たぶん、告白
〝おもてなしライブのあと、接触イベントを取り入れてみましょうよぉぉ〜〜!〟――也千代くんの提案から始まった朝班ミーティング。
アイドル売りしてるわけではない以上、接触イベントは不要だという礼光さん。朝班のツアーに何度も参加してくれるひとたちの口コミ効果でHAMAが盛り上がってるのもあるんだからお礼をしたほうがいいんじゃないかという練牙くん。応援してくれてるひとたちへの感謝を伝えられるなら協力は惜しまないとサムズアップする雪にぃ、そして、観光客も暇じゃないんだからちゃっちゃと終わってあげたほうがよくないですか? という添くん。完全にふたつに分かれた意見を前に、俺はどうしたものかと考えた。そして、隣にいる可不可にすすすと体を寄せて囁くように尋ねる。
「可不可はどう?」
まずはみんなの意見をできるだけ引き出すのが可不可のやり方だ。社長である自分があれもこれもと先に意見を出すと、立場の違いもあって、どうしてもそっちに引っ張られた意見になるから。
「アイドルじゃないというのは大前提として、そういう需要は朝班にもある。ただ、ツアーのあとは自由にHAMAを楽しんでほしいし、お礼がしたいという名目で観光客を足止めするわけにもいかない」
うん、俺も、自分が旅行したときに「さっきのところにもう一度行きたいな」とか「途中で見かけたあそこに立ち寄りたいな」って思うことが多いから、ツアーの最後を締め括るおもてなしライブのあとは自由に過ごしてほしいと思う。それに、そういう接触イベントをもうけてしまうと、観光よりもそちらに重きを置くひとたちが増えそうで……HAMAの観光を盛り上げるためのHAMAツアーズなのに、目的とやってることがばらばらになっちゃうんじゃないかな。
可不可の言葉にほっとする俺に対し、練牙くんは叱られた子犬みたいにしゅんとした顔になった。也千代くんもおろおろしてる。
「練牙の気持ちは、僕もわかるよ。だから、オプションメニューとして導入するのはどうかな。反響次第では、不定期に実施するオプションとしてもいい。雪風の大会前は避けるべきだし、練牙や礼光は他にも仕事がある。添も、就職活動中だしね。あくまでも観光としてHAMAに来てもらうのが目的だから、恒常オプションにしないのが条件」
「そ、それなら……いい、かも……?」
可不可の言葉をゆっくり噛み砕いてる最中らしく、練牙くんは戸惑いつつも、頷いてくれた。礼光さんは溜息をついてたけど、あれは〝仕方ないから付き合ってやるか〟ってところかな。
「ま、多数決でそうなったんなら、やりますかー」
「可不可はたくさんのひとのことを考えられてえらいな。兄として、誇らしく思う。俺の大会のことも考えてくれてありがとう」
「あぁもう、うるさい。弟じゃないって何万回言わせるんだよ」
雪にぃのハグから逃げられなかった可不可が、腕をばたばた動かしながら、也千代くんに「也千代もそれでいいよね?」と訊く。
「もっ、もちろんですぅ〜〜! はぁぁ……顔面国宝最強ビジュ歌うま激メロ区長だらけのR1zeとの接触イベント、僕もすべての列に並びたいっ……いやいや、コンダクターたるもの公私混同は……、……はっ!」
ひとりで騒いでた也千代くんがいきなり覚醒したらしく、真顔になった。
「自分、接触イベントとは言いましたけど、握手会にするなら時間厳守! チェキ会ならお触り禁止で一センチ以上あいだを開けてポーズを取るっていう、アイドル絶対保護の姿勢でいきますのでお任せください! ……って、こんなミジンコ陰キャ野郎が出しゃばって意見してすびばせんすびばせんすびばせん〜〜!」
「あはは、アイドルじゃないけどね。このなかだと也千代がそういうのに一番詳しいだろうし、ルールづくりは任せるよ。じゃあ、普段からファンとの交流の機会が多い練牙を中心に話を進めていこうか。リーダーでもあるからね」
可不可の視線を受け、練牙くんが背筋をぴんと伸ばした。
「任せてくれ! っていうか、ここまでの話を聞いてるうちに思いついたんだけどさ、オレが考えた名誉区民制度のバッジ数に応じて申し込めるようにするのはどうだ?」
バッジ数に応じて……確かに、それなら何度も朝班のツアーに参加してくれてるひとたちへのお礼になるかも。不定期オプションにもしやすそうだし。
そのあとは思いのほか話がするする進み、途中でコーヒーや紅茶をと差し入れを持ってきてくれた朔次郎さんも交えて、おおいに盛り上がった。
「……じゃあ、チェキ会って決まったわけだし、ミーティングは」
「社長。畏れ多くも、可及的速やかに皆様に提案したいことがございます。三秒だけ笛吹くんをお借りしても?」
可不可の了承を得て、朔次郎さんは也千代くんになにかを囁く。也千代くんの表情がみるみる明るくなり、興奮したようになにかを話してたから、きっと、ものすごくいいアイデアなんだろう。
「では笛吹くん、任せましたよ。社長、主任、すぐに戻りますので、しばしのあいだ、みなさまでご歓談を」
そう言い残してミーティングルームをあとにした朔次郎さんは、也千代くんが俺たちに説明するより早く、紙袋を抱えて戻ってきた。決して、也千代くんがまごまごして話さなかったわけじゃなくて、朔次郎さんの戻りが早過ぎただけ。
「……おや、まだ説明してなかったのですか?」
「ひぃっ、すみませ……」
「朔次郎が神速で戻ってきたからじゃない?」
それはそう。誰も朔次郎さんのスピードに追いつけない。リニアとか飛行機くらいじゃないかな、朔次郎さんより速いのって。
「あぁ、これは失礼いたしました。ささ、笛吹くん、あなたの得意分野を発揮するところですよ」
朔次郎さんに促され、也千代くんが、ふんっと気合いを入れたあと、瞳をきらきらさせながら、ものすごく早口で説明してくれた。主にチェキポーズの流行や〝剥がし〟要員の大切さ、地下アイドル界におけるチェキ相場から卒業や解雇の多さといった――後半は朝班に関係のない――話題だったけど、要約すると、今からここでチェキ会シミュレーションをしようということらしい。
「オレも、前にフォトブックのお渡し会をやったときは前日にマネジとシムレーションしたし、なにごとも準備は大切だと思う」
「まぁ、今日はミーティングの時間も長めに取っておいたし、シミュレーションをすることで新たな発見もあるだろうから、やってみようか」
練牙くんの言葉を受けて、可不可がOKの判断を下す。たぶん、可不可もこの状況を楽しんでるんだと思う。俺も気にはなるから、端っこで見学させてもらおう。
「では、みなさんに着替えていただきましょう」
あ、あの紙袋、おもてなしライブ衣装が入ってたんだ?
