私の可愛いスーパースター
*ひらいて赤ブータグ用に書いていた〝匿名アカウントでひらいて赤ブータグを使う一織〟というネタ
毎月、月初めになるとSNSに流れる言葉がある。
『アイ○リ○シュ○ブンの○泉1織×7瀬○オンリー希望! ♯ひら△▽□ブー』
エゴサーチされることを懸念してか、グループ名や二人の名前は一部が伏せられているものの、普段から自分たちに対する評判を細かく分析しているパーフェクト高校生・和泉一織の手にかかれば、伏せ字などないも同然。伏せ字箇所をすべてのパターンで組み合わせ、日頃からエゴサーチに励んでいる。
(また今月も……月初めになると、特定のハッシュタグとともに私と七瀬さんの組み合わせを求める声が増えている)
一体なんなのだろうと気になった一織は、詳しく調べることにした。
その結果、一織は〝ナマモノ〟の二次創作というものを知ってしまった。ファンの中には創作をすることで愛情を表現する者もいるとナギから聞いたことがあるが、まさかここまでとは。乗算記号より前に名前があるほうが攻め、あとにあるほうが受けという表記をする文化も、インターネットで知った。
デビュー前から、一織と陸の二人が好きだというファンの声は耳にしていたし、ファンサイトがあることも知っている。しかし、二次創作の題材にされていることまでは、今日まで知らなかった。
(そんなに……あからさまだっただろうか)
直近のライブや出演番組での自身の言動を振り返る。陸に対する好意を悟られることのないよう、自分は常に慎重に振る舞っていたはずだ。メンバーにだって、この気持ちは知られていないと思う。
それにしても……と、一織は『いおりく』という略称でSNSを検索する。これも、インターネットで得た知識で、自分が攻め……つまり、一織が陸を抱くカップリングの略称だ。日夜、たくさんのファンが、自分と陸が想い合うことを望んで語らっている。その世界の、なんと尊いことか。
一織は匿名でSNSアカウントを作成し、絶対に和泉一織だとわからないような愛らしいアイコンとヘッダー画像を設定した。同人イベント主催会社のアカウントをフォローして、既に投稿されている文面を参考に、自分も同じような文面を作成する。当該カップリングが苦手な者はカップリング略称をミュートワードに設定しているであろうことから、敢えてカップリング略称も入れてみるという徹底ぶりだ。なにせパーフェクト高校生なので、これくらいは朝飯前である。
(……よし、これでいい)
ほんの少しの緊張とともに、送信ボタンをクリックした。
◇
年末年始のテレビ業界は慌ただしく、二時間以上の特別番組が組まれることが多い。音楽番組だけでなくバラエティ番組でもスケジュールがびっしりと埋まっていて、その多忙さから、強化週間を失念してしまうところだった。前もって思い出せたのは、前回、件のイベント主催会社のSNSアカウントをフォローしてあったからだ。
そのイベント主催会社のアカウントをフォローするにあたり、一織はアカウントの保有者が和泉一織だと絶対に推測されないように〝ゆめかわ〟な雰囲気のアカウントを新たに作成した。フリー素材を配布しているウェブサイトから〝映える〟ケーキの写真を拝借して、ヘッダー画像に設定。アイコンはパソコンのペイントツールで二色のハートを並べたものを自作した。青と赤、ハートの色にこだわった作品だ。
前回の投稿は一ヶ月前。誤爆しないよう、スマートフォンからはそのアカウントにログインしないことに決めた。寮の自室にあるパソコンから、普段は使用しないブラウザで、閲覧履歴の残らないプライベートウインドウで、そのアカウントにログインする。ちなみに、うさみみフレンズの情報を追う時にも、この手を使っている。
ここで重要なのは、知識を深めたからといって、いわゆる腐男子というカテゴリに一織が該当したわけではないということだ。和泉一織×七瀬陸のオンリーイベントを開催してほしいと熱心に投稿するファンたち。彼ら、彼女らの熱意に感銘を受け、共感した以上、自分も応援する必要がある。応援するには、対象のものをしっかりと把握しておかなければならない。そういう意図で、一織は〝いおりく〟の世界に触れているのだ。
今月の集計強化期間は一月一日から一月七日。どうやら、今月からはそのイベント主催会社のSNSアカウントをフォローしていなくても集計対象になるというルールに変わったようだが、動向は追っておくに越したことはない。そのための匿名アカウントだ。
一月七日の文字を見て、いつだったか、陸が「一月七日って、一と七があるから、一織とオレの日だな!」と笑っていたことを思い出す。なにをつまらないことをと適当にあしらってしまったが、きらきらとした笑顔で「一織とオレの日!」と教えてくれる陸は非常に愛らしかった。思い出すだけで頬がゆるんでしまい、慌てて咳払いをして表情を引き締めた。
どうか、和泉一織×七瀬陸のカップリングプチオンリーが開催されますようにと願いを込めながら、一織は指定されたハッシュタグをつけて、前回と同じ投稿文をしたためた。
◇
アイドルが月替りでパーソナリティーをつとめる『RADIO STATION "Twelve Hits!"』企画、今月は大和の番だ。なにをリクエストしてやろうかという話題がちらほら出始めている。先月、一織がトップバッターとしてパーソナリティーをつとめた時には、ラジオを聴いた陸から「オレのリクエストじゃなかった!」と膨れっ面をされたのだが、十一人が書いたリクエストの中で放送中に読まれる確率は十一分の二、約十八パーセントの可能性なのだから、読まれなくて当然くらいに思ってほしい。
それでも、皆、いかに自分のリクエストを読んでもらおうかと躍起になっている。大和の誕生日といえばバレンタイン。IDOLiSH7も男性アイドルである以上、その日が近付けば、事務所宛にファンからのプレゼントが届くことだろう。
一織個人としては、バレンタインそのものに特筆すべき思い出はない。クラスメイトや以前の学校の生徒会メンバーからチョコレート菓子を贈られたことはあったものの、実家の菓子に勝るものはないと失礼なことを思っていたし、なんとかして兄の夢を叶えたいという目標があったから、自分のことは二の次であった。
それが、今年のバレンタインは違う。七瀬陸をスーパースターにするという目標が追加されたこともあって、以前に比べると、陸のことを考えるようになった。もし、誰かからバレンタインのプレゼントとともに愛の言葉を贈られたら、彼はどんな表情をするのだろう。気持ちに応える応えないは別として、素直な彼のことだから、頬を染めて、ありがとうと笑顔を見せるのだろうか。……想像しただけで嫉妬してしまいそうだ。
一織は溜息をつくと、久しぶりに、匿名のアカウントでSNSを開いた。これは一織と陸が仲睦まじくすることを応援するファンの動向を探るためのもので、生年月日も名前も架空のものに設定し、女性と思われるようなアイコンにしてある。一織にとって、この時間は貴重な癒やしであった。好きな相手で癒やされてみたいと思うものの、片想いの自分はどうしても緊張が勝ってしまって、癒やされるどころではないからだ。
