夢じゃないよ
*月刊かふかえ企画2025年12月号より『クリスマス』を選択
Ev3nsのウインターライブは年末ということもあって大きなホールが押さえられず、ライブビューイングもやってみようということになった。でも、映画館で実施するには、準備期間がちょっとたりない。ミーティングの結果、複数の配給会社と交渉するよりもmahorovaでやるのがいいんじゃないかという答えに辿り着いた。
mahorovaで実施って簡単に聞こえるけど、実はかなり難しい。映画館でのライブビューイングみたいに受付時点から座席数が決まってるわけじゃないから、申込状況を見つつ、エリアあたりの同時接続可能数や、エリア数そのものを増やしたりする必要がある。生行くんは「同接が多かったところで簡単にダウンするようなサーバーじゃありません」って言うけど、初めての試みである以上、気をつけておくに越したことはない。それに、元CCOが社内にいるとはいえHAMAツアーズだけ特例措置なんてないから、他の企業と同様の手順でエリアをつくる必要がある。
普段はエリア増設申請が通りやすくても、クリスマスや年末年始はmahorovaを使った企画が乱立するから、増設の権利を勝ち取るのが結構大変。どんなに注目度の高い企画であっても、申請が通らないなんて普通にある。――というのを、可不可から教えてもらった。なぜかというと「いい機会だと思うし、主任ちゃんにもmahorovaを使った企画担当を経験してほしいな」って、いろいろレクチャーされたから。
しかも、空きがあれば開演5分前まで申し込みできるようにというのがミーティングで決まったから、ライブ当日も「今からでもまだ間に合う」感が出る程度にしなくちゃいけない。そのためには、SNSでの前評判や日々の申し込みペースを日々分析し続ける必要がある。一日ごとの総数を見るんじゃなくてもっと細かな情報収集が必要だ。これが今回の仕事でもっとも難しいところだとも、可不可に言われた。
実際に足を運ぶ場所やそこに辿り着くための移動手段に必要なチケット手配なら慣れてるし、そういう感じでやっていけばいいのかなと思ってたんだけど、蓋を開けてみたら、全然、違った。
エリアあたりの同時接続可能数を増やすほうは申請が通りやすいと気付いてそうやってたら、途中で〝映像配信に使用する場合は同時接続可能数をエリア最大収容数の七割に留めること〟っていう警告文が表示された。警告文の圧が本当にすごくて思わず声を上げたら、それを見た也千代くんに「っていうかぁ、mahorovaのライビュなのに天井からしか推しが見えないなんて、不満爆発ですよぉ〜!」って嘆かれて、その時点でつくってたエリアすべての同時接続可能数を下方修正するはめになったんだ。ちなみに、天井っていう表現とその意味はこのとき初めて知った。
他の企業や個人からのエリア増設申請が増えてくる前にとにかく増設権を勝ち取る方針に変えたものの、今度は生行くんから「ライブビューイングとはいえ〝全員が前方確約〟みたいな小さ過ぎるエリアの乱立は避けたほうがいいですね」って苦言を呈された。デビューしたての頃ならまだしも、今のEv3nsの知名度とのバランスが取れないって。生行くんは「本来はEv3nsのマネージャーである俺が手配すべきなんですけど」と申し訳なさそうにしてたけど、俺もこの手の仕事ができるようにというのが可不可の狙いだから、責任を持ってこの仕事をやり遂げなくちゃならない。
闇雲にあれこれやってEv3nsのファンをがっかりさせないよう、生行くんにアドバイスをもらったり、申し込み数の集計と分析を幾成くんに手伝ってもらったりしつつ、とりあえずこれで大丈夫だと思えるところまで仕事が進んだときには、ライブまであと一週間を切ってた。仕事の締切としては、かつてないほどのぎりぎりセーフ。
「つっ……かれたぁ……」
現在時刻は二十二時半。ほどんどのひとはもう帰ってる。今頃、寮のリビングはクライマックスに差し掛かった金フィル鑑賞会で大盛り上がりしてるに違いない。子どもの頃から何回……いや、十数回は見た話だけど、金フィルで見ることでしか得られない楽しさってあるよね。あぁ、見たかったなぁ。今から走って帰っても、エンディングしか見られない。っていうか雨で走りにくいからエンディングにすら間に合わない可能性がある。
それなら、いっそのこともう少し仕事して、完全に金フィル鑑賞会の空気がなくなった頃に帰ったほうがむなしくならずに済むかも……?