「わざわざ着替る必要はないだろう」
渋々ながらも話についてきてた礼光さんが顔を顰めたものの、シミュレーションするなら外見もそれに合わせるべきだという可不可の言葉には、礼光さんも言い返すのをやめたらしい。溜息と舌打ちのコンボで了解の意を示してた。
それにしても……普段から関係者席とか舞台裏でおもてなしライブ衣装に身を包んだみんなのこと見てるけど、ミーティングルームで見るの、衣装合わせ以来かも。なんだか新鮮で、不思議な気持ちだ。こうやって見ると、みんな格好いいなぁ。アイドルじゃなくてもファンがつくの、わかるよ。
「では主任、観光客の役を」
「へっ?」
俺、端っこで見学させてもらうつもりだったんですけど!?
「シミュレーションには相手役が必要でしょう」
「朔次郎さんや也千代くんは……」
「笛吹くんがここでやると本気になってしまいますので」
本気って、つまり、熱心な観光客ってことだよね? そういう役なら、アイドルに詳しい也千代くんが適任だと思う。まぁ、でも、断る理由もないし、着替えたみんなを待たせてる以上は引き受けなくちゃ。
「では……不肖ながら浜咲楓、おもてなしライブに熱を上げてる観光客役をさせていただきます!」
HAMAツアーズにはご当地アイドルがいるからね。彼らのファンを思い出しながらやればうまく演じられるはずだ。――そう判断した途端、児玉さんが脳裏を過った。ハチマキや法被は身に着けてないし、俺には〝推し〟という概念がやっぱりよくわからないけど、HAMAを盛り上げたい情熱と、目の前にいるひとたちを応援したい気持ちには自信がある。でも、――
「……っ」
――五人のうち、まず誰に話しかけたらいいんだろう。三人目くらいまではいいとして、最後に話しかけられたひとは〝あとまわしにされた〟って思うよね? それって、遺恨を残すことにならない? そんなことを気にするひとたちじゃないけど、少なくとも、俺は気にする。
「主任?」
練牙くんが困ってる。そうだ、練牙くんから話しかけよう。リーダーだし。
「え、えぇと、……れっ、練牙くんとチェキ、撮りたくて……っ」
人類史上、俺がもっとも大根役者に違いない。頬に熱が集まる。これを他の四人にもしなくちゃならないの?
びっくりするくらい棒読みの俺に対し、練牙くんは一瞬だけかたまったあと、すぐに気を取り直した。
「……あ、あぁ! 任せてくれ! 朔次郎さん、撮影、頼めるか?」
練牙くんの言葉を受けて、朔次郎さんがポケットからチェキを取り出した。てっきりスマホで撮ってもらうものとばかり思ってたんだけど、朔次郎さんがいるんだから、本物のチェキが用意されてるに決まってるよね。
「練牙くん、ポーズはどうする?」
俺の言葉に、端で眺めてた添くんが喉を鳴らして笑った。
「主任、それ、本来は練牙さんが訊く側ですよ。主任は希望のポーズを答える側」
「えっ?」
うわぁ、恥ずかしい。こんなところ、可不可に見られたくないんだけど。――横目でこっそり可不可のほうを見たら、ぱちっと視線が合った。な、なんかすっごくガン見されてるんだけど、なに?
いや、それよりも今はチェキのポーズだ。五人共通でいいかな、普通にピースでいい? あ、こんなときこそ也千代くんに訊けばいいのでは?
