冬のデート
*それぞれの"日付 タイトル"押下でその日の分のSSが読めるアドベントカレンダーSSです(開いたSSは"畳む"でまた折りたためます)
12月1日 冬の朝
しゅうまいの散歩に行こうと靴を履いてたら、後ろから呼び止められた。
「おはよう、可不可。俺も行っていい?」
頷くより早く、楓ちゃんが「あっ」って声を上げて、階段のほうへと逆戻り。忘れものでもしたのかな。
「わかってる。楓ちゃん待ちだよ」
足許でわふわふ吠えるしゅうまいを宥める。たとえ相手が楓ちゃんでも、出発のタイミングがずれるのがいやだったみたい。
「お待たせ! はい、これ」
顔を上げる前に楓ちゃんの手が伸びてきて、あっという間に頭やら首まわりやらにいろんなものを装着させられた。
「今朝は特に冷え込むんだって。昨日までと同じ格好じゃ、絶対に風邪引くから」
強引に被せられた帽子で前髪がぺったんこだ。これでも毎朝、苦労して整えてるのにな。
「あ、そのまま動かないで」
前髪の分け目を整えるところまで、やってもらっちゃった。
この子の前では格好よくいたいから、額を掠めた指先にすらどきどきしてること、ばれなきゃいいんだけど。畳む
12月2日 寄り道
ひとには帽子だのマフラーだの貸しておいて、自分のことは無沈着なんじゃない? この子の防寒具ときたら、ショート丈のダウンコートだけ。乾燥対策でマスクはしてるけど、手袋もイヤーマフもなし。
好きな子に寒々しい格好をさせて自分だけあったかもこもこスタイルなんて、男がすたる。自分のぶんを取りに行こうとしたら、しゅうまいがもう待ちきれないって吠えてるよなんて言われて、半ば引きずられるみたいに出発するはめになった。なんだか、僕がしゅうまいを散歩に連れて行くんじゃなくて、楓ちゃんが僕としゅうまいを散歩に連れて行く図になってない?
でも、僕も結構単純で、しゅうまいを連れて楓ちゃんと歩いてるうちに、へんにむくれないで、楓ちゃんの優しさを素直に受け取ろうって気持ちだけが残った。
「ねぇ、楓ちゃん。あそこ行かない?」
今日はゆっくり出社の日だし、ちょっとだけ遠回りしてもいいよね。前にしゅうまいを連れて楓ちゃんとお散歩デートしたときに見つけたペット連れOKなカフェも、ちょうど、お店が開く時間だし。
かわいい帽子やマフラーを借りちゃったぶん、あったかいポタージュスープがついたモーニングセットでお礼させてね。畳む
12月3日 ソファー
開店時間とともにお店に行ったものだから、店員さんもちょっと慌てた顔をしてた。もちろん、すぐに窓側の席を案内してくれたけどね。店員さんが水やおしぼりを取りに姿を引っ込めた隙に、楓ちゃんが開店凸したみたいになっちゃったねって囁くみたいに言って、ふたりでこっそりと笑った。
このお店は座席間隔がゆったりめで、窓に面した席は、ふたりずつ横並びに座れるようにテーブルとソファーが配置されてる。初めて来たときに店員さんが窓側の席を店内してくれて、楓ちゃんが楽しそうにしてたからか、それからも、この席が空いてればここを案内されるようになった。
こういう席を案内されたってことは僕たちってそう見えるのかなとか、この子も僕とそう見られるのがまんざらでもないのかな……なんてどきどきしたのは、初めて来た日のほんの数秒だけ。窓からの景観を楽しめる座席だし、楓ちゃんも、こういうカフェでは珍しいタイプの座席だからはしゃいだだけに決まってる。わかってるよ。
「はい、可不可」
フォークが突き刺さったプチトマトを差し出された。僕はまだそこまでお腹が空いてないから、ホットミルクだけにしたんだけどな。
「別にいいのに」
「いいから。ここのサラダ、可不可もお気に入りでしょ」
わざわざ言葉にして言ったわけじゃないのに、知ってたんだ? このお店、ドレッシングがオリジナルらしくて、すごくおいしいんだよね。
「じゃあ……いただきます」
こうやって食べさせてもらっても周りからは見えにくいから、この席も悪くないなって思っちゃう。畳む
12月4日 じゃんけん
朝カフェでふたりともあたたまったし、そろそろ散歩コースに戻らなきゃ。楓ちゃんが紙ナプキンで口許を拭うのを見計らって、伝票に手を伸ばす。
「あ、俺がまとめて払うよ」
僕のぶんをいったん立て替えるわけではなさそうな口ぶりだ。ごちそうしてもらうお礼を口実に次のデートの約束を取りつけるって手もあるけど、そもそもこれは帽子とマフラーを貸してくれたお礼がしたくて誘ったんだから、やっぱりここは僕に任せてほしい。でも、言ったら言ったで、それくらいでごちそうにはなれないとか、自分のほうがたくさん食べたからって言葉が返ってきそうな気がするんだよね。
「じゃんけんで決めようか。勝ったほうに決定権があるってことで」
楓ちゃんの返事は聞かず、じゃんけんをする動きを見せる。反射的に同じ動きをした楓ちゃんとの一発勝負。
「あー、負けちゃった……」
「じゃあ、払ってくるね。しゅうまいをお願い」
人生の半分以上幼馴染みやってるからね。咄嗟になにを出すか、楓ちゃんの癖くらい、知ってるんだよ。
「お待たせ」
楓ちゃんが貸してくれたマフラーを、本人の首に巻く。
「え、いいよ、可不可が使って」
慌てて外そうとした手を握って、今の自分ができる最短距離まで顔を近付けた。
「だめ。帽子は帰るまで借りるから、こっちだけでも先に返させて。せっかく一緒にあたたまったのに、楓ちゃんだけ寒くなるの、僕はいやだな」
幼馴染みとは言いがたい、でも、ぎりぎり幼馴染みでも許される距離。ちょっとはどきどきしてくれた?畳む
12月5日 お誘い
明日から、3区・4区一帯がイルミネーションで彩られる。今年は創業初年度だしお客さんとして見物するだけだったはずが、前日の最終チェックを少しだけ見学させてもらえることになったんだ。大勢で押しかけるわけにもいかなくて、練牙と僕、――礼光は都合がつかなかったから、社長権限で――主任ちゃんの三人で仕事帰りに立ち寄ることにした。
「明日も普通に平日だけど、地元のひとたちはたくさん来るよね」
「あぁ、みなとみらいの店も、いろいろ準備してるところが多いんだ! 主任たちもよかったら――」
ふたりの会話に耳を傾ける。このなかでHAMAのイルミネーションを間近で見るのが初めてなの、僕だけなんだよね。主任ちゃんは昔からなんでも聞かせてくれたから、家族や友人としか来たことないって知ってるけど、それでも、妬けちゃうな。
「可不可、どうした?」
練牙の声にはっとして顔を上げる。仕事だし見学はちゃんとしてるけど、一緒にいるふたりの言葉にも集中しなくちゃ。雑談のなかにこそ、仕事に繋がるヒントがあるんだから。
「なんでもないよ。夜は冷え込むなぁって考えてただけ」
「最近一気に寒くなったもんね。あとであったかいもの軽く食べて帰ろうか」
「そうだな! ……あ、悪い。ちょっと電話に出てくる」
数歩離れる練牙に軽く手を振ってたら、主任ちゃんがすすすと体を寄せてきた。
「今日は仕事だけど、今度ふたりで見に来ようね」
「うん、いいよ」
こんなロマンチックなところへのデートに誘うって、どういうつもり? つい期待しちゃうけど、たぶんなんでもないんだろうな。畳む
12月6日 ゴキゲン
好きな子からデートに誘われただけで浮かれるの、ちょっと格好悪いかなって思うんだけど――
「おはようございます、社長。……なにかありました?」
「おはよう。なにが?」
「いえ。まぁ、どうせ主任絡みなんでしょうけど」
――顔を合わせるなり生行に言い当てられるくらいには、表情に出てしまってる。自分でもわかってるよ。
「主任ちゃんのことどうせとか言うの禁止ね」
「はいはい、わかりました。可不可は相変わらずだな」
そう言ってミーティングルームに向かう生行に、心のなかでだけ舌を出す。数少ない友人だし、起業にあたって絶対に誘いたいと思ったくらいには、彼のことは信頼してる。でも、創業メンバー顔合わせの日に主任ちゃんを紹介して以来、たまにこうやってからかってくるから、そこに対してだけはむっとしちゃう。……まぁ、生行だから秒で許してあげるけど。
昨日の夜、楓ちゃんに言われた言葉を何度も反芻してる。ふたりで出かけるなんてよくあることなのに、内緒話をするみたいに誘われたのは初めてなんだよね。わざわざ〝ふたりで〟って言われたこともない。でも、楓ちゃんはそこまで深く考えてないに決まってる。
いつもみたいに「今度行こうよ!」って誘われてたら、ここまでどきどきしなかったのかな。……ううん、僕って、あの子から誘われたらそれだけで有頂天になっちゃうようにできてるから、どのみち、普通にしてられなかったかも。
「カフカフわ百面相がマイブームか〜?」
珍しく顔を出した子タろにまでそんなこと言われるくらいには、顔に出ちゃってる。畳む
12月7日 有能執事
休憩の時間が決まってるわけじゃないから、目の前の仕事がきりよくなったところで周りに声をかければいい。でも、あともう少しすれば主任ちゃんが外回りから帰ってくるはずなんだよね。
「社長、せめてなにか飲まれてはいかがでしょう」
こんなところでも有能な朔次郎が、僕好みの紅茶を淹れて持ってきてくれた。
「……学校は?」
「本日分は終わりましたので」
「そうか、今日からだったね。試験監督お疲れさま」
昼班の子たちは、学校の期末考査真っ最中。しばらくここには来ないよう言ってある。
そういえば……と、あの子がJPNの高校に通ってた頃のことを思い起こす。楓ちゃんは遠慮してたけど、数学なら僕のほうが得意だって説き伏せて、病室でテスト勉強したんだよね。
「……外が騒がしいようですね」
朔次郎の声で我に返る。ほどなくして、息を切らした主任ちゃんが駆け込んできた。
