お風呂
こういう機会はそうあるものじゃない。部屋割りを決めたときも、別にここまでは想定してなかった。でも、降って湧いたようなチャンスを逃すのは、もったいないでしょ。
「主任ちゃん、あとで見てほしいものがあるんだけど」
夕食後、リビングでの団欒、周りの誰にも聞こえないよう、万が一聞こえても問題がないよう、隣に座る楓ちゃんに囁く。
「うん? いいよ」
言葉どおりに受け取る素直さも、この子のいいところだ。まぁ、僕としては含みをもたせた言葉を使ってもよかったんだけど、周りにひとがいるところで言葉の意図するところを察してかわいい顔をされても困るから、これでいいんだ。
「可不可、会社に戻る?」
思い思いの話で適当に盛り上がっていた団欒もいい頃合いになって、部屋に戻る昼班の子たち、もう一杯飲もうと盛り上がるひとたち、部屋でゲームをしようとはしゃぐひとたちの話し声に紛れるように、楓ちゃんが尋ねてきた。
「どうして?」
「え、見てほしいものがあるって」
そうだ、そういうことにしておいたんだった。さっと周りを見て、誰もリビングに残ってないことを確かめる。
「あれは楓ちゃんを誘うためのうそ。……今夜、部屋に行っていい?」
雪風は試合前の最終調整で、礼光はお姉さんに呼ばれてうさぎ連れで、それぞれ実家に戻ってる。今夜は帰ってこない。つまり、この子の隣室は、無人ってこと。ただ部屋に行くだけなら毎日のようにやってるけど、今夜はもう少し長い時間、一緒にいたい。
「え、えっと、でも」
ようやく僕の意図するところを察したのか、楓ちゃんの頬が赤く染まる。うん、やっぱりこの顔は他のひとには見せたくないな。
「でも?」
「添くんや練牙くんは……可不可がいないと、気にするんじゃないかな」
「ふたりともいい大人だから大丈夫だよ。まぁ、練牙は心配するだろうし、日にちが変わる前には戻ろうかな」
添は、きっと僕たちの関係を察してるから、気にしないどころか、お好きにどうぞって我関せずでいてくれそうだけど。
ひと晩中いるわけじゃないとわかって、楓ちゃんがあからさまにほっとした顔になる。
「心配しなくても、初めてのお泊まりはここじゃなくて、ちゃんとふたりきりになれるところにするから」
これを言うのはさすがに早いかなと思ったけど、言ってあげることで楓ちゃんの緊張が少しでも和らぐなら、いつかの未来にあってほしい〝その日〟は今夜じゃないことを教えてあげたほうがいいと思ったんだ。
「そうなんだ……」
「びっくりした?」
「ううん、俺を安心させたくて言ってくれたんだよね」
正しく伝わったのが嬉しくて、誰も見てないのをいいことに、楓ちゃんの指に自分の指を絡める。昔から楓ちゃんと手を繋ぐのが好きだったけど、恋人になって、恋人じゃないとしないような繋ぎ方もできるようになって、ますます、手を繋ぐのが好きになった。前に松本城を見たときは子どもの頃の延長みたいな雰囲気だったから、今度は本当のデートでリベンジしたいな。
「すぐに行くから、待ってて」
楓ちゃんを先に自室へと戻らせて、僕は自分の部屋でタオルと着替えを腕に抱える。部屋を出ようとしたところで練牙に「風呂か?」って声をかけられたけど、用事を済ませてからお風呂に入るつもりとだけ言って、楓ちゃんの部屋へと向かった。
◇
「可不可、それ」
「うん、楓ちゃんの部屋で一緒にお風呂に入りたいなって」
楓ちゃんの部屋に入ったら必ず鍵をかける。ここにはノックもせず他人の部屋に入るようなひとはいないけど、人間、慌てるとそういうのを忘れちゃうことがあるから。
楓ちゃんの目がうろうろ、なんて答えたらいいかを探してる。そんなところに答えはありません。ちゃんと、自分の胸に聞いて。
「だめ?」
「は、恥ずかしい」
「もっと恥ずかしいこともするようになったのに?」