「お疲れさま、主任ちゃん。……あ、ライビュの件、なんとか間に合ったみたいだね」
長引かない簡単な雑務をと周りを見渡してたら、可不可に声をかけられた。
「うん、おかえり……、って、こんな時間までかかってたの!?」
今日、可不可は取引先との会合だとかで夕方から朔次郎さんを連れて外出してた。この時期はこういうお呼ばれが多いとは聞いてたけど、今日のはいくらなんでも遅過ぎない?
「よくしていただいてる銀行の方からのお誘いだから」
その言葉に、あぁ、あそこの銀行かと思い当たるところはあったものの、少しだけ、もやもやしてしまう。うまく言葉にできないもやもや。……俺は、なにに対して、もやついてるんだろう。
「朔次郎さんは? 終わるまでついててもらってたんだよね?」
「うん。でも、あく太から連絡がきたとかで、直帰させたよ。途中からでも金フィル鑑賞会に参加してほしいって」
「可不可はまっすぐ帰らなかったんだ?」
帰ればよかったんじゃないの? ――これをそのまま言えばきっと、立ち寄ってくれた可不可を傷つける。でも、言わずにはいられなくて、かろうじて、言い回しを変えた。
「そりゃあ、大切な部下が遅くまで頑張ってくれてるのに、社長の僕がさっさと帰るなんてあり得ないから」
可不可はいつもそうだ。周りに無茶振りをしても、その相手以上に頑張ろうとする。俺ですら今こんなにへとへとだから、俺以上に走り回ってる可不可は、もっと疲れてるはずだ。
「そのまま帰ってもよかったのに」
……あーあ、言っちゃった。俺、ぜんっぜん我慢できなかった。俺が可不可の立場だったら、こんなふうに言われて「うんそうだね」なんて言えないよ。そんな言い方するなって怒ると思う。
「うん、そうだね」
「そうだね!?」
「え? そうだねって返してほしかったんでしょ? ……あぁ、そんな顔しないで。落ち込ませたくて言ったんじゃないから」
可不可の手が伸びてきて、反射的に目を瞑った。可不可が俺を傷つけるはずないって傲慢な考えがあるくせに、どうしてか、今はよくない反応ばかりしてしまう。いつもならわかるんだよ、可不可がこうしてきたときは、俺の頭を撫でるだけだって。
「すごく頑張ってくれてたよね。本当に、お疲れさま」
髪を梳くみたいな撫で方に、一気に気がゆるんだのか、目の奥がじわっと熱くなってきた。確かにものすごく疲れたけど、泣きそうなほど大変だったわけじゃない。周りのひとたちに助けてもらってたし、なにより、不慣れな分野にもかかわらず任せてもらえたという誇らしさが、仕事そのものの大変さをずっと上回ってた。そもそも、地球がひっくり返ってもこなせないような仕事を可不可が頼んでくることはないってわかってるしね。
「ごめん、ぎりぎりで間に合った安心感がすごくて」
かろうじて涙はこぼれなかったけど、涙目になってるのはばれてるだろうな。あぁ、恥ずかしいなぁ。
「うん」
「慣れないことだし、失敗したらってどうしよう、間に合わなかったらどうしようっていうひやひやがずっとあった」
「知ってる。でも間に合ったでしょ」
「間に合った……」
ぎりぎりになろうと俺の仕事が期限までに間に合うと読めてたから、可不可は口出ししてこなかったんだよね。それだけ、信頼してもらえてるってことだ。
「じゃあ、一緒に帰ろうか。きっとみんな待ってくれてる」
可不可の言葉に、慌てて帰り支度を始めた。そうだ、ちゃんと終わらせられたんだから、いつまでもここでこうしちゃいられない。お腹も空いたし、せっかく様子を見にきてくれた可不可を待たせるわけにもいかない。
戸締りも問題なし。さて傘を差そうかと顔を上げたら、雨は上がってた。あれ?
