過去、現在、未来
「昔と比べてどうだった?」
「どう、って」
ずいぶん心の狭い質問をしてしまったものだと自分でも呆れてしまう。
「だから、いたんだろ、カノジョとか」
環の言葉にあぁ、と合点がいった壮五はくすくすと笑いだした。ひどい質問をした自覚はあるが、笑うほどだろうか。環は唇を尖らせ、ふいと視線を逸らした。
「あぁ、ごめんね。きみを笑ったわけじゃなくて。……うん、そうだね。確かに過去に、家が決めた女性と外出したことはあったよ。美術館に行ったり、大きな図書館で思い思いに好みの本を読んだりね」
「静かなとこばっかなのな」
壮五はうるさく騒ぐタイプではないから、それでもいいのだろうなと思う。
「そうだね。そのぶん、会話もなかった。今日、環くんと外出したみたいに、ずっとおしゃべりをしたり、笑ったりすることもなかったな。移動の時は運転手がいるから、ずっと二人きりというわけでもなかったしね」
「げぇ……そんなんデートって言えんの? ちゃんと楽しかった?」
壮五の過去を否定したいわけではないが、環がそんなデートを提案されようものなら即刻「つまんねえ!」と叫び出しそうだ。
「楽しいかどうかより、逢坂の人間としてきちんとしなければという考えしかなかったから、楽しむ余裕なんてなかったよ。相手の女性には失礼だったかもしれないね。静かに微笑んでくれてたから、悪いようには取られてなかったと信じたいけど……」
そこまで言うと、壮五は意味ありげな視線で環を見つめた。
「なに」
「好きな人と二人きりで外出するのがこんなに楽しくて、ずっとどきどきするものなんだってこと、僕は今日、初めて知ったんだ。……環くんが教えてくれたんだよ」
壮五の手が伸びてきて、環の頬を撫でた。
「~~っ!」
一気に顔が熱くなる。環はその場にずるずるとしゃがみ込んだ。
「え、環くん?」
勘弁してほしい。自分だって、好きな人とデートなんて、今日が生まれて初めてだったんだ。それだけでもどきどきし過ぎて苦しいのに、こんなにかわいい顔で、どきどきしただの、楽しかっただの言われて。
「むかつく。また好きになった」
むかつく、と言われたにもかかわらず、壮五の気持ちは晴れやかだ。
「そうか、それは光栄だな」
「……そーちゃんって変なやつ。前から思ってたけど」
むかつく。変なやつ。……口ではそう言っている環だが、頬は赤くなっており、口許はにやけを我慢するのに必死な様子。当然、壮五にもばれている。
「その変な僕を好きだって言ってくれるきみも相当なものだよ。……あぁ、変な男同士、お似合いかもしれないね」
「はぁ? そのよゆーっぽいのむかつく」
実績だけ見ると交際経験で環は壮五に一歩及ばないものの、その中身はというと、壮五だって環と同じく、初めても同然。それなのにこの余裕はなんだ? 年上だからか? そんなの、たった三年、この世に生を受けたのが早かっただけじゃないか。文字通り頭を抱えている環は「う~」と唸った。環のさらさらの髪が重力に沿って流れるさまを見つめる壮五。その表情がどんなものであるか、残念ながら環には見えていない。
「僕にも年上の矜持はあるし、なにより、男だからね。恋人の前では余裕でいたいんだ」
環の頭に手を置くと、くしゃりと髪をかき混ぜた。触れた指先の熱さに気付いて、環は唸り声を止める。だって、今のって。そんなに指が熱いなんて。
「そーちゃ」
ぴろん、とラビットチャットの受信音がする。壮五の指が離れていってしまった。なにもこんな、明らかに恋人としての甘い甘い時間の真っ最中に律儀にメッセージの内容を確認しなくてもいいじゃないか。
(真面目かよ! ……って、そーちゃん真面目だった)
きっちりして細かくて、正直に言うと真面目過ぎるところがわずらわしいのに、それでも、そういうところも含めて好きになったのだ。
「あ、万理さんが呼んでる。環くん……は、その顔をどうにかしてからおいで」
「どうにかって……どうすんだよ……」
