悪い男
環と交際を始めて一ヵ月、二人は壮五の理想とする甘い時間を過ごしていた。
朝は壮五が環を起こし、MEZZO”の仕事で万理が社用車を出してくれた時は後部座席でこっそりと手を繋ぐ。環が学校の日は玄関まで見送りに出て、視線だけで好きの言葉を伝える。翌日がオフの時は少しだけ夜更かしをして、どちらかの部屋で仲睦まじくおしゃべりタイム。時折、心地いい沈黙が訪れて、もじもじする環の腿に手をのせて体を近付ければ、ふわりと重ねるだけのキスをしてくれる。まるで、夢のような時間に、今日も壮五はうっとりと目を細めていた。
(こんなに格好いい子と、僕はお付き合いをしてるんだ……年上として、節度ある交際をしなければ……)
唇を離してはにかむと、環の頬がぽっと赤くなる。なにかを言いたそうに口をもごもごさせて、どうしたのだろう。
「環くん?」
「そー、ちゃん……俺っ……」
「わっ」
ぐるりと視界が回り、気が付けば、思いつめたような環の顔と、部屋の天井が視界いっぱいに広がっていた。
「えっと……?」
どうしよう、これは、なにかがおかしい。壮五の頭の中で警鐘が鳴る。
「俺、優しくするから! だから、その……」
「んっ……?」
覆い被さってきた環にキスをされている。それも、今までのような、唇を触れ合わせるだけのものではなく、舌を使った、性感を煽るキス。
身を捩ろうと試みるが、体格の大きな環には敵わない。じたばたと動かす脚は、爪先がシーツを蹴るばかりだった。
「ん、ん……、んぁっ……」
自分でも聞いたことのないような甘い声が漏れる。その声に気をよくしたのか、環の不埒な手が壮五の寝間着の裾から忍び込んできた。
「ふぁ……」
脇腹をそっとなぞった手が寝間着をずり上げながら体を撫で回す。
「~~~~っ! ちょっと待って!」
「うぐっ!」
鳩尾に一発。壮五の隣に倒れ込んだ環は、攻撃を食らったところをしきりに押さえて身悶えている。
「……いってえ」
そりゃあそうだろう。幼い頃から護身術を叩き込まれてきた壮五の一撃だ。見た目が細いからといってばかにしないでいただきたい。動揺した心を宥めようと深呼吸をする壮五を、環は涙目でキッと睨みつけた。睨みたいのはこっちだ。
「今のは環くんが悪い」
「はぁっ? 今の、絶対、そういう雰囲気だったじゃん! そりゃあ、いい? って訊かなかった俺も悪いけど、そーちゃんがそんな顔するから!」
少し痛みが和らいだのか、環ががばりと身を起こす。
「そんな顔?」
「高校生を丸め込む悪い男の顔。すっげえ甘くてとろっとろ」
「どこかで聞いた台詞だね。環くんまで御堂さんの言葉を真に受けたのか?」
あの時、もっと早く虎於を黙らせておくべきだった。彼のせいで環がとんでもない言葉を覚えてしまったではないか。以前に比べれば幾分か接しやすくなった昔なじみの顔を思い浮かべ、苦々しい顔をする。次に僕の環くんに余計なことを吹き込んでみろ、ただじゃすまないぞと、心の中で虎於のことを五億回懲らしめた。
「……御堂さんにはよく言っておかなければいけないな」
年齢だけを見れば虎於のほうが年上でも、アイドルとしてはあちらが後輩だ。逢坂家と御堂家では、逢坂家のほうが財界での立場が強い。以前は環に「壁になって」と頼んで身を隠したくなる、苦手な男だったが、ノースメイアで彼らと行動をともにし、年末の『ブラック・オア・ホワイト ミュージックファンタジア』で対峙してからは、壮五が虎於を敬遠することもなくなった。
「そーちゃんこえー。とらっちかわいそう。……じゃなくて、話逸らすなって。今の、絶対の絶対の絶対に、いい雰囲気だったじゃん」
「いい雰囲気?」
「だーかーらぁ、チューから先の、その……エッチなことしてもいいかなーみたいな」
指先を遊ばせながら、頬を膨らませた環が不満そうに言う。……不満そう? 待ってくれ、そこは恥ずかしがるところではないのか? 壮五は一気に混乱してしまった。
「……解釈違いだ、環くん」
「は?」