「止んでたんだ?」
「僕が向こうに着いた頃には止んでたよ。……もしかして、それも気付かないくらい集中してた?」
「はは……そうみたい」
地面はまだまだ濡れてるから、どのみち、走って帰るなんてできない。傘を差さずに済むのはラッキーだけどね。それに、こんな寒い時間に雨が降ってるなかを歩いたら、可不可が風邪引いちゃうよ。
「じゃあ、手も空くことだし、繋いで帰る?」
「またすぐそういうことを……こんなところで繋がないよ。それより、手袋は?」
「してまーす。楓ちゃんってば本当に過保護だよね」
それ、鏡を見て言ってくれるかな。可不可のほうがよっぽど過保護だよ。俺のは、単に心配してるだけ。
この時間ともなると人通りはほとんどないけど、広がって歩くのも変だし、寒いしで、どちらからともなく体を寄り添わせるようにして歩く。真正面から吹く風のせいで鼻が冷たい。可不可は大丈夫かな。――ちらりと隣を見ると、可不可も同じタイミングでこっちを見た。
「ね、少しだけ寄り道しない?」
「えぇ……もうこんな時間だよ?」
「少しだけだから。っていうかもうタクシー呼んだし。すぐそこまで来てるし」
「えっ? ……もう、本当に強引なんだから」
あと一時間ちょっとで日にちが変わるのに、どこに行くんだろう。タクシーを使うってことは、全然〝少しだけ〟じゃないよね。明日の予定が午後からの打ち合わせだけじゃなかったら、可不可を引きずってでも帰ってたけど……まぁ、いいか。
ふたりでタクシーに乗り込んで、行き先もわからないまま、窓の外を眺める。暖房が効いた車内との差で曇ったガラス窓じゃなにも見えない。行儀が悪いかなと思いつつ、人差し指で小さく円を描いて塗り潰した。覗き穴みたい。
「ここら一帯はイルミネーションの時間も終わってひっそりとしてるけど、あっちのほうはまだ賑やかだよ」
ってことは、ランドマークプラザとか臨港パーク付近とか、そっちのほうかな。方角もそうだし。移動時間だけみれば確かに〝少しだけ〟ともいえなくない。――遠くに見える青白い光を眺めつつ、頭のなかでだけ、予想を立てた。
「……強引に連れ出しちゃったかな」
「えっ……別に、そんなこと」
あーあ、俺って、本当に可不可のこの顔に弱い。弱過ぎる。秒で絆されちゃう。
「ううん、これは僕のわがままだってわかってる」
「違うよ! これくらいのこと、わがままとか思わない! その、……俺も、嬉しいし」
こんな時間に寄り道なんて言い出した可不可の意図に、気付いてないわけじゃないよ。ただ、……まだこういうことに慣れてなくて、どんなふうに返せばいいか、わからないだけなんだ。
「嬉しい? 本当に?」
「そりゃあ、まぁ、……」
あぁ、だめだ、照れくさくて声に出せない。ちゃんと言うだけで、可不可は安心してくれるはずなのに。
タクシーがゆっくりと減速する。ほら、やっぱり、ランドマークプラザだった。会社から近くて二十三時以降でもイルミネーションをまだまだ見られるっていう条件だと、かなり限定されるからね。
「ほら、降りて」
可不可に急に手を引かれ、一瞬だけ足許がもつれそうになりつつも、必死でなんてことない顔をしてタクシーから降りた。会社を出たときは「こんなところで繋がないよ」って言ったのに、今じゃ、俺も普通に握り返してる。なんなら、手袋越しなのがちょっと残念とまで思ってる。
音と光のショーとかはない。ただ、青白い光と金の輝きが交互に繰り返されるだけの、おとなしいイルミネーションだ。JPNの重要文化財って言われても子どもの頃はぴんとこなかったけど、学校でHAMAの歴史を学んでからは、これってすごいことなんだと思うようになった。俺が学校で教えられるより先に、可不可は知ってたみたいだけど。
「この時間だと、ひとも少ないね。やっぱり、明後日の夜にみんな照準を合わせてるのかな?」
「そうだろうね。それに、今日は昼過ぎから夕方までの雨がかなり強かったし」
時折、仕事帰りなのかなって感じのひとが素通りしていくだけ。本当に、静かだ。
だから、手を繋いだままなのが照れくさいのも、俺と可不可にしかわからない。ううん、どんなにたくさんのひとがいる場所だったとしても、俺のこの照れくささは、俺たちにしかわからないのかも。……照れ過ぎだよね、俺。
「……楓ちゃん、ありがとうね」
「へっ?」