(こちらもバレンタインの話題で持ちきり……やはり恋愛における季節イベントの比重は大きいということか……)
海外では男から贈ることも多いと聞く。だから、実家の菓子だと言って一織から陸にプレゼントするのもありだ。しかし、できることなら、陸からも贈られたい。危なっかしいから手づくりはしなくていい。彼が選んだものなら、それが数十円の手のひらサイズのチョコレートであっても、一織の実家の菓子よりもおいしいものになるから。
〝いおりく〟を好む者たちが語らう二人のバレンタインは、どれもこれも甘酸っぱい。一体どうすれば、現実の自分も陸からこんなふうに笑いかけてもらえるのだろう。
(……と、浸っている場合じゃなかった)
月に一回の恒例行事、指定のタグをつけて投稿するために、わざわざ普段使わないブラウザのプライベートウインドウを開いて、匿名アカウントでログインしたSNSを開いたのだから。
「何度願えば、これも現実になるんでしょうね……」
一織は今月も、お決まりの文章を投稿した。
◇
ことの発端は、SNS上でIDOLiSH7の評判を探るため、エゴサーチをしていた時のこと。大抵は〝IDOLiSH7〟や〝アイドリッシュセブン〟または〝アイナナ〟で検索すればヒットするのだが、好意にしろそうでないにしろ、エゴサーチされることを懸念してオブラートに包んだ表現になっている可能性が考えられる。
一織としては、深く突っ込んだ本音を探りたい。たとえ心ない言葉を目にすることになっても、それに傷付いて塞ぎ込む自分ではない。これがアイドルならば、エゴサーチはほどほどにするべきなのだろうが、一織は秘かにIDOLiSH7及び七瀬陸の売り出し方に一枚噛んでいる人物である。誰が呼んだか〝パーフェクト高校生〟の名に懸けて、世間の本音を把握しておかなければならない。
ともあれ、そういった事情から、考え得る伏せ字・隠語の組み合わせを駆使して辿り着いたのが〝ナマモノ〟と呼ばれる世界。見目の整った自分たちの絡みを恋愛のあれそれと結び付けて喜ぶ層がいるという事実。一織は、自分と陸の絡みを喜び、ファン活動の一環としてイラストや漫画、小説、販売されたぬいぐるみに着せる服などのグッズ、イメージアクセサリーをつくっている者たちがいること、そして、それらを頒布する集まりが定期的におこなわれていることを知ってしまった。毎月、月初めになるとSNSのハッシュタグを使った投稿が増える理由も、すべて、把握している。
一織は賢い男だから、彼ら・彼女らが本家本元である自分たちに悟られないよう必死に伏せ字や隠語を使ってやりとりしていることも理解している。そこに水を差して意欲を萎えさせるわけにはいかない。創作に時間を割くほど自分たちに情熱を注いでくれているファンの存在をありがたく思いつつ、秘かに想いを寄せる陸と実際にこうなれたらどんなにいいことかと歯噛みする日々を送っている。
残念ながら、今のところは、開催されるという情報はないようだが、毎月のハッシュタグで〝いおりくオンリー〟を求める声は着実に増えている。
過去の情報を探ったところ、SNS上で大々的な告知がなされることは少なく、開催スケジュール一覧にいつの間にか追加されているのを見つけるケースが多いこと、開催スケジュールへの掲載から開催日まで最短でも半年弱の猶予が設けられているようだということがわかった。SNS上だけを見れば、皆が知るのは、告知用のイラストが公開されたことを告げる投稿がきっかけであることが多いらしい。
決してIDOLiSH7の和泉一織だと悟られないように用意した匿名のSNSアカウントで毎月初めのハッシュタグ企画に参加し、イベント主催企業のウェブサイトに開催決定の文字が秘かに追加されていないかを毎日のように観察している。
「……今からなら、秋頃がちょうどいいんじゃないですかね」
「なにが?」
「ひっ」
驚きつつも、手許の動きは素早い。ショートカットキーでさりげなくブラウザを最小化させ、逸る鼓動を抑えながら、声の主へと向き直った。
「……部屋に入る時はノックしてもらえますか」
「そんな言い方しなくても……何回もノックしたのに、気付かない一織が悪いんだろ」
あぁ、この表情だ。一織は「かわいい」と言ってしまいそうなのをぐっと我慢する。口を開けば本音が出てしまいそうだ。しかし、ノックに気付かなかったことを詫びるでもなく押し黙っていることを快く思わなかったのか、はたまた、一織が怒っていると思ったのか、陸はむっと唇を尖らせた。
「おまえ、最近オレになにか隠してない? よそよそしい気がする。目が合ったと思ったらそっぽ向くし」
それはあなたを意識し過ぎてしまっているんです。――なんて、言えるはずもなく。
「今だって、気付かなかったのは一織のほうなのに、怒りだしてさ」
「それは……すみません」
なんだか雲行きが怪しい。そう思った時には既に遅く。
「いいよ、もう。日曜のことで相談したかったけど、今はおまえと話したくない。お邪魔しました!」
「七瀬さ」
一織が呼び止めるのも聞かず、陸はずんずんと大股で歩いて部屋を出ると、音を立ててドアを閉めた。ばたん! という音が、ドアの音だけでなく、陸が拒絶する音のように聞こえたのは、気のせいだろうか。
一織らしくもなく、椅子の背にずるずると凭れる。だらりと腕を伸ばし、最小化させていたブラウザを前面に表示させた。これを済ませたら、謝りに行こう。
ブラウザに表示されているのは、プライベートウインドウで開いた、匿名のSNSアカウント投稿欄。文字は既に入力済みだ。一織は力なく、送信ボタンをクリックした。
◇
パソコンを睨み付けながら、一織は大きな溜息をついた。
(おかしい……毎月多くの人間が求めているにもかかわらず、一向に開催の報がこないなんて)
一織が言っているのは、SNS上で毎月上旬に開催されるハッシュタグのことだ。特定のハッシュタグとともに自分と陸の組み合わせを求める投稿が増えることに気付いた一織は、そのハッシュタグの内容を調べ、いわゆる〝ナマモノ〟と言われる世界があることを知ってしまった。ここで「そんな妄想をするなんて」と非難の情が湧かなかったのは、一織が陸に想いを寄せているからだ。現実には叶いそうにないこの気持ちが、彼ら、彼女らの頭の中では叶えられている。そのことに感銘を受けたし、応援したいと思った。
そして、その企画は、投稿件数だけではなくその投稿がシェアされた件数もカウントに入ることから、同じものを好む仲間たちは互いにシェアしているとも学んだ。
食い入るように画面を見ていたことに気付き、休憩がてら、椅子の背もたれに体重を預ける。眉間をマッサージすると気持ちよかったから、きっと、目が疲れているのだろう。
需要があるのに供給がない。求められればパフォーマンスで応えるアイドルとしては、理解しがたいことだった。もちろん、一織だって、求められたことすべてに応えることはできない。アイドルとしてのイメージ、IDOLiSH7の路線から大きく逸脱したパフォーマンスはできないからだ。しかし、イベントを開催してほしいという需要はどうだろう。なにかのイメージを損ねる危険性を孕んでいるのか? 答えはNOだ。現に、一織×陸以外の組み合わせ(いわゆるナマモノも含む)は要望に応えているではないか。
(採算か……?)
