花婿修行
環が二十歳になったのを機に、IDOLiSH7の七人全員が寮を離れることとなった。壮五としては、環が同居を望むなら応えるのもやぶさかではないと、期待半分、上から目線半分の気持ちでいたのだが、意外にも、七人の中で住まいを最初に決めたのは環だ。
「逢坂さんが決められないなんて意外ですね」
言外に、メンバーの中では素早くものごとを決めるタイプのあなたがと含まれているのがわかった。
「うん……いろいろと悩んでてね」
一人、また一人と新たな住まいを決めていく中、壮五だけが、環に置いていかれたような気持ちのまま、自立できない自分を恥じるばかりの日々を送っている。
「防音のところなんて、いくらでも探しようがあるでしょ」
そう言って缶ビール片手に笑った男は、父親の住まいから徒歩圏内のマンションに住むらしい。彼も、住むところを早々に決めたメンバーの一人だ。まさかタマに先越されるなんてなぁと、酒の入った顔で最年少の彼の頭をわしゃわしゃと撫でている。
「ちょ、ヤマさんやめろって」
いつまでも子ども扱いをするなとむくれる顔は十七歳の頃からあまり変わっていないのに、一人だけさっさと住むところを決めて、壮五を置いていく。案外、子どもなのは自分のほうかもしれないなと、いまひとつ酒に酔えない頭でぼんやりと考えた。
「……僕も、万理さんの近くで探そうかなぁ」
わざとらしく間延びした声で、環の気を引くように言った。誰よりも早く住むところを決めた環の新居は、万理が住むマンションの別のフロアだ。壮五だって、できることならそこに住みたい。万理はMEZZO"のマネージャーだし、事務所からも近いなんて好都合じゃないか。なにより、恋人の近くに住みたいという気持ちが強い。
「いいんじゃね?」
十七歳の頃の環なら、壮五が傍にいたいと言えば顔を輝かせて喜んだだろうに、大人になってかわいくなくなってしまった。おもしろくない。おいしいはずのビールもおいしくない。恋人が素っ気ないせいで、なにもかもがいやになる。
「タマ、あんまりいじめてやりなさんな」
「別にいじめてねえし」
自分の一番の味方は環であるはずなのに、彼ではなく、大和に庇われるのもおもしろくない。大和は悪くないのに。
「……大和さん、お酒もっと飲みませんか」
こうなったらやけ酒だ。したたかに酔って、たーくんたーくんと相方に甘える格好悪いところを見せてでも、環に構ってもらわなければ気が済まない。
(僕のこと好きなくせに、昨日だってあんなにいっぱいしたくせに……)
これが、倦怠期を迎えたカップルなら、恋人が素っ気ないのもまだわかる。しかし、倦怠期のけの字も感じられないほど甘い日々を送っているはずなのに、寮を出る話になった時だけ、環が恋人からただの相方に変わってしまうから意味がわからない。
「おーい、相方がやけ酒始めるって言ってんぞー」
「知らね」
環は空になったプリンの瓶を掴むと、リビングから出て行ってしまった。壮五は唇を尖らせ、テーブルを睨み付ける。
「……むかつく」
「タマみたいな口のきき方だな」
「相方ですから。三年も一緒にいれば似ますよ」
「相方ねぇ」
環と交際して三年ほどになるが、未だ、自分たちの関係はメンバーにもマネージャーにも明かしていない。もしかしたら勘付かれているかもと思う時はあるものの、仕事に私情を挟まないためにも、秘密にしておこうと、環と約束している。
このあとも酒に付き合ってくれるのかくれないのか。大和の返事を待たず、壮五はのっそりと立ち上がって戸棚からウイスキーとグラスを取り出すと、なみなみと注いだ。
「またそんな度数の高いものを」
「きついのがほしい気分なので」
あーあ。そんな声が聞こえた気がしたが、ここまできたら誰にも止められたくない。グラスをひっくり返すような勢いで、中身を喉に流し込む。喉が焼けるような味が、たまらない。
「お兄さん、介抱しないからなー。今日はイチに任せた」
MEZZO"くんに巻き込まれたくないしとぼやく声は、強い酒で視界がぐらりときた壮五には聞こえていなかった。
「私も遠慮させていただきます」
