はじまりの場所

 MEZZO”の仕事の話をしたあと、そろそろ寝るかって部屋に帰ろうとしたら、そーちゃんに呼び止められた。なんかまだあったっけ? って顔で話の続きをお願いすると、ただでさえ姿勢がいいそーちゃんはさらに背筋をぴしっと伸ばして「今度、話があります」って言ったんだ。
 一瞬だけよくない意味の〝話〟かと思いそうになったけど、その〝今度〟が明日の夜ってわかったことと、話があるって予告してきたそーちゃんの顔を見てたら、いい意味の〝話〟だってわかって、にやけそうなのを我慢すんのが大変だった。最初っから「明日」って言えばいいのに。

 俺とそーちゃんのあいだでしか伝わんないそのやりとりのきっかけは、高校の卒業式が終わった日の夜、俺が「好きです」って告白したこと。
 一緒にいる時間が長過ぎるからとか、一番しんどいときに支えてくれたからとかじゃなくて、本気の本気で、れっきとした、恋愛感情ってやつ。仕事じゃなくても手を繋ぎたいし、相方とか仲間じゃしないようなこともしたい。恋人じゃないと、しないようなこと。――そのときは緊張で頭のなかが熱くてわけわかんなくなってたけど、だいたい、こんな感じのことを言った気がする。
 それに対して、そーちゃんは俺が一番やだなって思ってた「親愛と恋愛を混同してるんじゃないか」みたいなことは言わないでくれて、ただ、俺が話し終わるのをじっと待ってから、ほっぺたをちょっとだけ赤くして「返したい言葉はあるけど、君が十八歳になってからね」って言った。
 正直、もう答えを言ってるようなもんだろって思った。でも、そーちゃんはものごとの順番をきちんと守りたいタイプだし、こうするって決めたことは意地でもやり遂げようとする。そこを俺が急かしちゃうと、ケンカになりそうだ。お付き合いの始まりがケンカなんてよくない。それに、そーちゃんのそういうまっすぐなところも、俺は好きだなって思ってる。昔は「ガミガミそーちゃん」なんて言っちゃってたけど。だから、俺は〝十八歳になってから〟のどこかのタイミングで、そーちゃんが返したいって思ってくれてる言葉を声にしてくれるのを、おとなしく待つことにした。
 でも、まさか俺の誕生日当日なんて。どうせなら今日の夜から一緒にいて、誕生日になった瞬間がよかったなって思ったけど、明日は朝から仕事だから、そのあたりはしょうがない。俺もちゃんとわかってる。だって、もうすぐ大人だし。いつまでもわがまま貫き通せたもん勝ちだって思いこんでるガキじゃねえし。
 それにしても、十八歳になってからねって言ってたそーちゃんの声、めっちゃ小さかったな。壁はそんなに厚くないっつっても、普通の話し声くらいなら別に外に聞こえないのに、目の前にいる俺ですら「え?」ってなったくらい。でも、あの小ささが、そーちゃんの緊張とかどきどきをそのまんま表してた気がして、卒業式の日の夜から、何回も思い出しては、内緒話みたいだなってどきどきする。
 明日――声には出さないで、心のなかでだけ呟いた。
 世間がエイプリルフールで賑わう日に、俺のとこの事務所は「うそ」なんてやらずに、ただただ楽しいばかりのミニ企画をやってくれる。ミニ企画が楽しいのは「ほんとう」だ。
 あと、零時からはみっきーとナギっちがプロデュースしてくれた、俺ら三人で歌う新曲の配信リリースもある。プロデュース秘話的なラビチャ形式の対談も公開される。俺が世界中から嫌われてない限り、俺のこと見てくれてるひとたちがラビッターやラビスタで俺の誕生日だって話もしてくれる。そんな、楽しいことがいっぱいの、世間的にも新年度っていう始まりの日。

