窓
*kfkeワンドロワンライ第7回から『相合傘』『雪』を選択
〝HAMAで今朝早く、初雪が観測されました〟――朝のニュースでそんな言葉が聞こえてきたけど、寮がある4区にはそんな気配、微塵も感じられない。
リビングで初雪の言葉を耳にするや否や窓に飛びついたあく太くんは、一秒も経たずに肩を落としてた。
たぶん、降ったのは15区方面じゃないかな。あのあたりは、過去に積雪量が五十センチを超えたこともあったらしいし。――窓にくっきりとついた手形を前に、可不可がそんな話をしてる。
すごく、普通。いつもどおり。でも、少し前から、俺と可不可は〝いつもどおり〟じゃなくなった。ある意味、これが新しい〝いつもどおり〟なのかもしれないけど、一ヵ月以上経つのに、まだ、慣れない。
「あ、主任ちゃん。おはよう」
「おはよう」
寮でも、みんなの前ではいつもどおりの呼び方。昨日の夜、何度も俺の名前を連呼したのと同じ声で「主任ちゃん」って呼ばれる。いやってわけじゃないよ。名前で呼ばれるときイコールふたりきりだから、早く夜にならないかなって思っちゃうだけ。
……だめだ、だめだ。昨日の夜、つい可不可に甘えちゃったことを思い出して、よくない。つい最近まで年下の幼馴染みとしか思ってなかったのに、俺のこと甘やかすのうまいんだもん。どこでそんなの覚えたんだろ。ちょっと悔しいなぁ。
15区付近は夕方まで雪が降ってたみたいで、琉衣くんと糖衣くんがお店周りの様子を話してくれた。傘が必要なレベルだったとか、地面がところどころシャーベット状になってたとか。それを聞きながら、寮と会社の往復だけで寒い寒いと大騒ぎしてた自分を恥じた。
でも……と、琉衣くんたちと話す可不可を盗み見る。大騒ぎしてた俺より、たぶん、可不可のほうが寒がりだ。それなのに、今日はひとこともそんなこと言ってなかったな。しれっとした顔でチェスターコートを着て、普通に格好よかった。
「わぁ、こっちも降ってきたみたい!」
糖衣くんの声につられて窓の外を見遣る。外気との温度差で曇った窓越しでも、雪がちらついてるのが見えた。
「糖衣、冷えないうちに風呂に入るぞ」
「はい、兄さま」
琉衣くんたちが荷物を置きに部屋へ向かうのを見送って、広いリビングに、可不可とふたりきりになる。でも、昼班の子たちや練牙くんがそろそろ金フィル鑑賞会でリビングに集まる頃だ。こんなところで甘い空気になんてなれない。
「……楓ちゃん」
誰も見てないからか、可不可が名前で呼んできた。手招きされて、窓のほうへと寄る。
ちらつく程度だった雪は、さっきより、ほんの少しだけ勢いを増したみたい。このままひと晩降るなら、明日の朝にはテラスの端っこに雪が残るかも。
「昔、病室の窓で落書きしたの、覚えてる?」
「あったね! 懐かしいなぁ」
学校で新しい漢字を習っては、可不可に見せびらかすように指でその字を書いた。可不可は難しい数式を書いて「最近これが解けるようになったんだよ」って教えてくれたよね。ふたりでお絵描きしたこともあったなぁ。
でも、俺が帰る頃には窓に書いた文字や絵が全部泣いてて、俺まで泣きたくなった。可不可も、同じ気持ちだったと思う。次の日も会えるだろうけど、それが百パーセントとは断言できないってこと、出会ってすぐの頃に経験してたから。
「今なら、こうかなぁ」
可不可の指が直線を描き始めた。数式……じゃないよね。三角ってことは図形問題?
