星も空も
今年のこの季節に訪れる流星群は、JPNでの観測条件がいいらしい。そんな記事を偶然目にして、真っ先に浮かんだのは、僕が三歳の頃のこと。
ある日、夜遅くになんとなく目が覚めた。たぶん、カーテンの外で賑やかななにかが起きたような気がしたからだと思う。別に、大きな音が鳴ったわけじゃない。窓の外に誰かいたわけでもない。どうしようもなく窓の外が気になって、恐る恐る、カーテンに手を伸ばしたんだ。
賑やかさの正体は、目で追うのが間に合わないほどの流星群。流れ星は絵本で知ってても、流星群って言葉までは知らない年齢だったけど、なんとなく、これは特別な景色なんだってことだけはわかった。流れ星はひと晩にひとつじゃないんだって、どきどきもした。こんなにたくさんあるなら、みんなが一斉にお願いしてもいいんじゃないか、僕のお願いごとも取りこぼさずに聞いてもらえるかもなんて、今思えば笑っちゃうような考えまで浮かんだんだよ。
何年かしていろんな勉強をするようになって、このときの星々が三十数年ぶりの大出現を見せた流星群だったことを知った。ついでに、流れ星の正体は彗星から放出されたチリが地球の大気圏に飛び込んでプラズマ現象を起こしてるだけで、流れてこないほうの星の正体も水素とかヘリウムのガスだってことも。
そんなものに人間の願いごとを叶える力なんてないでしょって、その頃には、いろんなものを諦めるようになってた気がする。病棟の七夕の会でも、願いを短冊にかけば叶えてもらえると本気で思ってる子たちと話が合うわけなくて、病院食のデザートに好きな味のゼリーだけが出ますようにとだけ書いた。当然、いろんな味のゼリーが出たし、そもそもゼリーじゃない日もあったよ。ほら、叶わなかったでしょ。目の前にいるひとたちですら叶えてくれないんだから、宇宙のチリが叶えられるわけないんだって、僕はますます〝諦め〟を覚えた。
◇
「昔の可不可って、そんなだったんだ?」
僕の隣、運転席で、ハンドルを握ったままの楓ちゃんが笑う。こんな時間にレンタカーを借りたのは、仕事じゃないから。自動運転のレンタカーじゃないのは、僕とふたりきりのときだけ見せる楓ちゃんの運転が好きって理由。
「われながら、子どもにしてはスレてたなと思うよ」
病院のなかの世界しか知らないくせにすべてを知った気でいて、周りを冷めた目で見てた。ある意味、黒歴史だよね。
「確かに……可不可と初めて会った頃のこと思い出したら、なんかつんつんしてたし、言われてみればそうだったかも?」
あと一歩のところで信号が赤に変わって、楓ちゃんがゆっくりとブレーキを踏んだ。社用車を運転してもらうときは他のひとたちも一緒なことがほとんどだから賑やかだし、なにかと急ぐはめになって法定速度ぎりぎりになることも多い。でも、ふたりきりでお出かけするときは全然そんなことない。
「……僕も免許取ろうかな」
「えっ? いきなりなんの話!?」
楓ちゃんが実はていねいな運転をする子だって知ったら、世界中がこの子に夢中になっちゃうかも。そう思ったら、ちょっとむかついた。本来の楓ちゃんの運転は心地よくて好きだけど、他のひとには教えたくない。そうなるくらいなら、僕が運転したい。
「いつもお任せしてばかりだから、僕もいいとこ見せたいなぁって。第一印象はつんつんしてたみたいだし?」
「あはは。うーん……可不可が取りたいなら応援するよ。か、……うん、いいと思う」
「なに、今、なんで言いかけてやめたの」