最後まではしてないけど、少し夜更かししてもいいかなって日は、楓ちゃんの部屋で触りっこをしてる。舌を使ったキスを楓ちゃんからも求めてくれるようになって、そうすると当然、ふたりともそこが熱くなっちゃうから、僕から「いい?」って訊いた。
「だって、いつもは電気消してるし……」
そう、触りっこはするけど、お互いの体をちゃんとは見てない。お互いに寝間着のなかに手を差し込んで、楓ちゃんの声が漏れないようにキスをしながら触るだけ。熱くなった楓ちゃんの体がどんなふうになってるかは、まだ、知らないんだ。
「……僕、いい意味で体が引き締まってきたと思うんだけど、確かめたくない?」
案の定、楓ちゃんはそわそわしてる。薄暗いところで声を我慢して触り合うだけじゃわからないこと、目で見て知りたいって顔だ。
「無理強いはしないよ。でも、今夜は不在のメンバーもいて、いつも以上に、思い思いに過ごすひとが多い。……こんな日、次はいつあるかなぁ」
最終的な決定権は楓ちゃんに委ねるけど、揺さぶりをかける手はゆるめない。自分でもずるいことをしてる自覚はある。でも、これくらいの刺激が、一歩踏み出すために必要なんだって、わかってほしい。
「入る、けど、あまり見ないでほしい……」
「うん、わかった。……あ、僕のことはいくら見てくれてもいいからね」
水着の季節はまだつるんとしてるだけだった腹筋に、最近、ほんの少しだけ隆起ができた。夕班ほど歌って踊る日々じゃないけど、普通に体力を使う仕事だし、なにより、楓ちゃんにどきどきしてもらいたくて、頑張ってるんだよ。
楓ちゃんがあんまり恥ずかしがるものだから、聞き分けのいい僕は楓ちゃんが髪や体を洗ってる最中、脱衣所で待つはめになった。今回はこれでいいけど、次は洗いっこも提案しようと決意する。また頑張って、楓ちゃんが食いついてくれるような餌をつくらなくちゃ。……やっぱり、僕がもっと格好よくなることかなぁ。
「可不可、入って、いいよ」
明らかに緊張してますって感じの声に、思わず、笑いそうになる。拗ねさせるつもりはないから、我慢、我慢。
浴室に入ると、楓ちゃんは湯船に浸かって、こちらに背を向けてる状態だった。それじゃあ、のぼせちゃうんじゃない? 浴室のドアを閉める音にも肩を跳ねさせてるし、楓ちゃん、意識し過ぎ。
手早く髪を洗ってる最中も、何度かちらちら見たけど、ずっと背を向けたままだった。
「……僕、楓ちゃんに洗ってほしいなー」
「えっ!」
「だって、僕が洗ってるあいだ、ずーっと、そうしてるつもり? 僕がそっちにいく前にギブアップしそう。僕のうしろにいれば、僕から見えないでしょ。ね、背中流してよ」
僕の言うことに一理あると思ったのか、楓ちゃんがおずおずとこちらを向いてくれた。
「……目、瞑ってて」
「はーい」
本当、僕って聞き分けのいい恋人だよね。目を閉じると、ざばっという音のあとに、楓ちゃんが近付く気配がした。……自分から誘っておいてなんだけど、そしてすごく今更だけど、これって、密室で全裸、なんだよね。
「……ま、前は自分でするから」
「う、うん! よろしく!」
楓ちゃんになら見られたって恥ずかしくないし、なんなら頑張って鍛えてるところは見せたいくらいだけど、僕までどきどきしてきた。楓ちゃんが躊躇ったのが、今になってわかる。
自分のボディスポンジを持ち込んだり、楓ちゃんのを借りたりするほどの図々しさは僕にすらなくて、手で懸命に泡立てたボディソープを体に滑らせる。楓ちゃんも、自分が使ってるもので僕の背中を洗っていいか判断できなかったらしく、同じように、手で泡立てていた。
「い、いくよ」
「っ……」
泡を隔ててるとはいえ、楓ちゃんに直接背中を触られたのは初めてで、身構えててもびっくりしてしまった。そのうえ――
「ど、どきどきするね」
――手を滑らせながら楓ちゃんが照れくさそうに話しかけてきて、頭のなかがどうにかなるかと思った。というか、なった。