実際のところはわからないが、望む声が常にあるのだから、応えてやってほしい。一織がアイドルでなければ、パーフェクト高校生としてこの企業に進言していたところだというところまで考えて、そもそも自分たちがアイドルでなかったら、一織と陸のカップリングを妄想する人間は存在しないことに気付き、思考が行き詰っていることを実感する。
キッチンへ行って、あたたかい飲みものでも淹れよう。いつもは背伸びしたいという理由で飲むブラックコーヒーだが、今日は苦味で頭を切り替えたいという目的で選ぼう。
(そういえば、七瀬さんはどうしているだろうか)
自室を出てすぐ、隣室のドアに視線を遣る。しんと静まり返った廊下では、陸の様子を探ることはできない。
(……一人ぶん用意するのも、二人ぶん用意するのも、変わらないだろう)
自分にそう言いわけをし、キッチンへ向かおうとしていた足を陸の自室へと向けた。
軽いノックを二回、ほどなくして「はぁい」と間延びした返事が聞こえる。
「七瀬さん、お時間があるようでしたら……お邪魔でしたか」
部屋の壁際に置かれたクッションに身体をもたれさせ、なにやら本を読んでいる。
「ううん、いいよ」
栞紐を挟み込み、読みかけの本はあっけなく閉じられてしまった。一織自身は読書を中断することをあまり好まないのだが、陸はいつもこうして読書を中断させ、話しかけてきた者に向き合ってくれる。
「飲みものでも淹れようかと思いまして。いりますか?」
その言葉にぱぁっと顔を輝かせた陸から「いる!」と明るい答えが返ってきた。その場に花が咲いたような錯覚に陥る。返答ひとつとっても、こんなにかわいいなんて。
そう、自分たちは喧嘩もするけれど、基本的には仲良くできているほうだ。だから、水面下で自分たちの組み合わせを求める声があってもおかしくない。あの企業には、是非とも、需要に応えてやってほしい。
二人でのんびりと穏やかな時間を過ごし、彼を愛しく想う気持ちで満たされたら、あとでこっそり投稿しておこう。
◇
朝晩の冷え込みが穏やかになってきたところで、時代は平成から令和へ。昨晩は、まるで大晦日から元旦への年越しムードのような盛り上がりだったなと、SNSのトレンド情報をチェックしながら思いを巡らせる。
IDOLiSH7の面々もご多分に漏れず、昨日の夕食はいつもの蕎麦屋に注文した天麩羅蕎麦を食べた。大和が「蕎麦って……大晦日じゃないんだから」と笑っていたが、楽によく似た配達員曰く、昨日は蕎麦の注文が殺到したらしい。自分たちはいつも出前でしかその店の蕎麦を食べていないのだが、都合がつけば店に食べに行きたいなと思う。ラーメンには煮卵、蕎麦には天麩羅、それが一織の好きな組み合わせだ。
月が変わったということは、SNS上の一部で盛り上がりを見せているあのハッシュタグの時期だ。普段は使用することのないブラウザを起動させ、年齢も性別も偽った匿名のSNSアカウントでログインする。毎月一日になればイベント主催企業の公式アカウントが集計強化期間の告知をするのだが、今回それがないのは世間が祝日だからだろうか。
(なるほど、この企業は例年五月上旬に大規模なイベントを開催しているのか……)
もしかすると、そちらの準備で多忙なのかもしれない。集計強化期間の告知はないものの、ためしに指定のハッシュタグで投稿を検索したところ、まだ一日になったばかりだというのに、熱心な者たちによる、開催を願う声が多く投稿されていることがわかった。きっと、彼ら、彼女らの頭の中では、月が変われば集計強化期間だとインプットされているのだろう。一織が聞いたこともない――恐らく、ナギなら知っている――漫画のタイトルを伏せ字にしたものや、一織と陸以外のアイドルをカップリングにしていると思われる伏せ字の投稿もある。投稿がシェアされた数も集計に入ることから、シェアに至るきっかけとなるよう――平たくいえば目に留まりやすいよう――イラストやショートストーリーを添えているものも多い。そうすることで〝みずからハッシュタグをつけて投稿するまで深入りしているわけではないが、開催されるよう応援したいからシェアしよう〟という気持ちを第三者に抱かせる効果があるのかもしれない。
その中には、毎月同じ設定で書き下ろしたらしいショートストーリーを添えて〝アイド○ッシュセ○ンの和泉1織×7瀬陸のプチオンリーお願いします!〟と投稿しているアカウントがある。
一織がSNS巡回中にハッシュタグの存在を知ってしまい、そこから一織と陸のカップリングを好む層がいることまで突き止めてしまったという設定だ。その投稿主は実際に開催が決定したあかつきには、その連載を本にまとめて頒布しようと考えているらしい。
(できれば、そういった〝メタ発言〟のものではなく、私と七瀬さんが仲睦まじく……)
そこまで考えて、なにを考えているんだと我に返る。いくら、自分が陸に抱いている気持ちを実際には伝えるつもりはないからといって、想像の世界で結ばれてほしいと考えるなど。
(そんなの……虚しいだけではないだろうか……)
現実では結ばれていないのに、他者の想像の中でだけ結ばれる関係だなんて。
(…………なら)
それなら、実際に自分たちが結ばれたら、そういった想像の世界で結ばれているのを見ても、虚しくならないのでは?
それはつまり、自分の気持ちを陸に打ち明け、陸にも同じ気持ちを返してもらうということ。アイドル同士で、同性で、未成年。戸惑う理由しかない。しかし、一織は常々、自分のこの想いが叶わないまま、そう遠くない未来、陸の隣に誰かが並ぶ日がくるのだろうかと想像しては胸を掻きむしりたいような衝動に駆られているのだ。陸のことは、自分がもっとも理解している。それなのに、他の誰かが隣に並んで、陸はその相手に弱さも、醜さもさらけ出せるのだろうか。さらけ出したとして、相手は陸のすべてを受け入れられるのだろうか。自分ほど、陸に寄り添える人間などいないという自信があるのに?
(いや、だめだ。もっと慎重に考えなければ)
SNS上に流れる特定のハッシュタグで一織と陸のカップリングを好む層がいること、そしてそれらを作品にして発表している場があること。それらを眺めながら陸のことを考えていると、いっそ想いを告げてしまってもいいのではという気持ちになってしまう。
今月も指定の投稿を済ませて、一ヶ月、じっくり考えなければならない。一織はゆるゆると溜息をつくと、静かにキーボードの上に指をのせた。
◇
今月も毎月の恒例行事がやってきた。先月はイベント主催会社の告知投稿はなかったものの、いつも通り集計はおこなわれていたらしい。なんでも、大規模なイベント前だったため告知を控えたのだとか。まったくもって油断ならない。今回は閑散期なのか、月が変わって早々に告知投稿がなされ、一織も〝ゆめかわ〟なアイコンを設定した匿名アカウントでその様子を見守っている。――と、そこに、衝撃の情報が飛び込んできた。
〝開催したいものの、告知イラストを依頼できる人物がいなかったために、開催候補から消えたものも過去にあった〟
一織は瞠目し、しかし、すぐに「いや」と呟く。一織が見守っている一織×陸には美しいイラストを描く者が何名もいるではないか。それも、恐らくは引き受けてくれそうな人物ばかりだ。
イベント主催会社のいわゆる〝中の人〟の個人アカウントから投稿された文章に動揺してしまったが、この情報は杞憂に終わることだろう。
(数日前には、最近のイベントでは1SPしか参加サークルがいなかったが開催決定の報せがあったという投稿も目にした……)
一織にはSPがスペースの略であることはわからなかったのだが、文脈からなんとなくオンリーワンだったのだろうと理解している。パーフェクト高校生にとっては、文脈から事情を察することくらい、赤子の手を捻るようなものだ。