信号が青に変わった。アクセルを踏み込んだ楓ちゃんは、僕の質問には答えず、カーステレオに手を伸ばす。なんか、誤魔化された気がするなぁ。
――〝今夜聴きたい、聴いてほしい、星空特集でお送りする……〟
流れてきた声につられるように、窓越しに空を見上げた。今夜は新月、街明かりから少し離れた場所に行けば肉眼でも見えるらしい。
ゆるやかな上り坂を進む途中、耳を撫でるのはカーステレオから流れる昔の曲と、楓ちゃんの鼻唄。
「鼻唄じゃなくてちゃんと歌ってよ」
「えぇ……いくら可不可相手でも照れるからだめ」
「子どもの頃はいくらでも歌うよって、たくさん歌ってくれたのに?」
残念、僕、楓ちゃんの歌声好きなのにな。この子、歌がすっごくうまいんだよ。寮では鼻唄程度だけど、楓ちゃんとカラオケに行ったひとたちは、みんな、この子の歌声を褒める。
「あとでね。今は運転に集中したいから」
さっきまであんなにおしゃべりして、鼻唄まで歌っておいて、今更? ただの照れ隠しじゃない? でも、楓ちゃんの声が真剣だったから、それ以上は指摘しないことにした。
カーステレオから流れる曲に耳を傾けて、ときどき、隣を盗み見る。この子は照れ屋だから、部屋で留守番の日々になるかな、外に連れ出してくれるにしてもチェーンを通してネックレスにされちゃうかな、なんて覚悟してたけど――
「……可不可」
「なぁに」
「さっきから視線感じるんだけど……なにかあった?」
あぁ、よく見たら耳がちょっと赤いね。そんなにじっくり見たつもりはないのに。
「ちゃんとつけてくれてるんだなぁって」
――少し前に贈った指輪が、楓ちゃんの右手薬指に行儀よく収まってる。信号待ちで指をステアリングの上で遊ばせるときに、ちらちら見えるんだ。そもそも、車に乗るまでのあいだに見てたしね。
「そりゃあ……可不可がくれたものだし」
困ったな、あんまり照れさせるとそのうち怒り出すタイプだから我慢しなきゃなのに、反応がいちいちかわいいせいで、わざと恥ずかしくなることを言いたくなる。せっかくの夜デートでケンカなんてしたくないから、我慢、我慢。
「ありがとう。すごく嬉しいな」
触れたい気持ちが、僕の視線を楓ちゃんのくちびるに向けさせる。あわよくばって気持ちは片想いの頃からあったけど、恋人になって、キスとかその先とかの行為を何度重ねても、ふたりきりになるたび〝あわよくば〟って思う。僕ってここまで即物的な人間だったっけ。
「着いたよ」
「うん、ありがとう」
先に降りた楓ちゃんはすぐさま助手席のほうにまわってきて、わざわざドアを開けてくれた。執事じゃないんだから、そんなことしなくてもいいのに。――前にも同じことがあったから思わずそう言ったら「エスコートさせてよ」って言われた。こういう格好いいところが、たまらないんだよね。だから、車の乗り降りのエスコートはお任せすることにしてるんだ。
小高い丘の上にある公園……の裏にある、滅多にひとが来ない場所。みんな、見晴らしのいい反対側のほうに集中する。こっちは整備された駐車場もないし、雑草の手入れもされてない状態だ。背の高い木々が葉っぱをたくさんつけてるせいで、空を見上げても、視界の端には常に夜の色に染まった葉がちらちら入り込む。
「わ、もう始まってた」
慌てた楓ちゃんに手を引かれて、視界に入る葉っぱが少なめと感じられるところまで軽く駆けた。
「可不可、本当にここでよかったの? あっちのほうが」
「ううん。ここがいい」
繋いだままの手を握り直し、指を絡める。
