ハグの効果
「なーいおりん」
「さっき五分休憩したばかりですよ。あと三十分は辛抱してください。あぁそこ、その公式じゃありません」
ノートに走らせていたペンを止め、環は唇を尖らせる。
「ちげえし。聞けって。あのさ、……」
なにかを言い淀む環に、一織は焦れた。
「なんです。……少しだけなら聞きますから、さっさと言ってください。集中できないからといつまでも居残るのは時間の無駄です」
「あのさ、ふわっふわのやつハグした時に」
「ふ、ふわふわ?」
それまで話に興味がなさそうだった一織ががばりと顔を上げる。ふわふわ……ふわふわのなにかをハグ。……IDOLiSH7のメンバーかつクラスメイトの悩みを聞かないわけにはいかない。決して、ふわふわに興味が湧いたなどということはない。一織は心の中でそう言い訳をしてから、環に話を続けるよう促した。
「……おー、んで、ハグした時に、その……すっげえ気持ちよくて」
一織の脳内では、今、ふわふわでかわいいなにかが一織に抱き締められたがっている様子が浮かんでいる。人目さえなければ、確実に抱き締めていたであろう。もう少し具体的に話を聞きたい。ふわふわの、どんなものだ。
「ンン……そのふわふわとやらは、どれくらいの大きさで、どんな色ですか」
「大きさ……は俺より小せえけど、……んー、いおりんと同じくらいの大きさ。……あ、いおりんよりほんのちょっとだけ大きい。色は白」
きなこくらいの大きさを想像していたのに、かなり大きいようだ。
(白くてふわふわした着ぐるみ……ということだろうか)
どんどん想像が固まってきた。うん、いい傾向だ。一織は質問を続ける。
「うさぎですか? それとも猫?」
「んー……猫みたいなやつ」
見た目は猫のような、白くてふわふわの着ぐるみ。
(かっ……かわいい……)
一織の脳内では、自分とだいたい同じくらいの大きさをした白くてふわふわの猫の着ぐるみが、両腕を広げて一織を待っている。……猫の場合は腕というより前足か。いや、着ぐるみだから腕でいいのか? 細かいことはこの際気にしないでおこう。
「……それで? その白くてふわふわした生きものを抱き締めて、どうしたんですか?」
あぁ、なんて羨ましいんだろうと一織は歯噛みする。どこに行けばそんなかわいいものに出会えるのかを聞きたいところだが、自分がそれを抱き締めたがっていることを悟られるわけにはいかない。その代わり、できるだけ具体的に話を聞いて、空想の世界でふわふわの白い生きものを抱き締める想像に役立てよう。
「気持ちよくて、思わずにおいかいだりした。そしたら、ちょーいいにおいして、心臓やばくて、あー好きかも……ってなった」
このクラスメイトとは甘いものが好きという以外は嗜好が違うとばかり思っていたのだが、環も白くてふわふわしたかわいい着ぐるみを抱き締めて、愛らしさを感じたというのだから驚きだ。一織は思わず握手を求めそうになってしまった。
「あくまでも一般論ですけど、癒やされる要素だらけじゃないですか、それ。ふわふわとか、いい香りとか。サイズ的にも、四葉さんの腕にすっぽり収まる感じですから、気持ちよくなるというのもおかしくないのでは?」
私にはわかりませんけど、と付け加える。気を抜くと、白くてふわふわしたかわいいものが羨ましいと顔に出てしまいそうだ。
「んん……そうなんだけど、でもさ、いくら気持ちいいなって思ったからって、好きとかまで思うもんかな?」
「思うんじゃないですか?」
白くてふわふわしたかわいいものなんて、好きになるに決まっている。あぁ、一体どこに行けば会えるのか、どうにかうまく聞き出す方法はないものか。
一織から羨望のまなざしを投げかけられていることには気付かず、環は好きの二文字をぶつぶつと繰り返したかと思うと、そのまま勢いよく机に突っ伏した。
「……はぁ~~~~……まじか、俺…………」
「……一体なんなんですか」
教室の壁掛け時計をちらりと見遣る。あぁ、ほんの少しだけ話を聞くつもりが、十五分も経過してしまっているではないか。ふわふわしたかわいいものの正体は気になるが、これ以上話を深く掘り下げて、自分がふわふわしたかわいいものに興味を抱いていると誤解されては困る。あくまでも、なにやら思い悩んでいる環が気にかかっただけで、ふわふわには興味などない。誰もなにも聞いていないのに、一織は心の中で何度も念押しして、ゆるゆると息を吐き出した。
「あぁもう。無駄話はここまでにしますよ。あと七問、さっさと解いてしまってくださいね。今夜は兄さんがハンバーグをつくってくださるそうですよ」
呆れたように溜息をつく一織に、環は適当な返事をする。正直、環の頭の中は数学の問題よりも、抱き締めた相手のことでいっぱいだ。
環が抱き締めたのは猫でも着ぐるみでもない、一織もよく知っている人物。
(そーちゃん……ふわっふわだったな……)
昨日、環は壮五のことを抱き締めてしまった。環の部屋で、壮五と二人、アンケートを書いていた時のこと。紙面に視線を落とし、ペンを走らせる壮五の頭のてっぺんにある双葉がエアコンの風でふよふよ揺れているのを見ていたら、たまらなくなって、抱き締めてしまったのだ。抱き締めた壮五の身体は思っていた以上に薄くて、力を込めると折れてしまいそうだと思った。折れてしまわないよう、守りたいと思った。
昨晩、壮五の背に触れた自分の手のひらをじっと見つめる。握り締めると、自分の心臓まできゅうっと締め付けられて、走り出したいような気持ちになる。
「……四葉さん?」
一織の声にはっと顔を上げる。
「ん、あー……ごめん。ちゃんとやる」
シャーペンを握り直し、下半分が真っ白なままの問題集に向き直った。数学も難しいけれど、自覚したばかりのこの気持ちのやり場を見つけるほうが、もっと難しい。
◇
その日をきっかけに、環はことあるごとに壮五を抱き締めるようになった。壮五も、初めこそ戸惑っていたものの、世間がMEZZO"に求めるイメージやこれまでのライブでのファンサービス、ライブ中に高揚感から肩を組んだりハグをしたりといった経験が何度もあることを思えば、どうってことない。そう判断し、毎日のように環に抱き締められるがままになった。
しかし、慣れというのは怖いものだ。環が何度も何度も抱き締めるものだから、最近では、自分を抱き締める環の腕や、伝わる体温のぬくもりが、一日一回はないと困るものにまでなってしまった。
(今日、……は、もう環くん眠っちゃっただろうな)
単独での仕事で帰宅が夜遅くなり、入浴を済ませると、時刻は既に深夜一時となっていた。環はとうに眠っているはずだ。
階段を上り、自室の手前にある部屋のドアで足が止まる。環の部屋だ。環の部屋だ。
「……って、なにやってるんだろう」
無意識のうちに握り拳がドアをノックしそうになっていることに気付き、慌てて、手を引っ込める。わざわざ叩き起こして、自分はなにを言うつもりだったのか。たまらなく恥ずかしくなり、小走りで自室へと駆け込んだ。
(なにをするつもりだったんだ、僕は……!)
