ファーストキス
いつの頃からか〝そういう〟意味で意識するようになった。しかし、相手はあの逢坂壮五。真面目なそーちゃん。想いが叶うなんて絶対に無理だろうと思っていたから、これは淡い初恋で、青春の一ページとして、いずれ色褪せていくだけだと思っていた。ほら、初恋は実らないっていうし?
そんなわけで、環としては、日々、相方の一挙一動にどきどきしながらも、その視線に熱がこもっていることを悟られないようにするので精一杯だった。精一杯、できているつもりでいた。
「いや、無理でしょう」
冷静にそう言い放ったのは同級生でクラスメイトの一織。個人の仕事があったり、環にはMEZZO"の仕事があったりするから、一番とは言えないが、前後に机を並べて授業を受けている間柄である以上、二番目くらいには一緒にいる時間が多いだろう。一番は言わずもがな、相方の壮五である。
「なんで?」
「なんでって……あなたその顔で言いますか?」
鏡がないから確かめられない。自分の顔を確かめるように、ぐにぐにと手のひらで頬を押して唇を突き出すと、一織は「アイドルがしていい顔じゃないですよ、それ」と言いながらも、環の変顔がおもしろかったらしく、口許をもごもごとさせた。笑いたいなら素直に笑えばいいのに。
「四葉さんは、以前に比べたらアイドルとしての自覚が出てきているようですから、仕事中は問題ありません。だから私も言わないだけです。それ以外は、顔中に、逢坂さんのことを考えているって書いてありますけど」
「今も?」
「今もです。締まらない顔で、抱かれたい男ランキング五位とは思えません」
いおりんひでえ。そうこぼした環に、一織は咳払いをひとつ。
「恐らく、逢坂さんも気付いてると思いますよ」
「はぁっ?」
三ヶ月ほど前、学校でそんな話をしていたことを思い出す。
「そうだね。言われてみれば……うん、そうかも」
環の隣に座り、肩を小さく揺らして笑っている。手で口許を覆って笑う仕草が、上品でかわいらしい。
「かも、ってなに」
「一織くんの期待には応えられないんだけど、実際のところは僕だけがそういった目で環くんを見てるものとばかり思ってたんだ。僕も僕で必死で。……だから、環くんがそんなに熱いまなざしで見つめてくれてたことに気付けなかったな」
惜しいことをしたなと呟きながら、環の右肩にもたれかかった。
「惜しいこと?」
「うん。僕に片想いしてる顔が見たかったなぁって。今は恋人になっちゃったしね」
「ふーん」
なんてかわいいことを言うんだろうと思いながらも、照れが混ざって、そんな反応しかできない。だって、一織が呆れたらしいその表情を、一番好きな人に見せるなんて格好悪いこと、環はしたくないからだ。
「ふーんって……ずるいよ、僕はきみに恥ずかしい顔を見られてるのに」
一週間前、貧血か? と思うほど真っ青な顔で環の部屋を訪れた壮五を思い出す。具合が悪いのか? なにか思い悩んでいるのか? おろおろする環をよそに、壮五は無言のまま部屋に入ってきて、ベッドに鎮座している王様プリンのぬいぐるみを抱き上げると、ぎゅうぎゅうと抱き締めて顔を埋めた。突然部屋を訪ねてきたと思ったら、なんだかかわいいことをしている。心配すればいいのか、ときめけばいいのか。
混乱すること五分、壮五は蚊の鳴くような声で「ごめんね」と謝ってから、環のことを考えると夜も眠れないのだと告げた。自分のあずかり知らぬところで相方の安眠妨害になっているなんて。つい、こちらが謝ったほうがいいのでは? と思ってしまったほど、その時の壮五はあまりにも弱々しい声をしていたのだ。
「あれなー……俺のせいでそーちゃん寝れねえのにそーちゃんが謝ってくるからなに言ってんのか意味わかんねえって焦った」
「もう……恥ずかしくなるからその話はよしてくれ」
環の右肩にもたれたままの壮五が両手で顔を覆う。
(ていうか……距離ちけえし……)
パーソナルスペースの広い壮五が、自分から寄りかかっているなんて。