しかし、先の情報によって、なんとしても開催してほしいと願う層が湧き立ったのは確かだ。事実、例のハッシュタグで検索すると、これまでよりも投稿文に熱意がこもったものが増えている。目立つように自身の作品を添えるもの、投稿時の文字制限ぎりぎりまで熱意を語る者……感嘆符や、頭を下げる絵文字も多いように思う。中には、月初めになると〝皆で協力し合ってシェア数を伸ばそう〟と呼びかける者もいるではないか。投稿にハートマークをつけるだけでは集計に含まれない、純粋な投稿数と、SNS内でのシェア数がものをいう世界だと説明するアカウントもあった。同じ趣味をもつ者が加担しやすいよう、ハッシュタグの利用者は月を追うごとに学習しているのだ。
(毎月これだけの声があるにもかかわらず、どうして結果に結びつかないのか……)
いくらパーフェクト高校生でも、イベント主催会社の判断基準は汲み取ることができない。くっと歯噛みしながら、キーボードに指をのせて滑らかな動きで恒例の文字を入力した。
自身の入力した文面が無事に投稿されたことを確認すると、手指を組んで両腕をぐっと伸ばしながら背もたれに体重を預ける。指がぱきぱきと小気味いい音を立てるのを、目を閉じて聞きながら、そのまま、首を反らせた。この件だけでなく、日頃から小さな文字列を目で追ってばかりだ。十七歳の健康な男といえど、目の疲れや肩こりを感じることはある。明日の授業にそなえた予習は済ませたし……と、反らせていた上体を元に戻して、SNSアカウントからのログアウトを済ませると、開いていたブラウザを閉じた。
親指と人差し指で眉間のあたりを揉み込みながら、今度は文書ファイルを開いた。
(あと一ヶ月と少しか……)
七月には野球場を使った大きなライブが、そして、その直後に陸の誕生日がある。ラジオ企画『RADIO STATION "Twelve Hits!"』も、陸の番が近い。同時期にTRIGGERの九条天も収録するとのことで、リクエストを二人ぶん考えなければならない。六月を担当するナギに向けたリクエストの締切も迫っている。ライブに向けたレッスンが本格的になるこの時期は、一織にとって、一年の中で二番目――年末の『BLACK or WHITE』の次くらい――に忙しい。
陸は日頃からラジオの仕事をしているから、さほど緊張はしないだろう。問題は、話しながら脱線しないかということだ。
そこまで考えて、普段の陸とナギのラジオを思い出し、笑みがこぼれる。ナギが不在の時は自分が代わりに出演し、しっかりとした番組進行をするようにと話したのだが、ナギが戻ってきてからはまたいつも通りの、脱線することが当たり前な番組に戻っている。
それでも、ナギが戻ってきてくれて、本当によかった。一織が出演した回も、陸は楽しそうにしていたが、あの番組は陸とナギのものだ。だからこそ、リスナーも安心して聴いていられるに違いない。IDOLiSH7は、誰か一人でも欠けてはだめだ。今回、ナギが一時的に不在となったことで、その思いはますます強くなった。これからも七人で活動し、そして、七瀬陸を誰よりも高みへ、スーパースターへ。立ち止まっている余裕はない。だからといって、がむしゃらに突き進むだけでもいけない。願いを叶えるにあたっては、戦略は必要不可欠だ。少なくとも、一織はそう考える男である。
◇
一織は自室で一人、小さくガッツポーズをしていた。
なんと、去る二〇一九年六月二十六日、ついに悲願が達成されたのだ。イベント主催会社のウェブサイト上に並ぶ『祝・開催決定! 和泉一織×七瀬陸プチ』の文字を何度も確かめ、ディスプレイを指でなぞった。都合のいい夢だったら困るからと、一晩眠って翌朝も確かめたが、そこには変わらず、開催決定の文字が踊っていた。夢ではない、現実だ。
(非常に喜ばしいことだ。この方たちの夢が叶ったのと同様、私たちIDOLiSH7がもっと高みへ……そして七瀬さんをスーパースターにするという、私と七瀬さんの目標も叶えられるよう、邁進しなければ)
秘かに応援していた人たちの夢が叶うと、自分も頑張らなければという気持ちになる。
まるで、互いに切磋琢磨しようというライバルのようだ。一織は安堵の息を漏らすと、年齢も性別も偽りのプロフィールに設定した、SNSの匿名アカウントからログアウトした。夢が叶ったのだから、自分の出る幕はない。一織はそう判断し、七瀬陸をスーパースターにするための計画を綴ったノートを開いた。
◇
「私の可愛いスーパースター……?」
七月の大きなライブを終えて三週間あまり。寮内のカレンダーも、すべて八月に変わった。ありがたいことに今月もIDOLiSH7は忙しい。出演した番組の反応を見ようと、いつも通りエゴサーチに励んでいたところ、やけに〝スーパースター〟の文字が目についた。
――一織の心の声だだ漏れ。
しかも、スーパースターの文字とともにそんな感想まで添えられている。
(どういうことだ……?)
日夜秘かにノートにまとめている、七瀬陸をスーパースターにする計画がファンにまでばれてしまったのだろうか? 陸が天と言い争った時に他のメンバーの前で言わされているから、一織が陸をスーパースターにしてみせるという目標を持っていることは二人だけの秘密ではなくなっているのだが……。それとも、自分の不注意で九条鷹匡にノートを見られたことがある。まさか、彼が今更になってその情報を世間に流したとでもいうのだろうか? 冷や汗を流しながら、一織は情報元を探った。
「これか……」
ほどなくして辿り着いた情報元に脱力する。よかった、自分が七瀬陸をスーパースターにしようと誓っていることがファンにまで筒抜けたわけではなかった。
ブラウザが表示している『私の可愛いスーパースター アイドリッシュセブン 和泉一織×七瀬陸プチ』の文字。イベントタイトルが決定したことが、SNS上で話題になっていたらしい。
一織はおよそ二ヶ月ぶりに、匿名アカウントでSNSにログインした。喜ぶ声に同調したいからだ。頬をゆるませて投稿を目で追っていると、早くも、第二弾の開催を望むリクエストが例のハッシュタグ付きで投稿されている。なるほど、一度は偶然、二度は必然ともいう。盛り上がっているなら第二弾を望むのも当然のことだ。
久しぶりの投稿だから失敗しないようにと最新の注意を払い、二ヶ月前の自身の投稿を参考にして、開催を望む投稿文をしたためた。
◇
あの頃は、誰かの夢を応援することが自分の生きがいだった。兄や陸を応援するのと同じような気持ちで、架空のプロフィールで作成したSNSアカウントでこっそり便乗したのも、投稿のひたむきさに胸を打たれたからだ。しかし、開催が決定し、イベント名称が発表された日に記念の意味を込めて第二回開催を望む投稿をしたのを最後に、一織は匿名アカウントを抹消している。件のイベントは、その後、日本中を――否、世界中を混乱に陥れた疫病が原因で、延期を余儀なくされたらしい。延期に心折れることがなければいいがと祈るばかりだ。
ライブが中止になったり、番組出演がリモート環境になったりと、IDOLiSH7結成当初に一織が思い描いた〝七瀬陸をスーパースターにする計画〟にも、わずかに影響が出てしまった。しかし、ここで心折れるわけにはいかないからと、軌道修正をしている。
メールで依頼されたインタビューに答えなければとタブレット端末を起動させたタイミングで、リビングのドアが開き、陸がひょいと顔を覗かせた。
「おはよう、一織。その……寝坊しちゃってごめん」
現在の時刻は十時半。オフとはいえ、起きてくるのが遅い。