「かふ……、っ」
全身泡だらけなのも気にせず、身を捩って楓ちゃんの手首を掴み、噛み付くみたいにくちづける。そのまま角度を変えて何度かくちづけるうち、楓ちゃんが薄くくちびるを開いてくれたから、遠慮なく舌を捩じ込んだ。たくさんキスするようになってわかったことだけど、楓ちゃんは、僕以上に、キスが好きみたい。
じりじりと追い詰めていると、いつの間にか、楓ちゃんの背が壁にあたったらしい。逃げ場所なんてもうないのに、泡で滑りやすい両手とも、指を絡める。
「ん、んっ……ふぁ、……」
「楓ちゃん、かわいい、……息、してね」
お風呂でキスをすると、いつもより息遣いや水音が響くことを、初めて知った。理屈で考えればあたりまえのことなんだけど、実際に経験してみると、思った以上に、まずい。腰を引いてるのは、これ以上、理性を失った行動に出ないためだ。
手についた泡なんて重力に従ってほとんど肘まで垂れてる。今はそれどころじゃないけど、楓ちゃんが洗ってくれた背中の泡だって、流れてるに違いない。
「……ごめん、こんなところでキスしちゃって」
くちびるを離して見た楓ちゃんの顔は、今まで見たどのキスのあとよりも、蕩けきっていた。本当に、いろいろと、よくない。
「のぼせちゃうし、僕はシャワーだけで済ませようかな。……楓ちゃんは先に上がってていいよ。足許、滑らないようにね」
楓ちゃんの体が視界に入ったけど大慌てで脳内から消し去……消し去れないけど消し去ったことにして、そそくさと背を向ける。
「……可不可」
呼ばれて思わず振り返ったら、楓ちゃんの顔が目の前にあった。
「かえ、……っ」
僕からキスすることがほとんどだから、キスされるのは、たぶん、まだ数えられる程度だと思う。
「あのね、可不可。お風呂から出たら……ちょっとだけ、触りたい……」
「……いいの?」
びっくりした。触りっこだって、僕から誘ってばかりだったから。驚きを隠しきれなかった僕の質問に、楓ちゃんは視線を壁に向けたまま、内緒話をするみたいに頷いた。
「主任ちゃん、あとで見てほしいものがあるんだけど」
夕食後、リビングでの団欒、周りの誰にも聞こえないよう、万が一聞こえても問題がないよう、隣に座る楓ちゃんに囁く。
「うん? いいよ」
言葉どおりに受け取る素直さも、この子のいいところだ。まぁ、僕としては含みをもたせた言葉を使ってもよかったんだけど、周りにひとがいるところで言葉の意図するところを察してかわいい顔をされても困るから、これでいいんだ。
「可不可、会社に戻る?」
思い思いの話で適当に盛り上がっていた団欒もいい頃合いになって、部屋に戻る昼班の子たち、もう一杯飲もうと盛り上がるひとたち、部屋でゲームをしようとはしゃぐひとたちの話し声に紛れるように、楓ちゃんが尋ねてきた。
「どうして?」
「え、見てほしいものがあるって」
そうだ、そういうことにしておいたんだった。さっと周りを見て、誰もリビングに残ってないことを確かめる。
「あれは楓ちゃんを誘うためのうそ。……今夜、部屋に行っていい?」
雪風は試合前の最終調整で、礼光はお姉さんに呼ばれてうさぎ連れで、それぞれ実家に戻ってる。今夜は帰ってこない。つまり、この子の隣室は、無人ってこと。ただ部屋に行くだけなら毎日のようにやってるけど、今夜はもう少し長い時間、一緒にいたい。
「え、えっと、でも」
ようやく僕の意図するところを察したのか、楓ちゃんの頬が赤く染まる。うん、やっぱりこの顔は他のひとには見せたくないな。
「でも?」
「添くんや練牙くんは……可不可がいないと、気にするんじゃないかな」
「ふたりともいい大人だから大丈夫だよ。まぁ、練牙は心配するだろうし、日にちが変わる前には戻ろうかな」
添は、きっと僕たちの関係を察してるから、気にしないどころか、お好きにどうぞって我関せずでいてくれそうだけど。
