ペアリング以上、プロポーズ未満
草木も眠る丑三つ時、外から聞こえる雨音で運よく目を覚ました俺は心のなかで〝今しかない〟と閃いた。大雨だろうが朝まで起きないタイプの俺が起きたのは、神様がくれたチャンスだと思う。逃す手はない。
隣で眠る可不可を起こさないよう、そうっと、そうっと、ベッドから降りた。多少の物音は外からの雨音ってことにしてほしい。目的のものはサイドテーブルの下に置いた箱のなかに隠してある。いつかの機会を狙って、あらかじめここに仕込んでおいた。
ここで会ったが百年目といわんばかりに目的のものを掴むと、さっきよりも慎重にベッドへと近付く。
来月は可不可の誕生日。俺にしか贈れないプレゼントを用意したい。幼馴染みとしてのプレゼントももちろん用意するけど、お付き合いしてるからこそ許されるものに挑戦してみたい。
「……」
いざとなると緊張する。うまくいくかな、可不可は俺と違ってほんのわずかな気配で起きるタイプなんだけど、起こさないようにできるかな。息を殺すつもりでやらなきゃって思えば思うほど、自分の鼓動が高鳴っていくのがわかる。息は殺せても、緊張までは殺せない。どきどきが口から飛び出しそう。
可不可の手を取ろうとして、いや、それは起こしちゃうなと我に返る。事前にやってた脳内シミュレーションでも、毎回ここで壁にぶち当たってはリタイアしてた。一度も突破できてない、今のところ到達回数ゼロのシミュレーション。つまり、打開策を見いだせないままの本番ってわけ。
でも、手に触れなきゃ、俺の目的は達成できない。緊張を胃の奥に押し込めるみたいに、生唾をごくっと飲み込んだ。
……昔はどこかへ行くときに、はぐれないようにと繋ぐだけだった。手そのものに意識を傾けるようになったのは、俺たちの関係に〝恋人〟って名前が増えてからのこと。今では、俺の髪を梳くように撫でてくれるこの手に、すっかり惚れ込んじゃってる。可不可の手って俺より少し小さいんだけど、指の長さはそんなに変わらないんだよね。
そうっと、そうっと、可不可の右手をとった。ここから先の狙いはとっくに決まってる。もう一方の手に隠し持ってたリングゲージをゆっくり巻き付け、これはさすがに起きるだろうと思いながらも、可不可の目が開かないのをいいことに輪っかの大きさを調整した。
そっか、可不可の右手薬指って、このサイズなんだ。――思わず感嘆の吐息をもらしそうになったのを、慌てて飲み込む。さすがに起こしちゃってるよねぇと思わなくもないんだけど、あくまでもこっそりやってる以上、もたもたしてる場合じゃない。一刻も早く、なにごともなかったかのように俺もベッドに戻らなくちゃ。指から抜いたリングゲージはこのまま隠しておこう。少なくとも――おそろいのデザインで自分のも探すと決めてる――現物を手に入れるまでは、輪っかのままで置いておきたいな。
今夜のうち一番っていっていいくらい息を殺して、ベッドに戻る。二十数年生きてて、ひと晩のうちにこんなにも緊張した夜ってあったかな。……そりゃあ、可不可と初めて触り合ったときも緊張したけど、それとは別の緊張だ。
可不可が壁際に眠ってくれてたら、ベッドに戻るのももう少し楽なんだけど、初めてこの部屋に泊めた夜からずっと、俺を壁際に寝かせたがるんだ。可不可曰く「なにがあってもキミがベッドから落っこちないように」だとか。過保護な可不可らしいよね。
いつもやってもらってるみたいに、眠ってる可不可の髪を指先で梳く。
「……僕のこと、起こしてよかったの?」
「やっぱり起きてたんだ?」
質問に質問で返した。そりゃあ、起きてたに決まってるよね。
「気付かないふりしてあげるのが恋人の役目かなって」
「そうだろうと思ってたよ。でも、ほら、俺って隠しごとそんなに得意じゃないから」
たとえ、可不可が本当に眠ってくれてたとしても、明日の朝には、俺はそわそわして、あっという間にネタばらしするはめになってると思うんだ。どう考えても、サプライズに不向きな性格だと思う。可不可はその反対だよね。
「確かに。でも、それが楓ちゃんのいいところだよ。素直でかわいい」