ベッドに潜り込んでからも、動悸が治まらない。前日までのハグの感触を思い出して、胸が締め付けられてしまう。身体を抱き締める行為は、胸を甘く締め付けもするものらしい。あまりにもきゅうきゅうと心が疼くものだから、そのたびに拳を胸許に押し付け、浅い呼吸を繰り返した。
自分は一体どうしてしまったのだろう。解決策はないものかと、壮五は反対の手でスマートフォンを手繰り寄せ、検索バーに文字列を打ち込む。
『抱き締める 胸が痛い』
すぐに表示された検索結果に目を見張る。恋愛の話やラブソングの歌詞が掲載されたウェブサイトへのリンクばかりで、動揺に指先が震えてきた。
(ハグをする男性の心理……)
自分も男だが、壮五はみずから率先して誰かを抱き締めるタイプではない。そのため、抱き締める心理というのがいまひとつわからないのだ。リンク先に掲載された内容が気になり、ゆっくり息を吐き出すと、スマートフォンのディスプレイに親指を滑らせて、その項目をタップした。
しばらくして、記事の前半部分を読み終えたところで、深い溜息をつく。
(……読むんじゃなかった)
友情を示すハグ。好きな気持ち、守りたいと思う気持ち。独占欲のあらわれ、癒やしを求めてのもの、甘えたい気持ち、抑えられない性欲……目を覆いたくなるような言葉のオンパレード。冒頭にあった『友情』の文字がどんなに壮五を安心させてくれたことか。
(そうだ、僕たちは相方で、……ありがたいことに、友情を育みつつあるといえるくらいには穏やかに過ごせるようになったところじゃないか)
友情を示すハグ。これだ、これこそが、締め付けられている胸を開放してくれるヒントに違いない。壮五は藁にもすがる思いで記事の解説部分を読み進めた。
(…………)
――違う。
記事の冒頭で挙げられていた『友情を示すハグ』が、環が自分を抱き締めるそれとは、似ても似つかない。友情を示すハグが当てはまるといえるのは、ステージの上やカメラの前で、IDOLiSH7やMEZZO"としてするものばかりだった。恐る恐る、他の項目――好きな気持ちだとか、独占欲だとか――のハグについて、どのようなハグがそれに該当するのかを確かめることにした。環が自分を抱き締めてくる時の様子を思い出すはめになって、余計に寝付けなくなるだけなのに、気になってしまった以上、見ないふりをすることはできない。
(これは……かなり恥ずかしいな……)
腕を引いて、自分のほうを向かせて、正面から強く抱き締められる。ゆっくりと吐き出される息が首筋にかかってくすぐったい。壮五はというと、環を抱き締め返していいかわからなくて、いつも手を宙に浮かせてばかり。ぴったりとくっついた胸を通じて、とくとくと心地いい心音が伝わってくる。心臓に近いところが触れ合っているものだから、環の鼓動がそのまま壮五に伝染してしまって、初めは違うテンポだったのに、いつの間にか同じテンポになっているのだ。
相手のことが好きで、独占したい気持ちをあらわすハグが伝えてくる鼓動。壮五の鼓動がそれと同じ速度になっている。それって、それってつまり。
(どうしよう……)
スマートフォンのディスプレイをオフにして、壮五は顔の半分が隠れそうなほど、布団に潜り込んだ。
◇
「ストップ」
いつしか日課となったハグ。それをすんでのところで阻まれた。この前までおとなしくハグされてたじゃん。環の頭の中にクエスチョンマークが浮かぶ。
「なに?」
「なに、って……」
自分より少し背が高い環。筋肉は羨ましいほどしなやかに付いている。その腕に抱き締められることを、初めは、なんとも思っていなかった。壮五はパーソナルスペースの広い男であったが、アイドルとして仕事をしていくうち、ライブや撮影でメンバーと接触することが増えたことにより、以前よりずっと狭くなりつつある。現に、先日のライブで最高潮の盛り上がりを見せた場面では、メンバー同士でハグをしたばかりだ。大好きな音楽に触れ、たくさんの人たちのおかげできらきらと輝くステージに立って、大切な仲間たちと歌い、踊る。気持ちが盛り上がらないはずがない。客席からの歓声もあって、ステージ上で環とハグをした時に触れた腕の感触は、まるで触れ合うことが当然のように心地よかった。メンバーの中でも、環とのハグは頻度が多く、慣れているはず。今だって、抱き締められることに慣れたこの腕を、甘んじて受け入れればいいだけのこと。事実、一昨日までそうできていた。それなのにどうしたことだろう。
理由は単純明快。壮五が昨夜、環のもたらすハグの意味を察してしまったからだ。とはいっても、確信したわけではない。壮五は未だ自分に自信を持てない時があり、今もまさにその状態で、環のもたらすハグの意味について「自意識過剰かもしれない」とも思っているのだ。
(もしも違ったら失礼だし、なにより、自意識過剰な自分が恥ずかしくなる……)
「そーちゃーん?」
「……っ」
思考の海にどれくらいたゆたっていたのか。無言で俯く壮五の顔を環が覗き込んだ。そのあまりの顔の近さに、壮五の頬はぱっと赤らむ。壮五は気付いてしまったのだ。このハグの意味が自分の予想通りだと仮定して、自分も同じ感情を抱いているということに。
一般的に、焦がれる相手と同じ気持ちであるとわかったのであれば歓喜に打ち震え、相手の視線がこちらを向いている今のうちにと想いを伝えるのがセオリーだろう。しかし。
(環くんは、まだ十七歳で、僕たちはアイドルで……)
同性であることはこの際置いておく。たまたま惹かれた相手が環だっただけで、元々の性的指向は恐らく女性だったにせよ、同性だからという点を問題視するつもりはないからだ。ただ、ある大物有名人の言葉に『アイドルの恋は隠さなければならない』というものがある。隠すことが、仕事で各地を転々とする自分を追いかけてくれるファンへの誠意だと。壮五はその言葉にいたく感銘を受け、自分もそうでなければいけないと思った。隠しごとをして、後ろめたさを感じることなく、音楽に、ファンに向き合えるだけの自信がない。なにより、まだ十七歳と若い彼の、恐らく初めてであろう恋人が自分なんてという気持ちもある。
「ん、ごめん。……こういうの、よくないんじゃないかなって」
「こういうのってなにが」
「だから、その、仕事でもないのに密室で抱き締める、とか」
一向に視線を合わせようとしない壮五に、環は自分の背を汗が伝うのがわかった。
(もしかして、そーちゃんのことどう思ってるか、ばれた?)
仕事でも何度もハグしているから。壮五が受け入れてくれるから。その環境に甘えて、本当は恋の欲まみれなのに、それを隠して壮五を抱き締めていたことを、悟られてしまったのかもしれない。
「……そーちゃんは、いや?」
喉がからからと渇いていて、声がうまく出ない。動揺が声に出ているのではないだろうか。焦りから、自分の声音すら客観視できない。
「…………そういうわけじゃ」
「じゃあ、…………十秒だけ。お願い」
環の「お願い」に弱い。それに、壮五だって、環の体温に身を委ねたい。さきほど環からのハグに制止をかけた時だって、本当は、心苦しかった。十秒だけなら、いいか。壮五はゆっくりと首を縦に振る。
「……わかった」
壮五の了承に胸が高鳴る。あぁ、心臓の音がうるさい。一生のうちに心臓が動く回数は決まっていると聞いたことがある。こんなに速く動いていて、寿命はどんどん縮まっているかもしれないなと思った。だからといって、長生きしたいがために壮五から離れたいとも、早死にしたいとも思わない。好きな人に触れながら長生きしたい。
壮五の腕に手を添え、ゆっくりと自分のほうへと引き寄せる。壮五は抵抗する様子もなく、環の胸許へと身体を寄せてくれた。
(ちょーいいにおい…………)
壮五に気付かれないよう、そっと息を吸う。彼が愛用している香水がほんのり香って、下半身が疼いた。まずいと思い、腰を軽く引く。
「……? 環くん?」
「ごめん」
十秒だけならという条件で了承したのだから十秒きっちり抱き締められるものとばかり思っていた。十秒どころか、五秒も経っていない。いつもの環なら五分でも十分でも壮五を抱き締めているのに。あまりにも短過ぎて、そして、ものたりなさを感じた。ものたりなくて、壮五から腕を伸ばしてしまう。
「えっ、そーちゃ」
「……っ、三秒だけ、お願い」
環の背に腕を回し、ぎゅうっとしがみつく。たまらなく恥ずかしい。自分からハグをやめようと言っておいて、いざ、いつもみたいにたくさん抱き締めてもらえないとなると、自分からほしがってしまうなんて。言っていることとやっていることが違う。
壮五が腕に力を入れたのを感じ、環も、もう一度、壮五を抱き締めた。
三秒どころか、初めに環が言った十秒も、とうに過ぎている。
今までは、壮五を抱き締めても、抱き締め返されることはなかった。ぬいぐるみを抱き締めるように壮五をぎゅうぎゅうと抱き締めて、彼の香水の香りを堪能して、終わり。壮五の腕が環の背に回ることはなかった。しかし、今日は壮五が抱き返したことで、今までで一番、身体が密着している。それはつまり。
