ルビーナイトフィーバー
*月刊かふかえ企画2025年8月号より『お酒』を選択
俺が仕事を終えたとき、可不可はまだオフィスに残って仕事してた。明日は休みだしもう少し遅くまで仕事できそうだって判断して「なにか手伝えることある?」って訊いたんだけど――
「そんなに遅くならないから平気だよ。主任ちゃんも最近は残業続きだったでしょ? 早く帰れる日は帰ること」
――あっさり断られた。
地上波のテレビ番組でHAMAツアーズの宣伝ができた効果がすごく大きくて、普段はお手伝いレベルのお願いに留めるよう心掛けてた昼班の子たちにも、メールや電話の対応をかなりお任せしちゃったんだよね。あの子たちが学校から帰ってくるくらいの時間帯って〝なんとしても今日中に〟ってひとたちが駆け込みみたいな感じで問い合わせてくるから、一日のなかでも二番目に慌ただしくなるんだ。それくらい、申し込みや問い合わせが多かった。うちは土日も営業してるから明日も対応できるんだけどなぁ。
「じゃあ、帰るけど……本当に、そんなに遅くならない?」
俺の言葉に可不可はぱちぱちと瞬きをしたあと、ちょっと笑った。ん? 俺、なんか変なこと言った?
「任せてよ。ちゃんと、いつもくらいの時間には部屋に行くから」
ウインクが飛んできた。え、なんでそんな感じなの? っていうか、なんでこのタイミングでその話? 頭にハテナマークを浮かべる俺に、可不可は笑いながら手招きしてきた。呼ばれるがまま、可不可の席に近付く。耳を貸してって仕草にも、素直に耳を近付けた。
「明日はお休みだし、ふたりきりの時間もたっぷりつくれるよ」
砂糖のひと粒ひと粒を感じさせるような声。そこで俺はようやく、自分の言い方が、まるで、早くふたりきりになりたくて訊いてるみたいだったことに気付いたんだ。
「そ、そういう意味で言ったんじゃないから!」
耳を押さえて勢いよく飛び退く。弾みで斜め後ろにある潮くんの椅子を吹っ飛ばしかけて、慌てて椅子を押さえた。ひとりで暴れたみたいになって結構派手な音がしたけど、俺たち以外もう帰ってるからセーフだよね。セーフってことにする。
「あはは、派手に暴れたねぇ」
「可不可のせいでしょ」
未だに耳が熱い。声が高かった頃から知ってるのもあって全然意識してなかったけど、可不可の声って、普段はすごくきれいなんだよね。甘いテノールに品のある艶がかかってるんだ。そのくせ、ふたりきりのときは今みたいに声をざらつかせて俺の反応を楽しんでるふしがある。……俺、今までよく平気でいられたなぁ。こんな声で好きだのなんだの囁かれたら、そりゃあ、耳もばかになるよ。
「くっついてくれるのは嬉しいけど、僕も早くこれを片付けて帰るから、……ね?」
「わ、わかった……」
まだ心臓がばくばく鳴ってるけど、可不可の仕事の邪魔をするわけにはいかない。なんとか気持ちを落ち着かせようと、自分の席を片付けて、ついでに向かいの也千代くんの机の上の荷物がこっちに飛び出してるのをそれとなく整えて、帰ることにした。
「じゃあ、先に帰るね」
「うん、お疲れさま」
顔の熱さを自覚して、反射的に手で扇ぐ。でも、そよ風の百分の一にもならないこんな風じゃ、たいした効果はなかった。
天気予報ではそろそろ夜が過ごしやすくなるって言ってたのに、どきどきを宥めきれてないせいで、俺だけが今も暑い時間にいるみたい。もうちょっと夜風に当たったほうがいいかな。可不可が心配しない程度に遠回りして帰ろう。
火照った頬を風が撫でるたび、耳を熱くさせた可不可の声が恋しくなる。出張でもない限り可不可とは毎日会えるようになったのに、変なの。
……いつも俺より遅くまで残って仕事してる可不可のこと、普通に心配なんだけどなぁ。なにか、なにかできないかな。手伝わせてもらえる仕事はもちろん積極的に手伝うようにしてるけど、今日みたいに手伝えることがなくて先に帰るたび、自分の不甲斐なさを感じる。
