注・付き合っていません
「環くん、きちんと髪を乾かして」
風呂上がり、頭にタオルをのせたままの状態で冷蔵庫を覗いていると、背後からひんやりとした声がした。作曲について本格的な勉強を始めた壮五は、用のない時は自室にこもっていることが多い。今だって、環が風呂場に向かう時、壮五は部屋にこもっていた。翌朝まで顔を見ることはないと思っていたから、すっかり油断していた。
「……やろうと思ったとこ」
冷蔵庫を閉めた手にあるのは炭酸飲料の入ったペットボトル。壮五はそれを見て眉を顰める。
「飲みながら乾かすの?」
「……ちょっと飲んだら乾かそーと思ってた」
蓋を捻る手の中でぱきぱきとプラスチックの継ぎ目が切れていく音がする。新品のペットボトルの蓋を開ける時にしか聞くことのできない、小気味いい音。次いで、炭酸飲料特有の噴出音。手許で繰り出されるこの音だけで、生きていることを実感できてしまうのだから、人間って単純だ。
壮五が肩を落とすのを尻目に、環は炭酸飲料を一気に呷る。つんと鼻にくる感覚が好きだ。風呂上がりのほかほかした身体に突き刺すようなこの刺激がたまらない。
まだ小言が続くのかと思いきや、壮五はぱたぱたとスリッパの音を小さく立てて、どこかへ去ってしまった。
(あれ? 怒んない……)
それとも、呆れられた? これ以上言っても無駄だと、部屋に戻ったのだろうか。
鼻につんとくる感覚に耐えながら、どこまで飲み続けられるかというチャレンジ。炭酸飲料を口にすると、意味もなく、この勝負をしてしまう。鼻がつんとする感覚に耐えられず飲むのを中断したら負け。涙目になりながらも、決めていたところまでそのまま飲み続けられたら勝ち。自分と炭酸飲料の勝負、ジャッジするのは自分。
(……勝った)
残り半分だった炭酸飲料を一気に飲み干そう。決めていた通りに一気に飲めたから、今回の勝負は自分の勝ちだ。晴れ晴れとした心で、空になったペットボトルを水で濯ぎ、分別して捨てる。この地域はペットボトルの蓋とラベル、ボトル本体を分別しなければならない。面倒だなぁと思いながらも、それが共同生活のルールなのだから仕方がない。
「飲み終わった?」
いつからいたのか、壮五の声にびくりと肩を震わせる。
「……うす」
部屋に戻ったとばかり思っていたのに。
「じゃあ、そこに座って」
壮五の手にはドライヤーが握られていた。乾かしてくれるのかと、環は心がむず痒くなるのを堪えつつ、言われた通り、ソファーに腰掛ける。
「……そーちゃんがしてくれんの?」
ドライヤーを持ってきて、座るように言ってくるあたり、乾かしてもらえることはわかりきっているのに、どうしても、尋ねずにはいられない。自分のために、自分のためだけに? そう確かめたくなってしまう。
「いつまでもそのままっていうわけにもいかないからね」
「半分くらい乾いてんのに」
タオルドライはしてある。正直なところ、環としては、このまま自然乾燥でじゅうぶんだと思っているのだが、壮五はそれではいけないと言う。
「せっかくきれいな髪なんだから、きちんと乾かさなきゃ。毛先が傷んでしまうよ」
頭に被せていたタオル越しに、そうっと頭を撫でられた。自分を叱る声は厳しいのに、こうして触れる手はとても優しいことを、環は知っている。
「……ん」
タオルが取り払われ、ドライヤーのスイッチをオンにする音とともにごうごうと熱風に煽られる。後ろに撫でつけていた髪が顔にかかってくすぐったい。
「……環くんの髪、さらさらしてきれいだよね」
そう言って髪を梳いてくれる壮五の指のほうが、ずっときれいだと思う。白くて細い、きれいな指で、環の髪を、壊れものを扱うかのように優しく触れてくれる。そんなに恐る恐る触れなくても、壊れやしないのに。
環の髪をきれいだと褒めてくれるけれど、壮五の髪だって、本人と同じように一本一本が細くて、ふわふわしてやわらかくて、きれいだ。
「……あんたのも、きれいじゃん」
「え? なにか言った?」
「……別に」
わざわざドライヤーを遠ざけてまで聞いてこなくていいのに。元々、聞かせるつもりはなく、ドライヤーの音にかき消してもらえることを踏まえて、わざと小声で呟いたのだ。
「……気になるじゃないか」
「熱っ!」