MEZZO"の痴話喧嘩は犬も食わないと言いますしと、有名なことわざをMEZZO"に置き換えられる。そのことわざを当てはめるなんて、もしかして、一織はMEZZO"がただの相方ではないと察しているのだろうか。酒が回り始めた頭でそう考えるも、浮遊感で思考がまとまらない。ふわふわするのが楽しくて、もう一杯……と、グラスに注ぎたしたウイスキーを呷った。あぁ、枝豆が食べたいなとテーブルの上を見遣るも、三月がつくったブリ大根しかない。しかも、その器は大和がしっかりと抱え込んでいる。
「たーくん、えだまめ」
「たーくんは部屋に戻りましたよ。ですから逢坂さんもお酒はほどほどに」
「いおりんのけち。たーくんよんできて」
「いおりんって……」
さきほど、三年も一緒にいれば話し方も似てくるものだと言っていたが、そんなところは似ないでほしい。環のように「けちりん」などと言ってくるよりはましだろうか。一織は大きな溜息をつき、だめもとで、環にラビットチャットを送った。
「ははは! イチ、いおりんだって!」
MEZZO"に巻き込まれたくないと予防線を張ったままの大和は上機嫌に笑っている。
「二階堂さん、それ以上笑うなら、その予防線、跡形もなく消して差し上げますよ。今後一生、張り直せないくらいにね」
大和がひゅっと息を呑むのも気にせず、既読がついたまま返信の気配が見受けられないのを確かめると、一織は電話をかけた。
「……あ、四葉さん。ちょっと、既読無視しないでください。貴方のそーちゃんさんが一瞬で酔い始めました」
〝貴方のそーちゃんさん〟という言葉に、壮五の方がぴくんと跳ねる。
「たーくんの、そーちゃん……」
やはり、一織は知っているのだろうか。壮五の呟きをよそに、一織は電話の向こうの環との会話を続けている。
「……あぁ、大丈夫ですよ。四葉さんと違って絆されてません。いい加減、ご自分から言ったらどうですか」
「たーくん、なにかかくしてるの。いおりんは、たーくんとなにをはなしてるの」
「ひっ! 四葉さん、一刻も早くリビングに来てください! スマホに歯形をつけられるのは貴方だけでじゅうぶんです!」
一方的に言い切ると慌てて通話を切り、ぐでんぐでんになった男にスマートフォンを奪われてなるものかと、すんでのところで自分のポケットに押し込んだ。環と違って、酔っ払いをうまくあしらうスキルなんて持っていない。
一方的に切られた電話を前に、環はゆるゆると息を吐く。
ここのところ、壮五に変な態度を取ってしまっていた自覚はある。その理由が、秘密裏に進めている計画を壮五に悟らせないためだというのだから情けない。
〝花婿修行〟――それが、環が壮五と別々に暮らすことを選んだ理由だった。
今の環は、料理ひとつ満足にできないし、掃除や洗濯はなんとかできるけれど、部屋の片付けがとにかく苦手だ。
環だって、壮五との甘い生活を夢見たことはある。
しかし、今の状態のままでは、ずるずると甘えて家事の多くを壮五に頼ってしまいかねない。壮五ほどとまではいかなくても、ひととおりのことができるようになってから、もっと壮五に頼ってもらえるようになってから、一緒に暮らしたいと申し込もうと決めていた。同棲ではなく、結婚のつもりで受け入れてほしいから〝その日〟がきた時に贈りたいものも、用意してある。
唯一、このことを知っているのは一織だ。交際の事実を自分から打ち明けたわけではなく、勘付かれてしまったから。はぐらかすこともできたが、友人に隠しごとは、できなかった。
(ま、ヤマさんも知ってると思うけど)
こんなに近い距離で接していて、隠しごとはできない。
階下から、環を呼ぶ大きな声がする。そのあとに続く、がちゃんという、なにかが引っくり返った音。
しょうがねえやつ。――ひとりごとをこぼし、緩慢な動きで立ち上がった。壮五に部屋の掃除を手伝ってもらうことがあるが、彼が絶対に触らない場所がある。そこに隠したものを手に取り、もう一度、溜息をついた。
一織と大和を巻き込んでまで、壮五に隠すのはやめよう。
思っていたよりかなり早くこれを渡すはめになってしまったのは悔しいから「あんたが酔い潰れていおりんとヤマさんに迷惑かけたのも原因のひとつなんだぞ」と、一生の笑い話にしてやろうと思う。