「……あ」
時間を確認した。うん、お店はまだ余裕で開いてる。
◇
ひととおりの寝支度を済ませた頃、可不可が部屋を訪ねてきた。もしかすると、可不可はすぐにでもベッドにもつれこむことを期待してたかもしれないけど――
「寄り道して帰るってメッセージの正体はこれかぁ」
「うん、いつもはみんなでわいわいするけど、たまにはいいでしょ?」
――まずは、ふたりきりの晩酌タイム。買ってきたのはトロピカルフルーツが使われたクラフトビールだ。ラベルがかわいくて三本も買っちゃったけど、明日は昼から可不可と出かける予定だし、控えめにしておくつもり。
ビールといえばガーリックスパイスを効かせたソースたっぷりのお肉とか味のこってりしたチーズと一緒にいただきたいところだけど、ふたりともご飯はご飯でとっくに済ませちゃってるから、敢えて甘みのあるビールを選んで、おつまみはうちの家族から送られてきたお菓子にしようって決めたんだ。
いつもならすぐキスとかしちゃうから、可不可はがっかりしたかなと思ったけど、そうでもないみたい。決して強くはないけど、お酒を飲むのは好きだもんね。
可不可のグラスにビールを注ぐ。自分のは自分でと思ったら、可不可にボトルを取り上げられた。
「僕にも労わせてよ」
「えぇ……いいの? ありがとう」
日中は俺より目上のひとなのに。でも、今はプライベートだし、そもそも幼馴染みで恋人っていう対等な関係だからいいのか。
わずかないたたまれなさと盛大な優越感を自覚しつつ、可不可がグラスに注いでくれるのを眺めた。果肉の赤みをそのまま閉じ込めたような、きれいなルビー色だ。
「じゃあ、……なにに乾杯しようかな」
可不可が目を細める。あ、これ、だめなやつだ。まだ飲んですらいないのに、可不可の視線にくらっときた。だって、そういうことをする寸前みたいな顔だったから。
っていうか、なににって、どう答えたらいいの? ベタに〝君の瞳に〟とか? いやいや、俺、そういうこと言うキャラじゃないし。どっちかっていうと可不可のほうが似合う。なんなら、可不可が俺を見つめてそう言うところ、容易に想像できる。
「うわぁ……」
「え、なに?」
「なんでもない、なんでもないから……」
想像のなかの可不可があまりにもメロくて、ひとりで大打撃を受けた。お付き合いを始めてそれなりに経つけど、今まで恋愛のれの字も経験してこなかった俺がこんな想像できるの、可不可にかなり沼ってる証拠じゃない? 古い言葉でいうなら、ぞっこんってやつ。
「なんでもないって感じじゃないけど」
「本当に大丈夫だから」
「そう?」
さっきの想像を口にしようものなら、可不可は意気揚々として行動に移すに決まってる。そうなったら最後、全身あちこち可不可に甘やかされる展開になるんだ。……明日はお昼までゆっくりできるわけだから、どのみち、今夜はそうなる可能性が普通にあるんだけど。
「な、なにに乾杯は省略で……」
「あはは、いいよ。……じゃあ、乾杯」
可不可が軽く笑い飛ばしたから、またからかわれたんだとわかった。ちょっとむっとしつつも、俺も乾杯の言葉を返して、グラスの中身をあおる。
「おいしい……」
むっとした気持ちが秒でおとなしくなった。やっぱり、おいしいものって最強だ。
「うん、すごく飲みやすいね」
上品にグラスを傾けて飲んでた可不可が、感嘆の息を漏らす。豪快にいっちゃった自分の飲み方との差に、いたたまれなくなった。俺ももう二十代半ばだし、そろそろ落ち着かなきゃね。
「はぁ……」
溜息なんてついてどうしたんだろ。なにかあったの? ――尋ねるより早く、可不可が左肩にもたれかかってくる。まだ一杯目だし、グラスの中身も半分くらいしか減ってないから、酔ってるわけじゃなさそうだ。
「どうしたの、可不可」
「ううん、幸せだなぁって」
「う……」
