隠れ家

『LINK RING WIND』パロディ(アンズ×オウレン)
※イベントストーリー履修後の閲覧推奨

 カイドウやリョウブにも教えていない〝隠れ家〟に、一度だけ、他人を招き入れたことがある。掴みどころのない商人で、背が高いことや見た目のよさから、ヨイノで知らぬ者はいないと言っていいほど目立っていた男。招き入れたのは、たぶん、気まぐれだったのだと思う。
 とっておきの秘密を教えるみたいに彼の手を引いてから、そうだ、あそこに連れて行こうと思いついた。家柄のいい一族、しかも現役の神官長が体を休めるには似つかわしくない、古びた長屋。そこに初めて他人を招き入れ、初めて、肌をさらした。
 単純に興味があったのだ。快楽のために人は羞恥心をどこまで忘れられるのか、それとも、忘れさせられるのか。自由に生きていいはずのこの国で、神殿に身を置くよう決められていた自分に、どこまでの自由が許されるのか。どうせなら、とびきり顔がよくて、とびきりいじわるそうなやつに、暴かせたい。それが、あの商人(だった男)を選んだ理由だ。
 自分の勘は恐ろしいほど正しくて、男のそれは、ていねいに体の奥を暴き、望みどおり濁りきった欲で穢してくれた。他者の欲を飲み込んだ時間だけは、真に、自由を許された気持ちになれた。――と、帰るべきところにとはいえ挨拶もなく帰ってしまった元商人の顔を思い出しながら、あの日から立ち寄るのを避けていた〝隠れ家〟の扉を開く。
「……?」
 すぐに異変に気付いた。ここに寄らなかった間、誰かが侵入した形跡がある。誰が?
 焦燥と嫌悪感が八割、期待が二割。足音を立てないよう、歩を進める。だって、ここを知るのはあの男だけ。でも、彼は自分の国に帰ったはず。常に携帯している護身用の小刀を確かめるように、胸元を軽く押さえた。
 途中、庭に通じる引き戸の前で足を止める。一刻も早くすべての部屋の扉を開いて違和感の正体を確かめるべきなのに、なぜか、ここで止まらなければならない気がしたのだ。
 庭といっても、たいして手入れをしていない、放ったらかし同然の果樹園である。ここでは苦労せずとも果実が育ってくれるから、気が向いた時にここに来て、のびきった雑草を適当に抜いて、等間隔に並んだ樹木を眺める程度だ。それでも、毎年咲く淡紅色の花弁や唾液がじゅわりとあふれそうなほどいい香りをさせる果実は愛らしく、人の上に立つ者としての人生を、ほんのひととき、忘れさせてくれる。日々のあれこれを忘れたい時に来るのは、それが理由だ。……今も。
 引き戸に手をかけ、そろりそろりと動かした。そこにはあの男が――なんてことはなく、ただ、カラモモの甘い香りがするだけだった。
 そんな、夢物語じゃあるまいし。ばかげた想像に自分で呆れながら、久々に雑草を抜いてやろうか、カラモモの実もちょうどよさそうなら――今までずっと、実がなってもそのままにしてきたけれど――ひとつくらい食べてみようかという気になる。シロップにしてもいいかもしれない。
「うわ、すげ……ここ、こんなんなってんだ」
「……っ」
 まさか、現役神官長の自分が他人に背後をとられるなんて。驚かされたことへの腹立たしさから、思わず、舌打ちまでしてしまった。しかも、彼の言葉が一度だけ同衾したあの日とまったく同じで、余計に腹が立つ。俺に言ったのと同じ言葉を俺以外に向けるな。
「なに呆けた顔してるんだよ。このカッコイイ顔、忘れた?」
「……さぁ。以前、ヨイノにとても顔のいい商人がいたらしいけど、彼はここにいるべき人ではなかったからね。忘れたよ」
「ふぅん」
「自分のいるべき場所へ戻れと諭したら、挨拶もなしに姿を消した、恩知らずなやつだった」
 刺々しい言葉を突き刺して庭の端まで離れてみせたものの、彼は動じる様子もなく、当然のようについてきた。
「これ、全部アンズだろ? そんなにオレに会いたかった?」
「カラモモの実だよ。それに、この木は俺がここを買う前からここにある。君との関連はない」
「オレのとこだと、アンズって名前なんだけどな。まぁ、どっちでもいいや」
 そう言って、やっぱりあたりまえのように隣に立たれた。あぁ、悔しい。思わぬ再会に心が浮かれているのを自覚してしまって、浮かれた心を鎮めるみたいに、彼に冷たくしてしまう。
「ここは君がいていい場所じゃないはずだ」
「冷てえの。今度は度胸試しとかじゃなくて、オレの国で、ちゃあんとした手順踏んで会いに来たのに」
 会いに来たという言葉に、いよいよ期待せずにはいられない。表情がゆるみそうになるのを必死でこらえながら、恐ろしく顔の整った、背の高い彼を見上げる。
「よその国のこと勉強しなきゃって思ってさ。それには、ここの神官長様に会わなきゃじゃん?」
「その言い方だと、あちこち訪ねてふらふらするようにも聞こえるね。そんな言葉で口説けるとでも?」
「うそうそ! オレが、ここに来たいって思ったのが一番の理由! ……ていうか、今のって嫉妬? オレ、結構一途なんだけどなー。初めて抱いた人のこと忘れらんなくて、周りのやつら説き伏せて誰かさんに会いに来ちゃうくらいには」
 顔を覗き込まれて思わず仰け反ってしまった。こんな姿、神殿の者たちが知ったら卒倒するに違いない。
「……俺に、そんなに会いたかったんだ? アンズはかわいいね」
 虚勢を張るなんて情けないと、自分でも思う。
「かわいいよりカッコイイって言えよ。……それに〝フジさん〟のことは教えてもらったけど」
 肩を抱かれ、もう一方の手で下腹部を軽く押された。あの日、下腹部に触れながら「ここまで届いてる」と言われた記憶がよみがえる。あれ以来、何度自分で慰めても届かなかった、深い、ところ。
「オウレンのこと、まだなんにも知らないし」
 神官長という立場を知ってもなお不遜な態度を取る彼のことを、自分はほとんど知らない。知っているのはヨイノにいた頃の暮らしぶりと、彼の熱だ。周りを説き伏せてここに来たというあたり、もしかすると、それなりに高い身分の男なのだろうか。
「……教えてあげてもいいよ。おいで」
 アンズがぴゅうと口笛を吹く。
「神官長様なのに即物的なんだな。エッチ」
「なんとでも言えばいい」
 久しぶりに気分がいいから、からかうような呼び方は見逃してやる。ついでに、あの日抱かせたのも、ちゃんと〝俺〟だったことも教えてあげよう。
 とっておきの秘密を教えるみたいにアンズの手を引いた。


    《ひとこと感想》

     



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