ひと晩中いるわけじゃないとわかって、楓ちゃんがあからさまにほっとした顔になる。
「心配しなくても、初めてのお泊まりはここじゃなくて、ちゃんとふたりきりになれるところにするから」
これを言うのはさすがに早いかなと思ったけど、言ってあげることで楓ちゃんの緊張が少しでも和らぐなら、いつかの未来にあってほしい〝その日〟は今夜じゃないことを教えてあげたほうがいいと思ったんだ。
「そうなんだ……」
「びっくりした?」
「ううん、俺を安心させたくて言ってくれたんだよね」
正しく伝わったのが嬉しくて、誰も見てないのをいいことに、楓ちゃんの指に自分の指を絡める。昔から楓ちゃんと手を繋ぐのが好きだったけど、恋人になって、恋人じゃないとしないような繋ぎ方もできるようになって、ますます、手を繋ぐのが好きになった。前に松本城を見たときは子どもの頃の延長みたいな雰囲気だったから、今度は本当のデートでリベンジしたいな。
「すぐに行くから、待ってて」
楓ちゃんを先に自室へと戻らせて、僕は自分の部屋でタオルと着替えを腕に抱える。部屋を出ようとしたところで練牙に「風呂か?」って声をかけられたけど、用事を済ませてからお風呂に入るつもりとだけ言って、楓ちゃんの部屋へと向かった。
◇
「可不可、それ」
「うん、楓ちゃんの部屋で一緒にお風呂に入りたいなって」
楓ちゃんの部屋に入ったら必ず鍵をかける。ここにはノックもせず他人の部屋に入るようなひとはいないけど、人間、慌てるとそういうのを忘れちゃうことがあるから。
楓ちゃんの目がうろうろ、なんて答えたらいいかを探してる。そんなところに答えはありません。ちゃんと、自分の胸に聞いて。
「だめ?」
「は、恥ずかしい」
「もっと恥ずかしいこともするようになったのに?」
最後まではしてないけど、少し夜更かししてもいいかなって日は、楓ちゃんの部屋で触りっこをしてる。舌を使ったキスを楓ちゃんからも求めてくれるようになって、そうすると当然、ふたりともそこが熱くなっちゃうから、僕から「いい?」って訊いた。
「だって、いつもは電気消してるし……」
そう、触りっこはするけど、お互いの体をちゃんとは見てない。お互いに寝間着のなかに手を差し込んで、楓ちゃんの声が漏れないようにキスをしながら触るだけ。熱くなった楓ちゃんの体がどんなふうになってるかは、まだ、知らないんだ。
「……僕、いい意味で体が引き締まってきたと思うんだけど、確かめたくない?」
案の定、楓ちゃんはそわそわしてる。薄暗いところで声を我慢して触り合うだけじゃわからないこと、目で見て知りたいって顔だ。
「無理強いはしないよ。でも、今夜は不在のメンバーもいて、いつも以上に、思い思いに過ごすひとが多い。……こんな日、次はいつあるかなぁ」
最終的な決定権は楓ちゃんに委ねるけど、揺さぶりをかける手はゆるめない。自分でもずるいことをしてる自覚はある。でも、これくらいの刺激が、一歩踏み出すために必要なんだって、わかってほしい。
「入る、けど、あまり見ないでほしい……」
「うん、わかった。……あ、僕のことはいくら見てくれてもいいからね」
水着の季節はまだつるんとしてるだけだった腹筋に、最近、ほんの少しだけ隆起ができた。夕班ほど歌って踊る日々じゃないけど、普通に体力を使う仕事だし、なにより、楓ちゃんにどきどきしてもらいたくて、頑張ってるんだよ。
楓ちゃんがあんまり恥ずかしがるものだから、聞き分けのいい僕は楓ちゃんが髪や体を洗ってる最中、脱衣所で待つはめになった。今回はこれでいいけど、次は洗いっこも提案しようと決意する。また頑張って、楓ちゃんが食いついてくれるような餌をつくらなくちゃ。……やっぱり、僕がもっと格好よくなることかなぁ。
「可不可、入って、いいよ」
明らかに緊張してますって感じの声に、思わず、笑いそうになる。拗ねさせるつもりはないから、我慢、我慢。
