甘える・甘やかす
マネージャーの紡から聞いたことがある。以前、一織が陸のことを典型的な甘ったれの弟気質と言っていたらしい。一織の性格を考えてか、紡は当時の発言のすべて――一織もまた弟気質であること――を陸には言わないでおいた。そのため、紡から一織の発言を聞いた陸は「年下のくせに生意気な!」と憤慨したものだ。
しかし、それも過去のこと。今の陸には、とうにわかってしまった。
(マネージャーにはああ言ってたくせに、一織も甘ったれじゃん)
一織との関係が進展して、とてもよくわかった。彼はなにかと、それこそBGMのように陸に小言を聞かせるのだが、ひとたびそれが終わると、言葉にできない彼なりに、陸に甘えたがる。
今だって、そう。
「あぁ、また。何度言ったらわかるんです。風邪を引きますよ」
一織の甘え方は少し変わっていて、素直に甘えるというものではない。人に甘えさせることによって、誰かを構い倒したい一織の欲求を叶えるという甘え方。本当に、素直じゃないなと思う。だから陸は、おとなしく甘えてやることにしている。
「えぇ……じゃあ一織がやって」
「またですか? 仕方ない人ですね、ほら、早く座って。タオルを貸してください」
一織の前に背を向けて胡坐をかき、しゃんと背筋を伸ばす。おとなしく甘えてやっているなんていうけれど、実のところ、陸は一織に髪を乾かしてもらうという甘え方がたまなく好きだ。一織のすらりと長い指が自分の髪を梳いてくれる。頭に触れる指先はとても優しくて、一織が優しい男であることを改めて実感させてくれる。
「へへ、お願いします!」
お気に入りのTシャツと、水分を含んでもなお、やわらかいタオル。部屋には、一織があらかじめ用意してくれていた加湿器。この部屋は好きなものだらけ。
「そのTシャツ、気に入っているのはわかりますけど、そろそろ半袖は寒いですよ。もっとあたたかくしてください」
かちりとスイッチを入れる音に、熱風が髪を掻き乱すべく唸り声をあげる。あぁ、せっかく一織に甘える言葉を言おうと思ったのに、これじゃあ、伝えられやしない。
本当は今すぐ後ろにもたれて、一織の胸許に頭を擦り付けたい。でもそうすると、小言どころか溜息が降ってくるのは目に見えている。陸はいつだって、一織のことを自分に夢中にさせたくて、呆れと小言のぎりぎりの境界線を狙って甘えているのだ。そんなことしなくても、一織はとうに陸に夢中だというのに。
一織の小言ではなく人工的な風の音をBGMに、陸は声に出さないようにこっそりと心の中で新曲を口ずさむ。
(ここの次の、一織のパートが最高なんだよな)
聴いた者を甘く溶かすような、それでいて透明感のある澄んだ声。新曲のメロディーラインにぴったりだと思っている。レコーディングの時もうっとりと聴き惚れてしまい、あとで一織にそれを言ったら「当然でしょう」と、つんと澄ましていた。そのくせ、その日の夜はいつも以上に陸を甘く啼かせてきたものだから、和泉一織という男は素直じゃないくせに単純だと思う。そういうところがひどく愛おしい。
ごうごうと髪を掻き乱されながら、ちらりと部屋の時計を見遣る。時刻は二十三時十七分。とても都合のいいことに、明日は夕方からの雑誌の撮影と、夜にナギとのラジオ生放送があるものの、昼過ぎまではゆっくりできるといったスケジュール。
(うーん、でも、だめかな……)
雑誌の撮影だけならまだしも、ラジオの生放送という、声を使う仕事が入っているとなると、一織は夜の行為を渋る傾向にある。明日は日曜。一織は学校が休みで、本人に訊いてはいないが、彼の性格を考えれば課題はとうに済ませていることだろう。よって、一織も今夜は多少夜更かしをしたところで、なんの支障もないはず。
髪を揺らす風が涼しいものへと切り替わる。あぁ、心地いい。
(やばい、寝ちゃいそうかも……)
あたたかな風呂に浸かり、大好きな恋人の手で髪を乾かしてもらって、頭を撫でられている。こんなに甘やかされて心地いい状態では、すこんと眠ってしまいかねない。
(えー……やだやだ)
ありがたいことに仕事をたくさんもらえていて、翌日の昼過ぎまで二人ともゆっくりできる機会なんて、今夜を逃すとしばらくはない。だから、頑張って起きていたい。
「なぁ、一織」
かちりとドライヤーのスイッチが切れたのを合図に、陸は口を開いた。