皺だらけになった手指で、今よりずっと伸びの悪くなった頬を優しく引っ張ってやるのだ。抓らないでと笑いながら抵抗する壮五の左手薬指に、今から渡すこれがきちんとおさまっていますように。
「逢坂さんが決められないなんて意外ですね」
言外に、メンバーの中では素早くものごとを決めるタイプのあなたがと含まれているのがわかった。
「うん……いろいろと悩んでてね」
一人、また一人と新たな住まいを決めていく中、壮五だけが、環に置いていかれたような気持ちのまま、自立できない自分を恥じるばかりの日々を送っている。
「防音のところなんて、いくらでも探しようがあるでしょ」
そう言って缶ビール片手に笑った男は、父親の住まいから徒歩圏内のマンションに住むらしい。彼も、住むところを早々に決めたメンバーの一人だ。まさかタマに先越されるなんてなぁと、酒の入った顔で最年少の彼の頭をわしゃわしゃと撫でている。
「ちょ、ヤマさんやめろって」
いつまでも子ども扱いをするなとむくれる顔は十七歳の頃からあまり変わっていないのに、一人だけさっさと住むところを決めて、壮五を置いていく。案外、子どもなのは自分のほうかもしれないなと、いまひとつ酒に酔えない頭でぼんやりと考えた。
「……僕も、万理さんの近くで探そうかなぁ」
わざとらしく間延びした声で、環の気を引くように言った。誰よりも早く住むところを決めた環の新居は、万理が住むマンションの別のフロアだ。壮五だって、できることならそこに住みたい。万理はMEZZO"のマネージャーだし、事務所からも近いなんて好都合じゃないか。なにより、恋人の近くに住みたいという気持ちが強い。
「いいんじゃね?」
十七歳の頃の環なら、壮五が傍にいたいと言えば顔を輝かせて喜んだだろうに、大人になってかわいくなくなってしまった。おもしろくない。おいしいはずのビールもおいしくない。恋人が素っ気ないせいで、なにもかもがいやになる。
「タマ、あんまりいじめてやりなさんな」
「別にいじめてねえし」
自分の一番の味方は環であるはずなのに、彼ではなく、大和に庇われるのもおもしろくない。大和は悪くないのに。
「……大和さん、お酒もっと飲みませんか」
こうなったらやけ酒だ。したたかに酔って、たーくんたーくんと相方に甘える格好悪いところを見せてでも、環に構ってもらわなければ気が済まない。
(僕のこと好きなくせに、昨日だってあんなにいっぱいしたくせに……)
これが、倦怠期を迎えたカップルなら、恋人が素っ気ないのもまだわかる。しかし、倦怠期のけの字も感じられないほど甘い日々を送っているはずなのに、寮を出る話になった時だけ、環が恋人からただの相方に変わってしまうから意味がわからない。
「おーい、相方がやけ酒始めるって言ってんぞー」
「知らね」
環は空になったプリンの瓶を掴むと、リビングから出て行ってしまった。壮五は唇を尖らせ、テーブルを睨み付ける。
「……むかつく」
「タマみたいな口のきき方だな」
「相方ですから。三年も一緒にいれば似ますよ」
「相方ねぇ」
環と交際して三年ほどになるが、未だ、自分たちの関係はメンバーにもマネージャーにも明かしていない。もしかしたら勘付かれているかもと思う時はあるものの、仕事に私情を挟まないためにも、秘密にしておこうと、環と約束している。
このあとも酒に付き合ってくれるのかくれないのか。大和の返事を待たず、壮五はのっそりと立ち上がって戸棚からウイスキーとグラスを取り出すと、なみなみと注いだ。
「またそんな度数の高いものを」
「きついのがほしい気分なので」
あーあ。そんな声が聞こえた気がしたが、ここまできたら誰にも止められたくない。グラスをひっくり返すような勢いで、中身を喉に流し込む。喉が焼けるような味が、たまらない。
「お兄さん、介抱しないからなー。今日はイチに任せた」
MEZZO"くんに巻き込まれたくないしとぼやく声は、強い酒で視界がぐらりときた壮五には聞こえていなかった。
「私も遠慮させていただきます」