「ただいま戻りました! 可不可、もうお昼食べちゃった?」
「おかえり。まだだけど……なにをそんなに慌ててるの」
「見て、あす高近くにできた定食屋さんの割引券! お店のひとがあす高生徒会にくれたらしいんだけど、宗氏くんは期限内に行けないからって。朔次郎さんもどうですか?」
「せっかくのお誘いですが、私はこのあと採点の手伝いで戻らなければならず」
……朔次郎のうそつき。そんな話はなかったよね。
「いいよ、ふたりで行こう」
申し訳なさそうにする主任ちゃんの背中に手を添えて、ちらりと朔次郎を見る。ウインクされた。わざわざ気遣わなくていいのに。畳む
12月8日 プチ掃除
うちはHAMAの観光業全体のディレクションを業務内容のひとつにしてるから、イルミネーションイベントが始まってからも相談案件が次々にくる。
でも、いくら忙しくても、観光区長によるおもてなしを疎かにするわけにはいかない。イルミネーションイベントを邪魔しないよう、ツアースポットの動線はいつも以上に気を遣ってる。今後はHAMA全体の観光イベントに表立って関わりたいし、今はイルミネーションだけが目的のひとたちもHAMAツアーズのお客さんにするつもりだから、良好な関係を築いておかないと。
「僕なんかに演出を丸投げなんていいんですかぁ〜〜! ……はっ、これは今世での徳……!? つまり来世では借金苦に陥ることもなく赤子の頃から陽キャ人生……って、夢物語以下の妄想をしてすみませんすみませんすみません!!」
派手な音を立ててコップが割れるのと、朔次郎が十秒でそれを片付けるのを眺める。賑やかだなぁ。
「也千代、向かいの席は主任ちゃんなんだから気を付けて」
僕の指摘に、也千代がまた、叫ぶように謝る。
「あはは、俺も自分の席、散らかしがちだから耳が痛いな」
主任ちゃんがそれとなく自分のデスクの上を整頓し始めた。それを見て也千代もわたわたと片付け始める。なんだか、いやな予感。
「っ、くしゅん!」
ほら、やっぱり。也千代の荷物のあいだから舞った埃で、主任ちゃんが派手なくしゃみしちゃったじゃない。今日は事務仕事がほとんどだし、ふたりとも、自分のデスク周りだけでも整えさせなきゃね。畳む
12月9日 手帳
日記タイプはいらないかな。週間スケジュールってこんなに書く? ――サンプルを見ては元の棚に戻す。
「あ、社長っちだ。珍しー」
こんなところで遭遇するなんて、それこそ〝珍しー〟だよ。そう思ったのが伝わったのか、千弥のほうから教えてくれた。そこのコーヒーショップと好きなブランドのコラボグッズを買った帰りらしい。
「手帳? アナログ派だったっけ?」
「これはプライベート用」
仕事のスケジュールはクラウド管理してるからね。千弥が僕と手帳が並んだ棚を何度か見比べる。
「ちぃのオススメはね、これ」
「空欄だらけにならない? 日記を書く習慣はないんだけど」
「その日食べたものでも天気でも、とりま毎日パシャって、スキマ時間でシールにしてぺたぺたしてたら、むしろページたんなくなるよ」
そういうものなのかな。手帳を見つめる僕に、千弥が続ける。
「さっき〝珍しー〟って言ったの、オレが見る社長っちって、主任ぴとかさくじぃとか、れんれとか、なゆーきとか、あとわりとゆきぱそが一緒にいるから、ひとりなの珍しーって」
年の瀬に慌てて手帳を買いに来たのは、一月始まりのひとつ前のページ、今月のところに今度のお出かけの予定を書いて、文字を見ながら指折り数える経験がしたかったからなんだ。でも、予定だけ書くんじゃなくて、みんなと過ごす日々を紙に残すのもいいかもね。もちろん、あの子との日々も。
「アドバイスありがとう。でも、雪風がよくいるって認識はいらないからね」
「あはは。……主任ぴとの予定も写真も、増えるといいね」
僕が手帳を探してる理由、見透かされてたみたい。畳む
12月10日 絆創膏
買った手帳を見せたくなって、帰るなり、楓ちゃんの部屋を訪ねた。
「はーい! ちょっと待って……、痛っ」
ただごとじゃない。一気に焦る僕をよそに、ばたばたしてたっぽい楓ちゃんはのんびりとドアを開けた。
「大丈夫? なにかあった?」
「え? あぁ、平気平気。ちょっとささくれがね」
秋物の服を片付けてる最中、カーディガンの繊維に指のささくれが引っかかったらしい。忙しいときに訪ねちゃったな。
「見せて」
返事は待たず、楓ちゃんの手を取る。利き手の指って、反対の手指に比べるとやっぱりちょっと貼りにくい。
「絆創膏……はいつものバッグだよね」
「えぇ……こんなの舐めときゃすぐ治るよ」
「いいから。血も滲んでるし、少しのあいだだけでも貼って」
視線で楓ちゃんに断りを入れて、バッグのなかを触らせてもらう。小さな救急ケースはささいな傷をつくりがちな子たちのために、楓ちゃんが持ち歩いてる。とはいえ、朔次郎がもっといろいろ用意してるから、この救急ケースの出番は意外と少ないんだよね。
個包装の消毒綿を開けたら「大袈裟だよ」って言われたけど、僕が紙で切り傷をつくったときに朔次郎はこうしてたし、やらないに越したことはない。
優しく押し当てるみたいに傷口を拭って、絆創膏をくるっと巻いたら終わり――
「可不可、ありがとう」
――なんだけど、楓ちゃんの視線が突き刺さってる気がして、貼り終えてからも、僕はすぐに顔を上げられなかった。畳む
12月11日 オブラート
落ち着いて考えたら、買ったものを見てほしいって部屋を訪ねるの、ちょっと子どもっぽいよね。楓ちゃんの人差し指に絆創膏を巻いたあと、しばらく他愛もない話をして心を落ち着かせながら、浮かれまくった気持ちをオブラートでくるくる包む。
「この前言ってたのを、いつにしようかなって」
ここ数日どたばたと舞い込んできてた相談案件のパターンも読めたし、生行がチャットツールの精度を上げてくれたおかげで、仕事終わりのデートなら明日にだってできそう。
クリスマスイブと当日が混雑のピーク、それ以外も、週末は毎週混雑する。人混みを口実にくっついて歩くのも悪くないけど、口実がなきゃくっつけないなんて悔しいじゃない? ふたりでって楓ちゃんから言ってくれたんだし、ゆっくり歩きたいな。――なんて、全部は言えなくて、結局〝人混みのピークは避けて、ゆっくりと〟を条件に挙げた。
「じゃあ、月曜の仕事終わりにする?」
四日も先かぁって思ったけど、明日はイルミネーションイベントが始まって最初の金曜だし、ひとが多そうだからね。
「嬉しいな。手帳に書いて指折り数えそう」
結局言っちゃった。楓ちゃんが「手帳? 持ってたっけ?」って顔をするから、くるくるに巻いたオブラートをちょっとだけ剥がして、買ったことだけを打ち明ける。
「あ、それがそうなんだ? 本かと思った」
ぱっと見は薄い文庫本にカバーをかけた見た目だから、そう思うのも無理はない。
「千弥のおすすめでね」
「……やっぱり千弥くんはセンスがいいなぁ」畳む
12月12日 ひりつき
「季肋くん、大丈夫? 顔、真っ青だよ」
「大、丈夫……。人数制限は……少なめ、って……」
期末考査が終わって、季肋は明日から学生花文字師としてアルバイトをすることになってる。礼光と季肋の個人契約だ。
「そっか……もうすぐ礼光さんが明日からに備えて打ち合わせに来るんだよね? 俺、同席しようか?」
季肋の様子を見る限り、同席すべきかもしれない。でも、立会人は社長の僕が適任だと思う。――口を開こうとしたら、僕の様子に気付いてない主任ちゃんが話を続けた。
「昨日書いてくれた花文字もすごくよかったし、すぐ人気の花文字師になりそうだなぁ」
「……それ、聞いてないんだけど」
昨日、デートの約束をしたときに、キミからそんな話はなかったよ。
「えーっと……?」
主任ちゃんの顔に困惑って書いてある。僕自身、声に出してしまったことに困惑してる。……まずいな、今すぐ冷静にならなきゃ。季肋まで困らせるわけにはいかない。
「おい、衣川を借りるぞ」
入ってくるなりずかずかとこちらに歩いてきた礼光は、僕たちの様子なんて気にも留めないといった顔だ。
「同席は不要だ。契約には保護者の同意を得ている。主任、未成年扱いと子ども扱いを混同するな。それから――」
礼光がこちらを向いた。
「――大黒、私的な感情を持ち込むな。日頃は大目に見ているが、俺の契約相手を巻き込むようなら話は変わる」
「……わかったよ。礼光の言うとおりだ」
とりあえずは冷静になれた、けど、礼光の向こうで、主任ちゃんはなにか考え込んでるみたいだった。畳む
12月13日 お守り
やきもちを妬いて人前で拗ねたこと、周りのひとがいなくなってすぐにごめんって謝った。あの子も「いいよ」って言ってくれた。でも、ふたりとも、まだもやもやが残ってる。そのくせ、それ以上、話ができないまま。話す時間がないわけじゃなくて、話すのが、踏み込むのが、どうしてか怖いから。明日は楓ちゃんとの約束の日だし、早く仲直りしなきゃ。
「えっと……、可不可くん」
リビングの端でぼんやりしてたら、糖衣が話しかけてきた。
「どうしたの?」
「これ、受け取って!」
半ば強引に手に握らせるみたいに渡されたそれは、心願成就の文字が刻印された、透明のプレートだ。灯りに透かすと、文字がきらきら輝く。でも、普通に見ても、きらきらの素は見えない。どういうつくりなのかな。
「きれいだね。……季肋がなにか言ってた?」
「昨日、可不可くんと主任さん、あんまりお話ししてなかったから。ケンカしたのかなぁって呟いたら、キロちゃんがちょっとだけ話してくれて……」
「……心配かけちゃったね」
糖衣がぶんぶんと首を振る。
