求婚予告
環が十八歳になるのを待って交際を始め、もうすぐ五年。大なり小なり喧嘩はしたものの、かなり良好な関係を続けられている。どれくらい良好かというと、メンバーから「あーあー、寮に恋のかけら撒き散らさないでねー。うちの武蔵はそういうの掃除できないから」と言われるくらい。別にそんなもの撒き散らしていないし、だいいち、共有スペースの掃除に武蔵を使わせない男がなにを言っているんだと思ったが、相手は年上だし、リーダーなので、苦笑いでその場をやり過ごすしかなかった。一緒にいた恋人は顔を真っ赤にして「うるせえ」と顔を背けただけで、言い返さなかったし。でも、あとで二人きりになった時に、恥ずかしかった分を掻き消すかのように、めちゃくちゃに抱かれたから、まんざらでもなかったのだと思う。ちなみに、これは三日前の話。
三日前にも熱い夜を過ごしたばかりだから、今の状況が、よくわからない。これがデートやセックスのお誘いだったら、壮五も頬を染めて、仕事のスケジュールに支障のない範囲で次の約束を取り付けるのだが、目の前の環ときたら、滅多にしない正座で、眉間に皺を寄せている。もしかして、悪い話?
(浮気、はまずあり得ない。可能性としては……別れ話、とか)
三日前にも熱い夜を過ごしたばかりだといったが、それは、壮五がもっととせがんだからだ。環と交際を始め、キスやセックスを経験し、壮五は文字どおり、抱かれることで得る快感に溺れた。五年経っても落ち着く様子はなく、ゆっくり過ごせるとわかると、はしたなくねだってしまう。エッチなことを覚えたての子どもじゃあるまいし、もう二十代半ばなんだから恥じらいを覚えろと、思われているのかもしれない。
(いやいや……環くんだって結構乗り気だった、はず)
目の前の環がなかなか口を開かないのをいいことに、三日前の環を脳裏に浮かべる。少し伸びた前髪を鬱陶しそうに掻き上げるのが、格好よかった。思い出すだけでまた恋をしてしまうから、たぶん、この恋は毎日のようにときめきを更新しているのだと思う。
「そー、ちゃん」
絞り出すような声に、はっと我に返る。三日前の環より、今日の、現在時刻の環を見なければ。
「なにかな? こんな、改まったみたいに」
環の声がかたくて、はしたない空想をしていた自分を、脳内で腹パンした。脳内であっても顔をビンタしないのは、自分がアイドルだという自覚がちゃんとあるからだ。
「あの、さ、今度、そーちゃんに、け……っこん、しようって、言おうと思って」
「…………えっ?」
けっこん? けっこんってなんだろう。けっこんという文字から考えられる漢字を、脳内辞書で探す。すぐに出てきたのは〝結婚〟と〝血痕〟だった。難読漢字は知らない。
「え? じゃなくて。一応、言っとこうかなって」
「結婚って……僕に?」
「うん」
水脈を懸命に辿って温泉を掘り当てたら、こんな感じだろうか。壮五の心の中に、無名の温泉が噴き出した。効能はたぶん、恋心の加速。
神妙な面持ちだから別れ話か? と危惧していたら、結婚の話だった。結婚。永遠を誓う。相手と添い遂げられる。同じ墓に入る。墓。墓っていくらで買えるんだっけ。噴き出した温泉を急ピッチで整え、今度は星空が見えるチャペルの建設を始めた。もちろん、頭の中で。
だって、壮五はずっと、この日を夢見ていた。誰よりも格好いい恋人に「壮五さんの一生を、俺にください」と言われる日を待ち焦がれていた。現在の日本の法律では正式な婚姻とは認められないけれど、それでも、環にプロポーズされたらと憧れるには、五年という交際期間はじゅうぶんだと思う。
(……ん?)