ドライヤーの角度が変えられて、耳に熱風がかかる。とんだ仕打ちだ。
「ねぇ、なんて言ったの?」
やけに食い付いてくる。さきほど呟いた言葉を聞かせるのはどうも照れくさいのだが。
(あ、……)
「あー、あれ。俺の髪がきれいってのは、そーちゃんが乾かしてくれてっから。ありがとって言った。そんだけ!」
「……うん、どういたしまして」
ふにゃりと微笑む壮五はきれいだ。照れくさそうに頬を染めるものだから、見ていられなくて、環は正面を向く。おとなしく、乾かされることに徹しよう。
熱風が戻ってきて、環はそっと瞼を閉じた。時折触れる壮五の指に、自分の全神経を集中させる。冷え性ということもあっていつもは冷たい壮五の指先が、この時ばかりは普段の環の手と同じくらいあたたかい。優しく撫でられて、心地よくて。
(……ねみー…………)
このまま眠ってしまいたいなぁと考える。さぞかし、ぐっすり眠れることだろう。
熱風はいつの間にか冷風に変わり、やがて、かちりという音とともにスイッチが切られた。
「終わったよ、環くん。……環くん?」
反応がないことを訝しんで顔を覗き込む。
(……まるで、小さな子みたいだな)
髪を乾かされている最中に眠ってしまったらしい。なんてかわいいんだろうと胸がときめいてしまう。ドライヤーを片付けたら起こさなければ。
ドライヤーのコードをまとめながら、もし、自分たちが恋人同士だったら、こんな時はどうするだろうかと想像した。眠ってしまった環をキスで起こして、部屋で眠るよう促すのだろうか。それとも、優しく揺り起こして、一緒に眠ろうと提案する?
「お、タマは寝てんのか?」
「大和さん」
声をかけられ、ゆるみきっていた表情を慌てて引き締めた。環の次に風呂に入っていた大和がやって来て、そのまま、冷蔵庫へ直行する。風呂上がりのビールはうまいのだ。
「MEZZO"くんたちは今日もお熱いねぇ」
プルタブを引く小気味いい音とともに、大和がからからと笑った。交際何ヶ月? などと聞いてくる。
「……付き合ってませんってば」
からかわないでほしい。まなじりをつり上げる壮五をものともせず、大和はにやりと笑った。
「時間の問題だろ」
風呂上がり、頭にタオルをのせたままの状態で冷蔵庫を覗いていると、背後からひんやりとした声がした。作曲について本格的な勉強を始めた壮五は、用のない時は自室にこもっていることが多い。今だって、環が風呂場に向かう時、壮五は部屋にこもっていた。翌朝まで顔を見ることはないと思っていたから、すっかり油断していた。
「……やろうと思ったとこ」
冷蔵庫を閉めた手にあるのは炭酸飲料の入ったペットボトル。壮五はそれを見て眉を顰める。
「飲みながら乾かすの?」
「……ちょっと飲んだら乾かそーと思ってた」
蓋を捻る手の中でぱきぱきとプラスチックの継ぎ目が切れていく音がする。新品のペットボトルの蓋を開ける時にしか聞くことのできない、小気味いい音。次いで、炭酸飲料特有の噴出音。手許で繰り出されるこの音だけで、生きていることを実感できてしまうのだから、人間って単純だ。
壮五が肩を落とすのを尻目に、環は炭酸飲料を一気に呷る。つんと鼻にくる感覚が好きだ。風呂上がりのほかほかした身体に突き刺すようなこの刺激がたまらない。
まだ小言が続くのかと思いきや、壮五はぱたぱたとスリッパの音を小さく立てて、どこかへ去ってしまった。
(あれ? 怒んない……)
それとも、呆れられた? これ以上言っても無駄だと、部屋に戻ったのだろうか。
鼻につんとくる感覚に耐えながら、どこまで飲み続けられるかというチャレンジ。炭酸飲料を口にすると、意味もなく、この勝負をしてしまう。鼻がつんとする感覚に耐えられず飲むのを中断したら負け。涙目になりながらも、決めていたところまでそのまま飲み続けられたら勝ち。自分と炭酸飲料の勝負、ジャッジするのは自分。
(……勝った)
残り半分だった炭酸飲料を一気に飲み干そう。決めていた通りに一気に飲めたから、今回の勝負は自分の勝ちだ。晴れ晴れとした心で、空になったペットボトルを水で濯ぎ、分別して捨てる。この地域はペットボトルの蓋とラベル、ボトル本体を分別しなければならない。面倒だなぁと思いながらも、それが共同生活のルールなのだから仕方がない。
