰り、ちょっと探そうって思ったけど、なににしたらいいかわかんなくて。俺、こういうの初めてだし。……そんで、どうしようかなって考えてたら、わかんないことぐちゃぐちゃ考えるより、顔見たいなって、寄り道やめた」
「やめたんだ」
「うん。……なんか格好悪いな、俺」
プレゼントを決めるまで内緒にするつもりだったのに話してしまった。
「環くんはいつだって格好いいよ。僕が保証する。それにね、そんなふうにたくさん考えてくれたっていうだけで、かたちあるものをもらうより、すごく嬉しい。もちろん、環くんが僕のために悩みに悩んでなにかをくれたら、それがどんなものでも、僕は嬉しい」
「なんでもはさすがにねえだろ」
「あるよ。環くんは、僕が困るようなものは持ってこないってわかるから。ちゃんと僕を見て、僕のために、選んでくれるって、信頼してる」
その言葉に、環の予想どおり、壮五は――逢坂家に取り入ろうとする者たちから――希少価値が高いだけで、もらっても困るようなものを与えられてきたのだとわかった。
「そっか……そうだよな」
「ただ、もし、わがままを言っていいなら」
環が掴んでいないほうの腕、左手の薬指のつけ根に、壮五は自分でくちづける。まるで蝶が蜜を吸いに花にとまったみたいに、きれいだと思った。
「ここ、ずっと空けておくから、環くんが大人になったら……なんて、重いよね」
「……重く、ない。重くねえよ。絶対絶対、ここ、俺のだから!」
汗をかいているから待ってほしいと言っていたのも忘れて、壮五を抱き締めた体勢のまま、二人でベッドに倒れ込んだ。