胸キュンってこういうやつだ。いや、キュンどころじゃないかも。なんかドスッて刺さった。それくらい、今の可不可はすっごくかわいかった。本人はかわいいより格好いいって言われたがってるの知ってるからうまく言葉にできないけど、いや、でも、かわいいものはかわいい。……し、正直、ぐっとくる。
まだ飲んでる最中なんだからいきなりそうなっちゃいけない。煩悩とかあれやそれには一旦退いてもらおう。――空になったグラスに、もう一度、今度は自分でビールを注ぐ。
「あ、僕がお酌するのに」
「いいから、大丈夫だから」
可不可みたいにきれいに飲もうと思ってたのに、また、勢いよくぐいっといってしまった。自分で選んでおいてなんだけど、本当においしい。これは当たりだ。また買おう。
あっという間に空になったグラスを置きながら、横目で可不可を見る。
「可不可のその顔、ずるいよ」
「えぇ? 普通だけどな。僕はいつもこうだよ。ずーっと前からね」
俺のことを好いてくれてるんだと、視線だけでわかる。いつもこうって、お付き合いする前から? 可不可とこうなるまで、全然気付かなかった。……俺が、可不可とずっと一緒にいたいって打ち明けるまで、知らなかったよ。
「……ぎゅってする?」
可不可が両腕を軽く広げて、俺のほうに向き直る。
「する……」
頭のなかがふわふわしてきた。目の周りが火照ってる。熱いから、暑いけど、可不可と抱き合いたい。
「僕より先に酔うなんて珍しいねぇ」
くっついたまま、ばれないようにこっそりと息を吸う。鼻腔をくすぐる可不可のにおいが好き。大浴場にあるボディソープはこの部屋のお風呂にあるものと同じだけど、俺とはどうしたって同じにおいにはならない。ほとんど毎日ずっと一緒にいて、だいたい同じものを食べて、寮のみんなのとまとめて洗濯して……、限りなくおそろいの生活をしてても、おそろいにはならない。
「……俺、このにおい、好きかも」
こっそりだったはずが、自分からばらしちゃった。
「僕たちの相性がいいってことかな」
今にも鼻唄を歌いそうなくらい上機嫌な声だ。断定したもの言いじゃないけど、相性がいいのを断定してるのがわかる。おそろいじゃない部分すら愛しく思えるのは、相手のことが大好きっていうおそろいの気持ちが根っこにあるからだよ。
「可不可、あんまり飲まないね」
「そりゃあ――」
「んっ」
可不可の手指が腰から背中をつつつとなぞり上げるのと一緒に、そわそわしたものが頭のあたりまで上ってくる。
「――夜は長いからね」
飲み過ぎて使いものにならなかったらいやでしょ? だって。可不可がそんなこと言うようになるなんて、こういう関係になるまで思いもしなかった。……まぁ、でも、俺も「いや」とまでは思わないけど、残念だなぁくらいは思っちゃうかも。なんて、俺も、こんなこと思うようになるなんて、自分でもびっくりだよ。
俺が仕事を終えたとき、可不可はまだオフィスに残って仕事してた。明日は休みだしもう少し遅くまで仕事できそうだって判断して「なにか手伝えることある?」って訊いたんだけど――
「そんなに遅くならないから平気だよ。主任ちゃんも最近は残業続きだったでしょ? 早く帰れる日は帰ること」
――あっさり断られた。
地上波のテレビ番組でHAMAツアーズの宣伝ができた効果がすごく大きくて、普段はお手伝いレベルのお願いに留めるよう心掛けてた昼班の子たちにも、メールや電話の対応をかなりお任せしちゃったんだよね。あの子たちが学校から帰ってくるくらいの時間帯って〝なんとしても今日中に〟ってひとたちが駆け込みみたいな感じで問い合わせてくるから、一日のなかでも二番目に慌ただしくなるんだ。それくらい、申し込みや問い合わせが多かった。うちは土日も営業してるから明日も対応できるんだけどなぁ。
「じゃあ、帰るけど……本当に、そんなに遅くならない?」
俺の言葉に可不可はぱちぱちと瞬きをしたあと、ちょっと笑った。ん? 俺、なんか変なこと言った?