「たまにはいいんじゃないですか。というか、そうなるだろうなというのは昨晩の様子でわかっていましたから。別に怒っていませんよ」
昨晩という言葉に、陸の頬がぽっと赤くなる。
「……一織のエッチ」
去る一月、一織は誕生日当日に、陸から恋心を打ち明けられた。そして、一織と環の高校卒業を機に七人全員が寮を出ることになり、先月から、事務所の近くで、ともに暮らしている。オフだからと陸が甘えてきて、昨晩はたいそう盛り上がったものだ。
「ちょっと、思い出さないでくださいよ。恥ずかしい人だな」
「思い出してるのは一織のほうだろ……って、だめだ、喧嘩したいわけじゃない」
ピリッとしたらハグ。――陸はそう言って、一織にぎゅうっとしがみついてきた。寝ぐせだらけの気の抜けた顔もじゅうぶんかわいいのに、こんなにかわいいことをされて、一織はぐうの音も出ない。それに、昨晩の様子を思い出すなというのは無理な話だ。
(本当に、かわいい人だな)
七瀬陸。ステージの上では皆のアイドル。でも、二人きりの時は、一織だけのかわいいスーパースターだ。
毎月、月初めになるとSNSに流れる言葉がある。
『アイ○リ○シュ○ブンの○泉1織×7瀬○オンリー希望! ♯ひら△▽□ブー』
エゴサーチされることを懸念してか、グループ名や二人の名前は一部が伏せられているものの、普段から自分たちに対する評判を細かく分析しているパーフェクト高校生・和泉一織の手にかかれば、伏せ字などないも同然。伏せ字箇所をすべてのパターンで組み合わせ、日頃からエゴサーチに励んでいる。
(また今月も……月初めになると、特定のハッシュタグとともに私と七瀬さんの組み合わせを求める声が増えている)
一体なんなのだろうと気になった一織は、詳しく調べることにした。
その結果、一織は〝ナマモノ〟の二次創作というものを知ってしまった。ファンの中には創作をすることで愛情を表現する者もいるとナギから聞いたことがあるが、まさかここまでとは。乗算記号より前に名前があるほうが攻め、あとにあるほうが受けという表記をする文化も、インターネットで知った。
デビュー前から、一織と陸の二人が好きだというファンの声は耳にしていたし、ファンサイトがあることも知っている。しかし、二次創作の題材にされていることまでは、今日まで知らなかった。
(そんなに……あからさまだっただろうか)
直近のライブや出演番組での自身の言動を振り返る。陸に対する好意を悟られることのないよう、自分は常に慎重に振る舞っていたはずだ。メンバーにだって、この気持ちは知られていないと思う。
それにしても……と、一織は『いおりく』という略称でSNSを検索する。これも、インターネットで得た知識で、自分が攻め……つまり、一織が陸を抱くカップリングの略称だ。日夜、たくさんのファンが、自分と陸が想い合うことを望んで語らっている。その世界の、なんと尊いことか。
一織は匿名でSNSアカウントを作成し、絶対に和泉一織だとわからないような愛らしいアイコンとヘッダー画像を設定した。同人イベント主催会社のアカウントをフォローして、既に投稿されている文面を参考に、自分も同じような文面を作成する。当該カップリングが苦手な者はカップリング略称をミュートワードに設定しているであろうことから、敢えてカップリング略称も入れてみるという徹底ぶりだ。なにせパーフェクト高校生なので、これくらいは朝飯前である。
(……よし、これでいい)
ほんの少しの緊張とともに、送信ボタンをクリックした。
◇
年末年始のテレビ業界は慌ただしく、二時間以上の特別番組が組まれることが多い。音楽番組だけでなくバラエティ番組でもスケジュールがびっしりと埋まっていて、その多忙さから、強化週間を失念してしまうところだった。前もって思い出せたのは、前回、件のイベント主催会社のSNSアカウントをフォローしてあったからだ。
そのイベント主催会社のアカウントをフォローするにあたり、一織はアカウントの保有者が和泉一織だと絶対に推測されないように〝ゆめかわ〟な雰囲気のアカウントを新たに作成した。フリー素材を配布しているウェブサイトから〝映える〟ケーキの写真を拝借して、ヘッダー画像に設定。アイコンはパソコンのペイントツールで二色のハートを並べたものを自作した。青と赤、ハートの色にこだわった作品だ。
前回の投稿は一ヶ月前。誤爆しないよう、スマートフォンからはそのアカウントにログインしないことに決めた。寮の自室にあるパソコンから、普段は使用しないブラウザで、閲覧履歴の残らないプライベートウインドウで、そのアカウントにログインする。ちなみに、うさみみフレンズの情報を追う時にも、この手を使っている。
ここで重要なのは、知識を深めたからといって、いわゆる腐男子というカテゴリに一織が該当したわけではないということだ。和泉一織×七瀬陸のオンリーイベントを開催してほしいと熱心に投稿するファンたち。彼ら、彼女らの熱意に感銘を受け、共感した以上、自分も応援する必要がある。応援するには、対象のものをしっかりと把握しておかなければならない。そういう意図で、一織は〝いおりく〟の世界に触れているのだ。
今月の集計強化期間は一月一日から一月七日。どうやら、今月からはそのイベント主催会社のSNSアカウントをフォローしていなくても集計対象になるというルールに変わったようだが、動向は追っておくに越したことはない。そのための匿名アカウントだ。
一月七日の文字を見て、いつだったか、陸が「一月七日って、一と七があるから、一織とオレの日だな!」と笑っていたことを思い出す。なにをつまらないことをと適当にあしらってしまったが、きらきらとした笑顔で「一織とオレの日!」と教えてくれる陸は非常に愛らしかった。思い出すだけで頬がゆるんでしまい、慌てて咳払いをして表情を引き締めた。
どうか、和泉一織×七瀬陸のカップリングプチオンリーが開催されますようにと願いを込めながら、一織は指定されたハッシュタグをつけて、前回と同じ投稿文をしたためた。
◇
アイドルが月替りでパーソナリティーをつとめる『RADIO STATION "Twelve Hits!"』企画、今月は大和の番だ。なにをリクエストしてやろうかという話題がちらほら出始めている。先月、一織がトップバッターとしてパーソナリティーをつとめた時には、ラジオを聴いた陸から「オレのリクエストじゃなかった!」と膨れっ面をされたのだが、十一人が書いたリクエストの中で放送中に読まれる確率は十一分の二、約十八パーセントの可能性なのだから、読まれなくて当然くらいに思ってほしい。
それでも、皆、いかに自分のリクエストを読んでもらおうかと躍起になっている。大和の誕生日といえばバレンタイン。IDOLiSH7も男性アイドルである以上、その日が近付けば、事務所宛にファンからのプレゼントが届くことだろう。
一織個人としては、バレンタインそのものに特筆すべき思い出はない。クラスメイトや以前の学校の生徒会メンバーからチョコレート菓子を贈られたことはあったものの、実家の菓子に勝るものはないと失礼なことを思っていたし、なんとかして兄の夢を叶えたいという目標があったから、自分のことは二の次であった。
それが、今年のバレンタインは違う。七瀬陸をスーパースターにするという目標が追加されたこともあって、以前に比べると、陸のことを考えるようになった。もし、誰かからバレンタインのプレゼントとともに愛の言葉を贈られたら、彼はどんな表情をするのだろう。気持ちに応える応えないは別として、素直な彼のことだから、頬を染めて、ありがとうと笑顔を見せるのだろうか。……想像しただけで嫉妬してしまいそうだ。