熱い顔を押さえる環に構わず、部屋のドアは無情にも、ぱたんという軽い音を立てて閉じられてしまった。
――ドアを閉めてから、壮五はゆっくりと息を吐き出す。
「心臓がどうにかなるかと思った……」
余裕なんて、あるはずないのだ。だって、初めてだから。
◇
「あぁ、突然ごめんね……あれっ、環くんは?」
手帳に視線を落としたままだった万理だが、事務所にやってきた人物を見て目をまるくする。MEZZO"にきた仕事のことで事務所に出向いてもらうことにしたのだが、そういう時、彼らは必ず連れ立ってやってくるというのに。珍しいこともあるものだ。
「環くんは顔を洗っていたので少しだけ遅れます。すみません」
すぐに来るならまぁいいや、と万理は再び手帳に視線を落とす。MEZZO"にきた新しい仕事はテレビCMで、本人たちにも概要は伝えてある。こちらの要望としてタイアップにMEZZO"の新曲を使ってほしいと先方に依頼し、了解を得ることができたため、そのことを二人に伝えるべく、出向いてもらうことにしたのだ。この曲がシングル曲としてリリースされるのは数ヶ月先。恐らく、前回の曲と同等……いや、それ以上の売り上げとなるだろう。前回のシングルもなかなかにいい評判であった。小鳥遊社長も言うように、万理もまた、この二人の声の相性はとてもいいと感じている。初めは、なかなかうまくいかないこともあった二人だが……。
「最近、環くんといい感じだね」
「えっ」
かしゃん。なんの気なしに発した言葉なのだが、壮五はなぜかひどく驚いたようで、スマートフォンを床に落としてしまった。
「大丈夫?」
「あぁ、はい。すみません、手が滑って……」
MEZZO"の結成当初、万理も紡もあまり二人についてやることができなかったのだが、壮五が体調を崩したことや、その時の環の様子から、二人はあまりうまくいっていなかったのだということは容易に想像ができた。急増した業務量に対応する人手が不足していたとはいえ、本来、所属アイドルのマネジメント業務をおこなうべき会社側が、壮五の申し出に甘えてしまったことも大きな要因だ。このような表現は不謹慎かもしれないが、雨降って地固まるとの言葉通り、MEZZO"の二人は、壮五が体調を崩したことをきっかけに、少しずついい方向へと変わってきたと思う。
「初めはどうなることかと思ったけどね。今の二人は本当の意味で、相方だと思うよ」
「恐縮です……」
相方。万理はあくまでも「MEZZO"の二人」を「いい感じだね」と言ったのだ。変に動揺してはいけない。そう思い直して、壮五はスマートフォンを拾った。
「バンちゃんごめん! 遅くなった!」
勢いよくドアを開いて、環が駆け込んできた。寮からここまで走ったのか、少しだけ息を切らせている。
「大丈夫だよ。ラジオ局に行く前に、CMのことを話しておこうと思ってね」
CM撮影の日程と、タイアップ曲にMEZZO"の新曲が使われることが決まった旨を説明する。環はふんふんと頷き、壮五は一字一句聞き漏らさまいといわんばかりに手帳にメモを取った。
「CM撮影にレコーディング、IDOLiSH7のツアーも控えてるからちょっとタイトなスケジュールになるけど、頑張ってね」
万理の言葉に、環も壮五も力強く頷いた。
ラジオ局まで万理が車を出してくれるということで、二人とも後部座席に乗り込む。いつもならおしゃべりに興じたり、スケジュールが詰め込まれている時期は仮眠をとったりするのだが、環はさきほどから眉間に皺を寄せてなにかを指折り数えてばかり。
「ん~……」
右の五本指をすべて曲げ、左の親指を曲げたところで動きが止まる。少し間を置いて、左の人差し指と中指が曲げられた。
「どうしたの?」
なにか困っているなら、こんなに傍にいるのだから頼ってほしい。壮五はそう思って声をかけたのだが、環はそれには答えず、万理に話しかけた。
「なぁ、バンちゃん」
「ん?」
彼は運転中の身だ、まっすぐ前を向いたまま、軽く返事をする。
(僕じゃなくて、万理さんに……?)