MEZZO"の痴話喧嘩は犬も食わないと言いますしと、有名なことわざをMEZZO"に置き換えられる。そのことわざを当てはめるなんて、もしかして、一織はMEZZO"がただの相方ではないと察しているのだろうか。酒が回り始めた頭でそう考えるも、浮遊感で思考がまとまらない。ふわふわするのが楽しくて、もう一杯……と、グラスに注ぎたしたウイスキーを呷った。あぁ、枝豆が食べたいなとテーブルの上を見遣るも、三月がつくったブリ大根しかない。しかも、その器は大和がしっかりと抱え込んでいる。
「たーくん、えだまめ」
「たーくんは部屋に戻りましたよ。ですから逢坂さんもお酒はほどほどに」
「いおりんのけち。たーくんよんできて」
「いおりんって……」
さきほど、三年も一緒にいれば話し方も似てくるものだと言っていたが、そんなところは似ないでほしい。環のように「けちりん」などと言ってくるよりはましだろうか。一織は大きな溜息をつき、だめもとで、環にラビットチャットを送った。
「ははは! イチ、いおりんだって!」
MEZZO"に巻き込まれたくないと予防線を張ったままの大和は上機嫌に笑っている。
「二階堂さん、それ以上笑うなら、その予防線、跡形もなく消して差し上げますよ。今後一生、張り直せないくらいにね」
大和がひゅっと息を呑むのも気にせず、既読がついたまま返信の気配が見受けられないのを確かめると、一織は電話をかけた。
「……あ、四葉さん。ちょっと、既読無視しないでください。貴方のそーちゃんさんが一瞬で酔い始めました」
〝貴方のそーちゃんさん〟という言葉に、壮五の方がぴくんと跳ねる。
「たーくんの、そーちゃん……」
やはり、一織は知っているのだろうか。壮五の呟きをよそに、一織は電話の向こうの環との会話を続けている。
「……あぁ、大丈夫ですよ。四葉さんと違って絆されてません。いい加減、ご自分から言ったらどうですか」
「たーくん、なにかかくしてるの。いおりんは、たーくんとなにをはなしてるの」
「ひっ! 四葉さん、一刻も早くリビングに来てください! スマホに歯形をつけられるのは貴方だけでじゅうぶんです!」
一方的に言い切ると慌てて通話を切り、ぐでんぐでんになった男にスマートフォンを奪われてなるものかと、すんでのところで自分のポケットに押し込んだ。環と違って、酔っ払いをうまくあしらうスキルなんて持っていない。
一方的に切られた電話を前に、環はゆるゆると息を吐く。
ここのところ、壮五に変な態度を取ってしまっていた自覚はある。その理由が、秘密裏に進めている計画を壮五に悟らせないためだというのだから情けない。
〝花婿修行〟――それが、環が壮五と別々に暮らすことを選んだ理由だった。
今の環は、料理ひとつ満足にできないし、掃除や洗濯はなんとかできるけれど、部屋の片付けがとにかく苦手だ。
環だって、壮五との甘い生活を夢見たことはある。
しかし、今の状態のままでは、ずるずると甘えて家事の多くを壮五に頼ってしまいかねない。壮五ほどとまではいかなくても、ひととおりのことができるようになってから、もっと壮五に頼ってもらえるようになってから、一緒に暮らしたいと申し込もうと決めていた。同棲ではなく、結婚のつもりで受け入れてほしいから〝その日〟がきた時に贈りたいものも、用意してある。
唯一、このことを知っているのは一織だ。交際の事実を自分から打ち明けたわけではなく、勘付かれてしまったから。はぐらかすこともできたが、友人に隠しごとは、できなかった。
(ま、ヤマさんも知ってると思うけど)
こんなに近い距離で接していて、隠しごとはできない。
階下から、環を呼ぶ大きな声がする。そのあとに続く、がちゃんという、なにかが引っくり返った音。
しょうがねえやつ。――ひとりごとをこぼし、緩慢な動きで立ち上がった。壮五に部屋の掃除を手伝ってもらうことがあるが、彼が絶対に触らない場所がある。そこに隠したものを手に取り、もう一度、溜息をついた。
一織と大和を巻き込んでまで、壮五に隠すのはやめよう。
思っていたよりかなり早くこれを渡すはめになってしまったのは悔しいから「あんたが酔い潰れていおりんとヤマさんに迷惑かけたのも原因のひとつなんだぞ」と、一生の笑い話にしてやろうと思う。
皺だらけになった手指で、今よりずっと伸びの悪くなった頬を優しく引っ張ってやるのだ。抓らないでと笑いながら抵抗する壮五の左手薬指に、今から渡すこれがきちんとおさまっていますように。