守りたい

 仕事を終えたあと、予定がないなら食事に行こうと誘われた。MEZZO”の番組にこんな大物がと番組スタッフがざわめくほどの俳優。壮五よりひと回り年上で、干支が同じというところに親近感が湧いたと言われた。十二種類しかない干支が同じというだけで親近感を抱くあたり、星座、誕生月、血液型、生まれた都道府県レベルで気軽に共通点を見出すタイプなのだろう。そんなレベルで親近感を抱いていたら、そのうち「脊椎動物という共通点」なんて言い出しかねない。
 彼のゲスト出演が決まって、彼の人となりを調べた際に、ウイスキーボトルを集めるのが趣味という情報を得ている。十中八九、いや、それ以上の確率で、酒を飲む店だ。距離感が合わなさそうだなと思いつつ、相手は業界の先輩だし、ゲスト出演してもらったお礼はしなければと、環と壮五は食事の誘いに乗った。
 万理から、食事が終わったら迎えに行こうかと訊かれたが、午前様になる可能性を考え、丁重に断った。いくらマネージャーとはいえ、休める時に休んでほしい。

 前後不覚になるまで飲むことを覚悟していたが、結果として、壮五は最初の一杯しか飲まなかった。酒を控えめにしたわけではない。さすが、ウイスキーボトルを集めるのが趣味というだけあって、次から次へといろんな酒をオーダーしており、酒の名前をいくつ聞いたか思い出せないほどだ。上品で静かな店だったのが不幸中の幸いか。
 意識がはっきりしている壮五とは真逆に、環はさきほどから頭をふらふらとさせている。
 ――えっと、逢坂は明日も朝から仕事なんで、俺が代わりに飲みます。なので、勘弁してやってください。
 壮五の二杯目をかっさらった環の言葉だ。酒を注文した男は目を丸くしたあと、満足そうに笑って「いいよ。きみの度胸を見る会にしよう」と言い、グラスが空になるたび、いろいろな酒を注文しては、環にすすめた。途中からカクテルをつくってもらうようにしたらしく、環に「思いつく言葉から近いものを見つけてあげるよ」なんて笑っていた。
 半年前に二十歳になった彼の飲酒を咎める法律も、理由もない。しかし、自分の記憶が正しければ、彼は一織と「二十歳になっても酒は飲まない」と誓い合っていたはずでは? そんな話をマネージャーから聞いたことがある。誕生日に二十歳を迎えてから、これまで、環が酒を飲んだのを見たことがない。だから、その誓いどおりにしているとばかり思っていたのに。
 何杯飲んでも頬が赤らむ程度で、正常な受け答えを続ける環。特に思いつく言葉はないからと、舌触りのいいものや、名前がおもしろそうなものをリクエストしていたようだ。途中で「犬の名前のやつ」なんて砕けた言葉まで使っていて、冷や汗が出た。
 自分の知らないうちに酒を覚えてしまったのかと、ソルティドッグ風味のノンアルコールカクテルに口をつけながら、四時間も過ごした。本当なら、これを飲むのは彼のほうだったはずなのに。
「久しぶりに度胸のある子を見たよ」なんて笑いながら食事代を払ってくれた俳優が、タクシーも手配してくれた。少しふらついてはいるものの、環は意識がしっかりしているようで、きちんと頭を下げている。酒が入っても礼儀正しく振る舞えるなんて、どこでどんなふうに酒に慣れたのだろう。……誰と?

 しかし、環の意識がしっかりしていたのは俳優の前だけだったようで、タクシーに乗り込むなり壮五にもたれかかってふにゃふにゃとなにか言い出した。衣服越しに触れた腕が熱い。これは、環本人が見せようとしなかっただけで、かなり酒がまわっている証だ。
 運転手に会話を聞かせる趣味はないから、努めて小声で、環に話しかける。
「水飲む? まだ開封してないのがあるから」
 食事の誘いを受けた際、自分がしたたかに酔う可能性を想定して、帰りの道中でも水分補給ができるようにと買っておいたものだ。バッグからペットボトルを取り出し、蓋に手をかけるも、環に止められる。
「んー、いい……眠いし……」
「そう……」
 触れた手の熱さに、どきりとした。平熱が高いほうではあるけれど、こんなに熱いのは、彼が風邪を引いて寝込んだ時くらいしか知らない。
 壮五の胸のうちなど知る由もない環は、壮五にもたれかかってくる。
「……今日さ、飲めて、よかったー…………」
「え」
 二十歳になっても酒は飲まないと決めていたとは思えない言葉だ。
 本当に、どうしてしまったのだろう。いつから、いつの間に、彼は酒を飲むことを選んだのだろう。