隣にいる自分ではなく、運転中の万理を頼るのかと壮五は少しむっとしてしまう。思わず睨み付けたところ、環は少し聞いてほしいと手で制してきた。
「あのさ、MEZZO"の曲、結構増えたじゃん?」
環はそう言いながら、両手の指を広げ、再び、指を曲げていく。なるほど、指折り数えていたのは、MEZZO"の曲数だったのだ。
「そうだね」
万理の返答を聞きながら、壮五も頭の中でMEZZO"として歌ってきた曲数を数える。いつの間にかこんなにもたくさん歌ってきたのかという気持ちと、まだそれだけしか歌っていないのかという気持ちのふたつが浮かんだ。IDOLiSH7よりもひと足早くデビューをすることになった二人だが、IDOLiSH7がデビューしてからも、MEZZO"は新曲を発表してきた。たくさんたくさん、二人で声を重ねてきたけれど、曲数はまだ両手の指をすべて使うほどではない。
「俺、MEZZO"でもアルバムつくりたい」
「環くん……」
万理はどう思うだろうか。彼は過去に、音楽に触れていた人物だ。諸事情からデビューに至る前に表舞台を去ったものの、作曲をする男のすぐ隣で、相方として五年間もの年月を過ごしている。アルバムをつくりたい! と言って、それが簡単にできるものではないことは、当然、知っているはずだ。
「……壮五くんは?」
相変わらず前を見たままの万理から、急に話を振られて焦ってしまう。考えたことがないわけではない。新しい曲ができるたび、いつかはと思っていた。
「そーちゃんもほしいよな?」
隣に座る環が、壮五の答えなんてとうにわかっているといった表情で覗き込んできた。
「そうだね……うん、……万理さん、僕も、可能なら、いずれはと思います」
「なるほど、二人の意見は同じというわけだ」
万理が鮮やかな手さばきでハンドルを切る。まっすぐ進んで、次の交差点を左折して十メートルほど直進すれば目的地だ。
「まぁ、事務員である俺に決定権はないんだけどね。……でも、二人の意思は社長に伝えるよ。もちろん、きみたちから言うのが、社長には一番ぐっとくるだろうけど」
「そっか、ボスに」
音晴もまた、音楽を心から愛する男だ。果たして、首を縦に振ってくれるだろうか。
「社長だけで決められることでもないよ。レコード会社との交渉が必要だし。まぁ、そのあたりは社長なら心配いらないと思うけど……アルバムとなるともう数曲いるだろうし、じゃあその新曲は? 曲順は? レコーディングは? ……って、考えること、やることがたくさん増える。スケジュールを見つつってなるんじゃないかな。なかなかすぐには話が進まないかもしれないね」
「でもやりたい。……し、これ、ボスにも言うけど、他にもやりたいことある」
環はそこまで言うと、隣に座っている壮五をじっと見つめた。
「環くん?」
隣り合わせに座ったまま、手を握られる。ここは車の中だし、万理から見えないとはいえ、人前でこんなことをするなんて。怪訝そうな顔の壮五を見つめ、深呼吸を一回。環はゆっくりと口を開く。
「そーちゃんがつくった曲、アルバムに入れてほしい」
壮五の右手を握る手は熱く、少し汗ばんでいる。環なりに緊張しているのだろう。しかし、壮五はというと、環の言っている言葉が瞬時に理解できず、ただただ、手を握られたまま、環の横顔を見つめていた。
壮五が作曲したものを、MEZZO"のアルバムに。数秒経ってから、環の発言が身体にしみ込んでいく。血管を通って、全身を巡り終える頃には、壮五の顔は真っ赤になっていた。
「環くん、いきなりなんてことを言うんだ! そんな、MEZZO"の初めてのアルバムに、僕がつくった曲を入れるなんて」
「俺はいいと思うけどなぁ」
「万理さんまで!」
そりゃあ、作曲がしたいとは言った。MEZZO"の曲をつくりたいと。しかし作曲についてはまだまだ勉強中で、何曲か完成させたものの、アルバムに収録なんて夢のまた夢だ。
「……あいつが言ってたよ。壮五くん、なかなかいい曲つくるって。世間がMEZZO"に求めているものと、壮五くんがつくりたいものにずれがあるから、戦争をしたがらない壮五くんは苦しむかもねって」