「任せてよ。ちゃんと、いつもくらいの時間には部屋に行くから」
ウインクが飛んできた。え、なんでそんな感じなの? っていうか、なんでこのタイミングでその話? 頭にハテナマークを浮かべる俺に、可不可は笑いながら手招きしてきた。呼ばれるがまま、可不可の席に近付く。耳を貸してって仕草にも、素直に耳を近付けた。
「明日はお休みだし、ふたりきりの時間もたっぷりつくれるよ」
砂糖のひと粒ひと粒を感じさせるような声。そこで俺はようやく、自分の言い方が、まるで、早くふたりきりになりたくて訊いてるみたいだったことに気付いたんだ。
「そ、そういう意味で言ったんじゃないから!」
耳を押さえて勢いよく飛び退く。弾みで斜め後ろにある潮くんの椅子を吹っ飛ばしかけて、慌てて椅子を押さえた。ひとりで暴れたみたいになって結構派手な音がしたけど、俺たち以外もう帰ってるからセーフだよね。セーフってことにする。
「あはは、派手に暴れたねぇ」
「可不可のせいでしょ」
未だに耳が熱い。声が高かった頃から知ってるのもあって全然意識してなかったけど、可不可の声って、普段はすごくきれいなんだよね。甘いテノールに品のある艶がかかってるんだ。そのくせ、ふたりきりのときは今みたいに声をざらつかせて俺の反応を楽しんでるふしがある。……俺、今までよく平気でいられたなぁ。こんな声で好きだのなんだの囁かれたら、そりゃあ、耳もばかになるよ。
「くっついてくれるのは嬉しいけど、僕も早くこれを片付けて帰るから、……ね?」
「わ、わかった……」
まだ心臓がばくばく鳴ってるけど、可不可の仕事の邪魔をするわけにはいかない。なんとか気持ちを落ち着かせようと、自分の席を片付けて、ついでに向かいの也千代くんの机の上の荷物がこっちに飛び出してるのをそれとなく整えて、帰ることにした。
「じゃあ、先に帰るね」
「うん、お疲れさま」
顔の熱さを自覚して、反射的に手で扇ぐ。でも、そよ風の百分の一にもならないこんな風じゃ、たいした効果はなかった。
天気予報ではそろそろ夜が過ごしやすくなるって言ってたのに、どきどきを宥めきれてないせいで、俺だけが今も暑い時間にいるみたい。もうちょっと夜風に当たったほうがいいかな。可不可が心配しない程度に遠回りして帰ろう。
火照った頬を風が撫でるたび、耳を熱くさせた可不可の声が恋しくなる。出張でもない限り可不可とは毎日会えるようになったのに、変なの。
……いつも俺より遅くまで残って仕事してる可不可のこと、普通に心配なんだけどなぁ。なにか、なにかできないかな。手伝わせてもらえる仕事はもちろん積極的に手伝うようにしてるけど、今日みたいに手伝えることがなくて先に帰るたび、自分の不甲斐なさを感じる。
「……あ」
時間を確認した。うん、お店はまだ余裕で開いてる。
◇
ひととおりの寝支度を済ませた頃、可不可が部屋を訪ねてきた。もしかすると、可不可はすぐにでもベッドにもつれこむことを期待してたかもしれないけど――
「寄り道して帰るってメッセージの正体はこれかぁ」
「うん、いつもはみんなでわいわいするけど、たまにはいいでしょ?」
――まずは、ふたりきりの晩酌タイム。買ってきたのはトロピカルフルーツが使われたクラフトビールだ。ラベルがかわいくて三本も買っちゃったけど、明日は昼から可不可と出かける予定だし、控えめにしておくつもり。
ビールといえばガーリックスパイスを効かせたソースたっぷりのお肉とか味のこってりしたチーズと一緒にいただきたいところだけど、ふたりともご飯はご飯でとっくに済ませちゃってるから、敢えて甘みのあるビールを選んで、おつまみはうちの家族から送られてきたお菓子にしようって決めたんだ。
いつもならすぐキスとかしちゃうから、可不可はがっかりしたかなと思ったけど、そうでもないみたい。決して強くはないけど、お酒を飲むのは好きだもんね。
可不可のグラスにビールを注ぐ。自分のは自分でと思ったら、可不可にボトルを取り上げられた。
「僕にも労わせてよ」
「えぇ……いいの? ありがとう」
日中は俺より目上のひとなのに。でも、今はプライベートだし、そもそも幼馴染みで恋人っていう対等な関係だからいいのか。
わずかないたたまれなさと盛大な優越感を自覚しつつ、可不可がグラスに注いでくれるのを眺めた。果肉の赤みをそのまま閉じ込めたような、きれいなルビー色だ。
「じゃあ、……なにに乾杯しようかな」
可不可が目を細める。あ、これ、だめなやつだ。まだ飲んですらいないのに、可不可の視線にくらっときた。だって、そういうことをする寸前みたいな顔だったから。