「僕の環くんは自然な流れで性交渉に及ぼうとする男の子じゃない。だって環くんはキスという単語に恥じらって、恋の話なんて恥ずかしいと照れてたくらいだ。それなのに、そんな、まるで性交渉の経験がある男のような所作……認めない、認めないよ!」
いくら抱かれたい男ランキングに名を連ねているとはいえ、環は十七歳の高校生だ。交際だって、キスだって、壮五が初めてだと言っていたのに、雰囲気を読んでその先に進もうとするなんて自然なこと、童貞なのにスムーズにできるはずがない! 熱弁するあまり肩を上下させる壮五。壮五の話にどんどん表情を歪ませる環。心地よい沈黙からのキスをしていた時のムードはあとかたもなく消え去った。
「勝手に夢見てんじゃねえよ! 俺だってな、好きな人と恋人になれたからには、ちゃんとベンキョーすんの! チューしてそれだけで満足するほど子どもじゃねえし! 言っとくけど、あんたとチューするたびにこっちはいろいろ限界きてんだよ! わかれよ! そーちゃんのばーか!」
「なっ……」
環は言うだけ言って、部屋を飛び出してしまった。ここは環の部屋なのに、一人取り残された壮五は唖然とした表情から一転、じわじわと顔を赤らめていく。
「限界、って……」
想像したことがないわけではない。彼が大人になったら、キスの先にあることをゆっくり教えていこうと考えていた。いずれ訪れるその日を楽しみに、壮五だって、いろいろと勉強しているのだから。
(でも、環くんが言うなら……)
天井を背にした、思いつめたような環の表情。あんなに熱い眼差しで見つめてもらえるなら、自分の中にある〝環の解釈〟を覆してもいいかもしれないとさえ思えてくる。
(勉強って、環くん、どんなことを調べたのかな……)
壮五とのことを想像しながら破廉恥な知識を頭に叩き込む環の姿を想像し、うわあと頭を抱えてその場に蹲った。
――一時間後、共有のリビングから壮五を呼ぶ、疲労感たっぷりの大和の声で我に返った壮五が環に頭を下げ、二人はやっと、その先に進むことができたのだとか。
朝は壮五が環を起こし、MEZZO”の仕事で万理が社用車を出してくれた時は後部座席でこっそりと手を繋ぐ。環が学校の日は玄関まで見送りに出て、視線だけで好きの言葉を伝える。翌日がオフの時は少しだけ夜更かしをして、どちらかの部屋で仲睦まじくおしゃべりタイム。時折、心地いい沈黙が訪れて、もじもじする環の腿に手をのせて体を近付ければ、ふわりと重ねるだけのキスをしてくれる。まるで、夢のような時間に、今日も壮五はうっとりと目を細めていた。
(こんなに格好いい子と、僕はお付き合いをしてるんだ……年上として、節度ある交際をしなければ……)
唇を離してはにかむと、環の頬がぽっと赤くなる。なにかを言いたそうに口をもごもごさせて、どうしたのだろう。
「環くん?」
「そー、ちゃん……俺っ……」
「わっ」
ぐるりと視界が回り、気が付けば、思いつめたような環の顔と、部屋の天井が視界いっぱいに広がっていた。
「えっと……?」
どうしよう、これは、なにかがおかしい。壮五の頭の中で警鐘が鳴る。
「俺、優しくするから! だから、その……」
「んっ……?」
覆い被さってきた環にキスをされている。それも、今までのような、唇を触れ合わせるだけのものではなく、舌を使った、性感を煽るキス。
身を捩ろうと試みるが、体格の大きな環には敵わない。じたばたと動かす脚は、爪先がシーツを蹴るばかりだった。
「ん、ん……、んぁっ……」
自分でも聞いたことのないような甘い声が漏れる。その声に気をよくしたのか、環の不埒な手が壮五の寝間着の裾から忍び込んできた。
「ふぁ……」
脇腹をそっとなぞった手が寝間着をずり上げながら体を撫で回す。
「~~~~っ! ちょっと待って!」
「うぐっ!」
鳩尾に一発。壮五の隣に倒れ込んだ環は、攻撃を食らったところをしきりに押さえて身悶えている。
「……いってえ」
