オフ
鉄道系旅行会社、その中でも新幹線を利用したツアーに強みを持つ企業とのタイアップの話が舞い込んできた。学生から家族連れ、シニア世代まで幅広い顧客層を持つ企業。事務所でその話を耳にした一織は、その仕事は即受けるべきだと紡に進言した。
愛知県に本社を構える企業の親会社にあたることから、タイアップの内容は愛知県内を観光するパッケージツアーとなる。当然、CM撮影がおこなわれるのも愛知県。紡から話を聞いたメンバーは皆、一様に、旅行だと大はしゃぎ。遊びじゃないんですからという一織の言葉は右耳から左耳へ。しかし、一織も溜息をつきつつも、一時間四十分ほどの小さな遠出に、内心、心躍らせていたのである。
もちろん、その日の夕食は、愛知県の名産品の話題でもちきりだった。
タイアップCMの撮影は滞りなく進んだ。新幹線に乗って東京を出発、車内で過ごすIDOLiSH7の様子も旅行の一環としてカメラが回された。途中、富士山が見えたあたりで陸がはしゃいで声を上げたものだから、つい、いつもの癖で窘めたところ、その様子まで撮影されてしまっていたらしい。
現地に着いてからは、これが仕事だということも忘れて、皆、大はしゃぎ。CMの絵コンテには観光名所だけでなくホテルで過ごすところも含まれており、ホテルでの撮影が終わったのは二十時過ぎであった。長い移動時間でくたくたになってしまったが、カメラマンは「楽しそうでいい画が撮れた」と笑っていた。無事に撮影が終了したことに、皆、胸を撫で下ろした。
チェックアウトの時間に遅れないようにと念押しし合ってから、各自、用意された部屋へと向かう。宿泊を伴う仕事にもすっかり慣れたもので、ツインルームの部屋割りも、すんなりと決まった。撮影ではしゃぎ過ぎて疲れたのだろう。一織の後ろには、ふわぁと大きなあくびをする陸が、まるで雛鳥のようについてきている。陸からは見えないことをいいことに、一織は口許をゆるめ、心の中で「かわいい人だな」と呟いた。
部屋の壁に備え付けられたソケットにカードキーを挿し込む。ぱっとついた灯りの眩しさに、一織は、自分も思っていた以上に疲れていることに気付いた。
「七瀬さん、先にシャワーを浴びてください」
「んん、うん……」
「ほら、寝ないでくださいよ」
陸の荷物は把握している。彼のバッグから下着が入った袋を引っぱり出すと、陸をバスルームへと押し込んだ。
(大いにはしゃぐのは……今回は、自然体な私たちを撮影したいと求められていたのだからいいとして、問題は、翌日の七瀬さんの体調か……)
ライブの間、ステージに立ち続けられる体力はあるものの、慣れない環境下で今日のようにはしゃいだ時なんかは、翌日にも疲れが残ってしまう傾向にある。明日のオフは、あまり負担のない観光にしなければと、名古屋の観光名所を検索することにした。
しかし、バスルームのドア越しに聞こえるシャワー音が心地よいBGMとなっていたのだろう。規則的な水音は一織の耳を優しく撫でてくれる。
「一織?」
一織がいつも口やかましく言うものだからと、髪をしっかり乾かしてからバスルームを出た陸は、部屋の中がしんと静まり返っていることに気付く。もちろん、一織は普段から静かにしているタイプだけれど、やけに静かだ。
ホテル備え付けの真っ白なスリッパでゆっくりと部屋の中を歩く。不織布でできたそれは、部屋のカーペットに音が吸収されることもあって、足音があまり響かない。使い捨ての簡易素材とはいえ、よくできているなと思う。
「一織ー……あ」
珍しいこともあるものだ。いつも気を張り詰めている一織がうたた寝なんて。
(こうしてると……一織って本当にきれい)
机に突っ伏して眠っている一織の髪を撫でる。耳許を覆い隠している髪をそっとかき上げると、白くて形のいい耳が現れた。一織はくすぐったがりで、陸がいたずら心を起こして脇腹に触れようものなら「やめてください!」と大騒ぎ。もちろん、耳許も弱い。
陸の中にいたずら心がむくむくと湧き上がってきた。
「いーおーりー。こらっ、起きろ。起きないと…………」
――いたずらするぞ。
耳許に唇を寄せ、わざと声のトーンを落として囁くと、びくっと大袈裟に体を跳ねさせた一織が飛び起きる。
「……? ……今のは…………?」
寝起きの一織は相変わらず頭がはたらいていないようで、顔だけは陸のほうを向いたものの、目はまだ開ききっていない。
