お酒を飲む可不楓



 世間に比べたら少し遅い夏季休暇を機に、楓ちゃんが僕のお酒デビューに付き合ってくれることになった。一時退院のタイミングを合わせられるようにしておいてよかった。
 でも、大黒家に招いて、さあこれから飲むぞってなっても、楓ちゃんは眉間にしわを寄せたままだ。初めて飲むものは楓ちゃんに選んでもらいたいとお願いして、買ってきてもらったのに、その、買ってきてくれた本人がウンウン唸ってる。
「本当にいいの?」
「だから大丈夫だってば。楓ちゃんは心配し過ぎ」
 飲酒についての医師の見解は聞いて、許可も取ってある。そう説明しても、楓ちゃんはずっとおろおろしっぱなし。普段、僕に「過保護」って言ってるの、そっくりそのまま返したくなるくらい。
「いずれ手術を受けて、退院して……そうしたら、お酒を断れない場面が出てくるかもしれないでしょ? 未来のために、自分の限度を知っておきたいんだよ。大事な場面で失敗したくないからね」
「……そっか」
 一応は納得してくれたみたい。でも、まだどこか落ち着かない様子だ。
「せめて、俺だけじゃなくて、理非人さんや朔次郎さんがいたほうが」
「朔次郎が別室で待機してるから大丈夫だよ。父さんは出かけてるって言ったでしょ」
 父さんは昔馴染みの友人のところに行ってる。もちろん、偶然じゃない。久しぶりに楓ちゃんが来ると知って、それはもう会いたがってたけど、照れくささに何重もの蓋をして「昔からの友人と初めてのお酒を飲み交わす経験がしたい」と頼んだ。……友人以上の感情を抱いてること、きっと、気付いてる。だって、あっさり引いてくれたから。しかも「覚えのある感情だなぁ」なんて、母さんの話をするときと同じ顔で言ってた。
「うーん……朔次郎さんがついててくれてるなら、いいか」
 今度こそ、すべてに納得したらしい。まぁ、ここまで準備できてから言い出したあたり、あくまでも最終確認という名の儀式のつもりだったんだろう。楓ちゃんはさっきとは打って変わってすっきりとした表情で、缶のプルタブに指をかけた。
 楓ちゃんが選んだのは、HAMAで生産される果実を使ったお酒だ。初めてだからアルコール度数が低いもので、せっかくならHAMAにちなんだものがいいと思ったらしい。さすが楓ちゃん、HAMA愛が強い。
 初めてだからこそ缶のままでという僕に、しっかり冷えたそれが手渡された。……そろそろ、いいかな。
「あともうひとつ、発表があります」
「え、なに?」
 楓ちゃんが自分のぶんの缶を開けながら、顔を上げる。
「実は、来春の大学卒業が確定したんだ」
「……え? えっ! すごい! もう?」
 もう……かなぁ。僕としては〝やっと〟って気持ちだよ。とはいえ、今のJPNの教育制度における最短がこれだから、仕方ない。
「だから、今夜はそのお祝いも一緒にしてくれる?」
「もちろん! じゃあ、ちょっと遅れたけど可不可の二十歳のお祝いと、大学卒業確定のお祝いだね。乾杯!」
「乾杯」
 ぶつからないように缶の上部を近付ける。恐る恐る口をつけた果実酒は、アルコールで舌がじわっと痺れる以外は果実の瑞々しさそのままで、ジュースみたいだ。……いや、ジュースみたいって認識のままごくごく飲むと、一気に酔いがまわっちゃうんだろうな。気を付けなくちゃ。
「おいしい?」
「うん」
 もうひとくち、こくっと飲み込む。喉がほんのりと熱を持つのがわかった。なるほど、これがお酒か。舌に触れた感触と喉の熱、そのどちらもが絶妙に心地よくて、更にもうひとくち、飲んだ。あ、本当においしい。また、ひとくち飲む。飲めば飲むほど瑞々しさがより強く感じられるのがおもしろい。アルコールが入ってるはずなのに、まるで、果実そのものにかじりついてるみたい。
「……いいなぁ」
「おいしいよねぇ。可不可の口に合ったみたいでよかった」
「じゃなくて……」
「合わなかった?」
 首を横に振る。お酒の香りが鼻から抜けるのが気持ちよくて、もう一度、軽く頭を振った。
「楓ちゃんは、僕より先に、おさけのこと、しったんだ」
「そりゃあ、年上だから」
 違う、そういうのが聞きたいんじゃない。
「僕のこと、まっててほしかった……」
「えぇ……? うーん……ごめんね」
 ううん、困らせるつもりはないんだ。ただ、……目の奥が熱くて、お祝いなのに泣きそうなのが恥ずかしくて、なにか言わなきゃと思っただけ。
「謝らないで……」
 缶を持ってる手が熱い気がする。ううん、缶が熱いのかな? どっちでもいいけど、とにかくお酒をずっと持ってるのが億劫になってきて、缶をテーブルに置いた。
「ちょっと、可不可もしかして」
「楓ちゃんはわるくない、僕が、あとからうまれたから」
 でも、生まれたタイミングが違ったら、出会えてなかったかもしれない。楓ちゃんたちに声をかけてもらえないまま、同年代の友だちができなくても仕方ないかって、諦めてたかもしれない。それなら、僕が年下でよかったんだろう。でも、……でも。
 隣にいるのに急にさみしくなって、楓ちゃんを捕まえる。さっきから「でも」ばっかりだ。
「楓ちゃんがはじめて見るせかい、ぜんぶ、いっしょがいいのに」
 違う景色を見てるからこそ、それを分かち合えてる。そのことに感謝もしてる。それでも、僕はやっぱり、この子と並んで、同じものを見たい。
「可不可……」
 楓ちゃんの香りが強くなった。抱き締め返されたのだと、ふわふわした頭でもなんとなく理解できた。
「全部は難しい、っていうか、できないかな。実際、できてないから。それはごめんね。でも、俺も、可不可ともっといろいろなものを一緒に見られたらいいなって、昔からずっと思ってるよ。……それだけは、わかって」
 洟をすするような音に、意識が一気に引き戻される。
「っ、ごめん、僕、……」
 慌てて体を離そうとしたけど、それ以上の力で、楓ちゃんに抱き締められる。
「今ちょっと情けない顔、だから、もうちょっと見ないで」
「……うん」
 そっと、楓ちゃんの背中に腕をまわす。今までも「行ってらっしゃい」と「行ってきます」で何度もハグしてるけど、そのときとは比べものにならないくらい、楓ちゃんの体が熱い。
 でも、これはお酒が入ってるからだよね。お酒がなくても、僕のせいだけでこうなってくれたらいいのになんて、こんなときに考えちゃう。僕のこんな身勝手さも、今夜だけはお酒のせいにさせてほしいな。