勝負
一織は昔から、勝負ごとには強いほうだったと自負している。事前に情報を収集し、戦略を練って、勝てるようにしてきた。そもそも、負ける勝負はしない。勝ちの見えないものとわかれば、勝負にならないよう、相手をうまく誘導するだけのことだ。誰が呼んだか知れないが、さすが、パーフェクト高校生というだけある。
しかし、そんな一織も、陸との出会い以降、変わってしまった。
「あーっ! また負けかぁ……」
共有スペースのリビング、コントローラーを握り締めたままの陸から、落胆の声が上がった。どうやら、環とゲームをしていて負けてしまったらしい。
(いつものことじゃないですか……)
「りっくんよえー」
環の言う通り、環とのゲームで陸が勝てたためしがない。
「そりゃあ、環みたいにやり込んでないからなぁ……あ、一織だ。おかえり」
仕事から帰寮した一織に気付いたらしい。
「ただいま戻りました。……四葉さん、課題は終わったんですか。写させてほしいと頼まれてもお断りですからね」
「えっ、環くん、課題があったのかい?」
「……今やろうと思ってたとこー! もー、いおりんうっさい」
課題をやっていないことが壮五に知られたことで「やばい」と思ったのか、環は、余計なこと言いやがって……と頬を膨らませる。課題が終わるまで見ててあげるからと説得している壮五を尻目に、一織は陸に歩み寄った。
「七瀬さんも。明日は早いでしょう。目の負担が翌日に響いたらどうするんです」
「えー……まぁ、環、課題やんなきゃだし、しょうがないなぁ。環、また明日な。明日はオレ、絶対の絶対に勝つから!」
そう言ってデータをセーブすると電源を切り、コントローラーを片付け始めた。
(そう言って、多分明日も七瀬さんは勝てないだろう)
入浴を済ませ、翌日の予定をチェックして。あとはもう眠るだけとなったら、そこからは二人きりの時間。今日は陸の部屋で、ふわふわとやわらかなビーズクッションに身を委ねて、たわいもないおしゃべりに興じている。
「……で、環のやつ、オレが見たことない剣使っててさ、こんなふうに……」
そう言って身体を起こすと、ゲーム内のキャラクターがしていたのであろう剣の構えを真似してみせる。
「えいっ! って、一撃で敵が全滅。はぁ……やっぱり、環ってゲーム強いよなぁ」
「んん……」
えい! という掛け声とともに腕を振る陸の姿に、一織は思わずむせてしまった。この人は要所要所でかわいいことをしてくるから困る。
「ん? どうしたんだよ一織」
「いえ、なんでもありません」
そう答えてもすぐには納得できないのか、陸は身体をこちらにもたれさせて、一織の顔を覗き込んでくる。
(あぁもう……)
本当に、この男には敵わない。
一織が初めて「勝てない」と感じたのは、目の前にいるこの男の歌声を聴いた時。
元々、一織がアイドルを目指すことになったのは、自分がスカウトされた小鳥遊事務所に入所する条件として「兄も一緒に」と提示したものを受け入れられてのことだ。一織自身、自分に天賦の才があるとは思っていない。
それでも、大抵のことならそつなくこなせる自信はあった。だから、万が一、勝負ごとを持ちかけられても勝てる自信があったし、どうあがいても勝てないものには相手をせず済むように会話を誘導してやり過ごすから、誰かに対して「勝てない」という感情を抱くことはないと思っていた。
それが、陸の歌声を聴いて――正確には、その歌声を聴いた時の自分の感情に気付いたことで――初めて「勝てない」と思ったのだ。そこからは坂道を転がり落ちるような状態で、何度も、目の前のこの男に「勝てない」と思うことが増えてしまった。それは、歌声であったり、彼のくるくるとよく変わる表情の愛らしさだったり。
「一織? なんだよ、ぼーっとして」
「ちょっと、やめ……」
ぐにぐにと頬をつつかれ、平静を装っている表情はどうしても崩れてしまう。
「あっ、わかった。オレが環とゲームしてたから拗ねてるんだろ。一織もゲームしたかった? 今日やってたやつは一織でも難しいと思うから経験者のオレのほうが強いかも!」
うんうんと頷く陸を見て、果たしてそれはどうだろうかと思案する。経験者だからとふんぞり返った表情をしているけれど、あのタイトルは先週発売されたばかりのもので、陸自身もあまりプレイ回数をこなしていないはず。もしかすると、今日が初めてかもしれない。それなのに……かわいい人だなと思う。
「初心者の私に手加減なく勝負を挑まれるんですか」
「当たり前! 一織の前で手抜きなんてできないよ」
でないと、一織ってば飲み込み早いからなんでもかんでもすぐ慣れちゃうし……などと言っている。果たして、そうだろうか? と再び首を傾げる。
陸との付き合いもかれこれ半年ほどになるけれど、一向に慣れる気配はない。ちょっと視線がかち合っただけでもどきどきしてしまうし、抱き締めようと伸ばす腕は指先が震えてしまっている。悔しいことに、使い古されたあのチープな言葉がお似合いだ。
(惚れたほうが負け……って、言いますよね)
勝負ごとには強いほうだったのに。このかわいい男の前では、自分は負けっぱなしだなと思う。
「さぁさぁ、おしゃべりはこのくらいにしましょう。いい加減眠らないと、明日の朝がつらいですから」
部屋の時計で時刻を確認する。いつも眠る時間を少し過ぎてしまっていた。
「ん、わかった。じゃ、おやすみ一織」
おやすみの言葉とともに頬に軽いキス。唇が離れていく際、少しだけ頬に息がかかった。
「……っ、おやすみ、なさい」
あぁもう、またどきどきさせられてしまった。