明日はひと足早いHAMAハウスのクリスマス会、明後日は休日出勤。恋人としてお付き合いするようになってから初めて迎えるクリスマスだけど、それっぽいデートをするタイミングはなさそうだねって話をしたのが、先週のこと。そのときの俺は、今回の仕事が期限内に間に合うかどうかで頭がいっぱいだったから「しょうがないよ」なんて言っちゃったけど……本当は、残念だなって思ってた。仕事で手一杯の人間が残念がるのは憚られて、気にしてないふりをしてたんだ。お礼を言うのは俺のほうだよ。
「仕事終わりに強引に連れてきちゃったけど、……自分じゃ見えないし、気付かないか。今の楓ちゃん、すっごく楽しそうな顔してくれてる」
「そりゃあ……、可不可と、一緒、だから」
「ふーん?」
あ、まずい。可不可がいいこと聞いちゃったって顔してる。だめ、逃げられない。
「僕と一緒だから、なに? 僕と一緒だと、どうして楽しいって思ってくれるの?」
「そんなの、言わなくても知ってるくせに」
「さぁ? ……楓ちゃん、あまり教えてくれないから」
そう、可不可とお付き合いを始めるってなったときに言ったきりで、普段はそういう言葉をほとんど言えてない。可不可はしょっちゅう言ってくれるのに対し、俺はどうにも照れくさくて、すぐに誤魔化しちゃう。可不可の態度を見る限り、俺の気持ちはちゃんと伝わってるとは思うけど。
「だって、照れくさいよ……」
「照れ屋なところ、すごくかわいくて好きだけどね。……ずっと、ずーっと好きだったから、今でもときどき、確かめたくなっちゃうんだ。夢なんじゃないかって、思うときがある」
「夢じゃないよ!」
さすがにそれは聞き捨てならない。思わず、ちょっと大きな声が出た。幸いにも周りにひとはいなかったけど、俺が大きな声を出すとは思ってなかったみたいで、可不可は目をまんまるに見開いてかたまってる。
「俺だって、可不可のこと、だ、大好きで、毎日どきどきして……、手を繋ぐのすら、子どもの頃はどうやって手を繋いでたかわからないくらい、緊張しっぱなしなのに……」
どうしよう。これって、外で告白してるようなものだよね。あぁ、穴があったら入りたい。っていうか、こんな恥ずかしいことして、どんな顔で寮に帰ればいいんだろう。
「うん、知ってる。頑張ってくれてありがとう」
どう考えても俺に誰かを変えるほどの力があるとは思えないのに、可不可は俺の言葉ひとつでここまで嬉しそうに笑ってくれる。それこそ、夢みたいだよ。
「可不可、帰ろう」
せっかく連れてきてくれたのに、こんなこと言ってごめんなさい。でも、つまらないから帰りたいわけじゃないんだ。
手袋越しにしか触れられないのがさみしい。絶対、変な顔してるだろうけど、早く帰って、直接、可不可の手に触りたい。ううん、手だけじゃたりない。抱き締め合いたいよ。それと、――
「……初めてなのに、ごめん」
くちびるに空気が触れるのが一秒か二秒ぶりだったことで、キスされたことに気付いた。
可不可もそのはずだけど、俺だって、今のが初めてだ。ちゃんと予告してくれたら、俺ももっとうまく対応できたかもしれないのに。一瞬過ぎて、全然、わからなかったよ。くちびるがくっついた瞬間より、離れて、夜風と可不可の吐息がくちびるに触れたほうが印象的だった。もしかして、キスって、くちびるが離れてから実感が湧くものなのかな。
「外は困るけど、俺も、そろそろって思ってた、から……」
――可不可とキスしてみたい。クリスマスには少し早いけど、世間はすっかりクリスマスムードだから、その力を借りて一歩踏み出せたらいいなって思ってた。実際は、俺が勇気を振り絞るより前に、可不可からされちゃったわけなんだけど。
「ちゃんとお伺いを立ててからって決めてたのに、きらきらした世界で楽しそうにしてる楓ちゃんを見たら、……次はちゃんと、ゆっくり過ごせるときにしたいな。いい?」
「うん……」
次のキスの約束をされてしまったことに気付いたのは、うんって答えてからしばらく経ってからだった。可不可とついにキスしちゃったってことで頭がいっぱいで、どこかぼんやりしてたんだと思う。
「ちょっと、なに? いきなりどうしたの!?」
自分の頬をぎゅうっとつねった俺を見て、可不可が慌てて腕にしがみついてきた。
「えぇと、夢じゃないことの確認……?」
「はぁ? 夢であってたまるか。それともなに? 帰ったら、夢って思えないくらいしてあげようか?」
「えっ」
可不可ってそんなこと言えちゃうんだ。お付き合いに関しては俺のペースに合わせてくれてそうだったから、びっくりした。
でも、どうしよう。さっきのは一瞬過ぎてわからなかったから、ちょっと消化不良みたいになってるんだよね。ここで俺がお願いしますって言ったら、可不可はどう思うのかな。……ちょっと、見てみたい気もする。
