記録と学び

近況

 前回の雑記に書いたように、2023年6月25日開催『たまにはそういうことも。JB2023』に参加予定なので、それに合わせた原稿をものすごくゆっくり進めています。
 何人かの方には打ち明けていますが、頭を空っぽにして読む感じのDiDタマソーの短い話を書く予定です。というか日々数行ずつ書いています。余裕があれば他にもなにかつくりたいです。
 そして、3月に発行した合同誌・個人誌とも、頒布終了しました。お手に取ってくださったみなさま、ありがとうございました。

発行物リストをつくりたい

 サイト内で読めるコンテンツについては、よほど人を選ぶ題材でない限りは更新履歴に載せるよう心がけていますが、それとは別に、過去に発行した同人誌の情報を少しずつまとめています。
 以前は別のところ(小さい広告が出るウェブサイト)に掲載していた、作品の裏話や、カバーにこういう紙を使ったよといった雑談も、――せっかくサーバーを契約して自サイトを構えたのだから――ここに移行する予定です。その時に「これはpixivでも公開しています」と誘導した作品を優先的に移行させたいのでちょっと時間がかかりそうです。そもそもそういう雑談を書いていない既刊についても、せめて、使った紙と書影だけはまとめたいな。
 わたしにとって、好きカプで「紙で読める本として手許に残る」同人誌をつくることは、「好きカプについてこういう話を考えた記録」であり、「想像だけでは触れないけれど紙で読める本にするということは触れる=現実!?」という妄言なんですが、それだけでは飽き足らず自サイトにそれらの記録を並べたい理由は「この頃はこういうことを考えていたんだな」というのをわたし自身が気軽に振り返られるからです。
 どんなに好きなものに触れたとしても、その日の自分の感情に浸る余裕がない時ってあるじゃないですか。わたしは、そういう時ほど、「あの頃考えていたこと」を追想したくなります。今日生まれる気持ちをなぞる元気はないから、数ヵ月あるいは数年前の自分の気持ちを振り返って、今と同じところや違うところはあるのかなって考えながら眠る。「あるのかな」の答えは、次に気持ちの余裕ができた時の課題。自分の二次創作をリスト化するのは、その一助になり得ると思っています。
 ただ、過去に発行した同人誌のタイトルを並べながら、一覧ページはカテゴリー分けで自動的に表示されるものよりも自分で文字を打って並べたほうが見やすいなと感じたので、そこはもうちょっと頑張りたいです。デフォルトの表示に頼るな。

ひとこと感想

 このサイトで使っているWordPressのテーマをカスタマイズしやすいシンプルなものに変更したことでいろいろと融通が利くようになってくれたので、作品ページにひとこと感想フォームをつけました。今まで使っていたテーマは高機能過ぎるあまり「シンプルにしたいのにあちこちいじらないといけない」状態だったので管理がらくになりました。
 たくさんぽちぽちしてくれてありがとうございます。読んだページそのものにリアクション送れるものあるほうが押しやすいよね、わかる。

受け身の学びって怖い

 TwitterのAPI仕様変更でサードパーティ製Twitterアプリがどんどん使えなくなったり、Twitter連携ログインが一時的に使えなくなったりと話題が尽きない(褒めてない)「Twitterの今後」。
 こういう話題になると(pixivもいろいろあったため)「作品公開はサイトしか勝たんのか」などの流れになる。でも、そこから実際にサイトつくる人ってそう多くないですよね。時間も手間もかかるし、なにより、二次創作同人サイトは検索除けしているのが同志にも影響してしまって「見つけにくい/見つかりにくい」から。特に、ジャンルにハマりたての人はまずSNSで探す時代だし。
 そもそも「URLをクリックして見にいく」行動を煩わしく思う人がどんどん増えている。たとえば、Twitterでアニメやソシャゲの公式アカウントが「詳細はこちらをご覧ください」というツイートとともにURLを添えても、残念ながら、見ない人って結構多い。公式アカウントでそうだから、二次創作同人サイトはもっと「どんなに作品を求めている人であっても見にこない」し、「SNSのフォロワーにも作品置き場を知られていない」可能性がある。外部URLをツイートするとシャドウバンされるとか検索に引っかからないとかいう謎バグもあるけれど、それを抜きにしても、「URLはクリックされない」。
 自動的に流れてくる情報を、自分が目にしたタイミングでのみ受け取る人が多くなったなと感じます。あれってどうだったかな?と思っても自分で調べず、誰かが教えてくれるのを期待してSNSに投稿する。――そういうのが、この数年ですごく増えた。受け身の学び方が増えているの、怖いなと思います。だって正しくない情報を(自分では調べないので)そうとは知らず受け止めてしまっている危険性を孕んでいるから。
 どんなに面倒くさくても、受け身のまま「ふーん、そうなんだ」で流されるんじゃなくて、自分の目で確かめることをやめたくないな。

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