ファーストキス
「七瀬さん。顎を引かないようにじっとしてください」
眠る前に陸の部屋を訪ね、開口一番、一織はそう言った。
「えっ、なに……」
思いつめた表情で言われるものだから、陸もつられて、表情がこわばってしまう。
「いいから、じっとしてください」
「な、なんだよ……」
一織の表情はかたいけれど、怒っている様子は見受けられない。どちらかといえば、緊張、しているような。密室に恋人同士が二人きり、向かい合って「じっとして」なんて、ひとつしか考えられない。
(これって、もしかして、もしかする……?)
「七瀬さん……」
一織が両肩に手を添える。Tシャツ越しに触れる体温が熱いのは、一織が緊張しているだろうか。
陸はごくりと生唾を飲み込む。この体勢、どう考えても。
「い、一織」
毎日見ている顔なのに、心臓がどきどきして、見ていられない。顔を背けてしまいそうだ。あぁ、でもそっぽを向いてしまうと、続きができない。
「目を、閉じてもらえますか」
両肩に添えられた手に力が入る。
「なんで」
「なんで、って……」
「あぁ、なんでじゃなくて! えぇと……」
この体勢で、じっとして目を閉じろなんて、キスをしようとしているに決まっているのに、緊張のあまり、思わず「なんで」と口走ってしまった。
「交際をするようになって一ヶ月、その、そろそろ……それらしいことを、と」
「……うん」
っていうか一ヶ月経ったのにキスもまだなんて! というのが、陸の考えだ。
今時、中学生だってすぐにキスくらいするのでは? と思っている。以前、インタビューを受けた女子中高生向けの雑誌で、自分たちが掲載されたのとは別のコーナーに、そんな話題が載っていたことを思い出す。陸はぱらぱらとページをめくりながら「一織は奥手だなぁ」と考えていたのだ。
陸とて、なにもせずただ黙って待っていたわけではない。唇を丁寧にケアしては「見て見て、すっごくつやつやになった!」と、唇に注視するよう誘導したり、一織の視線が自分の唇に注がれているのを察して、わざと誘うような視線を返したりしたことがある。直接的な言葉で誘わなかったのは、一織の恥ずかしがり屋な性格を考えてのこと。自分からキスをねだって、万が一、照れ隠しから断られでもしたら、確実に落ち込んでしまう。
「あの、目を、閉じてもらえますか」
一織の言葉に、陸は自分がずっと一織を見つめたままだったことに気付く。
「あ、そう、……そうだよな。こういうのって、目、閉じるんだよな……」
映画やドラマでも、大抵は目を閉じている。陸は背筋をぴんと伸ばし、瞼を閉じた。
「さぁ、いつでもどうぞ!」
キスをするって、こんなに気合いがいるものなのだろうか。
「します、……します、からね」
「うん……」
目を閉じていても、互いの顔の距離が少しずつ縮んでいるのがわかる。一織の前髪の毛先が顔に触れ、くすぐったさに陸の肩が震えた。一織の指先も、わずかに動く。陸の肩が震えたことで動揺したのだろう。
「…………」
一織の動きが止まった気配がした。こんなところでやめるなんて勘弁してほしい。
「大丈夫、怖くない、から、……してよ」
陸が「ん」と唇を突き出すと同時に、点と点で触れる感触。それが一織の唇だとわかった瞬間、たまらなくなって、陸のほうから、押し付けるように唇を触れ合わせる。
「……っ」
やわらかい。あたたかい。それから、気持ちいい。陸だけでなく、一織も唇をケアしているのがわかった。リップクリーム特有のぺたりとした感触。あぁ、このまま、ずっとくっついてしまえばいいのに。押し付け合うキスを何度か続けていると、閉じている目の奥が熱くなってきてしまった。少し休憩したくて、唇を離す。
「……一織、顔真っ赤」
「…………七瀬さんのほうが赤いです」
しばらく、相手の顔のほうが自分よりも赤いはずだと言い合う。それがだんだんおかしくなってきて、しまいには、笑い出してしまった。それでも絡む視線は甘ったるくて、顔の距離も近いものだから。
「なぁ、もう一回」
目を閉じて、さきほどのように、軽く唇を突き出す。一織の咳払いが聞こえたけれど、そのあとにはきちんと、やわらかくてあたたかい感触がした。
眠る前に陸の部屋を訪ね、開口一番、一織はそう言った。
「えっ、なに……」
思いつめた表情で言われるものだから、陸もつられて、表情がこわばってしまう。
「いいから、じっとしてください」
「な、なんだよ……」
一織の表情はかたいけれど、怒っている様子は見受けられない。どちらかといえば、緊張、しているような。密室に恋人同士が二人きり、向かい合って「じっとして」なんて、ひとつしか考えられない。
(これって、もしかして、もしかする……?)