「そー、それ。この前、ゆきりんとももりんに聴いてもらって、あん時のゆきりんちょっと怖かった。けど、そーちゃんのこと褒めてた」
まるで自分が褒められたみたいに嬉しそうに笑う。壮五も、環が褒められると自分のことのように嬉しく思うのだが、環もそうなのだろうか。
「あいつはね、音楽のことは愛してるけど、人のことはなかなか愛せない男なんだ。もちろん、相方のモモくんだけは別だろうけど」
「……ゆきりんは、ももりんだけじゃなくて、バンちゃんのことも特別にしてるって思うけど」
「あぁ、まぁ」
環の言葉に、はは……と苦笑いをする。昨日もラビチャがきてたみたいだけど返してないやと呟く万理に、返してやれよ! と環が指摘する。壮五は、万理に連絡をしてもなかなか返ってこないとおもしろそうに笑っていた千の顔を思い出していた。
「まぁ、元相方だからね……って、俺のことはいいんだよ。とにかく。よほどの相手じゃないと人のことを愛せない男が、壮五くんの音楽を褒めた。それってね、すごいことなんだよ。モモくんがやきもち妬いてもおかしくないくらい。……だから、自信持って」
車は、収録現場の駐車場へと滑り込んだ。四角で区切られたマスのひとつに、静かな動作で社用車を収める。運転免許を取得して一年たらずの紡も運転はうまいほうだが、万理の運転は静かな海のようだと思う。おかげで、真っ赤だった顔も落ち着いてきた。
「……そーちゃん、平気?」
「大丈夫だよ」
口癖のようになっている「大丈夫」を言ってしまってから、しまったと思い、手で口を覆う。しかし、環にはきちんと、本当に大丈夫なのだということは伝わったらしい。
「ならいいけど。そーちゃんも、アルバムほしいって多分思ってんだろうなって思ってたの、そーちゃんに確かめずにバンちゃんに言っちゃったから」
「ううん。……環くんも、ほしいって思ってたんだってわかって、ちょっと嬉しかった」
エンジン音が切れたのを確かめ、シートベルトを外してドアを開く。ひんやりとした風が頬を撫で、その冷たさに身を竦めた。そろそろ冬は終わりと思っていたのだが、冷え込む日々はまだまだ続きそうだ。
壮五に次いで、環も車から降りる。運転席側のドアが閉まる音がして、万理がひょっこりと顔を覗かせた。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
「うす」
ピッという電子音と、車のロックがかかる音。今日の仕事はラジオ放送だけだ。
五年、十年先を見据えたラジオ番組『MEZZO"のロングヒットアルバム』で、MEZZO"のアルバムを宣伝する日は、そう遠くないかもしれない。MEZZO"らしい爽やかなラブソングたちの中に、壮五がつくったロックナンバーが混ざっているといいなと思う。
環と並んで歩き、入口の自動ドアを通った。その時、ドアの開閉音に紛れるように、環が小さな声で呟く。
「初めてつくった曲みたいにさ、歌詞、すぐにできなくてもいいよ」
「そんなわけには」
「聞けって。……別に、次の曲じゃなくてもいいけど、いつか」
いつか、壮五のメロディに、環の言葉をのせて歌うことができたら。まだ夢物語みたいなそれを照れくさそうに語る。
「そーちゃんは一人じゃねえってこと。もちろん、あんたの詞でも歌うよ。俺、あんたとこれからも歌いてえから」
「環くん……」
あぁ、ここがラジオ局でなければ。これから仕事でなければ。すぐにでも彼に抱き着いて、とびっきりの愛を囁くのに。
こんなにも胸が高鳴る相手は、彼が最初で最後だろう。声を重ねるだけで、全身の血が滾るような高揚感と、優しいぬるま湯に浸かって揺蕩うような心地よさをくれるのは、きっと、目の前のこの男だけだ。
世界で二人きりのような気分になってしまったけれど、二、三歩前では万理がラジオ局のスタッフに挨拶をしている。
「……行こうか」
「うす」