「……最初だし、普通に並んでピースでいいか?」
「あ、うん……」
俺が焦ってたら、練牙くんが助け舟を出してくれた。しかも、ぜんっぜん緊張してない。さすが、カメラ慣れしてるだけのことはある。俺はというと始まったばかりなのにもう心が折れそうだから、丸投げさせてもらうことにした。不肖ながらって言ったとおり、ぐだぐだだ。
「では、おふたりとも、準備はよろしいですか?」
朔次郎さんの合図に合わせて、チェキのレンズに視点を合わせた。相手は練牙くんだし、数年前に椛がチェキで撮るのに夢中になってたのに付き合わされたこともあるから、これくらいなら緊張はしない。ただ、周りの視線が自分に刺さってるのがわかるせいで、じんわりと背に汗が滲む。
シャッター音の瞬間、俺、変な顔しなかったかな。排出されたフィルムが気になって、朔次郎さんに駆け寄る。
「あぁっ、主任! ここは撮影者がチェック、その間にアイドルとファンがわずかなトークを楽しみ、アイドルが現物を確認したらサインをしてお渡しが鉄則なのにぃぃぃぃ!」
「え、そうなの? ごめんね」
夕班のライブを手伝うとき、俺は列整理ばかりしてるから、意識してなかったな。とりあえず、この場はルールづくりを任された也千代くんに合わせるのが無難だろう。実際の接触イベントも、そういう流れにするんだろうし。
みんなの前で騒々しくしたのが恥ずかしくて、朔次郎さんのもとから、そっと、離れる。ここで背を向けて離れると間抜けな気がしたから、後ろ歩きで、そうっと。
「っ、危ない……!」
踵になにか……たぶん、ホワイトボードの脚が当たったのを感じた直後、可不可がすっ飛んでくるのが見えた。
「え? わっ……」
ここで後ろ向きに躓くってことは、このまま尻もちコースかも。あぁ、今日の俺って格好悪い。いや、普段も別に格好いいわけじゃないから平常運転といわれたらそれまでだけど、さすがにここまで情けなくはないはず。――そんな考えが、わずかゼロコンマ何秒のあいだに頭のなかを駆け巡る。
「大丈夫?」
至近距離に可不可の顔があって、あ、助けてくれたんだとわかった。俺の体を咄嗟に支えられるくらい、力がついてたんだね。すごいなぁ……。
「主任ちゃん?」
「へっ? あ、うん、大丈夫!」
「え、ちょっと」
慌てて体を起こそうとしたら、今度は可不可がバランスを崩して――
「ふたりとも、大丈夫か?」
――揃って転倒しかけたところを、雪にぃがまとめて支えてくれた。
「すまない。初めの段階で助けようとしたんだが、可不可が俺を突き飛ばしてまで飛び出していったことに驚いてしまった。こんなに素早く反応できるなんて、可不可はえらいな」
「撫でるな!」
「弟の成長を目にしたんだ、褒めるのは当然だろう。そうだな……今夜は祝いのシュウマイをつくろう」
雪にぃの褒め攻撃に暴れる可不可を見ながら、俺は、さっきの可不可を思い出していた。
ほんの一分や二分前のことだから18K画質で再生してるのかってくらい鮮明に思い出せるはずなのに、なぜか、そのときにはなかったエフェクトが散らされてる。こう、きらきら〜とか、ふわふわ〜って感じの。既視感があるエフェクトだ。どこでだっけ……。
「主任、大丈夫か?」
練牙くんに話しかけられて、今はまだミーティング中だったことを思い出す。いけない、しっかりしなきゃ。
「……社長」
雪にぃをなんとか引き剥がして息を整えてる可不可に、朔次郎さんがなにやら相談してる。どうしたんだろう。話の内容は聞こえないけど、可不可は俺をちらっと見たあと、軽く頷いてた。
「転倒未遂もあったことだし、ここらで切り上げようか」
「へー、珍し。社長のことだから〝僕も主任ちゃんとチェキ撮りたい〜〟とか言いそうなものなのに」
「添?」
「わー、怖」
可不可には悪いけど、添くんの言うとおり、いつもならこんなところで中断はしなかっただろう。もしかして、俺を助けたときに可不可が怪我した……? ――疑問をそのまま口にするも、可不可は「それはないよ」だって。
「まぁ、雪風にも助けてもらうはめになったことだし。主任ちゃんにこれ以上の負担をかけてまでやることじゃないって話」
「そう……?」
慣れないことして慌てちゃったとはいえ、俺、負担だとは感じなかったんだけどな。可不可って相変わらず俺に対して過保護だ。
「……あぁ言ってますけど、要は主任とのツーショがこれ以上増えるのいやってだけだと思いますよ」
「へ?」
可不可にはぎりぎり聞こえないくらいの声で、添くんが言った。俺との写真が? 写真なら研修旅行でもたくさん撮ってるし、可不可との写真なんて子どもの頃からたくさん撮ってるから、そう珍しいものでもないのに、変なの。
「えっと、オレが撮ってもらったのはどうすればいいんだ?」
朔次郎さんからチェキを受け取った練牙くんがおろおろしてる。結果的にひとりだけシミュレーションすることになったわけだから、困惑する気持ちもわかるよ。
「也千代」
「はいっ! 撮影後はサインやひとことメッセージを添えて、ファンにお渡しする、そのときにちょっとおしゃべりして、時間がきたらスタッフに剥がされちゃいます!」
「ひとこと……モデルの仕事でサイン入りフォトブックのお渡し会をしたときみたいな感じか……」
練牙くんは少し考えたあと、朔次郎さんに借りたペンでささっと書いて、そのまま「ん」と俺に差し出してきた。さすがはモデル、サインを書く姿も様になってるなぁ。
「ありがとう……」
雪にぃと添くんが俺の手許を覗き込んで「こういう感じか」とか「さっすが練牙さん」なんて声を上げてる。練牙くんもまんざらではないみたいで、ちょっと照れてた。
「やむを得ず付き合ってやったが、これ以上は付き合ってられない。失礼させてもらうぞ」
俺たちがわぁわぁ騒いでるあいだに礼光さんは着替えを済ませてたらしい。
「じゃあ、今日のところは解散。……あ、主任ちゃんは残ってね」
「わー、公私混同」
「添?」
可不可の低い声に、添くんはなに食わぬ顔で「なんでもないでーす」と手をひらひら振った。なんでもないなら、可不可が怒る? ようなこと言わなきゃいいのに。……言いたくなっちゃう年頃なのかな。
礼光さんがミーティングルームをあとにするのに続いて、添くんも「急用入ったんで失礼しまーす」なんて言って出ていった。
「主任も可不可も、どこも怪我はしていないか?」
「平気平気。ね、可不可」
「当然。主任ちゃんのことは僕が守ったし。……まぁ、雪風にも助けてもらったけどさ」
ふんっとそっぽを向きながらも「そっちこそ怪我するなよ」って言ってる。可不可って、雪にぃに対しては本当に素直じゃないんだから。俺と同じくらい、スケート選手としての雪にぃのコンディションを気にかけてるくせにね。
「オレが主任を慌てさせちまったのもあるから、その、あまり気に病むなよ」
「大丈夫だよ。俺こそ、練習台なのに本当にぐだぐだでごめんね」
ミーティングルームを片付けてるあいだに、雪にぃは練習へ、練牙くんはマネージャーさんから連絡が入ったとかで、それぞれ出ていった。
「では笛吹くんは本日のミーティングのまとめを」
議事録づくりになかなか慣れない也千代くんを、朔次郎さんが引きずっていく。最初の頃に比べたらだいぶミスは減ったけど、まだまだ要領よくとはいかないみたい。俺も手伝おうかな。
「待って、主任ちゃん」
あ、そういえば残ってねって言われてたんだった。なにかあったっけ?