「だめです」
「~~っ、まだなにも言ってないだろ!」
陸が勢いよく振り返ると、そこには頬を染めた恋人の姿。正解とはいえ、自分が今夜一緒に過ごしたいという希望が、声に出してすらいないのに間違いなく伝わってしまっているのは、陸だって恥ずかしい。それにしても、まだなにも言っていないのに、すげなく断るなんて失礼にもほどがある。もしかしたら、一織が思っているようなことではないかもしれないのに。まぁ、一織の予想しているとおりのことを考えていたのだけれど。
「あなたがこうして髪を乾かせとねだってきて、なおかつ、翌日の予定が午後以降にしかない時。今までもこのシチュエーションだと、そういうことに、なりましたので」
もう何度も触れ合っているのに、一体いつまで童貞みたいな反応をするんだろうと思ってしまった。一織がすげなく断った理由なんて、陸にだってわかっている。だから、陸が声を嗄れさせるようなことがなければいいだけ。
「じゃあ、なにもしなくていいから、一緒に寝ようよ。最近忙しかっただろ。あんまり一織と話せてないし、せっかく時間があるのに、もったいないじゃん」
振り返った体勢のまま、頭を一織の胸許へと擦り付ける。そのままぐりぐりと頭を動かして甘える仕草をすれば。
(あぁ、ほら。やっぱり)
とっくに髪は乾いているのに、髪を乾かしていた時のように、一織の指が陸の髪をゆっくりと梳く。これは、このまま陸を甘やかしてくれるという合図。
「まったく……とんだ甘ったれですね」
「一織が甘えさせてくれるから、つい」
「つい、じゃありません」
ほら、まただ。このあとに続く言葉は「精神年齢は子どものままですね」とか「もう少し大人になってください」といったところか。本当にわかりやすくて、笑えてくる。なんてかわいい男なんだろう。
「あと、寝る前にいつもの」
毎晩、一織お手製のはちみつを入れたホットミルクがないと、ものたりない。甘やかしてくれるらしいので、遠慮なくねだることにする。
「はいはい、わかりました」
「はいは一回だろ」
陸の安眠に必要なのは、心地いいお気に入りのベッドと、大好きな恋人、そして眠る前のホットミルク。
陸は今夜も、一織に甘やかされながら、一織を甘えさせるのだ。
恋人と甘やかし合って眠る。いい夢が見られることだろう。
しかし、それも過去のこと。今の陸には、とうにわかってしまった。
(マネージャーにはああ言ってたくせに、一織も甘ったれじゃん)
一織との関係が進展して、とてもよくわかった。彼はなにかと、それこそBGMのように陸に小言を聞かせるのだが、ひとたびそれが終わると、言葉にできない彼なりに、陸に甘えたがる。
今だって、そう。
「あぁ、また。何度言ったらわかるんです。風邪を引きますよ」
一織の甘え方は少し変わっていて、素直に甘えるというものではない。人に甘えさせることによって、誰かを構い倒したい一織の欲求を叶えるという甘え方。本当に、素直じゃないなと思う。だから陸は、おとなしく甘えてやることにしている。
「えぇ……じゃあ一織がやって」
「またですか? 仕方ない人ですね、ほら、早く座って。タオルを貸してください」
一織の前に背を向けて胡坐をかき、しゃんと背筋を伸ばす。おとなしく甘えてやっているなんていうけれど、実のところ、陸は一織に髪を乾かしてもらうという甘え方がたまなく好きだ。一織のすらりと長い指が自分の髪を梳いてくれる。頭に触れる指先はとても優しくて、一織が優しい男であることを改めて実感させてくれる。
「へへ、お願いします!」
お気に入りのTシャツと、水分を含んでもなお、やわらかいタオル。部屋には、一織があらかじめ用意してくれていた加湿器。この部屋は好きなものだらけ。
「そのTシャツ、気に入っているのはわかりますけど、そろそろ半袖は寒いですよ。もっとあたたかくしてください」
かちりとスイッチを入れる音に、熱風が髪を掻き乱すべく唸り声をあげる。あぁ、せっかく一織に甘える言葉を言おうと思ったのに、これじゃあ、伝えられやしない。
本当は今すぐ後ろにもたれて、一織の胸許に頭を擦り付けたい。でもそうすると、小言どころか溜息が降ってくるのは目に見えている。陸はいつだって、一織のことを自分に夢中にさせたくて、呆れと小言のぎりぎりの境界線を狙って甘えているのだ。そんなことしなくても、一織はとうに陸に夢中だというのに。