(あー、もー……絶対ばれるじゃん)
完全にかたくなったそこをやんわりと圧迫されている。それが好きな人の身体なものだから、余計に興奮してしまって。あぁ、今、下着に少し染みてしまったかも。
「……そーちゃん?」
恐る恐る名前を呼ぶと、背に回されていた壮五の手がぴくりと反応した。
「あ、ごめ……」
「いや、いいけど。っつーか、謝んの、俺のほう、だし……」
壮五の身体で軽く圧迫されているのが気持ちいい。勃起した以上は射精したくなるのが男だ。射精するにはもっと興奮を高めるような刺激が必要だから、自然と腰が動いてしまう。男の身体はそういうふうにできている。環もそれは同様で、いけないと思いつつも、壮五の身体に下半身を押し付ける動きが止められない。
キスだってしたことないのに。初心な環にはいろいろと限界だ。気持ちも、身体も。
(勃ってんのばれてんの恥ずかしい、けど、出したい……)
できれば、今すぐ自室にこもって、めちゃくちゃに扱いて出したい。多分、ここ最近でもこんなに出なかったというくらい勢いよく出せそうだ。絶対、気持ちいい。……終わったあとは、むなしくなるだろうけれど、今は射精したいとしか考えられない。
「も、俺、……ごめん、部屋戻る、から…………」
「えっ」
壮五の両肩に手を添え、自分の身体からそっと引き剥がす。壮五の身体が自分の手のひらと同じくらい熱くて驚いた。きっと、動揺しているのだろう。
(そりゃ、相方が勃ってたらびっくりするよな)
壮五の顔を見るのが怖くて、視線を逸らしたままで部屋を出ようとする。
「ま、待って」
両手で腕を掴まれ、顔がかっと熱くなった。
「や、ちょっとまじで……明日仕事だし、今は、ほんと……部屋、戻んねえと」
空いているほうの手でTシャツの裾を引っ張り、少しだけ前屈みになる。スウェットの股間部分が盛り上がっていて、いくら隣室とはいえ、廊下で他のメンバーにはちあわせた時にこんな状態の自分を見られたら、たまったものじゃない。
「だから、待ってってば」
「~~っ、もー! ほんっとに勘弁してってば。くっついてたからわかってんだろ、今、俺、ちんこ勃ってんの! どこの世界にちんこおっ勃てたまま相方の前に立つやつがいるんだよ!」
ここにいる。今の自分がまさしくそれだ。とんでもなく格好悪いから、早く解放してほしい。壮五の手を振り解くこともできるのにそれをしないのは惚れた弱みだ。好きな人に冷たい態度を取ることができない。
「き、聞きたいことがあって」
「今? 今すぐ必要?」
質問ならあとにしてほしい。こんな情けない格好のまま質問の受け答えなんて、どんな罰ゲームだ? 好きな人の前で勃起したまま会話なんていやだ。
「必要! 必要だよ!」
「勘弁しろよも~~!」
頭を抱えてしゃがみ込む。言い合いをしているうちに勃起していたペニスが少しだけ萎えてくれたのだが、今、萎えても遅い。勃っていたことを知られたあとだ。
こうなったら、完全に鎮まってくれるまでこのまましゃがみ込んで居座ってやる。半ば開き直った環はきっと顔を上げ、壮五を睨み付けた。
(う、かわいい……)
ばちんと視線がかち合った壮五は頬を赤く染め、瞳を潤ませて環を見つめていた。そんな表情、出会った頃はしなかったのに。いつからこんな表情をするようになったのだろうか。それに、そんな表情で見つめられると、いろいろと勘違いしてしまいそうになる。こんなにかわいい顔をして……次に自慰をする時に思い浮かべてしまいそうだ。
「……なんで必要?」
「それは、……」
「黙んのなしな。聞きたいことあるって引き留めたのそーちゃんだから」
聞きたいことがあるならさっさと聞いてくれればいい。ここまでばれたならもう何を聞かれても怖くない。どうせ、壮五を抱き締めていた理由だってばれているのだろう。
「環くん、は……どうして僕のことを毎日抱き締めるのかなって」
今夜、ここを訪れてからの壮五の言動を思い出す限り、環が毎晩のように抱き締める理由に気付いているものとばかり思っていたのだが。
「え? それ聞く?」
「……聞きたい」
まじかぁ、と環は再び頭を抱えた。理由を打ち明けようとすれば、おのずと、告白することになる。格好いい告白の言葉なんて考えていなかった。毎日おとなしく抱き締められてくれるものだから、今夜、抱き締めている理由を追究されるなんて思ってもみなかったのだ。あぁ、どうしよう。
「んー……俺も聞きたいけど、そーちゃんはなんで? こういうのよくないって言いながら、十秒ならいいって言ったり、俺がやめようとしたら三秒だけとか言って抱き着いてきたり、なんで?」
「それは……質問に質問で返すなんてずるくないか?」
「そうだけど、でも、気になんじゃん。俺だけ答えるのなんか悔しいし。そーちゃんも俺の質問答えて」
互いに質問を投げかけたところで、しん……と部屋が静まり返る。
先に口を開いたのは壮五だった。
「僕は……環くんが僕のことを抱き締めてくる理由を考えていて、……ハグについて調べたら、いろいろな意味があるんだって」
壮五がかなり恥ずかしいことを言っているのがわかる。調べた? ハグについて? わざわざ?
「友情を示すハグっていうのもあったけど……環くんの抱き締め方はそれとは違うなって思った。他にはどんな意味があるのか読み進めてたら、好きな気持ち、守りたいと思う気持ち。独占欲のあらわれ、癒やしを求めてのもの、甘えたい気持ち。それから、抑えられない性欲……そんな言葉まで出てきて」
「うわー……」
思わず耳を塞いでしまった。環のハグには、それらすべてが当てはまっているからだ。
壮五のことが好きだ。かなしい気持ち、苦しい気持ちにならないよう、自分が守ってやりたい。そして、壮五の心のやわらかいところは自分だけに見せてほしい。自分たちはアイドルだから、本当は独り占めなんて許されないけれど、できれば、独り占めしたい。壮五が微笑んでくれるときゅんとときめくし、癒される。疲れた時には壮五に甘えたい。それから、それから……。
(そーちゃんとハグしたあと、……)
壮五を抱き締めたあと、部屋に戻って、彼の身体の感触を思い出しては、身体を熱くさせ、自身を慰めている。壮五に対して、性欲を抱いているのだ。
「……環くん?」
壮五がハグについて調べたことを説明し終える頃には、環は顔を真っ赤にして、涙目になっていた。
「…………そんで、……? そーちゃんは、それ調べて、どう思った?」
悪いことをして叱られる子どものような表情。趣味が悪いと言われるかもしれないが、環のそんな表情を見て、壮五は確かに、欲情を覚えた。
「どうって、……悪くは、なかったよ」
「なんだよそれ」
環が自分に好意を向けているのではないかという可能性に気付いた時、緊張と動揺だけでなく、歓喜する自分がいたのは確かだ。しかし、まだ……まだ、環の口から、正解を聞いていない。自分が思い至ったそれと、環が抱いている感情が同じかどうか、鼓動だけで判断できるほど、壮五は自分に自信を持っていない。
「だって、違ってたら……いたたまれない。僕一人が浮かれてるみたいで格好悪いじゃないか。僕だってばかだから、ちゃんと言ってくれなきゃわからないよ」
そこまで言うと、壮五は俯き、唇をきゅっと結んだ。恥ずかし過ぎて目が熱い。もしかしたら、顔が赤くなっているかもしれない。
「浮かれてるみたいって……それって、…………そんなの言われたら、俺だって、俺だって……期待して、違ったら恥ずかしいじゃんか」
二人ともが、相手が言い出すのを待っている状態。これでは一向に話が進まない。どちらかが覚悟を決めて本心を打ち明けなければ、もう一方も気持ちを吐露することができなさそうだ。
「……俺は、さ」
環の声が震えているのがわかって、壮五はかたく目を瞑る。どきどきし過ぎて、心臓が口から飛び出しそうとは、まさしく、今の状態を指すのだろう。
「そーちゃんが、なんでハグすんのかって聞いたやつ。最初に聞いてきたのそーちゃんのほうだから俺も答えるけど。……最初は、そーちゃん見てたらなんとなく、ぎゅーってしたくなっただけ。そんで、……」
ステージ上で、ライブの高揚感やファンサービス目的のハグをしたことがある。壮五だけでなく、他のメンバーにも。だから、仲間を抱き締めることに対して抵抗感を抱いていなかった。同性だし、なおさらだ。
寮で、初めて壮五を抱き締めたあの日。距離がぐっと縮まって、壮五の髪や首筋から漂う香りに、自分でも驚くほど胸が締め付けられ、泣きたくなるような感覚に陥った。なぜかよくわからないけれど、自分は、壮五を抱き締めることが好きかもしれない。
しかし、抱き締めて気持ちいいからといって、好意にまで発展するのだろうか。さり気なく、一織に話題を振って。どうやら一織は着ぐるみに抱き着くシーンを想像したようだったけれど、環はそれどころではなかった。気付いてしまったのだ、壮五に対して、仲間や相方、友愛では片付けられないほどの熱情を抱いていることに。