「僕は、可不可くんと主任さんのこと、全部は知らないし……話してくれるならたくさん聞きたいけど、全部知らなきゃやってけないわけじゃないって、わかってるよ。だから……だからね、兄さまのお守りに、ふたりがこれからも仲良くしてくれますようにって、お祈りを込めたんだ」
「そっか……気にかけてくれてありがとう。季肋にも、僕から改めてお礼しておくよ」
お守りはお守りでしかなくて、行動するのは自分だけど、糖衣の言葉に、今すぐにでも楓ちゃんと話さなきゃって、背中を押してもらえた気がした。畳む
12月14日 早朝
昨日のうちにちゃんと話したかったのに、部屋を訪ねても返事がなくて、メッセージも未読のまま。早めに就寝したのかな、それなら朝一番に――と早起きしたけど、楓ちゃんはもういなかった。ダイニングで居合わせた宗氏曰く「主任なら、僕がここに来るのと入れ違いで会社に行くと言ってここを出た」とのこと。
朔次郎の運転で会社に向かいながら、ちゃんと話すとはいっても、どう話すべきかと考える。僕がやきもちを妬くのは今に始まったことじゃないし、楓ちゃんも「過保護だなぁ」なんて言いつつも、受け入れてくれてた。でも、よくない空気を引きずってるってことは、今までと同じじゃだめってこと。
ぐるぐる考えてたらスマホが鳴った。
「どうしたの、練牙。……ちょっと、声が割れてる。もう少し声を抑え、うん、うん……わかった、すぐに向かうよ」
電話を切って、運転席にかじりつくように身を乗り出す。
「朔次郎、法定速度最大で。僕は病院に連絡するから」
「かしこまりました」
朔次郎は僕が大黒病院に電話をかける様子を聞いて、なにがあったかを察したみたい。
「主任ですね」
「そう。……練牙、ランニングの途中で会社の前を通ったんだって」
いつもより早くに灯りがついてるから誰が来てるのかと思ってなかに入ったら、あの子が練牙に気付いて振り向いた拍子に転倒したらしい。熱があるみたいとも、聞いた。
僕たちが会社に着くのと救急隊員が到着するのは同じくらいだろう。僕はあの子に付き添い、朔次郎にはこちらから連絡するまで生行や礼光あたりを頼るよう言いつける。動揺したときほど普段以上に頭が回るんだと、初めて知った。畳む
12月15日 ごめんね
医師の所見では〝睡眠不足や疲労による心因性の発熱〟らしい。そのまま帰ってもいいって言われたけど、僕の判断で、今夜は病院で過ごしてもらうことにした。倒れた当日なのにこの子がいつもどおりの生活をしかねない環境にいさせないためだ。
「ごめん、可不可……」
謝らなくていい? 気にしないで? ――どちらも相応しくない気がして、黙って首を振るしかできない。
「謝るのは僕のほう。ただでさえ忙しい時期なのに、あんなふうにキミを困らせて……宗氏から聞いたよ、仕事を早く終わらせようと今朝は早めに出勤したって」
「っ、そうだ、今日、どうしよう……」
楓ちゃんが飛び起きそうになったのを慌てて制止する。左腕に点滴の針が刺さってるんだから、おとなしくしててよ。
「まだ僕と出かけてくれる気持ちがあるならの話だけど、今度にしよう。ふたりでって誘ってくれたの、すごく嬉しかった。それなのに、子どもみたいなやきもち妬いて、周りにも楓ちゃんにも迷惑かけて……本当にごめん」
「しょうがないなぁ、可不可は。……ちゃんと予定立て直して、出かけようね。でも、その前に」
楓ちゃんが手招きするから、なにごとかと体を寄せたら、空いてるほうの腕で抱き寄せられた。
「仲直りってことで、いいんだよね?」
「うん、……楓ちゃんが許してくれるなら、仲直りしたい」
ケンカした数だけ仲直りもしてきたけど、本当は、ケンカしたくない。
「許すもなにも、怒ってないよ。……あのね、可不可のこと大好きだよ」
大好きの温度が違うってわかっててもその言葉が嬉しくて「僕も」って答えた。畳む
12月16日 ハグ
熱そのものはすぐに引いたものの、翌日は寮で一日ゆっくりしてもらうことにした。本人は完全に平熱だしぐっすり眠れたからって出社したがってたけどね。
夕飯どきにダイニングに顔を出した楓ちゃんは、みんなに頭を下げてまわった。楓ちゃんが倒れたところに遭遇した練牙は何度も「もう大丈夫なんだな?」って確かめてたし、幾成は脈拍や体温、眼球の様子なんかをチェックしてたけど、ようやく、みんなも安心したみたい。
「可不可、可不可」
そろそろみんな部屋に戻ろうかという頃合いで、楓ちゃんが小声で手招きしてきた。そのまま手を引かれて、辿り着いたのは、楓ちゃんの部屋。すぐにぴんときた。昨日行けなくなってしまったデートの話だ。
「あのね、急なんだけど、来週末、家族が遊びに来ないかって」
一日部屋にこもってるあいだにタイミングよく連絡がきて、そういう話になったらしい。
「うん、いいんじゃない? ゆっくりしておいで」
「二十五日には帰ってくるよ。……来年は、可不可を優先するからね」
「……ありがとう、嬉しいな」
嬉しいのは嬉しいけど、デートの話じゃなくて来年の話が出てきたことに面食らった。
「それで、その、……き、昨日みたいに、ぎゅってしていい?」
わざわざ了解をとるなんて、楓ちゃんらしくないな。いや、全然いいし、むしろ大歓迎なんだけど。
「いいよ」
軽く腕を広げると、楓ちゃんが覆いかぶさるみたいに抱き着いてきた。数センチの身長差で僕が背中に腕をまわすはめになるのがちょっと悔しい。でも、楓ちゃんから抱き着いてくるなんて、甘えてもらえてるみたいで、これはこれで悪くないな。畳む
12月17日 いつもと違う散歩
風邪じゃなかったとはいえ復帰したてなんだから、仕事以外はおとなしくしててって言ったのに、楓ちゃんは朝からすっごく元気だ。僕より早起きしてしゅうまいの散歩に行くのをリビングで待ってた。ちゃんと寝たの? って訊いたら「寝てるよ」だって。本当かなぁ。
いつもの散歩コースの途中、前にも行ったカフェに立ち寄った。仕事までの時間を考えて、今日は飲みものだけ。暖房と飲みものでしっかりあたたまりながら、窓の外をぼんやりと眺める。日の出や日の入りの時間って、あっという間に空の色が変わるよね。見逃したくなくて、ずっと見てしまう。僕が生まれ育った場所は、HAMA18区のなかでも特に朝の色が見えやすいんだ。だから、空の色が朝に染まるのを見ては〝今日もなんとか新しい一日に辿り着けた〟って思ってたよ。
半分ほど飲んだところで背もたれに体をあずけ、ふと、違和感に気付く。楓ちゃん、今日はいつもより言葉数が少ないな。意味もなく騒ぐような子じゃないけど、ここに来る途中だって、片手で数えられるくらいしか話してない。やっぱり、無理して起きてきたんじゃないかな。すぐそばにいられるのは嬉しいけど、無理はしてほしくない。
とはいえ、僕も僕でつられて言葉数が少なくなってたのもあるだろうからと――
「ねぇ、……」
――声をかけようとして、できなかった。
思わず自分の小指を見て、次に、楓ちゃんの横顔を見る。あからさまな視線の動きだから絶対に気付いてるくせに、なにも言わない。そのあいだも、僕たちの小指はずっと触れ合ったままだった。畳む
12月18日 抱っこ
ここ数日、楓ちゃんの様子がおかしい。やたらと僕に構ってくる。前々から構ってくれてはいるけど、それとは違ってて……端的にいうと、スキンシップが増えた。
子どもの頃から手を繋いだり抱っこしてもらったりっていうのは多かったけど、それは全部僕からお願いしてやってもらってた。それがあたりまえだったのに、最近になって好きな子のほうからくっつかれるようになった僕の気持ちわかる? 小指が軽く触れるだけで、自分から手を繋ぐのの何百倍もどきどきするんだよ。接触面積は小指のほうが圧倒的に狭いのに。
もちろん、楓ちゃんからのスキンシップがいやなわけじゃない。大歓迎だよ。どきどきし過ぎるってだけ。僕の何億分の一でいいから、楓ちゃんにもどきどきしてほしいよ。
「えぇと」
「いいから、ほら。早くおいで」
自分の膝を軽く叩いて、ここに座るよう促す。本当にどういう風の吹き回しか、楓ちゃんが今夜も部屋に呼んでくれたんだから、その機会を使わないわけにいかない。
いつまでもおろおろしてるのが焦れったくなって、楓ちゃんの腰を抱き寄せたら「ひゃあ」って声が上がった。なにその声。別に脇腹が弱いとかなかったはずだよね?
「お、重くない?」
「大丈夫。そんなにやわじゃないよ」
身長差は数センチだし、体重だって、確かに僕よりあるけど、この子は見た目より軽い。情報源は企業秘密。
「今日も、ぎゅってさせてね」
この体勢で抱き合うと、楓ちゃんの鼓動が速くなってるのがよくわかる。それが意味するところに、僕は期待していいのかな。畳む
12月19日 好きだよ
〝楓ちゃんって僕のこと好きなの?〟――今夜も抱き締め合った体勢になったから思いきって訊いてみたら、勢いよく体を引き剥がされた。信じられないって顔だ。別に好きじゃないってこと? こんなにくっついておいてそれはさすがにショックだな。
「い、今更、それ訊く……?」
顔を真っ赤にして、くちびるをわなわなと震わせてる。どうやら、――
「この前、楓ちゃんが言ってくれたのが、そうだった?」
――楓ちゃんがひと晩入院することになった日の言葉の温度を、僕は見誤ってたみたい。大切にしてもらえてる自覚はあったけど、あくまでもそれは幼馴染みという長年の付き合いによるものだと思ってたよ。
「ごめんね、恥ずかしがらせて。奇跡でも起きない限り、恋してもらえるとは思ってなかったんだ」
離れた温度が恋しくて、自分から抱き着く。鼓動の速さを知るまで言葉の温度に気付けなかったのは僕の落ち度。でも、キミもキミで、どうしてあれだけで通じたと思ってたの?