観測条件がいいとされる年なんだから、天文台のそういうツアーに参加したり、ここの反対側にある公園のほうに行ったりしたほうが、たくさんの流星群を見られたに違いない。
「可不可が話してくれた大出現の年は、もっとすごかったんだよね?」
「うん、あとから記録を調べたら、一時間で千を超える大出現だったって。だいたい三十三年くらいの周期だから――」
十七年前の大出現の年、楓ちゃんはちょうど海外にいて見られなかったらしい。流星群は一年を通してたくさんあるし、なんなら、来月のほうが大きな流星群だけど、僕が子どもの頃に見たのと同じ名前の流星群で、賑やかに降る星々を見たいんだって。今日のこのデートを計画したとき、そう話してくれた。
「――あと十六年くらい先かぁ。うーん、俺たちふたりともおじさんに片足突っ込んでる年齢だけど、今日みたいに車なら平気かな」
「え……」
「ん? 計算間違ってないよね?」
うん、間違ってない。十数年先も一緒にいるのがあたりまえみたいに話してくれたことが嬉しくて、食いつきそうになった。でも、何度も「一生一緒に遊ぶって約束した」って言われてる手前、わざわざそこをつつくのもなんだか違う気がするんだよね。
「……合ってるよ。おじさんに近付くとはいえ、僕は今よりももっと体力つけたいな。楓ちゃんと行きたいところ、たくさんあるし。……やっぱり僕も免許取ろうかな」
車で出かけるたび楓ちゃんにばかりお任せするのも悪いし。そう続けると、楓ちゃんが繋いだ手に力を入れた。さっき言わなかったけどって前置きされて、車のなかでの会話を思い出す。
「可不可が車の運転するって、絶対格好いいんだろうなって思ったよ。でも」
「でも?」
「……すごく恥ずかしいんだけど、他のひとに、隣、座らせたくないなぁって。講習の時点で無理なのに、ばかみたいなこと考えた」
びっくりした。僕ばかり独占欲を抱いてると思ってたから、こんなかわいい言葉が聞けるなんて。
「確かに。でも、恥ずかしくなんかないよ。僕の隣は楓ちゃんに決まってる」
手を繋いだまま体を寄せて、内緒話をするみたいに囁く。まだまだ0区長としてやることがあるから当分先だけど、ふたりで世界中を旅して、僕たちにしか見られない景色を、たくさん、目に焼き付けたいな。――そこまで考えて、思わず「あ」と声をもらしてしまった。
繋いでないほうの手指で、視界に入る星空を囲むように円を描く。
「ねぇ、この部分だけ、僕たちだけのものにしてみる?」
「なにそれ。……でも、すごくいいかも」
あまり広大でも、持て余しちゃうし。――楓ちゃんが笑った。そうだよ、僕たちにしか見られない景色を、ふたりだけの思い出にしたい。だから、ひとが来たがらないここに連れてきてもらったんだ。
「可不可」
呼ばれて、楓ちゃんのほうを向く。顔が近いと思うより早く、くちびるにやわらかいものが押し当てられた。
「ここ、外だよ、って言えばいい?」
前に、寮のテラスで花火大会をしたとき、周りが見てない隙を狙ってキスしたら、楓ちゃんにそう言われた。
「……大丈夫、誰も見てないから」
数ヵ月前のやりとりを、相手の真似っこで再現して、どちらからともなく笑う。
「それなら……僕はあのときの楓ちゃんみたいに耳許で〝おねだり〟したほうがいいのかな?」
確か、あの夜は楓ちゃんが珍しく積極的にお誘いをしてくれたんだった。さすがにそこまでは考えてないかな、それとも、ふたりきりで夜のデートって時点で、期待してる?