部屋に二人きり。壮五のほうから寄りかかってきたのだから、肩を抱くくらいはしてもいいのではないだろうか。壮五が視線を落としているのを確かめて、右腕を壮五の背にそっと回し、壮五の背に触れるか触れないかくらいの距離を保ったまま、手をゆっくりと上げていく。その指先は、下心があるせいか震えていて、落ち着きがない。
MEZZO"のデビュー曲のMVなんてもっと密着していた。仕事とはいえ、今では考えられないくらいぎすぎすしていた頃にあれができたのだ。ライブの時なんて、テンションが上がってハグをするくらいだ。恋人なのだから、肩を抱くくらい許されるだろう。
「ねぇ、環くん」
壮五が顔を上げたと同時に、あと少しで肩を抱けるはずだった右手を、ものすごい速さで元の位置に戻す。
「その、きみと僕は交際を始めて一週間になるわけだけど」
再び視線を伏せた壮五に、環の表情が曇る。あぁ、壮五は恐らく一人でぐるぐるとなにかを考えているのだ。もしも環にとって喜ばしくない話だったらどうしよう。思わず眉を顰めてしまう。
「一週間。うん、なる」
「この交際は相方の延長ではなく、互いに恋慕の情を抱いてると確認し合い、プライベートでの関係を進めることに合意したからこそ成り立ってると思うんだ」
「……? おー……」
一体なにを言おうとしているのだろう。言い回しはかたく、表情はこわばっている。これでは、環まで緊張してしまうではないか。
「ただ、環くんはまだ十七歳だから、まだ早いとか、怖いと思うなら遠慮なく断ってくれて構わない。断られたからって嫌いになったり、交際を取りやめたりすることはない。今回の提案に承諾しかねるという場合は、きみが成人するまで待つつもりだ。それでも今こうして話を持ちかけたのは」
「~~っ、だーっ! そーちゃんぐちゃぐちゃうっさい! 提案ってなに?」
環はじれったいことが好きではない。
早いとか怖いとか思うかもしれない提案とはなんだ。成人するまで? 今、この場でその提案とやらを断れば、三年先まで引き延ばされる、そんな内容なのか。一体なんなんだろう。難しい言葉ではなく、もっとシンプルな言葉で言ってほしい。
「…………きっ」
「き?」
壮五は「き」だけ言うと口をぱくぱくさせて、声を発しなくなってしまった。菫色の瞳には薄っすらと涙の膜が張っていて、今にも涙がこぼれそう。あぁ、この人は相変わらず泣けないんだなぁなどと考えてしまう。
(ほんっと、かわいい……)
たまらなく愛おしくて、こぼれてくれそうにない涙を吸い上げるように、壮五のまなじりに唇を落とした。
「……っ」
壮五の身体がびくりと跳ねる。やっぱり涙はこぼれていないから、しょっぱさなんてない。環の唇に、壮五の肌の感触が残っただけ。
「…………代わりに泣いたほうがいい?」
唇を離し、小さな子に尋ねるように、顔を覗き込む。年上としての矜持があるだろうから、小さな子にするような態度を取っては、壮五の機嫌を損ねかねない。この対応は、環にとっては一種の賭けだった。
「ううん、いい」
「そっか」
「でも、……その代わり、なんだけど。目許じゃなくて、唇に、してほしい」
「……え?」
キスをしてほしい。耳を澄まさなければ聞き取れないほど小さな声で、顔を真っ赤にさせた壮五がそう乞うた。それがさきほどから提案したかったことだと打ち明けられて。肩を抱くのは失敗したけれど、それ以上の展開だ。
「だめ、かな。……初めてで、勝手がわからなくて」
呆れてものも言えない。そんなの、かたい言葉を並べ立てなくたっていいのに。恋人なんだから。
「だめじゃない。もっと早く言えって思ったけど」
「ごめん」
「いいよ。謝んなくて。その、……俺も、したい、し」
自分よりひと回り小さな壮五の顔。その頬を両手で包み、自分のほうを向かせる。
菫色の瞳がいっそう潤んだかと思うと、瞼が閉じられた。いわゆる、キス待ち顔だ。
(心臓、爆発しそう……)