Ev3nsのウインターライブは年末ということもあって大きなホールが押さえられず、ライブビューイングもやってみようということになった。でも、映画館で実施するには、準備期間がちょっとたりない。ミーティングの結果、複数の配給会社と交渉するよりもmahorovaでやるのがいいんじゃないかという答えに辿り着いた。
mahorovaで実施って簡単に聞こえるけど、実はかなり難しい。映画館でのライブビューイングみたいに受付時点から座席数が決まってるわけじゃないから、申込状況を見つつ、エリアあたりの同時接続可能数や、エリア数そのものを増やしたりする必要がある。生行くんは「同接が多かったところで簡単にダウンするようなサーバーじゃありません」って言うけど、初めての試みである以上、気をつけておくに越したことはない。それに、元CCOが社内にいるとはいえHAMAツアーズだけ特例措置なんてないから、他の企業と同様の手順でエリアをつくる必要がある。
普段はエリア増設申請が通りやすくても、クリスマスや年末年始はmahorovaを使った企画が乱立するから、増設の権利を勝ち取るのが結構大変。どんなに注目度の高い企画であっても、申請が通らないなんて普通にある。――というのを、可不可から教えてもらった。なぜかというと「いい機会だと思うし、主任ちゃんにもmahorovaを使った企画担当を経験してほしいな」って、いろいろレクチャーされたから。
しかも、空きがあれば開演5分前まで申し込みできるようにというのがミーティングで決まったから、ライブ当日も「今からでもまだ間に合う」感が出る程度にしなくちゃいけない。そのためには、SNSでの前評判や日々の申し込みペースを日々分析し続ける必要がある。一日ごとの総数を見るんじゃなくてもっと細かな情報収集が必要だ。これが今回の仕事でもっとも難しいところだとも、可不可に言われた。
実際に足を運ぶ場所やそこに辿り着くための移動手段に必要なチケット手配なら慣れてるし、そういう感じでやっていけばいいのかなと思ってたんだけど、蓋を開けてみたら、全然、違った。
エリアあたりの同時接続可能数を増やすほうは申請が通りやすいと気付いてそうやってたら、途中で〝映像配信に使用する場合は同時接続可能数をエリア最大収容数の七割に留めること〟っていう警告文が表示された。警告文の圧が本当にすごくて思わず声を上げたら、それを見た也千代くんに「っていうかぁ、mahorovaのライビュなのに天井からしか推しが見えないなんて、不満爆発ですよぉ〜!」って嘆かれて、その時点でつくってたエリアすべての同時接続可能数を下方修正するはめになったんだ。ちなみに、天井っていう表現とその意味はこのとき初めて知った。
他の企業や個人からのエリア増設申請が増えてくる前にとにかく増設権を勝ち取る方針に変えたものの、今度は生行くんから「ライブビューイングとはいえ〝全員が前方確約〟みたいな小さ過ぎるエリアの乱立は避けたほうがいいですね」って苦言を呈された。デビューしたての頃ならまだしも、今のEv3nsの知名度とのバランスが取れないって。生行くんは「本来はEv3nsのマネージャーである俺が手配すべきなんですけど」と申し訳なさそうにしてたけど、俺もこの手の仕事ができるようにというのが可不可の狙いだから、責任を持ってこの仕事をやり遂げなくちゃならない。
闇雲にあれこれやってEv3nsのファンをがっかりさせないよう、生行くんにアドバイスをもらったり、申し込み数の集計と分析を幾成くんに手伝ってもらったりしつつ、とりあえずこれで大丈夫だと思えるところまで仕事が進んだときには、ライブまであと一週間を切ってた。仕事の締切としては、かつてないほどのぎりぎりセーフ。
「つっ……かれたぁ……」
現在時刻は二十二時半。ほどんどのひとはもう帰ってる。今頃、寮のリビングはクライマックスに差し掛かった金フィル鑑賞会で大盛り上がりしてるに違いない。子どもの頃から何回……いや、十数回は見た話だけど、金フィルで見ることでしか得られない楽しさってあるよね。あぁ、見たかったなぁ。今から走って帰っても、エンディングしか見られない。っていうか雨で走りにくいからエンディングにすら間に合わない可能性がある。
それなら、いっそのこともう少し仕事して、完全に金フィル鑑賞会の空気がなくなった頃に帰ったほうがむなしくならずに済むかも……?