「……奇跡じゃないよ。ずっと大事な友だちだったのに、可不可の一番でいたい自分に気付いて、あぁ、そういう意味でも好きになってたんだなって、自分で自分にショック受けちゃった」
穏やかじゃない言葉がついてきたけど、驚かなかった。だって、僕もまさにそうだったから。ショックを受けちゃった気持ちごと、この子をこれまで以上に大切にしたい。
「それに……可不可からは〝僕も〟しか言ってもらえてないの、実は気になってるんだよ」
「……そうだったね。大好きだよって言葉じゃ言い尽くせないくらいの気持ちなんだけど、聞いてくれる?」畳む
12月20日 子守唄
いつから好きだった? どんなところが好き? 好きな気持ちに、疲れたことはない? ――眠気に負けるまで、楓ちゃんの部屋でいろんな話をした。
驚いたのは、楓ちゃんがつい最近やきもちを妬いて、それで僕への気持ちを自覚したってこと。言われてみれば、僕が手帳を買った話をしたとき、ちょっと様子が変だったものね。そっか、あの変な〝間〟は、そういうことだったんだ。そう理解した途端どうしても口許がゆるむのを我慢できなくて「俺はもやもやしたのに、にやけないで」って言われた。言っておくけど、僕はその何十倍も、やきもちを妬いてきたよ。そう言い返したら、楓ちゃんは黙り込んじゃった。
「僕は十年以上も言えなかったのになぁ」
「俺だって、こんなにすぐ言うつもりなかったよ。でも、あのとき、言わなきゃって思った。縋ってるみたいで、格好悪かったけどね」
縋ってるとか格好悪いとかは思わなかったよ。好きの意味は違っても、大切に想ってもらえてるんだって、嬉しかった。
言葉が途切れる。そろそろ眠くなってきたのかな。僕はまだまだ、眠れそうにないんだけど。
「可不可、……」
楓ちゃんの手がリモコンに伸びて、部屋の灯りが薄暗くなった。オレンジ色の小さな灯りの下、楓ちゃんの瞳が潤む。鼓動がうるさい。うるさくて、耳がきんとする。喉が、渇いてきた。
「いやだったら断ってくれていいんだけど、……眠る寸前まで、可不可と話してたい」
「……いやじゃない。全然、いやじゃないよ」
びっくりした。楓ちゃんがこんなふうに甘えてくるなんて。この前のハグといい、恋をした楓ちゃんって、こんなにかわいいんだ。絶対の絶対に、大事にしなきゃ。畳む
12月21日 手を繋ぐ
初めてのことで昨日は珍しく感傷的になっちゃった、びっくりしたよね、恥ずかしいから忘れて。――今朝、目を覚ますなり照れくさそうに言われたから、僕が忘れると思う? 記憶力いいの知ってるでしょ? って言い返してあげた。たとえ僕の記憶力が悪かったって、キミがくれる言葉は一番最後まで覚えてる自信がある。それに、普段は豪胆だけどちゃんと繊細なところがあるって知ってるから、別に驚かなかったよ。
「出社までまだかなり余裕あるし、楓ちゃんはもう少し寝てなよ。僕はしゅうまいの散歩に行くから」
「俺も行くよ。せっかく……」
そこまで言って、頬がふわっと赤く染まった。言いたいことがなんとなくわかっちゃって、僕まで照れてしまう。そうだよね、同じ気持ちだって改めて確かめてから初めて迎える朝だし、僕だってもう少し一緒にいたい。
「そう? じゃあ、準備できたら、玄関でね」
勇気を出して、楓ちゃんの髪を指で梳くように撫でる。きょとんとした顔のあと、僕の手を捕まえて「うん」って答えてくれた。そうそう、こうやって、手を繋いで歩きたい。
楓ちゃんの部屋をあとにして、そっと、自分の部屋に戻る。練牙がまたお腹を出して寝てたから、布団をかけてあげた。添は相変わらず不在。朔次郎もまだ調べきれてないけど、彼はどうやら多くのひとから求められる存在みたいだし、忙しいんだろうね。
着替えを終えて、姿見の前に立つ。楓ちゃんを心配させないよう、丈の長いダウンコートを選んで、帽子とマフラーと手袋も用意した。今日からは恋人として手を繋げるのに、手袋越しなの、ちょっと残念だな。畳む
12月22日 イルミネーション
仕事が終わるなり、楓ちゃんが僕を連れ出した。今からイルミネーションを見に行こうだって。キミ、明日の夜の便で家族に会いに行くんでしょ? 慌ただしいなぁ。
でも、すごく張り切ってるから、さすがに「来月までやってるんだし、落ち着いた頃にしようよ」とは、言えなかった。それに、僕だって、ここぞとばかりに手袋を外しちゃうくらいには浮かれてる。
「そういえば、最初に誘ってくれたとき、わざわざ〝ふたりで〟って言ってたよね。あれ、僕のことが好きで言ったんじゃなかったんだ?」
絡めた指を遊ばせながら尋ねた。楓ちゃんのこれまでの言葉を整理するなら、僕への気持ちを自覚したのはそれよりあとってことになる。どういう気持ちで、ふたりきりを提案してくれてたのかな。
「……うまく説明できないんだけど、あのとき、可不可とふたりがいいなって思ったんだよね」
「ふーん……」
本人も無自覚な〝好き〟を聞かされて、表情がゆるみそう。――あのとき期待しそうになって慌てて首を振った僕へ、そのまま期待していいよ。
「あ、可不可、そろそろだよ」
青白い光の群れが点滅し始めた。三十分毎の演出が始まる合図だ。ここら一帯のイルミネーションが虹色のうねりを見せ、鈴の音を奏でる。
おしゃべりの途中だったのに、楓ちゃんは眩い光に心奪われちゃったみたい。でも、こんな姿を隣で眺められるのって、僕の特権なんだよね。それが嬉しくて、手を繋いだまま、楓ちゃんにぴったりとくっつく。
「可不可? ……え? えっ?」
イルミネーションに照らされた楓ちゃんの顔が赤くなった。
「誰も見てないよ。次はここにするから、覚悟しててね」畳む
12月23日 ゆびさき
きれいにパッキングされた荷物を前に「器用だね」ってこぼしたら、たいしたことないよって返ってきた。小さくまとまった荷物には、僕から楓ちゃんのご家族へのクリスマスプレゼントも入れさせてもらってる。
空港までバスで行くという楓ちゃんを説き伏せて、朔次郎の運転で空港まで向かうことにしたのは、ぎりぎりまで一緒にいたかったから。
朔次郎を駐車場で持たせてるし、飛行機の時間もあるからあまり長くは過ごせないけど、お茶を飲むくらいの時間はある。向かい合わせに座ってるのに、さっきから楓ちゃんは僕をちらちら見ては視線を逸らしてばかりだ。
「頬でそんなに照れちゃうなんて、これから先、どうするの」
「先って」
「昨日も言ったでしょ、次はここにするって」
軽く身を乗り出して、楓ちゃんのくちびるを指先でなぞる。……少しかさついてるね。寮でのプレゼント交換会はとっくに済ませちゃったし、個人的なプレゼントは帰ってきたときに渡す予定で早々に用意してあるけど、リップクリームも追加しようかな。――心の裡で計画を立ててたら、楓ちゃんが僕の手をきゅっと掴んだ。
「次って、いつ?」
楓ちゃんのくちびるが、指先に触れる。僕がくちびるに触れたとのは違う、意図したくちづけだ。……やられた、けど。
「自分からやっておいて、僕より先に照れるんだ?」
「〜〜っ! しょうがないでしょ! ……こういうの、慣れてないんだから」
「あはは、慣れなくていいよ。慣れないで。ずっとどきどきして……ううん、どきどきさせてあげる」畳む
12月24日 声が聞きたかっただけ
眠る前に、部屋で趣味半分、仕事半分の作業をしてたら、そばに置きっぱなしにしてたスマホの画面がぱっと点灯した。メッセージじゃなくて電話だったから、反射的に出ちゃった。
「もしもし。どうしたの? え? あぁ、言われてみれば、確かに。朝班、僕以外は不在だね」
練牙は仕事の打ち合わせと鹿茸一家へのお呼ばれ、添は大学の友人とやらとクリスマスパーティーだって前々から言ってた。礼光は鹿茸一家の長男だから当然、実家にいる。雪風は遠征中。僕がさみしくないか、心配になって電話をかけてきたらしい。可不可は朝班のこと結構気に入ってるでしょ、だって。
「明日には帰ってくるのに大袈裟なんだから。寮には他のひとたちもいるし、さっきまで、前に録画した金フィル鑑賞会で盛り上がってたんだよ」
電話の向こうの様子から、僕が鑑賞会に参加しなかったの、気付かれてるかも。もっとも、何気ない話題ですぐにわかることだから、なにがなんでも隠したり、はぐらかしたりするつもりはないけどね。
「楓ちゃんこそ、どうしたの。明日には帰ってくるのに。もしかして、僕が恋しくなっちゃったとか?」
自分で言っておいて、鎌をかけるにしても、浮かれ過ぎたかなと思う。
「……黙らないでよ」
ひとりで滑ったひとみたいでいやなんだけど。調子に乗らないででもなんでもいいから、――
「えっ?」
――無言だけはやめてほしいなって言おうとしたら、なんだかかわいい言葉が返ってきた、気がする。
「ううん、全然、悪くない。……ねぇ、今のかわいいの、もう一度言ってよ」
慌てて食い下がったら「もう言わない」って言われちゃった。でも、それって明日帰ってくるからだよね。畳む
12月25日 クリスマスの朝に
眠ってるあいだに雪が降ったみたい。しゅうまいの散歩は昼休みにしようかななんて考えてたら、隣室が急に騒がしくなった。サンタさんからのプレゼントに驚いてるみたい。日にちが変わるぎりぎりに帰ってきた練牙はよほど疲れてるのか、珍しくお寝坊だ。そろそろ起こしてあげようかな。
――と、聞こえるはずのない声が聞こえて、僕の意識は一瞬でそっちに持っていかれる。練牙には適当に声をかけて、部屋を飛び出した。
「あ、可不可、ただいま」
「おかえり。……なんでいるの」
聞いてた予定ではもっとあとの時間なんだけど。迎えに行く気満々だったんだけど。荷解き真っ最中な楓ちゃんの部屋にお邪魔して、後ろ手に鍵をかける。
「気にかかることだらけで予定より早い便にしちゃった」
「気にかかること?」
「みんなのこととか、仕事のこととか、可不可のこととか」
僕の名前が一番最後なのは不満だけど、ふたりきりなことに早速そわそわしてるから見逃してあげる。
「……くちびる、気にしてた?」
それに、とってつけたようにリップクリームが塗られてるのを見たら、小さな不満なんてどこかにいっちゃった。
「そりゃあ、さすがに、……っ、ん」
普段は放ったらかしにしてるくせに、今日に限ってつやつやしてるなんて、楓ちゃんってばわかりやすいんだから。
楓ちゃんの手が僕の手を探してるのに気付いて、ここだよって教えるみたいに指先を絡める。
子どもの頃よりも手を繋ぐ理由が増えたけど、これからも離さないでいてね。畳む
おまけ ランチデートの約束
朝からくっついちゃったけど、いつまでもこうしてるわけにもいかない。曜日とか関係なく、僕たちの仕事は今こそが繁忙期、しゅうまいの散歩は予定どおり昼休みに行くとして、そろそろ出社の準備をしなくちゃ。でも楓ちゃんは有給休暇なんだから、ゆっくり過ごしてほしい。長旅の疲れもあるだろうし。
「え? 俺も仕事に行くよ。有休はまたの機会にってことで。ほら、この前寝込んじゃったときに二日も使ったし」
「なに言ってるの。この時間にHAMAにいるってことは、向こうの最終の飛行機で、たいして寝てないでしょ。今日は予定どおり有休を使うこと。社長命令です」
まだなにか言いたそうな楓ちゃんを睨みつける。生行といい朔次郎といいこの子といい、うちの有給休暇消化率を下げてる自覚あるのかな。
「可不可もほとんど休んでないよね?」
「僕は数時間ずつ分けて有休消化してるから」
「それ、数字のうえでは休んでても実際は休んだうちに入らないよ! やっぱり俺も仕事行く。帰ってきたのにゆっくりなんてしてられない」
さっきまですごく甘い雰囲気だったのに、いきなりケンカしそう。違う、こういうケンカをしたいわけじゃないんだ。それに、普通にやることはたくさんあるから、来てくれると助かるのは本当。
「……じゃあ、午後からおいで。その代わり、一ヵ月以内にもう半日休むこと」
これでも、かなり妥協したほうだと思う。惚れた弱みもあるけど、仕事をしてるときのこの子は特にきらきらしてて、敵わないんだよね。絶対に休ませよう。ついでに僕も一緒にお休みにして、ちゃんと休んでるかそばについて見ててあげなきゃ。
「わかった、あと数時間、おとなしくしておくよ。あ、しゅうまいの散歩がまだだったら、俺、行っておこうか?」
「それは僕が……、ううん、僕も行くから、しゅうまいを連れてランチデートしようね」
「うん。じゃあ……いってらっしゃい」
いきなり腕を引っ張られてよろけたところを、まんまと抱き締められちゃった。
「行ってきます。会社で待ってるね」
「〜〜っ、可不可!」
楓ちゃんに敵わないのがちょっと悔しくて、でも今から甘い空気に戻すわけにもいかないから、夜がくるまでは頬へのキスで我慢してあげる。畳む
12月1日 冬の朝
しゅうまいの散歩に行こうと靴を履いてたら、後ろから呼び止められた。
「おはよう、可不可。俺も行っていい?」
頷くより早く、楓ちゃんが「あっ」って声を上げて、階段のほうへと逆戻り。忘れものでもしたのかな。
「わかってる。楓ちゃん待ちだよ」
足許でわふわふ吠えるしゅうまいを宥める。たとえ相手が楓ちゃんでも、出発のタイミングがずれるのがいやだったみたい。
「お待たせ! はい、これ」
顔を上げる前に楓ちゃんの手が伸びてきて、あっという間に頭やら首まわりやらにいろんなものを装着させられた。
「今朝は特に冷え込むんだって。昨日までと同じ格好じゃ、絶対に風邪引くから」
強引に被せられた帽子で前髪がぺったんこだ。これでも毎朝、苦労して整えてるのにな。
「あ、そのまま動かないで」
前髪の分け目を整えるところまで、やってもらっちゃった。
この子の前では格好よくいたいから、額を掠めた指先にすらどきどきしてること、ばれなきゃいいんだけど。畳む
12月2日 寄り道
ひとには帽子だのマフラーだの貸しておいて、自分のことは無沈着なんじゃない? この子の防寒具ときたら、ショート丈のダウンコートだけ。乾燥対策でマスクはしてるけど、手袋もイヤーマフもなし。
好きな子に寒々しい格好をさせて自分だけあったかもこもこスタイルなんて、男がすたる。自分のぶんを取りに行こうとしたら、しゅうまいがもう待ちきれないって吠えてるよなんて言われて、半ば引きずられるみたいに出発するはめになった。なんだか、僕がしゅうまいを散歩に連れて行くんじゃなくて、楓ちゃんが僕としゅうまいを散歩に連れて行く図になってない?
