宝物
それは番組収録が終わって、アンケートを記入している時のこと。
「なぁ、宝物って?」
環はボールペンを器用にくるくる回し、視線はアンケート用紙に落としたまま、呟くように壮五に尋ねた。
「えっと……」
いつもは壮五をまっすぐ見据えて話しかけてくる環が、珍しく視線を合わせないままだったことで、空耳か? と思ってしまったほどだ。今、本当に呼ばれた? と壮五はしばし考え込んでしまう。
そうしてしばらくの間、楽屋に沈黙が訪れた。先にそれを破ったのはやっぱり環で「聞いてんの?」という、さきほどまでよりも大きな声とともに、今度は顔を上げて壮五をまっすぐに見据えてきた。
「なに、そーちゃんまた具合悪い?」
まただ、と壮五は思う。過去に壮五が体調を崩してからというもの、環は、壮五のことをまるで壊れもののように扱う。そんなにやわじゃないのに。
壮五が少しでも表情を曇らせようものなら、体調が悪いのか、なにか怒っているのかと質問が飛んでくる。壮五が「なんでもないよ」と答えても、すぐに引き下がることはなく「なんでも言えっつったじゃん」と食い下がってくる。何回目かの「なんでもない」をもって、ようやく、ほっとした表情をするのだ。すぐに納得してもらえないことで、信用されていないのかと不安になったこともある。以前、環にそう言い返してみたところ「だって、一回で納得してたから、そーちゃん倒れたんじゃんか」と、デビュー前の頃のことを悔しそうに言われてしまった。環は自身のプライドと意地にかけて、同じ過ちを二度と繰り返さないと、かたく誓っているのだろう。
あの頃に比べれば、自分たちの関係は相当穏やかなものになったと思う。それなのに、時折、心の中に激しい嵐が吹き荒れる。それは不快なものではなく、むしろ、それまで見ていた世界が輝いて見えるような種類のもの。壮五はこの激しい嵐の正体に、とうに気付いている。
「なーあー、そーちゃーん?」
「うわっ」
環はいつの間にか椅子から立ち上がって、壮五の目の前まで来ていた。過去に想いを馳せ、ぼんやりとしていた壮五は驚いて、普段出さないような叫び声を上げてしまう。
「……そんなにびびらなくても」
「あ、ごめんね」
とっさに答えてから、壮五は「しまった」と手で口許を覆う。
「そーやってすぐ謝る。やめろよすぐ謝るの。俺、怒ってねえし」
時々、環はこうして、壮五が自分の心の中で息苦しくならないように、そっと手を差し伸べてくれる。面倒見のいい、優しい男だ。施設にいた頃、年下の面倒を見ていたことが影響しているのだろう。謝罪の言葉が癖のように出てくるのをぐっと堪え、他の言葉を懸命に探す。
「えっと、……そうだ、宝物の話だったね」
結局、うまい言葉は見つからなくて、本来の話に戻す言葉しか出てこなかった。
「うん。そーちゃんのはなんかなーって。単純なギモン」
宝物はなにか。改めて問われると、いろいろなものが浮かんで、答えに困ってしまう。
このアンケート用紙で求められている回答としては、ファンやメンバーの存在といったところか。しかし、環が今、壮五に求めている回答はそういった類のものではない。この程度のことなら、書くべき回答は環にもわかっているからだ。
アイドルとしての優等生回答である「ファンが宝物」も、本心であることには間違いない。もちろん、メンバーだって、かけがえのない宝物。マネージャーも、事務所も、それから、尊敬する人たちも……。自分が買い求めたCDも、どれも素晴らしい宝物。
(でも、それ以上に……)
大切な宝物が、今まさに壮五の目の前で、答えを待っている。
彼と出会ってからというもの、音楽を聴いていない時でも、感情を揺さ振られることが多くなった。
たとえば、夜空。いつ見てもそんなに代わり映えはしない、見慣れたものだと思っていたのに、仕事のあとに環と歩きながらふと見上げたそれは、色が違って見えた。環の隣にいると、それまでなにげなく視界に入っていた程度のものが、とても大事なものに思えてくる。