「ライブとかでみんなともハグするじゃん? そーちゃんともするし。でも、ここでするハグはライブとは全然違って。すっげえどきどきすんの。心臓やばい。……あと、そーちゃんのことハグした時、ふわっていいにおいして、もっとぎゅーってしたくなった。好きかも、って思った」
「好き、……って、ハグが?」
そうではないことくらい、壮五にだってわかっている。それでも質問をしたのは、臆病だから。確実なものがないと、まだ言葉にしていない気持ちを吐露することはできない。
「さすがにわかんじゃん。そーちゃんとのハグもだけど、そーちゃん自身が、って。そーちゃんが、……好き、って。いくらなんでもわかんだろ…………」
心臓が耳の横にあるのではないかというくらい、鼓動がうるさい。どくどくとやかましい音を立てて鼓膜を揺らすものだから、自分の声がいつもと違うような気がしてきた。
抱き締めさせてくれるということは嫌われてはいないのだろうが、恋愛感情を向けられているということに対しては、もしかすると、嫌悪感を向けられるかもしれない。
「もしかしたら、やべえって思ってるかもだけど、俺だって、あんたのことそういう意味で好きになるって思ってなかったし……まじで俺自身びっくりで、でも、できたら、嫌わないでほしい…………です」
俯いた環の視界には、正座をしている壮五の膝と、その上にのせられた拳しか見えていない。相変わらずきれいな手をしているなと思った。欲を言えば、この手に触れて、握り締めたい。そのまま強く引き寄せて、もう一度抱き締めたい。端的に言えば、お付き合いをしたいのだ。だって自分は壮五に欲情する身体になってしまっている。万が一、振られたとしても、立ち直るまでは、壮五を抱き締めた時の感触を思い出しながら自慰に耽ってしまうだろう。この先、壮五以外に恋ができなかったらどうしよう。相方をおかずに自慰をして、童貞のまま一生を終えるかもしれない。
(ま、それでもいいけど)
自分が一番苦しかった時に味方でいてくれたのは、壮五だけだった。妹と再会できると思っていたのに、騙されて、二度と見たくない顔を見させられた。動揺のあまり感情を抑えられなかった自分に対して向けられた非難と、同情を含みながらも環の言動を咎める視線。あの時の環にもっとも必要だったのは、ささくれ立った心を無条件で抱き締めてくれるぬくもりだった。それを、壮五が与えてくれたのだ。
もしかしたら、あの時から、心のどこかで壮五に惹かれていたのかもしれない。
(……なんか、言えよ)
環としては恐らく人生最大ともいえるレベルの勇気を振り絞ったのに、肝心の壮五からの反応がない。焦れて顔を上げると、そこには耳まで真っ赤に染まった壮五の、今にも泣き出しそうな表情があった。
「そー……」
「環くんが悪い」
なんだこの男は! と叫びたくなった。勇気を出して、人生初の恋心を打ち明けたというのに、受け入れる返事でもなければ拒絶する態度でもなく、出てきたひとことめが「環くんが悪い」なんて。環としては使いたくない表現だが、世間で言う「親の顔が見てみたい」はこういう時に使うのだろう。親の顔……と心の中で呟いたところで、逢坂壮志の顔が浮かび、環は小さくかぶりを振った。今、その顔を思い出したいわけではない。
「……あんたさぁ、頭いいのに、ほんっと、ばかだよなぁ」
壮五の顔を見ていたら、むかむかした気持ちがどこかへいって、涙がこぼれそうな目許に優しく触れてやりたくなった。
「ごめん……」
「そのごめんって、なんのごめん?」
まさか告白に対する「ごめん」だろうかと、恐る恐る尋ねる。
「言ってることが支離滅裂でごめん。ある程度予想はついてたのに、いざ実際に好意を打ち明けられると動揺してしまって。さっき自分でも言った通り、今の僕はとんでもなく、ばかなんだ。普段の僕なら、ばかにしないでくれって憤慨するんだけど、今は……環くんにばかって言われても仕方ないなぁ、と」
祈るように両手を組み、額に押し当てる。全力疾走したみたいに全身が熱くて、環がこれ以上不安にならないうちに本音を打ち明けなければと、ゆっくり息を吐き出した。
(環くんは打ち明けてくれたんだ。僕が思ってた通り、好意を寄せてくれてた。僕も、打ち明けなきゃ)
ごくりと生唾を飲み込み、拳を膝の上に戻す。
「……環くんが僕を毎日のように抱き締めるようになって、そのせいで気付いてしまったんだ。多分、抱き締められなかったら、気付かなかったと思う。触れたところから伝わる鼓動が心地よくて、いつの間にか僕の鼓動も同じ速度を刻んでいて、それって、あぁ、僕も環くんのことが、…………好き、……なんだなぁって」
あぁ、やっぱり恥ずかしい。手のひらに爪が食い込んでしまうくらい、身体がこわばっている。自分のことなのに、手のひらの痛みが、どこか他人ごとのように思えた。それくらい、自分の全神経が目の前の環に集中しているのだ。目の前で、壮五の告白に唖然としている環に。
「……なにか言ってよ」
「…………あ、えっと。だって、びっくりして」
環はうろうろと視線を彷徨わせながら、王様プリンの文字がプリントされたTシャツの裾を握り締める。
どきどきさせられて悔しいのと、壮五の告白に動揺しておろおろしている姿がかわいくてたまらないのと……それから、他にもたくさん。いちいち挙げていられないくらい、どうしようもなく、環のことを抱き締めたくなった。
「ねぇ、環くん。僕がさっき、三秒だけって言ったの、あれも、きみのことが好きで、たまらないって気持ちになったからなんだ。……三秒じゃ、たりなくて、その、環くんさえよければ、もう一度…………抱き締めてほしいかな……って思うんだけど」
畳み掛けるように熱烈な愛の言葉を伝えられて、環はもう、キャパシティの限界だ。
「嬉しい、けど、ちょっとタンマ。どきどきし過ぎて、ほんと、やばい」
今、壮五を抱き締めたら。時間の経過と緊張で鎮まったところが反応してしまいかねない。心持ち前屈みになった環を見て悟ったのか、壮五の視線が環の下半身に注がれる。
「……えぇと、そこは仕方ないと思う。それで、その、……さすがに今日いきなりっていうのは、僕にとっては未知の世界だから難しいんだけど、そういうことは、ゆっくり、二人で知っていけたらなと、思う所存で……」
混乱しているのか、まわりくどい言い回しだ。それでも、壮五の言わんとしていることは理解できた。
「つまり、今日じゃなかったら、そーちゃん、俺とエッチするってこと?」
「しょ、将来的にはそうなることもやぶさかではないというか! 環くんはまだ十七歳だからせめて十八歳になるまではっていう考えがあって!」
まじか、と呟く。ふたつの意味だ。抱き締める以上の関係に進む可能性を示唆されたことでの驚きがひとつ。もうひとつは、せっかく両想いだとわかったのに、高校卒業までセックスはおあずけだということ。十八歳の誕生日まで結構あるなぁと、頭の中にカレンダーを思い浮かべた。
「えー……まじか。そっか……」
我慢できるか? と自問する。抱き締めただけで勃起してしまうくらいだ。たとえばキスなんてした日には、それだけで射精してしまうかもしれない。……これは大袈裟か。いや、ついさきほど関係の進展を示唆されただけで、環は今夜、壮五のこの言動を思い出して自慰してしまいそうだなと思ったくらいだから、大袈裟でもないかもしれない。
「う。もちろん、難しいことを強いているというのはわかってるよ。十七歳って多感な時期だし、環くんはその、……僕のことを抱き締めるだけで男性器が勃起してしまうようだから」
「ドーテーくさいって言いたいんだろ」
「違う、そうじゃない! ……あぁ、怒鳴ってごめん。いや、性行為の経験がないことは僕にとっては問題ではなくて……というか、僕としては環くんが未経験であることに喜びを感じてしまってるくらいなんだけど」
そこまで言って、世間一般論を思い出す。女は相手の最後の人になりたいと願い、男は相手の最初の人になりたいと願う傾向にあるというもの。大学時代、昼食を取っている傍でそんな言葉が聞こえてきた。当時の壮五は「あの人たちは食事中に大きな声でなんて話をしてるんだ。恥じらいはないのか?」と眉を顰めたものだが、こうして環を前にして、その気持ちがよくわかると納得してしまった。
「そんで、なに?」
「環くんの股間にはつらい思いをさせるかもしれないけど、抱き締めてほしい……」
まなじりを赤く染めてそうねだる壮五を見ていたらたまらなくなり、環は「あー!」と叫んだかと思うと、壮五の腕を引いて抱き締めた。自分よりひと回り小さな身体は腕の中にすっぽりと収まって、いい香りがする。
(………………勃った)
元気過ぎる股間に自分で呆れたものの、とうに知られてしまっているのだからと環は開き直ることにした。
「そーちゃんもさっき言ってたけど、仕方ねえってことで、許して?」
「う、うん……」