この仕事を終えたら、少し未来の話をしよう。そう遠くない未来、このラジオ番組で自分たちのアルバムの宣伝と、二人でつくった曲の話をする。それが夢物語などではなく現実のものとなるように。
「どう、って」
ずいぶん心の狭い質問をしてしまったものだと自分でも呆れてしまう。
「だから、いたんだろ、カノジョとか」
環の言葉にあぁ、と合点がいった壮五はくすくすと笑いだした。ひどい質問をした自覚はあるが、笑うほどだろうか。環は唇を尖らせ、ふいと視線を逸らした。
「あぁ、ごめんね。きみを笑ったわけじゃなくて。……うん、そうだね。確かに過去に、家が決めた女性と外出したことはあったよ。美術館に行ったり、大きな図書館で思い思いに好みの本を読んだりね」
「静かなとこばっかなのな」
壮五はうるさく騒ぐタイプではないから、それでもいいのだろうなと思う。
「そうだね。そのぶん、会話もなかった。今日、環くんと外出したみたいに、ずっとおしゃべりをしたり、笑ったりすることもなかったな。移動の時は運転手がいるから、ずっと二人きりというわけでもなかったしね」
「げぇ……そんなんデートって言えんの? ちゃんと楽しかった?」
壮五の過去を否定したいわけではないが、環がそんなデートを提案されようものなら即刻「つまんねえ!」と叫び出しそうだ。
「楽しいかどうかより、逢坂の人間としてきちんとしなければという考えしかなかったから、楽しむ余裕なんてなかったよ。相手の女性には失礼だったかもしれないね。静かに微笑んでくれてたから、悪いようには取られてなかったと信じたいけど……」
そこまで言うと、壮五は意味ありげな視線で環を見つめた。
「なに」
「好きな人と二人きりで外出するのがこんなに楽しくて、ずっとどきどきするものなんだってこと、僕は今日、初めて知ったんだ。……環くんが教えてくれたんだよ」
壮五の手が伸びてきて、環の頬を撫でた。
「~~っ!」
一気に顔が熱くなる。環はその場にずるずるとしゃがみ込んだ。
「え、環くん?」
勘弁してほしい。自分だって、好きな人とデートなんて、今日が生まれて初めてだったんだ。それだけでもどきどきし過ぎて苦しいのに、こんなにかわいい顔で、どきどきしただの、楽しかっただの言われて。
「むかつく。また好きになった」
むかつく、と言われたにもかかわらず、壮五の気持ちは晴れやかだ。
「そうか、それは光栄だな」
「……そーちゃんって変なやつ。前から思ってたけど」
むかつく。変なやつ。……口ではそう言っている環だが、頬は赤くなっており、口許はにやけを我慢するのに必死な様子。当然、壮五にもばれている。
「その変な僕を好きだって言ってくれるきみも相当なものだよ。……あぁ、変な男同士、お似合いかもしれないね」
「はぁ? そのよゆーっぽいのむかつく」
実績だけ見ると交際経験で環は壮五に一歩及ばないものの、その中身はというと、壮五だって環と同じく、初めても同然。それなのにこの余裕はなんだ? 年上だからか? そんなの、たった三年、この世に生を受けたのが早かっただけじゃないか。文字通り頭を抱えている環は「う~」と唸った。環のさらさらの髪が重力に沿って流れるさまを見つめる壮五。その表情がどんなものであるか、残念ながら環には見えていない。
「僕にも年上の矜持はあるし、なにより、男だからね。恋人の前では余裕でいたいんだ」
環の頭に手を置くと、くしゃりと髪をかき混ぜた。触れた指先の熱さに気付いて、環は唸り声を止める。だって、今のって。そんなに指が熱いなんて。
「そーちゃ」
ぴろん、とラビットチャットの受信音がする。壮五の指が離れていってしまった。なにもこんな、明らかに恋人としての甘い甘い時間の真っ最中に律儀にメッセージの内容を確認しなくてもいいじゃないか。
(真面目かよ! ……って、そーちゃん真面目だった)
きっちりして細かくて、正直に言うと真面目過ぎるところがわずらわしいのに、それでも、そういうところも含めて好きになったのだ。
「あ、万理さんが呼んでる。環くん……は、その顔をどうにかしてからおいで」
「どうにかって……どうすんだよ……」