「さっき朔次郎が撮ってたみたいで」
そう言うと可不可はさらさらっとペンでなにかを書き込んだものを俺に差し出した。
「これ……」
転倒しそうになった俺を支えてくれたときの写真だ。撮られてたなんて全然気付かなかった。
「って、なんでサイン入り?」
「僕が記念に持っててもいいけど、練牙のチェキだけ持たせるくらいなら、僕のも主任ちゃんに持っててほしいからね」
「……もしかして、このためにシミュレーションやめた?」
さっき添くんが言ってたこと、そんなことある? と思いつつも、気になって声に出しちゃった。
「うーん……そこまで心が狭いつもりはないよ。僕のを持っててくれさえすれば、全員のを持っててもいいくらい。それよりも、ファンの役をするキミをあれ以上見ていたくなかったというか……」
シミュレーションしようという提案を支持しておきながら情けないよねって笑った。可不可は情けなくなんかないよ。情けなくないけど……可不可もシミュレーションに乗り気だったのに、どうして、俺がファンの役をするのを見たくなくなったんだろう。矛盾してるよね。
「……」
訊きたいけど、矛盾なんて言葉を使ったらケンカになりそうで、すぐに言葉が出てこない。言葉を探しながら、渡された可不可のチェキに視線を落とす。ちょっとレトい写りになった俺たちのツーショットには、当然、エフェクトなんてかかってない。あの、きらきら〜とか、ふわふわ〜の――そこまで考えたところで、助けてくれた可不可のことが、俺の回想では乙女ゲームのスチルみたいに映ってたんだと思い至る。……って、なんで!?
俺のよくないところは、連想したものをヒントに思考がそっちにいっちゃうこと。頭のなかに、糖衣くんが見せてくれた乙女ゲームのセリフがぐるぐる回りだした。確か――
〝他のやつなんて見ないで、僕だけ見ててよ〟
〝楽しそうにはしゃぐキミは好きだけど、そのかわいい顔は僕だけのものにしたいな〟
――っていう感じで……あれ? これって、可不可のさっきの言葉に通ずるものがある? 特に最初に浮かんだやつ。
「主任ちゃん?」
「……な、なんか、うまく言えないんだけど、もし違ったらごめん。もしかして、可不可のそれ、やきもちとか、独占欲、みたいなやつなのかなー……なんて……あぁもう! 今のやっぱりなし! 忘れて!」
思考の飛躍にもほどがある。自分で言ってて恥ずかしくなった。残ってねっていうのもこのチェキを渡すのが目的だったんだろうし、さっさと仕事に戻ろう。いや、今のこれも仕事中ではあるんだった。……そうだよ、仕事! 仕事中です! 照れたり恥ずかしがったりしてる場合じゃない。
「忘れてあげない」
可不可に腕を掴まれる。全然、簡単に振りほどけるくらい軽い掴み方なのに、どうしてか、逃げられない。
「可不可、あの」
「僕だって、人並みにやきもちやくし、独占欲に苛まれるときがあるんだよ」
なにそれ、知らなかった。わりとずっと一緒にいるのに、初めて聞いた。
「そうなんだ……」
訊いていいのかな。やきもちとか独占欲の底にあるもの、知りたいけど、訊いたら、なにかが変わる気がする。そのなにかは、俺にとって大丈夫なこと? 訊いて、答えを知ったとき、俺は立っていられる?
