夜も涙も
*たびはじマンスリー企画9月から『月見』を選択
『月下航路事件』――HAMAツアーズ内でそんな呼び名がついたナイトクルーズプレ運航中に起きた集団睡眠も、子タろくんの発明による睡眠効果できっかり一時間眠ってた俺は〝可不可がナイトクルーズの船内サービスを思いつくきっかけになってよかった〟って結論づけることにした。雪にぃや七基くん、宗氏くん、琉衣くんには心配かけちゃったけど。
一時間だけとはいえ、たまってた疲れや肩こりが取れちゃうくらいにはぐっすり眠ったものだから、いつもの時間になっても眠気がなかなかやってきてくれない。
持ち帰ってる仕事に手をつけてもいいけど、どうしようかな。急ぎじゃないから今夜絶対にやらなきゃならないわけでもない。普段の俺なら、眠気がこないなら仕事をひとつでも片付けておこうってパソコンを開いちゃうんだけど、疲れが取れたばかりの日にそれをするのはもったいない気もするんだよね。でも、データはクラウドにあるし、わざわざパソコンをつけて本腰を入れなくても、スマホからちょっとだけ……。そう思ってスマホに手を伸ばしたタイミングで、画面がぱっと明るくなった。
〝起きてる?〟――可不可からのメッセージに、二重の意味でどきっとする。タイミングのよさと、あとは単純に、可不可からのメッセージだから。
既読マークもついちゃったし、起きてませんとも言えない。正直に〝まだ起きてるよ〟って返したら、俺の返信を待ってるあいだに追撃の文を打ってたのか、送信と同時に〝ちょっと出てこれない?〟ってきた。突然のお誘いに、部屋でひとりなのに「う」なんて声が出る。返事しないのも変だし、どきどきする自分を必死で宥めながら、いいよって返した。俺の部屋を出て廊下をぐるっと歩いた向こう側にある、共用スペースのベランダにいるらしい。
たったこれだけのやりとりで顔が熱くなること、可不可は知らないんだろうな。こっちからそれっぽいメッセージを送るときは文字を打っては消すのを何度も繰り返して、なんとか送ったあとはスマホを勢いよく伏せちゃう。俺が恥ずかしさで頭を抱えてるあいだに返事がきてることが多くて、しかも、返事の雰囲気は普通。可不可から「好きだよ」って言われて始まったのに、俺ばっかりどきどきしてるような気がする。
この時間に半袖Tシャツはさすがに冷えそうだから、クローゼットから適当に引っ掴んだパーカーを着た。頭のなかでこんなにわーわー騒いでても、ふたりきりの時間をちゃんとつくりたいくらいには、俺も可不可が好きなんだ。
二階のベランダは日中にシーツとかを干すのに使ってるくらいで、三階のバルコニーと違ってソファーもないから、夜はすごく静か。薄暗い廊下をぐるっと歩いて、ベランダに続く窓を静かに開けると、可不可がこっちを振り向いた。
恋人になってからそういうことも何回かしてるのに、可不可とふたりきりってだけで、俺の視線はあっちをきょろきょろ、こっちをきょろきょろ。顔が見たいくせに、照れが勝って、いつまで経っても慣れそうにない。慣れる日、くる? だって、今夜も、可不可が手を引いてベランダに連れ出してくれるまで動けなかった。
「船のスカイデッキから見た月がきれいだったのを思い出したんだ。でも、部屋からは見えないから」
可不可たちの部屋の窓は北向きだからね。建物のなかでは南側に位置する俺の部屋も、窓は東側だけだから、よっぽど身を乗り出さなきゃこの時間の月は見えにくい。
「ふたりきりで見たいなって。楓ちゃんがまだ起きててよかった」
手を繋がれた、しかも指先まで絡められちゃってる……って気付いたときには、可不可の体がぴったりとくっついてた。夜だけど、ちょうど月が真上に近付いてるここはちょっと明るくて、俺の部屋でこそこそ抱き合うとき以上に緊張する。
「ね、楓ちゃん」
いつの間にか、言葉にされなくてもキスされそうって雰囲気に気付けるようになった。でも、まだ、慣れない。ずっとどきどきして、どきどきし過ぎて、いつも泣きそうになる。