一織の小言ではなく人工的な風の音をBGMに、陸は声に出さないようにこっそりと心の中で新曲を口ずさむ。
(ここの次の、一織のパートが最高なんだよな)
聴いた者を甘く溶かすような、それでいて透明感のある澄んだ声。新曲のメロディーラインにぴったりだと思っている。レコーディングの時もうっとりと聴き惚れてしまい、あとで一織にそれを言ったら「当然でしょう」と、つんと澄ましていた。そのくせ、その日の夜はいつも以上に陸を甘く啼かせてきたものだから、和泉一織という男は素直じゃないくせに単純だと思う。そういうところがひどく愛おしい。
ごうごうと髪を掻き乱されながら、ちらりと部屋の時計を見遣る。時刻は二十三時十七分。とても都合のいいことに、明日は夕方からの雑誌の撮影と、夜にナギとのラジオ生放送があるものの、昼過ぎまではゆっくりできるといったスケジュール。
(うーん、でも、だめかな……)
雑誌の撮影だけならまだしも、ラジオの生放送という、声を使う仕事が入っているとなると、一織は夜の行為を渋る傾向にある。明日は日曜。一織は学校が休みで、本人に訊いてはいないが、彼の性格を考えれば課題はとうに済ませていることだろう。よって、一織も今夜は多少夜更かしをしたところで、なんの支障もないはず。
髪を揺らす風が涼しいものへと切り替わる。あぁ、心地いい。
(やばい、寝ちゃいそうかも……)
あたたかな風呂に浸かり、大好きな恋人の手で髪を乾かしてもらって、頭を撫でられている。こんなに甘やかされて心地いい状態では、すこんと眠ってしまいかねない。
(えー……やだやだ)
ありがたいことに仕事をたくさんもらえていて、翌日の昼過ぎまで二人ともゆっくりできる機会なんて、今夜を逃すとしばらくはない。だから、頑張って起きていたい。
「なぁ、一織」
かちりとドライヤーのスイッチが切れたのを合図に、陸は口を開いた。
「だめです」
「~~っ、まだなにも言ってないだろ!」
陸が勢いよく振り返ると、そこには頬を染めた恋人の姿。正解とはいえ、自分が今夜一緒に過ごしたいという希望が、声に出してすらいないのに間違いなく伝わってしまっているのは、陸だって恥ずかしい。それにしても、まだなにも言っていないのに、すげなく断るなんて失礼にもほどがある。もしかしたら、一織が思っているようなことではないかもしれないのに。まぁ、一織の予想しているとおりのことを考えていたのだけれど。
「あなたがこうして髪を乾かせとねだってきて、なおかつ、翌日の予定が午後以降にしかない時。今までもこのシチュエーションだと、そういうことに、なりましたので」
もう何度も触れ合っているのに、一体いつまで童貞みたいな反応をするんだろうと思ってしまった。一織がすげなく断った理由なんて、陸にだってわかっている。だから、陸が声を嗄れさせるようなことがなければいいだけ。
「じゃあ、なにもしなくていいから、一緒に寝ようよ。最近忙しかっただろ。あんまり一織と話せてないし、せっかく時間があるのに、もったいないじゃん」
振り返った体勢のまま、頭を一織の胸許へと擦り付ける。そのままぐりぐりと頭を動かして甘える仕草をすれば。
(あぁ、ほら。やっぱり)
とっくに髪は乾いているのに、髪を乾かしていた時のように、一織の指が陸の髪をゆっくりと梳く。これは、このまま陸を甘やかしてくれるという合図。
「まったく……とんだ甘ったれですね」
「一織が甘えさせてくれるから、つい」
「つい、じゃありません」
ほら、まただ。このあとに続く言葉は「精神年齢は子どものままですね」とか「もう少し大人になってください」といったところか。本当にわかりやすくて、笑えてくる。なんてかわいい男なんだろう。
「あと、寝る前にいつもの」
毎晩、一織お手製のはちみつを入れたホットミルクがないと、ものたりない。甘やかしてくれるらしいので、遠慮なくねだることにする。
「はいはい、わかりました」
「はいは一回だろ」
陸の安眠に必要なのは、心地いいお気に入りのベッドと、大好きな恋人、そして眠る前のホットミルク。
陸は今夜も、一織に甘やかされながら、一織を甘えさせるのだ。
恋人と甘やかし合って眠る。いい夢が見られることだろう。