精一杯のプロポーズ

 キスもそれ以上も一人しか知らないし、向こうも、同じだという。そして、他の人としようとも思わないとも。
 好きの言葉はわりと言い合うようになった。でも、相手の気持ちを自分の心に縫い留めるような決定的な言葉だけは、言ったことがない。

 昨晩の壮五は、いきなり部屋に入ってきたかと思うと、それまでのんびりとゲームをしていた環からスマートフォンを取り上げ、あっという間に脱がしてきた。お気に入りだと言って憚らない腹筋をぺたぺた触ったり、舌で辿ったりされると、その気がなくてもその気になってしまう。だって、もう何年も前から好きで、この人から与えられる快感も知ってしまっているから。
 彼が抱いてくれと迫ってくる時のシチュエーションはふたつのパターンに分けられる。ひとつは、テンションが高くなり過ぎた日、これはいいことがあった日に多い。もうひとつは、ストレスが溜まって自棄になった日、作曲が思うように進まない時に発生する。前者なら環が断る理由はなく、壮五の喜びをお裾分けしてもらうようなキスから始まる。彼の〝準備〟も最低限だから、ゆっくりと快感を追える。後者は最悪だ。環がいくら今夜はやめておこうと窘めても聞かず、すぐにできるからと環を脱がせ、あれよあれよという間に上に乗ってくる。自分を痛めつけるみたいな行為に反対すべく優しくしようとしても、優しさなんていらないと言って好き勝手に暴れる。
 初めの頃は泣いてでもやめさせていたが、こういうことをするようになって三年、今では、優しくないふりをするのがうまくなってしまった。今夜は暴れたいモードなんだなと察知したら、抱き潰す勢いで激しくしてやる。一気に体力を消耗させ、気をやったのを確かめてから、本人の知らないところで甘やかす。だって、優しくするなと怒るんだから、そうするしかないじゃないか。自棄になった時こそ、ううん、いつだって、好きな人には誰よりも優しくしたいのに。
 散々暴れまくった結果泣き疲れて眠った壮五の目尻をなぞる。昔は「大人だから泣けない」なんて言うものだから、そーちゃんの代わりに自分が泣く係になると宣言したものだ。どんな些細な変化も見てくれる、小さな言葉も拾ってくれるという約束が嬉しかったから、その約束だけで、壮五を守りたいと思った。――実際は、代わりに泣けたことなんてないまま、自分でちゃんと泣けるようになったのだけれど。
「そー、ちゃん……」
 どのくらいの声までなら起きないかは、甘い夜と哀しい夜を何度も重ねることで覚えた。昨晩こっそり甘やかしただけではものたりない。もう少し、甘やかしたい。
 好きの言葉はわりと言い合うようになった。でも、相手の気持ちを自分の心に縫い留めるような決定的な言葉だけは、言ったことがない……のは、ほんの少しだけ、うそ。
 眠っているのをいいことに、壮五の手を取り、永遠を約束する指にくちづけた。これが、環に許された、精一杯のプロポーズ。
 環だって、何年も抱えた愛をきちんと声にしようとしたことはある。しかし、そのたびに、壮五が見えない壁をつくるのだ。まるで、永遠の誓いだけはしてくれるなと言うように。
 壮五の気持ちはわからないでもない。仲間で、相方。それ以上のカテゴリに自分たちを当てはめるのは、いつかの未来に足枷となりはしないか。約束を束縛と感じるようなできごとが起きたら、この世のすべてを呪ってしまいたくなるのでは。
 もちろん、他の誰かにうつつを抜かすつもりも、目の前の彼に飽きる予定もないけれど、愛は永遠の近くにいるとは限らないことを、環は身をもって知っている。だって、愛と永遠をかたく結べるなら、父は母に暴力を振るったり、環と理は離れ離れになったりしなかったはずだ。経緯は違えど、壮五も、永遠がないことを知っている。二人で終わらない物語を歌っていても、終わるものがあることから目は逸らせない。だから、決定的な言葉を受け取ろうとしない。壮五からそう聞いたわけではないけれど、彼の表情が、触れた時の体温が、そう物語っている。簡単に離れられないくらいには好きでいてくれるくせに、だ。
 閉めたはずのカーテンに僅かな隙間があるのに気付いた。初夏の朝陽は光が強い。彼の眠りを邪魔させないためにも、隠さなければ。ベッドを揺らさないよう、慎重に腕を伸ばし、手首のスナップだけで外の世界からこちら側を遮断した。
 本人に内緒で甘やかすにも、どこかで区切りをつける必要がある。今日はここまでと決めてベッドから出なければ、際限なく甘やかしてしまう。
 喉も渇いたし水でも飲もうかと、後ろ髪を引かれる思いで腰を上げる。
「……どこに行くの」
 思いもしない声に、派手に驚きそうになった。
「ごめん、起こした?」
 壮五を起こさずにベッドから抜け出すスキルも、この数年で身につけたはずだ。
「起こされてはないよ。自分で起きた」
 渇きを覚えた喉が、さらに渇きを訴える。自分で起きた? いつ? 今? それとも、もっと前?
「もうちょっと寝てていーよ。そーちゃんも水飲む?」
 ここは一旦、仕切り直したい。なんとなく、このまま壮五と話していてはいけない気がする。
「もらおうかな。僕ももう起きるよ」
 そう言って、両腕をこちらに伸ばしてきた。
「え、なに」
「なにって……わからない?」
 まったくわからないわけではない。でも、あり得ないことだと思った。仕事や酒に酔った時の介抱以外で、この体勢になったことがなかったから。こんな、甘やかせと言わんばかりのポーズをするなんて。
「えっと……こう?」
 それでも、捨てきれない期待に体を突き動かされるように、壮五の体を抱き上げる。どうやら、壮五のお望みどおりだったらしい。
「環くんに聞きたい……ううん、言ってほしいことがあるんだ。もうずっと、言わせたら終わりだと思ってた。でも、僕の知らないところで僕に言ってるって気付いたら、悔しくて」
「……気付いてたん?」
 要求どおりとはいえ、抱き上げてする話じゃない。壮五を横抱きにしたまま、ベッドに腰を下ろす。
「結構前から、ここに……」
 抱き着いていた壮五の腕が離れたかと思うと、彼は自分の左手を眺め、さきほど環がくちづけたところに唇を落とした。
「きみが、この先を約束しようとしてくれてるのを怖がって、きみを縛りたくなくて……でも、こっそりとはいえ、何度もされるとね、さすがに気付くよ」 
「……まじかよ。恥ずかしいじゃん…………」
 環なりの精一杯のプロポーズが、いつの間にか本人に伝わっていたなんて。
「ごめんね。でも、僕も……怖さより、欲が出てきちゃった。ここに、同じものがあったらななんて、浮かれた想像をするようになったんだ」
「いいの?」
 壮五が頷く。本当に、いいんだろうか。自分は結構嫉妬深くて、独占欲も強くて、諦めも悪い。好きなことをのびのびとする彼に、窮屈な思いをさせやしないか。――環の瞳に迷いの色が生じたのを認めたのか、壮五が、今度は首を横に振った。
「僕も、こう見えて結構嫉妬深いんだ。大人になって、どんどん格好よくなるきみのこと、ちゃんと捕まえとかなきゃっていう焦りもある。捕まってくれる?」
「……まぁ、確かに? そーちゃんの言うとおり、俺、結構モテるし。だから、捕まってやっても、いい」
 あーあ、ちゃんと言葉にできるなら、もっと格好よくプロポーズしたかった。


    《ひとこと感想》

     



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