でも、僕も結構単純で、しゅうまいを連れて楓ちゃんと歩いてるうちに、へんにむくれないで、楓ちゃんの優しさを素直に受け取ろうって気持ちだけが残った。
「ねぇ、楓ちゃん。あそこ行かない?」
今日はゆっくり出社の日だし、ちょっとだけ遠回りしてもいいよね。前にしゅうまいを連れて楓ちゃんとお散歩デートしたときに見つけたペット連れOKなカフェも、ちょうど、お店が開く時間だし。
かわいい帽子やマフラーを借りちゃったぶん、あったかいポタージュスープがついたモーニングセットでお礼させてね。畳む
12月3日 ソファー
開店時間とともにお店に行ったものだから、店員さんもちょっと慌てた顔をしてた。もちろん、すぐに窓側の席を案内してくれたけどね。店員さんが水やおしぼりを取りに姿を引っ込めた隙に、楓ちゃんが開店凸したみたいになっちゃったねって囁くみたいに言って、ふたりでこっそりと笑った。
このお店は座席間隔がゆったりめで、窓に面した席は、ふたりずつ横並びに座れるようにテーブルとソファーが配置されてる。初めて来たときに店員さんが窓側の席を店内してくれて、楓ちゃんが楽しそうにしてたからか、それからも、この席が空いてればここを案内されるようになった。
こういう席を案内されたってことは僕たちってそう見えるのかなとか、この子も僕とそう見られるのがまんざらでもないのかな……なんてどきどきしたのは、初めて来た日のほんの数秒だけ。窓からの景観を楽しめる座席だし、楓ちゃんも、こういうカフェでは珍しいタイプの座席だからはしゃいだだけに決まってる。わかってるよ。
「はい、可不可」
フォークが突き刺さったプチトマトを差し出された。僕はまだそこまでお腹が空いてないから、ホットミルクだけにしたんだけどな。
「別にいいのに」
「いいから。ここのサラダ、可不可もお気に入りでしょ」
わざわざ言葉にして言ったわけじゃないのに、知ってたんだ? このお店、ドレッシングがオリジナルらしくて、すごくおいしいんだよね。
「じゃあ……いただきます」
こうやって食べさせてもらっても周りからは見えにくいから、この席も悪くないなって思っちゃう。畳む
12月4日 じゃんけん
朝カフェでふたりともあたたまったし、そろそろ散歩コースに戻らなきゃ。楓ちゃんが紙ナプキンで口許を拭うのを見計らって、伝票に手を伸ばす。
「あ、俺がまとめて払うよ」
僕のぶんをいったん立て替えるわけではなさそうな口ぶりだ。ごちそうしてもらうお礼を口実に次のデートの約束を取りつけるって手もあるけど、そもそもこれは帽子とマフラーを貸してくれたお礼がしたくて誘ったんだから、やっぱりここは僕に任せてほしい。でも、言ったら言ったで、それくらいでごちそうにはなれないとか、自分のほうがたくさん食べたからって言葉が返ってきそうな気がするんだよね。
「じゃんけんで決めようか。勝ったほうに決定権があるってことで」
楓ちゃんの返事は聞かず、じゃんけんをする動きを見せる。反射的に同じ動きをした楓ちゃんとの一発勝負。
「あー、負けちゃった……」
「じゃあ、払ってくるね。しゅうまいをお願い」
人生の半分以上幼馴染みやってるからね。咄嗟になにを出すか、楓ちゃんの癖くらい、知ってるんだよ。
「お待たせ」
楓ちゃんが貸してくれたマフラーを、本人の首に巻く。
「え、いいよ、可不可が使って」
慌てて外そうとした手を握って、今の自分ができる最短距離まで顔を近付けた。
「だめ。帽子は帰るまで借りるから、こっちだけでも先に返させて。せっかく一緒にあたたまったのに、楓ちゃんだけ寒くなるの、僕はいやだな」
幼馴染みとは言いがたい、でも、ぎりぎり幼馴染みでも許される距離。ちょっとはどきどきしてくれた?畳む
12月5日 お誘い
明日から、3区・4区一帯がイルミネーションで彩られる。今年は創業初年度だしお客さんとして見物するだけだったはずが、前日の最終チェックを少しだけ見学させてもらえることになったんだ。大勢で押しかけるわけにもいかなくて、練牙と僕、――礼光は都合がつかなかったから、社長権限で――主任ちゃんの三人で仕事帰りに立ち寄ることにした。
「明日も普通に平日だけど、地元のひとたちはたくさん来るよね」
「あぁ、みなとみらいの店も、いろいろ準備してるところが多いんだ! 主任たちもよかったら――」
ふたりの会話に耳を傾ける。このなかでHAMAのイルミネーションを間近で見るのが初めてなの、僕だけなんだよね。主任ちゃんは昔からなんでも聞かせてくれたから、家族や友人としか来たことないって知ってるけど、それでも、妬けちゃうな。
「可不可、どうした?」
練牙の声にはっとして顔を上げる。仕事だし見学はちゃんとしてるけど、一緒にいるふたりの言葉にも集中しなくちゃ。雑談のなかにこそ、仕事に繋がるヒントがあるんだから。
「なんでもないよ。夜は冷え込むなぁって考えてただけ」
「最近一気に寒くなったもんね。あとであったかいもの軽く食べて帰ろうか」
「そうだな! ……あ、悪い。ちょっと電話に出てくる」
数歩離れる練牙に軽く手を振ってたら、主任ちゃんがすすすと体を寄せてきた。
「今日は仕事だけど、今度ふたりで見に来ようね」
「うん、いいよ」
こんなロマンチックなところへのデートに誘うって、どういうつもり? つい期待しちゃうけど、たぶんなんでもないんだろうな。畳む
12月6日 ゴキゲン
好きな子からデートに誘われただけで浮かれるの、ちょっと格好悪いかなって思うんだけど――
「おはようございます、社長。……なにかありました?」
「おはよう。なにが?」
「いえ。まぁ、どうせ主任絡みなんでしょうけど」
――顔を合わせるなり生行に言い当てられるくらいには、表情に出てしまってる。自分でもわかってるよ。
「主任ちゃんのことどうせとか言うの禁止ね」
「はいはい、わかりました。可不可は相変わらずだな」
そう言ってミーティングルームに向かう生行に、心のなかでだけ舌を出す。数少ない友人だし、起業にあたって絶対に誘いたいと思ったくらいには、彼のことは信頼してる。でも、創業メンバー顔合わせの日に主任ちゃんを紹介して以来、たまにこうやってからかってくるから、そこに対してだけはむっとしちゃう。……まぁ、生行だから秒で許してあげるけど。
昨日の夜、楓ちゃんに言われた言葉を何度も反芻してる。ふたりで出かけるなんてよくあることなのに、内緒話をするみたいに誘われたのは初めてなんだよね。わざわざ〝ふたりで〟って言われたこともない。でも、楓ちゃんはそこまで深く考えてないに決まってる。
いつもみたいに「今度行こうよ!」って誘われてたら、ここまでどきどきしなかったのかな。……ううん、僕って、あの子から誘われたらそれだけで有頂天になっちゃうようにできてるから、どのみち、普通にしてられなかったかも。
「カフカフわ百面相がマイブームか〜?」
珍しく顔を出した子タろにまでそんなこと言われるくらいには、顔に出ちゃってる。畳む
12月7日 有能執事
休憩の時間が決まってるわけじゃないから、目の前の仕事がきりよくなったところで周りに声をかければいい。でも、あともう少しすれば主任ちゃんが外回りから帰ってくるはずなんだよね。
「社長、せめてなにか飲まれてはいかがでしょう」
こんなところでも有能な朔次郎が、僕好みの紅茶を淹れて持ってきてくれた。
「……学校は?」
「本日分は終わりましたので」
「そうか、今日からだったね。試験監督お疲れさま」
昼班の子たちは、学校の期末考査真っ最中。しばらくここには来ないよう言ってある。
そういえば……と、あの子がJPNの高校に通ってた頃のことを思い起こす。楓ちゃんは遠慮してたけど、数学なら僕のほうが得意だって説き伏せて、病室でテスト勉強したんだよね。
「……外が騒がしいようですね」
朔次郎の声で我に返る。ほどなくして、息を切らした主任ちゃんが駆け込んできた。
「ただいま戻りました! 可不可、もうお昼食べちゃった?」
「おかえり。まだだけど……なにをそんなに慌ててるの」
「見て、あす高近くにできた定食屋さんの割引券! お店のひとがあす高生徒会にくれたらしいんだけど、宗氏くんは期限内に行けないからって。朔次郎さんもどうですか?」
「せっかくのお誘いですが、私はこのあと採点の手伝いで戻らなければならず」
……朔次郎のうそつき。そんな話はなかったよね。
「いいよ、ふたりで行こう」
申し訳なさそうにする主任ちゃんの背中に手を添えて、ちらりと朔次郎を見る。ウインクされた。わざわざ気遣わなくていいのに。畳む
12月8日 プチ掃除
うちはHAMAの観光業全体のディレクションを業務内容のひとつにしてるから、イルミネーションイベントが始まってからも相談案件が次々にくる。
でも、いくら忙しくても、観光区長によるおもてなしを疎かにするわけにはいかない。イルミネーションイベントを邪魔しないよう、ツアースポットの動線はいつも以上に気を遣ってる。今後はHAMA全体の観光イベントに表立って関わりたいし、今はイルミネーションだけが目的のひとたちもHAMAツアーズのお客さんにするつもりだから、良好な関係を築いておかないと。