「七瀬さん……」
一織が両肩に手を添える。Tシャツ越しに触れる体温が熱いのは、一織が緊張しているだろうか。
陸はごくりと生唾を飲み込む。この体勢、どう考えても。
「い、一織」
毎日見ている顔なのに、心臓がどきどきして、見ていられない。顔を背けてしまいそうだ。あぁ、でもそっぽを向いてしまうと、続きができない。
「目を、閉じてもらえますか」
両肩に添えられた手に力が入る。
「なんで」
「なんで、って……」
「あぁ、なんでじゃなくて! えぇと……」
この体勢で、じっとして目を閉じろなんて、キスをしようとしているに決まっているのに、緊張のあまり、思わず「なんで」と口走ってしまった。
「交際をするようになって一ヶ月、その、そろそろ……それらしいことを、と」
「……うん」
っていうか一ヶ月経ったのにキスもまだなんて! というのが、陸の考えだ。
今時、中学生だってすぐにキスくらいするのでは? と思っている。以前、インタビューを受けた女子中高生向けの雑誌で、自分たちが掲載されたのとは別のコーナーに、そんな話題が載っていたことを思い出す。陸はぱらぱらとページをめくりながら「一織は奥手だなぁ」と考えていたのだ。
陸とて、なにもせずただ黙って待っていたわけではない。唇を丁寧にケアしては「見て見て、すっごくつやつやになった!」と、唇に注視するよう誘導したり、一織の視線が自分の唇に注がれているのを察して、わざと誘うような視線を返したりしたことがある。直接的な言葉で誘わなかったのは、一織の恥ずかしがり屋な性格を考えてのこと。自分からキスをねだって、万が一、照れ隠しから断られでもしたら、確実に落ち込んでしまう。
「あの、目を、閉じてもらえますか」
一織の言葉に、陸は自分がずっと一織を見つめたままだったことに気付く。
「あ、そう、……そうだよな。こういうのって、目、閉じるんだよな……」
映画やドラマでも、大抵は目を閉じている。陸は背筋をぴんと伸ばし、瞼を閉じた。
「さぁ、いつでもどうぞ!」
キスをするって、こんなに気合いがいるものなのだろうか。
「します、……します、からね」
「うん……」
目を閉じていても、互いの顔の距離が少しずつ縮んでいるのがわかる。一織の前髪の毛先が顔に触れ、くすぐったさに陸の肩が震えた。一織の指先も、わずかに動く。陸の肩が震えたことで動揺したのだろう。
「…………」
一織の動きが止まった気配がした。こんなところでやめるなんて勘弁してほしい。
「大丈夫、怖くない、から、……してよ」
陸が「ん」と唇を突き出すと同時に、点と点で触れる感触。それが一織の唇だとわかった瞬間、たまらなくなって、陸のほうから、押し付けるように唇を触れ合わせる。
「……っ」
やわらかい。あたたかい。それから、気持ちいい。陸だけでなく、一織も唇をケアしているのがわかった。リップクリーム特有のぺたりとした感触。あぁ、このまま、ずっとくっついてしまえばいいのに。押し付け合うキスを何度か続けていると、閉じている目の奥が熱くなってきてしまった。少し休憩したくて、唇を離す。
「……一織、顔真っ赤」
「…………七瀬さんのほうが赤いです」
しばらく、相手の顔のほうが自分よりも赤いはずだと言い合う。それがだんだんおかしくなってきて、しまいには、笑い出してしまった。それでも絡む視線は甘ったるくて、顔の距離も近いものだから。
「なぁ、もう一回」
目を閉じて、さきほどのように、軽く唇を突き出す。一織の咳払いが聞こえたけれど、そのあとにはきちんと、やわらかくてあたたかい感触がした。