最後まではしなくても、こんな素敵な景色を見たあと、別々に眠るのはさみしいな。絡めた指をわざとゆるめて、手のひらを指で何度かなぞってから、強く絡め直す。僕たちだけの時間を連想させるようにやってみたんだけど――
「っ、それは……えーっと、……」
楓ちゃんは素早く周りを見てから、僕の耳許に口を寄せた。誰もいないってわかってても声を潜めたくなる気持ちはわかるよ。今ここにいるのは僕たちだけだけど、楓ちゃんが僕に向けてくれる言葉は、いつもより賑やかな星々にだって聞かせたくないからね。
「いいよ、今夜はくっついて寝ようね」
――作戦は、成功みたい。
「ちょっと……! もっと小さい声にして!」
え、普通の声の大きさだったんだけどな。でも、恥ずかしさで蒸気でも出しそうな勢いでぷんぷんしてる。早く宥めておかないと、あとで僕がおあずけを食らっちゃいそう。それは普通に困る。
「ごめん。空にも聞こえないくらいの内緒話にするから、機嫌直してよ」
僕はもう、今夜は楓ちゃんに抱き着いてもらって寝るつもりなんだから。
ある日、夜遅くになんとなく目が覚めた。たぶん、カーテンの外で賑やかななにかが起きたような気がしたからだと思う。別に、大きな音が鳴ったわけじゃない。窓の外に誰かいたわけでもない。どうしようもなく窓の外が気になって、恐る恐る、カーテンに手を伸ばしたんだ。
賑やかさの正体は、目で追うのが間に合わないほどの流星群。流れ星は絵本で知ってても、流星群って言葉までは知らない年齢だったけど、なんとなく、これは特別な景色なんだってことだけはわかった。流れ星はひと晩にひとつじゃないんだって、どきどきもした。こんなにたくさんあるなら、みんなが一斉にお願いしてもいいんじゃないか、僕のお願いごとも取りこぼさずに聞いてもらえるかもなんて、今思えば笑っちゃうような考えまで浮かんだんだよ。
何年かしていろんな勉強をするようになって、このときの星々が三十数年ぶりの大出現を見せた流星群だったことを知った。ついでに、流れ星の正体は彗星から放出されたチリが地球の大気圏に飛び込んでプラズマ現象を起こしてるだけで、流れてこないほうの星の正体も水素とかヘリウムのガスだってことも。
そんなものに人間の願いごとを叶える力なんてないでしょって、その頃には、いろんなものを諦めるようになってた気がする。病棟の七夕の会でも、願いを短冊にかけば叶えてもらえると本気で思ってる子たちと話が合うわけなくて、病院食のデザートに好きな味のゼリーだけが出ますようにとだけ書いた。当然、いろんな味のゼリーが出たし、そもそもゼリーじゃない日もあったよ。ほら、叶わなかったでしょ。目の前にいるひとたちですら叶えてくれないんだから、宇宙のチリが叶えられるわけないんだって、僕はますます〝諦め〟を覚えた。
◇
「昔の可不可って、そんなだったんだ?」
僕の隣、運転席で、ハンドルを握ったままの楓ちゃんが笑う。こんな時間にレンタカーを借りたのは、仕事じゃないから。自動運転のレンタカーじゃないのは、僕とふたりきりのときだけ見せる楓ちゃんの運転が好きって理由。
「われながら、子どもにしてはスレてたなと思うよ」
病院のなかの世界しか知らないくせにすべてを知った気でいて、周りを冷めた目で見てた。ある意味、黒歴史だよね。
「確かに……可不可と初めて会った頃のこと思い出したら、なんかつんつんしてたし、言われてみればそうだったかも?」
あと一歩のところで信号が赤に変わって、楓ちゃんがゆっくりとブレーキを踏んだ。社用車を運転してもらうときは他のひとたちも一緒なことがほとんどだから賑やかだし、なにかと急ぐはめになって法定速度ぎりぎりになることも多い。でも、ふたりきりでお出かけするときは全然そんなことない。
「……僕も免許取ろうかな」
「えっ? いきなりなんの話!?」
楓ちゃんが実はていねいな運転をする子だって知ったら、世界中がこの子に夢中になっちゃうかも。そう思ったら、ちょっとむかついた。本来の楓ちゃんの運転は心地よくて好きだけど、他のひとには教えたくない。そうなるくらいなら、僕が運転したい。