脳内でタキシードに着替えている最中で、思考が止まる。
「環くん、もう一度、言ってもらってもいい?」
「えー、くそ、恥ずかしいのに……。……だから、結婚しようって、言おうと思って」
「言えばいいじゃないか」
引っかかったのはそこだ。その時点で言っているも同然なのに、どうして〝言おうと思って〟なのか。今、言いたくない理由でもあるのか? 脳内で半分ほど着ていたタキシードをすぐに脱いだ。星空が見えるチャペルも解体したし、噴き出した温泉は埋めた。
「~~っ、まだ! まだ言わねえの!」
「どうして! 結婚しようって言えばいいじゃないか!」
その悲痛な叫びは、壁の薄い寮内では簡単に響いたらしい。リビングにいるらしい三月の「壮五ー、聞こえてるぞー」という声が飛んできた……が、正直なところ、今はそれどころではない。結婚しようの言葉なら純粋に喜べたのに、どうしてそんな、まどろっこしいことを! 自分でも、どうしてこんなに衝撃を受けているのかわからない。
「……ちゃんと、指輪とか用意して、あと、そーちゃんちの系列とかとらっちのとこのホテルよりもすっげえの予約して、ちょー格好よく決めれる! ってなってから!」
「プロポーズの最中に他の男の名前を出さないでくれ」
「とらっちじゃん……つか、まだプロポーズじゃねえし。これは予告」
いつからそんなかわいくないことを言う男になったのか。出会った頃の彼は、プロポーズの予告なんてするようなタイプの男ではなかった。彼の恋愛観をこんなふうに育てたのはどこのどいつだ。
(……僕だ)
壮五は膝から崩れ落ちた。それもそうだ。心の中と脳内で、温泉を掘り当て、チャペルを建設し、タキシードに着替えたのに、それらをすべて撤回する――これを、わずか数分でやってのけたのだから。気力も体力もへとへとで、立っていられない。
「言っとくけど、こういう予告すんの、あんたのためだかんな」
「……へ? 僕のため?」
「そーちゃんみたいなやつは、すっげえびっくりすること起きたら、キャパオーバーでぶっ倒れるって。俺、自分の言葉でそーちゃんのこと倒れさせたくない」
「環くん……」
環の説明が、情緒不安定なオタクの典型的なそれみたいなのは釈然としないが、実際に言われたら、喜びのあまり卒倒するかもしれない。プロポーズで倒れることはないと思うよと言いきれないのだ。こんなところでまで気遣ってくれるなんてと、環の名を呼ぶ語尾が甘ったるくなってしまった。語尾にハートマークがついているかもしれない。
「びっくりさせてごめんな。あんまり待たなくていいように、俺、ちゃんとするから」
「うん……」
僕の恋人は今日も世界一格好いい。まだ真っ昼間だけれど、今すぐ抱かれたい。うっとりとした顔で環に近付くと、壮五が望むものをすぐに察してくれたらしく、環の瞼が閉じられた。
三日前にも熱い夜を過ごしたばかりだから、今の状況が、よくわからない。これがデートやセックスのお誘いだったら、壮五も頬を染めて、仕事のスケジュールに支障のない範囲で次の約束を取り付けるのだが、目の前の環ときたら、滅多にしない正座で、眉間に皺を寄せている。もしかして、悪い話?
(浮気、はまずあり得ない。可能性としては……別れ話、とか)
三日前にも熱い夜を過ごしたばかりだといったが、それは、壮五がもっととせがんだからだ。環と交際を始め、キスやセックスを経験し、壮五は文字どおり、抱かれることで得る快感に溺れた。五年経っても落ち着く様子はなく、ゆっくり過ごせるとわかると、はしたなくねだってしまう。エッチなことを覚えたての子どもじゃあるまいし、もう二十代半ばなんだから恥じらいを覚えろと、思われているのかもしれない。
(いやいや……環くんだって結構乗り気だった、はず)
目の前の環がなかなか口を開かないのをいいことに、三日前の環を脳裏に浮かべる。少し伸びた前髪を鬱陶しそうに掻き上げるのが、格好よかった。思い出すだけでまた恋をしてしまうから、たぶん、この恋は毎日のようにときめきを更新しているのだと思う。
「そー、ちゃん」
絞り出すような声に、はっと我に返る。三日前の環より、今日の、現在時刻の環を見なければ。
「なにかな? こんな、改まったみたいに」
環の声がかたくて、はしたない空想をしていた自分を、脳内で腹パンした。脳内であっても顔をビンタしないのは、自分がアイドルだという自覚がちゃんとあるからだ。
「あの、さ、今度、そーちゃんに、け……っこん、しようって、言おうと思って」
「…………えっ?」
けっこん? けっこんってなんだろう。けっこんという文字から考えられる漢字を、脳内辞書で探す。すぐに出てきたのは〝結婚〟と〝血痕〟だった。難読漢字は知らない。
「え? じゃなくて。一応、言っとこうかなって」
「結婚って……僕に?」
「うん」
水脈を懸命に辿って温泉を掘り当てたら、こんな感じだろうか。壮五の心の中に、無名の温泉が噴き出した。効能はたぶん、恋心の加速。
神妙な面持ちだから別れ話か? と危惧していたら、結婚の話だった。結婚。永遠を誓う。相手と添い遂げられる。同じ墓に入る。墓。墓っていくらで買えるんだっけ。噴き出した温泉を急ピッチで整え、今度は星空が見えるチャペルの建設を始めた。もちろん、頭の中で。
だって、壮五はずっと、この日を夢見ていた。誰よりも格好いい恋人に「壮五さんの一生を、俺にください」と言われる日を待ち焦がれていた。現在の日本の法律では正式な婚姻とは認められないけれど、それでも、環にプロポーズされたらと憧れるには、五年という交際期間はじゅうぶんだと思う。
(……ん?)
