おそろいリップ
*kfkeワンドロワンライ第9回から『保湿』を選択
「痛っ」
幾成くんと話してる最中、くちびるにぴりっとした痛みを感じて、思わず声が漏れた。
「どうしたの?」
そんなに大きな声じゃなかったとは思うんだけど、たまたまリビングに降りてきたばかりの可不可がそのまますっ飛んできた。幾成くんの反応より早い。相変わらず過保護だなぁ。
「あはは、なんでもないよ」
「なんでもないことないでしょ」
「マスターのくちびるに小さな切り傷を確認。出血はなし。原因としてはエアコンの風や乾燥した空気にさらされたこと、ビタミンB2不足などが考えられる」
幾成くんにすらすらと説明されていたたまれなくなった。最近、保湿をちょっとサボってた自覚があるぶん、余計に恥ずかしい。
「ありがとう、幾成。主任ちゃんと歓談中だったみたいだけど、席を外させていいかな」
「え、あ、ちょっと可不可!」
幾成くんが頷くのを確かめるなり、可不可に腕を掴まれた。そのままぐいぐい、階段を上っていく。
辿り着いたのは可不可たちの部屋で、なかは無人。そういえば練牙くんはモデルの仕事、添くんは「寿司屋って、桃の節句までずっと繁忙期なんですよね〜」とか言ってたっけ。
「そこに座って」
言われたとおり、おとなしくテーブルの近くに胡坐をかく。可不可はデスク脇のチェストに手を突っ込んでなにかを探してるみたい。
「……ラグの上じゃなくて、僕のクッション使ってくれていいのに」
寮のなかとはいえ、他の部屋で主の許可なくそんなことできない。俺がちょっと戸惑ってたら、可不可は小さく溜息をついて、俺をデスク近くの椅子に座らせた。こっちなら遠慮する気持ちもまだ軽く済むでしょって言いながら。
「楓ちゃんのことだから、忙しさにかまけて保湿をサボってたんでしょ。ここ数日は乾燥注意報も出てるのに」
「一応、ハンドクリームは塗ってたんだけどな」
「それはキッチンとかランドリールームで家事をして、否が応でも手荒れが視界に入るから渋々って感じかな? ……確かに、手指は大丈夫そうだけど……問題はこっち。しゃべった程度で切れるなんて、よっぽどだよ。ほら、顔上げて。ちゃんと新品だから」
確かに、視界の端にはテープを剥がしたばかりの外箱が転がってる。問題はそんなことじゃなくて――
「自分で塗れるよ。っていうか、俺も自分の持ってるし」
――可不可が手ずから、俺にそれを塗ろうとしてること。
「どうせ部屋に転がってるんでしょ。ほら、おとなしくして」
意地になるのもそれはそれで変な気がして、渋々、顔を軽く上げた。
目の前のリップスティックからほのかに漂う清廉な香り。これ、なにかに似てる気がする。なんだっけ。
「目、閉じてくれたほうがありがたいんだけど」
「えっ? あ、そう……? そうなのかな……」
言われるがまま目を閉じたけど、なんだかこれって、キスする前みたいじゃない? そう思ったらどきどきしてきた。まさかとは思うけど、リップを塗るふりしてこんなところでキスなんてしてこないよね。
「……少し、くちびるを開いて」
頬に熱が集まるのを感じた。ますます、キスの直前みたい。腿の上でこぶしをかたく握って、くちびるにくる衝撃に備える。
「切れてるの、真ん中あたりだね。明日くらいまでは、ご飯を食べるときも気を付けて。今は血が出てないけど、油断して大きな口を開けでもしたら、また切れちゃうだろうから」
中途半端に薄く開いた口で返事するのも間抜けな気がするし、首を縦に振ったら大惨事になるしで、うまく答えられない。かためられたリップスティックが、俺のくちびるの温度にふれたところからやわらかくなって、可不可の手の動きに合わせてするすると塗り広げられていく。
「できた、もういいよ。よければこれ、使って」
「ありがとう。でも、もらうわけには……っていっても、俺に使ってくれたのを可不可に使わせるわけにも、……」
くちびるを軽くむにむにと動かして馴染ませる。ふわっと鼻腔をくすぐった香りに「あ」と閃いた。これ、可不可が休みの日にだけつけてる香水に似てる。休みの日、可不可が、俺と一緒にいるときの。
どうしよう。恥ずかしくなってきた。リップを塗ってもらっただけでもじゅうぶん恥ずかしいことなのに、自分のくちびるから可不可と同じにおいがするなんて。
「どうしたの?」
「だ、だめだよ、これ……普通の顔、できない……」
気付かずにいられたらよかったのかもしれないけど、今よりもっと近い距離でこの香りをとっくに知ってるから、俺が気付かないわけがない。
「普通じゃない顔って、今みたいな顔?」