「……ここ、外だよ」
「誰も見てないよ。……それとも、月が見てるとか、かわいいこと考えた?」
「さすがにそこまでは、でも、そんなに暗くないから恥ずかしい……」
恥ずかしいのは本当だけど、せっかくふたりきりなんだし、キスくらいはしたい。それなのに、照れが勝って、すんなりと頷けないんだ。
「明るいから気になる? だったらなおのこと、予行演習したいな」
なんの? って聞く前にキスされて、だめじゃないけどまだいいとも言ってないのにって文句を言おうとしたら、その隙に舌が入ってきた。
「かふ、……っん」
俺の口のなかを俺本人より知ってますって感じで、好き勝手に舐られる。可不可から告白されたとき、初恋なんだって教えられた。俺も可不可が初めてだけど、なんで、どうして、俺ばっかりいつまで経っても余裕がないんだろう。
「も、まっ……て……」
キスが気持ちよくて立ってられない。へなへなと腰を抜かしてへたり込んで、ようやく、解放してもらえた。はぁっと大きく息をついたと同時に〝泣きそう〟から涙がこぼれる。どきどきし過ぎただけじゃない。
「ごめんね、調子に乗り過ぎた」
俺より平熱が低い可不可の、こんなときでもちょっとひんやりした指先に涙を拭われる。
「いつまで経っても慣れなくて……悔しい……」
キスでこんなにいっぱいいっぱいになるなんて、もっとすごいことしてるのにって呆れられちゃうかな。でも、俺は可不可とのあいだに恋人って関係が増えてからのなにもかもに、毎日、どうにかなりそうなんだよ。
「……僕が余裕そうに見えた?」
「違うの?」
恋人っぽい手の繋ぎ方も、キスとか、その先のこととかも、全部、可不可にリードされてばっかりだ。俺に「いい?」ってお伺いを立ててくれるときの顔がすごく好きで、頷くより先に見惚れちゃう。そうかと思えば、今みたいに、俺がいいよって言う前から迫ってくる。でも、そういうところにもどきどきするんだ。
「余裕なわけないでしょ。でも……もし、余裕そうに見えるんだとしたら、僕としては嬉しいかな」
「えぇ……いじわるだ……」
好きな子をいじめてよろこぶタイプじゃないんだけどって可不可が笑った。たくさんかわいがって、とことん甘やかしたいタイプだよって。――それはそれで照れる。今でもじゅうぶん過ぎるくらい甘やかされてるのに、これが今後もずっと続くってこと?
「だって、楓ちゃんに余裕がない証拠じゃない? それだけ、僕のことどんどん好きになってくれてるんだなーって、僕はそう受け取ったよ」
「そ、……れは、そうだけど、……だめだ、また恥ずかしくなってきちゃった……」
もう顔も上げてられない。これが部屋だったら、うずくまって頭を抱えてた。ベランダでそれは行儀が悪いから膝を抱えるに留めたけど。可不可が隣に座る気配がしても、そのまま頭を撫でられても、まだ、顔を上げるほどには立ち直れてない。
「ふたりきりになるとき、実はすっごく緊張してるんだ。手を繫ぐのだって、どきどきしてる」
「そんなふうに見えない……」
「まぁ、子どもの頃からずーっと、楓ちゃんのことが好きだったからね。キミにどきどきするのなんて、僕にとっては日常のひとつなんだよ」
座り込んだ体勢のまま、可不可に抱き着かれた。……本当だ、いつも俺の心が大騒ぎしててそれどころじゃないけど、こうやって説明されて落ち着いて意識を向けてみたら、可不可がすごくどきどきしてるのが伝わってくる。
「……隠すの、うま過ぎるよ。好きって気持ちだって、告白してくれたときまで隠してたし」
「そう? 僕はずっと、楓ちゃんへの好意を堂々と見せてきたつもりだけど」
そういえば、告白されたときも鈍いって言われたんだったっけ。むっとして顔を上げたら、むちゅって音を立ててキスをされた。
「……なんのキス?」
もしかして、俺が拗ねてるのをキスで絆そうとしてない?
