約束
陸が入浴している間にシーツが替えられていたらしい。明日起きたら交換しようと思っていたのに、ぱりっと乾いた、いつもの肌触りのよさを感じられるものになっていた。まだ水滴がしたたる髪をタオルで拭いながら、壁際にあるクッションにもたれかかる。
(……あ)
タオルの隙間から見えた天井に、さきほどまでとの違いを感じる。夕方、ちらつきを感じた蛍光灯が交換されているのだ。今夜はもう眠るだけだし、常夜灯はまだ交換しなくてもよさそうだったから、明日の日中にでもゆっくり交換しようと思っていたのに。
……別に、勝手に入られて困るような部屋ではない。万が一、部屋で発作を起こして動けなかった時のため、陸の部屋の鍵はよほどのことがない限り開錠してある。それでも、部屋の様子が勝手に変わっているのはおもしろくない。
むぅ……と頬を膨らませながら、タオルでがしがしと頭を拭いた。もうすぐ、この部屋を勝手にいじった犯人が訪れるはずだ。
陸の部屋に勝手に入ってシーツや蛍光灯を交換した犯人は、今度はご丁寧にドアの外から声をかけてきた。
「ありがとうございます。手がふさがってたので」
「いいよ、ありがとな」
部屋をいじられたことはおもしろくないけれど、犯人がやって来るのは大歓迎。マグカップがのったトレイを受け取ろうとして阻まれた。仕方なくドライヤーを受け取り、コンセントを差し込む。カーペットの上に胡坐をかいてドライヤーのスイッチを入れようとしたところで、今度はそのドライヤーを取り上げられてしまった。
「なんだよ」
「七瀬さんはこちらで」
ずい、とマグカップを手渡される。渋々受け取ると、一織は陸の背後にまわり込み、髪を乾かし始めた。
…………こんなに至れり尽くせりでいいのだろうか。はちみつが入った甘いホットミルクを飲みながら、自分の髪を優しく撫でる指先に焦がれる。どうしてそんなに優しくしてくれるんだろう。聞いてみたいけれど、ごうごうと髪を揺らす熱風が邪魔をして、陸の声は一織に届かない。多分、この風が吹いていない時でも、陸のこの質問だけは一織には届かない。陸が、声に出そうとしないから。
「……一織は、さ」
熱風がかき消してくれることを期待して、わざと聞こえないように呟く。しかし、陸の思惑は外れてしまい、急に、熱風がやんだ。
「どうしました?」
「はっ? え、あ、……えっと」
まさか聞かれると思っていなかったものだから、続きを言うのが憚られる。熱風の中でなら、言えるのに。
かわいくない態度を取るくせに、どうしていつも面倒を見てくれるの?
「オレ、子どもじゃないんだけど」
「知ってますよ。精神年齢は幼稚園児みたいですけど」
「なんだよそれ!」
かちんときて勢いよく振り返ると、一織の顔が思っていた以上に至近距離にあって、ぱっと顔が赤らんでしまう。ほとんど乾いた髪で隠すようにして、慌てて俯いた。
「なんですか、人に話しかけておいて。喧嘩でも売りたいんですか?」
「違うよ! そうじゃなくて……なんで、こんなにいろいろしてくれるのかなって」
シーツとか、蛍光灯とか、髪とか。陸がそう挙げると、一織は手許でごうごうと音を立てていたドライヤーのスイッチを切り、陸の髪が乾いていることを確かめた。手櫛で梳かすように指を動かし、毛先に辿り着くとくるくると指に絡める。人の髪で遊ばないで、質問に答えたらいいのに。陸はわかりやすくむくれながら、一織が口を開くのを待った。
「そりゃあ、あなたに任せるのが危なっかしいからですよ」
期待していたような色よい返答ではなくて、陸の眉がしゅん……と下がる。一織としては、その表情の変化を見たくて、わざとそんな返答をしてしまったのだが。
「なんだよそれ……オレって、そんなに頼りない?」
思いのほか落ち込んでしまったらしく、今度は一織が慌ててしまった。
「あぁ、もう。いつもみたいに言い返すと思ったのに……。……頼りにしてますよ、もちろん。あなたはIDOLiSH7のセンターですから」
「もー……そういうこと聞いてるんじゃないんだってば」
てっきり、一織も同じ気持ちだと思っていたのに。毎日甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるものだから、いつの間にか、期待するようになってしまっていた。片想いって難しいなと思う。アイドルという立場だからかもしれない。恋愛禁止と明言されているわけではないが、今の自分たちは、ファンが恋人であるべきなのだ。でも、アイドルにならなかったら、ここに来なかったら、一織と出会えていなかった。それはもっといやだなと思う。