あまりにもかわいいからずっと見ていたいのだが、多分、この恋人は待たせるとまた恐縮してしまうだろうから、待たせないことにする。――といっても、環だって、これが初めて、正真正銘のファーストキスなのだけれど。
そんなわけで、環としては、日々、相方の一挙一動にどきどきしながらも、その視線に熱がこもっていることを悟られないようにするので精一杯だった。精一杯、できているつもりでいた。
「いや、無理でしょう」
冷静にそう言い放ったのは同級生でクラスメイトの一織。個人の仕事があったり、環にはMEZZO"の仕事があったりするから、一番とは言えないが、前後に机を並べて授業を受けている間柄である以上、二番目くらいには一緒にいる時間が多いだろう。一番は言わずもがな、相方の壮五である。
「なんで?」
「なんでって……あなたその顔で言いますか?」
鏡がないから確かめられない。自分の顔を確かめるように、ぐにぐにと手のひらで頬を押して唇を突き出すと、一織は「アイドルがしていい顔じゃないですよ、それ」と言いながらも、環の変顔がおもしろかったらしく、口許をもごもごとさせた。笑いたいなら素直に笑えばいいのに。
「四葉さんは、以前に比べたらアイドルとしての自覚が出てきているようですから、仕事中は問題ありません。だから私も言わないだけです。それ以外は、顔中に、逢坂さんのことを考えているって書いてありますけど」
「今も?」
「今もです。締まらない顔で、抱かれたい男ランキング五位とは思えません」
いおりんひでえ。そうこぼした環に、一織は咳払いをひとつ。
「恐らく、逢坂さんも気付いてると思いますよ」
「はぁっ?」
三ヶ月ほど前、学校でそんな話をしていたことを思い出す。
「そうだね。言われてみれば……うん、そうかも」
環の隣に座り、肩を小さく揺らして笑っている。手で口許を覆って笑う仕草が、上品でかわいらしい。
「かも、ってなに」
「一織くんの期待には応えられないんだけど、実際のところは僕だけがそういった目で環くんを見てるものとばかり思ってたんだ。僕も僕で必死で。……だから、環くんがそんなに熱いまなざしで見つめてくれてたことに気付けなかったな」
惜しいことをしたなと呟きながら、環の右肩にもたれかかった。
「惜しいこと?」
「うん。僕に片想いしてる顔が見たかったなぁって。今は恋人になっちゃったしね」
「ふーん」
なんてかわいいことを言うんだろうと思いながらも、照れが混ざって、そんな反応しかできない。だって、一織が呆れたらしいその表情を、一番好きな人に見せるなんて格好悪いこと、環はしたくないからだ。
「ふーんって……ずるいよ、僕はきみに恥ずかしい顔を見られてるのに」
一週間前、貧血か? と思うほど真っ青な顔で環の部屋を訪れた壮五を思い出す。具合が悪いのか? なにか思い悩んでいるのか? おろおろする環をよそに、壮五は無言のまま部屋に入ってきて、ベッドに鎮座している王様プリンのぬいぐるみを抱き上げると、ぎゅうぎゅうと抱き締めて顔を埋めた。突然部屋を訪ねてきたと思ったら、なんだかかわいいことをしている。心配すればいいのか、ときめけばいいのか。
混乱すること五分、壮五は蚊の鳴くような声で「ごめんね」と謝ってから、環のことを考えると夜も眠れないのだと告げた。自分のあずかり知らぬところで相方の安眠妨害になっているなんて。つい、こちらが謝ったほうがいいのでは? と思ってしまったほど、その時の壮五はあまりにも弱々しい声をしていたのだ。
「あれなー……俺のせいでそーちゃん寝れねえのにそーちゃんが謝ってくるからなに言ってんのか意味わかんねえって焦った」
「もう……恥ずかしくなるからその話はよしてくれ」
環の右肩にもたれたままの壮五が両手で顔を覆う。
(ていうか……距離ちけえし……)
パーソナルスペースの広い壮五が、自分から寄りかかっているなんて。