「んー、楓ちゃんはかわいいねのキス。あとは、きれいな月の下でってロマンティックだなぁっていうキス。予行演習も兼ねてね」
「予行演習?」
さっきも言ってたよね。なんのことか訊く前にキスをされてこんな展開になったんだ。
今度の〝予行演習〟とやらのキスはわりとすぐ解放してもらえた。ちゃんと答えてもらわなきゃって勢いづく俺に対し、可不可の視線は、俺から、真上に辿り着いた月へと変わる。つられて、俺も、月を見上げた。
「せっかくなら、盛大に挙げたいし。そうしたら、最低でも数百人の前でキスしないとでしょ?」
「えっ」
可不可に鈍いって言われた俺でもさすがにわかる。え? どうしよう。また顔が熱い。それでなくても、今夜は目が冴えちゃってたのに――
「こんな時間にどきどきさせるの、ずるいよ」
「眠れなくなっちゃう? じゃあ、……」
――もしかして、可不可は初めからこうなるつもりで、俺のこと呼び出したのかな。
『月下航路事件』――HAMAツアーズ内でそんな呼び名がついたナイトクルーズプレ運航中に起きた集団睡眠も、子タろくんの発明による睡眠効果できっかり一時間眠ってた俺は〝可不可がナイトクルーズの船内サービスを思いつくきっかけになってよかった〟って結論づけることにした。雪にぃや七基くん、宗氏くん、琉衣くんには心配かけちゃったけど。
一時間だけとはいえ、たまってた疲れや肩こりが取れちゃうくらいにはぐっすり眠ったものだから、いつもの時間になっても眠気がなかなかやってきてくれない。
持ち帰ってる仕事に手をつけてもいいけど、どうしようかな。急ぎじゃないから今夜絶対にやらなきゃならないわけでもない。普段の俺なら、眠気がこないなら仕事をひとつでも片付けておこうってパソコンを開いちゃうんだけど、疲れが取れたばかりの日にそれをするのはもったいない気もするんだよね。でも、データはクラウドにあるし、わざわざパソコンをつけて本腰を入れなくても、スマホからちょっとだけ……。そう思ってスマホに手を伸ばしたタイミングで、画面がぱっと明るくなった。
〝起きてる?〟――可不可からのメッセージに、二重の意味でどきっとする。タイミングのよさと、あとは単純に、可不可からのメッセージだから。
既読マークもついちゃったし、起きてませんとも言えない。正直に〝まだ起きてるよ〟って返したら、俺の返信を待ってるあいだに追撃の文を打ってたのか、送信と同時に〝ちょっと出てこれない?〟ってきた。突然のお誘いに、部屋でひとりなのに「う」なんて声が出る。返事しないのも変だし、どきどきする自分を必死で宥めながら、いいよって返した。俺の部屋を出て廊下をぐるっと歩いた向こう側にある、共用スペースのベランダにいるらしい。
たったこれだけのやりとりで顔が熱くなること、可不可は知らないんだろうな。こっちからそれっぽいメッセージを送るときは文字を打っては消すのを何度も繰り返して、なんとか送ったあとはスマホを勢いよく伏せちゃう。俺が恥ずかしさで頭を抱えてるあいだに返事がきてることが多くて、しかも、返事の雰囲気は普通。可不可から「好きだよ」って言われて始まったのに、俺ばっかりどきどきしてるような気がする。
この時間に半袖Tシャツはさすがに冷えそうだから、クローゼットから適当に引っ掴んだパーカーを着た。頭のなかでこんなにわーわー騒いでても、ふたりきりの時間をちゃんとつくりたいくらいには、俺も可不可が好きなんだ。
二階のベランダは日中にシーツとかを干すのに使ってるくらいで、三階のバルコニーと違ってソファーもないから、夜はすごく静か。薄暗い廊下をぐるっと歩いて、ベランダに続く窓を静かに開けると、可不可がこっちを振り向いた。
恋人になってからそういうことも何回かしてるのに、可不可とふたりきりってだけで、俺の視線はあっちをきょろきょろ、こっちをきょろきょろ。顔が見たいくせに、照れが勝って、いつまで経っても慣れそうにない。慣れる日、くる? だって、今夜も、可不可が手を引いてベランダに連れ出してくれるまで動けなかった。
「船のスカイデッキから見た月がきれいだったのを思い出したんだ。でも、部屋からは見えないから」
可不可たちの部屋の窓は北向きだからね。建物のなかでは南側に位置する俺の部屋も、窓は東側だけだから、よっぽど身を乗り出さなきゃこの時間の月は見えにくい。
「ふたりきりで見たいなって。楓ちゃんがまだ起きててよかった」
手を繋がれた、しかも指先まで絡められちゃってる……って気付いたときには、可不可の体がぴったりとくっついてた。夜だけど、ちょうど月が真上に近付いてるここはちょっと明るくて、俺の部屋でこそこそ抱き合うとき以上に緊張する。
「ね、楓ちゃん」
いつの間にか、言葉にされなくてもキスされそうって雰囲気に気付けるようになった。でも、まだ、慣れない。ずっとどきどきして、どきどきし過ぎて、いつも泣きそうになる。