「お疲れさま、主任ちゃん。……あ、ライビュの件、なんとか間に合ったみたいだね」
長引かない簡単な雑務をと周りを見渡してたら、可不可に声をかけられた。
「うん、おかえり……、って、こんな時間までかかってたの!?」
今日、可不可は取引先との会合だとかで夕方から朔次郎さんを連れて外出してた。この時期はこういうお呼ばれが多いとは聞いてたけど、今日のはいくらなんでも遅過ぎない?
「よくしていただいてる銀行の方からのお誘いだから」
その言葉に、あぁ、あそこの銀行かと思い当たるところはあったものの、少しだけ、もやもやしてしまう。うまく言葉にできないもやもや。……俺は、なにに対して、もやついてるんだろう。
「朔次郎さんは? 終わるまでついててもらってたんだよね?」
「うん。でも、あく太から連絡がきたとかで、直帰させたよ。途中からでも金フィル鑑賞会に参加してほしいって」
「可不可はまっすぐ帰らなかったんだ?」
帰ればよかったんじゃないの? ――これをそのまま言えばきっと、立ち寄ってくれた可不可を傷つける。でも、言わずにはいられなくて、かろうじて、言い回しを変えた。
「そりゃあ、大切な部下が遅くまで頑張ってくれてるのに、社長の僕がさっさと帰るなんてあり得ないから」
可不可はいつもそうだ。周りに無茶振りをしても、その相手以上に頑張ろうとする。俺ですら今こんなにへとへとだから、俺以上に走り回ってる可不可は、もっと疲れてるはずだ。
「そのまま帰ってもよかったのに」
……あーあ、言っちゃった。俺、ぜんっぜん我慢できなかった。俺が可不可の立場だったら、こんなふうに言われて「うんそうだね」なんて言えないよ。そんな言い方するなって怒ると思う。
「うん、そうだね」
「そうだね!?」
「え? そうだねって返してほしかったんでしょ? ……あぁ、そんな顔しないで。落ち込ませたくて言ったんじゃないから」
可不可の手が伸びてきて、反射的に目を瞑った。可不可が俺を傷つけるはずないって傲慢な考えがあるくせに、どうしてか、今はよくない反応ばかりしてしまう。いつもならわかるんだよ、可不可がこうしてきたときは、俺の頭を撫でるだけだって。
「すごく頑張ってくれてたよね。本当に、お疲れさま」
髪を梳くみたいな撫で方に、一気に気がゆるんだのか、目の奥がじわっと熱くなってきた。確かにものすごく疲れたけど、泣きそうなほど大変だったわけじゃない。周りのひとたちに助けてもらってたし、なにより、不慣れな分野にもかかわらず任せてもらえたという誇らしさが、仕事そのものの大変さをずっと上回ってた。そもそも、地球がひっくり返ってもこなせないような仕事を可不可が頼んでくることはないってわかってるしね。
「ごめん、ぎりぎりで間に合った安心感がすごくて」
かろうじて涙はこぼれなかったけど、涙目になってるのはばれてるだろうな。あぁ、恥ずかしいなぁ。
「うん」
「慣れないことだし、失敗したらってどうしよう、間に合わなかったらどうしようっていうひやひやがずっとあった」
「知ってる。でも間に合ったでしょ」
「間に合った……」
ぎりぎりになろうと俺の仕事が期限までに間に合うと読めてたから、可不可は口出ししてこなかったんだよね。それだけ、信頼してもらえてるってことだ。
「じゃあ、一緒に帰ろうか。きっとみんな待ってくれてる」
可不可の言葉に、慌てて帰り支度を始めた。そうだ、ちゃんと終わらせられたんだから、いつまでもここでこうしちゃいられない。お腹も空いたし、せっかく様子を見にきてくれた可不可を待たせるわけにもいかない。
戸締りも問題なし。さて傘を差そうかと顔を上げたら、雨は上がってた。あれ?