「……訊かないの?」
「き、訊きたいけど、訊くのが怖い、かも」
答えると、可不可は〝しょうがないなぁ〟って顔をした。違う、その顔を見たいんじゃない。しょうがないとか思わせたくない。
「や、やっぱり、訊く」
変などきどきで、今の時点でもう立ってられなくなりそう。それでも、可不可が俺に教えてくれてない気持ちがあったことのほうが、さみしいって思ったんだ。
「いいよ。じゃあ、今夜ね」
可不可の顔がちょっとこわばってる。これって、緊張、だよね。
寝る前に部屋に行くから逃げないで、指切りげんまん。――可不可が出した小指に、自分の小指を絡める。
ここまでのやりとりで六割、ううん、七割くらい当たってそうな〝もしかして〟って思うものがあるんだけど、そんなわけないでしょって思う残りの三割がある以上、この場ではなにも予想できてないふりをしておかなくちゃ。
アイドル売りしてるわけではない以上、接触イベントは不要だという礼光さん。朝班のツアーに何度も参加してくれるひとたちの口コミ効果でHAMAが盛り上がってるのもあるんだからお礼をしたほうがいいんじゃないかという練牙くん。応援してくれてるひとたちへの感謝を伝えられるなら協力は惜しまないとサムズアップする雪にぃ、そして、観光客も暇じゃないんだからちゃっちゃと終わってあげたほうがよくないですか? という添くん。完全にふたつに分かれた意見を前に、俺はどうしたものかと考えた。そして、隣にいる可不可にすすすと体を寄せて囁くように尋ねる。
「可不可はどう?」
まずはみんなの意見をできるだけ引き出すのが可不可のやり方だ。社長である自分があれもこれもと先に意見を出すと、立場の違いもあって、どうしてもそっちに引っ張られた意見になるから。
「アイドルじゃないというのは大前提として、そういう需要は朝班にもある。ただ、ツアーのあとは自由にHAMAを楽しんでほしいし、お礼がしたいという名目で観光客を足止めするわけにもいかない」
うん、俺も、自分が旅行したときに「さっきのところにもう一度行きたいな」とか「途中で見かけたあそこに立ち寄りたいな」って思うことが多いから、ツアーの最後を締め括るおもてなしライブのあとは自由に過ごしてほしいと思う。それに、そういう接触イベントをもうけてしまうと、観光よりもそちらに重きを置くひとたちが増えそうで……HAMAの観光を盛り上げるためのHAMAツアーズなのに、目的とやってることがばらばらになっちゃうんじゃないかな。
可不可の言葉にほっとする俺に対し、練牙くんは叱られた子犬みたいにしゅんとした顔になった。也千代くんもおろおろしてる。
「練牙の気持ちは、僕もわかるよ。だから、オプションメニューとして導入するのはどうかな。反響次第では、不定期に実施するオプションとしてもいい。雪風の大会前は避けるべきだし、練牙や礼光は他にも仕事がある。添も、就職活動中だしね。あくまでも観光としてHAMAに来てもらうのが目的だから、恒常オプションにしないのが条件」
「そ、それなら……いい、かも……?」
可不可の言葉をゆっくり噛み砕いてる最中らしく、練牙くんは戸惑いつつも、頷いてくれた。礼光さんは溜息をついてたけど、あれは〝仕方ないから付き合ってやるか〟ってところかな。
「ま、多数決でそうなったんなら、やりますかー」
「可不可はたくさんのひとのことを考えられてえらいな。兄として、誇らしく思う。俺の大会のことも考えてくれてありがとう」
「あぁもう、うるさい。弟じゃないって何万回言わせるんだよ」
雪にぃのハグから逃げられなかった可不可が、腕をばたばた動かしながら、也千代くんに「也千代もそれでいいよね?」と訊く。
「もっ、もちろんですぅ〜〜! はぁぁ……顔面国宝最強ビジュ歌うま激メロ区長だらけのR1zeとの接触イベント、僕もすべての列に並びたいっ……いやいや、コンダクターたるもの公私混同は……、……はっ!」
ひとりで騒いでた也千代くんがいきなり覚醒したらしく、真顔になった。
「自分、接触イベントとは言いましたけど、握手会にするなら時間厳守! チェキ会ならお触り禁止で一センチ以上あいだを開けてポーズを取るっていう、アイドル絶対保護の姿勢でいきますのでお任せください! ……って、こんなミジンコ陰キャ野郎が出しゃばって意見してすびばせんすびばせんすびばせん〜〜!」
「あはは、アイドルじゃないけどね。このなかだと也千代がそういうのに一番詳しいだろうし、ルールづくりは任せるよ。じゃあ、普段からファンとの交流の機会が多い練牙を中心に話を進めていこうか。リーダーでもあるからね」
可不可の視線を受け、練牙くんが背筋をぴんと伸ばした。
「任せてくれ! っていうか、ここまでの話を聞いてるうちに思いついたんだけどさ、オレが考えた名誉区民制度のバッジ数に応じて申し込めるようにするのはどうだ?」
バッジ数に応じて……確かに、それなら何度も朝班のツアーに参加してくれてるひとたちへのお礼になるかも。不定期オプションにもしやすそうだし。
そのあとは思いのほか話がするする進み、途中でコーヒーや紅茶をと差し入れを持ってきてくれた朔次郎さんも交えて、おおいに盛り上がった。
「……じゃあ、チェキ会って決まったわけだし、ミーティングは」
「社長。畏れ多くも、可及的速やかに皆様に提案したいことがございます。三秒だけ笛吹くんをお借りしても?」
可不可の了承を得て、朔次郎さんは也千代くんになにかを囁く。也千代くんの表情がみるみる明るくなり、興奮したようになにかを話してたから、きっと、ものすごくいいアイデアなんだろう。
「では笛吹くん、任せましたよ。社長、主任、すぐに戻りますので、しばしのあいだ、みなさまでご歓談を」
そう言い残してミーティングルームをあとにした朔次郎さんは、也千代くんが俺たちに説明するより早く、紙袋を抱えて戻ってきた。決して、也千代くんがまごまごして話さなかったわけじゃなくて、朔次郎さんの戻りが早過ぎただけ。
「……おや、まだ説明してなかったのですか?」
「ひぃっ、すみませ……」
「朔次郎が神速で戻ってきたからじゃない?」
それはそう。誰も朔次郎さんのスピードに追いつけない。リニアとか飛行機くらいじゃないかな、朔次郎さんより速いのって。
「あぁ、これは失礼いたしました。ささ、笛吹くん、あなたの得意分野を発揮するところですよ」
朔次郎さんに促され、也千代くんが、ふんっと気合いを入れたあと、瞳をきらきらさせながら、ものすごく早口で説明してくれた。主にチェキポーズの流行や〝剥がし〟要員の大切さ、地下アイドル界におけるチェキ相場から卒業や解雇の多さといった――後半は朝班に関係のない――話題だったけど、要約すると、今からここでチェキ会シミュレーションをしようということらしい。
「オレも、前にフォトブックのお渡し会をやったときは前日にマネジとシムレーションしたし、なにごとも準備は大切だと思う」
「まぁ、今日はミーティングの時間も長めに取っておいたし、シミュレーションをすることで新たな発見もあるだろうから、やってみようか」
練牙くんの言葉を受けて、可不可がOKの判断を下す。たぶん、可不可もこの状況を楽しんでるんだと思う。俺も気にはなるから、端っこで見学させてもらおう。
「では、みなさんに着替えていただきましょう」
あ、あの紙袋、おもてなしライブ衣装が入ってたんだ?