ごりごりと押し付けられる感触に、壮五は必死で素数を数えた。
(これは……本当にやばい、かも)
互いに気持ちを打ち明け、同じ気持ちだという確信を持って触れていると、自分までむずむずしてくる。環に気付かれないよう、壮五はそっと膝を擦り合わせた。多分、かたくなったところを擦り合わせたら、気持ちいいに違いない。事実、無意識なのか、環は自分のいきり勃ったペニスをスウェット越しに壮五の身体にぐいぐいと押し付け、わずかに腰を揺らしている。環が自分に欲情しているという事実が、壮五を欲情させるのだ。
(環くんの、あそこ…………)
想像しただけで、口の中の唾液が増えた気がした。これ以上はいけない。自分で「十八歳になるまで」と言っておきながら、気持ちを確かめ合ったばかりの今夜、すぐにでも、すべてがほしくなってしまいそうだ。抱き合っただけでこんな状態だから、キスなんてした日には、もっとしてほしいと環に覆い被さってしまうかもしれない。自分はこんなにいやらしい男だったのかと恥ずかしくなった。
煩悩を振り払うように首を横にぶんぶんと振る。環の腕の中にいる状態でそうするものだから、環からすれば、自分の肩口に擦り寄られているようにしか思えない。
「あんたさぁ……まぁ、いいけど」
十八歳まで待つと言っておきながら、抱き締めてほしいと言ったり、こうして擦り寄ってきたり、理性を崩しにかかっているのだろうかと疑いたくなる。なんの拷問だ。
抱き締めて、癒されているだけでよかったはずなのに。壮五を抱き締めることでの効果が大き過ぎた。好きの気持ちが増幅してあふれて、欲情を隠せなくなった。
「あーあ。早く十八になりてえな」
環の言葉に、壮五が肩を震わせて笑う。
「ふふ、……ごめん。できるだけ、環くんにばかり負担を強いることがないよう、僕も努力するよ。僕だって……待つの、つらいんだからね。同じ男だからわかると思うけど」
「……おー。前向きに、…………お願いします」
「うん、……そうだね」
「さっき五分休憩したばかりですよ。あと三十分は辛抱してください。あぁそこ、その公式じゃありません」
ノートに走らせていたペンを止め、環は唇を尖らせる。
「ちげえし。聞けって。あのさ、……」
なにかを言い淀む環に、一織は焦れた。
「なんです。……少しだけなら聞きますから、さっさと言ってください。集中できないからといつまでも居残るのは時間の無駄です」
「あのさ、ふわっふわのやつハグした時に」
「ふ、ふわふわ?」
それまで話に興味がなさそうだった一織ががばりと顔を上げる。ふわふわ……ふわふわのなにかをハグ。……IDOLiSH7のメンバーかつクラスメイトの悩みを聞かないわけにはいかない。決して、ふわふわに興味が湧いたなどということはない。一織は心の中でそう言い訳をしてから、環に話を続けるよう促した。
「……おー、んで、ハグした時に、その……すっげえ気持ちよくて」
一織の脳内では、今、ふわふわでかわいいなにかが一織に抱き締められたがっている様子が浮かんでいる。人目さえなければ、確実に抱き締めていたであろう。もう少し具体的に話を聞きたい。ふわふわの、どんなものだ。
「ンン……そのふわふわとやらは、どれくらいの大きさで、どんな色ですか」
「大きさ……は俺より小せえけど、……んー、いおりんと同じくらいの大きさ。……あ、いおりんよりほんのちょっとだけ大きい。色は白」
きなこくらいの大きさを想像していたのに、かなり大きいようだ。
(白くてふわふわした着ぐるみ……ということだろうか)
どんどん想像が固まってきた。うん、いい傾向だ。一織は質問を続ける。
「うさぎですか? それとも猫?」
「んー……猫みたいなやつ」
見た目は猫のような、白くてふわふわの着ぐるみ。
(かっ……かわいい……)
一織の脳内では、自分とだいたい同じくらいの大きさをした白くてふわふわの猫の着ぐるみが、両腕を広げて一織を待っている。……猫の場合は腕というより前足か。いや、着ぐるみだから腕でいいのか? 細かいことはこの際気にしないでおこう。
「……それで? その白くてふわふわした生きものを抱き締めて、どうしたんですか?」
あぁ、なんて羨ましいんだろうと一織は歯噛みする。どこに行けばそんなかわいいものに出会えるのかを聞きたいところだが、自分がそれを抱き締めたがっていることを悟られるわけにはいかない。その代わり、できるだけ具体的に話を聞いて、空想の世界でふわふわの白い生きものを抱き締める想像に役立てよう。
「気持ちよくて、思わずにおいかいだりした。そしたら、ちょーいいにおいして、心臓やばくて、あー好きかも……ってなった」
このクラスメイトとは甘いものが好きという以外は嗜好が違うとばかり思っていたのだが、環も白くてふわふわしたかわいい着ぐるみを抱き締めて、愛らしさを感じたというのだから驚きだ。一織は思わず握手を求めそうになってしまった。
「あくまでも一般論ですけど、癒やされる要素だらけじゃないですか、それ。ふわふわとか、いい香りとか。サイズ的にも、四葉さんの腕にすっぽり収まる感じですから、気持ちよくなるというのもおかしくないのでは?」
私にはわかりませんけど、と付け加える。気を抜くと、白くてふわふわしたかわいいものが羨ましいと顔に出てしまいそうだ。
「んん……そうなんだけど、でもさ、いくら気持ちいいなって思ったからって、好きとかまで思うもんかな?」
「思うんじゃないですか?」
白くてふわふわしたかわいいものなんて、好きになるに決まっている。あぁ、一体どこに行けば会えるのか、どうにかうまく聞き出す方法はないものか。
一織から羨望のまなざしを投げかけられていることには気付かず、環は好きの二文字をぶつぶつと繰り返したかと思うと、そのまま勢いよく机に突っ伏した。
「……はぁ~~~~……まじか、俺…………」
「……一体なんなんですか」
教室の壁掛け時計をちらりと見遣る。あぁ、ほんの少しだけ話を聞くつもりが、十五分も経過してしまっているではないか。ふわふわしたかわいいものの正体は気になるが、これ以上話を深く掘り下げて、自分がふわふわしたかわいいものに興味を抱いていると誤解されては困る。あくまでも、なにやら思い悩んでいる環が気にかかっただけで、ふわふわには興味などない。誰もなにも聞いていないのに、一織は心の中で何度も念押しして、ゆるゆると息を吐き出した。
「あぁもう。無駄話はここまでにしますよ。あと七問、さっさと解いてしまってくださいね。今夜は兄さんがハンバーグをつくってくださるそうですよ」
呆れたように溜息をつく一織に、環は適当な返事をする。正直、環の頭の中は数学の問題よりも、抱き締めた相手のことでいっぱいだ。
環が抱き締めたのは猫でも着ぐるみでもない、一織もよく知っている人物。
(そーちゃん……ふわっふわだったな……)
昨日、環は壮五のことを抱き締めてしまった。環の部屋で、壮五と二人、アンケートを書いていた時のこと。紙面に視線を落とし、ペンを走らせる壮五の頭のてっぺんにある双葉がエアコンの風でふよふよ揺れているのを見ていたら、たまらなくなって、抱き締めてしまったのだ。抱き締めた壮五の身体は思っていた以上に薄くて、力を込めると折れてしまいそうだと思った。折れてしまわないよう、守りたいと思った。
昨晩、壮五の背に触れた自分の手のひらをじっと見つめる。握り締めると、自分の心臓まできゅうっと締め付けられて、走り出したいような気持ちになる。
「……四葉さん?」
一織の声にはっと顔を上げる。
「ん、あー……ごめん。ちゃんとやる」
シャーペンを握り直し、下半分が真っ白なままの問題集に向き直った。数学も難しいけれど、自覚したばかりのこの気持ちのやり場を見つけるほうが、もっと難しい。
◇
その日をきっかけに、環はことあるごとに壮五を抱き締めるようになった。壮五も、初めこそ戸惑っていたものの、世間がMEZZO"に求めるイメージやこれまでのライブでのファンサービス、ライブ中に高揚感から肩を組んだりハグをしたりといった経験が何度もあることを思えば、どうってことない。そう判断し、毎日のように環に抱き締められるがままになった。
しかし、慣れというのは怖いものだ。環が何度も何度も抱き締めるものだから、最近では、自分を抱き締める環の腕や、伝わる体温のぬくもりが、一日一回はないと困るものにまでなってしまった。
(今日、……は、もう環くん眠っちゃっただろうな)
単独での仕事で帰宅が夜遅くなり、入浴を済ませると、時刻は既に深夜一時となっていた。環はとうに眠っているはずだ。
階段を上り、自室の手前にある部屋のドアで足が止まる。環の部屋だ。環の部屋だ。
「……って、なにやってるんだろう」
無意識のうちに握り拳がドアをノックしそうになっていることに気付き、慌てて、手を引っ込める。わざわざ叩き起こして、自分はなにを言うつもりだったのか。たまらなく恥ずかしくなり、小走りで自室へと駆け込んだ。
(なにをするつもりだったんだ、僕は……!)