「止んでたんだ?」
「僕が向こうに着いた頃には止んでたよ。……もしかして、それも気付かないくらい集中してた?」
「はは……そうみたい」
地面はまだまだ濡れてるから、どのみち、走って帰るなんてできない。傘を差さずに済むのはラッキーだけどね。それに、こんな寒い時間に雨が降ってるなかを歩いたら、可不可が風邪引いちゃうよ。
「じゃあ、手も空くことだし、繋いで帰る?」
「またすぐそういうことを……こんなところで繋がないよ。それより、手袋は?」
「してまーす。楓ちゃんってば本当に過保護だよね」
それ、鏡を見て言ってくれるかな。可不可のほうがよっぽど過保護だよ。俺のは、単に心配してるだけ。
この時間ともなると人通りはほとんどないけど、広がって歩くのも変だし、寒いしで、どちらからともなく体を寄り添わせるようにして歩く。真正面から吹く風のせいで鼻が冷たい。可不可は大丈夫かな。――ちらりと隣を見ると、可不可も同じタイミングでこっちを見た。
「ね、少しだけ寄り道しない?」
「えぇ……もうこんな時間だよ?」
「少しだけだから。っていうかもうタクシー呼んだし。すぐそこまで来てるし」
「えっ? ……もう、本当に強引なんだから」
あと一時間ちょっとで日にちが変わるのに、どこに行くんだろう。タクシーを使うってことは、全然〝少しだけ〟じゃないよね。明日の予定が午後からの打ち合わせだけじゃなかったら、可不可を引きずってでも帰ってたけど……まぁ、いいか。
ふたりでタクシーに乗り込んで、行き先もわからないまま、窓の外を眺める。暖房が効いた車内との差で曇ったガラス窓じゃなにも見えない。行儀が悪いかなと思いつつ、人差し指で小さく円を描いて塗り潰した。覗き穴みたい。
「ここら一帯はイルミネーションの時間も終わってひっそりとしてるけど、あっちのほうはまだ賑やかだよ」
ってことは、ランドマークプラザとか臨港パーク付近とか、そっちのほうかな。方角もそうだし。移動時間だけみれば確かに〝少しだけ〟ともいえなくない。――遠くに見える青白い光を眺めつつ、頭のなかでだけ、予想を立てた。
「……強引に連れ出しちゃったかな」
「えっ……別に、そんなこと」
あーあ、俺って、本当に可不可のこの顔に弱い。弱過ぎる。秒で絆されちゃう。
「ううん、これは僕のわがままだってわかってる」
「違うよ! これくらいのこと、わがままとか思わない! その、……俺も、嬉しいし」
こんな時間に寄り道なんて言い出した可不可の意図に、気付いてないわけじゃないよ。ただ、……まだこういうことに慣れてなくて、どんなふうに返せばいいか、わからないだけなんだ。
「嬉しい? 本当に?」
「そりゃあ、まぁ、……」
あぁ、だめだ、照れくさくて声に出せない。ちゃんと言うだけで、可不可は安心してくれるはずなのに。
タクシーがゆっくりと減速する。ほら、やっぱり、ランドマークプラザだった。会社から近くて二十三時以降でもイルミネーションをまだまだ見られるっていう条件だと、かなり限定されるからね。
「ほら、降りて」
可不可に急に手を引かれ、一瞬だけ足許がもつれそうになりつつも、必死でなんてことない顔をしてタクシーから降りた。会社を出たときは「こんなところで繋がないよ」って言ったのに、今じゃ、俺も普通に握り返してる。なんなら、手袋越しなのがちょっと残念とまで思ってる。
音と光のショーとかはない。ただ、青白い光と金の輝きが交互に繰り返されるだけの、おとなしいイルミネーションだ。JPNの重要文化財って言われても子どもの頃はぴんとこなかったけど、学校でHAMAの歴史を学んでからは、これってすごいことなんだと思うようになった。俺が学校で教えられるより先に、可不可は知ってたみたいだけど。
「この時間だと、ひとも少ないね。やっぱり、明後日の夜にみんな照準を合わせてるのかな?」
「そうだろうね。それに、今日は昼過ぎから夕方までの雨がかなり強かったし」
時折、仕事帰りなのかなって感じのひとが素通りしていくだけ。本当に、静かだ。
だから、手を繋いだままなのが照れくさいのも、俺と可不可にしかわからない。ううん、どんなにたくさんのひとがいる場所だったとしても、俺のこの照れくささは、俺たちにしかわからないのかも。……照れ過ぎだよね、俺。
「……楓ちゃん、ありがとうね」
「へっ?」