「っ、ちょっと! 可不可!」
咄嗟に可不可の手を掴んで、反対の手で窓をばしんと叩く。う、冷たい。
「あはは、……でも、子どもの頃も、楓ちゃんが帰ったあと、病室の窓にこっそり描いたこと、あったよ」
「そうなの?」
「そうだよ。だって、ずっと、ずーっと、好きだったんだから」
掴んでいた手を優しく解かれた。その所作が格好よくて見惚れてるあいだに、可不可は窓を覆ったほうの手を取って、くちびるを押し当ててくる。
「……冷えてるね」
「だって、可不可がこんなことするから」
俺の手形でちょっと見えなくなってるけど、見るひとが見れば、なにが描かれてあったか推察できるレベルには、まだ、痕跡が残ってる。
「みんなが降りてくる前までには、消すよ」
俺の手形の上から、可不可が手をついた。こんな状況で見つめてくる意味がわからないほど、ばかじゃない。
素早く周りを確認して、――さすがにくちびるは恥ずかしいから、おでこで許してもらった。
〝HAMAで今朝早く、初雪が観測されました〟――朝のニュースでそんな言葉が聞こえてきたけど、寮がある4区にはそんな気配、微塵も感じられない。
リビングで初雪の言葉を耳にするや否や窓に飛びついたあく太くんは、一秒も経たずに肩を落としてた。
たぶん、降ったのは15区方面じゃないかな。あのあたりは、過去に積雪量が五十センチを超えたこともあったらしいし。――窓にくっきりとついた手形を前に、可不可がそんな話をしてる。
すごく、普通。いつもどおり。でも、少し前から、俺と可不可は〝いつもどおり〟じゃなくなった。ある意味、これが新しい〝いつもどおり〟なのかもしれないけど、一ヵ月以上経つのに、まだ、慣れない。
「あ、主任ちゃん。おはよう」
「おはよう」
寮でも、みんなの前ではいつもどおりの呼び方。昨日の夜、何度も俺の名前を連呼したのと同じ声で「主任ちゃん」って呼ばれる。いやってわけじゃないよ。名前で呼ばれるときイコールふたりきりだから、早く夜にならないかなって思っちゃうだけ。
……だめだ、だめだ。昨日の夜、つい可不可に甘えちゃったことを思い出して、よくない。つい最近まで年下の幼馴染みとしか思ってなかったのに、俺のこと甘やかすのうまいんだもん。どこでそんなの覚えたんだろ。ちょっと悔しいなぁ。
15区付近は夕方まで雪が降ってたみたいで、琉衣くんと糖衣くんがお店周りの様子を話してくれた。傘が必要なレベルだったとか、地面がところどころシャーベット状になってたとか。それを聞きながら、寮と会社の往復だけで寒い寒いと大騒ぎしてた自分を恥じた。
でも……と、琉衣くんたちと話す可不可を盗み見る。大騒ぎしてた俺より、たぶん、可不可のほうが寒がりだ。それなのに、今日はひとこともそんなこと言ってなかったな。しれっとした顔でチェスターコートを着て、普通に格好よかった。
「わぁ、こっちも降ってきたみたい!」
糖衣くんの声につられて窓の外を見遣る。外気との温度差で曇った窓越しでも、雪がちらついてるのが見えた。
「糖衣、冷えないうちに風呂に入るぞ」
「はい、兄さま」
琉衣くんたちが荷物を置きに部屋へ向かうのを見送って、広いリビングに、可不可とふたりきりになる。でも、昼班の子たちや練牙くんがそろそろ金フィル鑑賞会でリビングに集まる頃だ。こんなところで甘い空気になんてなれない。
「……楓ちゃん」
誰も見てないからか、可不可が名前で呼んできた。手招きされて、窓のほうへと寄る。
ちらつく程度だった雪は、さっきより、ほんの少しだけ勢いを増したみたい。このままひと晩降るなら、明日の朝にはテラスの端っこに雪が残るかも。
「昔、病室の窓で落書きしたの、覚えてる?」
「あったね! 懐かしいなぁ」
学校で新しい漢字を習っては、可不可に見せびらかすように指でその字を書いた。可不可は難しい数式を書いて「最近これが解けるようになったんだよ」って教えてくれたよね。ふたりでお絵描きしたこともあったなぁ。
でも、俺が帰る頃には窓に書いた文字や絵が全部泣いてて、俺まで泣きたくなった。可不可も、同じ気持ちだったと思う。次の日も会えるだろうけど、それが百パーセントとは断言できないってこと、出会ってすぐの頃に経験してたから。
「今なら、こうかなぁ」
可不可の指が直線を描き始めた。数式……じゃないよね。三角ってことは図形問題?
「っ、ちょっと! 可不可!」
咄嗟に可不可の手を掴んで、反対の手で窓をばしんと叩く。う、冷たい。
「あはは、……でも、子どもの頃も、楓ちゃんが帰ったあと、病室の窓にこっそり描いたこと、あったよ」
「そうなの?」
「そうだよ。だって、ずっと、ずーっと、好きだったんだから」
掴んでいた手を優しく解かれた。その所作が格好よくて見惚れてるあいだに、可不可は窓を覆ったほうの手を取って、くちびるを押し当ててくる。
「……冷えてるね」
「だって、可不可がこんなことするから」
俺の手形でちょっと見えなくなってるけど、見るひとが見れば、なにが描かれてあったか推察できるレベルには、まだ、痕跡が残ってる。
「みんなが降りてくる前までには、消すよ」
俺の手形の上から、可不可が手をついた。こんな状況で見つめてくる意味がわからないほど、ばかじゃない。
素早く周りを確認して、――さすがにくちびるは恥ずかしいから、おでこで許してもらった。