「あのさ、前に、約束したよな。一織のことを一番に意識して、なにがあっても、どんな言葉が投げかけられても、一織の言葉以外、全部無視するって」
「……えぇ」
夏にあった『Friends Day』から五ヶ月。あれ以来、ステージに立つ前に一織は必ず、陸の顔を覗き込んでは、どう歌うべきか、どんな想いを込めるべきかを切々と説いてくる。
「まさか、オレにあれこれするの、オレのことコントロールするために機嫌取ってる?」
「そんなわけないでしょう。……なにを言うかと思えば。疲れてるんですか?」
「だって。……こんなに優しくされてさ。そのうえ、一織のことを一番に意識しろって、それってなんだか……なんだか、あれじゃん」
まるで、独占欲剥き出しの恋人みたいだと思ってしまう。しかもそれが心地いいものだから困ったものだ。
押し黙った陸の表情に、一織は彼の心情を察してしまい、心の中でこっそりと感嘆の溜息を漏らす。もちろん、IDOLiSH7を、七瀬陸をスーパースターにするために陸に言い聞かせたことだが、自分を一番に意識してほしいとまで乞うたのは、一織の独占欲のあらわれだ。他のどんな言葉にも揺さ振られないでとだけ言えばいいものを、陸を手中に収めたいがために、自分を一番にしてほしいと乞うた。案の定、今の陸は一織を意識して、意識し過ぎて、こんなにも頬を染めている。
「そうですね。……それで、いいんじゃないですか?」
「……え?」
長めに残しているサイドの髪を指先ですくい、耳にかける。日頃隠していることの多い耳があらわになり、たまらず、唇を寄せた。慣れない刺激に、陸はびくりと肩を揺らす。
「約束してください、七瀬さん」
「……っ、なに」
自分だけを見てほしい。自分のものになってほしい。誰にも内緒で、この手を取って。
(……あ)
タオルの隙間から見えた天井に、さきほどまでとの違いを感じる。夕方、ちらつきを感じた蛍光灯が交換されているのだ。今夜はもう眠るだけだし、常夜灯はまだ交換しなくてもよさそうだったから、明日の日中にでもゆっくり交換しようと思っていたのに。
……別に、勝手に入られて困るような部屋ではない。万が一、部屋で発作を起こして動けなかった時のため、陸の部屋の鍵はよほどのことがない限り開錠してある。それでも、部屋の様子が勝手に変わっているのはおもしろくない。
むぅ……と頬を膨らませながら、タオルでがしがしと頭を拭いた。もうすぐ、この部屋を勝手にいじった犯人が訪れるはずだ。
陸の部屋に勝手に入ってシーツや蛍光灯を交換した犯人は、今度はご丁寧にドアの外から声をかけてきた。
「ありがとうございます。手がふさがってたので」
「いいよ、ありがとな」
部屋をいじられたことはおもしろくないけれど、犯人がやって来るのは大歓迎。マグカップがのったトレイを受け取ろうとして阻まれた。仕方なくドライヤーを受け取り、コンセントを差し込む。カーペットの上に胡坐をかいてドライヤーのスイッチを入れようとしたところで、今度はそのドライヤーを取り上げられてしまった。
「なんだよ」
「七瀬さんはこちらで」
ずい、とマグカップを手渡される。渋々受け取ると、一織は陸の背後にまわり込み、髪を乾かし始めた。
…………こんなに至れり尽くせりでいいのだろうか。はちみつが入った甘いホットミルクを飲みながら、自分の髪を優しく撫でる指先に焦がれる。どうしてそんなに優しくしてくれるんだろう。聞いてみたいけれど、ごうごうと髪を揺らす熱風が邪魔をして、陸の声は一織に届かない。多分、この風が吹いていない時でも、陸のこの質問だけは一織には届かない。陸が、声に出そうとしないから。
「……一織は、さ」
熱風がかき消してくれることを期待して、わざと聞こえないように呟く。しかし、陸の思惑は外れてしまい、急に、熱風がやんだ。
「どうしました?」
「はっ? え、あ、……えっと」
まさか聞かれると思っていなかったものだから、続きを言うのが憚られる。熱風の中でなら、言えるのに。
かわいくない態度を取るくせに、どうしていつも面倒を見てくれるの?