明日はひと足早いHAMAハウスのクリスマス会、明後日は休日出勤。恋人としてお付き合いするようになってから初めて迎えるクリスマスだけど、それっぽいデートをするタイミングはなさそうだねって話をしたのが、先週のこと。そのときの俺は、今回の仕事が期限内に間に合うかどうかで頭がいっぱいだったから「しょうがないよ」なんて言っちゃったけど……本当は、残念だなって思ってた。仕事で手一杯の人間が残念がるのは憚られて、気にしてないふりをしてたんだ。お礼を言うのは俺のほうだよ。
「仕事終わりに強引に連れてきちゃったけど、……自分じゃ見えないし、気付かないか。今の楓ちゃん、すっごく楽しそうな顔してくれてる」
「そりゃあ……、可不可と、一緒、だから」
「ふーん?」
あ、まずい。可不可がいいこと聞いちゃったって顔してる。だめ、逃げられない。
「僕と一緒だから、なに? 僕と一緒だと、どうして楽しいって思ってくれるの?」
「そんなの、言わなくても知ってるくせに」
「さぁ? ……楓ちゃん、あまり教えてくれないから」
そう、可不可とお付き合いを始めるってなったときに言ったきりで、普段はそういう言葉をほとんど言えてない。可不可はしょっちゅう言ってくれるのに対し、俺はどうにも照れくさくて、すぐに誤魔化しちゃう。可不可の態度を見る限り、俺の気持ちはちゃんと伝わってるとは思うけど。
「だって、照れくさいよ……」
「照れ屋なところ、すごくかわいくて好きだけどね。……ずっと、ずーっと好きだったから、今でもときどき、確かめたくなっちゃうんだ。夢なんじゃないかって、思うときがある」
「夢じゃないよ!」
さすがにそれは聞き捨てならない。思わず、ちょっと大きな声が出た。幸いにも周りにひとはいなかったけど、俺が大きな声を出すとは思ってなかったみたいで、可不可は目をまんまるに見開いてかたまってる。
「俺だって、可不可のこと、だ、大好きで、毎日どきどきして……、手を繋ぐのすら、子どもの頃はどうやって手を繋いでたかわからないくらい、緊張しっぱなしなのに……」
どうしよう。これって、外で告白してるようなものだよね。あぁ、穴があったら入りたい。っていうか、こんな恥ずかしいことして、どんな顔で寮に帰ればいいんだろう。
「うん、知ってる。頑張ってくれてありがとう」
どう考えても俺に誰かを変えるほどの力があるとは思えないのに、可不可は俺の言葉ひとつでここまで嬉しそうに笑ってくれる。それこそ、夢みたいだよ。
「可不可、帰ろう」
せっかく連れてきてくれたのに、こんなこと言ってごめんなさい。でも、つまらないから帰りたいわけじゃないんだ。
手袋越しにしか触れられないのがさみしい。絶対、変な顔してるだろうけど、早く帰って、直接、可不可の手に触りたい。ううん、手だけじゃたりない。抱き締め合いたいよ。それと、――
「……初めてなのに、ごめん」
くちびるに空気が触れるのが一秒か二秒ぶりだったことで、キスされたことに気付いた。
可不可もそのはずだけど、俺だって、今のが初めてだ。ちゃんと予告してくれたら、俺ももっとうまく対応できたかもしれないのに。一瞬過ぎて、全然、わからなかったよ。くちびるがくっついた瞬間より、離れて、夜風と可不可の吐息がくちびるに触れたほうが印象的だった。もしかして、キスって、くちびるが離れてから実感が湧くものなのかな。
「外は困るけど、俺も、そろそろって思ってた、から……」
――可不可とキスしてみたい。クリスマスには少し早いけど、世間はすっかりクリスマスムードだから、その力を借りて一歩踏み出せたらいいなって思ってた。実際は、俺が勇気を振り絞るより前に、可不可からされちゃったわけなんだけど。
「ちゃんとお伺いを立ててからって決めてたのに、きらきらした世界で楽しそうにしてる楓ちゃんを見たら、……次はちゃんと、ゆっくり過ごせるときにしたいな。いい?」
「うん……」
次のキスの約束をされてしまったことに気付いたのは、うんって答えてからしばらく経ってからだった。可不可とついにキスしちゃったってことで頭がいっぱいで、どこかぼんやりしてたんだと思う。
「ちょっと、なに? いきなりどうしたの!?」
自分の頬をぎゅうっとつねった俺を見て、可不可が慌てて腕にしがみついてきた。
「えぇと、夢じゃないことの確認……?」
「はぁ? 夢であってたまるか。それともなに? 帰ったら、夢って思えないくらいしてあげようか?」
「えっ」
可不可ってそんなこと言えちゃうんだ。お付き合いに関しては俺のペースに合わせてくれてそうだったから、びっくりした。
でも、どうしよう。さっきのは一瞬過ぎてわからなかったから、ちょっと消化不良みたいになってるんだよね。ここで俺がお願いしますって言ったら、可不可はどう思うのかな。……ちょっと、見てみたい気もする。