「僕なんかに演出を丸投げなんていいんですかぁ〜〜! ……はっ、これは今世での徳……!? つまり来世では借金苦に陥ることもなく赤子の頃から陽キャ人生……って、夢物語以下の妄想をしてすみませんすみませんすみません!!」
派手な音を立ててコップが割れるのと、朔次郎が十秒でそれを片付けるのを眺める。賑やかだなぁ。
「也千代、向かいの席は主任ちゃんなんだから気を付けて」
僕の指摘に、也千代がまた、叫ぶように謝る。
「あはは、俺も自分の席、散らかしがちだから耳が痛いな」
主任ちゃんがそれとなく自分のデスクの上を整頓し始めた。それを見て也千代もわたわたと片付け始める。なんだか、いやな予感。
「っ、くしゅん!」
ほら、やっぱり。也千代の荷物のあいだから舞った埃で、主任ちゃんが派手なくしゃみしちゃったじゃない。今日は事務仕事がほとんどだし、ふたりとも、自分のデスク周りだけでも整えさせなきゃね。畳む
12月9日 手帳
日記タイプはいらないかな。週間スケジュールってこんなに書く? ――サンプルを見ては元の棚に戻す。
「あ、社長っちだ。珍しー」
こんなところで遭遇するなんて、それこそ〝珍しー〟だよ。そう思ったのが伝わったのか、千弥のほうから教えてくれた。そこのコーヒーショップと好きなブランドのコラボグッズを買った帰りらしい。
「手帳? アナログ派だったっけ?」
「これはプライベート用」
仕事のスケジュールはクラウド管理してるからね。千弥が僕と手帳が並んだ棚を何度か見比べる。
「ちぃのオススメはね、これ」
「空欄だらけにならない? 日記を書く習慣はないんだけど」
「その日食べたものでも天気でも、とりま毎日パシャって、スキマ時間でシールにしてぺたぺたしてたら、むしろページたんなくなるよ」
そういうものなのかな。手帳を見つめる僕に、千弥が続ける。
「さっき〝珍しー〟って言ったの、オレが見る社長っちって、主任ぴとかさくじぃとか、れんれとか、なゆーきとか、あとわりとゆきぱそが一緒にいるから、ひとりなの珍しーって」
年の瀬に慌てて手帳を買いに来たのは、一月始まりのひとつ前のページ、今月のところに今度のお出かけの予定を書いて、文字を見ながら指折り数える経験がしたかったからなんだ。でも、予定だけ書くんじゃなくて、みんなと過ごす日々を紙に残すのもいいかもね。もちろん、あの子との日々も。
「アドバイスありがとう。でも、雪風がよくいるって認識はいらないからね」
「あはは。……主任ぴとの予定も写真も、増えるといいね」
僕が手帳を探してる理由、見透かされてたみたい。畳む
12月10日 絆創膏
買った手帳を見せたくなって、帰るなり、楓ちゃんの部屋を訪ねた。
「はーい! ちょっと待って……、痛っ」
ただごとじゃない。一気に焦る僕をよそに、ばたばたしてたっぽい楓ちゃんはのんびりとドアを開けた。
「大丈夫? なにかあった?」
「え? あぁ、平気平気。ちょっとささくれがね」
秋物の服を片付けてる最中、カーディガンの繊維に指のささくれが引っかかったらしい。忙しいときに訪ねちゃったな。
「見せて」
返事は待たず、楓ちゃんの手を取る。利き手の指って、反対の手指に比べるとやっぱりちょっと貼りにくい。
「絆創膏……はいつものバッグだよね」
「えぇ……こんなの舐めときゃすぐ治るよ」
「いいから。血も滲んでるし、少しのあいだだけでも貼って」
視線で楓ちゃんに断りを入れて、バッグのなかを触らせてもらう。小さな救急ケースはささいな傷をつくりがちな子たちのために、楓ちゃんが持ち歩いてる。とはいえ、朔次郎がもっといろいろ用意してるから、この救急ケースの出番は意外と少ないんだよね。
個包装の消毒綿を開けたら「大袈裟だよ」って言われたけど、僕が紙で切り傷をつくったときに朔次郎はこうしてたし、やらないに越したことはない。
優しく押し当てるみたいに傷口を拭って、絆創膏をくるっと巻いたら終わり――
「可不可、ありがとう」
――なんだけど、楓ちゃんの視線が突き刺さってる気がして、貼り終えてからも、僕はすぐに顔を上げられなかった。畳む
12月11日 オブラート
落ち着いて考えたら、買ったものを見てほしいって部屋を訪ねるの、ちょっと子どもっぽいよね。楓ちゃんの人差し指に絆創膏を巻いたあと、しばらく他愛もない話をして心を落ち着かせながら、浮かれまくった気持ちをオブラートでくるくる包む。
「この前言ってたのを、いつにしようかなって」
ここ数日どたばたと舞い込んできてた相談案件のパターンも読めたし、生行がチャットツールの精度を上げてくれたおかげで、仕事終わりのデートなら明日にだってできそう。
クリスマスイブと当日が混雑のピーク、それ以外も、週末は毎週混雑する。人混みを口実にくっついて歩くのも悪くないけど、口実がなきゃくっつけないなんて悔しいじゃない? ふたりでって楓ちゃんから言ってくれたんだし、ゆっくり歩きたいな。――なんて、全部は言えなくて、結局〝人混みのピークは避けて、ゆっくりと〟を条件に挙げた。
「じゃあ、月曜の仕事終わりにする?」
四日も先かぁって思ったけど、明日はイルミネーションイベントが始まって最初の金曜だし、ひとが多そうだからね。
「嬉しいな。手帳に書いて指折り数えそう」
結局言っちゃった。楓ちゃんが「手帳? 持ってたっけ?」って顔をするから、くるくるに巻いたオブラートをちょっとだけ剥がして、買ったことだけを打ち明ける。
「あ、それがそうなんだ? 本かと思った」
ぱっと見は薄い文庫本にカバーをかけた見た目だから、そう思うのも無理はない。
「千弥のおすすめでね」
「……やっぱり千弥くんはセンスがいいなぁ」畳む
12月12日 ひりつき
「季肋くん、大丈夫? 顔、真っ青だよ」
「大、丈夫……。人数制限は……少なめ、って……」
期末考査が終わって、季肋は明日から学生花文字師としてアルバイトをすることになってる。礼光と季肋の個人契約だ。
「そっか……もうすぐ礼光さんが明日からに備えて打ち合わせに来るんだよね? 俺、同席しようか?」
季肋の様子を見る限り、同席すべきかもしれない。でも、立会人は社長の僕が適任だと思う。――口を開こうとしたら、僕の様子に気付いてない主任ちゃんが話を続けた。
「昨日書いてくれた花文字もすごくよかったし、すぐ人気の花文字師になりそうだなぁ」
「……それ、聞いてないんだけど」
昨日、デートの約束をしたときに、キミからそんな話はなかったよ。
「えーっと……?」
主任ちゃんの顔に困惑って書いてある。僕自身、声に出してしまったことに困惑してる。……まずいな、今すぐ冷静にならなきゃ。季肋まで困らせるわけにはいかない。
「おい、衣川を借りるぞ」
入ってくるなりずかずかとこちらに歩いてきた礼光は、僕たちの様子なんて気にも留めないといった顔だ。
「同席は不要だ。契約には保護者の同意を得ている。主任、未成年扱いと子ども扱いを混同するな。それから――」
礼光がこちらを向いた。
「――大黒、私的な感情を持ち込むな。日頃は大目に見ているが、俺の契約相手を巻き込むようなら話は変わる」
「……わかったよ。礼光の言うとおりだ」
とりあえずは冷静になれた、けど、礼光の向こうで、主任ちゃんはなにか考え込んでるみたいだった。畳む
12月13日 お守り
やきもちを妬いて人前で拗ねたこと、周りのひとがいなくなってすぐにごめんって謝った。あの子も「いいよ」って言ってくれた。でも、ふたりとも、まだもやもやが残ってる。そのくせ、それ以上、話ができないまま。話す時間がないわけじゃなくて、話すのが、踏み込むのが、どうしてか怖いから。明日は楓ちゃんとの約束の日だし、早く仲直りしなきゃ。
「えっと……、可不可くん」
リビングの端でぼんやりしてたら、糖衣が話しかけてきた。
「どうしたの?」
「これ、受け取って!」
半ば強引に手に握らせるみたいに渡されたそれは、心願成就の文字が刻印された、透明のプレートだ。灯りに透かすと、文字がきらきら輝く。でも、普通に見ても、きらきらの素は見えない。どういうつくりなのかな。
「きれいだね。……季肋がなにか言ってた?」
「昨日、可不可くんと主任さん、あんまりお話ししてなかったから。ケンカしたのかなぁって呟いたら、キロちゃんがちょっとだけ話してくれて……」
「……心配かけちゃったね」
糖衣がぶんぶんと首を振る。
「僕は、可不可くんと主任さんのこと、全部は知らないし……話してくれるならたくさん聞きたいけど、全部知らなきゃやってけないわけじゃないって、わかってるよ。だから……だからね、兄さまのお守りに、ふたりがこれからも仲良くしてくれますようにって、お祈りを込めたんだ」
「そっか……気にかけてくれてありがとう。季肋にも、僕から改めてお礼しておくよ」
お守りはお守りでしかなくて、行動するのは自分だけど、糖衣の言葉に、今すぐにでも楓ちゃんと話さなきゃって、背中を押してもらえた気がした。畳む
12月14日 早朝