っていうか、なににって、どう答えたらいいの? ベタに〝君の瞳に〟とか? いやいや、俺、そういうこと言うキャラじゃないし。どっちかっていうと可不可のほうが似合う。なんなら、可不可が俺を見つめてそう言うところ、容易に想像できる。
「うわぁ……」
「え、なに?」
「なんでもない、なんでもないから……」
想像のなかの可不可があまりにもメロくて、ひとりで大打撃を受けた。お付き合いを始めてそれなりに経つけど、今まで恋愛のれの字も経験してこなかった俺がこんな想像できるの、可不可にかなり沼ってる証拠じゃない? 古い言葉でいうなら、ぞっこんってやつ。
「なんでもないって感じじゃないけど」
「本当に大丈夫だから」
「そう?」
さっきの想像を口にしようものなら、可不可は意気揚々として行動に移すに決まってる。そうなったら最後、全身あちこち可不可に甘やかされる展開になるんだ。……明日はお昼までゆっくりできるわけだから、どのみち、今夜はそうなる可能性が普通にあるんだけど。
「な、なにに乾杯は省略で……」
「あはは、いいよ。……じゃあ、乾杯」
可不可が軽く笑い飛ばしたから、またからかわれたんだとわかった。ちょっとむっとしつつも、俺も乾杯の言葉を返して、グラスの中身をあおる。
「おいしい……」
むっとした気持ちが秒でおとなしくなった。やっぱり、おいしいものって最強だ。
「うん、すごく飲みやすいね」
上品にグラスを傾けて飲んでた可不可が、感嘆の息を漏らす。豪快にいっちゃった自分の飲み方との差に、いたたまれなくなった。俺ももう二十代半ばだし、そろそろ落ち着かなきゃね。
「はぁ……」
溜息なんてついてどうしたんだろ。なにかあったの? ――尋ねるより早く、可不可が左肩にもたれかかってくる。まだ一杯目だし、グラスの中身も半分くらいしか減ってないから、酔ってるわけじゃなさそうだ。
「どうしたの、可不可」
「ううん、幸せだなぁって」
「う……」
胸キュンってこういうやつだ。いや、キュンどころじゃないかも。なんかドスッて刺さった。それくらい、今の可不可はすっごくかわいかった。本人はかわいいより格好いいって言われたがってるの知ってるからうまく言葉にできないけど、いや、でも、かわいいものはかわいい。……し、正直、ぐっとくる。
まだ飲んでる最中なんだからいきなりそうなっちゃいけない。煩悩とかあれやそれには一旦退いてもらおう。――空になったグラスに、もう一度、今度は自分でビールを注ぐ。
「あ、僕がお酌するのに」
「いいから、大丈夫だから」
可不可みたいにきれいに飲もうと思ってたのに、また、勢いよくぐいっといってしまった。自分で選んでおいてなんだけど、本当においしい。これは当たりだ。また買おう。
あっという間に空になったグラスを置きながら、横目で可不可を見る。
「可不可のその顔、ずるいよ」
「えぇ? 普通だけどな。僕はいつもこうだよ。ずーっと前からね」
俺のことを好いてくれてるんだと、視線だけでわかる。いつもこうって、お付き合いする前から? 可不可とこうなるまで、全然気付かなかった。……俺が、可不可とずっと一緒にいたいって打ち明けるまで、知らなかったよ。
「……ぎゅってする?」
可不可が両腕を軽く広げて、俺のほうに向き直る。
「する……」
頭のなかがふわふわしてきた。目の周りが火照ってる。熱いから、暑いけど、可不可と抱き合いたい。
「僕より先に酔うなんて珍しいねぇ」
くっついたまま、ばれないようにこっそりと息を吸う。鼻腔をくすぐる可不可のにおいが好き。大浴場にあるボディソープはこの部屋のお風呂にあるものと同じだけど、俺とはどうしたって同じにおいにはならない。ほとんど毎日ずっと一緒にいて、だいたい同じものを食べて、寮のみんなのとまとめて洗濯して……、限りなくおそろいの生活をしてても、おそろいにはならない。
「……俺、このにおい、好きかも」
こっそりだったはずが、自分からばらしちゃった。
「僕たちの相性がいいってことかな」
今にも鼻唄を歌いそうなくらい上機嫌な声だ。断定したもの言いじゃないけど、相性がいいのを断定してるのがわかる。おそろいじゃない部分すら愛しく思えるのは、相手のことが大好きっていうおそろいの気持ちが根っこにあるからだよ。
「可不可、あんまり飲まないね」
「そりゃあ――」
「んっ」
可不可の手指が腰から背中をつつつとなぞり上げるのと一緒に、そわそわしたものが頭のあたりまで上ってくる。
「――夜は長いからね」
飲み過ぎて使いものにならなかったらいやでしょ? だって。可不可がそんなこと言うようになるなんて、こういう関係になるまで思いもしなかった。……まぁ、でも、俺も「いや」とまでは思わないけど、残念だなぁくらいは思っちゃうかも。なんて、俺も、こんなこと思うようになるなんて、自分でもびっくりだよ。