部屋に二人きり。壮五のほうから寄りかかってきたのだから、肩を抱くくらいはしてもいいのではないだろうか。壮五が視線を落としているのを確かめて、右腕を壮五の背にそっと回し、壮五の背に触れるか触れないかくらいの距離を保ったまま、手をゆっくりと上げていく。その指先は、下心があるせいか震えていて、落ち着きがない。
MEZZO"のデビュー曲のMVなんてもっと密着していた。仕事とはいえ、今では考えられないくらいぎすぎすしていた頃にあれができたのだ。ライブの時なんて、テンションが上がってハグをするくらいだ。恋人なのだから、肩を抱くくらい許されるだろう。
「ねぇ、環くん」
壮五が顔を上げたと同時に、あと少しで肩を抱けるはずだった右手を、ものすごい速さで元の位置に戻す。
「その、きみと僕は交際を始めて一週間になるわけだけど」
再び視線を伏せた壮五に、環の表情が曇る。あぁ、壮五は恐らく一人でぐるぐるとなにかを考えているのだ。もしも環にとって喜ばしくない話だったらどうしよう。思わず眉を顰めてしまう。
「一週間。うん、なる」
「この交際は相方の延長ではなく、互いに恋慕の情を抱いてると確認し合い、プライベートでの関係を進めることに合意したからこそ成り立ってると思うんだ」
「……? おー……」
一体なにを言おうとしているのだろう。言い回しはかたく、表情はこわばっている。これでは、環まで緊張してしまうではないか。
「ただ、環くんはまだ十七歳だから、まだ早いとか、怖いと思うなら遠慮なく断ってくれて構わない。断られたからって嫌いになったり、交際を取りやめたりすることはない。今回の提案に承諾しかねるという場合は、きみが成人するまで待つつもりだ。それでも今こうして話を持ちかけたのは」
「~~っ、だーっ! そーちゃんぐちゃぐちゃうっさい! 提案ってなに?」
環はじれったいことが好きではない。
早いとか怖いとか思うかもしれない提案とはなんだ。成人するまで? 今、この場でその提案とやらを断れば、三年先まで引き延ばされる、そんな内容なのか。一体なんなんだろう。難しい言葉ではなく、もっとシンプルな言葉で言ってほしい。
「…………きっ」
「き?」
壮五は「き」だけ言うと口をぱくぱくさせて、声を発しなくなってしまった。菫色の瞳には薄っすらと涙の膜が張っていて、今にも涙がこぼれそう。あぁ、この人は相変わらず泣けないんだなぁなどと考えてしまう。
(ほんっと、かわいい……)
たまらなく愛おしくて、こぼれてくれそうにない涙を吸い上げるように、壮五のまなじりに唇を落とした。
「……っ」
壮五の身体がびくりと跳ねる。やっぱり涙はこぼれていないから、しょっぱさなんてない。環の唇に、壮五の肌の感触が残っただけ。
「…………代わりに泣いたほうがいい?」
唇を離し、小さな子に尋ねるように、顔を覗き込む。年上としての矜持があるだろうから、小さな子にするような態度を取っては、壮五の機嫌を損ねかねない。この対応は、環にとっては一種の賭けだった。
「ううん、いい」
「そっか」
「でも、……その代わり、なんだけど。目許じゃなくて、唇に、してほしい」
「……え?」
キスをしてほしい。耳を澄まさなければ聞き取れないほど小さな声で、顔を真っ赤にさせた壮五がそう乞うた。それがさきほどから提案したかったことだと打ち明けられて。肩を抱くのは失敗したけれど、それ以上の展開だ。
「だめ、かな。……初めてで、勝手がわからなくて」
呆れてものも言えない。そんなの、かたい言葉を並べ立てなくたっていいのに。恋人なんだから。
「だめじゃない。もっと早く言えって思ったけど」
「ごめん」
「いいよ。謝んなくて。その、……俺も、したい、し」
自分よりひと回り小さな壮五の顔。その頬を両手で包み、自分のほうを向かせる。
菫色の瞳がいっそう潤んだかと思うと、瞼が閉じられた。いわゆる、キス待ち顔だ。
(心臓、爆発しそう……)
あまりにもかわいいからずっと見ていたいのだが、多分、この恋人は待たせるとまた恐縮してしまうだろうから、待たせないことにする。――といっても、環だって、これが初めて、正真正銘のファーストキスなのだけれど。