昨日のうちにちゃんと話したかったのに、部屋を訪ねても返事がなくて、メッセージも未読のまま。早めに就寝したのかな、それなら朝一番に――と早起きしたけど、楓ちゃんはもういなかった。ダイニングで居合わせた宗氏曰く「主任なら、僕がここに来るのと入れ違いで会社に行くと言ってここを出た」とのこと。
朔次郎の運転で会社に向かいながら、ちゃんと話すとはいっても、どう話すべきかと考える。僕がやきもちを妬くのは今に始まったことじゃないし、楓ちゃんも「過保護だなぁ」なんて言いつつも、受け入れてくれてた。でも、よくない空気を引きずってるってことは、今までと同じじゃだめってこと。
ぐるぐる考えてたらスマホが鳴った。
「どうしたの、練牙。……ちょっと、声が割れてる。もう少し声を抑え、うん、うん……わかった、すぐに向かうよ」
電話を切って、運転席にかじりつくように身を乗り出す。
「朔次郎、法定速度最大で。僕は病院に連絡するから」
「かしこまりました」
朔次郎は僕が大黒病院に電話をかける様子を聞いて、なにがあったかを察したみたい。
「主任ですね」
「そう。……練牙、ランニングの途中で会社の前を通ったんだって」
いつもより早くに灯りがついてるから誰が来てるのかと思ってなかに入ったら、あの子が練牙に気付いて振り向いた拍子に転倒したらしい。熱があるみたいとも、聞いた。
僕たちが会社に着くのと救急隊員が到着するのは同じくらいだろう。僕はあの子に付き添い、朔次郎にはこちらから連絡するまで生行や礼光あたりを頼るよう言いつける。動揺したときほど普段以上に頭が回るんだと、初めて知った。畳む
12月15日 ごめんね
医師の所見では〝睡眠不足や疲労による心因性の発熱〟らしい。そのまま帰ってもいいって言われたけど、僕の判断で、今夜は病院で過ごしてもらうことにした。倒れた当日なのにこの子がいつもどおりの生活をしかねない環境にいさせないためだ。
「ごめん、可不可……」
謝らなくていい? 気にしないで? ――どちらも相応しくない気がして、黙って首を振るしかできない。
「謝るのは僕のほう。ただでさえ忙しい時期なのに、あんなふうにキミを困らせて……宗氏から聞いたよ、仕事を早く終わらせようと今朝は早めに出勤したって」
「っ、そうだ、今日、どうしよう……」
楓ちゃんが飛び起きそうになったのを慌てて制止する。左腕に点滴の針が刺さってるんだから、おとなしくしててよ。
「まだ僕と出かけてくれる気持ちがあるならの話だけど、今度にしよう。ふたりでって誘ってくれたの、すごく嬉しかった。それなのに、子どもみたいなやきもち妬いて、周りにも楓ちゃんにも迷惑かけて……本当にごめん」
「しょうがないなぁ、可不可は。……ちゃんと予定立て直して、出かけようね。でも、その前に」
楓ちゃんが手招きするから、なにごとかと体を寄せたら、空いてるほうの腕で抱き寄せられた。
「仲直りってことで、いいんだよね?」
「うん、……楓ちゃんが許してくれるなら、仲直りしたい」
ケンカした数だけ仲直りもしてきたけど、本当は、ケンカしたくない。
「許すもなにも、怒ってないよ。……あのね、可不可のこと大好きだよ」
大好きの温度が違うってわかっててもその言葉が嬉しくて「僕も」って答えた。畳む
12月16日 ハグ
熱そのものはすぐに引いたものの、翌日は寮で一日ゆっくりしてもらうことにした。本人は完全に平熱だしぐっすり眠れたからって出社したがってたけどね。
夕飯どきにダイニングに顔を出した楓ちゃんは、みんなに頭を下げてまわった。楓ちゃんが倒れたところに遭遇した練牙は何度も「もう大丈夫なんだな?」って確かめてたし、幾成は脈拍や体温、眼球の様子なんかをチェックしてたけど、ようやく、みんなも安心したみたい。
「可不可、可不可」
そろそろみんな部屋に戻ろうかという頃合いで、楓ちゃんが小声で手招きしてきた。そのまま手を引かれて、辿り着いたのは、楓ちゃんの部屋。すぐにぴんときた。昨日行けなくなってしまったデートの話だ。
「あのね、急なんだけど、来週末、家族が遊びに来ないかって」
一日部屋にこもってるあいだにタイミングよく連絡がきて、そういう話になったらしい。
「うん、いいんじゃない? ゆっくりしておいで」
「二十五日には帰ってくるよ。……来年は、可不可を優先するからね」
「……ありがとう、嬉しいな」
嬉しいのは嬉しいけど、デートの話じゃなくて来年の話が出てきたことに面食らった。
「それで、その、……き、昨日みたいに、ぎゅってしていい?」
わざわざ了解をとるなんて、楓ちゃんらしくないな。いや、全然いいし、むしろ大歓迎なんだけど。
「いいよ」
軽く腕を広げると、楓ちゃんが覆いかぶさるみたいに抱き着いてきた。数センチの身長差で僕が背中に腕をまわすはめになるのがちょっと悔しい。でも、楓ちゃんから抱き着いてくるなんて、甘えてもらえてるみたいで、これはこれで悪くないな。畳む
12月17日 いつもと違う散歩
風邪じゃなかったとはいえ復帰したてなんだから、仕事以外はおとなしくしててって言ったのに、楓ちゃんは朝からすっごく元気だ。僕より早起きしてしゅうまいの散歩に行くのをリビングで待ってた。ちゃんと寝たの? って訊いたら「寝てるよ」だって。本当かなぁ。
いつもの散歩コースの途中、前にも行ったカフェに立ち寄った。仕事までの時間を考えて、今日は飲みものだけ。暖房と飲みものでしっかりあたたまりながら、窓の外をぼんやりと眺める。日の出や日の入りの時間って、あっという間に空の色が変わるよね。見逃したくなくて、ずっと見てしまう。僕が生まれ育った場所は、HAMA18区のなかでも特に朝の色が見えやすいんだ。だから、空の色が朝に染まるのを見ては〝今日もなんとか新しい一日に辿り着けた〟って思ってたよ。
半分ほど飲んだところで背もたれに体をあずけ、ふと、違和感に気付く。楓ちゃん、今日はいつもより言葉数が少ないな。意味もなく騒ぐような子じゃないけど、ここに来る途中だって、片手で数えられるくらいしか話してない。やっぱり、無理して起きてきたんじゃないかな。すぐそばにいられるのは嬉しいけど、無理はしてほしくない。
とはいえ、僕も僕でつられて言葉数が少なくなってたのもあるだろうからと――
「ねぇ、……」
――声をかけようとして、できなかった。
思わず自分の小指を見て、次に、楓ちゃんの横顔を見る。あからさまな視線の動きだから絶対に気付いてるくせに、なにも言わない。そのあいだも、僕たちの小指はずっと触れ合ったままだった。畳む
12月18日 抱っこ
ここ数日、楓ちゃんの様子がおかしい。やたらと僕に構ってくる。前々から構ってくれてはいるけど、それとは違ってて……端的にいうと、スキンシップが増えた。
子どもの頃から手を繋いだり抱っこしてもらったりっていうのは多かったけど、それは全部僕からお願いしてやってもらってた。それがあたりまえだったのに、最近になって好きな子のほうからくっつかれるようになった僕の気持ちわかる? 小指が軽く触れるだけで、自分から手を繋ぐのの何百倍もどきどきするんだよ。接触面積は小指のほうが圧倒的に狭いのに。
もちろん、楓ちゃんからのスキンシップがいやなわけじゃない。大歓迎だよ。どきどきし過ぎるってだけ。僕の何億分の一でいいから、楓ちゃんにもどきどきしてほしいよ。
「えぇと」
「いいから、ほら。早くおいで」
自分の膝を軽く叩いて、ここに座るよう促す。本当にどういう風の吹き回しか、楓ちゃんが今夜も部屋に呼んでくれたんだから、その機会を使わないわけにいかない。
いつまでもおろおろしてるのが焦れったくなって、楓ちゃんの腰を抱き寄せたら「ひゃあ」って声が上がった。なにその声。別に脇腹が弱いとかなかったはずだよね?
「お、重くない?」
「大丈夫。そんなにやわじゃないよ」
身長差は数センチだし、体重だって、確かに僕よりあるけど、この子は見た目より軽い。情報源は企業秘密。
「今日も、ぎゅってさせてね」
この体勢で抱き合うと、楓ちゃんの鼓動が速くなってるのがよくわかる。それが意味するところに、僕は期待していいのかな。畳む
12月19日 好きだよ
〝楓ちゃんって僕のこと好きなの?〟――今夜も抱き締め合った体勢になったから思いきって訊いてみたら、勢いよく体を引き剥がされた。信じられないって顔だ。別に好きじゃないってこと? こんなにくっついておいてそれはさすがにショックだな。
「い、今更、それ訊く……?」
顔を真っ赤にして、くちびるをわなわなと震わせてる。どうやら、――
「この前、楓ちゃんが言ってくれたのが、そうだった?」
――楓ちゃんがひと晩入院することになった日の言葉の温度を、僕は見誤ってたみたい。大切にしてもらえてる自覚はあったけど、あくまでもそれは幼馴染みという長年の付き合いによるものだと思ってたよ。
「ごめんね、恥ずかしがらせて。奇跡でも起きない限り、恋してもらえるとは思ってなかったんだ」
離れた温度が恋しくて、自分から抱き着く。鼓動の速さを知るまで言葉の温度に気付けなかったのは僕の落ち度。でも、キミもキミで、どうしてあれだけで通じたと思ってたの?