浴室に入ると、楓ちゃんは湯船に浸かって、こちらに背を向けてる状態だった。それじゃあ、のぼせちゃうんじゃない? 浴室のドアを閉める音にも肩を跳ねさせてるし、楓ちゃん、意識し過ぎ。
手早く髪を洗ってる最中も、何度かちらちら見たけど、ずっと背を向けたままだった。
「……僕、楓ちゃんに洗ってほしいなー」
「えっ!」
「だって、僕が洗ってるあいだ、ずーっと、そうしてるつもり? 僕がそっちにいく前にギブアップしそう。僕のうしろにいれば、僕から見えないでしょ。ね、背中流してよ」
僕の言うことに一理あると思ったのか、楓ちゃんがおずおずとこちらを向いてくれた。
「……目、瞑ってて」
「はーい」
本当、僕って聞き分けのいい恋人だよね。目を閉じると、ざばっという音のあとに、楓ちゃんが近付く気配がした。……自分から誘っておいてなんだけど、そしてすごく今更だけど、これって、密室で全裸、なんだよね。
「……ま、前は自分でするから」
「う、うん! よろしく!」
楓ちゃんになら見られたって恥ずかしくないし、なんなら頑張って鍛えてるところは見せたいくらいだけど、僕までどきどきしてきた。楓ちゃんが躊躇ったのが、今になってわかる。
自分のボディスポンジを持ち込んだり、楓ちゃんのを借りたりするほどの図々しさは僕にすらなくて、手で懸命に泡立てたボディソープを体に滑らせる。楓ちゃんも、自分が使ってるもので僕の背中を洗っていいか判断できなかったらしく、同じように、手で泡立てていた。
「い、いくよ」
「っ……」
泡を隔ててるとはいえ、楓ちゃんに直接背中を触られたのは初めてで、身構えててもびっくりしてしまった。そのうえ――
「ど、どきどきするね」
――手を滑らせながら楓ちゃんが照れくさそうに話しかけてきて、頭のなかがどうにかなるかと思った。というか、なった。
「かふ……、っ」
全身泡だらけなのも気にせず、身を捩って楓ちゃんの手首を掴み、噛み付くみたいにくちづける。そのまま角度を変えて何度かくちづけるうち、楓ちゃんが薄くくちびるを開いてくれたから、遠慮なく舌を捩じ込んだ。たくさんキスするようになってわかったことだけど、楓ちゃんは、僕以上に、キスが好きみたい。
じりじりと追い詰めていると、いつの間にか、楓ちゃんの背が壁にあたったらしい。逃げ場所なんてもうないのに、泡で滑りやすい両手とも、指を絡める。
「ん、んっ……ふぁ、……」
「楓ちゃん、かわいい、……息、してね」
お風呂でキスをすると、いつもより息遣いや水音が響くことを、初めて知った。理屈で考えればあたりまえのことなんだけど、実際に経験してみると、思った以上に、まずい。腰を引いてるのは、これ以上、理性を失った行動に出ないためだ。
手についた泡なんて重力に従ってほとんど肘まで垂れてる。今はそれどころじゃないけど、楓ちゃんが洗ってくれた背中の泡だって、流れてるに違いない。
「……ごめん、こんなところでキスしちゃって」
くちびるを離して見た楓ちゃんの顔は、今まで見たどのキスのあとよりも、蕩けきっていた。本当に、いろいろと、よくない。
「のぼせちゃうし、僕はシャワーだけで済ませようかな。……楓ちゃんは先に上がってていいよ。足許、滑らないようにね」
楓ちゃんの体が視界に入ったけど大慌てで脳内から消し去……消し去れないけど消し去ったことにして、そそくさと背を向ける。
「……可不可」
呼ばれて思わず振り返ったら、楓ちゃんの顔が目の前にあった。
「かえ、……っ」
僕からキスすることがほとんどだから、キスされるのは、たぶん、まだ数えられる程度だと思う。
「あのね、可不可。お風呂から出たら……ちょっとだけ、触りたい……」
「……いいの?」
びっくりした。触りっこだって、僕から誘ってばかりだったから。驚きを隠しきれなかった僕の質問に、楓ちゃんは視線を壁に向けたまま、内緒話をするみたいに頷いた。