「わざわざ着替る必要はないだろう」
渋々ながらも話についてきてた礼光さんが顔を顰めたものの、シミュレーションするなら外見もそれに合わせるべきだという可不可の言葉には、礼光さんも言い返すのをやめたらしい。溜息と舌打ちのコンボで了解の意を示してた。
それにしても……普段から関係者席とか舞台裏でおもてなしライブ衣装に身を包んだみんなのこと見てるけど、ミーティングルームで見るの、衣装合わせ以来かも。なんだか新鮮で、不思議な気持ちだ。こうやって見ると、みんな格好いいなぁ。アイドルじゃなくてもファンがつくの、わかるよ。
「では主任、観光客の役を」
「へっ?」
俺、端っこで見学させてもらうつもりだったんですけど!?
「シミュレーションには相手役が必要でしょう」
「朔次郎さんや也千代くんは……」
「笛吹くんがここでやると本気になってしまいますので」
本気って、つまり、熱心な観光客ってことだよね? そういう役なら、アイドルに詳しい也千代くんが適任だと思う。まぁ、でも、断る理由もないし、着替えたみんなを待たせてる以上は引き受けなくちゃ。
「では……不肖ながら浜咲楓、おもてなしライブに熱を上げてる観光客役をさせていただきます!」
HAMAツアーズにはご当地アイドルがいるからね。彼らのファンを思い出しながらやればうまく演じられるはずだ。――そう判断した途端、児玉さんが脳裏を過った。ハチマキや法被は身に着けてないし、俺には〝推し〟という概念がやっぱりよくわからないけど、HAMAを盛り上げたい情熱と、目の前にいるひとたちを応援したい気持ちには自信がある。でも、――
「……っ」
――五人のうち、まず誰に話しかけたらいいんだろう。三人目くらいまではいいとして、最後に話しかけられたひとは〝あとまわしにされた〟って思うよね? それって、遺恨を残すことにならない? そんなことを気にするひとたちじゃないけど、少なくとも、俺は気にする。
「主任?」
練牙くんが困ってる。そうだ、練牙くんから話しかけよう。リーダーだし。
「え、えぇと、……れっ、練牙くんとチェキ、撮りたくて……っ」
人類史上、俺がもっとも大根役者に違いない。頬に熱が集まる。これを他の四人にもしなくちゃならないの?
びっくりするくらい棒読みの俺に対し、練牙くんは一瞬だけかたまったあと、すぐに気を取り直した。
「……あ、あぁ! 任せてくれ! 朔次郎さん、撮影、頼めるか?」
練牙くんの言葉を受けて、朔次郎さんがポケットからチェキを取り出した。てっきりスマホで撮ってもらうものとばかり思ってたんだけど、朔次郎さんがいるんだから、本物のチェキが用意されてるに決まってるよね。
「練牙くん、ポーズはどうする?」
俺の言葉に、端で眺めてた添くんが喉を鳴らして笑った。
「主任、それ、本来は練牙さんが訊く側ですよ。主任は希望のポーズを答える側」
「えっ?」
うわぁ、恥ずかしい。こんなところ、可不可に見られたくないんだけど。――横目でこっそり可不可のほうを見たら、ぱちっと視線が合った。な、なんかすっごくガン見されてるんだけど、なに?
いや、それよりも今はチェキのポーズだ。五人共通でいいかな、普通にピースでいい? あ、こんなときこそ也千代くんに訊けばいいのでは?