脳内でタキシードに着替えている最中で、思考が止まる。
「環くん、もう一度、言ってもらってもいい?」
「えー、くそ、恥ずかしいのに……。……だから、結婚しようって、言おうと思って」
「言えばいいじゃないか」
引っかかったのはそこだ。その時点で言っているも同然なのに、どうして〝言おうと思って〟なのか。今、言いたくない理由でもあるのか? 脳内で半分ほど着ていたタキシードをすぐに脱いだ。星空が見えるチャペルも解体したし、噴き出した温泉は埋めた。
「~~っ、まだ! まだ言わねえの!」
「どうして! 結婚しようって言えばいいじゃないか!」
その悲痛な叫びは、壁の薄い寮内では簡単に響いたらしい。リビングにいるらしい三月の「壮五ー、聞こえてるぞー」という声が飛んできた……が、正直なところ、今はそれどころではない。結婚しようの言葉なら純粋に喜べたのに、どうしてそんな、まどろっこしいことを! 自分でも、どうしてこんなに衝撃を受けているのかわからない。
「……ちゃんと、指輪とか用意して、あと、そーちゃんちの系列とかとらっちのとこのホテルよりもすっげえの予約して、ちょー格好よく決めれる! ってなってから!」
「プロポーズの最中に他の男の名前を出さないでくれ」
「とらっちじゃん……つか、まだプロポーズじゃねえし。これは予告」
いつからそんなかわいくないことを言う男になったのか。出会った頃の彼は、プロポーズの予告なんてするようなタイプの男ではなかった。彼の恋愛観をこんなふうに育てたのはどこのどいつだ。
(……僕だ)
壮五は膝から崩れ落ちた。それもそうだ。心の中と脳内で、温泉を掘り当て、チャペルを建設し、タキシードに着替えたのに、それらをすべて撤回する――これを、わずか数分でやってのけたのだから。気力も体力もへとへとで、立っていられない。
「言っとくけど、こういう予告すんの、あんたのためだかんな」
「……へ? 僕のため?」
「そーちゃんみたいなやつは、すっげえびっくりすること起きたら、キャパオーバーでぶっ倒れるって。俺、自分の言葉でそーちゃんのこと倒れさせたくない」
「環くん……」
環の説明が、情緒不安定なオタクの典型的なそれみたいなのは釈然としないが、実際に言われたら、喜びのあまり卒倒するかもしれない。プロポーズで倒れることはないと思うよと言いきれないのだ。こんなところでまで気遣ってくれるなんてと、環の名を呼ぶ語尾が甘ったるくなってしまった。語尾にハートマークがついているかもしれない。
「びっくりさせてごめんな。あんまり待たなくていいように、俺、ちゃんとするから」
「うん……」
僕の恋人は今日も世界一格好いい。まだ真っ昼間だけれど、今すぐ抱かれたい。うっとりとした顔で環に近付くと、壮五が望むものをすぐに察してくれたらしく、環の瞼が閉じられた。