あっという間に可不可の顔が迫ってきて、ちゅっとリップ音が鳴った。
「……せっかく、塗ってくれたのに」
「うん」
「可不可にも、ついたんじゃない?」
「そうだね」
顔が熱くなり過ぎて、鏡を見なくても、自分の目が潤んでるのがわかる。これ、すっごくよくない。
「塗ってくれた意味なく、ん、んっ……」
今度はぜんぜんかわいくない音でくちびるを吸われる。塗ってもらったリップは清廉な香りなのに、可不可とふたりきりで過ごすのと同じ香りなせいで、清廉とは呼べない空気になってきた。
「……かわいい顔、ちゃんと、息して」
「ふぁ、あ……かふ、……」
絶対の絶対に、リップなんて一ミリも残ってない。くちびるを吸われ、舐められ、……可不可の舌が、好き勝手に俺の口のなかで遊んでる。俺も初めてだったけど、可不可だって俺が初めてだったくせに、ファーストキスの時点で敵わなかった。
「んぅ、ん……、は、かふか、まだ、……」
まだやめないでほしいって思っちゃう。可不可にもっと遊んでほしい。俺も可不可の舌を捕まえて、自分の口のなかに誘い込んだ。どっちがどっちの唾液かなんてわからない、リップスティックの香りだってとっくに飛んでると思う。
俺のほうが少し背が高いから、普段は俺が数センチだけこっそり身を低くしてキスするか、ふたりで寝転がってキスするかなのに、体を起こした状態で可不可が上から食べるみたいにキスしてくるなんて初めてだ。飲み込み切れなかった唾液が顎を伝う。
「……ぁ、は、はぁ」
「ごめんね、なかなか止められなくて」
「ううん、俺もだから……でも、やっぱりそのリップは可不可が持ってて」
お言葉に甘えてそれを使ったら、そのたびに、可不可が愛用してる香水と同じ香りなこととか、今のキスとか、いろいろ思い出しちゃう。みんなもいるときにこのリップを使って心頭滅却なんて無理だよ。
「えぇ……でも」
「ちゃんと自分のを使って、サボらないようにするから。で、そっちのリップは、その、……」
続きを言うのが恥ずかしい。言い淀んだ俺を可不可はしばらくじーっと見てたけど、なにか閃いたみたいに、にこにこしだした。
「いいよ。わかった。……じゃあ、今夜、これ持って、部屋に行くね」
あーあ、可不可のことだから、わかったんだろうな。そうだよ、ふたりきりのときだけ、そのリップ使わせてほしい。
「痛っ」
幾成くんと話してる最中、くちびるにぴりっとした痛みを感じて、思わず声が漏れた。
「どうしたの?」
そんなに大きな声じゃなかったとは思うんだけど、たまたまリビングに降りてきたばかりの可不可がそのまますっ飛んできた。幾成くんの反応より早い。相変わらず過保護だなぁ。
「あはは、なんでもないよ」
「なんでもないことないでしょ」
「マスターのくちびるに小さな切り傷を確認。出血はなし。原因としてはエアコンの風や乾燥した空気にさらされたこと、ビタミンB2不足などが考えられる」
幾成くんにすらすらと説明されていたたまれなくなった。最近、保湿をちょっとサボってた自覚があるぶん、余計に恥ずかしい。
「ありがとう、幾成。主任ちゃんと歓談中だったみたいだけど、席を外させていいかな」
「え、あ、ちょっと可不可!」
幾成くんが頷くのを確かめるなり、可不可に腕を掴まれた。そのままぐいぐい、階段を上っていく。
辿り着いたのは可不可たちの部屋で、なかは無人。そういえば練牙くんはモデルの仕事、添くんは「寿司屋って、桃の節句までずっと繁忙期なんですよね〜」とか言ってたっけ。
「そこに座って」
言われたとおり、おとなしくテーブルの近くに胡坐をかく。可不可はデスク脇のチェストに手を突っ込んでなにかを探してるみたい。
「……ラグの上じゃなくて、僕のクッション使ってくれていいのに」
寮のなかとはいえ、他の部屋で主の許可なくそんなことできない。俺がちょっと戸惑ってたら、可不可は小さく溜息をついて、俺をデスク近くの椅子に座らせた。こっちなら遠慮する気持ちもまだ軽く済むでしょって言いながら。
「楓ちゃんのことだから、忙しさにかまけて保湿をサボってたんでしょ。ここ数日は乾燥注意報も出てるのに」
「一応、ハンドクリームは塗ってたんだけどな」
「それはキッチンとかランドリールームで家事をして、否が応でも手荒れが視界に入るから渋々って感じかな? ……確かに、手指は大丈夫そうだけど……問題はこっち。しゃべった程度で切れるなんて、よっぽどだよ。ほら、顔上げて。ちゃんと新品だから」
確かに、視界の端にはテープを剥がしたばかりの外箱が転がってる。問題はそんなことじゃなくて――
