日常
寮のダイニングで食事をとり、ある者はゲーム、またある者はお気に入りのアニメについて熱く語って盛り上がっていた。三月が食器を片付けるのを手伝いながら、一織はリビングのソファーで他のメンバーと雑談をしている陸を盗み見る。
くるくるとよく変わる表情に見惚れて、片付けの手が止まった。かわいい人だと思っていることが声に出てしまいそう。こういう時の一織は声に出ないようにと慌てて口を噤むのだが、時折「かわ……」くらいまで声に出てしまっているらしい。それを見た陸は決まって、きょとんとした表情で一織を見るのだ。一織、なに? なんて尋ねながら、小首をこてんと傾げるおまけつき。そんな表情、一織にとっては逆効果でしかない。
かわいい、愛おしいと思う気持ちが増すばかりで、気持ちが漏れ出てしまうのも時間の問題だ。これ以上は勘弁してほしい。
陸と初めて出会った日、大きな瞳とくるくる変わる表情が小動物のようで、愛らしいと思った。要は、一目惚れだったのだ。パートの振り分けで彼の歌声を聴いて、更に魅了された。自分の世界が開けるような感覚、かつてないほどの高揚感に、一織はその夜、なかなか寝付くことができなかった。
しかし、残念なことに、一織の口は素直にできていない。自分が周囲にどのようなイメージを抱かれているかを把握しており、そのイメージを崩すような行動を取ることなんてできない。周囲から抱かれるイメージを大事にしなければならないというのは、兄の夢を応援し、サポートする中で学んだことだ。
今だって、環から代わりにガシャを引いてほしいと頼まれた陸が、どうか環のために神引きできますようにと念を込めているらしく、とても楽しそうだ。うんうんと唸って、あれはなにかの呪文を唱えているつもりだろうか。一織はそういったゲームにあまり興味がないのでわからないが、キャラクターやアイテムの排出率が決まっているものに対してなにかを念じたところで、結果を左右するほどの効果はないだろうということはわかる。それでも、陸が真剣な表情でメンバーのために念を込めている姿は非常に愛らしい。一織がガシャの神様なら、陸に念じられるだけで彼が求めるものを差し出しているところだ。
「やったー!」
「りっくん、相変わらずすげえ!」
どうやら、環がほしいと思っていたものが引けたらしい。二人で喜びながらハイタッチをしているのを見て、環を羨ましいと思った。
IDOLiSH7のファンからは「一織と陸のコンビをもっと見たい」という声がよく寄せられるのだが、どうして自分なのだろうという疑問が尽きない。
確かに、寮では隣室だし、彼の持病にいち早く気付いたのは自分だ。ユニットソングを歌った頃は仕事のスケジュールもほぼ常に同じだった。その名残からか、遠方での仕事で泊りがけとなった際は、同室になることが多い。好いた相手と、密室で一晩中、二人きりという、健全な男子高校生である一織にとっては拷問に近い状況。拷問に耐えることに必死で、風呂上がりの陸に「早く髪を乾かしてください」だとか「明日も早いんですから、電気、消しますよ」だとか、どうもつっけんどんな態度を取ってしまう。本当はもっと穏やかに接したいのに。陸も「お説教ばっかり!」と顔を顰めているから、自分のことを苦手だと思っているに違いない。
周囲からは仲がよさそうな組み合わせだと思われているらしいが、実際のところは、その真逆ではないかと一織は考えている。正直、相性はよくないだろう。
「おーい、なにか飲むか?」
食器を洗い終えた三月が、リビングで談笑している他のメンバーに声をかけた。
紅茶、炭酸、ビール……三者三様の返答はいつものこと。環には五百ミリリットルのペットボトルをそのまま手渡し、成人組には缶ビール、残りの三人は紅茶。ナギが英国王室御用達の銘柄にしてほしいと言っているが、残念ながら大量生産された国産のものしかここにはない。
酒を飲み交わしたいであろう兄のことを考え、紅茶は一織が用意することにした。三月が「サンキューな!」と、大和と壮五のぶんも含めた缶ビールを冷蔵庫から取り出す。明日は夕方からとはいえ仕事があるのだから――言っても無駄だろうけれど――悪酔いしないようにしてほしい。特に、酔いが回るとユニットの相方に絡みだす某メンバーには。一織と環には、明日も学校がある。酔っ払いの介抱でくたくたになったクラスメイトを引き摺って学校へ行くのは重労働だ。
紅茶だけでは心許ないと感じ、食べ過ぎとならない程度の菓子を戸棚から取り出す。おまけ目当てで購入した菓子は、こういう時に役立つのだ。もちろん、おまけの品であるうさみみフレンズの玩具は素早く抜き取って、部屋に隠してある。
「一織、ありがと」
紅茶を淹れただけで花が咲くような笑顔。あぁ、いちいちときめかせるのはやめてほしい。カップを両手で持ち、立ち上る湯気に瞳を潤ませる陸の表情に、ほんの少しの劣情を覚える。初めて出会ったあの日、一目見て心奪われてから、毎日この調子だ。