熱い顔を押さえる環に構わず、部屋のドアは無情にも、ぱたんという軽い音を立てて閉じられてしまった。
――ドアを閉めてから、壮五はゆっくりと息を吐き出す。
「心臓がどうにかなるかと思った……」
余裕なんて、あるはずないのだ。だって、初めてだから。
◇
「あぁ、突然ごめんね……あれっ、環くんは?」
手帳に視線を落としたままだった万理だが、事務所にやってきた人物を見て目をまるくする。MEZZO"にきた仕事のことで事務所に出向いてもらうことにしたのだが、そういう時、彼らは必ず連れ立ってやってくるというのに。珍しいこともあるものだ。
「環くんは顔を洗っていたので少しだけ遅れます。すみません」
すぐに来るならまぁいいや、と万理は再び手帳に視線を落とす。MEZZO"にきた新しい仕事はテレビCMで、本人たちにも概要は伝えてある。こちらの要望としてタイアップにMEZZO"の新曲を使ってほしいと先方に依頼し、了解を得ることができたため、そのことを二人に伝えるべく、出向いてもらうことにしたのだ。この曲がシングル曲としてリリースされるのは数ヶ月先。恐らく、前回の曲と同等……いや、それ以上の売り上げとなるだろう。前回のシングルもなかなかにいい評判であった。小鳥遊社長も言うように、万理もまた、この二人の声の相性はとてもいいと感じている。初めは、なかなかうまくいかないこともあった二人だが……。
「最近、環くんといい感じだね」
「えっ」
かしゃん。なんの気なしに発した言葉なのだが、壮五はなぜかひどく驚いたようで、スマートフォンを床に落としてしまった。
「大丈夫?」
「あぁ、はい。すみません、手が滑って……」
MEZZO"の結成当初、万理も紡もあまり二人についてやることができなかったのだが、壮五が体調を崩したことや、その時の環の様子から、二人はあまりうまくいっていなかったのだということは容易に想像ができた。急増した業務量に対応する人手が不足していたとはいえ、本来、所属アイドルのマネジメント業務をおこなうべき会社側が、壮五の申し出に甘えてしまったことも大きな要因だ。このような表現は不謹慎かもしれないが、雨降って地固まるとの言葉通り、MEZZO"の二人は、壮五が体調を崩したことをきっかけに、少しずついい方向へと変わってきたと思う。
「初めはどうなることかと思ったけどね。今の二人は本当の意味で、相方だと思うよ」
「恐縮です……」
相方。万理はあくまでも「MEZZO"の二人」を「いい感じだね」と言ったのだ。変に動揺してはいけない。そう思い直して、壮五はスマートフォンを拾った。
「バンちゃんごめん! 遅くなった!」
勢いよくドアを開いて、環が駆け込んできた。寮からここまで走ったのか、少しだけ息を切らせている。
「大丈夫だよ。ラジオ局に行く前に、CMのことを話しておこうと思ってね」
CM撮影の日程と、タイアップ曲にMEZZO"の新曲が使われることが決まった旨を説明する。環はふんふんと頷き、壮五は一字一句聞き漏らさまいといわんばかりに手帳にメモを取った。
「CM撮影にレコーディング、IDOLiSH7のツアーも控えてるからちょっとタイトなスケジュールになるけど、頑張ってね」
万理の言葉に、環も壮五も力強く頷いた。
ラジオ局まで万理が車を出してくれるということで、二人とも後部座席に乗り込む。いつもならおしゃべりに興じたり、スケジュールが詰め込まれている時期は仮眠をとったりするのだが、環はさきほどから眉間に皺を寄せてなにかを指折り数えてばかり。
「ん~……」
右の五本指をすべて曲げ、左の親指を曲げたところで動きが止まる。少し間を置いて、左の人差し指と中指が曲げられた。
「どうしたの?」
なにか困っているなら、こんなに傍にいるのだから頼ってほしい。壮五はそう思って声をかけたのだが、環はそれには答えず、万理に話しかけた。
「なぁ、バンちゃん」
「ん?」
彼は運転中の身だ、まっすぐ前を向いたまま、軽く返事をする。
(僕じゃなくて、万理さんに……?)