ベッドに潜り込んでからも、動悸が治まらない。前日までのハグの感触を思い出して、胸が締め付けられてしまう。身体を抱き締める行為は、胸を甘く締め付けもするものらしい。あまりにもきゅうきゅうと心が疼くものだから、そのたびに拳を胸許に押し付け、浅い呼吸を繰り返した。
自分は一体どうしてしまったのだろう。解決策はないものかと、壮五は反対の手でスマートフォンを手繰り寄せ、検索バーに文字列を打ち込む。
『抱き締める 胸が痛い』
すぐに表示された検索結果に目を見張る。恋愛の話やラブソングの歌詞が掲載されたウェブサイトへのリンクばかりで、動揺に指先が震えてきた。
(ハグをする男性の心理……)
自分も男だが、壮五はみずから率先して誰かを抱き締めるタイプではない。そのため、抱き締める心理というのがいまひとつわからないのだ。リンク先に掲載された内容が気になり、ゆっくり息を吐き出すと、スマートフォンのディスプレイに親指を滑らせて、その項目をタップした。
しばらくして、記事の前半部分を読み終えたところで、深い溜息をつく。
(……読むんじゃなかった)
友情を示すハグ。好きな気持ち、守りたいと思う気持ち。独占欲のあらわれ、癒やしを求めてのもの、甘えたい気持ち、抑えられない性欲……目を覆いたくなるような言葉のオンパレード。冒頭にあった『友情』の文字がどんなに壮五を安心させてくれたことか。
(そうだ、僕たちは相方で、……ありがたいことに、友情を育みつつあるといえるくらいには穏やかに過ごせるようになったところじゃないか)
友情を示すハグ。これだ、これこそが、締め付けられている胸を開放してくれるヒントに違いない。壮五は藁にもすがる思いで記事の解説部分を読み進めた。
(…………)
――違う。
記事の冒頭で挙げられていた『友情を示すハグ』が、環が自分を抱き締めるそれとは、似ても似つかない。友情を示すハグが当てはまるといえるのは、ステージの上やカメラの前で、IDOLiSH7やMEZZO"としてするものばかりだった。恐る恐る、他の項目――好きな気持ちだとか、独占欲だとか――のハグについて、どのようなハグがそれに該当するのかを確かめることにした。環が自分を抱き締めてくる時の様子を思い出すはめになって、余計に寝付けなくなるだけなのに、気になってしまった以上、見ないふりをすることはできない。
(これは……かなり恥ずかしいな……)
腕を引いて、自分のほうを向かせて、正面から強く抱き締められる。ゆっくりと吐き出される息が首筋にかかってくすぐったい。壮五はというと、環を抱き締め返していいかわからなくて、いつも手を宙に浮かせてばかり。ぴったりとくっついた胸を通じて、とくとくと心地いい心音が伝わってくる。心臓に近いところが触れ合っているものだから、環の鼓動がそのまま壮五に伝染してしまって、初めは違うテンポだったのに、いつの間にか同じテンポになっているのだ。
相手のことが好きで、独占したい気持ちをあらわすハグが伝えてくる鼓動。壮五の鼓動がそれと同じ速度になっている。それって、それってつまり。
(どうしよう……)
スマートフォンのディスプレイをオフにして、壮五は顔の半分が隠れそうなほど、布団に潜り込んだ。
◇
「ストップ」
いつしか日課となったハグ。それをすんでのところで阻まれた。この前までおとなしくハグされてたじゃん。環の頭の中にクエスチョンマークが浮かぶ。
「なに?」
「なに、って……」
自分より少し背が高い環。筋肉は羨ましいほどしなやかに付いている。その腕に抱き締められることを、初めは、なんとも思っていなかった。壮五はパーソナルスペースの広い男であったが、アイドルとして仕事をしていくうち、ライブや撮影でメンバーと接触することが増えたことにより、以前よりずっと狭くなりつつある。現に、先日のライブで最高潮の盛り上がりを見せた場面では、メンバー同士でハグをしたばかりだ。大好きな音楽に触れ、たくさんの人たちのおかげできらきらと輝くステージに立って、大切な仲間たちと歌い、踊る。気持ちが盛り上がらないはずがない。客席からの歓声もあって、ステージ上で環とハグをした時に触れた腕の感触は、まるで触れ合うことが当然のように心地よかった。メンバーの中でも、環とのハグは頻度が多く、慣れているはず。今だって、抱き締められることに慣れたこの腕を、甘んじて受け入れればいいだけのこと。事実、一昨日までそうできていた。それなのにどうしたことだろう。
理由は単純明快。壮五が昨夜、環のもたらすハグの意味を察してしまったからだ。とはいっても、確信したわけではない。壮五は未だ自分に自信を持てない時があり、今もまさにその状態で、環のもたらすハグの意味について「自意識過剰かもしれない」とも思っているのだ。
(もしも違ったら失礼だし、なにより、自意識過剰な自分が恥ずかしくなる……)
「そーちゃーん?」
「……っ」
思考の海にどれくらいたゆたっていたのか。無言で俯く壮五の顔を環が覗き込んだ。そのあまりの顔の近さに、壮五の頬はぱっと赤らむ。壮五は気付いてしまったのだ。このハグの意味が自分の予想通りだと仮定して、自分も同じ感情を抱いているということに。
一般的に、焦がれる相手と同じ気持ちであるとわかったのであれば歓喜に打ち震え、相手の視線がこちらを向いている今のうちにと想いを伝えるのがセオリーだろう。しかし。
(環くんは、まだ十七歳で、僕たちはアイドルで……)
同性であることはこの際置いておく。たまたま惹かれた相手が環だっただけで、元々の性的指向は恐らく女性だったにせよ、同性だからという点を問題視するつもりはないからだ。ただ、ある大物有名人の言葉に『アイドルの恋は隠さなければならない』というものがある。隠すことが、仕事で各地を転々とする自分を追いかけてくれるファンへの誠意だと。壮五はその言葉にいたく感銘を受け、自分もそうでなければいけないと思った。隠しごとをして、後ろめたさを感じることなく、音楽に、ファンに向き合えるだけの自信がない。なにより、まだ十七歳と若い彼の、恐らく初めてであろう恋人が自分なんてという気持ちもある。
「ん、ごめん。……こういうの、よくないんじゃないかなって」
「こういうのってなにが」
「だから、その、仕事でもないのに密室で抱き締める、とか」
一向に視線を合わせようとしない壮五に、環は自分の背を汗が伝うのがわかった。
(もしかして、そーちゃんのことどう思ってるか、ばれた?)
仕事でも何度もハグしているから。壮五が受け入れてくれるから。その環境に甘えて、本当は恋の欲まみれなのに、それを隠して壮五を抱き締めていたことを、悟られてしまったのかもしれない。
「……そーちゃんは、いや?」
喉がからからと渇いていて、声がうまく出ない。動揺が声に出ているのではないだろうか。焦りから、自分の声音すら客観視できない。
「…………そういうわけじゃ」
「じゃあ、…………十秒だけ。お願い」
環の「お願い」に弱い。それに、壮五だって、環の体温に身を委ねたい。さきほど環からのハグに制止をかけた時だって、本当は、心苦しかった。十秒だけなら、いいか。壮五はゆっくりと首を縦に振る。
「……わかった」
壮五の了承に胸が高鳴る。あぁ、心臓の音がうるさい。一生のうちに心臓が動く回数は決まっていると聞いたことがある。こんなに速く動いていて、寿命はどんどん縮まっているかもしれないなと思った。だからといって、長生きしたいがために壮五から離れたいとも、早死にしたいとも思わない。好きな人に触れながら長生きしたい。
壮五の腕に手を添え、ゆっくりと自分のほうへと引き寄せる。壮五は抵抗する様子もなく、環の胸許へと身体を寄せてくれた。
(ちょーいいにおい…………)
壮五に気付かれないよう、そっと息を吸う。彼が愛用している香水がほんのり香って、下半身が疼いた。まずいと思い、腰を軽く引く。
「……? 環くん?」
「ごめん」
十秒だけならという条件で了承したのだから十秒きっちり抱き締められるものとばかり思っていた。十秒どころか、五秒も経っていない。いつもの環なら五分でも十分でも壮五を抱き締めているのに。あまりにも短過ぎて、そして、ものたりなさを感じた。ものたりなくて、壮五から腕を伸ばしてしまう。
「えっ、そーちゃ」
「……っ、三秒だけ、お願い」
環の背に腕を回し、ぎゅうっとしがみつく。たまらなく恥ずかしい。自分からハグをやめようと言っておいて、いざ、いつもみたいにたくさん抱き締めてもらえないとなると、自分からほしがってしまうなんて。言っていることとやっていることが違う。
壮五が腕に力を入れたのを感じ、環も、もう一度、壮五を抱き締めた。
三秒どころか、初めに環が言った十秒も、とうに過ぎている。
今までは、壮五を抱き締めても、抱き締め返されることはなかった。ぬいぐるみを抱き締めるように壮五をぎゅうぎゅうと抱き締めて、彼の香水の香りを堪能して、終わり。壮五の腕が環の背に回ることはなかった。しかし、今日は壮五が抱き返したことで、今までで一番、身体が密着している。それはつまり。
(あー、もー……絶対ばれるじゃん)
完全にかたくなったそこをやんわりと圧迫されている。それが好きな人の身体なものだから、余計に興奮してしまって。あぁ、今、下着に少し染みてしまったかも。
「……そーちゃん?」
恐る恐る名前を呼ぶと、背に回されていた壮五の手がぴくりと反応した。
「あ、ごめ……」
「いや、いいけど。っつーか、謝んの、俺のほう、だし……」