「……最初だし、普通に並んでピースでいいか?」
「あ、うん……」
俺が焦ってたら、練牙くんが助け舟を出してくれた。しかも、ぜんっぜん緊張してない。さすが、カメラ慣れしてるだけのことはある。俺はというと始まったばかりなのにもう心が折れそうだから、丸投げさせてもらうことにした。不肖ながらって言ったとおり、ぐだぐだだ。
「では、おふたりとも、準備はよろしいですか?」
朔次郎さんの合図に合わせて、チェキのレンズに視点を合わせた。相手は練牙くんだし、数年前に椛がチェキで撮るのに夢中になってたのに付き合わされたこともあるから、これくらいなら緊張はしない。ただ、周りの視線が自分に刺さってるのがわかるせいで、じんわりと背に汗が滲む。
シャッター音の瞬間、俺、変な顔しなかったかな。排出されたフィルムが気になって、朔次郎さんに駆け寄る。
「あぁっ、主任! ここは撮影者がチェック、その間にアイドルとファンがわずかなトークを楽しみ、アイドルが現物を確認したらサインをしてお渡しが鉄則なのにぃぃぃぃ!」
「え、そうなの? ごめんね」
夕班のライブを手伝うとき、俺は列整理ばかりしてるから、意識してなかったな。とりあえず、この場はルールづくりを任された也千代くんに合わせるのが無難だろう。実際の接触イベントも、そういう流れにするんだろうし。
みんなの前で騒々しくしたのが恥ずかしくて、朔次郎さんのもとから、そっと、離れる。ここで背を向けて離れると間抜けな気がしたから、後ろ歩きで、そうっと。
「っ、危ない……!」
踵になにか……たぶん、ホワイトボードの脚が当たったのを感じた直後、可不可がすっ飛んでくるのが見えた。
「え? わっ……」
ここで後ろ向きに躓くってことは、このまま尻もちコースかも。あぁ、今日の俺って格好悪い。いや、普段も別に格好いいわけじゃないから平常運転といわれたらそれまでだけど、さすがにここまで情けなくはないはず。――そんな考えが、わずかゼロコンマ何秒のあいだに頭のなかを駆け巡る。
「大丈夫?」
至近距離に可不可の顔があって、あ、助けてくれたんだとわかった。俺の体を咄嗟に支えられるくらい、力がついてたんだね。すごいなぁ……。
「主任ちゃん?」
「へっ? あ、うん、大丈夫!」
「え、ちょっと」
慌てて体を起こそうとしたら、今度は可不可がバランスを崩して――
「ふたりとも、大丈夫か?」
――揃って転倒しかけたところを、雪にぃがまとめて支えてくれた。
「すまない。初めの段階で助けようとしたんだが、可不可が俺を突き飛ばしてまで飛び出していったことに驚いてしまった。こんなに素早く反応できるなんて、可不可はえらいな」
「撫でるな!」
「弟の成長を目にしたんだ、褒めるのは当然だろう。そうだな……今夜は祝いのシュウマイをつくろう」
雪にぃの褒め攻撃に暴れる可不可を見ながら、俺は、さっきの可不可を思い出していた。
ほんの一分や二分前のことだから18K画質で再生してるのかってくらい鮮明に思い出せるはずなのに、なぜか、そのときにはなかったエフェクトが散らされてる。こう、きらきら〜とか、ふわふわ〜って感じの。既視感があるエフェクトだ。どこでだっけ……。
「主任、大丈夫か?」
練牙くんに話しかけられて、今はまだミーティング中だったことを思い出す。いけない、しっかりしなきゃ。
「……社長」
雪にぃをなんとか引き剥がして息を整えてる可不可に、朔次郎さんがなにやら相談してる。どうしたんだろう。話の内容は聞こえないけど、可不可は俺をちらっと見たあと、軽く頷いてた。
「転倒未遂もあったことだし、ここらで切り上げようか」
「へー、珍し。社長のことだから〝僕も主任ちゃんとチェキ撮りたい〜〟とか言いそうなものなのに」
「添?」
「わー、怖」
可不可には悪いけど、添くんの言うとおり、いつもならこんなところで中断はしなかっただろう。もしかして、俺を助けたときに可不可が怪我した……? ――疑問をそのまま口にするも、可不可は「それはないよ」だって。
「まぁ、雪風にも助けてもらうはめになったことだし。主任ちゃんにこれ以上の負担をかけてまでやることじゃないって話」
「そう……?」
慣れないことして慌てちゃったとはいえ、俺、負担だとは感じなかったんだけどな。可不可って相変わらず俺に対して過保護だ。
「……あぁ言ってますけど、要は主任とのツーショがこれ以上増えるのいやってだけだと思いますよ」
「へ?」
可不可にはぎりぎり聞こえないくらいの声で、添くんが言った。俺との写真が? 写真なら研修旅行でもたくさん撮ってるし、可不可との写真なんて子どもの頃からたくさん撮ってるから、そう珍しいものでもないのに、変なの。
「えっと、オレが撮ってもらったのはどうすればいいんだ?」
朔次郎さんからチェキを受け取った練牙くんがおろおろしてる。結果的にひとりだけシミュレーションすることになったわけだから、困惑する気持ちもわかるよ。
「也千代」
「はいっ! 撮影後はサインやひとことメッセージを添えて、ファンにお渡しする、そのときにちょっとおしゃべりして、時間がきたらスタッフに剥がされちゃいます!」
「ひとこと……モデルの仕事でサイン入りフォトブックのお渡し会をしたときみたいな感じか……」
練牙くんは少し考えたあと、朔次郎さんに借りたペンでささっと書いて、そのまま「ん」と俺に差し出してきた。さすがはモデル、サインを書く姿も様になってるなぁ。
「ありがとう……」
雪にぃと添くんが俺の手許を覗き込んで「こういう感じか」とか「さっすが練牙さん」なんて声を上げてる。練牙くんもまんざらではないみたいで、ちょっと照れてた。
「やむを得ず付き合ってやったが、これ以上は付き合ってられない。失礼させてもらうぞ」
俺たちがわぁわぁ騒いでるあいだに礼光さんは着替えを済ませてたらしい。
「じゃあ、今日のところは解散。……あ、主任ちゃんは残ってね」
「わー、公私混同」
「添?」
可不可の低い声に、添くんはなに食わぬ顔で「なんでもないでーす」と手をひらひら振った。なんでもないなら、可不可が怒る? ようなこと言わなきゃいいのに。……言いたくなっちゃう年頃なのかな。
礼光さんがミーティングルームをあとにするのに続いて、添くんも「急用入ったんで失礼しまーす」なんて言って出ていった。
「主任も可不可も、どこも怪我はしていないか?」
「平気平気。ね、可不可」
「当然。主任ちゃんのことは僕が守ったし。……まぁ、雪風にも助けてもらったけどさ」
ふんっとそっぽを向きながらも「そっちこそ怪我するなよ」って言ってる。可不可って、雪にぃに対しては本当に素直じゃないんだから。俺と同じくらい、スケート選手としての雪にぃのコンディションを気にかけてるくせにね。
「オレが主任を慌てさせちまったのもあるから、その、あまり気に病むなよ」
「大丈夫だよ。俺こそ、練習台なのに本当にぐだぐだでごめんね」
ミーティングルームを片付けてるあいだに、雪にぃは練習へ、練牙くんはマネージャーさんから連絡が入ったとかで、それぞれ出ていった。
「では笛吹くんは本日のミーティングのまとめを」
議事録づくりになかなか慣れない也千代くんを、朔次郎さんが引きずっていく。最初の頃に比べたらだいぶミスは減ったけど、まだまだ要領よくとはいかないみたい。俺も手伝おうかな。
「待って、主任ちゃん」
あ、そういえば残ってねって言われてたんだった。なにかあったっけ?