こっそり指輪のサイズを測ったのとは逆の手で、可不可が俺の頬を撫でた。当然だけど、髪を撫でてくれるのも、俺の弱いところを優しく暴くのも、こっちの手だよね。手を繋ぐのだけは右手だけど。
「……やっぱり、こっちで測ればよかったかな?」
頬に触れてきた手に、自分の手を重ねる。
「それ、プロポーズ?」
「えっ!?」
そっか、そうだった。可不可は普段から左手の人差し指にアクセサリーをつけることが多いから右手のほうがいいかなって理由で右手薬指に決めてたけど、左手薬指に指輪を贈るとなると、意味が変わってくる。
「……そこまで考えてませんでしたって顔だ」
「違う、……違わないけど、その」
遊びの恋じゃない。お付き合いを始めるにあたって、――本人にはまだそこまで言ってないけど――俺は可不可と一生恋をしていくって決めた。たとえそれが長い月日とともに家族愛のような穏やかさへ変化したとしても、うるさいくらいの鼓動の高鳴りも、下心を含んだ視線も、あげるのは可不可にだけ。だから、いずれは家族になるんだと思うんだけど……。
「わかってる。この話はまだ早かったね」
「早い、とは違うというか」
うまく説明できないな。だって、月日は問題じゃないよ。
「うん、大丈夫。……僕も、今じゃないって思ってるから」
可不可の声って、雨音と相性がいいのかも。――部屋に溶ける可不可の声と外から聞こえる雨音の調和が綺麗で、そんなことを考えた。声変わりする前から知ってるのに、すごく今更だ。
「僕とおそろいの気持ちになってくれたのは嬉しいよ。これ以上ない幸せだ。でも、もっと素敵な景色を一緒に見て、それからがいいかなって思うんだけど、どう?」
もっと素敵な景色。どこのなんて訊かなくてもわかる。俺たちが追い求めてるHAMAのことだ。
「そうだね」
「そうしたら、僕は0区長の座を誰かに明け渡して、楓ちゃんと世界中を旅したいな」
0区長引退は想像つかないけど、世界中を旅するってところにすごく惹かれた。絶対の絶対に、楽しいと思う。俺は旅が好きだけど、きっと、ひとりきりじゃ世界中までは周れない。最初はひとりで巡ってても、そのうち、目の前の景色や思い出を誰かと共有できたらいいのにって思うようになるはずだ。その相手は、可不可がいい。
「……想像したらどきどきしてきた」
「でしょ? 絶対、楽しいよ。昔みたいに計画どおりにいかないこともあるだろうけど、ひとりじゃないし」
「うん」
目を閉じて、頭のなかに思い浮かべる。いつだったか家族と見た景色を、可不可と見に行きたい。話に聞いただけの場所を、地図を頼りに可不可と辿ってみたい。
「それはそれとして、おそろいのものはほしいかな」
ここにくれるつもりだったんでしょ? ――だって。
「任せて。……っていっても、すぐじゃなくて、ええと」
困ったな、誕生日に驚かせたかったのに、なにもかもばれちゃうことになる。
「いいよ、言わなくて。今話したことも、朝起きたら忘れたことにするから」
「それはそれでやだな……」
それって、今話してた世界中を旅するってのも、俺に話してないことにするって意味でしょ。せっかく教えてもらった素敵な計画、俺はことあるごとに可不可と話したいよ。いつかの旅の予定は、明日からの日々を頑張る理由になるから。
「あはは、珍しくわがままだねぇ。いいよ、忘れたふりはやめておいてあげる。その代わり……こっちの指は譲ってあげるから、反対側に贈るのは、僕にさせてくれる?」
反対側。可不可に触れられたのとは逆の手に視線がいく。
「……今じゃないんじゃなかった?」
「うん。だから、これはプロポーズ未満ってことで。実際にできるようになったときは、もっと格好つけたいしね」
今でもじゅうぶん格好いいんだけどな。これ以上格好つけるって、どんなふうに言われるんだろう。サプライズで言われちゃうのかな。でも、その前に俺たちは今の仕事をもっと頑張らなくちゃね。
「わかった。……けど、可不可が格好つけるなら、俺だって格好よく返事するから」
可不可はきょとんとしたあと、小さく笑った。期待してるよ、だって。
「朝までまだもう少しあるし、そろそろ寝ようか」