壮五の身体で軽く圧迫されているのが気持ちいい。勃起した以上は射精したくなるのが男だ。射精するにはもっと興奮を高めるような刺激が必要だから、自然と腰が動いてしまう。男の身体はそういうふうにできている。環もそれは同様で、いけないと思いつつも、壮五の身体に下半身を押し付ける動きが止められない。
キスだってしたことないのに。初心な環にはいろいろと限界だ。気持ちも、身体も。
(勃ってんのばれてんの恥ずかしい、けど、出したい……)
できれば、今すぐ自室にこもって、めちゃくちゃに扱いて出したい。多分、ここ最近でもこんなに出なかったというくらい勢いよく出せそうだ。絶対、気持ちいい。……終わったあとは、むなしくなるだろうけれど、今は射精したいとしか考えられない。
「も、俺、……ごめん、部屋戻る、から…………」
「えっ」
壮五の両肩に手を添え、自分の身体からそっと引き剥がす。壮五の身体が自分の手のひらと同じくらい熱くて驚いた。きっと、動揺しているのだろう。
(そりゃ、相方が勃ってたらびっくりするよな)
壮五の顔を見るのが怖くて、視線を逸らしたままで部屋を出ようとする。
「ま、待って」
両手で腕を掴まれ、顔がかっと熱くなった。
「や、ちょっとまじで……明日仕事だし、今は、ほんと……部屋、戻んねえと」
空いているほうの手でTシャツの裾を引っ張り、少しだけ前屈みになる。スウェットの股間部分が盛り上がっていて、いくら隣室とはいえ、廊下で他のメンバーにはちあわせた時にこんな状態の自分を見られたら、たまったものじゃない。
「だから、待ってってば」
「~~っ、もー! ほんっとに勘弁してってば。くっついてたからわかってんだろ、今、俺、ちんこ勃ってんの! どこの世界にちんこおっ勃てたまま相方の前に立つやつがいるんだよ!」
ここにいる。今の自分がまさしくそれだ。とんでもなく格好悪いから、早く解放してほしい。壮五の手を振り解くこともできるのにそれをしないのは惚れた弱みだ。好きな人に冷たい態度を取ることができない。
「き、聞きたいことがあって」
「今? 今すぐ必要?」
質問ならあとにしてほしい。こんな情けない格好のまま質問の受け答えなんて、どんな罰ゲームだ? 好きな人の前で勃起したまま会話なんていやだ。
「必要! 必要だよ!」
「勘弁しろよも~~!」
頭を抱えてしゃがみ込む。言い合いをしているうちに勃起していたペニスが少しだけ萎えてくれたのだが、今、萎えても遅い。勃っていたことを知られたあとだ。
こうなったら、完全に鎮まってくれるまでこのまましゃがみ込んで居座ってやる。半ば開き直った環はきっと顔を上げ、壮五を睨み付けた。
(う、かわいい……)
ばちんと視線がかち合った壮五は頬を赤く染め、瞳を潤ませて環を見つめていた。そんな表情、出会った頃はしなかったのに。いつからこんな表情をするようになったのだろうか。それに、そんな表情で見つめられると、いろいろと勘違いしてしまいそうになる。こんなにかわいい顔をして……次に自慰をする時に思い浮かべてしまいそうだ。
「……なんで必要?」
「それは、……」
「黙んのなしな。聞きたいことあるって引き留めたのそーちゃんだから」
聞きたいことがあるならさっさと聞いてくれればいい。ここまでばれたならもう何を聞かれても怖くない。どうせ、壮五を抱き締めていた理由だってばれているのだろう。
「環くん、は……どうして僕のことを毎日抱き締めるのかなって」
今夜、ここを訪れてからの壮五の言動を思い出す限り、環が毎晩のように抱き締める理由に気付いているものとばかり思っていたのだが。
「え? それ聞く?」
「……聞きたい」
まじかぁ、と環は再び頭を抱えた。理由を打ち明けようとすれば、おのずと、告白することになる。格好いい告白の言葉なんて考えていなかった。毎日おとなしく抱き締められてくれるものだから、今夜、抱き締めている理由を追究されるなんて思ってもみなかったのだ。あぁ、どうしよう。
「んー……俺も聞きたいけど、そーちゃんはなんで? こういうのよくないって言いながら、十秒ならいいって言ったり、俺がやめようとしたら三秒だけとか言って抱き着いてきたり、なんで?」
「それは……質問に質問で返すなんてずるくないか?」
「そうだけど、でも、気になんじゃん。俺だけ答えるのなんか悔しいし。そーちゃんも俺の質問答えて」
互いに質問を投げかけたところで、しん……と部屋が静まり返る。
先に口を開いたのは壮五だった。
「僕は……環くんが僕のことを抱き締めてくる理由を考えていて、……ハグについて調べたら、いろいろな意味があるんだって」
壮五がかなり恥ずかしいことを言っているのがわかる。調べた? ハグについて? わざわざ?
「友情を示すハグっていうのもあったけど……環くんの抱き締め方はそれとは違うなって思った。他にはどんな意味があるのか読み進めてたら、好きな気持ち、守りたいと思う気持ち。独占欲のあらわれ、癒やしを求めてのもの、甘えたい気持ち。それから、抑えられない性欲……そんな言葉まで出てきて」
「うわー……」
思わず耳を塞いでしまった。環のハグには、それらすべてが当てはまっているからだ。
壮五のことが好きだ。かなしい気持ち、苦しい気持ちにならないよう、自分が守ってやりたい。そして、壮五の心のやわらかいところは自分だけに見せてほしい。自分たちはアイドルだから、本当は独り占めなんて許されないけれど、できれば、独り占めしたい。壮五が微笑んでくれるときゅんとときめくし、癒される。疲れた時には壮五に甘えたい。それから、それから……。
(そーちゃんとハグしたあと、……)
壮五を抱き締めたあと、部屋に戻って、彼の身体の感触を思い出しては、身体を熱くさせ、自身を慰めている。壮五に対して、性欲を抱いているのだ。
「……環くん?」
壮五がハグについて調べたことを説明し終える頃には、環は顔を真っ赤にして、涙目になっていた。
「…………そんで、……? そーちゃんは、それ調べて、どう思った?」
悪いことをして叱られる子どものような表情。趣味が悪いと言われるかもしれないが、環のそんな表情を見て、壮五は確かに、欲情を覚えた。
「どうって、……悪くは、なかったよ」
「なんだよそれ」
環が自分に好意を向けているのではないかという可能性に気付いた時、緊張と動揺だけでなく、歓喜する自分がいたのは確かだ。しかし、まだ……まだ、環の口から、正解を聞いていない。自分が思い至ったそれと、環が抱いている感情が同じかどうか、鼓動だけで判断できるほど、壮五は自分に自信を持っていない。
「だって、違ってたら……いたたまれない。僕一人が浮かれてるみたいで格好悪いじゃないか。僕だってばかだから、ちゃんと言ってくれなきゃわからないよ」
そこまで言うと、壮五は俯き、唇をきゅっと結んだ。恥ずかし過ぎて目が熱い。もしかしたら、顔が赤くなっているかもしれない。
「浮かれてるみたいって……それって、…………そんなの言われたら、俺だって、俺だって……期待して、違ったら恥ずかしいじゃんか」
二人ともが、相手が言い出すのを待っている状態。これでは一向に話が進まない。どちらかが覚悟を決めて本心を打ち明けなければ、もう一方も気持ちを吐露することができなさそうだ。
「……俺は、さ」
環の声が震えているのがわかって、壮五はかたく目を瞑る。どきどきし過ぎて、心臓が口から飛び出しそうとは、まさしく、今の状態を指すのだろう。
「そーちゃんが、なんでハグすんのかって聞いたやつ。最初に聞いてきたのそーちゃんのほうだから俺も答えるけど。……最初は、そーちゃん見てたらなんとなく、ぎゅーってしたくなっただけ。そんで、……」
ステージ上で、ライブの高揚感やファンサービス目的のハグをしたことがある。壮五だけでなく、他のメンバーにも。だから、仲間を抱き締めることに対して抵抗感を抱いていなかった。同性だし、なおさらだ。
寮で、初めて壮五を抱き締めたあの日。距離がぐっと縮まって、壮五の髪や首筋から漂う香りに、自分でも驚くほど胸が締め付けられ、泣きたくなるような感覚に陥った。なぜかよくわからないけれど、自分は、壮五を抱き締めることが好きかもしれない。
しかし、抱き締めて気持ちいいからといって、好意にまで発展するのだろうか。さり気なく、一織に話題を振って。どうやら一織は着ぐるみに抱き着くシーンを想像したようだったけれど、環はそれどころではなかった。気付いてしまったのだ、壮五に対して、仲間や相方、友愛では片付けられないほどの熱情を抱いていることに。
「ライブとかでみんなともハグするじゃん? そーちゃんともするし。でも、ここでするハグはライブとは全然違って。すっげえどきどきすんの。心臓やばい。……あと、そーちゃんのことハグした時、ふわっていいにおいして、もっとぎゅーってしたくなった。好きかも、って思った」
「好き、……って、ハグが?」
そうではないことくらい、壮五にだってわかっている。それでも質問をしたのは、臆病だから。確実なものがないと、まだ言葉にしていない気持ちを吐露することはできない。
「さすがにわかんじゃん。そーちゃんとのハグもだけど、そーちゃん自身が、って。そーちゃんが、……好き、って。いくらなんでもわかんだろ…………」
心臓が耳の横にあるのではないかというくらい、鼓動がうるさい。どくどくとやかましい音を立てて鼓膜を揺らすものだから、自分の声がいつもと違うような気がしてきた。
抱き締めさせてくれるということは嫌われてはいないのだろうが、恋愛感情を向けられているということに対しては、もしかすると、嫌悪感を向けられるかもしれない。
「もしかしたら、やべえって思ってるかもだけど、俺だって、あんたのことそういう意味で好きになるって思ってなかったし……まじで俺自身びっくりで、でも、できたら、嫌わないでほしい…………です」