一織は溜息をつくと、久しぶりに、匿名のアカウントでSNSを開いた。これは一織と陸が仲睦まじくすることを応援するファンの動向を探るためのもので、生年月日も名前も架空のものに設定し、女性と思われるようなアイコンにしてある。一織にとって、この時間は貴重な癒やしであった。好きな相手で癒やされてみたいと思うものの、片想いの自分はどうしても緊張が勝ってしまって、癒やされるどころではないからだ。
(こちらもバレンタインの話題で持ちきり……やはり恋愛における季節イベントの比重は大きいということか……)
海外では男から贈ることも多いと聞く。だから、実家の菓子だと言って一織から陸にプレゼントするのもありだ。しかし、できることなら、陸からも贈られたい。危なっかしいから手づくりはしなくていい。彼が選んだものなら、それが数十円の手のひらサイズのチョコレートであっても、一織の実家の菓子よりもおいしいものになるから。
〝いおりく〟を好む者たちが語らう二人のバレンタインは、どれもこれも甘酸っぱい。一体どうすれば、現実の自分も陸からこんなふうに笑いかけてもらえるのだろう。
(……と、浸っている場合じゃなかった)
月に一回の恒例行事、指定のタグをつけて投稿するために、わざわざ普段使わないブラウザのプライベートウインドウを開いて、匿名アカウントでログインしたSNSを開いたのだから。
「何度願えば、これも現実になるんでしょうね……」
一織は今月も、お決まりの文章を投稿した。
◇
ことの発端は、SNS上でIDOLiSH7の評判を探るため、エゴサーチをしていた時のこと。大抵は〝IDOLiSH7〟や〝アイドリッシュセブン〟または〝アイナナ〟で検索すればヒットするのだが、好意にしろそうでないにしろ、エゴサーチされることを懸念してオブラートに包んだ表現になっている可能性が考えられる。
一織としては、深く突っ込んだ本音を探りたい。たとえ心ない言葉を目にすることになっても、それに傷付いて塞ぎ込む自分ではない。これがアイドルならば、エゴサーチはほどほどにするべきなのだろうが、一織は秘かにIDOLiSH7及び七瀬陸の売り出し方に一枚噛んでいる人物である。誰が呼んだか〝パーフェクト高校生〟の名に懸けて、世間の本音を把握しておかなければならない。
ともあれ、そういった事情から、考え得る伏せ字・隠語の組み合わせを駆使して辿り着いたのが〝ナマモノ〟と呼ばれる世界。見目の整った自分たちの絡みを恋愛のあれそれと結び付けて喜ぶ層がいるという事実。一織は、自分と陸の絡みを喜び、ファン活動の一環としてイラストや漫画、小説、販売されたぬいぐるみに着せる服などのグッズ、イメージアクセサリーをつくっている者たちがいること、そして、それらを頒布する集まりが定期的におこなわれていることを知ってしまった。毎月、月初めになるとSNSのハッシュタグを使った投稿が増える理由も、すべて、把握している。
一織は賢い男だから、彼ら・彼女らが本家本元である自分たちに悟られないよう必死に伏せ字や隠語を使ってやりとりしていることも理解している。そこに水を差して意欲を萎えさせるわけにはいかない。創作に時間を割くほど自分たちに情熱を注いでくれているファンの存在をありがたく思いつつ、秘かに想いを寄せる陸と実際にこうなれたらどんなにいいことかと歯噛みする日々を送っている。
残念ながら、今のところは、開催されるという情報はないようだが、毎月のハッシュタグで〝いおりくオンリー〟を求める声は着実に増えている。
過去の情報を探ったところ、SNS上で大々的な告知がなされることは少なく、開催スケジュール一覧にいつの間にか追加されているのを見つけるケースが多いこと、開催スケジュールへの掲載から開催日まで最短でも半年弱の猶予が設けられているようだということがわかった。SNS上だけを見れば、皆が知るのは、告知用のイラストが公開されたことを告げる投稿がきっかけであることが多いらしい。
決してIDOLiSH7の和泉一織だと悟られないように用意した匿名のSNSアカウントで毎月初めのハッシュタグ企画に参加し、イベント主催企業のウェブサイトに開催決定の文字が秘かに追加されていないかを毎日のように観察している。
「……今からなら、秋頃がちょうどいいんじゃないですかね」
「なにが?」
「ひっ」
驚きつつも、手許の動きは素早い。ショートカットキーでさりげなくブラウザを最小化させ、逸る鼓動を抑えながら、声の主へと向き直った。
「……部屋に入る時はノックしてもらえますか」
「そんな言い方しなくても……何回もノックしたのに、気付かない一織が悪いんだろ」
あぁ、この表情だ。一織は「かわいい」と言ってしまいそうなのをぐっと我慢する。口を開けば本音が出てしまいそうだ。しかし、ノックに気付かなかったことを詫びるでもなく押し黙っていることを快く思わなかったのか、はたまた、一織が怒っていると思ったのか、陸はむっと唇を尖らせた。
「おまえ、最近オレになにか隠してない? よそよそしい気がする。目が合ったと思ったらそっぽ向くし」
それはあなたを意識し過ぎてしまっているんです。――なんて、言えるはずもなく。
「今だって、気付かなかったのは一織のほうなのに、怒りだしてさ」
「それは……すみません」
なんだか雲行きが怪しい。そう思った時には既に遅く。
「いいよ、もう。日曜のことで相談したかったけど、今はおまえと話したくない。お邪魔しました!」
「七瀬さ」
一織が呼び止めるのも聞かず、陸はずんずんと大股で歩いて部屋を出ると、音を立ててドアを閉めた。ばたん! という音が、ドアの音だけでなく、陸が拒絶する音のように聞こえたのは、気のせいだろうか。
一織らしくもなく、椅子の背にずるずると凭れる。だらりと腕を伸ばし、最小化させていたブラウザを前面に表示させた。これを済ませたら、謝りに行こう。
ブラウザに表示されているのは、プライベートウインドウで開いた、匿名のSNSアカウント投稿欄。文字は既に入力済みだ。一織は力なく、送信ボタンをクリックした。
◇
パソコンを睨み付けながら、一織は大きな溜息をついた。
(おかしい……毎月多くの人間が求めているにもかかわらず、一向に開催の報がこないなんて)
一織が言っているのは、SNS上で毎月上旬に開催されるハッシュタグのことだ。特定のハッシュタグとともに自分と陸の組み合わせを求める投稿が増えることに気付いた一織は、そのハッシュタグの内容を調べ、いわゆる〝ナマモノ〟と言われる世界があることを知ってしまった。ここで「そんな妄想をするなんて」と非難の情が湧かなかったのは、一織が陸に想いを寄せているからだ。現実には叶いそうにないこの気持ちが、彼ら、彼女らの頭の中では叶えられている。そのことに感銘を受けたし、応援したいと思った。
そして、その企画は、投稿件数だけではなくその投稿がシェアされた件数もカウントに入ることから、同じものを好む仲間たちは互いにシェアしているとも学んだ。
食い入るように画面を見ていたことに気付き、休憩がてら、椅子の背もたれに体重を預ける。眉間をマッサージすると気持ちよかったから、きっと、目が疲れているのだろう。
需要があるのに供給がない。求められればパフォーマンスで応えるアイドルとしては、理解しがたいことだった。もちろん、一織だって、求められたことすべてに応えることはできない。アイドルとしてのイメージ、IDOLiSH7の路線から大きく逸脱したパフォーマンスはできないからだ。しかし、イベントを開催してほしいという需要はどうだろう。なにかのイメージを損ねる危険性を孕んでいるのか? 答えはNOだ。現に、一織×陸以外の組み合わせ(いわゆるナマモノも含む)は要望に応えているではないか。
(採算か……?)