一織は溜息をついて、陸の隣、少し間隔を置いて腰掛けた。ソファーの他の席は既に埋まっていて、ここしか空いていなかったから仕方がない。そう自分に言い訳をして。
テーブルを挟んだ向こうでは、成人組が缶ビールで乾杯をしている。さて、今夜は誰が最初に酔い潰れるだろう。
斜め前にあるソファーで炭酸ジュースを呷った環が、壮五のことを、じとりと横目で見ている。おおかた、飲み過ぎないようにと祈っているのだろう。
(残念ながら、四葉さんの祈りは通じないだろうな)
一織の視線に気付いたのか、環がこちらを向いた。言いたいことはわかっている。
「無理です。あぁ、ほら。二階堂さんが逢坂さんを煽り始めましたよ。あぁなっては、もうだめでしょうね。諦めてください。明日、遅刻しない程度に起きてくださいね」
「はぁっ? まだなんも言ってねえし!」
「ははっ、環、頑張れー」
陸が身体を揺らして笑い、その肩先が一織の身体に軽くぶつかった。
「……っ」
これくらいの接触で動揺してどうする。ダンスのレッスンやライブの本番、バラエティ番組ではもっと接触が多いのに。あぁ、肩が熱い。
あとで部屋に戻ったら、自分の肩に触れて、陸の身体がぶつかった感触を思い出すのだろう。これしきのことでこんなに意識してしまって、情けなさ過ぎる。
「ん? 一織、どうした?」
紅茶、冷めるぞ。そう言われて、はっとカップの中を見遣る。ほとんど飲んでいないのに、せっかく淹れた紅茶は湯気がなくなっていた。
「すみません、ぼんやりしていて」
カップに口を付ける。あぁ、やっぱり。ここまで冷めてしまっていると、恐らく、底のほうは渋い味になっていることだろう。
「しょうがないなぁ。ほら、あーん」
「あ、……え?」
さきほど一織が用意した菓子を口許に寄せられる。食べさせてやろうという体勢だ。
「口直し! ほら早く! 用意したのは一織だけど」
黙っているとずっと待っていそうだったから、仕方なく唇を薄っすらと開いて、齧り付いた。馴染みの菓子なのに、陸が手ずから食べさせてくれたからだろうか、ひどく甘く感じる。
「おいしい?」
「……えぇ、まぁ。用意したのは私ですけど」
あぁ、まただ。また、愛おしいと思う気持ちが増してしまった。気持ちが漏れ出してしまわないよう、菓子と一緒に咀嚼する。でも、消化されるのは菓子だけで、一織の恋心までは消化されてくれない。
そうして今夜もまた、陸への気持ちを募らせていく。
くるくるとよく変わる表情に見惚れて、片付けの手が止まった。かわいい人だと思っていることが声に出てしまいそう。こういう時の一織は声に出ないようにと慌てて口を噤むのだが、時折「かわ……」くらいまで声に出てしまっているらしい。それを見た陸は決まって、きょとんとした表情で一織を見るのだ。一織、なに? なんて尋ねながら、小首をこてんと傾げるおまけつき。そんな表情、一織にとっては逆効果でしかない。
かわいい、愛おしいと思う気持ちが増すばかりで、気持ちが漏れ出てしまうのも時間の問題だ。これ以上は勘弁してほしい。
陸と初めて出会った日、大きな瞳とくるくる変わる表情が小動物のようで、愛らしいと思った。要は、一目惚れだったのだ。パートの振り分けで彼の歌声を聴いて、更に魅了された。自分の世界が開けるような感覚、かつてないほどの高揚感に、一織はその夜、なかなか寝付くことができなかった。
しかし、残念なことに、一織の口は素直にできていない。自分が周囲にどのようなイメージを抱かれているかを把握しており、そのイメージを崩すような行動を取ることなんてできない。周囲から抱かれるイメージを大事にしなければならないというのは、兄の夢を応援し、サポートする中で学んだことだ。
今だって、環から代わりにガシャを引いてほしいと頼まれた陸が、どうか環のために神引きできますようにと念を込めているらしく、とても楽しそうだ。うんうんと唸って、あれはなにかの呪文を唱えているつもりだろうか。一織はそういったゲームにあまり興味がないのでわからないが、キャラクターやアイテムの排出率が決まっているものに対してなにかを念じたところで、結果を左右するほどの効果はないだろうということはわかる。それでも、陸が真剣な表情でメンバーのために念を込めている姿は非常に愛らしい。一織がガシャの神様なら、陸に念じられるだけで彼が求めるものを差し出しているところだ。
「やったー!」
「りっくん、相変わらずすげえ!」
どうやら、環がほしいと思っていたものが引けたらしい。二人で喜びながらハイタッチをしているのを見て、環を羨ましいと思った。
IDOLiSH7のファンからは「一織と陸のコンビをもっと見たい」という声がよく寄せられるのだが、どうして自分なのだろうという疑問が尽きない。