俯いた環の視界には、正座をしている壮五の膝と、その上にのせられた拳しか見えていない。相変わらずきれいな手をしているなと思った。欲を言えば、この手に触れて、握り締めたい。そのまま強く引き寄せて、もう一度抱き締めたい。端的に言えば、お付き合いをしたいのだ。だって自分は壮五に欲情する身体になってしまっている。万が一、振られたとしても、立ち直るまでは、壮五を抱き締めた時の感触を思い出しながら自慰に耽ってしまうだろう。この先、壮五以外に恋ができなかったらどうしよう。相方をおかずに自慰をして、童貞のまま一生を終えるかもしれない。
(ま、それでもいいけど)
自分が一番苦しかった時に味方でいてくれたのは、壮五だけだった。妹と再会できると思っていたのに、騙されて、二度と見たくない顔を見させられた。動揺のあまり感情を抑えられなかった自分に対して向けられた非難と、同情を含みながらも環の言動を咎める視線。あの時の環にもっとも必要だったのは、ささくれ立った心を無条件で抱き締めてくれるぬくもりだった。それを、壮五が与えてくれたのだ。
もしかしたら、あの時から、心のどこかで壮五に惹かれていたのかもしれない。
(……なんか、言えよ)
環としては恐らく人生最大ともいえるレベルの勇気を振り絞ったのに、肝心の壮五からの反応がない。焦れて顔を上げると、そこには耳まで真っ赤に染まった壮五の、今にも泣き出しそうな表情があった。
「そー……」
「環くんが悪い」
なんだこの男は! と叫びたくなった。勇気を出して、人生初の恋心を打ち明けたというのに、受け入れる返事でもなければ拒絶する態度でもなく、出てきたひとことめが「環くんが悪い」なんて。環としては使いたくない表現だが、世間で言う「親の顔が見てみたい」はこういう時に使うのだろう。親の顔……と心の中で呟いたところで、逢坂壮志の顔が浮かび、環は小さくかぶりを振った。今、その顔を思い出したいわけではない。
「……あんたさぁ、頭いいのに、ほんっと、ばかだよなぁ」
壮五の顔を見ていたら、むかむかした気持ちがどこかへいって、涙がこぼれそうな目許に優しく触れてやりたくなった。
「ごめん……」
「そのごめんって、なんのごめん?」
まさか告白に対する「ごめん」だろうかと、恐る恐る尋ねる。
「言ってることが支離滅裂でごめん。ある程度予想はついてたのに、いざ実際に好意を打ち明けられると動揺してしまって。さっき自分でも言った通り、今の僕はとんでもなく、ばかなんだ。普段の僕なら、ばかにしないでくれって憤慨するんだけど、今は……環くんにばかって言われても仕方ないなぁ、と」
祈るように両手を組み、額に押し当てる。全力疾走したみたいに全身が熱くて、環がこれ以上不安にならないうちに本音を打ち明けなければと、ゆっくり息を吐き出した。
(環くんは打ち明けてくれたんだ。僕が思ってた通り、好意を寄せてくれてた。僕も、打ち明けなきゃ)
ごくりと生唾を飲み込み、拳を膝の上に戻す。
「……環くんが僕を毎日のように抱き締めるようになって、そのせいで気付いてしまったんだ。多分、抱き締められなかったら、気付かなかったと思う。触れたところから伝わる鼓動が心地よくて、いつの間にか僕の鼓動も同じ速度を刻んでいて、それって、あぁ、僕も環くんのことが、…………好き、……なんだなぁって」
あぁ、やっぱり恥ずかしい。手のひらに爪が食い込んでしまうくらい、身体がこわばっている。自分のことなのに、手のひらの痛みが、どこか他人ごとのように思えた。それくらい、自分の全神経が目の前の環に集中しているのだ。目の前で、壮五の告白に唖然としている環に。
「……なにか言ってよ」
「…………あ、えっと。だって、びっくりして」
環はうろうろと視線を彷徨わせながら、王様プリンの文字がプリントされたTシャツの裾を握り締める。
どきどきさせられて悔しいのと、壮五の告白に動揺しておろおろしている姿がかわいくてたまらないのと……それから、他にもたくさん。いちいち挙げていられないくらい、どうしようもなく、環のことを抱き締めたくなった。
「ねぇ、環くん。僕がさっき、三秒だけって言ったの、あれも、きみのことが好きで、たまらないって気持ちになったからなんだ。……三秒じゃ、たりなくて、その、環くんさえよければ、もう一度…………抱き締めてほしいかな……って思うんだけど」
畳み掛けるように熱烈な愛の言葉を伝えられて、環はもう、キャパシティの限界だ。
「嬉しい、けど、ちょっとタンマ。どきどきし過ぎて、ほんと、やばい」
今、壮五を抱き締めたら。時間の経過と緊張で鎮まったところが反応してしまいかねない。心持ち前屈みになった環を見て悟ったのか、壮五の視線が環の下半身に注がれる。
「……えぇと、そこは仕方ないと思う。それで、その、……さすがに今日いきなりっていうのは、僕にとっては未知の世界だから難しいんだけど、そういうことは、ゆっくり、二人で知っていけたらなと、思う所存で……」
混乱しているのか、まわりくどい言い回しだ。それでも、壮五の言わんとしていることは理解できた。
「つまり、今日じゃなかったら、そーちゃん、俺とエッチするってこと?」
「しょ、将来的にはそうなることもやぶさかではないというか! 環くんはまだ十七歳だからせめて十八歳になるまではっていう考えがあって!」
まじか、と呟く。ふたつの意味だ。抱き締める以上の関係に進む可能性を示唆されたことでの驚きがひとつ。もうひとつは、せっかく両想いだとわかったのに、高校卒業までセックスはおあずけだということ。十八歳の誕生日まで結構あるなぁと、頭の中にカレンダーを思い浮かべた。
「えー……まじか。そっか……」
我慢できるか? と自問する。抱き締めただけで勃起してしまうくらいだ。たとえばキスなんてした日には、それだけで射精してしまうかもしれない。……これは大袈裟か。いや、ついさきほど関係の進展を示唆されただけで、環は今夜、壮五のこの言動を思い出して自慰してしまいそうだなと思ったくらいだから、大袈裟でもないかもしれない。
「う。もちろん、難しいことを強いているというのはわかってるよ。十七歳って多感な時期だし、環くんはその、……僕のことを抱き締めるだけで男性器が勃起してしまうようだから」
「ドーテーくさいって言いたいんだろ」
「違う、そうじゃない! ……あぁ、怒鳴ってごめん。いや、性行為の経験がないことは僕にとっては問題ではなくて……というか、僕としては環くんが未経験であることに喜びを感じてしまってるくらいなんだけど」
そこまで言って、世間一般論を思い出す。女は相手の最後の人になりたいと願い、男は相手の最初の人になりたいと願う傾向にあるというもの。大学時代、昼食を取っている傍でそんな言葉が聞こえてきた。当時の壮五は「あの人たちは食事中に大きな声でなんて話をしてるんだ。恥じらいはないのか?」と眉を顰めたものだが、こうして環を前にして、その気持ちがよくわかると納得してしまった。
「そんで、なに?」
「環くんの股間にはつらい思いをさせるかもしれないけど、抱き締めてほしい……」
まなじりを赤く染めてそうねだる壮五を見ていたらたまらなくなり、環は「あー!」と叫んだかと思うと、壮五の腕を引いて抱き締めた。自分よりひと回り小さな身体は腕の中にすっぽりと収まって、いい香りがする。
(………………勃った)
元気過ぎる股間に自分で呆れたものの、とうに知られてしまっているのだからと環は開き直ることにした。
「そーちゃんもさっき言ってたけど、仕方ねえってことで、許して?」
「う、うん……」
ごりごりと押し付けられる感触に、壮五は必死で素数を数えた。
(これは……本当にやばい、かも)
互いに気持ちを打ち明け、同じ気持ちだという確信を持って触れていると、自分までむずむずしてくる。環に気付かれないよう、壮五はそっと膝を擦り合わせた。多分、かたくなったところを擦り合わせたら、気持ちいいに違いない。事実、無意識なのか、環は自分のいきり勃ったペニスをスウェット越しに壮五の身体にぐいぐいと押し付け、わずかに腰を揺らしている。環が自分に欲情しているという事実が、壮五を欲情させるのだ。
(環くんの、あそこ…………)
想像しただけで、口の中の唾液が増えた気がした。これ以上はいけない。自分で「十八歳になるまで」と言っておきながら、気持ちを確かめ合ったばかりの今夜、すぐにでも、すべてがほしくなってしまいそうだ。抱き合っただけでこんな状態だから、キスなんてした日には、もっとしてほしいと環に覆い被さってしまうかもしれない。自分はこんなにいやらしい男だったのかと恥ずかしくなった。
煩悩を振り払うように首を横にぶんぶんと振る。環の腕の中にいる状態でそうするものだから、環からすれば、自分の肩口に擦り寄られているようにしか思えない。
「あんたさぁ……まぁ、いいけど」
十八歳まで待つと言っておきながら、抱き締めてほしいと言ったり、こうして擦り寄ってきたり、理性を崩しにかかっているのだろうかと疑いたくなる。なんの拷問だ。
抱き締めて、癒されているだけでよかったはずなのに。壮五を抱き締めることでの効果が大き過ぎた。好きの気持ちが増幅してあふれて、欲情を隠せなくなった。
「あーあ。早く十八になりてえな」
環の言葉に、壮五が肩を震わせて笑う。
「ふふ、……ごめん。できるだけ、環くんにばかり負担を強いることがないよう、僕も努力するよ。僕だって……待つの、つらいんだからね。同じ男だからわかると思うけど」
「……おー。前向きに、…………お願いします」
「うん、……そうだね」