「……奇跡じゃないよ。ずっと大事な友だちだったのに、可不可の一番でいたい自分に気付いて、あぁ、そういう意味でも好きになってたんだなって、自分で自分にショック受けちゃった」
穏やかじゃない言葉がついてきたけど、驚かなかった。だって、僕もまさにそうだったから。ショックを受けちゃった気持ちごと、この子をこれまで以上に大切にしたい。
「それに……可不可からは〝僕も〟しか言ってもらえてないの、実は気になってるんだよ」
「……そうだったね。大好きだよって言葉じゃ言い尽くせないくらいの気持ちなんだけど、聞いてくれる?」畳む
12月20日 子守唄
いつから好きだった? どんなところが好き? 好きな気持ちに、疲れたことはない? ――眠気に負けるまで、楓ちゃんの部屋でいろんな話をした。
驚いたのは、楓ちゃんがつい最近やきもちを妬いて、それで僕への気持ちを自覚したってこと。言われてみれば、僕が手帳を買った話をしたとき、ちょっと様子が変だったものね。そっか、あの変な〝間〟は、そういうことだったんだ。そう理解した途端どうしても口許がゆるむのを我慢できなくて「俺はもやもやしたのに、にやけないで」って言われた。言っておくけど、僕はその何十倍も、やきもちを妬いてきたよ。そう言い返したら、楓ちゃんは黙り込んじゃった。
「僕は十年以上も言えなかったのになぁ」
「俺だって、こんなにすぐ言うつもりなかったよ。でも、あのとき、言わなきゃって思った。縋ってるみたいで、格好悪かったけどね」
縋ってるとか格好悪いとかは思わなかったよ。好きの意味は違っても、大切に想ってもらえてるんだって、嬉しかった。
言葉が途切れる。そろそろ眠くなってきたのかな。僕はまだまだ、眠れそうにないんだけど。
「可不可、……」
楓ちゃんの手がリモコンに伸びて、部屋の灯りが薄暗くなった。オレンジ色の小さな灯りの下、楓ちゃんの瞳が潤む。鼓動がうるさい。うるさくて、耳がきんとする。喉が、渇いてきた。
「いやだったら断ってくれていいんだけど、……眠る寸前まで、可不可と話してたい」
「……いやじゃない。全然、いやじゃないよ」
びっくりした。楓ちゃんがこんなふうに甘えてくるなんて。この前のハグといい、恋をした楓ちゃんって、こんなにかわいいんだ。絶対の絶対に、大事にしなきゃ。畳む
12月21日 手を繋ぐ
初めてのことで昨日は珍しく感傷的になっちゃった、びっくりしたよね、恥ずかしいから忘れて。――今朝、目を覚ますなり照れくさそうに言われたから、僕が忘れると思う? 記憶力いいの知ってるでしょ? って言い返してあげた。たとえ僕の記憶力が悪かったって、キミがくれる言葉は一番最後まで覚えてる自信がある。それに、普段は豪胆だけどちゃんと繊細なところがあるって知ってるから、別に驚かなかったよ。
「出社までまだかなり余裕あるし、楓ちゃんはもう少し寝てなよ。僕はしゅうまいの散歩に行くから」
「俺も行くよ。せっかく……」
そこまで言って、頬がふわっと赤く染まった。言いたいことがなんとなくわかっちゃって、僕まで照れてしまう。そうだよね、同じ気持ちだって改めて確かめてから初めて迎える朝だし、僕だってもう少し一緒にいたい。
「そう? じゃあ、準備できたら、玄関でね」
勇気を出して、楓ちゃんの髪を指で梳くように撫でる。きょとんとした顔のあと、僕の手を捕まえて「うん」って答えてくれた。そうそう、こうやって、手を繋いで歩きたい。
楓ちゃんの部屋をあとにして、そっと、自分の部屋に戻る。練牙がまたお腹を出して寝てたから、布団をかけてあげた。添は相変わらず不在。朔次郎もまだ調べきれてないけど、彼はどうやら多くのひとから求められる存在みたいだし、忙しいんだろうね。
着替えを終えて、姿見の前に立つ。楓ちゃんを心配させないよう、丈の長いダウンコートを選んで、帽子とマフラーと手袋も用意した。今日からは恋人として手を繋げるのに、手袋越しなの、ちょっと残念だな。畳む
12月22日 イルミネーション
仕事が終わるなり、楓ちゃんが僕を連れ出した。今からイルミネーションを見に行こうだって。キミ、明日の夜の便で家族に会いに行くんでしょ? 慌ただしいなぁ。
でも、すごく張り切ってるから、さすがに「来月までやってるんだし、落ち着いた頃にしようよ」とは、言えなかった。それに、僕だって、ここぞとばかりに手袋を外しちゃうくらいには浮かれてる。
「そういえば、最初に誘ってくれたとき、わざわざ〝ふたりで〟って言ってたよね。あれ、僕のことが好きで言ったんじゃなかったんだ?」
絡めた指を遊ばせながら尋ねた。楓ちゃんのこれまでの言葉を整理するなら、僕への気持ちを自覚したのはそれよりあとってことになる。どういう気持ちで、ふたりきりを提案してくれてたのかな。
「……うまく説明できないんだけど、あのとき、可不可とふたりがいいなって思ったんだよね」
「ふーん……」
本人も無自覚な〝好き〟を聞かされて、表情がゆるみそう。――あのとき期待しそうになって慌てて首を振った僕へ、そのまま期待していいよ。
「あ、可不可、そろそろだよ」
青白い光の群れが点滅し始めた。三十分毎の演出が始まる合図だ。ここら一帯のイルミネーションが虹色のうねりを見せ、鈴の音を奏でる。
おしゃべりの途中だったのに、楓ちゃんは眩い光に心奪われちゃったみたい。でも、こんな姿を隣で眺められるのって、僕の特権なんだよね。それが嬉しくて、手を繋いだまま、楓ちゃんにぴったりとくっつく。
「可不可? ……え? えっ?」
イルミネーションに照らされた楓ちゃんの顔が赤くなった。
「誰も見てないよ。次はここにするから、覚悟しててね」畳む
12月23日 ゆびさき
きれいにパッキングされた荷物を前に「器用だね」ってこぼしたら、たいしたことないよって返ってきた。小さくまとまった荷物には、僕から楓ちゃんのご家族へのクリスマスプレゼントも入れさせてもらってる。
空港までバスで行くという楓ちゃんを説き伏せて、朔次郎の運転で空港まで向かうことにしたのは、ぎりぎりまで一緒にいたかったから。
朔次郎を駐車場で持たせてるし、飛行機の時間もあるからあまり長くは過ごせないけど、お茶を飲むくらいの時間はある。向かい合わせに座ってるのに、さっきから楓ちゃんは僕をちらちら見ては視線を逸らしてばかりだ。
「頬でそんなに照れちゃうなんて、これから先、どうするの」
「先って」
「昨日も言ったでしょ、次はここにするって」
軽く身を乗り出して、楓ちゃんのくちびるを指先でなぞる。……少しかさついてるね。寮でのプレゼント交換会はとっくに済ませちゃったし、個人的なプレゼントは帰ってきたときに渡す予定で早々に用意してあるけど、リップクリームも追加しようかな。――心の裡で計画を立ててたら、楓ちゃんが僕の手をきゅっと掴んだ。
「次って、いつ?」
楓ちゃんのくちびるが、指先に触れる。僕がくちびるに触れたとのは違う、意図したくちづけだ。……やられた、けど。
「自分からやっておいて、僕より先に照れるんだ?」
「〜〜っ! しょうがないでしょ! ……こういうの、慣れてないんだから」
「あはは、慣れなくていいよ。慣れないで。ずっとどきどきして……ううん、どきどきさせてあげる」畳む
12月24日 声が聞きたかっただけ
眠る前に、部屋で趣味半分、仕事半分の作業をしてたら、そばに置きっぱなしにしてたスマホの画面がぱっと点灯した。メッセージじゃなくて電話だったから、反射的に出ちゃった。
「もしもし。どうしたの? え? あぁ、言われてみれば、確かに。朝班、僕以外は不在だね」
練牙は仕事の打ち合わせと鹿茸一家へのお呼ばれ、添は大学の友人とやらとクリスマスパーティーだって前々から言ってた。礼光は鹿茸一家の長男だから当然、実家にいる。雪風は遠征中。僕がさみしくないか、心配になって電話をかけてきたらしい。可不可は朝班のこと結構気に入ってるでしょ、だって。
「明日には帰ってくるのに大袈裟なんだから。寮には他のひとたちもいるし、さっきまで、前に録画した金フィル鑑賞会で盛り上がってたんだよ」
電話の向こうの様子から、僕が鑑賞会に参加しなかったの、気付かれてるかも。もっとも、何気ない話題ですぐにわかることだから、なにがなんでも隠したり、はぐらかしたりするつもりはないけどね。
「楓ちゃんこそ、どうしたの。明日には帰ってくるのに。もしかして、僕が恋しくなっちゃったとか?」
自分で言っておいて、鎌をかけるにしても、浮かれ過ぎたかなと思う。
「……黙らないでよ」
ひとりで滑ったひとみたいでいやなんだけど。調子に乗らないででもなんでもいいから、――
「えっ?」
――無言だけはやめてほしいなって言おうとしたら、なんだかかわいい言葉が返ってきた、気がする。
「ううん、全然、悪くない。……ねぇ、今のかわいいの、もう一度言ってよ」
慌てて食い下がったら「もう言わない」って言われちゃった。でも、それって明日帰ってくるからだよね。畳む
12月25日 クリスマスの朝に
眠ってるあいだに雪が降ったみたい。しゅうまいの散歩は昼休みにしようかななんて考えてたら、隣室が急に騒がしくなった。サンタさんからのプレゼントに驚いてるみたい。日にちが変わるぎりぎりに帰ってきた練牙はよほど疲れてるのか、珍しくお寝坊だ。そろそろ起こしてあげようかな。
――と、聞こえるはずのない声が聞こえて、僕の意識は一瞬でそっちに持っていかれる。練牙には適当に声をかけて、部屋を飛び出した。
「あ、可不可、ただいま」
「おかえり。……なんでいるの」
聞いてた予定ではもっとあとの時間なんだけど。迎えに行く気満々だったんだけど。荷解き真っ最中な楓ちゃんの部屋にお邪魔して、後ろ手に鍵をかける。
「気にかかることだらけで予定より早い便にしちゃった」
「気にかかること?」
「みんなのこととか、仕事のこととか、可不可のこととか」
僕の名前が一番最後なのは不満だけど、ふたりきりなことに早速そわそわしてるから見逃してあげる。
「……くちびる、気にしてた?」
それに、とってつけたようにリップクリームが塗られてるのを見たら、小さな不満なんてどこかにいっちゃった。
「そりゃあ、さすがに、……っ、ん」
普段は放ったらかしにしてるくせに、今日に限ってつやつやしてるなんて、楓ちゃんってばわかりやすいんだから。
楓ちゃんの手が僕の手を探してるのに気付いて、ここだよって教えるみたいに指先を絡める。
子どもの頃よりも手を繋ぐ理由が増えたけど、これからも離さないでいてね。畳む
おまけ ランチデートの約束
朝からくっついちゃったけど、いつまでもこうしてるわけにもいかない。曜日とか関係なく、僕たちの仕事は今こそが繁忙期、しゅうまいの散歩は予定どおり昼休みに行くとして、そろそろ出社の準備をしなくちゃ。でも楓ちゃんは有給休暇なんだから、ゆっくり過ごしてほしい。長旅の疲れもあるだろうし。
「え? 俺も仕事に行くよ。有休はまたの機会にってことで。ほら、この前寝込んじゃったときに二日も使ったし」
「なに言ってるの。この時間にHAMAにいるってことは、向こうの最終の飛行機で、たいして寝てないでしょ。今日は予定どおり有休を使うこと。社長命令です」
まだなにか言いたそうな楓ちゃんを睨みつける。生行といい朔次郎といいこの子といい、うちの有給休暇消化率を下げてる自覚あるのかな。
「可不可もほとんど休んでないよね?」
「僕は数時間ずつ分けて有休消化してるから」
「それ、数字のうえでは休んでても実際は休んだうちに入らないよ! やっぱり俺も仕事行く。帰ってきたのにゆっくりなんてしてられない」
さっきまですごく甘い雰囲気だったのに、いきなりケンカしそう。違う、こういうケンカをしたいわけじゃないんだ。それに、普通にやることはたくさんあるから、来てくれると助かるのは本当。
「……じゃあ、午後からおいで。その代わり、一ヵ月以内にもう半日休むこと」
これでも、かなり妥協したほうだと思う。惚れた弱みもあるけど、仕事をしてるときのこの子は特にきらきらしてて、敵わないんだよね。絶対に休ませよう。ついでに僕も一緒にお休みにして、ちゃんと休んでるかそばについて見ててあげなきゃ。
「わかった、あと数時間、おとなしくしておくよ。あ、しゅうまいの散歩がまだだったら、俺、行っておこうか?」
「それは僕が……、ううん、僕も行くから、しゅうまいを連れてランチデートしようね」
「うん。じゃあ……いってらっしゃい」
いきなり腕を引っ張られてよろけたところを、まんまと抱き締められちゃった。
「行ってきます。会社で待ってるね」
「〜〜っ、可不可!」
楓ちゃんに敵わないのがちょっと悔しくて、でも今から甘い空気に戻すわけにもいかないから、夜がくるまでは頬へのキスで我慢してあげる。畳む