喧嘩
「一織のばか! もう知らないからな!」
「……どこかの国民的長編アニメ映画で聞いたようなセリフはやめてもらえますか」
こめかみを押さえる一織に陸はきょとんとする。少しして、一織が言っている映画がなんであるかに気付いた。
「えっ、一織、見たことあるんだ。あれって結構昔のやつだよな? オレたちが生まれる前のやつじゃん」
陸は病室での時間潰しに、読書だけでは飽きるだろうからと母親が持ってきてくれて見たことがあるのだけれど、一織もあのファンタジーな映画を見ていたなんて。ほら、やっぱり、ああいうかわいいものが好きなんじゃん。
「……っ、大衆の嗜好傾向を探るために、過去のヒット作品を学ぶことも必要ですから」
別に見たことを咎めていないし、見た理由を聞いてもいないのに。こういう時の一織は少し早口だ。――と、忘れていた。喧嘩していたんだった。
「とにかく、オレはもう知らないからな!」
ふん! と鼻息荒く、ずんずんと足音を立てて、一織の部屋を出ていく。
「あ、ちょっと」
「お邪魔しました!」
ばたん、と派手な音を立てて閉じられたドア。廊下に響くそれに、他のメンバーも気付いたことだろう。また喧嘩か? なんて言われる前に追いかけて……。
(……私は悪くありません)
つい、陸を宥めなければと思ってしまったけれど、そもそも、ことの発端は陸にあるのだ。追いかけようとした足を止める。
ことの発端はこうだ。
「じゃーん! 見て見て!」
ドアをノックされ、なんの用かと開いてみれば。
「TRIGGERの……ライブツアーのブルーレイですか」
そういえば今日が入荷日だった。勉強のため、自分も見るつもりではあったものの、次の週末にでもじっくり時間を取って観賞しようと思っていた。
「駅前に買いもの行ったついでにお迎えしてきたんだ! 一織も見るだろ?」
初回限定盤のシールが貼られたパッケージ。そのジャケット写真では、TRIGGERの三人が挑戦的なまなざしでこちらを見ている。
ブルーレイの収録時間を脳裏に浮かべ、それくらいの時間なら……と、今やっていることを中断しても問題ないと判断し、陸を招き入れた。
ノートパソコンをスリープにする。さきほどまで、IDOLiSH7の、そして、七瀬陸の今後の売り出しについて思案していることを文書にまとめていたところだ。これはのちほど紡に見せるものであって、メンバーはもちろんのこと、陸本人にだって見られるわけにはいかない。
テレビの前に並んで座り、ブルーレイを再生する。液晶画面越しでも心臓に響く音は、自分の兄と、隣にいる人と、今日は雑誌のインタビューの仕事に向かっている壮五が愛してやまないものだ。もちろん、自分もTRIGGERのことは尊敬している。
「あっ、今の、もう一回!」
陸がリモコンを操作し、まるごと一曲分、映像が巻き戻された。
「…………七瀬さん」
高速で巻き戻しされる映像のTRIGGERを何度見たことだろう。ちらりと横目で時計を見る。案の定、ブルーレイの収録時間はとうに過ぎていた。
「んー?」
心ここにあらずといった様子だ。好きなのはわかるけれど、正直、おもしろくない。
「あなたのもう一回は何回あるんでしょうね」
思っていた以上に険のある声音になってしまったことに、自分でも驚く。
「……そんな言い方ないだろ」
唇を尖らせる陸を見て、こんな時でもかわいいと思ってしまう自分に落胆する。だからといって、おもしろくない気持ちを消すことはできそうにない。
(隣にいるのに……)
並んで座って同じものを見ているのに、陸は映像の中のTRIGGERに……というか、自分の兄に夢中だ。一織の抱いている感情は嫉妬にほかならないのだけれど、残念ながら、素直にそれを言葉にできるタイプではない。
「……っ、とにかく、……私はやることがありますので、まだ見たいのであれば、ご自分の部屋で見てください」
「はぁっ?」
――ここから、言い合いになったのである。
(だから、私は悪くないはずだ)
いらいらとした気持ちのまま椅子に座り、ノートパソコンを開く。できるだけ客観的にIDOLiSH7と七瀬陸に対する世間の評価をまとめ上げた文面を読み返す。