「おまえ、うたた寝してた」
「そうでしたか、すみません。シャワーを……」
よろよろと立ち上がる一織を見て、陸は慌てて体に手を添える。
「あぁ、ばか、無理せず寝ろって。明日はオフなんだし、十一時に出られるように起きればいいんだろ?」
「ですが……」
なおも一織は懸命に起きようとしている。シャワーを浴びて身を綺麗にしてからベッドに入りたいという気持ちもあるのだろう。しかし……。
「一織さ、もしかして、気にしてる? 最近、二人でゆっくりできてないこと」
ありがたいことに、最近は個人での仕事の機会もぐっと増えた。その影響か、これまではオフの日がほぼ同じだった一織と、すれ違うことも多くなってしまったのだ。
ホテルのフロントで部屋割りが決まった時、陸が自分のほうをちらりと見たことに、一織も気付いていた。もちろん、隣室にはメンバーが寝泊まりしているし、移動で疲れている陸の体を思えば、情事に及ぶわけにはいかない。それでも、ツインルームのベッドのひとつに二人で寝転んで、たわいもない話をしたいと思っていた。
狭い狭いと文句を言って脚を軽く蹴飛ばし合ったり、至近距離で見つめ合ったり。体を深く繋げずとも、甘い時間を過ごす方法はいくらでもある。しかし、部屋へ向かう最中の陸の様子を見て、おしゃべりはせず、すぐに眠ろうと思い直したのだ。
「そう、ですね」
「さみしかった?」
つい意地を張ってしまいそうになったものの、実際のところ、さみしさを感じていた一織は、小さな声で「はい」とこぼした。
「そっか、オレも。次に一織とオフが一緒になったらーっていっぱい考えてた」
でも、眠いなら寝ろよ? と言われ、一織は首を横に振った。
さきほどのいたずらで起こされ、だんだんと目が冴えてきたし、シャワーを浴びて髪を乾かすくらいの気力もある。問題は、一織がシャワーを浴びている間に、恋人が先に眠ってしまわないかということ。
「あの、七瀬さん……」
一織の言わんとしていることがわかったのだろう。陸は一織の背中を軽く叩きながら笑った。
「大丈夫、待ってるから。……あ、もし、寝てたら、キスで起こしていいよ」
「~~っ、しません!」
けたけたと笑う陸を背に、一織はバッグの中から替えの下着を引っ掴み、バスルームへと駆け込んだ。一分一秒でも早く上がって、陸と甘い時間を過ごしたいから。
愛知県に本社を構える企業の親会社にあたることから、タイアップの内容は愛知県内を観光するパッケージツアーとなる。当然、CM撮影がおこなわれるのも愛知県。紡から話を聞いたメンバーは皆、一様に、旅行だと大はしゃぎ。遊びじゃないんですからという一織の言葉は右耳から左耳へ。しかし、一織も溜息をつきつつも、一時間四十分ほどの小さな遠出に、内心、心躍らせていたのである。
もちろん、その日の夕食は、愛知県の名産品の話題でもちきりだった。
タイアップCMの撮影は滞りなく進んだ。新幹線に乗って東京を出発、車内で過ごすIDOLiSH7の様子も旅行の一環としてカメラが回された。途中、富士山が見えたあたりで陸がはしゃいで声を上げたものだから、つい、いつもの癖で窘めたところ、その様子まで撮影されてしまっていたらしい。
現地に着いてからは、これが仕事だということも忘れて、皆、大はしゃぎ。CMの絵コンテには観光名所だけでなくホテルで過ごすところも含まれており、ホテルでの撮影が終わったのは二十時過ぎであった。長い移動時間でくたくたになってしまったが、カメラマンは「楽しそうでいい画が撮れた」と笑っていた。無事に撮影が終了したことに、皆、胸を撫で下ろした。
チェックアウトの時間に遅れないようにと念押しし合ってから、各自、用意された部屋へと向かう。宿泊を伴う仕事にもすっかり慣れたもので、ツインルームの部屋割りも、すんなりと決まった。撮影ではしゃぎ過ぎて疲れたのだろう。一織の後ろには、ふわぁと大きなあくびをする陸が、まるで雛鳥のようについてきている。陸からは見えないことをいいことに、一織は口許をゆるめ、心の中で「かわいい人だな」と呟いた。
部屋の壁に備え付けられたソケットにカードキーを挿し込む。ぱっとついた灯りの眩しさに、一織は、自分も思っていた以上に疲れていることに気付いた。
「七瀬さん、先にシャワーを浴びてください」
「んん、うん……」
「ほら、寝ないでくださいよ」
陸の荷物は把握している。彼のバッグから下着が入った袋を引っぱり出すと、陸をバスルームへと押し込んだ。