額でリップ音が鳴った。俺も負けじと、可不可の頬にくちびるを押し当てる。
「おやすみ、可不可」
「うん、おやすみ」
隣で眠る可不可を起こさないよう、そうっと、そうっと、ベッドから降りた。多少の物音は外からの雨音ってことにしてほしい。目的のものはサイドテーブルの下に置いた箱のなかに隠してある。いつかの機会を狙って、あらかじめここに仕込んでおいた。
ここで会ったが百年目といわんばかりに目的のものを掴むと、さっきよりも慎重にベッドへと近付く。
来月は可不可の誕生日。俺にしか贈れないプレゼントを用意したい。幼馴染みとしてのプレゼントももちろん用意するけど、お付き合いしてるからこそ許されるものに挑戦してみたい。
「……」
いざとなると緊張する。うまくいくかな、可不可は俺と違ってほんのわずかな気配で起きるタイプなんだけど、起こさないようにできるかな。息を殺すつもりでやらなきゃって思えば思うほど、自分の鼓動が高鳴っていくのがわかる。息は殺せても、緊張までは殺せない。どきどきが口から飛び出しそう。
可不可の手を取ろうとして、いや、それは起こしちゃうなと我に返る。事前にやってた脳内シミュレーションでも、毎回ここで壁にぶち当たってはリタイアしてた。一度も突破できてない、今のところ到達回数ゼロのシミュレーション。つまり、打開策を見いだせないままの本番ってわけ。
でも、手に触れなきゃ、俺の目的は達成できない。緊張を胃の奥に押し込めるみたいに、生唾をごくっと飲み込んだ。
……昔はどこかへ行くときに、はぐれないようにと繋ぐだけだった。手そのものに意識を傾けるようになったのは、俺たちの関係に〝恋人〟って名前が増えてからのこと。今では、俺の髪を梳くように撫でてくれるこの手に、すっかり惚れ込んじゃってる。可不可の手って俺より少し小さいんだけど、指の長さはそんなに変わらないんだよね。
そうっと、そうっと、可不可の右手をとった。ここから先の狙いはとっくに決まってる。もう一方の手に隠し持ってたリングゲージをゆっくり巻き付け、これはさすがに起きるだろうと思いながらも、可不可の目が開かないのをいいことに輪っかの大きさを調整した。
そっか、可不可の右手薬指って、このサイズなんだ。――思わず感嘆の吐息をもらしそうになったのを、慌てて飲み込む。さすがに起こしちゃってるよねぇと思わなくもないんだけど、あくまでもこっそりやってる以上、もたもたしてる場合じゃない。一刻も早く、なにごともなかったかのように俺もベッドに戻らなくちゃ。指から抜いたリングゲージはこのまま隠しておこう。少なくとも――おそろいのデザインで自分のも探すと決めてる――現物を手に入れるまでは、輪っかのままで置いておきたいな。
今夜のうち一番っていっていいくらい息を殺して、ベッドに戻る。二十数年生きてて、ひと晩のうちにこんなにも緊張した夜ってあったかな。……そりゃあ、可不可と初めて触り合ったときも緊張したけど、それとは別の緊張だ。
可不可が壁際に眠ってくれてたら、ベッドに戻るのももう少し楽なんだけど、初めてこの部屋に泊めた夜からずっと、俺を壁際に寝かせたがるんだ。可不可曰く「なにがあってもキミがベッドから落っこちないように」だとか。過保護な可不可らしいよね。
いつもやってもらってるみたいに、眠ってる可不可の髪を指先で梳く。
「……僕のこと、起こしてよかったの?」
「やっぱり起きてたんだ?」
質問に質問で返した。そりゃあ、起きてたに決まってるよね。
「気付かないふりしてあげるのが恋人の役目かなって」
「そうだろうと思ってたよ。でも、ほら、俺って隠しごとそんなに得意じゃないから」
たとえ、可不可が本当に眠ってくれてたとしても、明日の朝には、俺はそわそわして、あっという間にネタばらしするはめになってると思うんだ。どう考えても、サプライズに不向きな性格だと思う。可不可はその反対だよね。
「確かに。でも、それが楓ちゃんのいいところだよ。素直でかわいい」
こっそり指輪のサイズを測ったのとは逆の手で、可不可が俺の頬を撫でた。当然だけど、髪を撫でてくれるのも、俺の弱いところを優しく暴くのも、こっちの手だよね。手を繋ぐのだけは右手だけど。