もしかすると、環の隣にいるから、大事に思えるのかもしれない。彼のことが、一番大事だから。
「環くん」
「……?」
壮五としては勇気を振り絞って言ったつもりなのだが、環はというと、名前を呼ばれたのかと思ったらしい。壮五の続きの言葉を待って、環も押し黙ってしまった。
「えっと……」
自分が環のことを宝物というなんておこがましかっただろうかと、急激に後悔の念が押し寄せてくる。
「えっと、……そーちゃん?」
「あの、だから、……宝物がなにかって、きみの質問の答え、なんだけど」
壮五がそこまで言ったことで環は理解したらしい。いや、環とて、その可能性をまったく考えていないわけではなかった。
(さっきの、まさかって思ったけど、……まじかよ)
優しい壮五のことだから、自分のことも大事だよと言ってくれるかもしれないと淡い期待を抱いていたことは否定しない。しかし、まさか本当に自分の名前を言われるとまでは思っていなかった。
環がなかなか言葉を発しないことで、壮五の焦りが増す。
(や、やっぱり重過ぎたかな。環くんはまだ十七歳だし、いくら社会に出て仕事をしているとはいっても未成年だ。その彼に対して、きみの存在が宝物だなんて、……あぁ、どうしよう)
今からでもなにか、環を安心させる言葉をかけてやらなければ。そう思って壮五は勢いよく顔を上げた。しかし、顔を上げた直後、視界に映った環の表情を見て、壮五は言葉を失ってしまう。
「環くん、きみ……」
環がこれまでに見たことのないくらい、顔を真っ赤にしているではないか。
「うっせ、見んな……」
「なんて顔を……してるんだ……」
空気感染なんてしないはずなのに、壮五まで、顔に熱が集まってしまう。喜んでもらえたと思っていいのだろうか。期待、してもいいのだろうか。
ひとつわかるのは、アンケートに「相方」とは書けなさそうだということ。だって、人前で、こんな表情をするわけにはいかないのだから。
「なぁ、宝物って?」
環はボールペンを器用にくるくる回し、視線はアンケート用紙に落としたまま、呟くように壮五に尋ねた。
「えっと……」
いつもは壮五をまっすぐ見据えて話しかけてくる環が、珍しく視線を合わせないままだったことで、空耳か? と思ってしまったほどだ。今、本当に呼ばれた? と壮五はしばし考え込んでしまう。
そうしてしばらくの間、楽屋に沈黙が訪れた。先にそれを破ったのはやっぱり環で「聞いてんの?」という、さきほどまでよりも大きな声とともに、今度は顔を上げて壮五をまっすぐに見据えてきた。
「なに、そーちゃんまた具合悪い?」
まただ、と壮五は思う。過去に壮五が体調を崩してからというもの、環は、壮五のことをまるで壊れもののように扱う。そんなにやわじゃないのに。
壮五が少しでも表情を曇らせようものなら、体調が悪いのか、なにか怒っているのかと質問が飛んでくる。壮五が「なんでもないよ」と答えても、すぐに引き下がることはなく「なんでも言えっつったじゃん」と食い下がってくる。何回目かの「なんでもない」をもって、ようやく、ほっとした表情をするのだ。すぐに納得してもらえないことで、信用されていないのかと不安になったこともある。以前、環にそう言い返してみたところ「だって、一回で納得してたから、そーちゃん倒れたんじゃんか」と、デビュー前の頃のことを悔しそうに言われてしまった。環は自身のプライドと意地にかけて、同じ過ちを二度と繰り返さないと、かたく誓っているのだろう。
あの頃に比べれば、自分たちの関係は相当穏やかなものになったと思う。それなのに、時折、心の中に激しい嵐が吹き荒れる。それは不快なものではなく、むしろ、それまで見ていた世界が輝いて見えるような種類のもの。壮五はこの激しい嵐の正体に、とうに気付いている。
「なーあー、そーちゃーん?」
「うわっ」