 明日のそーちゃんは、どんなふうに「返したい言葉」くれるんだろ。

 ◇

 現実的なようでいてここぞってときはロマンチックに決めたかったらしいそーちゃんは、その日の夜、みんなで飯食ってる最中に「あとでちょっと散歩してきます」って言いだした。みんなきょとんとしてたけど、ヤマさんだって「ちょっとコンビニ行ってくる」とかよく言うから、まぁ、よくあることだって感じで、そこまで気にされることはなかった。
 じゃあ俺への〝返したい言葉〟は散歩から帰ってきたあとかな、俺は部屋で待ってようかなって思ってたら、そーちゃんがちらっと俺を見た。あ、違う、これ俺も一緒に行くやつだなってわかる感じの顔。昔は、ガミガミ言ってるとき以外なに考えてんのかわかんねえなんて思ってだけど、最近はそうでもない。普通に、顔に出るようになった。心を許してくれてる証だったらいいな。
「そー……ちゃん」
 みんなが思い思いに過ごしてるなか、俺は部屋に戻るふりをして、そーちゃんの部屋のドアをいつもより小さめにノックした。そーちゃんは食べ終わったあとの食器とかを片付け終えるなり「散歩に行く用意するから」ってさっさと部屋に戻っちゃったけど、一緒に連れて行ってもらえるらしい俺はなんの用意もしなくていいのかわかんねえじゃんな。心の準備はできそうにないけど、ほかに必要なものがあるんなら、俺も準備しておきたい。
 返事の代わりにそーちゃんがドアを開けてくれて、自分の表情がぱっと明るくなったのが、鏡なんて見なくてもわかった。十数分ぶりに好きなひとの顔見ただけでこうなるの、結構、重症だと思う。
 開けてくれたドアから体を滑り込ませようとして――
「……あっ、待って、俺も、俺も準備するから! すぐだから!」
 ――そーちゃんの格好を見て、散歩に行く用意ってやつがわかった。俺も同じことがしたい。
「うん。……外で待ってるね。この時間は寒いから、コートを着るんだよ」
 俺に犬みたいな尻尾が生えてたとしたら、たぶん、今、ぶんぶんって振ってたと思う。それくらい、そーちゃんの意図がわかったことが、うれしかった。そーちゃんのことが好きだから、そーちゃんのことがひとつでも多くわかると、好きなひとにまた一歩近付けた気がして、自信がつく。
 ここで暮らし始めた頃に比べたらちょっとは片付けるようになった自分の部屋に飛び込んで、目的のものを探す。あったかいと思う日より寒いって思う日のほうがまだ多くて、着るにはちょっと早いそれを、春物の服のなかから救出した。袖のあたりに皴が入っちゃってるけど、そのへんは見えないようにすりゃいいだろ。そーちゃんには袖の皴じゃなくて、俺の顔を見てもらいたい。あ、でも、あんまり見つめられると普通に照れるから、ほどほどで。
 大急ぎで着替えて、そーちゃんに言われたとおりコートを羽織って、部屋に飛び込んだときを上回る勢いで部屋も寮も飛び出した。一分一秒だって惜しい、早くそーちゃんの隣に行きたい。
「うおっ……、ごめん、待たせた」
 勢いあまってそーちゃんが待ってくれてた場所を通り過ぎそうになって、思わず、つんのめってしまう。
「ううん、大丈夫だよ。行こうか」
 どこに行くかは言われなかったし、俺も、どこに? とは訊かなかった。俺たちの格好が答えになってたから。
「うー……やっぱさみい……」
 昼間はあったかかったのに、春物のコートでもちょっと寒い。ポケットに手を突っ込んで、これみよがしにそーちゃんに寄り添うみたいにぴったりとくっつく。
 やっと、そーちゃんとふたりだけの時間だ。誕生日を祝ってもらえるのはありがたいし、嬉しいけど、好きなひとといい感じになれそうっていう大事な時期の俺としては、もうちょっと早く、こういう時間を迎えたかった。
 だって、零時になった瞬間のそーちゃん、ラビッターに『環くん、誕生日おめでとう』ってハッシュタグつきで投稿してたんだぜ。しかも、秒数までぴったりで、ファンのみんなから「壮五さん、環ファンとしてガチ勢過ぎ」なんて言われてやんの。正直、俺としてはラビッターでファンと一緒になって誕生日タグ使うより、すぐ隣にいる俺のほう見ててほしかったんだけど。今夜の約束がなかったら拗ねてたかも。
「この時間ならもう少し厚いコートでもよかったんじゃないかな」
「だってこの時間に出歩くことあんまりないし」
 寮の近くのコンビニくらいならさっと行ってさっと帰ってきたことあるけど、アイドルだし、寮の場所バレてるし、日頃から自分の行動に気を付けるようにって言われてるから、この時間にのんびり歩くなんてない。仕事しても許される時間ギリギリまで仕事したあとだって、マネージャーかバンちゃんが絶対に寮の前まで送ってくれてた。……昨日まで、十七歳だったから。