「オレ、子どもじゃないんだけど」
「知ってますよ。精神年齢は幼稚園児みたいですけど」
「なんだよそれ!」
かちんときて勢いよく振り返ると、一織の顔が思っていた以上に至近距離にあって、ぱっと顔が赤らんでしまう。ほとんど乾いた髪で隠すようにして、慌てて俯いた。
「なんですか、人に話しかけておいて。喧嘩でも売りたいんですか?」
「違うよ! そうじゃなくて……なんで、こんなにいろいろしてくれるのかなって」
シーツとか、蛍光灯とか、髪とか。陸がそう挙げると、一織は手許でごうごうと音を立てていたドライヤーのスイッチを切り、陸の髪が乾いていることを確かめた。手櫛で梳かすように指を動かし、毛先に辿り着くとくるくると指に絡める。人の髪で遊ばないで、質問に答えたらいいのに。陸はわかりやすくむくれながら、一織が口を開くのを待った。
「そりゃあ、あなたに任せるのが危なっかしいからですよ」
期待していたような色よい返答ではなくて、陸の眉がしゅん……と下がる。一織としては、その表情の変化を見たくて、わざとそんな返答をしてしまったのだが。
「なんだよそれ……オレって、そんなに頼りない?」
思いのほか落ち込んでしまったらしく、今度は一織が慌ててしまった。
「あぁ、もう。いつもみたいに言い返すと思ったのに……。……頼りにしてますよ、もちろん。あなたはIDOLiSH7のセンターですから」
「もー……そういうこと聞いてるんじゃないんだってば」
てっきり、一織も同じ気持ちだと思っていたのに。毎日甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるものだから、いつの間にか、期待するようになってしまっていた。片想いって難しいなと思う。アイドルという立場だからかもしれない。恋愛禁止と明言されているわけではないが、今の自分たちは、ファンが恋人であるべきなのだ。でも、アイドルにならなかったら、ここに来なかったら、一織と出会えていなかった。それはもっといやだなと思う。
「あのさ、前に、約束したよな。一織のことを一番に意識して、なにがあっても、どんな言葉が投げかけられても、一織の言葉以外、全部無視するって」
「……えぇ」
夏にあった『Friends Day』から五ヶ月。あれ以来、ステージに立つ前に一織は必ず、陸の顔を覗き込んでは、どう歌うべきか、どんな想いを込めるべきかを切々と説いてくる。
「まさか、オレにあれこれするの、オレのことコントロールするために機嫌取ってる?」
「そんなわけないでしょう。……なにを言うかと思えば。疲れてるんですか?」
「だって。……こんなに優しくされてさ。そのうえ、一織のことを一番に意識しろって、それってなんだか……なんだか、あれじゃん」
まるで、独占欲剥き出しの恋人みたいだと思ってしまう。しかもそれが心地いいものだから困ったものだ。
押し黙った陸の表情に、一織は彼の心情を察してしまい、心の中でこっそりと感嘆の溜息を漏らす。もちろん、IDOLiSH7を、七瀬陸をスーパースターにするために陸に言い聞かせたことだが、自分を一番に意識してほしいとまで乞うたのは、一織の独占欲のあらわれだ。他のどんな言葉にも揺さ振られないでとだけ言えばいいものを、陸を手中に収めたいがために、自分を一番にしてほしいと乞うた。案の定、今の陸は一織を意識して、意識し過ぎて、こんなにも頬を染めている。
「そうですね。……それで、いいんじゃないですか?」
「……え?」
長めに残しているサイドの髪を指先ですくい、耳にかける。日頃隠していることの多い耳があらわになり、たまらず、唇を寄せた。慣れない刺激に、陸はびくりと肩を揺らす。
「約束してください、七瀬さん」
「……っ、なに」
自分だけを見てほしい。自分のものになってほしい。誰にも内緒で、この手を取って。