単独での仕事、ナギと陸のラジオに対するリスナーの反応、IDOLiSH7のCDの売り上げや出演番組の反応、前回のライブで会場内の座席に置いたアンケートの集計結果。
(すべて、IDOLiSH7を……七瀬さんをスーパースターにするためのものだ)
文書の仕上げに取りかかろうとした時、スマートフォンの着信ランプが点滅した。手を止め、スマートフォンのロック画面を解除すると、ラビットチャットの受信を知らせるアイコンが表示されていた。指を滑らせて、通知バーからトーク画面を開く。
「……七瀬さん…………」
こういう時、たった一歳の差とはいえ、陸は年上なのだと痛感する。喧嘩になってしまった時、あとからこうやってフォローをするのは、実は、陸であることが多いのだ。次こそは自分も素直に謝罪しようと思うのに、喧嘩をするたび、一織が冷静になるより先に、陸がこうやって一織を優しく宥め、ささくれ立った心を言葉で撫でてくれる。
(これでは、だめですね……)
一織は再びノートパソコンを閉じた。早く、自分も謝らなければ。
それにしても、随分と恥ずかしいことを言ってくれるものだ。
(そんな顔をした覚えは、なかったのに……)
『さっきはごめん。オレが夢中になってても、一織は隣で優しく笑ってくれてるから、いいんだと思ってた。さすがに何回も見過ぎだったよな。でも、一織だってあんな言い方はだめだと思う。だから、お互い謝って、仲直りしたい』
優しく笑っていたなんて。ただ、きらきらと瞳を輝かせている陸がかわいいと思っていただけなのに。
あぁ、顔が赤くなっていないだろうか。頬に手を当てて、体温を確かめたけれど、心臓がどきどきしている状態だ。これでは、うまく判断ができない。
だからといって、あまり時間を置きたくはない。
陸から歩み寄ってくれたことに、やはり彼は年上なのだと痛感する。いつまでも意地を張っていないで、自分も素直に謝ろう。一織はゆっくりと息を吐き出すと、小さな声で「よし」と自信を鼓舞し、陸の部屋へと向かった。
「……どこかの国民的長編アニメ映画で聞いたようなセリフはやめてもらえますか」
こめかみを押さえる一織に陸はきょとんとする。少しして、一織が言っている映画がなんであるかに気付いた。
「えっ、一織、見たことあるんだ。あれって結構昔のやつだよな? オレたちが生まれる前のやつじゃん」
陸は病室での時間潰しに、読書だけでは飽きるだろうからと母親が持ってきてくれて見たことがあるのだけれど、一織もあのファンタジーな映画を見ていたなんて。ほら、やっぱり、ああいうかわいいものが好きなんじゃん。
「……っ、大衆の嗜好傾向を探るために、過去のヒット作品を学ぶことも必要ですから」
別に見たことを咎めていないし、見た理由を聞いてもいないのに。こういう時の一織は少し早口だ。――と、忘れていた。喧嘩していたんだった。
「とにかく、オレはもう知らないからな!」
ふん! と鼻息荒く、ずんずんと足音を立てて、一織の部屋を出ていく。
「あ、ちょっと」
「お邪魔しました!」
ばたん、と派手な音を立てて閉じられたドア。廊下に響くそれに、他のメンバーも気付いたことだろう。また喧嘩か? なんて言われる前に追いかけて……。
(……私は悪くありません)
つい、陸を宥めなければと思ってしまったけれど、そもそも、ことの発端は陸にあるのだ。追いかけようとした足を止める。
ことの発端はこうだ。
「じゃーん! 見て見て!」
ドアをノックされ、なんの用かと開いてみれば。
「TRIGGERの……ライブツアーのブルーレイですか」
そういえば今日が入荷日だった。勉強のため、自分も見るつもりではあったものの、次の週末にでもじっくり時間を取って観賞しようと思っていた。
「駅前に買いもの行ったついでにお迎えしてきたんだ! 一織も見るだろ?」
初回限定盤のシールが貼られたパッケージ。そのジャケット写真では、TRIGGERの三人が挑戦的なまなざしでこちらを見ている。
ブルーレイの収録時間を脳裏に浮かべ、それくらいの時間なら……と、今やっていることを中断しても問題ないと判断し、陸を招き入れた。
