七年目の正直

 早起きは苦手じゃない。得意というほどでもないけれど、仕事でこの時間に起きなければならないなら、アラームでちゃんと起きられる。顔を洗えば意識も目もしっかりする。環のように半分寝ぼけたまま朝ご飯……なんてことはない。
 でも、アラームが鳴る前に目が醒めたのは久しぶりだ。無意識で止めたのかと思ったら違った。陸のお気に入りの曲が流れるまで、あと一時間もある。もうひと眠りしてもいいな、でも、それより――
「……一織」
 ――隣で眠る恋人に囁きかけた。起こしたい? ううん、まだ眠っているのか確かめたかっただけ。低血圧気味のせいか朝に弱い一織は、これくらいの呼び方じゃ目を醒まさないのを知っている。
 今日はなんの日か、彼は覚えてくれているだろうか。真ん中バースデーなんてくだらないと言ったのは配信リリース当日だった一年目、まだ付き合う前のことだ。その次の年、二年目は一織が海外ロケ期間中で、よりによって日付変更線を挟んだものだから、どのタイミングで切り出すべきか迷っているうちに日本もあちらもその日が終わってしまった。
 三年目は、陸のほうが〝その日〟を失念していた。初主演映画のことで頭がいっぱいで、思い出した時には二日ほど過ぎていたのだ。直前まで覚えていたのに。一年目の頃に「くだらない」と言われた手前、盛大に出遅れてまでその話を持ち出すのは躊躇われた。
 四年目は忘れるわけがない。その日だからと意識するのは避けていたものの、別の意味で、大切な思い出ができた日だから。五年目、初めて二人きりの朝を迎えて、もしかして、一織なりにこの日を意識しているのではないかと勘繰った。疑問に思った以上は訊かなければ気が済まない。――しかし、一織の返事は陸が期待したものではなく「そういえばそうでしたね」と澄ましたものだった。何年もこの日を指折り数えて期待している自分がばかみたいじゃないか。
 六年目、新生活シーズンが落ち着き始める頃を見計らって、この部屋を借りた。二人だけの城というと大袈裟かもしれない。実際、一織には大袈裟だと呆れられた。持ち家ならまだしも事務所の補助がある賃貸物件になにを言うんだというのが、一織の考えらしい。ロマンチストとリアリストが共存するのなんて、一織くらいじゃないだろうか。前年のことがあったから、特別な日だというのは言わないでおいた。また澄ました顔をされたら、今度こそ立ち直れない。
 七年目、ふいにいたずら心が湧く。おあつらえ向きというか、今日は夕方からの仕事だから、まだまだのんびりできる。のんびりというのは、なにも、言葉どおり〝なにもせずゆっくりする〟だけではない。
「一織、一織、起きて」
 特別な日にゆっくりできるなんて、眠っているのがもったいない。これなら確実に起きるとわかる声で一織を呼ぶ。どこまでなら一織を起こさずに済んで、どこからなら一織が起きてくれるか――そんなのは七年目を迎える前からわかっていた。
「んん、なんですか……」
 眉間に寄った皺が、まだ起きるには早いと訴えている。指先でそれを宥めながら、一織が好きそうな声音で問いかけた。
「ね、今日がなんの日か知ってる?」
「……またそれですか。私としては、真ん中バースデーなんてものより、もっと別のことを考えてほしいんですけど」
 別のこと。別のことってなんだろう。もしかして、一織はやっぱり〝この日〟を何年も意識してくれていたんだろうか。答え合わせをしてもいいのかと瞳を揺らす陸に、一織が「降参ですか?」と溜息をつく。本当は陸なりの答えを用意しているけれど、答えというよりただの願望でしかないし、不正解だったら落ち込んでしまいそうだから、降参でいい。
「……交際から三年、ここでの生活を始めてから一年」
「やっぱり! 初めてエッチしてから二年だ!」
「〜〜っ、そういうことは思ってても言わないでください!」
 初めて体を重ねてから、もう何度もこういうことをしているのに、なんなら昨晩だって――
「もしかして、昨日の夜、一織から誘ってくれたのって……」
 ――今年は特別なことはなさそうだしと眠ろうとしたら、あれよあれよという間に脱がされ、気持ちよ過ぎてばかになりそうな夜を過ごした。そんな夜をいくつも過ごしておいて、まだ照れるのか。
「じゃあ、一織もオレと同じで、毎年この日のこと意識してたんだ! それなら早く言ってよ! オレばっかりそわそわして、でも一織はいつも普通で、毎年この日が終わるたびに恥ずかしかったんだけど」
「だから言ったでしょう。真ん中バースデーなんて互いの誕生日から勝手に決まるものより、大切にすべきものがあるでしょうって」
 つまり、真ん中バースデーだからと浮かれる陸に対し、一織は二人の思い出を増やしたかったというわけだ。
「オレだって、別に真ん中バースデーだからどうこうってわけじゃなかったし……なんならその日にかこつけてあれこれする一織のほうが」
「もう黙って。……それでもいいですよ。私も浮かれてるんです。なので、七年目はここに、……いいですか?」
 手を取られたまま、永遠を約束する場所に一織の唇が押し当てられる。答えは、陸の頬の熱にあった。


    《ひとこと感想》

     



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