(大いにはしゃぐのは……今回は、自然体な私たちを撮影したいと求められていたのだからいいとして、問題は、翌日の七瀬さんの体調か……)
ライブの間、ステージに立ち続けられる体力はあるものの、慣れない環境下で今日のようにはしゃいだ時なんかは、翌日にも疲れが残ってしまう傾向にある。明日のオフは、あまり負担のない観光にしなければと、名古屋の観光名所を検索することにした。
しかし、バスルームのドア越しに聞こえるシャワー音が心地よいBGMとなっていたのだろう。規則的な水音は一織の耳を優しく撫でてくれる。
「一織?」
一織がいつも口やかましく言うものだからと、髪をしっかり乾かしてからバスルームを出た陸は、部屋の中がしんと静まり返っていることに気付く。もちろん、一織は普段から静かにしているタイプだけれど、やけに静かだ。
ホテル備え付けの真っ白なスリッパでゆっくりと部屋の中を歩く。不織布でできたそれは、部屋のカーペットに音が吸収されることもあって、足音があまり響かない。使い捨ての簡易素材とはいえ、よくできているなと思う。
「一織ー……あ」
珍しいこともあるものだ。いつも気を張り詰めている一織がうたた寝なんて。
(こうしてると……一織って本当にきれい)
机に突っ伏して眠っている一織の髪を撫でる。耳許を覆い隠している髪をそっとかき上げると、白くて形のいい耳が現れた。一織はくすぐったがりで、陸がいたずら心を起こして脇腹に触れようものなら「やめてください!」と大騒ぎ。もちろん、耳許も弱い。
陸の中にいたずら心がむくむくと湧き上がってきた。
「いーおーりー。こらっ、起きろ。起きないと…………」
――いたずらするぞ。
耳許に唇を寄せ、わざと声のトーンを落として囁くと、びくっと大袈裟に体を跳ねさせた一織が飛び起きる。
「……? ……今のは…………?」
寝起きの一織は相変わらず頭がはたらいていないようで、顔だけは陸のほうを向いたものの、目はまだ開ききっていない。
「おまえ、うたた寝してた」
「そうでしたか、すみません。シャワーを……」
よろよろと立ち上がる一織を見て、陸は慌てて体に手を添える。
「あぁ、ばか、無理せず寝ろって。明日はオフなんだし、十一時に出られるように起きればいいんだろ?」
「ですが……」
なおも一織は懸命に起きようとしている。シャワーを浴びて身を綺麗にしてからベッドに入りたいという気持ちもあるのだろう。しかし……。
「一織さ、もしかして、気にしてる? 最近、二人でゆっくりできてないこと」
ありがたいことに、最近は個人での仕事の機会もぐっと増えた。その影響か、これまではオフの日がほぼ同じだった一織と、すれ違うことも多くなってしまったのだ。
ホテルのフロントで部屋割りが決まった時、陸が自分のほうをちらりと見たことに、一織も気付いていた。もちろん、隣室にはメンバーが寝泊まりしているし、移動で疲れている陸の体を思えば、情事に及ぶわけにはいかない。それでも、ツインルームのベッドのひとつに二人で寝転んで、たわいもない話をしたいと思っていた。
狭い狭いと文句を言って脚を軽く蹴飛ばし合ったり、至近距離で見つめ合ったり。体を深く繋げずとも、甘い時間を過ごす方法はいくらでもある。しかし、部屋へ向かう最中の陸の様子を見て、おしゃべりはせず、すぐに眠ろうと思い直したのだ。
「そう、ですね」
「さみしかった?」
つい意地を張ってしまいそうになったものの、実際のところ、さみしさを感じていた一織は、小さな声で「はい」とこぼした。
「そっか、オレも。次に一織とオフが一緒になったらーっていっぱい考えてた」
でも、眠いなら寝ろよ? と言われ、一織は首を横に振った。
さきほどのいたずらで起こされ、だんだんと目が冴えてきたし、シャワーを浴びて髪を乾かすくらいの気力もある。問題は、一織がシャワーを浴びている間に、恋人が先に眠ってしまわないかということ。
「あの、七瀬さん……」
一織の言わんとしていることがわかったのだろう。陸は一織の背中を軽く叩きながら笑った。
「大丈夫、待ってるから。……あ、もし、寝てたら、キスで起こしていいよ」
「~~っ、しません!」
けたけたと笑う陸を背に、一織はバッグの中から替えの下着を引っ掴み、バスルームへと駆け込んだ。一分一秒でも早く上がって、陸と甘い時間を過ごしたいから。