確かに、寮では隣室だし、彼の持病にいち早く気付いたのは自分だ。ユニットソングを歌った頃は仕事のスケジュールもほぼ常に同じだった。その名残からか、遠方での仕事で泊りがけとなった際は、同室になることが多い。好いた相手と、密室で一晩中、二人きりという、健全な男子高校生である一織にとっては拷問に近い状況。拷問に耐えることに必死で、風呂上がりの陸に「早く髪を乾かしてください」だとか「明日も早いんですから、電気、消しますよ」だとか、どうもつっけんどんな態度を取ってしまう。本当はもっと穏やかに接したいのに。陸も「お説教ばっかり!」と顔を顰めているから、自分のことを苦手だと思っているに違いない。
周囲からは仲がよさそうな組み合わせだと思われているらしいが、実際のところは、その真逆ではないかと一織は考えている。正直、相性はよくないだろう。
「おーい、なにか飲むか?」
食器を洗い終えた三月が、リビングで談笑している他のメンバーに声をかけた。
紅茶、炭酸、ビール……三者三様の返答はいつものこと。環には五百ミリリットルのペットボトルをそのまま手渡し、成人組には缶ビール、残りの三人は紅茶。ナギが英国王室御用達の銘柄にしてほしいと言っているが、残念ながら大量生産された国産のものしかここにはない。
酒を飲み交わしたいであろう兄のことを考え、紅茶は一織が用意することにした。三月が「サンキューな!」と、大和と壮五のぶんも含めた缶ビールを冷蔵庫から取り出す。明日は夕方からとはいえ仕事があるのだから――言っても無駄だろうけれど――悪酔いしないようにしてほしい。特に、酔いが回るとユニットの相方に絡みだす某メンバーには。一織と環には、明日も学校がある。酔っ払いの介抱でくたくたになったクラスメイトを引き摺って学校へ行くのは重労働だ。
紅茶だけでは心許ないと感じ、食べ過ぎとならない程度の菓子を戸棚から取り出す。おまけ目当てで購入した菓子は、こういう時に役立つのだ。もちろん、おまけの品であるうさみみフレンズの玩具は素早く抜き取って、部屋に隠してある。
「一織、ありがと」
紅茶を淹れただけで花が咲くような笑顔。あぁ、いちいちときめかせるのはやめてほしい。カップを両手で持ち、立ち上る湯気に瞳を潤ませる陸の表情に、ほんの少しの劣情を覚える。初めて出会ったあの日、一目見て心奪われてから、毎日この調子だ。
一織は溜息をついて、陸の隣、少し間隔を置いて腰掛けた。ソファーの他の席は既に埋まっていて、ここしか空いていなかったから仕方がない。そう自分に言い訳をして。
テーブルを挟んだ向こうでは、成人組が缶ビールで乾杯をしている。さて、今夜は誰が最初に酔い潰れるだろう。
斜め前にあるソファーで炭酸ジュースを呷った環が、壮五のことを、じとりと横目で見ている。おおかた、飲み過ぎないようにと祈っているのだろう。
(残念ながら、四葉さんの祈りは通じないだろうな)
一織の視線に気付いたのか、環がこちらを向いた。言いたいことはわかっている。
「無理です。あぁ、ほら。二階堂さんが逢坂さんを煽り始めましたよ。あぁなっては、もうだめでしょうね。諦めてください。明日、遅刻しない程度に起きてくださいね」
「はぁっ? まだなんも言ってねえし!」
「ははっ、環、頑張れー」
陸が身体を揺らして笑い、その肩先が一織の身体に軽くぶつかった。
「……っ」
これくらいの接触で動揺してどうする。ダンスのレッスンやライブの本番、バラエティ番組ではもっと接触が多いのに。あぁ、肩が熱い。
あとで部屋に戻ったら、自分の肩に触れて、陸の身体がぶつかった感触を思い出すのだろう。これしきのことでこんなに意識してしまって、情けなさ過ぎる。
「ん? 一織、どうした?」
紅茶、冷めるぞ。そう言われて、はっとカップの中を見遣る。ほとんど飲んでいないのに、せっかく淹れた紅茶は湯気がなくなっていた。
「すみません、ぼんやりしていて」
カップに口を付ける。あぁ、やっぱり。ここまで冷めてしまっていると、恐らく、底のほうは渋い味になっていることだろう。
「しょうがないなぁ。ほら、あーん」
「あ、……え?」
さきほど一織が用意した菓子を口許に寄せられる。食べさせてやろうという体勢だ。
「口直し! ほら早く! 用意したのは一織だけど」
黙っているとずっと待っていそうだったから、仕方なく唇を薄っすらと開いて、齧り付いた。馴染みの菓子なのに、陸が手ずから食べさせてくれたからだろうか、ひどく甘く感じる。
「おいしい?」
「……えぇ、まぁ。用意したのは私ですけど」
あぁ、まただ。また、愛おしいと思う気持ちが増してしまった。気持ちが漏れ出してしまわないよう、菓子と一緒に咀嚼する。でも、消化されるのは菓子だけで、一織の恋心までは消化されてくれない。
そうして今夜もまた、陸への気持ちを募らせていく。