隣にいる自分ではなく、運転中の万理を頼るのかと壮五は少しむっとしてしまう。思わず睨み付けたところ、環は少し聞いてほしいと手で制してきた。
「あのさ、MEZZO"の曲、結構増えたじゃん?」
環はそう言いながら、両手の指を広げ、再び、指を曲げていく。なるほど、指折り数えていたのは、MEZZO"の曲数だったのだ。
「そうだね」
万理の返答を聞きながら、壮五も頭の中でMEZZO"として歌ってきた曲数を数える。いつの間にかこんなにもたくさん歌ってきたのかという気持ちと、まだそれだけしか歌っていないのかという気持ちのふたつが浮かんだ。IDOLiSH7よりもひと足早くデビューをすることになった二人だが、IDOLiSH7がデビューしてからも、MEZZO"は新曲を発表してきた。たくさんたくさん、二人で声を重ねてきたけれど、曲数はまだ両手の指をすべて使うほどではない。
「俺、MEZZO"でもアルバムつくりたい」
「環くん……」
万理はどう思うだろうか。彼は過去に、音楽に触れていた人物だ。諸事情からデビューに至る前に表舞台を去ったものの、作曲をする男のすぐ隣で、相方として五年間もの年月を過ごしている。アルバムをつくりたい! と言って、それが簡単にできるものではないことは、当然、知っているはずだ。
「……壮五くんは?」
相変わらず前を見たままの万理から、急に話を振られて焦ってしまう。考えたことがないわけではない。新しい曲ができるたび、いつかはと思っていた。
「そーちゃんもほしいよな?」
隣に座る環が、壮五の答えなんてとうにわかっているといった表情で覗き込んできた。
「そうだね……うん、……万理さん、僕も、可能なら、いずれはと思います」
「なるほど、二人の意見は同じというわけだ」
万理が鮮やかな手さばきでハンドルを切る。まっすぐ進んで、次の交差点を左折して十メートルほど直進すれば目的地だ。
「まぁ、事務員である俺に決定権はないんだけどね。……でも、二人の意思は社長に伝えるよ。もちろん、きみたちから言うのが、社長には一番ぐっとくるだろうけど」
「そっか、ボスに」
音晴もまた、音楽を心から愛する男だ。果たして、首を縦に振ってくれるだろうか。
「社長だけで決められることでもないよ。レコード会社との交渉が必要だし。まぁ、そのあたりは社長なら心配いらないと思うけど……アルバムとなるともう数曲いるだろうし、じゃあその新曲は? 曲順は? レコーディングは? ……って、考えること、やることがたくさん増える。スケジュールを見つつってなるんじゃないかな。なかなかすぐには話が進まないかもしれないね」
「でもやりたい。……し、これ、ボスにも言うけど、他にもやりたいことある」
環はそこまで言うと、隣に座っている壮五をじっと見つめた。
「環くん?」
隣り合わせに座ったまま、手を握られる。ここは車の中だし、万理から見えないとはいえ、人前でこんなことをするなんて。怪訝そうな顔の壮五を見つめ、深呼吸を一回。環はゆっくりと口を開く。
「そーちゃんがつくった曲、アルバムに入れてほしい」
壮五の右手を握る手は熱く、少し汗ばんでいる。環なりに緊張しているのだろう。しかし、壮五はというと、環の言っている言葉が瞬時に理解できず、ただただ、手を握られたまま、環の横顔を見つめていた。
壮五が作曲したものを、MEZZO"のアルバムに。数秒経ってから、環の発言が身体にしみ込んでいく。血管を通って、全身を巡り終える頃には、壮五の顔は真っ赤になっていた。
「環くん、いきなりなんてことを言うんだ! そんな、MEZZO"の初めてのアルバムに、僕がつくった曲を入れるなんて」
「俺はいいと思うけどなぁ」
「万理さんまで!」
そりゃあ、作曲がしたいとは言った。MEZZO"の曲をつくりたいと。しかし作曲についてはまだまだ勉強中で、何曲か完成させたものの、アルバムに収録なんて夢のまた夢だ。
「……あいつが言ってたよ。壮五くん、なかなかいい曲つくるって。世間がMEZZO"に求めているものと、壮五くんがつくりたいものにずれがあるから、戦争をしたがらない壮五くんは苦しむかもねって」