「飲み終わった?」
いつからいたのか、壮五の声にびくりと肩を震わせる。
「……うす」
部屋に戻ったとばかり思っていたのに。
「じゃあ、そこに座って」
壮五の手にはドライヤーが握られていた。乾かしてくれるのかと、環は心がむず痒くなるのを堪えつつ、言われた通り、ソファーに腰掛ける。
「……そーちゃんがしてくれんの?」
ドライヤーを持ってきて、座るように言ってくるあたり、乾かしてもらえることはわかりきっているのに、どうしても、尋ねずにはいられない。自分のために、自分のためだけに? そう確かめたくなってしまう。
「いつまでもそのままっていうわけにもいかないからね」
「半分くらい乾いてんのに」
タオルドライはしてある。正直なところ、環としては、このまま自然乾燥でじゅうぶんだと思っているのだが、壮五はそれではいけないと言う。
「せっかくきれいな髪なんだから、きちんと乾かさなきゃ。毛先が傷んでしまうよ」
頭に被せていたタオル越しに、そうっと頭を撫でられた。自分を叱る声は厳しいのに、こうして触れる手はとても優しいことを、環は知っている。
「……ん」
タオルが取り払われ、ドライヤーのスイッチをオンにする音とともにごうごうと熱風に煽られる。後ろに撫でつけていた髪が顔にかかってくすぐったい。
「……環くんの髪、さらさらしてきれいだよね」
そう言って髪を梳いてくれる壮五の指のほうが、ずっときれいだと思う。白くて細い、きれいな指で、環の髪を、壊れものを扱うかのように優しく触れてくれる。そんなに恐る恐る触れなくても、壊れやしないのに。
環の髪をきれいだと褒めてくれるけれど、壮五の髪だって、本人と同じように一本一本が細くて、ふわふわしてやわらかくて、きれいだ。
「……あんたのも、きれいじゃん」
「え? なにか言った?」
「……別に」
わざわざドライヤーを遠ざけてまで聞いてこなくていいのに。元々、聞かせるつもりはなく、ドライヤーの音にかき消してもらえることを踏まえて、わざと小声で呟いたのだ。
「……気になるじゃないか」
「熱っ!」
ドライヤーの角度が変えられて、耳に熱風がかかる。とんだ仕打ちだ。
「ねぇ、なんて言ったの?」
やけに食い付いてくる。さきほど呟いた言葉を聞かせるのはどうも照れくさいのだが。
(あ、……)
「あー、あれ。俺の髪がきれいってのは、そーちゃんが乾かしてくれてっから。ありがとって言った。そんだけ!」
「……うん、どういたしまして」
ふにゃりと微笑む壮五はきれいだ。照れくさそうに頬を染めるものだから、見ていられなくて、環は正面を向く。おとなしく、乾かされることに徹しよう。
熱風が戻ってきて、環はそっと瞼を閉じた。時折触れる壮五の指に、自分の全神経を集中させる。冷え性ということもあっていつもは冷たい壮五の指先が、この時ばかりは普段の環の手と同じくらいあたたかい。優しく撫でられて、心地よくて。
(……ねみー…………)
このまま眠ってしまいたいなぁと考える。さぞかし、ぐっすり眠れることだろう。
熱風はいつの間にか冷風に変わり、やがて、かちりという音とともにスイッチが切られた。
「終わったよ、環くん。……環くん?」
反応がないことを訝しんで顔を覗き込む。
(……まるで、小さな子みたいだな)
髪を乾かされている最中に眠ってしまったらしい。なんてかわいいんだろうと胸がときめいてしまう。ドライヤーを片付けたら起こさなければ。
ドライヤーのコードをまとめながら、もし、自分たちが恋人同士だったら、こんな時はどうするだろうかと想像した。眠ってしまった環をキスで起こして、部屋で眠るよう促すのだろうか。それとも、優しく揺り起こして、一緒に眠ろうと提案する?
「お、タマは寝てんのか?」
「大和さん」
声をかけられ、ゆるみきっていた表情を慌てて引き締めた。環の次に風呂に入っていた大和がやって来て、そのまま、冷蔵庫へ直行する。風呂上がりのビールはうまいのだ。
「MEZZO"くんたちは今日もお熱いねぇ」
プルタブを引く小気味いい音とともに、大和がからからと笑った。交際何ヶ月? などと聞いてくる。
「……付き合ってませんってば」
からかわないでほしい。まなじりをつり上げる壮五をものともせず、大和はにやりと笑った。
「時間の問題だろ」