「いつもお任せしてばかりだから、僕もいいとこ見せたいなぁって。第一印象はつんつんしてたみたいだし?」
「あはは。うーん……可不可が取りたいなら応援するよ。か、……うん、いいと思う」
「なに、今、なんで言いかけてやめたの」
信号が青に変わった。アクセルを踏み込んだ楓ちゃんは、僕の質問には答えず、カーステレオに手を伸ばす。なんか、誤魔化された気がするなぁ。
――〝今夜聴きたい、聴いてほしい、星空特集でお送りする……〟
流れてきた声につられるように、窓越しに空を見上げた。今夜は新月、街明かりから少し離れた場所に行けば肉眼でも見えるらしい。
ゆるやかな上り坂を進む途中、耳を撫でるのはカーステレオから流れる昔の曲と、楓ちゃんの鼻唄。
「鼻唄じゃなくてちゃんと歌ってよ」
「えぇ……いくら可不可相手でも照れるからだめ」
「子どもの頃はいくらでも歌うよって、たくさん歌ってくれたのに?」
残念、僕、楓ちゃんの歌声好きなのにな。この子、歌がすっごくうまいんだよ。寮では鼻唄程度だけど、楓ちゃんとカラオケに行ったひとたちは、みんな、この子の歌声を褒める。
「あとでね。今は運転に集中したいから」
さっきまであんなにおしゃべりして、鼻唄まで歌っておいて、今更? ただの照れ隠しじゃない? でも、楓ちゃんの声が真剣だったから、それ以上は指摘しないことにした。
カーステレオから流れる曲に耳を傾けて、ときどき、隣を盗み見る。この子は照れ屋だから、部屋で留守番の日々になるかな、外に連れ出してくれるにしてもチェーンを通してネックレスにされちゃうかな、なんて覚悟してたけど――
「……可不可」
「なぁに」
「さっきから視線感じるんだけど……なにかあった?」
あぁ、よく見たら耳がちょっと赤いね。そんなにじっくり見たつもりはないのに。
「ちゃんとつけてくれてるんだなぁって」
――少し前に贈った指輪が、楓ちゃんの右手薬指に行儀よく収まってる。信号待ちで指をステアリングの上で遊ばせるときに、ちらちら見えるんだ。そもそも、車に乗るまでのあいだに見てたしね。
「そりゃあ……可不可がくれたものだし」
困ったな、あんまり照れさせるとそのうち怒り出すタイプだから我慢しなきゃなのに、反応がいちいちかわいいせいで、わざと恥ずかしくなることを言いたくなる。せっかくの夜デートでケンカなんてしたくないから、我慢、我慢。
「ありがとう。すごく嬉しいな」
触れたい気持ちが、僕の視線を楓ちゃんのくちびるに向けさせる。あわよくばって気持ちは片想いの頃からあったけど、恋人になって、キスとかその先とかの行為を何度重ねても、ふたりきりになるたび〝あわよくば〟って思う。僕ってここまで即物的な人間だったっけ。
「着いたよ」
「うん、ありがとう」
先に降りた楓ちゃんはすぐさま助手席のほうにまわってきて、わざわざドアを開けてくれた。執事じゃないんだから、そんなことしなくてもいいのに。――前にも同じことがあったから思わずそう言ったら「エスコートさせてよ」って言われた。こういう格好いいところが、たまらないんだよね。だから、車の乗り降りのエスコートはお任せすることにしてるんだ。
小高い丘の上にある公園……の裏にある、滅多にひとが来ない場所。みんな、見晴らしのいい反対側のほうに集中する。こっちは整備された駐車場もないし、雑草の手入れもされてない状態だ。背の高い木々が葉っぱをたくさんつけてるせいで、空を見上げても、視界の端には常に夜の色に染まった葉がちらちら入り込む。
「わ、もう始まってた」
慌てた楓ちゃんに手を引かれて、視界に入る葉っぱが少なめと感じられるところまで軽く駆けた。
「可不可、本当にここでよかったの? あっちのほうが」
「ううん。ここがいい」
繋いだままの手を握り直し、指を絡める。
観測条件がいいとされる年なんだから、天文台のそういうツアーに参加したり、ここの反対側にある公園のほうに行ったりしたほうが、たくさんの流星群を見られたに違いない。
「可不可が話してくれた大出現の年は、もっとすごかったんだよね?」
「うん、あとから記録を調べたら、一時間で千を超える大出現だったって。だいたい三十三年くらいの周期だから――」