「そうか……そういえば、そうだね」
「わかっててこの時間にしたくせに」
 ちょっとだけくちびるを尖らせると、そーちゃんは「ふふ」って笑った。
 別に、ここに来るのは久しぶりでもなんでもない。オフの日にジョギングするときとかに使う道だし、業務スーパーに買い出しに行くってときはここを通る。ここ最近は仕事でばたばたしててあんまり来れてなかったけど。
「まったく同じ日じゃないし、時間も夜だけど」
 そーちゃんがそう言って、俺のほうを見た。コートの前ボタンをしっかり閉めてても、部屋に行ったときに見たから知ってる。今のそーちゃんは、俺たちが初めて出会った日と同じ服だ。だから、俺もあの日に着てたやつを引っ張り出した。出会ってからしばらくのあいだの着回しに入ってはいたけど、季節が変わると同時に着ることがなくなって、次の出番を待ってた服。
「あのときの服着るにはちょっと早かったなー」
 今年は桜の開花宣言が数日刻みで延期になってたし、たぶんそうかなって思ってたけど、やっぱり、このあたりの桜は五分咲きくらいだった。あのときみたいな満開にはまだちょっと早い。
 周りに誰もいないのを確かめて、階段の端に座る。ポケットのなかで散々あっためた手で、そーちゃんのコートの裾を軽く引いた。ここで手を繋ぎにいけないあたり、自分の恋愛経験のなさが出てる感じがする。
「……ここで出会ったから、ここがよかったんだ」
「うん」
 俺の手からほんの数センチの距離にあるそーちゃんの手に目がいく。ここで出会って、たまたま手がぶつかったときに、指先のところで静電気がうまれて、ばちんって痛んだ。そーちゃんに触ってももう静電気なんて起きないのはとっくに知ってるけど、あの頃とは別の理由で、そーちゃんに触れない。たぶん、今からの〝返事〟で、触っても許してもらえる関係になれるんだけど。
 自分で思ってたより長くそーちゃんの手を見てたみたいで、そーちゃんが「はい」と手を差し出した。なになに、握手?
「ここに来ようって決めたのには、もうひとつ、理由があって……ちゃんとしたところで、ずっと覚えていたくなるような、素敵なものにしたかったんだ。環くんが、卒業式のあとっていうすごく大切な日に言ってくれたから」
 ちゃんとしたところって言いながら、おいしいものが食べられるレストランじゃなくてごめんね。――そーちゃんはそう続けたけど、きっと、俺なら「どこでもよかったのに」って思うのを、わかってて言ってる。きちんとしたい性格のそーちゃんなりの、ケジメのつけ方がこれだったってだけだ。それがわかるくらいには俺ももうガキじゃないから、そーちゃんの手を握り返した。
「……わ」
 そーちゃんが勢いよく手を引っ張ってきて、上半身のバランスが崩れる。やましいことしてるようには見えないけど、ひとに聞かれたくなさそうだなって雰囲気にはなっちゃったかも。まぁ、聞かれたくないのは合ってる。
「……声ちっさ」
「ちゃんと聞こえる距離で言ったよ」
「うん、聞こえた。……はー」
「ちょっと、なに」
 そーちゃんの肩に額をぐりぐり押し付ける。いい返事だってわかってても、好きなひとからそんなこと言われるの、破壊力がやばくて顔上げてられない。
「やっぱ、あのままそーちゃんの部屋突入して言ってもらえばよかった」
 そうしたら、嬉しさが爆発した勢いで抱き着けたのに。
「だめだよ。自分の部屋でそんなことしたら、寝るときに思い出して眠れなくなる」
「は? これから付き合うのにそんなんでどうすんだよ。言っとくけど、そーちゃんが思ってるより、俺、ちゃんとわかってっから」
 宣戦布告する勢いで顔を上げたら自分でもびっくりするくらい距離が近くて、お互いに視線をうろうろさせちゃった。
「えっと……おてやわらかに、って言っておいたほうがいいのかな」
 なに言ってんだろ。ついさっき〝恋人にならなきゃしないようなこと、君としたいって思ってたよ〟なんて言ったくせに。
「そーちゃんがいやがること、するように見える?」
「見えない、けど、どきどきし過ぎてどうにかなりそう」
「でも、どうにかなるとこ、俺だけには見せてくれるんだろ」
 めでたく大人の仲間入りしたとこなんだけど、もしかして、キスのことも、子どもっぽく「チュー」って言ったほうがいい? そーちゃん、そういうの好きそうだもんな。


    《ひとこと感想》

     



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