そりゃあそうだろう。幼い頃から護身術を叩き込まれてきた壮五の一撃だ。見た目が細いからといってばかにしないでいただきたい。動揺した心を宥めようと深呼吸をする壮五を、環は涙目でキッと睨みつけた。睨みたいのはこっちだ。
「今のは環くんが悪い」
「はぁっ? 今の、絶対、そういう雰囲気だったじゃん! そりゃあ、いい? って訊かなかった俺も悪いけど、そーちゃんがそんな顔するから!」
少し痛みが和らいだのか、環ががばりと身を起こす。
「そんな顔?」
「高校生を丸め込む悪い男の顔。すっげえ甘くてとろっとろ」
「どこかで聞いた台詞だね。環くんまで御堂さんの言葉を真に受けたのか?」
あの時、もっと早く虎於を黙らせておくべきだった。彼のせいで環がとんでもない言葉を覚えてしまったではないか。以前に比べれば幾分か接しやすくなった昔なじみの顔を思い浮かべ、苦々しい顔をする。次に僕の環くんに余計なことを吹き込んでみろ、ただじゃすまないぞと、心の中で虎於のことを五億回懲らしめた。
「……御堂さんにはよく言っておかなければいけないな」
年齢だけを見れば虎於のほうが年上でも、アイドルとしてはあちらが後輩だ。逢坂家と御堂家では、逢坂家のほうが財界での立場が強い。以前は環に「壁になって」と頼んで身を隠したくなる、苦手な男だったが、ノースメイアで彼らと行動をともにし、年末の『ブラック・オア・ホワイト ミュージックファンタジア』で対峙してからは、壮五が虎於を敬遠することもなくなった。
「そーちゃんこえー。とらっちかわいそう。……じゃなくて、話逸らすなって。今の、絶対の絶対の絶対に、いい雰囲気だったじゃん」
「いい雰囲気?」
「だーかーらぁ、チューから先の、その……エッチなことしてもいいかなーみたいな」
指先を遊ばせながら、頬を膨らませた環が不満そうに言う。……不満そう? 待ってくれ、そこは恥ずかしがるところではないのか? 壮五は一気に混乱してしまった。
「……解釈違いだ、環くん」
「は?」
「僕の環くんは自然な流れで性交渉に及ぼうとする男の子じゃない。だって環くんはキスという単語に恥じらって、恋の話なんて恥ずかしいと照れてたくらいだ。それなのに、そんな、まるで性交渉の経験がある男のような所作……認めない、認めないよ!」
いくら抱かれたい男ランキングに名を連ねているとはいえ、環は十七歳の高校生だ。交際だって、キスだって、壮五が初めてだと言っていたのに、雰囲気を読んでその先に進もうとするなんて自然なこと、童貞なのにスムーズにできるはずがない! 熱弁するあまり肩を上下させる壮五。壮五の話にどんどん表情を歪ませる環。心地よい沈黙からのキスをしていた時のムードはあとかたもなく消え去った。
「勝手に夢見てんじゃねえよ! 俺だってな、好きな人と恋人になれたからには、ちゃんとベンキョーすんの! チューしてそれだけで満足するほど子どもじゃねえし! 言っとくけど、あんたとチューするたびにこっちはいろいろ限界きてんだよ! わかれよ! そーちゃんのばーか!」
「なっ……」
環は言うだけ言って、部屋を飛び出してしまった。ここは環の部屋なのに、一人取り残された壮五は唖然とした表情から一転、じわじわと顔を赤らめていく。
「限界、って……」
想像したことがないわけではない。彼が大人になったら、キスの先にあることをゆっくり教えていこうと考えていた。いずれ訪れるその日を楽しみに、壮五だって、いろいろと勉強しているのだから。
(でも、環くんが言うなら……)
天井を背にした、思いつめたような環の表情。あんなに熱い眼差しで見つめてもらえるなら、自分の中にある〝環の解釈〟を覆してもいいかもしれないとさえ思えてくる。
(勉強って、環くん、どんなことを調べたのかな……)
壮五とのことを想像しながら破廉恥な知識を頭に叩き込む環の姿を想像し、うわあと頭を抱えてその場に蹲った。
――一時間後、共有のリビングから壮五を呼ぶ、疲労感たっぷりの大和の声で我に返った壮五が環に頭を下げ、二人はやっと、その先に進むことができたのだとか。