十七年前の大出現の年、楓ちゃんはちょうど海外にいて見られなかったらしい。流星群は一年を通してたくさんあるし、なんなら、来月のほうが大きな流星群だけど、僕が子どもの頃に見たのと同じ名前の流星群で、賑やかに降る星々を見たいんだって。今日のこのデートを計画したとき、そう話してくれた。
「――あと十六年くらい先かぁ。うーん、俺たちふたりともおじさんに片足突っ込んでる年齢だけど、今日みたいに車なら平気かな」
「え……」
「ん? 計算間違ってないよね?」
うん、間違ってない。十数年先も一緒にいるのがあたりまえみたいに話してくれたことが嬉しくて、食いつきそうになった。でも、何度も「一生一緒に遊ぶって約束した」って言われてる手前、わざわざそこをつつくのもなんだか違う気がするんだよね。
「……合ってるよ。おじさんに近付くとはいえ、僕は今よりももっと体力つけたいな。楓ちゃんと行きたいところ、たくさんあるし。……やっぱり僕も免許取ろうかな」
車で出かけるたび楓ちゃんにばかりお任せするのも悪いし。そう続けると、楓ちゃんが繋いだ手に力を入れた。さっき言わなかったけどって前置きされて、車のなかでの会話を思い出す。
「可不可が車の運転するって、絶対格好いいんだろうなって思ったよ。でも」
「でも?」
「……すごく恥ずかしいんだけど、他のひとに、隣、座らせたくないなぁって。講習の時点で無理なのに、ばかみたいなこと考えた」
びっくりした。僕ばかり独占欲を抱いてると思ってたから、こんなかわいい言葉が聞けるなんて。
「確かに。でも、恥ずかしくなんかないよ。僕の隣は楓ちゃんに決まってる」
手を繋いだまま体を寄せて、内緒話をするみたいに囁く。まだまだ0区長としてやることがあるから当分先だけど、ふたりで世界中を旅して、僕たちにしか見られない景色を、たくさん、目に焼き付けたいな。――そこまで考えて、思わず「あ」と声をもらしてしまった。
繋いでないほうの手指で、視界に入る星空を囲むように円を描く。
「ねぇ、この部分だけ、僕たちだけのものにしてみる?」
「なにそれ。……でも、すごくいいかも」
あまり広大でも、持て余しちゃうし。――楓ちゃんが笑った。そうだよ、僕たちにしか見られない景色を、ふたりだけの思い出にしたい。だから、ひとが来たがらないここに連れてきてもらったんだ。
「可不可」
呼ばれて、楓ちゃんのほうを向く。顔が近いと思うより早く、くちびるにやわらかいものが押し当てられた。
「ここ、外だよ、って言えばいい?」
前に、寮のテラスで花火大会をしたとき、周りが見てない隙を狙ってキスしたら、楓ちゃんにそう言われた。
「……大丈夫、誰も見てないから」
数ヵ月前のやりとりを、相手の真似っこで再現して、どちらからともなく笑う。
「それなら……僕はあのときの楓ちゃんみたいに耳許で〝おねだり〟したほうがいいのかな?」
確か、あの夜は楓ちゃんが珍しく積極的にお誘いをしてくれたんだった。さすがにそこまでは考えてないかな、それとも、ふたりきりで夜のデートって時点で、期待してる?
最後まではしなくても、こんな素敵な景色を見たあと、別々に眠るのはさみしいな。絡めた指をわざとゆるめて、手のひらを指で何度かなぞってから、強く絡め直す。僕たちだけの時間を連想させるようにやってみたんだけど――
「っ、それは……えーっと、……」
楓ちゃんは素早く周りを見てから、僕の耳許に口を寄せた。誰もいないってわかってても声を潜めたくなる気持ちはわかるよ。今ここにいるのは僕たちだけだけど、楓ちゃんが僕に向けてくれる言葉は、いつもより賑やかな星々にだって聞かせたくないからね。
「いいよ、今夜はくっついて寝ようね」
――作戦は、成功みたい。
「ちょっと……! もっと小さい声にして!」
え、普通の声の大きさだったんだけどな。でも、恥ずかしさで蒸気でも出しそうな勢いでぷんぷんしてる。早く宥めておかないと、あとで僕がおあずけを食らっちゃいそう。それは普通に困る。
「ごめん。空にも聞こえないくらいの内緒話にするから、機嫌直してよ」
僕はもう、今夜は楓ちゃんに抱き着いてもらって寝るつもりなんだから。