勝ち負けの話ではない。勝ち負けの話ではないけれど、陸との付き合いに関しては、一織は負けっ放しだ。彼に勝つことのできる日なんて、くるのだろうか。
しかし、そんな一織も、陸との出会い以降、変わってしまった。
「あーっ! また負けかぁ……」
共有スペースのリビング、コントローラーを握り締めたままの陸から、落胆の声が上がった。どうやら、環とゲームをしていて負けてしまったらしい。
(いつものことじゃないですか……)
「りっくんよえー」
環の言う通り、環とのゲームで陸が勝てたためしがない。
「そりゃあ、環みたいにやり込んでないからなぁ……あ、一織だ。おかえり」
仕事から帰寮した一織に気付いたらしい。
「ただいま戻りました。……四葉さん、課題は終わったんですか。写させてほしいと頼まれてもお断りですからね」
「えっ、環くん、課題があったのかい?」
「……今やろうと思ってたとこー! もー、いおりんうっさい」
課題をやっていないことが壮五に知られたことで「やばい」と思ったのか、環は、余計なこと言いやがって……と頬を膨らませる。課題が終わるまで見ててあげるからと説得している壮五を尻目に、一織は陸に歩み寄った。
「七瀬さんも。明日は早いでしょう。目の負担が翌日に響いたらどうするんです」
「えー……まぁ、環、課題やんなきゃだし、しょうがないなぁ。環、また明日な。明日はオレ、絶対の絶対に勝つから!」
そう言ってデータをセーブすると電源を切り、コントローラーを片付け始めた。
(そう言って、多分明日も七瀬さんは勝てないだろう)
入浴を済ませ、翌日の予定をチェックして。あとはもう眠るだけとなったら、そこからは二人きりの時間。今日は陸の部屋で、ふわふわとやわらかなビーズクッションに身を委ねて、たわいもないおしゃべりに興じている。
「……で、環のやつ、オレが見たことない剣使っててさ、こんなふうに……」
そう言って身体を起こすと、ゲーム内のキャラクターがしていたのであろう剣の構えを真似してみせる。
「えいっ! って、一撃で敵が全滅。はぁ……やっぱり、環ってゲーム強いよなぁ」
「んん……」
えい! という掛け声とともに腕を振る陸の姿に、一織は思わずむせてしまった。この人は要所要所でかわいいことをしてくるから困る。
「ん? どうしたんだよ一織」
「いえ、なんでもありません」
そう答えてもすぐには納得できないのか、陸は身体をこちらにもたれさせて、一織の顔を覗き込んでくる。
(あぁもう……)
本当に、この男には敵わない。
一織が初めて「勝てない」と感じたのは、目の前にいるこの男の歌声を聴いた時。
元々、一織がアイドルを目指すことになったのは、自分がスカウトされた小鳥遊事務所に入所する条件として「兄も一緒に」と提示したものを受け入れられてのことだ。一織自身、自分に天賦の才があるとは思っていない。
それでも、大抵のことならそつなくこなせる自信はあった。だから、万が一、勝負ごとを持ちかけられても勝てる自信があったし、どうあがいても勝てないものには相手をせず済むように会話を誘導してやり過ごすから、誰かに対して「勝てない」という感情を抱くことはないと思っていた。
それが、陸の歌声を聴いて――正確には、その歌声を聴いた時の自分の感情に気付いたことで――初めて「勝てない」と思ったのだ。そこからは坂道を転がり落ちるような状態で、何度も、目の前のこの男に「勝てない」と思うことが増えてしまった。それは、歌声であったり、彼のくるくるとよく変わる表情の愛らしさだったり。
「一織? なんだよ、ぼーっとして」
「ちょっと、やめ……」
ぐにぐにと頬をつつかれ、平静を装っている表情はどうしても崩れてしまう。
「あっ、わかった。オレが環とゲームしてたから拗ねてるんだろ。一織もゲームしたかった? 今日やってたやつは一織でも難しいと思うから経験者のオレのほうが強いかも!」
うんうんと頷く陸を見て、果たしてそれはどうだろうかと思案する。経験者だからとふんぞり返った表情をしているけれど、あのタイトルは先週発売されたばかりのもので、陸自身もあまりプレイ回数をこなしていないはず。もしかすると、今日が初めてかもしれない。それなのに……かわいい人だなと思う。
「初心者の私に手加減なく勝負を挑まれるんですか」
「当たり前! 一織の前で手抜きなんてできないよ」
でないと、一織ってば飲み込み早いからなんでもかんでもすぐ慣れちゃうし……などと言っている。果たして、そうだろうか? と再び首を傾げる。
陸との付き合いもかれこれ半年ほどになるけれど、一向に慣れる気配はない。ちょっと視線がかち合っただけでもどきどきしてしまうし、抱き締めようと伸ばす腕は指先が震えてしまっている。悔しいことに、使い古されたあのチープな言葉がお似合いだ。
(惚れたほうが負け……って、言いますよね)
勝負ごとには強いほうだったのに。このかわいい男の前では、自分は負けっぱなしだなと思う。
「さぁさぁ、おしゃべりはこのくらいにしましょう。いい加減眠らないと、明日の朝がつらいですから」
部屋の時計で時刻を確認する。いつも眠る時間を少し過ぎてしまっていた。
「ん、わかった。じゃ、おやすみ一織」
おやすみの言葉とともに頬に軽いキス。唇が離れていく際、少しだけ頬に息がかかった。
「……っ、おやすみ、なさい」
あぁもう、またどきどきさせられてしまった。
勝ち負けの話ではない。勝ち負けの話ではないけれど、陸との付き合いに関しては、一織は負けっ放しだ。彼に勝つことのできる日なんて、くるのだろうか。