「……ここ、外だよ」
「誰も見てないよ。……それとも、月が見てるとか、かわいいこと考えた?」
「さすがにそこまでは、でも、そんなに暗くないから恥ずかしい……」
恥ずかしいのは本当だけど、せっかくふたりきりなんだし、キスくらいはしたい。それなのに、照れが勝って、すんなりと頷けないんだ。
「明るいから気になる? だったらなおのこと、予行演習したいな」
なんの? って聞く前にキスされて、だめじゃないけどまだいいとも言ってないのにって文句を言おうとしたら、その隙に舌が入ってきた。
「かふ、……っん」
俺の口のなかを俺本人より知ってますって感じで、好き勝手に舐られる。可不可から告白されたとき、初恋なんだって教えられた。俺も可不可が初めてだけど、なんで、どうして、俺ばっかりいつまで経っても余裕がないんだろう。
「も、まっ……て……」
キスが気持ちよくて立ってられない。へなへなと腰を抜かしてへたり込んで、ようやく、解放してもらえた。はぁっと大きく息をついたと同時に〝泣きそう〟から涙がこぼれる。どきどきし過ぎただけじゃない。
「ごめんね、調子に乗り過ぎた」
俺より平熱が低い可不可の、こんなときでもちょっとひんやりした指先に涙を拭われる。
「いつまで経っても慣れなくて……悔しい……」
キスでこんなにいっぱいいっぱいになるなんて、もっとすごいことしてるのにって呆れられちゃうかな。でも、俺は可不可とのあいだに恋人って関係が増えてからのなにもかもに、毎日、どうにかなりそうなんだよ。
「……僕が余裕そうに見えた?」
「違うの?」
恋人っぽい手の繋ぎ方も、キスとか、その先のこととかも、全部、可不可にリードされてばっかりだ。俺に「いい?」ってお伺いを立ててくれるときの顔がすごく好きで、頷くより先に見惚れちゃう。そうかと思えば、今みたいに、俺がいいよって言う前から迫ってくる。でも、そういうところにもどきどきするんだ。
「余裕なわけないでしょ。でも……もし、余裕そうに見えるんだとしたら、僕としては嬉しいかな」
「えぇ……いじわるだ……」
好きな子をいじめてよろこぶタイプじゃないんだけどって可不可が笑った。たくさんかわいがって、とことん甘やかしたいタイプだよって。――それはそれで照れる。今でもじゅうぶん過ぎるくらい甘やかされてるのに、これが今後もずっと続くってこと?
「だって、楓ちゃんに余裕がない証拠じゃない? それだけ、僕のことどんどん好きになってくれてるんだなーって、僕はそう受け取ったよ」
「そ、……れは、そうだけど、……だめだ、また恥ずかしくなってきちゃった……」
もう顔も上げてられない。これが部屋だったら、うずくまって頭を抱えてた。ベランダでそれは行儀が悪いから膝を抱えるに留めたけど。可不可が隣に座る気配がしても、そのまま頭を撫でられても、まだ、顔を上げるほどには立ち直れてない。
「ふたりきりになるとき、実はすっごく緊張してるんだ。手を繫ぐのだって、どきどきしてる」
「そんなふうに見えない……」
「まぁ、子どもの頃からずーっと、楓ちゃんのことが好きだったからね。キミにどきどきするのなんて、僕にとっては日常のひとつなんだよ」
座り込んだ体勢のまま、可不可に抱き着かれた。……本当だ、いつも俺の心が大騒ぎしててそれどころじゃないけど、こうやって説明されて落ち着いて意識を向けてみたら、可不可がすごくどきどきしてるのが伝わってくる。
「……隠すの、うま過ぎるよ。好きって気持ちだって、告白してくれたときまで隠してたし」
「そう? 僕はずっと、楓ちゃんへの好意を堂々と見せてきたつもりだけど」
そういえば、告白されたときも鈍いって言われたんだったっけ。むっとして顔を上げたら、むちゅって音を立ててキスをされた。
「……なんのキス?」
もしかして、俺が拗ねてるのをキスで絆そうとしてない?
「んー、楓ちゃんはかわいいねのキス。あとは、きれいな月の下でってロマンティックだなぁっていうキス。予行演習も兼ねてね」
「予行演習?」
さっきも言ってたよね。なんのことか訊く前にキスをされてこんな展開になったんだ。
今度の〝予行演習〟とやらのキスはわりとすぐ解放してもらえた。ちゃんと答えてもらわなきゃって勢いづく俺に対し、可不可の視線は、俺から、真上に辿り着いた月へと変わる。つられて、俺も、月を見上げた。
「せっかくなら、盛大に挙げたいし。そうしたら、最低でも数百人の前でキスしないとでしょ?」
「えっ」
可不可に鈍いって言われた俺でもさすがにわかる。え? どうしよう。また顔が熱い。それでなくても、今夜は目が冴えちゃってたのに――
「こんな時間にどきどきさせるの、ずるいよ」
「眠れなくなっちゃう? じゃあ、……」
――もしかして、可不可は初めからこうなるつもりで、俺のこと呼び出したのかな。