環はいつの間にか椅子から立ち上がって、壮五の目の前まで来ていた。過去に想いを馳せ、ぼんやりとしていた壮五は驚いて、普段出さないような叫び声を上げてしまう。
「……そんなにびびらなくても」
「あ、ごめんね」
とっさに答えてから、壮五は「しまった」と手で口許を覆う。
「そーやってすぐ謝る。やめろよすぐ謝るの。俺、怒ってねえし」
時々、環はこうして、壮五が自分の心の中で息苦しくならないように、そっと手を差し伸べてくれる。面倒見のいい、優しい男だ。施設にいた頃、年下の面倒を見ていたことが影響しているのだろう。謝罪の言葉が癖のように出てくるのをぐっと堪え、他の言葉を懸命に探す。
「えっと、……そうだ、宝物の話だったね」
結局、うまい言葉は見つからなくて、本来の話に戻す言葉しか出てこなかった。
「うん。そーちゃんのはなんかなーって。単純なギモン」
宝物はなにか。改めて問われると、いろいろなものが浮かんで、答えに困ってしまう。
このアンケート用紙で求められている回答としては、ファンやメンバーの存在といったところか。しかし、環が今、壮五に求めている回答はそういった類のものではない。この程度のことなら、書くべき回答は環にもわかっているからだ。
アイドルとしての優等生回答である「ファンが宝物」も、本心であることには間違いない。もちろん、メンバーだって、かけがえのない宝物。マネージャーも、事務所も、それから、尊敬する人たちも……。自分が買い求めたCDも、どれも素晴らしい宝物。
(でも、それ以上に……)
大切な宝物が、今まさに壮五の目の前で、答えを待っている。
彼と出会ってからというもの、音楽を聴いていない時でも、感情を揺さ振られることが多くなった。
たとえば、夜空。いつ見てもそんなに代わり映えはしない、見慣れたものだと思っていたのに、仕事のあとに環と歩きながらふと見上げたそれは、色が違って見えた。環の隣にいると、それまでなにげなく視界に入っていた程度のものが、とても大事なものに思えてくる。
もしかすると、環の隣にいるから、大事に思えるのかもしれない。彼のことが、一番大事だから。
「環くん」
「……?」
壮五としては勇気を振り絞って言ったつもりなのだが、環はというと、名前を呼ばれたのかと思ったらしい。壮五の続きの言葉を待って、環も押し黙ってしまった。
「えっと……」
自分が環のことを宝物というなんておこがましかっただろうかと、急激に後悔の念が押し寄せてくる。
「えっと、……そーちゃん?」
「あの、だから、……宝物がなにかって、きみの質問の答え、なんだけど」
壮五がそこまで言ったことで環は理解したらしい。いや、環とて、その可能性をまったく考えていないわけではなかった。
(さっきの、まさかって思ったけど、……まじかよ)
優しい壮五のことだから、自分のことも大事だよと言ってくれるかもしれないと淡い期待を抱いていたことは否定しない。しかし、まさか本当に自分の名前を言われるとまでは思っていなかった。
環がなかなか言葉を発しないことで、壮五の焦りが増す。
(や、やっぱり重過ぎたかな。環くんはまだ十七歳だし、いくら社会に出て仕事をしているとはいっても未成年だ。その彼に対して、きみの存在が宝物だなんて、……あぁ、どうしよう)
今からでもなにか、環を安心させる言葉をかけてやらなければ。そう思って壮五は勢いよく顔を上げた。しかし、顔を上げた直後、視界に映った環の表情を見て、壮五は言葉を失ってしまう。
「環くん、きみ……」
環がこれまでに見たことのないくらい、顔を真っ赤にしているではないか。
「うっせ、見んな……」
「なんて顔を……してるんだ……」
空気感染なんてしないはずなのに、壮五まで、顔に熱が集まってしまう。喜んでもらえたと思っていいのだろうか。期待、してもいいのだろうか。
ひとつわかるのは、アンケートに「相方」とは書けなさそうだということ。だって、人前で、こんな表情をするわけにはいかないのだから。