「自分で塗れるよ。っていうか、俺も自分の持ってるし」
――可不可が手ずから、俺にそれを塗ろうとしてること。
「どうせ部屋に転がってるんでしょ。ほら、おとなしくして」
意地になるのもそれはそれで変な気がして、渋々、顔を軽く上げた。
目の前のリップスティックからほのかに漂う清廉な香り。これ、なにかに似てる気がする。なんだっけ。
「目、閉じてくれたほうがありがたいんだけど」
「えっ? あ、そう……? そうなのかな……」
言われるがまま目を閉じたけど、なんだかこれって、キスする前みたいじゃない? そう思ったらどきどきしてきた。まさかとは思うけど、リップを塗るふりしてこんなところでキスなんてしてこないよね。
「……少し、くちびるを開いて」
頬に熱が集まるのを感じた。ますます、キスの直前みたい。腿の上でこぶしをかたく握って、くちびるにくる衝撃に備える。
「切れてるの、真ん中あたりだね。明日くらいまでは、ご飯を食べるときも気を付けて。今は血が出てないけど、油断して大きな口を開けでもしたら、また切れちゃうだろうから」
中途半端に薄く開いた口で返事するのも間抜けな気がするし、首を縦に振ったら大惨事になるしで、うまく答えられない。かためられたリップスティックが、俺のくちびるの温度にふれたところからやわらかくなって、可不可の手の動きに合わせてするすると塗り広げられていく。
「できた、もういいよ。よければこれ、使って」
「ありがとう。でも、もらうわけには……っていっても、俺に使ってくれたのを可不可に使わせるわけにも、……」
くちびるを軽くむにむにと動かして馴染ませる。ふわっと鼻腔をくすぐった香りに「あ」と閃いた。これ、可不可が休みの日にだけつけてる香水に似てる。休みの日、可不可が、俺と一緒にいるときの。
どうしよう。恥ずかしくなってきた。リップを塗ってもらっただけでもじゅうぶん恥ずかしいことなのに、自分のくちびるから可不可と同じにおいがするなんて。
「どうしたの?」
「だ、だめだよ、これ……普通の顔、できない……」
気付かずにいられたらよかったのかもしれないけど、今よりもっと近い距離でこの香りをとっくに知ってるから、俺が気付かないわけがない。
「普通じゃない顔って、今みたいな顔?」
あっという間に可不可の顔が迫ってきて、ちゅっとリップ音が鳴った。
「……せっかく、塗ってくれたのに」
「うん」
「可不可にも、ついたんじゃない?」
「そうだね」
顔が熱くなり過ぎて、鏡を見なくても、自分の目が潤んでるのがわかる。これ、すっごくよくない。
「塗ってくれた意味なく、ん、んっ……」
今度はぜんぜんかわいくない音でくちびるを吸われる。塗ってもらったリップは清廉な香りなのに、可不可とふたりきりで過ごすのと同じ香りなせいで、清廉とは呼べない空気になってきた。
「……かわいい顔、ちゃんと、息して」
「ふぁ、あ……かふ、……」
絶対の絶対に、リップなんて一ミリも残ってない。くちびるを吸われ、舐められ、……可不可の舌が、好き勝手に俺の口のなかで遊んでる。俺も初めてだったけど、可不可だって俺が初めてだったくせに、ファーストキスの時点で敵わなかった。
「んぅ、ん……、は、かふか、まだ、……」
まだやめないでほしいって思っちゃう。可不可にもっと遊んでほしい。俺も可不可の舌を捕まえて、自分の口のなかに誘い込んだ。どっちがどっちの唾液かなんてわからない、リップスティックの香りだってとっくに飛んでると思う。
俺のほうが少し背が高いから、普段は俺が数センチだけこっそり身を低くしてキスするか、ふたりで寝転がってキスするかなのに、体を起こした状態で可不可が上から食べるみたいにキスしてくるなんて初めてだ。飲み込み切れなかった唾液が顎を伝う。
「……ぁ、は、はぁ」
「ごめんね、なかなか止められなくて」
「ううん、俺もだから……でも、やっぱりそのリップは可不可が持ってて」
お言葉に甘えてそれを使ったら、そのたびに、可不可が愛用してる香水と同じ香りなこととか、今のキスとか、いろいろ思い出しちゃう。みんなもいるときにこのリップを使って心頭滅却なんて無理だよ。
「えぇ……でも」
「ちゃんと自分のを使って、サボらないようにするから。で、そっちのリップは、その、……」
続きを言うのが恥ずかしい。言い淀んだ俺を可不可はしばらくじーっと見てたけど、なにか閃いたみたいに、にこにこしだした。
「いいよ。わかった。……じゃあ、今夜、これ持って、部屋に行くね」
あーあ、可不可のことだから、わかったんだろうな。そうだよ、ふたりきりのときだけ、そのリップ使わせてほしい。