「そー、それ。この前、ゆきりんとももりんに聴いてもらって、あん時のゆきりんちょっと怖かった。けど、そーちゃんのこと褒めてた」
まるで自分が褒められたみたいに嬉しそうに笑う。壮五も、環が褒められると自分のことのように嬉しく思うのだが、環もそうなのだろうか。
「あいつはね、音楽のことは愛してるけど、人のことはなかなか愛せない男なんだ。もちろん、相方のモモくんだけは別だろうけど」
「……ゆきりんは、ももりんだけじゃなくて、バンちゃんのことも特別にしてるって思うけど」
「あぁ、まぁ」
環の言葉に、はは……と苦笑いをする。昨日もラビチャがきてたみたいだけど返してないやと呟く万理に、返してやれよ! と環が指摘する。壮五は、万理に連絡をしてもなかなか返ってこないとおもしろそうに笑っていた千の顔を思い出していた。
「まぁ、元相方だからね……って、俺のことはいいんだよ。とにかく。よほどの相手じゃないと人のことを愛せない男が、壮五くんの音楽を褒めた。それってね、すごいことなんだよ。モモくんがやきもち妬いてもおかしくないくらい。……だから、自信持って」
車は、収録現場の駐車場へと滑り込んだ。四角で区切られたマスのひとつに、静かな動作で社用車を収める。運転免許を取得して一年たらずの紡も運転はうまいほうだが、万理の運転は静かな海のようだと思う。おかげで、真っ赤だった顔も落ち着いてきた。
「……そーちゃん、平気?」
「大丈夫だよ」
口癖のようになっている「大丈夫」を言ってしまってから、しまったと思い、手で口を覆う。しかし、環にはきちんと、本当に大丈夫なのだということは伝わったらしい。
「ならいいけど。そーちゃんも、アルバムほしいって多分思ってんだろうなって思ってたの、そーちゃんに確かめずにバンちゃんに言っちゃったから」
「ううん。……環くんも、ほしいって思ってたんだってわかって、ちょっと嬉しかった」
エンジン音が切れたのを確かめ、シートベルトを外してドアを開く。ひんやりとした風が頬を撫で、その冷たさに身を竦めた。そろそろ冬は終わりと思っていたのだが、冷え込む日々はまだまだ続きそうだ。
壮五に次いで、環も車から降りる。運転席側のドアが閉まる音がして、万理がひょっこりと顔を覗かせた。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
「うす」
ピッという電子音と、車のロックがかかる音。今日の仕事はラジオ放送だけだ。
五年、十年先を見据えたラジオ番組『MEZZO"のロングヒットアルバム』で、MEZZO"のアルバムを宣伝する日は、そう遠くないかもしれない。MEZZO"らしい爽やかなラブソングたちの中に、壮五がつくったロックナンバーが混ざっているといいなと思う。
環と並んで歩き、入口の自動ドアを通った。その時、ドアの開閉音に紛れるように、環が小さな声で呟く。
「初めてつくった曲みたいにさ、歌詞、すぐにできなくてもいいよ」
「そんなわけには」
「聞けって。……別に、次の曲じゃなくてもいいけど、いつか」
いつか、壮五のメロディに、環の言葉をのせて歌うことができたら。まだ夢物語みたいなそれを照れくさそうに語る。
「そーちゃんは一人じゃねえってこと。もちろん、あんたの詞でも歌うよ。俺、あんたとこれからも歌いてえから」
「環くん……」
あぁ、ここがラジオ局でなければ。これから仕事でなければ。すぐにでも彼に抱き着いて、とびっきりの愛を囁くのに。
こんなにも胸が高鳴る相手は、彼が最初で最後だろう。声を重ねるだけで、全身の血が滾るような高揚感と、優しいぬるま湯に浸かって揺蕩うような心地よさをくれるのは、きっと、目の前のこの男だけだ。
世界で二人きりのような気分になってしまったけれど、二、三歩前では万理がラジオ局のスタッフに挨拶をしている。
「……行こうか」
「うす」
この仕事を終えたら、少し未来の話をしよう。そう遠くない未来、このラジオ番組で自分たちのアルバムの宣伝と、二人でつくった曲の話をする。それが夢物語などではなく現実のものとなるように。