「……やっぱり、こっちで測ればよかったかな?」
頬に触れてきた手に、自分の手を重ねる。
「それ、プロポーズ?」
「えっ!?」
そっか、そうだった。可不可は普段から左手の人差し指にアクセサリーをつけることが多いから右手のほうがいいかなって理由で右手薬指に決めてたけど、左手薬指に指輪を贈るとなると、意味が変わってくる。
「……そこまで考えてませんでしたって顔だ」
「違う、……違わないけど、その」
遊びの恋じゃない。お付き合いを始めるにあたって、――本人にはまだそこまで言ってないけど――俺は可不可と一生恋をしていくって決めた。たとえそれが長い月日とともに家族愛のような穏やかさへ変化したとしても、うるさいくらいの鼓動の高鳴りも、下心を含んだ視線も、あげるのは可不可にだけ。だから、いずれは家族になるんだと思うんだけど……。
「わかってる。この話はまだ早かったね」
「早い、とは違うというか」
うまく説明できないな。だって、月日は問題じゃないよ。
「うん、大丈夫。……僕も、今じゃないって思ってるから」
可不可の声って、雨音と相性がいいのかも。――部屋に溶ける可不可の声と外から聞こえる雨音の調和が綺麗で、そんなことを考えた。声変わりする前から知ってるのに、すごく今更だ。
「僕とおそろいの気持ちになってくれたのは嬉しいよ。これ以上ない幸せだ。でも、もっと素敵な景色を一緒に見て、それからがいいかなって思うんだけど、どう?」
もっと素敵な景色。どこのなんて訊かなくてもわかる。俺たちが追い求めてるHAMAのことだ。
「そうだね」
「そうしたら、僕は0区長の座を誰かに明け渡して、楓ちゃんと世界中を旅したいな」
0区長引退は想像つかないけど、世界中を旅するってところにすごく惹かれた。絶対の絶対に、楽しいと思う。俺は旅が好きだけど、きっと、ひとりきりじゃ世界中までは周れない。最初はひとりで巡ってても、そのうち、目の前の景色や思い出を誰かと共有できたらいいのにって思うようになるはずだ。その相手は、可不可がいい。
「……想像したらどきどきしてきた」
「でしょ? 絶対、楽しいよ。昔みたいに計画どおりにいかないこともあるだろうけど、ひとりじゃないし」
「うん」
目を閉じて、頭のなかに思い浮かべる。いつだったか家族と見た景色を、可不可と見に行きたい。話に聞いただけの場所を、地図を頼りに可不可と辿ってみたい。
「それはそれとして、おそろいのものはほしいかな」
ここにくれるつもりだったんでしょ? ――だって。
「任せて。……っていっても、すぐじゃなくて、ええと」
困ったな、誕生日に驚かせたかったのに、なにもかもばれちゃうことになる。
「いいよ、言わなくて。今話したことも、朝起きたら忘れたことにするから」
「それはそれでやだな……」
それって、今話してた世界中を旅するってのも、俺に話してないことにするって意味でしょ。せっかく教えてもらった素敵な計画、俺はことあるごとに可不可と話したいよ。いつかの旅の予定は、明日からの日々を頑張る理由になるから。
「あはは、珍しくわがままだねぇ。いいよ、忘れたふりはやめておいてあげる。その代わり……こっちの指は譲ってあげるから、反対側に贈るのは、僕にさせてくれる?」
反対側。可不可に触れられたのとは逆の手に視線がいく。
「……今じゃないんじゃなかった?」
「うん。だから、これはプロポーズ未満ってことで。実際にできるようになったときは、もっと格好つけたいしね」
今でもじゅうぶん格好いいんだけどな。これ以上格好つけるって、どんなふうに言われるんだろう。サプライズで言われちゃうのかな。でも、その前に俺たちは今の仕事をもっと頑張らなくちゃね。
「わかった。……けど、可不可が格好つけるなら、俺だって格好よく返事するから」
可不可はきょとんとしたあと、小さく笑った。期待してるよ、だって。
「朝までまだもう少しあるし、そろそろ寝ようか」
額でリップ音が鳴った。俺も負けじと、可不可の頬にくちびるを押し当てる。
「おやすみ、可不可」
「うん、おやすみ」