実際のところはわからないが、望む声が常にあるのだから、応えてやってほしい。一織がアイドルでなければ、パーフェクト高校生としてこの企業に進言していたところだというところまで考えて、そもそも自分たちがアイドルでなかったら、一織と陸のカップリングを妄想する人間は存在しないことに気付き、思考が行き詰っていることを実感する。
キッチンへ行って、あたたかい飲みものでも淹れよう。いつもは背伸びしたいという理由で飲むブラックコーヒーだが、今日は苦味で頭を切り替えたいという目的で選ぼう。
(そういえば、七瀬さんはどうしているだろうか)
自室を出てすぐ、隣室のドアに視線を遣る。しんと静まり返った廊下では、陸の様子を探ることはできない。
(……一人ぶん用意するのも、二人ぶん用意するのも、変わらないだろう)
自分にそう言いわけをし、キッチンへ向かおうとしていた足を陸の自室へと向けた。
軽いノックを二回、ほどなくして「はぁい」と間延びした返事が聞こえる。
「七瀬さん、お時間があるようでしたら……お邪魔でしたか」
部屋の壁際に置かれたクッションに身体をもたれさせ、なにやら本を読んでいる。
「ううん、いいよ」
栞紐を挟み込み、読みかけの本はあっけなく閉じられてしまった。一織自身は読書を中断することをあまり好まないのだが、陸はいつもこうして読書を中断させ、話しかけてきた者に向き合ってくれる。
「飲みものでも淹れようかと思いまして。いりますか?」
その言葉にぱぁっと顔を輝かせた陸から「いる!」と明るい答えが返ってきた。その場に花が咲いたような錯覚に陥る。返答ひとつとっても、こんなにかわいいなんて。
そう、自分たちは喧嘩もするけれど、基本的には仲良くできているほうだ。だから、水面下で自分たちの組み合わせを求める声があってもおかしくない。あの企業には、是非とも、需要に応えてやってほしい。
二人でのんびりと穏やかな時間を過ごし、彼を愛しく想う気持ちで満たされたら、あとでこっそり投稿しておこう。
◇
朝晩の冷え込みが穏やかになってきたところで、時代は平成から令和へ。昨晩は、まるで大晦日から元旦への年越しムードのような盛り上がりだったなと、SNSのトレンド情報をチェックしながら思いを巡らせる。
IDOLiSH7の面々もご多分に漏れず、昨日の夕食はいつもの蕎麦屋に注文した天麩羅蕎麦を食べた。大和が「蕎麦って……大晦日じゃないんだから」と笑っていたが、楽によく似た配達員曰く、昨日は蕎麦の注文が殺到したらしい。自分たちはいつも出前でしかその店の蕎麦を食べていないのだが、都合がつけば店に食べに行きたいなと思う。ラーメンには煮卵、蕎麦には天麩羅、それが一織の好きな組み合わせだ。
月が変わったということは、SNS上の一部で盛り上がりを見せているあのハッシュタグの時期だ。普段は使用することのないブラウザを起動させ、年齢も性別も偽った匿名のSNSアカウントでログインする。毎月一日になればイベント主催企業の公式アカウントが集計強化期間の告知をするのだが、今回それがないのは世間が祝日だからだろうか。
(なるほど、この企業は例年五月上旬に大規模なイベントを開催しているのか……)
もしかすると、そちらの準備で多忙なのかもしれない。集計強化期間の告知はないものの、ためしに指定のハッシュタグで投稿を検索したところ、まだ一日になったばかりだというのに、熱心な者たちによる、開催を願う声が多く投稿されていることがわかった。きっと、彼ら、彼女らの頭の中では、月が変われば集計強化期間だとインプットされているのだろう。一織が聞いたこともない――恐らく、ナギなら知っている――漫画のタイトルを伏せ字にしたものや、一織と陸以外のアイドルをカップリングにしていると思われる伏せ字の投稿もある。投稿がシェアされた数も集計に入ることから、シェアに至るきっかけとなるよう――平たくいえば目に留まりやすいよう――イラストやショートストーリーを添えているものも多い。そうすることで〝みずからハッシュタグをつけて投稿するまで深入りしているわけではないが、開催されるよう応援したいからシェアしよう〟という気持ちを第三者に抱かせる効果があるのかもしれない。
その中には、毎月同じ設定で書き下ろしたらしいショートストーリーを添えて〝アイド○ッシュセ○ンの和泉1織×7瀬陸のプチオンリーお願いします!〟と投稿しているアカウントがある。
一織がSNS巡回中にハッシュタグの存在を知ってしまい、そこから一織と陸のカップリングを好む層がいることまで突き止めてしまったという設定だ。その投稿主は実際に開催が決定したあかつきには、その連載を本にまとめて頒布しようと考えているらしい。
(できれば、そういった〝メタ発言〟のものではなく、私と七瀬さんが仲睦まじく……)
そこまで考えて、なにを考えているんだと我に返る。いくら、自分が陸に抱いている気持ちを実際には伝えるつもりはないからといって、想像の世界で結ばれてほしいと考えるなど。
(そんなの……虚しいだけではないだろうか……)
現実では結ばれていないのに、他者の想像の中でだけ結ばれる関係だなんて。
(…………なら)
それなら、実際に自分たちが結ばれたら、そういった想像の世界で結ばれているのを見ても、虚しくならないのでは?
それはつまり、自分の気持ちを陸に打ち明け、陸にも同じ気持ちを返してもらうということ。アイドル同士で、同性で、未成年。戸惑う理由しかない。しかし、一織は常々、自分のこの想いが叶わないまま、そう遠くない未来、陸の隣に誰かが並ぶ日がくるのだろうかと想像しては胸を掻きむしりたいような衝動に駆られているのだ。陸のことは、自分がもっとも理解している。それなのに、他の誰かが隣に並んで、陸はその相手に弱さも、醜さもさらけ出せるのだろうか。さらけ出したとして、相手は陸のすべてを受け入れられるのだろうか。自分ほど、陸に寄り添える人間などいないという自信があるのに?
(いや、だめだ。もっと慎重に考えなければ)
SNS上に流れる特定のハッシュタグで一織と陸のカップリングを好む層がいること、そしてそれらを作品にして発表している場があること。それらを眺めながら陸のことを考えていると、いっそ想いを告げてしまってもいいのではという気持ちになってしまう。
今月も指定の投稿を済ませて、一ヶ月、じっくり考えなければならない。一織はゆるゆると溜息をつくと、静かにキーボードの上に指をのせた。
◇
今月も毎月の恒例行事がやってきた。先月はイベント主催会社の告知投稿はなかったものの、いつも通り集計はおこなわれていたらしい。なんでも、大規模なイベント前だったため告知を控えたのだとか。まったくもって油断ならない。今回は閑散期なのか、月が変わって早々に告知投稿がなされ、一織も〝ゆめかわ〟なアイコンを設定した匿名アカウントでその様子を見守っている。――と、そこに、衝撃の情報が飛び込んできた。
〝開催したいものの、告知イラストを依頼できる人物がいなかったために、開催候補から消えたものも過去にあった〟
一織は瞠目し、しかし、すぐに「いや」と呟く。一織が見守っている一織×陸には美しいイラストを描く者が何名もいるではないか。それも、恐らくは引き受けてくれそうな人物ばかりだ。
イベント主催会社のいわゆる〝中の人〟の個人アカウントから投稿された文章に動揺してしまったが、この情報は杞憂に終わることだろう。
(数日前には、最近のイベントでは1SPしか参加サークルがいなかったが開催決定の報せがあったという投稿も目にした……)
一織にはSPがスペースの略であることはわからなかったのだが、文脈からなんとなくオンリーワンだったのだろうと理解している。パーフェクト高校生にとっては、文脈から事情を察することくらい、赤子の手を捻るようなものだ。
しかし、先の情報によって、なんとしても開催してほしいと願う層が湧き立ったのは確かだ。事実、例のハッシュタグで検索すると、これまでよりも投稿文に熱意がこもったものが増えている。目立つように自身の作品を添えるもの、投稿時の文字制限ぎりぎりまで熱意を語る者……感嘆符や、頭を下げる絵文字も多いように思う。中には、月初めになると〝皆で協力し合ってシェア数を伸ばそう〟と呼びかける者もいるではないか。投稿にハートマークをつけるだけでは集計に含まれない、純粋な投稿数と、SNS内でのシェア数がものをいう世界だと説明するアカウントもあった。同じ趣味をもつ者が加担しやすいよう、ハッシュタグの利用者は月を追うごとに学習しているのだ。