「さっき朔次郎が撮ってたみたいで」
そう言うと可不可はさらさらっとペンでなにかを書き込んだものを俺に差し出した。
「これ……」
転倒しそうになった俺を支えてくれたときの写真だ。撮られてたなんて全然気付かなかった。
「って、なんでサイン入り?」
「僕が記念に持っててもいいけど、練牙のチェキだけ持たせるくらいなら、僕のも主任ちゃんに持っててほしいからね」
「……もしかして、このためにシミュレーションやめた?」
さっき添くんが言ってたこと、そんなことある? と思いつつも、気になって声に出しちゃった。
「うーん……そこまで心が狭いつもりはないよ。僕のを持っててくれさえすれば、全員のを持っててもいいくらい。それよりも、ファンの役をするキミをあれ以上見ていたくなかったというか……」
シミュレーションしようという提案を支持しておきながら情けないよねって笑った。可不可は情けなくなんかないよ。情けなくないけど……可不可もシミュレーションに乗り気だったのに、どうして、俺がファンの役をするのを見たくなくなったんだろう。矛盾してるよね。
「……」
訊きたいけど、矛盾なんて言葉を使ったらケンカになりそうで、すぐに言葉が出てこない。言葉を探しながら、渡された可不可のチェキに視線を落とす。ちょっとレトい写りになった俺たちのツーショットには、当然、エフェクトなんてかかってない。あの、きらきら〜とか、ふわふわ〜の――そこまで考えたところで、助けてくれた可不可のことが、俺の回想では乙女ゲームのスチルみたいに映ってたんだと思い至る。……って、なんで!?
俺のよくないところは、連想したものをヒントに思考がそっちにいっちゃうこと。頭のなかに、糖衣くんが見せてくれた乙女ゲームのセリフがぐるぐる回りだした。確か――
〝他のやつなんて見ないで、僕だけ見ててよ〟
〝楽しそうにはしゃぐキミは好きだけど、そのかわいい顔は僕だけのものにしたいな〟
――っていう感じで……あれ? これって、可不可のさっきの言葉に通ずるものがある? 特に最初に浮かんだやつ。
「主任ちゃん?」
「……な、なんか、うまく言えないんだけど、もし違ったらごめん。もしかして、可不可のそれ、やきもちとか、独占欲、みたいなやつなのかなー……なんて……あぁもう! 今のやっぱりなし! 忘れて!」
思考の飛躍にもほどがある。自分で言ってて恥ずかしくなった。残ってねっていうのもこのチェキを渡すのが目的だったんだろうし、さっさと仕事に戻ろう。いや、今のこれも仕事中ではあるんだった。……そうだよ、仕事! 仕事中です! 照れたり恥ずかしがったりしてる場合じゃない。
「忘れてあげない」
可不可に腕を掴まれる。全然、簡単に振りほどけるくらい軽い掴み方なのに、どうしてか、逃げられない。
「可不可、あの」
「僕だって、人並みにやきもちやくし、独占欲に苛まれるときがあるんだよ」
なにそれ、知らなかった。わりとずっと一緒にいるのに、初めて聞いた。
「そうなんだ……」
訊いていいのかな。やきもちとか独占欲の底にあるもの、知りたいけど、訊いたら、なにかが変わる気がする。そのなにかは、俺にとって大丈夫なこと? 訊いて、答えを知ったとき、俺は立っていられる?
「……訊かないの?」
「き、訊きたいけど、訊くのが怖い、かも」
答えると、可不可は〝しょうがないなぁ〟って顔をした。違う、その顔を見たいんじゃない。しょうがないとか思わせたくない。
「や、やっぱり、訊く」
変などきどきで、今の時点でもう立ってられなくなりそう。それでも、可不可が俺に教えてくれてない気持ちがあったことのほうが、さみしいって思ったんだ。
「いいよ。じゃあ、今夜ね」
可不可の顔がちょっとこわばってる。これって、緊張、だよね。
寝る前に部屋に行くから逃げないで、指切りげんまん。――可不可が出した小指に、自分の小指を絡める。
ここまでのやりとりで六割、ううん、七割くらい当たってそうな〝もしかして〟って思うものがあるんだけど、そんなわけないでしょって思う残りの三割がある以上、この場ではなにも予想できてないふりをしておかなくちゃ。