 ◇

「うわ……相当飲んだんですね」
 ふわんと漂ったアルコール臭さに、一織が顔を顰める。もしかして、自分が飲んだ時も、周囲の人たちにこんな顔をさせてきたのか?
 それよりも、だ。これまでの自分の悪酔いは一旦置いておいて、誤解されないよう説明しておかなければ。
「違うんだ、弁明させてほしい。環くんも、好きでこんなに飲んだわけじゃない。僕に勧められたのを代わりに飲んで、そうしたら、次から次に……僕も止めたんだけど」
 壮五一人で環を支えるのは大変だろうからと、出迎えた一織が手伝ってくれるらしい。その申し出をありがたく受け取りつつ、他のメンバーを起こさないよう、ゆっくりと階段を上る。
 壮五は最初の一杯しか飲まなかった。至って正常だ。それなのに、環に酒をすすめた俳優の顔を思い出すだけで、二日酔いみたいに頭が痛む。
 きっと、今の自分は〝苦虫を噛み潰したような〟という表現がぴったり当てはまるくらい、ひどい顔をしているはずだ。それなのに、目の前の一織は特に気にすることなく、小さく溜息をつくだけだった。こうなることが、わかっていたと言わんばかりだ。
「でしょうね。これからは自分が逢坂さんを守るんだって意気込んでましたし。あぁ、四葉さんが悪酔いしなかったお礼は六弥さんにお願いします」
 え、とこぼれた声の、なんと間抜けなことか。もう少し反応の仕方があっただろう。でも、環の思惑を突然知らされて、うまい返しなんてできっこない。昔から、環のこととなると冷静ではいられなかった。それが、ここでも発揮されてしまっただけのこと。
「言うつもりなかったんですけどね。私としては、いい加減、四葉さんに報われてほしいんです。……私から聞いたことは伏せてください」
 なにを指しているかわからないほど鈍くはないつもりだ。もっとも、これが三年前だったら、ただ「環くんを褒めればいいのかな」なんて呑気な感想を抱いていただろうが。
 環の部屋に辿り着き、軽く反動をつけて、彼をベッドに寝転がらせた。
「言わないよ。……一織くんは知ってたんだ?」
「ええ。三年前からずっと。彼の名誉のためにいうと、あの人から言ってきたわけではありませんよ。これでもデビュー前からIDOLiSH7のプロデューサーとしてメンバーを見てきた身ですから。客観的に見れば、よく隠してきたものだと思います。……逢坂さんも、彼を見ていて、気付いたんでしょう?」
 さっきから思っていたけれど、こんな話、彼が起きていたら、まずいのでは? 一織に答える前に横目で環を見遣るも、彼は寝息を立てたままだ。本当に眠っているのか? 狸寝入りではなく?
「こうなった四葉さんは起きませんよ。わかっていて、今、こんな話をしてるんです」
 いくら初恋に臆病だからって、寝たふりをして相手の真意を探るなんてずるい真似、彼にはできない。――一織の言葉に同意こそできるものの、いまひとつ、おもしろくない。だって、酒を飲む彼のことすら、自分は今夜知ったばかりなのに。
「僕より知ってるって顔だ」
 言ってから一歩遅れて、羞恥心が込み上げてくる。なんて幼稚でわがままな発言だ。声に出す前に止められなかった自分が情けない。
「そういう発言は、明日の朝、四葉さんが目を覚ましてから言ってあげてはどうですか」
「……どこまで知ってるんだ?」
 環を見ていて、彼の気持ちには気付いていた。それを表に出さないようにと自分を抑えているのも、わかっていた。だからこそ、それを崩したくなくて、自分もひた隠しにしてきたのに。
「さぁ? 誰かさんたちは、昔から、好きなものは正反対と言っていいくらい違うのに、根っこのところは似てるんですよね。相手に向ける感情に臆病なところまでそっくりだ。……なんてね、友人が報われてほしいあまり、話し過ぎました。おやすみなさい」
 ひと足早く、一織が部屋から出ていく。昔に比べたらずっと片付いた――とはいえ、やっぱり少し散らかったままの――部屋に残されたのは、幸せそうな顔で寝息を立てるこの部屋の主と、自分。
 彼は「逢坂は明日も朝から仕事」なんて説明していたけれど、実際の仕事は夕方からだ。ただ、ここ最近忙しくて、あまり眠れていなかったから、少しだけ朝寝坊をしようかと目論んでいた。たぶん、疲れを溜め込んでいるのにも気付いて、ああいううそをついたのだと思う。うそや隠しごとが苦手なくせに、じょうずなうそのつき方も、彼は覚えてしまったというのか。
 悔しいな、知らない間に大人になっていたなんて。心の中で呟いて、環の体を奥に追いやり、隣にもぐりこむ。目を覚ましたら、さぞかし驚くことだろう。
〝いい加減、報われてほしいんです〟――一織の言葉を頭の中で反芻する。報いたくてこうしているんじゃない。これは腹いせだ。恋心を打ち明けないくせに、知らない間に、相方を守るすべを増やしていた彼への、小さな仕返し。


    《ひとこと感想》

     



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