(毎月これだけの声があるにもかかわらず、どうして結果に結びつかないのか……)
いくらパーフェクト高校生でも、イベント主催会社の判断基準は汲み取ることができない。くっと歯噛みしながら、キーボードに指をのせて滑らかな動きで恒例の文字を入力した。
自身の入力した文面が無事に投稿されたことを確認すると、手指を組んで両腕をぐっと伸ばしながら背もたれに体重を預ける。指がぱきぱきと小気味いい音を立てるのを、目を閉じて聞きながら、そのまま、首を反らせた。この件だけでなく、日頃から小さな文字列を目で追ってばかりだ。十七歳の健康な男といえど、目の疲れや肩こりを感じることはある。明日の授業にそなえた予習は済ませたし……と、反らせていた上体を元に戻して、SNSアカウントからのログアウトを済ませると、開いていたブラウザを閉じた。
親指と人差し指で眉間のあたりを揉み込みながら、今度は文書ファイルを開いた。
(あと一ヶ月と少しか……)
七月には野球場を使った大きなライブが、そして、その直後に陸の誕生日がある。ラジオ企画『RADIO STATION "Twelve Hits!"』も、陸の番が近い。同時期にTRIGGERの九条天も収録するとのことで、リクエストを二人ぶん考えなければならない。六月を担当するナギに向けたリクエストの締切も迫っている。ライブに向けたレッスンが本格的になるこの時期は、一織にとって、一年の中で二番目――年末の『BLACK or WHITE』の次くらい――に忙しい。
陸は日頃からラジオの仕事をしているから、さほど緊張はしないだろう。問題は、話しながら脱線しないかということだ。
そこまで考えて、普段の陸とナギのラジオを思い出し、笑みがこぼれる。ナギが不在の時は自分が代わりに出演し、しっかりとした番組進行をするようにと話したのだが、ナギが戻ってきてからはまたいつも通りの、脱線することが当たり前な番組に戻っている。
それでも、ナギが戻ってきてくれて、本当によかった。一織が出演した回も、陸は楽しそうにしていたが、あの番組は陸とナギのものだ。だからこそ、リスナーも安心して聴いていられるに違いない。IDOLiSH7は、誰か一人でも欠けてはだめだ。今回、ナギが一時的に不在となったことで、その思いはますます強くなった。これからも七人で活動し、そして、七瀬陸を誰よりも高みへ、スーパースターへ。立ち止まっている余裕はない。だからといって、がむしゃらに突き進むだけでもいけない。願いを叶えるにあたっては、戦略は必要不可欠だ。少なくとも、一織はそう考える男である。
◇
一織は自室で一人、小さくガッツポーズをしていた。
なんと、去る二〇一九年六月二十六日、ついに悲願が達成されたのだ。イベント主催会社のウェブサイト上に並ぶ『祝・開催決定! 和泉一織×七瀬陸プチ』の文字を何度も確かめ、ディスプレイを指でなぞった。都合のいい夢だったら困るからと、一晩眠って翌朝も確かめたが、そこには変わらず、開催決定の文字が踊っていた。夢ではない、現実だ。
(非常に喜ばしいことだ。この方たちの夢が叶ったのと同様、私たちIDOLiSH7がもっと高みへ……そして七瀬さんをスーパースターにするという、私と七瀬さんの目標も叶えられるよう、邁進しなければ)
秘かに応援していた人たちの夢が叶うと、自分も頑張らなければという気持ちになる。
まるで、互いに切磋琢磨しようというライバルのようだ。一織は安堵の息を漏らすと、年齢も性別も偽りのプロフィールに設定した、SNSの匿名アカウントからログアウトした。夢が叶ったのだから、自分の出る幕はない。一織はそう判断し、七瀬陸をスーパースターにするための計画を綴ったノートを開いた。
◇
「私の可愛いスーパースター……?」
七月の大きなライブを終えて三週間あまり。寮内のカレンダーも、すべて八月に変わった。ありがたいことに今月もIDOLiSH7は忙しい。出演した番組の反応を見ようと、いつも通りエゴサーチに励んでいたところ、やけに〝スーパースター〟の文字が目についた。
――一織の心の声だだ漏れ。
しかも、スーパースターの文字とともにそんな感想まで添えられている。
(どういうことだ……?)
日夜秘かにノートにまとめている、七瀬陸をスーパースターにする計画がファンにまでばれてしまったのだろうか? 陸が天と言い争った時に他のメンバーの前で言わされているから、一織が陸をスーパースターにしてみせるという目標を持っていることは二人だけの秘密ではなくなっているのだが……。それとも、自分の不注意で九条鷹匡にノートを見られたことがある。まさか、彼が今更になってその情報を世間に流したとでもいうのだろうか? 冷や汗を流しながら、一織は情報元を探った。
「これか……」
ほどなくして辿り着いた情報元に脱力する。よかった、自分が七瀬陸をスーパースターにしようと誓っていることがファンにまで筒抜けたわけではなかった。
ブラウザが表示している『私の可愛いスーパースター アイドリッシュセブン 和泉一織×七瀬陸プチ』の文字。イベントタイトルが決定したことが、SNS上で話題になっていたらしい。
一織はおよそ二ヶ月ぶりに、匿名アカウントでSNSにログインした。喜ぶ声に同調したいからだ。頬をゆるませて投稿を目で追っていると、早くも、第二弾の開催を望むリクエストが例のハッシュタグ付きで投稿されている。なるほど、一度は偶然、二度は必然ともいう。盛り上がっているなら第二弾を望むのも当然のことだ。
久しぶりの投稿だから失敗しないようにと最新の注意を払い、二ヶ月前の自身の投稿を参考にして、開催を望む投稿文をしたためた。
◇
あの頃は、誰かの夢を応援することが自分の生きがいだった。兄や陸を応援するのと同じような気持ちで、架空のプロフィールで作成したSNSアカウントでこっそり便乗したのも、投稿のひたむきさに胸を打たれたからだ。しかし、開催が決定し、イベント名称が発表された日に記念の意味を込めて第二回開催を望む投稿をしたのを最後に、一織は匿名アカウントを抹消している。件のイベントは、その後、日本中を――否、世界中を混乱に陥れた疫病が原因で、延期を余儀なくされたらしい。延期に心折れることがなければいいがと祈るばかりだ。
ライブが中止になったり、番組出演がリモート環境になったりと、IDOLiSH7結成当初に一織が思い描いた〝七瀬陸をスーパースターにする計画〟にも、わずかに影響が出てしまった。しかし、ここで心折れるわけにはいかないからと、軌道修正をしている。
メールで依頼されたインタビューに答えなければとタブレット端末を起動させたタイミングで、リビングのドアが開き、陸がひょいと顔を覗かせた。
「おはよう、一織。その……寝坊しちゃってごめん」
現在の時刻は十時半。オフとはいえ、起きてくるのが遅い。
「たまにはいいんじゃないですか。というか、そうなるだろうなというのは昨晩の様子でわかっていましたから。別に怒っていませんよ」
昨晩という言葉に、陸の頬がぽっと赤くなる。
「……一織のエッチ」
去る一月、一織は誕生日当日に、陸から恋心を打ち明けられた。そして、一織と環の高校卒業を機に七人全員が寮を出ることになり、先月から、事務所の近くで、ともに暮らしている。オフだからと陸が甘えてきて、昨晩はたいそう盛り上がったものだ。
「ちょっと、思い出さないでくださいよ。恥ずかしい人だな」
「思い出してるのは一織のほうだろ……って、だめだ、喧嘩したいわけじゃない」
ピリッとしたらハグ。――陸はそう言って、一織にぎゅうっとしがみついてきた。寝ぐせだらけの気の抜けた顔もじゅうぶんかわいいのに、こんなにかわいいことをされて、一織はぐうの音も出ない。それに、昨晩の様子を思い出すなというのは無理な話だ。
(本当に、かわいい人だな)
七瀬陸。ステージの上では皆のアイドル。でも、二人きりの時は、一織だけのかわいいスーパースターだ。