ノートパソコンをスリープにする。さきほどまで、IDOLiSH7の、そして、七瀬陸の今後の売り出しについて思案していることを文書にまとめていたところだ。これはのちほど紡に見せるものであって、メンバーはもちろんのこと、陸本人にだって見られるわけにはいかない。
テレビの前に並んで座り、ブルーレイを再生する。液晶画面越しでも心臓に響く音は、自分の兄と、隣にいる人と、今日は雑誌のインタビューの仕事に向かっている壮五が愛してやまないものだ。もちろん、自分もTRIGGERのことは尊敬している。
「あっ、今の、もう一回!」
陸がリモコンを操作し、まるごと一曲分、映像が巻き戻された。
「…………七瀬さん」
高速で巻き戻しされる映像のTRIGGERを何度見たことだろう。ちらりと横目で時計を見る。案の定、ブルーレイの収録時間はとうに過ぎていた。
「んー?」
心ここにあらずといった様子だ。好きなのはわかるけれど、正直、おもしろくない。
「あなたのもう一回は何回あるんでしょうね」
思っていた以上に険のある声音になってしまったことに、自分でも驚く。
「……そんな言い方ないだろ」
唇を尖らせる陸を見て、こんな時でもかわいいと思ってしまう自分に落胆する。だからといって、おもしろくない気持ちを消すことはできそうにない。
(隣にいるのに……)
並んで座って同じものを見ているのに、陸は映像の中のTRIGGERに……というか、自分の兄に夢中だ。一織の抱いている感情は嫉妬にほかならないのだけれど、残念ながら、素直にそれを言葉にできるタイプではない。
「……っ、とにかく、……私はやることがありますので、まだ見たいのであれば、ご自分の部屋で見てください」
「はぁっ?」
――ここから、言い合いになったのである。
(だから、私は悪くないはずだ)
いらいらとした気持ちのまま椅子に座り、ノートパソコンを開く。できるだけ客観的にIDOLiSH7と七瀬陸に対する世間の評価をまとめ上げた文面を読み返す。
単独での仕事、ナギと陸のラジオに対するリスナーの反応、IDOLiSH7のCDの売り上げや出演番組の反応、前回のライブで会場内の座席に置いたアンケートの集計結果。
(すべて、IDOLiSH7を……七瀬さんをスーパースターにするためのものだ)
文書の仕上げに取りかかろうとした時、スマートフォンの着信ランプが点滅した。手を止め、スマートフォンのロック画面を解除すると、ラビットチャットの受信を知らせるアイコンが表示されていた。指を滑らせて、通知バーからトーク画面を開く。
「……七瀬さん…………」
こういう時、たった一歳の差とはいえ、陸は年上なのだと痛感する。喧嘩になってしまった時、あとからこうやってフォローをするのは、実は、陸であることが多いのだ。次こそは自分も素直に謝罪しようと思うのに、喧嘩をするたび、一織が冷静になるより先に、陸がこうやって一織を優しく宥め、ささくれ立った心を言葉で撫でてくれる。
(これでは、だめですね……)
一織は再びノートパソコンを閉じた。早く、自分も謝らなければ。
それにしても、随分と恥ずかしいことを言ってくれるものだ。
(そんな顔をした覚えは、なかったのに……)
『さっきはごめん。オレが夢中になってても、一織は隣で優しく笑ってくれてるから、いいんだと思ってた。さすがに何回も見過ぎだったよな。でも、一織だってあんな言い方はだめだと思う。だから、お互い謝って、仲直りしたい』
優しく笑っていたなんて。ただ、きらきらと瞳を輝かせている陸がかわいいと思っていただけなのに。
あぁ、顔が赤くなっていないだろうか。頬に手を当てて、体温を確かめたけれど、心臓がどきどきしている状態だ。これでは、うまく判断ができない。
だからといって、あまり時間を置きたくはない。
陸から歩み寄ってくれたことに、やはり彼は年上なのだと痛感する。いつまでも意地を張っていないで、自分も素直に謝ろう。一織はゆっくりと息を吐き出すと、小さな声で「よし」と自信を鼓舞し、陸の部屋へと向かった。